…………生と死の境。

 追憶される記憶の中で、たったひとつだけ鮮明に思い出せるものがあるとしたら、

 あなたはどの記憶を見つめ返しますか?

 これは天界が与えた奇跡の権利。

 天使と人間たちとが織り成す、切なくも優しい物語。

 

 

 

 

episode.V

【雪だるまの夢】

 

 

 

 

§

 

 

 

「あのさぁ。アタシ思うんだけど、ユメミはもうちょっと明るくなってもいいんじゃないかなって思うんだ」

 天界の宝具のひとつである懐中時計のナユタが、突然そんなことを言い出した。

「いきなり何?」

 自室で紅茶を愉しんでいたユメミは、ナユタの唐突な一言に顔をあげる。

 露骨に表情には出さないが“また妙なことを言い出して”と少し呆れてしまう。だが、それでもちゃんと話を聞いてあげるあたりはユメミの優しい所か?

 否。単に相手をしないと余計にうるさくなるのを知っているだけにすぎない。

「また妙なことを言い出しおって」

 彼女の気持ちをそのまま代弁して言葉に出したのは、壁に立てかけられた大きな銀色の鎌。この鎌もまた天界の宝具のひとつ。ラグナルという名を持っている。

「アタシは真面目に言ってるつもりよ。ラグナルだって思わない? ユメミは淡々としすぎて暗そうだとか」

「それは我からは何とも……」

 ナユタに同意を求められたラグナルも、珍しく歯切れが悪い。事実として頷ける部分もあるが、少し飛躍しすぎな気がしないでもないだけに。

「結局、何が言いたい訳?」

 ユメミは平淡な口調で訊ねた。だが、表情は普段より硬い。

「別に喧嘩を売ろうとかそういうのじゃないんだけどね。勿体なく思うのよ。美人なのに愛想がないっていうのも」

「性格だから仕方ないわ。それに媚びを売るのは好きじゃない」

「でもさあ、アタシたちって色々な人間に出会うでしょ? もうちょっと明るくフレンドリーにした方が、相手も警戒心を抱かないと思うんけど」

「フレンドリーにしていたって警戒心を抱かれる時はあるわ。そもそも人間には、天使という自分たちの存在そのものが未知なものでしょうし」

 普通に生きている人間の認識では、天使は架空のものだ。故にその存在を疑わしく思う者は結構いる。

「第一、 喋る懐中時計とかがいる時点で余計な警戒心を抱かれるわ」

「ひっどーい! ここでアタシらのせいにする? ラグナル〜、アンタもここは怒るべき所よ」

「我は特に異論はない。ユメミの言っていることはしごく当然のこと故な。そもそもナユタは、望まれもせぬうちから喋りすぎなのだ。まずはそれを改めるべきであろう」

「あ〜〜もぉ〜〜〜。どうしてアタシが非難されるかなぁ。お喋りなのは認めるけど、それはフレンドリーさを心がけている訳よ」

「ならそれでいいじゃない。私の変わりに頑張って頂戴」

 もはやどうでもいいとばかりにユメミは素っ気なく言った。

「よくない。ユメミもイメチェンしようよー!」

「イヤ」

「そう言わずにイメチェン、イメチェン」

 ナユタは尚も食い下がった。だが、これはユメミのことを思ってというよりは、単にこの話題で盛り上がりたいだけなのだ。要は暇なのである。

 ユメミも、ナユタのこういったお喋りは決して嫌いでもないのだが、いかんせん煩すぎるのは欠点だと思う。

 騒がしすぎるのは、あまり好きでもないだけに。

「イメチェンとは申すが、お主はユメミにどんな明るさを求めるというのだ? もう少し具体的な例でもあれば、ユメミとて参考にしてくれるのではあるまいか」

 ラグナルがそのような事を言う。

「う〜んと。そうね。例えば、脱ぐ!」

 ユメミの頬がピクリとひきつった。だがナユタは尚も言葉を続ける。

「あ。別に全部脱げとかじゃないわよ。それじゃあ変態だから。ただ、もっと露出多めで獲れたてピチピチみたいなぁ?」

「意味がわからぬ」

 ラグナルがばっさり切り捨てる。

「想像が貧困なのよ。とにかく見た目の露出は多め! 開放的に自分をさらけだすのよ。そして挨拶は『きゃぴゅる〜ん☆ ワタシ、ユメミ。あなたを慕う美少女天使よ〜ん』と」

「絶対にイヤ。そんなの変態を通り越してタダの馬鹿だわ」

 ユメミは即座に却下した。

「え〜〜。可愛いと思うのに」

「本気で言っているのだとしたら、あなたを技術局に引き渡して人格を矯正させる」

「げっ、それは……」

「冗談なら、そのへんの石壁に思いっきりぶつけるだけで許すけど」

「どっちもロクでもないような」

「そうなりたくないのなら、どうすればいいのかわかるわね?」

「……………この話題はもうやめる」

 未練の残る口調でナユタは呟いた。このままではユメミも、本当にどちらかを実行しかねない。

 その直後、この部屋の扉を誰かがノックした。

「空いてるわ。入って頂戴」

 直に来客というのは珍しかったが、たまにはこういうこともある。だからユメミも落ち着いて、部屋に客を招きいれた。

「お邪魔するね」

 そう言って部屋に入ってきたのは、赤いゴシックドレスに身を包んだ美少女だった。ウェーブのかかった長いプラチナブロンドの髪が、物語に登場しそうなお姫様のように美しい。

 この少女の名はセツナという。

 ユメミと同様、“天宮院”に所属する中級天使だ。

「こんにちは。久しぶりだね。ユメミ」

 凛とした口調ながらも、柔らかい響きを持つ声でセツナが挨拶をする。

「久しぶり。今日はどうしたのかしら?」

 ユメミはセツナの姿を確認して問う。

 今、彼女は小さな砂時計と銀色の長槍を携えていた。

 この二つはセツナがパートナーとする宝具で、ナユタやラグナル同様に人格も有している。それらを持参してきている以上、ただ茶のみ話をしに来ただけとは思えない。

「上からの指示で、あなたに仕事をもってきたの」

 セツナはそう言うと、ユメミに一通の指示書を手渡す。

「わざわざ直に? せっちゃん、雑用係にでも転属されちゃったの?」

 お喋りなナユタが横から口を挟んだ。

「ナユタさん。セツナ様の役職は何もかわっていませんわ」

 問いに答えたのはセツナの持つ砂時計。気品を感じさせる優しい女性の声だった。名はシキという。

 そこへ今度は、銀色の長槍が説明を加える。

「此の度セツナ様に、ユメミ殿の仕事に同行せよとの指示が下ったので、わたくしどもが馳せ参じた訳です」

 こちらも気品を感じさせる青年の声。名をアヴェスタという。

「同行ってことは、せっちゃん、し〜ちゃん、あ〜くんも一緒に来るってこと?」

「…………ナユタよ。その愛称の呼び方はいつもながらどうかと思うぞ」

 ラグナルが苦い声で呟く。親しき仲にも礼儀ありと言ったところか。

「大丈夫。私たちは気にしてない。そう呼ばれるの嫌いじゃないし」

 セツナが微笑しながら言い、彼女の宝具たちもそれに同意している旨を伝える。

「さすが、せっちゃんたちはわかってるね〜。これだよ。このフレンドリーさが大事なのよ。ユメミも見習わないと駄目だよ〜?」

「好意的なのと、馴れ馴れしいのとでは、意味が違うって事を知りなさい」

 指示書に目を通しながら、ユメミが素っ気なく言い放つ。

「うぅ。何よ、それ?」

「言葉通りよ。ナユタは特に後者なんだから」

「ひっどーい!」

 ナユタは尚も何か言いたげだったが、ユメミはそれを無視してセツナに目を向ける。

「指示書には特に書かれていないけれど、この仕事にあなた達が同行しなきゃいけない意味ってあるの?」

「わからないわ。上の判断だから。でも、私はユメミの手に負えなかった場合の保険らしい」

「保険、ね」

 指示書を丁寧に折りたたみ、ユメミは目を伏せた。

 ちなみにセツナも普段は、死の淵に立った者に、ひとつの過去の記憶を鮮明に見せる事を務めとしている。

 だが、ひとつだけユメミと違う部分があった。それはセツナが相手にするのは人間ではなく、動物だったり無生物であったりするという点だ。

 動物はともかくとしても、無生物に振り返るべき過去の記憶などあるのか? そういう疑問はあるだろう。

 しかし、人の強い思いが込められた物や、使い込まれた品には不思議な心のようなものが宿る。セツナはそういった“物に宿る心”を具現化させ、対話できる力を持つ。その上で死を淵に立った――つまりは壊れかけの“物”に過去の記憶を見せるのだ。

 そんな能力を持つセツナだからこそ、ユメミには彼女の同行の理由が見えない。

 少なくとも目を通した指示書に書かれていたのは、これからユメミが仕事で出会う“人間の名前”の名前と簡単なプロフィールだけだったから。

「まあいいわ。上の判断だというなら、それに私が異論を挟んでも仕方ないし」

「そうそう。賑やかになって楽しくなるかもしれないしね〜」

「ナユタ。遊びにいく訳じゃないのよ」

「ハイハイ。わかってますって。それより、今回はどんな相手?」

「若い女性。名前は織原久遠」

「ふうん。なんかかっこいい名前ね」

「私には何だか皮肉っぽい名前に思えるわ」

「どうして?」

「彼女はもう現世に戻る事を望めない人間なのよ」

 ユメミが出会うのは生と死の境を彷徨う者たちだが、何も死に行く者たちばかりではない。中には死の淵から奇跡的に生還するものもいる。しかし、肉体という器が限界を迎えていれば、どんなに生きることを望んでも物理的にそれは叶わないのだ。

「織原久遠は死す事によって、名前の通り無限とも言える永遠の時間を手にいれることになる。そういうことね?」

 セツナの言葉にユメミは頷いた。ナユタも「なるほどね」と納得する。

「そう考えると切ないねぇ。両親だってそんなつもりで名前をつけた訳じゃないと思うし」

「…………何にしても若い女性が相手というのは気が重いわ」

「うにゃ? ユメミって若い子は苦手だった?」

 ナユタが意外そうな口調で訊ねた。少なくともユメミが、このような弱音じみたことを言うのは珍しい。

 そこにラグナルが口を挟む。

「若い者の中には、己の死を簡単に受け入れられない者もいるからな。今回のように生還が叶わぬことが確定している人間が相手の時は、パニックを起こされると厄介だ」

「その通りよ。老い先短い人間と、未来への希望がある若い人間とでは、反応に大きな違いがあるから」

 ユメミは頷いた。

「久遠さんという方も不憫ですわね」

「人の死は必然とは申せ、若い方の死はやるせないものがあります」

 シキとアヴェスタも口々に言う。

 しかし、気が重いからといって仕事を拒否する訳にはいかない。

 ユメミたちの仕事は、生と死の境を彷徨う者たちの意識の中に現れ、ひとつの過去の記憶を鮮明に見つめ返す権利を与えること。見つめ返す過去の記憶に、どのような意味を見出すかは人それぞれだが、そこにはその人々の、人生における重要な何かが秘められていることが多い。

 人間という存在に深い興味を持っているユメミにとっても、そんな中で出会った人々とのやりとりは、良くも悪くも貴重な何かを残してくれる気がする。

「とりあえずお喋りはここまで。早速、行くとしましょう」

 ユメミの言葉に部屋にいる全員が頷いた。

 そして今日もまた、彼女たちの仕事が始まる…………

 

 

 

§

 

 

「久遠」

 

 

 

 わたしは“あの子”を守れたのかしら?

 雪の上に倒れ込み、生と死の境を彷徨いながら、わたしはそんなことを思いました。

 少なくともわたしは、もうすぐ死んじゃうことでしょう。わたしを車で轢いていった方はそのまま逃げてしまいましたし、他に助けてくれそうな人も周囲にはいません。

 雪国の街の、人気の無い深夜。好き好んで外を歩こうだなんて人はそういませんから。

 このままでは助かる事もないでしょう。

 自分の身体がもう駄目な事くらい、自分が一番良くわかっています。

 まあ、これが運命だったのなら、仕方ないなって諦めるしかないですよね。勿論、悲しくないと言えば嘘になりますが。

 でも、いま重要なのは、わたしが“あの子”を守れたのかということです。

 わたしが命をかけて、最後に守ろうとした“あの子”。

 その子はとてもとても大きな雪だるまさん。この道を通りすがった人々が、協力して作りあげた大きな雪だるまさん。

 街の人々の温かい思いがこもったものです。

 そしてつい先ほど。夜の散歩の途中、この雪だるまさんを補修していたわたしの所に、誤って車が突っ込んできました。多分、酔っ払い運転だったのだと思います。

 車が突っ込んで来た時、わたしは雪だるまさんを守ろうと前に立ちはだかりました。

 でも、車の勢いは止まらず、そのまま轢かれてしまったという。

 他人から見れば、こんなことで命を落とすなんて愚かしい話かもしれません。わたしを轢いた車はそのまま逃走してしまいますし。

 けれど、わたしだってこうなるなんて思わなかったんですよ。

危ないって言われれば確かにその通りではあるのですが…………

 何にしても、雪だるまさんが無事なのかが気になります。

 でも、わたしはそれを確認することができません。身体の感覚は完全に麻痺し、目をあけることもままならないのです。そして、自分の意識が現実から遠ざかっていくような不思議な感覚。

 これから三途の川でも渡る事になるのでしょうか?

 わたしの意識は、真っ白な何もない世界を漂っているような、そんな感覚です。

 ふわふわ、ふわふわ。ただ流されるまま。

 きっと今は魂のような存在。感覚として認知できる自身の身体は、薄い羽根のように透明で軽やか。

 けれど、そんなわたしを呼び止める声がありました。

「あなたが織原久遠ね?」

 その声は、わたしの意識に介入すると共に、人の姿という実体を持ちました。

 幻のように現れたそれは、ゴシック調のドレスに身を包んだ、二人の美しい少女。

ひとりは黒いドレスに銀色の髪。もうひとりは赤いドレスに白金の髪。何故か二人とも大きな鎌や槍を携えていますが、わたしはその神々しい姿に思わず息を呑みました。

「はじめまして、織原久遠。私の名はユメミ。最初に言っておくけど、死神じゃないわ」

 鎌を携えた黒いドレスの少女がそう名乗ります。ちょっと冷たい感じの声ですが、嫌な感じは受けません。

「大丈夫。天使様ですよね?」

 わたしは笑顔でそう返しました。自分でも不思議に思えるくらい落ち着いた反応。黒いドレスの少女は、少し意外そうな表情をします。

「随分と冷静ね」

「だって、素敵な白い羽根がみえますから」

 そう。目の前の二人には光り輝く真っ白な羽根が見えるのです。その美しさは、思わずウットリ見とれるほど。

「なるほど。それで天使と認識してくれたのね。まあ、間違いではないから、それはそれでいいけれど」

「良かった〜。よろしくね、ユメミちゃん。…………あと、そちらの赤いドレスの子は何ていうお名前かしら?」

「私はセツナ。ユメミの同じく“天宮院”所属の中級天使」

 槍を携えた、赤いドレスの少女はそう名乗りました。

「セツナちゃんね。こちらこそ、よろしく。で、その“天宮院”って何ですか? 天国みたいなところ?」

「うん。大体そういうイメージ」

 セツナちゃんがコクンと頷きました。彼女も淡々とはしているけど、ユメミちゃんより声の響きは柔らかいです。

「それは素敵♪ それで天使のお二人はわたしに何のご用ですか? 天国にでも連れて行ってくださるの?」

「そうね。確かにあなたは天国にいける人間よ」

「やった〜。嬉しいです」

 ユメミちゃんの返事に、思わずニッコリなわたし。段々と好奇心も抑えられなくなり、ちょっとわくわくしてしまう。

 なんといっても天使様とお話をしているんです。こんな体験、普通じゃできません。

「そこにいけばあなた達のような天使様ともお友達になれたりします?」

「………………」

 勢い込んで訊ねるわたしに、ちょっと絶句したような顔のユメミちゃん。

えっと……………はしゃぎすぎたかしら?

 でも、そう思った瞬間。

「なんかこの人、やたらとフレンドリーだねぇ」

 ユメミちゃんの胸元に掛けられている懐中時計からそんな声が聞こえました。

「わ。その時計さん、喋るんだ。すごいわ。いわゆるマジックアイテム?」

「マジックアイテムって……あのねぇ。まあ、似たようなものだけど、アタシはナユタって名前があるの。天界の宝具だよ」

「すごいすごい。お利口さんだわ。じゃあ、他の持ち物も喋れたりします?」

「そだね。宝具に類するものは意思があるよ。ユメミの持ってる大鎌のラグナルや、せっちゃん……っていうか、セツナが持っている砂時計のシキや槍のアヴェスタなんかがそう」

「そ〜なんだ。皆さん、よろしくお願いしますね」

 わたしは宝具さんたちに頭をさげて挨拶しました。

「ウム。まあ、よしなにな」

「ご丁寧な挨拶痛み入ります」

「こちらこそ以後、お見知りおきを」

 ラグナルさん、シキさん、アヴェスタさんの順で返事がかえってきます。ナユタちゃんと違い、大人な雰囲気の宝具さんたちです。

「ユメミ〜。この人、順応早そうで良かったね。自分の死も受け入れてるみたいだし」

 ナユタちゃんがそんなことを言いました。けど、ユメミちゃんは溜め息をつきます。

「別の意味でやりにくいわ。頭のネジが緩んでるんじゃないかって思う」

 うっ。やっぱりはしゃぎすぎて変な子に思われたかしら。ちょっと反省しないと。

「容赦ないな〜。久遠ちゃん、ごめんね。ユメミは厳しくて乱暴で根暗だけど、ちょっとは優しい所もあるから許してあげてね」

「……ナユタ。あとで覚えてなさい」

「えーーっ。なんで? ちゃんとフォローしてあげたのに」

「最低最悪のフォローだわ」

 彼女たちの間で漂う少し険悪な空気。わたしは慌てて止めました。

「とりあえず二人とも落ち着いて。わたしもはしゃぎすぎでしたね。ごめんなさい」

 この不思議な出会いに、心ときめいている自分がいるのは確かですが、やっぱりもう少し落ち着かないと駄目ですよね。

「もういいわ。ちゃんとわかっているなら。それより本題に入っていいかしら?」

「ええ。どうぞどうぞ」

「織原久遠。あなたはこれから過去の人生の記憶を駆け足のようにみることになるわ。でも、その中からひとつだけ鮮明に見つめ返したい記憶があれば、私のほうで見せてあげることができる。特にこの記憶をもう一度思い出したいとかあるかしら?」

「特にないですよ」

 あっけなくわたしが言ったからだろうか、ユメミちゃんは眉をひそめます。

「本当に何もないの? これは生と死の境を彷徨う者に与えられた権利なのよ」

「それはどうしても享受しなきゃいけないものですか?」

「強制ではないけれど、せっかくの権利よ。使わない手はないわ」

「そうですか。そう言われると確かに勿体ない気もしますね。でも、過去の記憶といっても大切な事は殆ど覚えてるんです。わたし、こう見えて記憶は良いほうなんですよ」

 ちょっとだけ自慢げに胸を張る。

 嬉しい事も嫌な事も、大体は覚えています。どれも今の自分を培ってきた上で大切な要素ですものね。その中から、どれかひとつなんて言われても難しくて選びきれません。

「ちょっと考えさせてもらってもいいですか? そんなにお待たせはしませんから」

「いいわ」

「ありがとう、ユメミちゃん」

 わたしはそう言うと、少しの間、考えてみました。

 でも、中々思い返したい記憶なんてありません。考えているうちに普通にその光景が浮かんじゃったりしますし…………

 うーん。どうしましょう。困りましたね。

 そうこう考えているうちに、わたしの中でひとつ気になることが思い返されました。

「そういえば、関係ないことで恐縮なんですが、雪だるまさんは無事だったのでしょうか」

「雪だるま?」

「わたしは車に轢かれたんですが、その時、側に大きな雪だるまさんがあったんです」

 そこまで言うと、セツナちゃんの方が口を開きました。

「残念だけど、その雪だるまは壊れてしまったわ」

「そうですか……」

 ちょっと切ないですね。いずれは溶けてなくなってしまうとはいえ、わたしが命を賭けて守ったものだけに。

「……あの、ユメミちゃん。わたしの与えられた権利、他の人に譲渡することってできないかしら?」

「無茶苦茶言うわね。この権利は天界の審査の元で決まるものなの。勝手な真似は許されないわ」

「やっぱりそうですよね。ごめんなさい」

「でもでも〜、誰に譲渡したいの? そこは興味あるなぁ」

 懐中時計のナユタちゃんが訊いてきました。

「えっと。それは……壊れてしまった雪だるまさんに」

 ユメミちゃんの話からすると、これは生と死の境を彷徨う者に与えられた権利ってことだし、雪だるまさんも壊れてしまったのなら、それはわたしと同様に生と死の境にいるってことじゃないかなって思ったのです。

でも、すぐに自分が無茶を言っている事に気付きます。

「…………あ、けど、人じゃないから無理ですよね」

 わたしは一人で結論づいてしまいました。

「確かに無理だわ。少なくとも私の力では」

 ユメミちゃんは溜め息をつきます。

でも、その後、セツナちゃんに目を向けてこうも言いました。

「“天宮院”はこうなる可能性も見越して、あなたを保険として同行させたのかもね」

「そうかもしれないね。だとしたら、ここから先は私の出番」

「でも、勝手にあなたに引き継がせて良いものかしら」

「ここは現場の判断に任されたと考えても良いと思う。問題があったら私で責任を取るから」

「わかったわ、セツナ。この一件、後はあなたに任せる」

「了解。責任をもって引き継ぐわ」

 二人の天使さんの間で相談が交わされ、なにやら結論が出たようです。

 ユメミちゃんはわたしに向き直って言いました。

「織原久遠。あなたのさっきの願い、受け入れる事にするわ」

「雪だるまさんのことですか? でも、そんな事って可能なんですか。わたしから言っておいてなんですが」

「大丈夫。私のアヴェスタの能力を持ってすれば」

 セツナちゃんが銀色に輝く槍を掲げます。

「その槍、あ〜くんはね、動物や無生物に宿った心を表に引き出すことができるの。つまり今回の場合だと、雪だるまという物の心を具現化させて対話ができるんだよ」

 ナユタちゃんが丁寧に説明してくれました。

「すごいです。と〜ってもファンタジーですね。さすが天使さんの持つ道具だけはあります」

 わたしは思わず感嘆の声をあげます。

「でしょでしょ。それがアタシたち宝具の凄さなのよ。えっへん」

 でも、そんなナユタちゃんを、銀の鎌のラグナルさんが窘めます。

「お主は調子に乗りすぎだ」

「うるさいなぁ。ちょっとぐらい自己アピールしたっていいじゃん」

 ナユタちゃんは少し不満そう。

 でも、そんなやりとりが可笑しくて、わたしはついつい笑ってしまいます。人じゃないものが喋るのって、場合によっては怖く感じる時はあるでしょうが、こんなに人間味があるとかえってほのぼのしちゃいますね。

「こちらもそろそろ雪だるまの心に介入するね。久遠も一緒に見届けたい?」

「あ。構わないのであれば見届けたいです」

 セツナちゃんの問いにわたしは即答で頷きました。

「了解。なら、あの雪だるまをこっちに召還する」

 彼女がそう言うや否や、何も無かった空間から、崩れた雪だるまさんがふわっと現れます。

 まだ、ほんの少し形は保っているとはいえ、元の姿は見る影もありません。わたしはちょっと胸が痛みました。

「アヴェスタ。いくね」

「畏まりました。セツナ様」

 セツナちゃんは雪だるまを静かに見据えると、クルリと槍を一回転させて構えました。

「人ならざるもの、物言えぬもの。今、神秘の業を以って心の軛を解き放つ。我との対話を成す為、その無垢なる心、顕現せしめん」

 美しく響き渡る澄んだ声。それと同時にアヴェスタさんの穂先の輝きが一段と増します。

 そして、セツナちゃんは雪だるまさんを槍で一突き! わたしは少し驚いてしまいますが、それで雪だるまさんが崩れるようなことはありませんでした。

「…………これでもう大丈夫。この子と対話ができる」

 淡いオレンジ色の光が発せられると、セツナちゃんは槍を引き抜きます。不思議な事に穴も何も空いていません。

「キミ。私たちの言葉、通じるよね?」

 セツナちゃんが問いかけると、雪だるまさんが声を出して応えました。

「うん。わかるよ。何だか不思議な感じだけど」

「すごい。本当に言葉が通じてます!」

 わたしは思わず感動しちゃいました。ちなみに雪だるまさんの声は可愛い少年のようなお声です。

「僕を喋れるようにして何か用なの?」

「キミに刻まれた過去の記憶で、いま一度、鮮明に思い返したいものってある?」

「急にそう言われても……僕は所詮、雪の塊だし。でも、どうして?」

「こっちにいる彼女の希望なの。壊れかけのキミに、過去の記憶を鮮明に見つめ返す権利を譲りたいって」

 セツナちゃんに紹介され、わたしは笑顔で手を振ります。

「あっ。貴女はいつも僕の形をなおしてくれる人!」

「嬉しいわ。ちゃんと覚えていてくれたんですね。よろしくね、雪だるまさん。わたしは織原久遠です」

「久遠さんっていうんだ。……それよりごめんなさい。僕を守るために貴女が命を落としてしまって」

「こちらこそ守りきれなくてごめんなさい。でも、今こうやってお話もできて、これはこれで楽しんでますよ」

 命を軽く見るつもりはありませんが、自分の身に関してだけ言えば、起きてしまった事を悔やみたくありません。

「それより雪だるまさん。あなたは見つめ返したい過去の記憶とかありませんか? わたし、ちょっと興味があるんです。もし雪だるまさんなら、どんな過去を見る事を望むのかって」

「僕の過去といってもそんなに大したものは……」

「何か嬉しかったり、幸せだったりしたことは?」

「皆が僕を大きくしてくれた事は単純に嬉しかったよ。それって幸せ……っていうものなのかな。うまくは表現できないけど」

「では、その嬉しかった事の中で、一番の瞬間を思い返してみてはどうでしょう?」

「それならやっぱり、僕を作りはじめてくれたお婆さんの事かな。その人のおかげで僕は僕という存在になれたから」

「それは素敵♪」

 この雪だるまさんを最初に作り始めたのは、どこかのお婆さんだったのですね。その人はこの子にとってのお母さん。そして、その人の手で生まれてきた事を嬉しく感じている雪だるまさんは、親の愛情を大切に感じられるとても優しい子です。

「つまりはキミが生まれた時の記憶だね。見つめ返すのはそれでいい?」

 セツナちゃんが問うと、雪だるまさんも頷くように返事をしました。

「うん。じゃあ、それで」

「…………了解。シキ、お願いね」

「わかりましたわ。セツナ様」

 セツナちゃんは砂時計のシキさんを掲げます。

「其は天上の御使いなり。流れ行く砂を彼の者の記憶とし、いま一度その過去を追憶せん」

 言葉と共に砂時計は輝き、砂が流れ始めました。

 キラキラと淡く輝くその砂は、相手の記憶の軌跡を辿っていきます。

 そして、やがてにはわたしの中にも、雪だるまさんの見つめている記憶が流れ込んできました。

 それはとてもとても優しく温かいものでした。

 この雪だるまさんを作り始めたのは街の外れに住むお婆さん。名前までは覚えていませんが、数年前に旦那様を亡くされて、今は娘さん夫婦と暮らしているとだけ聞いた覚えがあります。

 雪だるまさんに形を与えるお婆さんの表情はとても楽しそう。丁寧な手つきでゆっくりと進んでいく作業。

 こうして完成した雪だるまさんは、最初はごくごく小さいものだったけれど、お婆さんは満足そうに頷いています。やがてには、街の子供たちも集まってきて、ビー玉を目にしたり、木の枝の腕をとりつけたり。

 無表情だった雪だるまさんに表情が加えられ、段々と可愛い姿になっていきました。

 お婆さんと子供たちの笑顔に見守られ、雪だるまさんも誇らしげ。ただ降り積もって、気にも留められず溶けていくだけの存在ではなく、こうして形を与えてもらえたことの喜びが伝わってくるかのようです。

 そんな幸せな記憶の光景も、やがて緩やかに幕を閉じていきました。

「…………ありがとう。何だか、幸せになれたよ」

 望む記憶を見つめ返し終えた雪だるまさんが、セツナちゃんにそう言いました。

「感謝は久遠にしてあげて。元々は彼女の得る権利がキミに譲られただけだし」

「そうだね。久遠さん、ありがとう。おかげでいい夢が見れたよ」

「わたしこそありがとう。温かい気持ちになれましたから」

 感謝されるとくすぐったい気持ちです。でも、同時に少しだけ切ない気持ちもこみあげてきます。

 最初はお婆さんによって作られ、その後は街の人々の手によって段々と大きくなったこの雪だるまさんも、今では無惨に壊れてしまっているのですから…………

「どうしたの。織原久遠。少し浮かない顔ね」

 ユメミちゃんが小声で話しかけてきました。ちょっとびっくりします。

 わたしは落ち着きを取り戻してから、自分の心の中にある素直な気持ちを口に出してみました。

「良かれと思って、過去を見る権利を譲りましたが、それは本当に正しかったのかなって」

「どうして今更そんなことを思うの?」

「雪だるまさんの記憶はとても温かで、幸せなものでした。でも、その夢から覚めた後は、自分が壊れてしまったという厳しい現実があります。わたしが雪だるまさんに譲った権利は、彼にとって未練にならないでしょうか」

「見つめ返した過去に何を見出すかはその相手次第。納得するものもいれば、後悔の未練を残すものもいるわ」

 淡々としたユメミちゃんの言葉が胸に響きます。でも、彼女はこう言葉を続けてくれました。

「安心なさい、織原久遠。あの雪だるまはここで終わったりはしないわ」

「え?」

「街の人々の想いが、あの子を死なせたままになんかしない。人々の想いがあれば物は人より甦りやすいわ。そしてあの街にはその想いも、条件もまだ揃っている」

 あ…………!

 なるほど。確かにそうかもしれません。雪だるまさんは壊れたってまた作り直せばいいのです。そして、あの子を大きくした街の人たちならそれをやり遂げてくれるという希望もあります! まだ、雪は沢山残っているのですから。

「…………そうか。うん。そうですよね! ありがとう、ユメミちゃん」

 わたしは大きく頷いて感謝の言葉をかけました。思わず胸が熱くなる思いです。

ぶっきらぼうだけど、とても優しい子ですね。ユメミちゃんは。

「別に感謝されるようなことを言ったつもりはないわ」

「あ。ユメミってば、照れてる〜?」

「うるさい」

 ナユタちゃんの軽口をピシャリと止めるユメミちゃん。

「ユメミはいつもながらナユタに厳しいね」

 セツナちゃんがそう言って話の輪の中に加わってきます。

「ナユタがロクなこと言わないからよ」

「でも、そんなに厳しくするほどのものではないと思う」

「そーよ、そーよ。やっぱ、せっちゃんは良くわかってるね〜」

「とはいえ、ナユタさん。あまりお喋りがすぎるのもレディとしてどうかと思いますわ。ナユタさんは可愛い女の子なのですから、もう少しおしとやかにしても似合うと思いますよ」

 砂時計のシキさんが注意を促しつつも、相手を引き立てる。そういう配慮は大人っぽいです。

 わたしはそんなやりとりを見つめながら微笑ましくなりました。

 なんだか不思議な感じです。

 わたし自身はもう助からないのに、寂しいとか怖いなんていうそんな気持ちが一切わいてこないのですから。

 これから赴く天国に、彼女たちのような天使がいるってわかるだけで、心細さは消えているのです。

「天使さんって素敵ですね」

 わたしは彼女たちの会話の邪魔にならないよう雪だるまさんの方に寄り、小声で同意を求めました。

「そうだね。でも、久遠さんも同じくらいに素敵だよ。僕に奇跡のきっかけを与えてくれた人だから。だから僕にとっては、久遠さんも天使みたいに思えるよ」

「…………わたしが、天使ですか」

 なるほど。それもいいかもしれませんね。

 雪だるまさんの言葉をきっかけに、わたしの中でひとつ目標が出来ました。

 それは…………

 …………わたしもユメミちゃんたちのような天使になりたいということです!

 

 

 

§

 

 

 

 織原久遠を巡る一件から幾日かが過ぎ去った。

 彼女はあの後、無事に天界の門をくぐる事ができたという。

 そして、久遠が気にかけていた雪だるまも、ユメミの告げたとおり、街の住人たちの手で元通りに修復されていた。

「とりあえず、あの雪だるまが救われたのは救いね」

 今、ユメミは雪だるまの姿を上空より見つめている。

 季節が変われば儚く溶けていく存在だとしても、その時が訪れるまでは、街の住人たちの善意が雪だるまを生かし続けることだろう。

「でも、近くに添えられた花が少し痛々しいよねぇ〜」

 ナユタが言った。

 雪だるまの側には事故で亡くなった織原久遠を悼む花が置かれていた。そして、彼女を死に追いやった轢き逃げ犯もまだ捕まっていないという。

「善意ある者たちの陰に、悪意のある者もまた潜む。人間という存在の不完全な部分だ」

 ラグナルがそう呟くが、ユメミは首を横に振った。

「それは上から見過ぎた言い方だわ。私たちもまた不完全な存在よ」

 天使は人にはない力をもっているとはいえ、すべてにおいて万能とは言い難い。少なくともユメミに限っては、自らを完全な存在と考えたことなどなかった。

「ふむ。気を悪くしたなら謝ろう」

「でも〜。ユメミはいつも上から目線の物言いじゃん」

「ナユタ。お主、また余計なことを。地面に落とされても知らぬぞ」

 ラグナルが呆れたように言い、ナユタは「うっ」と唸って黙り込む。

「安心なさい。そんなことしないわ」

「おぉ?! 今日のユメミは優しい」

「いま地面に叩き落しても雪がクッションになって効果半減だから。どうせなら石の床の上でやるわ」

「やっぱり優しくなぁぁぁい」

 ナユタの悲鳴のような声が空に響き渡った。

 そんな時だ。

「相変わらず賑やかだね」

 ユメミたちの頭上から、凛とした女性の声が響く。それはセツナの声だった。

 だが、ユメミがその声の方向に目をむけた時、予期せぬ人物がもう一名いて驚いてしまう。

「…………織原久遠」

 ユメミはその人物の名を呟いた。

 そう。セツナの隣にいたのは織原久遠、その人だった。

「こんにちは。ユメミちゃん、ナユタちゃん、ラグナルさん」

 織原久遠が笑顔で手を振って挨拶してくる。

しかし、その姿は以前に見知った彼女そのものではなかった。白を基調としたゴシックドレスに身を包み、その背中には光の羽根が輝いているのだから。

「さあ。改めて自己紹介して」

 セツナに促され、織原久遠は頷いた。

「本日付で“天宮院”所属の天使に任命されたクオンです。ユメミちゃん達とおんなじお仕事に就きました。今後ともよろしくね」

 突然の宣言にユメミは目を丸くする。一瞬、何の冗談かと本気で考えてしまうところだった。

 しかし。相手の背に輝く羽根はまぎれもなく天使の証だ。

「うわっ。まじで? そりゃすごい。後輩誕生ってことだよね!」

 先に我にかえったナユタが嬉しそうな声をあげた。

「うん。わたしは皆の後輩になっちゃいますね。まだまだわからないことが沢山あるから、色々と指導して下さいね」

「まっかせて♪ アタシは面倒見いいから何だって教えちゃうよ」

 ナユタが弾むような声で答えた。だが、その時。

「噂通りやかましくて、お調子者ってカンジだな」

 クオンの手首あたりから聞きなれない少年の声が響いた。

ナユタはすかさずそれに反応する。

「なっ! 誰よ。今、アタシの悪口言ったの?」

「悪口じゃなくて事実としての感想を述べたまでだぜ」

 またしても響く少年の声に、クオンは自分のドレスの袖を少しめくって注意する。

「もう、駄目じゃない、クロノ君。初対面なんだし、ちゃんと挨拶して仲良くしないと」

 クオンがそう言って注意したのは、彼女の腕に巻かれてアナログの腕時計だった。

「それがあなたの宝具?」

 落ち着きを取り戻したユメミが訊ねる。

「ええ。この腕時計がクロノ君。そして、わたしの持っているこの杖がキプロスさん」

 クオンはそう言うと、先端に翼の形を象った銀色の杖を掲げる。

「お初にお目にかかる、ユメミ殿。わしはキプロスと申す。クオンやクロノ共々、以後見知り置いて貰えると有り難い」

 銀の杖から好々爺といった感じの声が響く。

「クロノ君はやんちゃな弟くん。キプロスさんは優しいお爺ちゃん。そんな人格を宿しているんですよ」

「なるほどね。あなたのパートナーとしては相応しい気がするわ」

「ありがとう。わたしも二人がお気に入りですよ」

「でも、アタシはそのガキんちょ、ウザイよー」

 ナユタが根に持ったように呟く。が、クロノも負けじと言い返す。

「ガキにガキって言われたくないね」

「むきーー。後輩のクセになんて生意気な。ユメミ、そいつを取り上げて床に叩き付けちゃって!」

「嫌よ。第一、私がそれをする理由がない」

 ユメミは肩を竦めてあっさりと断った。

「ちょっとー。パートナーのアタシが悪く言われてるんだよ。それはアタシたち全体を馬鹿にしてるともいえるわ!」

「そんなことないぜ。オレはユメミさんのこと尊敬してるからな。“天宮院”でもやり手の天使って認識で刷り込まれてるし」

「だったらアタシも尊敬しなさいよっ。アタシはそのユメミのパートナーなんだよ」

「それは別問題だ。おまえみたいなじゃじゃ馬を扱いこなせるから、ユメミさんは凄いんだよ」

 クロノの言葉にユメミもうんうんと頷く。

「あなた。口は悪いけど、正しい認識ができているわ。立派よ」

「そりゃないよ、ユメミ……」

 自らの主に裏切られ、ナユタが落胆の声をあげる。だが、クオンは慰めの言葉をかけた。

「わたしはナユタちゃんもすごいと思うわよ。とても親しみやすいし」

「本当に?」

「うん。本当に本当。ナユタちゃんのおしゃべりは人の心を明るくしてくれるから」

「…………ちょっとクオン。あまりナユタを調子付かせないで」

 ユメミは眉をひそめた。

 だが、そこでクオンの杖キプロスが、かっかっかっと笑って仲裁する。

「まあまあ、ユメミ殿。ここは気分を悪くせんでくれ。クオンもまだ天使となって間もない。賑やかな方が緊張も解けるであろうて」

「それにせっかくの後輩の自己紹介。そんな顔しちゃ駄目よ」

 セツナもユメミにそう言った。優等生的な発言だが、言葉の響きに嫌味はない。

「わかった。今日はもう細かい事は言わないわ。でも、驚いたわね。まさか私たちと同じ仕事に就くなんて。そもそも短期間で、よく中級天使になれたものだわ」

 生死の境を彷徨うものに、過去の記憶を見つめなおす権利を与えるのは、中級と位置づけされる天使たちの仕事だ。だが、その中級に位置するのも、実際は容易なことではない。

 本来は下級からはじまり、数々の審査を経て任命されるものだからだ。

「私もそれには驚いてる。ただ、クオンはすぐ私たちと同じようになりたいって、直談判したみたい。そして審査のうえ、異例の速さで中級への昇格が認められたっていうわ。資質の高さもあったようだし」

「特に客観的な観察者としての資質に定評があったようですわ」

 セツナの言葉に次いで、砂時計のシキがそう付け加える。

 ユメミは「なるほどね」と頷いた。少しだけ納得できた気がしたからだ。

 確かにクオンは、自身を客観的な位置づけにおいている節がある。自分の命を犠牲にしてでも雪だるまを気遣ったことなど、その最たるものといえるだろう。だが、それは普通の人間としてみれば度の過ぎた行為だ。無生物を守るのに自分を犠牲にするのは、親が子を守ったり、恋人が愛する人を守りたいと思うのとは意味が違う。

 いや。正確に言えば、当人にはそれと同じだけの意味あいを持つのだろうが、普通の人間として考えるのならば少し異常ともいえる。

 勿論、自身より物を大切に思う人間はいるが、クオンのそれは更に行き過ぎた感があるだけに。

 ユメミはクオンに向き直り、彼女の顔をじっと見つめた。

「えっと? どうかしました?」

 視線に気付き、少し照れ臭そうに訊ね返すクオン。

 ユメミは特に表情も変えず、彼女に言った。

「改めてよろしく、って。そう思っただけよ」

 そして、続けてこう告げた。

「それよりもここに来たのならついでに見ていきなさい。あなたの守った雪だるま、元気そうにやっているわ」

 

 

 天使たちの眼下で、今日もまた大きくなった雪だるまの姿が見えた。