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サクラ(3)

 ハルキは小さい時に1度、この町にきたことがあった。
 珍しい桜があるからといって父が2人を引っ張ってきた。長い時間電車に揺られて、小さなハルキはもう我慢の限界にきていた。そんなとき電車の窓から見えたのが真っ白な塊だった。ハルキは一瞬で目を惹かれた。電車を降りてタクシーで目的地にいった。小さな公園の中の小さな丘の上にその桜の木はあった。大振りの枝いっぱいに花をつけて。風が吹いても散ることなく。
 親子3人で少しの間桜を眺めていた。ユキが正午を過ぎていることに気がついて昼食をとることした。ユキが気づかなければそのまま桜に見入ってしまっていただろう。
 その木の下にビニールシートを敷いて3人でお弁当を囲んだ。おにぎりを頬張りながら父はこの桜のことを話してくれた。4月1日しか咲かないことから“咲かずの桜”と呼ばれていること。それから桜が咲かない訳。人を飲み込んだといわれてることも、飲まれたヒトがなにかしら恨みをもっていることも父は、話した。
 それをはなしてすぐにユキは父を叱った。ハルキが怖がると思ったからだ。現にハルキの顏は引きつって青ざめていた。父はユキとハルキに平謝りをした。なだめてすかして漸くハルキが笑顔とともにまた桜のまわりを駆け回り出したのを見てユキも漸く父を許す。それから父はボソリと母に言った。桜を見上げながら。母の顔には不安が広がっていた。
 「ばくはね、前にも来たことがあるんだ。君とも来ておかなければと思った。この桜は彼女も好きだった…………。ハルキのことは感謝してる。ありがとう」
 父の安堵とはうわはらにユキの顔は蒼白に近かった。感謝されてもしかたがない。ハルキを引き取るといわれたときは本当に断わってしまいたかった。けれど子供の母親がもう、この世にはいないのじゃしかたがない。断わってしまえば、子供は施設にいれられる。生まれてすぐの赤ん坊にそんなひどいことはできなかった。子供には母親が必要だ....。
 首を立てに振ったときの彼の顔は自分が愛したときのそれと変わっていなかった。
 ------ユキにはそれが悔しかった。その気持ちを表に出せないことがまた悔しい。
 それからすぐに妹ができた。それからだ、ユキのハルキへの接し方がおかしくなってきたのは。
 ハルキにはそれがたまらなく哀しかった。ハルキを産んだのが誰であれ、ハルキはユキとの生活しかしらない。ユキの他に母親がいるといわれても実感が湧かなかったのは本当のことだけれどそれに気づく前に、ハルキは認めてしまっていた。ユキは自分の母親ではなく、妹の母親であるということを。

 昨日見た桜はもう、“咲かずの桜”となっていた。
 たった1日の命は蝉より残酷かもしれない。そう、思うのは人間のエゴだろうか。
 ハルキは葉桜にもならない桜の木のふもとに歩み寄る。足下には昨日散った桜の花が色褪せている。
 その様子がなんとも淋しそうだ。
 ハルキは今度は片手で触れるだけではなく、幹全体を抱き締めた。目を閉じて耳をすます。
 そよそよと風の音がする。枝のざわつきが聞こえる。----それだけだ。他にはナニも聞こえない。
 風の音をききながらどれくらい木に張りついていただろう。------ナニも聞こえない。
 声が聞こえると確信してこの公園にやってきたハルキにとっては物足りない。
 ナニも聞こえない。じっと木にしがみついているのが馬鹿らしくなってきた。抱き締めた腕を離してみる。それでもかわらない。
 やはり声は始めから聞こえなかったのだろうか。自分が聞いた声は空耳だったのだろうか。
 ----あいたい、見つけてほしい。愛しい…。花の色。
 何を意味する言葉だろう。
 空耳だったとは思えない。確かにきいた。
 何を言いたいのだろう。何を伝えたいのだろう。
 来た時よりも風が強くなった。その風に吹かれるようにハルキはまた1つ思い出した。
 -----あいたい。
 小さい時にハルキがきいた言葉だ。心を閉じるもっとまえに。夢の中で。
 -----会いたい見つけて。愛しいヒト。
 だれの声かはわからないが…………。確かに聞いたことがある。いつもいつも決まった時に夢に出てきた。たしか---------4月1日。
 ハルキは意外なことを思い出して少しビックリした。ここの桜が4月1日咲くと言うのはここへ越して来て初めてしったのではなかったのか?どうして.....。
 ハルキを包むように風が吹いた。ハルキは背後にヒトの気配を感じてそっと振り返る。
 そこに見たのは--------。
 ハルキに肉付きよくして少し年を取らせた風な女性が立っている。透けるように白い肌をみて、一瞬桜の花だ形を成したのかと思う。しかし、あまりにも自分に似すぎている女性が一体だれなのかハルキは一目でわかった。--------わかってしまった。
 ------母だ。
 死んだはずの母がそこにいる。自分の目の前に立っている。優しく微笑んでいる。
 ハルキは彼女に向かう足を必死でとめた。走り出そうとするのをどうしかこらえて、声を絞りだした。
 「あなたは、だれ?」
 『アイタイ………』
 「………!!」
 やっぱり。昨日聞いた声と全く同じ。それから、小さい時夢できいた声とも………。
 『ヤット、アエタ。愛シイ…子。ワタシの………』
 「やめてっ」
 彼女の言葉をすべて聞く前にハルキは叫んでいた。耳を塞いであらん限りの声で。
 「聞きたくないっ。アナタなんてしらないっ。しらないっっ」
 ハルキの叫びをよそに彼女が歩み寄る。ゆっくりと地面を滑るように。
 『アナタにアイタかった』
 腕を伸ばす。
 『アイシテルわ。アイシテル』
 伸ばされた腕がハルキに届く。が、ハルキが後退するほうが速かった。身体と指先に1歩分の隙間ができる。彼女の顔が曇る。腕が振り降ろされ、ますます表情が消える。
 『ドウ、シテ………。アイシテルのに。こんなに。アナタだけを………』
 「アナタなんてしらないっっ」
 『ドウシテ。アナタにはワカルはず。ワタシとオナジちがナガレテル。ワタイにはワカル。ワタイはアナタノははアナタは………』
 「ききたくないっっっ」
 ハルキはたまらなくなってまた叫ぶ。わかりきった応えをハルキは期待していなかった。
 堰をきったようにハルキは叫び出した。もう、とまらない。
 「私はアナタなんか知らない。アナタは私の母さんじゃないっ。アナタのことなんてしらないよっ」
 『………』
 「わたし……私の母さんはアナタじゃないっっ」
 『……だれ?……ワタシよ。ホカはチガウ。ワタシだけ………』
 優しく微笑む彼女をみるとハルキは次の言葉を言えなくなった。けれどこのままではいけない。ハルキの直感がそう伝える。このままではいけない。
 自分の母はこのヒトじゃない。違う。
 ハルキは威圧され動けなくなった身体に鞭を打ち付けてさけんだ。彼女に伝えるのではなく、まるで自分に言い聞かせるように。
 「私の母さんはアナタじゃないっっ。今まで私を育ててくれたのはアナタじゃないっ。今の母さんが私の母さんよっ」
 息つく暇なく捲し立て、ハルキは肩を上下させて、上がった息を整える。言った後でハルキはがくぜんとしていた。自分はてっきりユキも憎んでいると思っていた。なのに自分を産んだ彼女の前ではユキが母親だと認めている。いや、もうずっと前から、ユキに抱かた時から認めていたのかもしれない。ただ。ユキには認めてもらっていないと思っていたから自分の心を摺り替えただけだ。きっと父にも恨みはない。2人とも-----好きだ。
 もともと透けるように白い彼女の顔にはもう、本当に色がなかった。蒼白になっていく彼女を見てハルキは昔のユキを思い出した。父に自分と彼女の事を告げられユキの顔色を思い出ていた。
 『………』
 彼女は、1つ深いため息をもらしてから、また優しく微笑んだ。さっきのように威圧するのものではなく、赤ん坊に向けられる穏やかな笑みだ。ハルキは見とれてしまった。色のない彼女に唯一色のある唇が開いた時ハルキは泣いていた。
 『いいヒトにアエタのね。……あのヒトはマチガッテイなかった』
 「………」
 『……いいコに、ソダったね………。カアサンにナレナクテ……ゴ……サイ…』
 「------!」
 『ゴメン、ナサ……イ…ダイテ、アゲられナク……テ………』
 「………っ」
 『………』
 微笑んだまま彼女の姿は消えた。後には白い桜が舞った………。
 ハルキはこぼれ落ちる涙を拭うことなく、彼女の消えた場所を見つめていた。自分の1歩手前を。

 少しだけ、彼女を“母”と呼べなかった自分を憎んだ。彼女も間違いなく自分の母親なのに。そう呼べなかった自分が腹立たしかった。そして、それとは逆にユキを母として認めている自分を認めることができたことに感謝した。彼女に会わなければ自分はあのままユキを、父を恨み続けたにちがいない。憎んでいると思いこんだままだったに違いない。ハルキはそで口でぐっと涙を拭った。目を閉じて深呼吸をし、決心と同時にゆっくり目をあける。
 家に帰ろう。
 ユキと妹のいる家に。
 あそこが自分の帰るべき場所。そして父を待とう。後2年で単身赴任も終わる。そうすれば親子4人でやっと、暮らせる。なんのわだかまりもなく。
 ハルキは暗くなったそれを見上げて感謝した。---------産んでくれてありがとう………かあさん。
 家に帰るために公園の入り口に向かったハルキに声がかかる。ユウカがこっちにむかてくる。
 「ハルキ。おばさんが心配して、うちに電話くれたの。ったく、この不良娘っ」
 ユウカに頭を小突かれた。そんなユウカにハルキはごめんと笑って答える。
 「ハル、キ?」
 「ごめん、ユウカ。いっぱい心配かけた」
 ハルキは面喰らっているユウカをまっすぐに見て深々と詫びた。顔を上げたときユウカは優しく笑っていた。それから、
 「それ、おばさんにも言ってあげるんでしょ」
 ハルキが頷くと、ユウカは満面の笑みを浮かべてハルキをまわれ右させる。
 「ほら、いっといで」
 優しく背中をおされてハルキは1歩前に進み出る。それからゆっくりと歩調をはやめ、公園の入り口へ急いだ。そこにはユキが待っていた。そして、妹もいる。
 「かあさん。ただいまっ」
 ハルキはそのままユキの胸に飛び込んだ。そして妹も抱き寄せる。
 こわいと思ったのは、桜にではなく、ハルキ自身の隠してきた心にかもしれない。自分を産んだ母がユキではないと耳にしたことがあまりにも衝撃的で、なのに自分がそれを簡単に認めてしまったので、後戻りができなくなっていたのだ。幼すぎたから、回り道をして考えることができなかたのだ。ユキの行動を自分はゆがめて見ていたのかもしれない。
 ハルキは家に着いてから、今日見た彼女のことをユキにはなそうと思う。きっとユキは顔を曇らせることなく聞いてくれるだろう。妹にも話そう。自分に2人の母がいることを自慢してやろう。きっと顔にはださないが、悔しがるにちがいない。きっと年相応の顔がみれるはずだ。
 父にも聞かせたい。きっと彼女は自分よりも父に会いたかったはずだ。自分よりも妹よりも、きっとユキよりも父のことを愛していたに違いない。父もきっとそうだ。だから自分を捨てなかった………。
 これも父に聞いてみたい。今よりも父を愛するために………。
 ハルキは公園からの帰り道、優しい風につつまれながらそんなことを考えていた。ユウカと並んで歩きながら、後ろから聞こえる母と妹の声に耳を傾けていた。
 

***


 “咲かずの桜”の下にはこの町で息絶えた戦国武士が埋められているそうだ。国取り合戦に負けた武士の怨念がこの町に災いをもたらさないように土に埋めてその上に桜を植えたという。そして咲いた花弁は真っ白さだった。まるで武士の魂を鎮めるかのように……………。
 これが笑顔をとりもどしたハルキが高校入学までに調べた“咲かずの桜”の本当。もう何百年も伝えられてきた噂には尾ひれがいくつも付いてしまっていたようだ。

 珍しい真っ白な花弁も手伝って桜自体に噂が付いた。------ヒトを食べたと。


 明日は高校の入学式だ。
 きっとハルキは笑って、教室に入るだろう。
 部屋の窓から見上げた夜空にはきれいな月が出ていた。
 あしたはきっと、晴れるだろう………。

(PC000420UP)

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