書庫*感想などは談話室にお願いします。書庫からも行けます。
サクラ(1)
あの人はどこに………
------桜の下に………
愛しいの、あいたいの、どうか………
------桜の下にはなにが………
見つけて、ココにいるの、どうか、はやく………
------桜の花弁の色は………すべての真実は………
あぁ、はやく、はやく…きて……
***
今年は例年に比べ暖かく、南の方ではもう2月中旬から桜の開花がみたれた。
北方の位置したこの町も例外ではなく、いつもより早い3月中旬から開花がみられた。町中の桜の木が蕾を膨らませ、花を開かせている。しかしこの小さな町には“咲かずの桜”として有名な桜がある。3月もとわずかとなったこの時期にもうすでに花を散らせてりる木があるなかで、ただ1本、花をつけない桜があった。
小さな丘に造られた公園の中にその桜の大木はあった。ほかの桜が満開になってりるその真ん中に位置して、まったく花を咲かせていない。枯れたのかと見まがうほど、蕾もつけていない。しかしその“咲かずの桜”と呼ばれる1本の木は毎年、誰に見られることなく花をつける。気候がどうであれ、今年のようにまわりがすべて開花していても、いなくても。“咲かずの桜”は1日だけの満開の日を待っている。
その桜の木を飽きずにジッとみつめる少女がいた。何度目かの呼び掛けで初めて気が付いて振り返る。少し茶色味がかった肩までの髪が揺れ、大きな瞳が優しく傾く。公園の入口から″友人″と呼べるただ1人の少女が向かって来る。
「まったくもう。やっぱりここだったのね」
「……………」
「ハルキってば、ほんとココの桜すきね。でもココは………」
自分の名前を呼んでいたのは親友のしんゆうのユウカだ。毎年のように聞くようになった彼女の言葉を遮ってハルキは口を開く。愛想もなく短く。
「知ってる」
「でしょ。毎年決まった日にしか咲かないんだから。毎日見に来ても、かわらないよ」
「でも、今年は咲くかも」
「そういって、あんたは毎年ココに来てる」
「………」
ユウカの言うことはもっともだ。反論は出来ない。それでも何か言いたくて、ユウカをジッと見つめる。そうしていて返ってくる言葉ももう、何度となく聞いた。
「そういって毎年咲いてない。毎年4月1日しか咲いてない」
「覚えてる」
言い切られるのが少し悔しくて、反論してみる。
「だったら……」
当日に来なさいよといいだすユウカに
「でも、今年は」
咲くかもしれない。と言い切った。
ユウカはこれ以上言っても無駄だと思うと、大きくため息をついて、ハルキの腕を引く。
「ほら、いくよ」
「…………」
ハルキは「行くよ」といわれてもどこへ行くのか全くわかっていなかった。ユウカはそれを見透かして軽くため息をついた。
「…………今日が何の日か覚えてる?」
「………?」
ハルキが首を傾げると、ユウカはガクッと肩を落とし、やっぱりねと小さく呟いた。それからハルキの腕を引きながら勢いよく走り出した。
「今日は3月31日。中学生も終だよっ。他校区の私立へ行く子もいるから送別会なるの。卒業式の日にちゃんといったでしょ」
「……聞いた、気がする」
「まったく。あんたってば」
ユウカの言葉に、不快な意味はない。互いが互いの態度を認め合っている。少々の暴言も行動もすべて認められる。
小さな町には、伝統がある。新学年の始まりは4月1日、終は3月31日。義務教育を終了するのは中学3年生。その年の3月31日でほんとうに義務教育が終わる。これから先は個人の自由で進学・就職を決められる。大人への道を歩ける扉をあけるこの記念すべき日を本当に記念にする伝統がこの町にはあった。義務教育の9年間、親たちよりも長く顔を突き合わせた友人たちでも、これから先いつ会えるかわからない。大半は同じ校区ないの公立高校へ進学するが、就職したり、私立学校へ進学したり、これを機に引っ越しする家もある。子供ばかりで行なわれる送別会だが、毎年行なわれていた。同じ学校に通った者同士が一同に介し騒げる最期の日だった。無礼講で町の集会所も貸し出された。
「ったく。はやくしなきゃ。もうみんな集まってるよ」
ユウカはブツブツぼやきなきながらハルキの腕を引く。2人は4月から別々の学校に進学することになっていた。ユウカは私立の女子高へ、ハルキは地元の県立高校へ。
***
ハルキは“咲かずの桜”の下に立っていた。
この7年間暮らして来たこの町で、自分が興味をもったものはほとんどない。ただ1つだけ自分の気を引くものがある。それが“咲かずの桜”。
4月1日にのみ花を咲かすこの木をいつも眺めでいた。きれいとか、珍しいとかそんな感情ではない。大地から生えた大きな幹とそこから伸びた枝に咲く花弁。この桜のすべてが気になる。
ジッと身動きせず桜を見ていたハルキがふいに振り向く。
だれかに呼ばれた気がしたのだ。
『………イ…』
声が聞こえた。ハルキはじっと耳をすます。
「……………」
『……アイ、タ………イ…』
「………」
声は桜の木から聞こえてくる。ハルキは吸い寄せられるように幹に右手を触れた。
『…ワ、タシ…ヲ………ハヤ、ク。ハ……は、ナニ……イ、ロ』
「…いつっ」
いきなり右手に痛みを感じた。ハルキは起き上がる。夢だった。耳に届いた声も、手に触れた痛みもすべて、夢?
ハルキはベッドの脇にある時計に目をやる。午前6時を少しまわったところだ。ハルキはベッドを降りて着替え始める。今から寝直したところであと2時間ほど経てば確実に起きなければならない。今起きてもあまりかわりはしない。それに寝直すということはハルキにはできなかった。
クローゼットの中には洋服がたくさんかかっていたがその下に転がっていた長袖のTシャツにダークグリーンのジーンズを身に付け黒のジャケットを羽織って外へ出る。家の者を起こさないようにそっと表へでて、自転車を走らせた。
ハルキは今度は本当に“咲かずの桜”の下にいた。ハルキ桜の下についたときはもう、“咲かずの桜”は満開だった。
……もう咲いてる。また、しろい。
桜の木を見上げながら心の中で呟いた。たった1日だけ開花する桜の花はなぜか純白だった。どんな気候でも4月1日に咲くこの桜の木はなぜか白い花をつける。透明に近い白い花弁。透けて向こうが見えるようだ。
夢の時と同じようにハルキは木の幹に右手をのばす。
……あたたかい……
そう思って、左手も添える。そのまま自分の頬も幹につけた。目を閉じてじっと耳すます。
……っ
夢と同じように声が聞こえた。
------アイタイ
ハルキは驚いて身体を引いた。少し後ずさる。
……こわい
なぜそう思ったのかわからないが、ハルキは逃げるように公園を後にしていた。
いったん家に戻り、朝食をすませる。母と妹の3人暮らし。父は単身赴任でいまは北海道にいる。
「ハルキ、どこいってたの」
玄関をくぐり台所に顔をだすと母のユキが声をかけてきた。ハルキはそれには答えず冷蔵庫をあけて牛乳をとりだした。自分の席に座ってテーブルの上のパンに手を伸ばす。牛乳でパンを押し込んでいると正面にいた妹がクスクス笑いだした。ハルキはそれも無視して、食事を続ける。
「…………」
「おねぇちゃん。またあの桜、見に行ってたんでしょ。あんな変な桜のどこがいいの?」
「………」
肯定も否定もせずに牛乳を飲み干す。3歳年の離れた妹は、自分よりも大人びていて今年から中学1年生だとは思えない容姿だ。決してハルキが大人しすぎるわけではない。ハルキは感情をあまり表にださないし、人前でよくしゃべるほうではないので存在感にかけるがそれでも綺麗と言えるだけの容姿は持ち合わせていた。性格もなかなかに激しいほうだ。がしかし母の血を確実に引いているのは妹のほうだった。母と同じく派手な容姿をしている。街にでるときはいつもお化粧を欠かさない。真っ赤なルージュに高めのヒールを履いて遊びにでる。けれど、いつも朝帰りをするのはハルキのほうだった。
簡単な朝食を終え、食器を片付けてからハルキはもう1度自転車に乗り桜を見に行った。
家をでるときにユキにどこへ行くのか問われたが、声がとどいたときはもう、自転車は家の角を曲がっていた。
こわいと感じて逃げたのにどうしてかまた見たくなる。惹かれる。ハルキはこの桜に恐怖する自分よりも惹かれる自分のほうが大きいとわかっていた。だから、見に来たのだ。
再び、桜の前に立つ。真っ白な花弁をつけた枝は風にゆったりと揺られている。
こんなに温かそうなのに、どうして恐怖を感じるのか。ハルキは今度は幹に触れることなく見つめたままだった。
ハルキたち家族は、ハルキが小学校へ入学するときにこの町へ越してきた。時は4月1日。母親が家の片付けをしているときに妹をつれて町を探検した。そのときにこの桜をみつけた。花弁のその色に少し驚いたが、それほど気にもしなかった。家にかることをせかす妹を放っておいてハルキは何時間も桜を眺めていた。日が暮れてからやっと家にもどると母親のユキにしかられた。それでもハルキはその日見た真っ白な桜のことを息つく暇なクユキに話してきかせた。
それが母親の耳にとどいてなくても…………。
ハルキがその顔から表情を消したのは小学校5年生あたりからだ。5年生に上がる前にハルキは事実を知った。偶然、夜中に起きた時に寝室から声が聞こえハルキは自分ユキの子供ではないということを知ったのだ。父が不倫相手に産ませた子供でその人がハルキを産んですぐ、亡くなったと言うこと。ユキは他所の女に似てくるハルキをもうまともには見れないと泣いていた。
耳にした瞬間はショックだったが、次にはもう納得している自分がいた。ユキの自分への接し方が妹のそれとは違う。いままでは自分が姉だからと言い聞かせていたが、それが違うとわかった。それでもハルキは家族が好きだった。好きになるように努力した。
ハルキは自分が秘密をしったことからくる家庭不和を少しでも無くすために感情を無くした振りをした。そうでもしないと、自分は両親を--父親を--憎みそうだった。それでも両親を信じているつもりだったが、幼いハルキにはやはり親の言葉が信じきれなくなり、教師のそれにも耳をかさなくなった。
気がつくと憎んでいた。憎しみは親駄だけにとまらず、いつしかまわりすべてから目を伏せるようになっていた。同年代の子供とも話さなくなり、何をされても表情を変えなくなっていった。
そんなハルキを友として最期まで見捨てなかったのがユウカである。ハルキはユウカに問いつめられて自分の事情を話したがそれは当然ユウカにはどすることもできないものだった。
もう、何年も見てきた桜に恐怖を感じた。眺めているだけで心が透き通っていく気がした桜から聞こえた声があまりにも冷たく無機質で。ハルキには哀しかった。長年付き合ってきた親友に裏切られた気がした。そしてハルキはそう思う自分に恐怖していた。親を切り離したように桜とも離れようとしている自分が妙に哀しかった。
ハルキは俯いたまま、こぼれる涙を拭おうとはしなかった。久しく頬をつたうことのなかったものをハルキは暖かいと感じていた。(000416UP)
>>>2へつづく<<<(クリックすると2へ飛びます)