伊号第四十潜水艦     酒井武義

ドライバーでナイスショットしても僕の打球はあまり飛ばない。年齢のせいもあるだろうが、僕の場合は右肘の傷害のせいもあると思っている。左手の握力は左肘関節の複雑骨折以来右手の握力の半分ぐらいしかない。左肘の傷は戦時中。潜水艦で受けた傷である。

伊四十潜の艤装員附を命ぜられた僕は、二河公園近くの民家に下宿して呉海軍工*に通った。昭和十八年七月末に艤装が完了すると、伊四十潜は出撃に備え猛訓練を始めた。一般の艦船や部隊では「総員起こし」の号令で起床するが、伊四十潜では「配置につけ」である。毎日の日課は「配置につけ」の起床で始まり、終日「急速潜航」と「急速浮上砲戦用意」の訓練の繰り返しで、訓練の目的は所要時間の短縮にあった。それは秒単位で計られた。

伊四十潜は水上偵察機の格納庫を備え、艦前部に2連装4段8基の魚雷発射管を装備した最新鋭の潜水艦(2230t)で乗組員は、艦長渡辺少佐以下九十余名、僕は信号員として水上航行中は艦橋、潜航中は司令室勤務であった。伊四十潜は十八年九月初めまで訓練を重ねて、九月中旬には戦備を整え南太平洋方面へ向け、出撃の予定になっていた。

昭和十八年九月一日早朝、備後灘航行中の伊四十潜の伝声管は「配置につけ」を連呼し、各部署から「戦闘配置よし」の報告があるや「急速潜航用意」が発令された。前甲板と後甲板のハッチ(艦内から艦外甲板への出入り口)は直ちに閉ざされ、艦橋当直員は艦橋のハッチから艦内へ入り、しんがりは航海長、艦長の順で、信号員の僕はハッチの蓋を閉める役であるから、一番最後にハッチの蓋の把手をつかみ、艦内に身を入れながらハッチの蓋をしめ、把手を急回転して密閉するのである。僕の「ハッチよし」の申告があるや艦長の「ベント開け」の号令でメインタンクの弁が開かれ、海水がタンクに奔入し、艦は水中に没するのである。

艦長がタラップを降りるのを見るや、すぐ把手をつかんでハッチに飛び込み、把手を急回転してハッチの蓋をしめ、「ハッチよし」と叫んで艦橋の直下にある司令室に降りようとした瞬間、タラップを踏外した。僕の身体は司令室のハッチを通り抜け、四、五米下の艦底に転落した。

(つづく)