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サクラ(2)

 ひとしきり泣いた後でハルキは自転車を町外れのゲームセンターへ走らせた。路地の脇に自転車を止め、中に入る。大音量の音楽と機械の小気味いいリズム。それに負けじと大声を張り上げる人込み。ハルキはこの中が好きだった。それから町の雑踏のなかも。
 ハルキはゲームをするわけでもなく奥のカウンターにすすむ。首の長いシルバーの椅子に手慣れた感じで腰掛けマスターに声をかける。
 ゲームセンターのかなでは十代の少年少女がにぎやかに遊んでいる。
 マスターはハルキが頼んだものを彼女に渡す。アルコールが含まれたそれをハルキは少し口に含む。ほのかなリンゴの香りをかいでいると後ろから声をかけられた。
 「よう。ハルキじゃねぇか」
 軽々しく声をかけてきたのは幼馴染みのタケルだ。ハルキは横目に見ただけで声を返さない。そんなハルキの様子に気を悪くすることもなくタケルは横のあいてる椅子に腰掛ける。こちらも手慣れている。
 「おまえ、またあの桜見てきたの?すきだねぇ。うちのばっちゃんなんか怖がって近寄りもしねぇのに」
 かってにしゃべるタケルをそのままにハルキは次の飲み物を注文しようとしてやめた。タケルの言葉に行動がとまり、初めて真正面からタケルをみて口を開く。何故あの桜が怖いのか。自分も今日、あの桜を見て怖いと感じた。けれどそれは今日感じただけでいままでは何ともなかった。どうしてタケルの祖母が怖がっているのか。それが聞きたくなった。
 「………なんで」
 「……?」
 急に向き返ったハルキに問われて、タケルは戸惑った。ハルキのほうから口をきくことなど今まで数えるほどしかない。いつも一方通行だったので、すぐに返答できなかった。タケルのそんな態度を見てハルキは自分の説明が足りなかったのだと勘違いした。もう1度わかりやすく説明しようと試みる。
 「なんで、こわいの」
 「……あぁ、桜のことね」
 タケルは、ハルキの短い言葉から彼女がなにを言いたいのか探り出した。ほとんど人前でしゃべらないのだから“伝える”ということがうまくできなくて当然。それでもどうにかタケルは読み取ってくれた。ハルキが頷くとタケルは快く話してくれた。
 タケルの祖母が小さい時に聴いた話だそうだ。
 ″“咲かずの桜”はヒトを飲み込んだから咲かない″のだと。
 「なんで?ちゃんと咲いてる」
 タケルにそう、抗議するとそれについても答えてくれた。
 「でも、4月1日だけだろ?それに真っ白じゃねぇか。そんあ桜もあるらしいけどあの白さはぜってー変だ。どんなに努力してもきれいな桃色をしないのは桜に飲み込まれたヒトが恨みをもっているからだって。そのヒトが桜を許さない限りあの桜はきれいに咲けないってうちのばっちゃんがいってた。桜の木自体元はヒトだったらしい。きっと祟りだ」
 「…ふーん……」
 ハルキは気のない振りをして鼻を鳴らした。自分の経験を話してもしかたのないことだ。笑い飛ばされることを恐れたわけじゃないが、桜がしゃべるわけはない。常識で考えても当たり前のことだ。
 自分の体験を打ち消すようにそれのどこがこわいのかと言わんばかりに真顔で問う。
 「だから、こわいの?」
 いつもの無表情で聞くとタケルは目を点にさせて声を張り上げた。
 「こわいじゃねぇかっ」
 「…………」
 「桜がヒト食ったり、死体が埋まってたり。咲いたり咲かなかったり、きっと全部祟りだよっっ」
 「…………」
 そんなのはただの迷信だとはいわないが、タケルの恐れ方は自分の経験に基づくものではない。祖母からくり返しきかされて疑似体験しているだけだ。ただ単に恐怖心を植え込まれただけだ。そう思っていたハルキにタケルは屈託なく笑って言った。
 「ま、おまえの無表情よりこわいものはないけどな」
 タケルは冗談で話に区切りをつけ、じゃなと片手を挙げて席を立ち、人集りへと消えていった。
 タケルはユウカと同じようにハルキに接してくれる。ハルキの無表情にもダンマリにも飽きずに付き合ってくれる。
 ハルキは少しだけ瞳を和らげて彼を見送る。手元にのこったグラスの中身を飲み干してハルキは椅子から降りる。
 ゲーセンから出ると日はもう沈んでいた。
 -----またあの家に帰るのか。
 父が自分を産んだ母より愛したユキと彼女と同じ顔をした妹のいる家に。ハルキは10年前から父親を少なからず憎んでいた。憎むことでしか父を認めることができなかった。母親のユキと妹を少しでも愛するために。
 少し肩を疎ませてからハルキは自転車にまたがった。

 やはりまっすぐ家に帰ることができずにいた。
 そして、足はやっぱり桜の木の公園に向かう。タケルの祖母の話は本当なのだろうか。桜の下にヒトは埋まっているのだろうか。桜は誰を飲み込んだのだろう。
 ハルキが公園についた時はもう9時をまわっていた。桜はまだ満開だった。
 ----いつ、散るのだろう。
 見てみたい。
 人知れず咲き、散っていく桜。開花するところは見れなかったが、散るところは見てみたい。
 3月なかばから上がりはじめた気温は平年を上回っている。この分だと公園で夜を過ごしてもそんなに寒くはないだろう。どうせ、家に帰ったところでユキと妹のなかには入れない。不和を生むことがいやでハルキが心を閉ざしてからユキの行動は目に見えてはっきりとしてきた。ハルキが表情を表に出さなくなったことが結果、ユキが押しとどめていたものを出させることになってしまったのだ。夫が愛した他人に似ている子供と自分が産み落とした自分に似ている子供とでは愛しかたに違いがでて当然だ。今まで押さえ込まれてきたユキの心はハルキにしかむけられない。ハルキにしかぶつけられなかったのだ。
 どこにいても独りにはかわりはない。部屋で過ごすか公園で過ごすかの違いだ。
 ハルキは桜の前に自転車を止め荷台に座った。
 藍色の空に白い桜が映える。見上げてるとそのまま吸い込まれていきそうだった。風が気持ちいい。大振りの枝がゆるやかに揺れる。
 もうすこし厚手のジャケットにすればよかった。
 ボーっとさくらを見上げて時をやり過ごした。独りがさびしいとは思わない。だれかに側にいてほしいとも思わない。ただ、優しくされればされるだけ独りがさびしい。1度、孤独を感じればそこで終だ。自分の居場所がなくなる。ハルキは独りだということを認めたくないだけだ。認めてしまえば弱い自分が表面にでてしまう。いままで隠してきた自分が出てしまう。
 桜の前に立ってから2時間ほどが過ぎた頃ういに声がきこえた。朝、聴いたのと同じ、冷たくて無機質な声。
 『……………イ……』
 「………!」
 ハルキは今度はおびえることなく桜の前にたった。キッと見上げる。
 『…ア、イタ……イ…』
 桜の花びらが泪のように散りはじめた。同時に無機質な声がはっきりとしてくる。
 『アイタイ、アイタイ。アァァ、何処ニイルノ』
 風が止んでも桜は降り続ける。雪のように....。
 ハルキは自分の中の恐怖心を押さえ込んで桜の幹に触れた。そうすることが良いような気がしたのだ。聞こえてくる声とは逆に幹は温かくハルキの手に触れる。
 「………だれ?」
 ハルキは冷淡につぶやいた。声は機械にインプットさてれでもいるかのように同じことをくり返す。
 「だれに会いたいの?」
 ハルキの問いに応えはなく、夢できいたと同じことを機械的な声でくり返している。 
 『………花ノ…色ハ……』
 「白」
 ハルキは思わず答えていた。答えてからもう1度自分の質問をした。3度も同じことを聞く自分がおかしかった。
 「だれに、会いたいの」
 『…愛シイ……』
 ハルキの問いに答えたのか、内容をくり返しているだけなのか、それでも無機質な声に感情が見えた気がする。それほどまでに愛しい人だったのだろうか。それとも逆だろうか。
 「それ、だれ?」
 質問を続ける。しかし、もう桜は応えなかった。また無機質な声をくり返してそして、消えていった。
 『……見ツ…ケテ…。ハヤ…ク……ハヤ…………ク…』
 気がつくと満開の花はすべて散り終えていた。ハルキのまわりには散った桜が絨毯のように敷き詰められていた。

 ハルキが家に帰った時はもう日付けが変わっていた。
 4月2日。
 今日もまたあの公園に行こうと思う。桜が咲いた次の日に“咲かずの桜”を見に行くのは初めてだ。いつも桜の咲くときだけしかいかない。それ以外の日は興味がなかった。しかし今日は違う。またあの声が聞けそうな気がした。無機質な声の中に時折見えかくれする感情。
 タケルの言っていたことは本当だったのか。だとしたら人を飲み込んだ桜は女の人なのだろうか。飲み込まれたのは………………だれだろう?
 公園までを歩きながら、ハルキは笑いが込み上げてきた。口を手で押さえながら必死で我慢する。いままで押さえてきた感情がハルキの中に蘇ってくる。たった言葉ひとつで。自分がここまで物事に執着できるとは思いもしなかった。そして桜が散ったときに、ハルキは思い出してしまった。
 小さなころの思い出を。妹が生まれる前のことを。
 母のユキと父と自分との3人で見た桜のことを。3人で桜の下でお弁当を食べた。母の手作りの。それから父と遊んだ。幹のまわりを追いかけっこした。コロコロと笑う母の声を聞きながら、自分もきっと楽しそうにしていたに違いない。

 桜を見に行ったのは、------4月1日、だった。
 そして、桜の花びらは-------白かった-------。

(000420UP)

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