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 赤い刻印  〜前編〜

 

 

 それは絶望だった。

 今まで信じていた人間に裏切られた瞬間だった。

 あれほどまでに信じていたのに。

 心から頼ってきたのに。

 なのに。

 どうして?

 裏切られた彼女の絶望は大きかった。自分と言う存在が、脆く儚いものだと知っているだけに、その衝撃は並みではない。

 彼女には昔から居場所がなかった。心から頼れる人間などいなかった。

 忌むべきは、彼女の首筋にある赤い刻印。それは彼女が普通の人間とは違う証。人として認められない、哀しき烙印。

 この赤い刻印のせいで、彼女には平穏などなく、おそれて暮らす毎日だけがあった。

 しかし、彼女にも信じられる、自分を受け入れてくれる人間が現れた。

 そう思っていた筈なのに・・・・・・。

 すべてはひとつの裏切りによって、何もかもが崩れ去る。

 人は一人では生きていけない。誰かはそう言う。でも、そんなのは嘘だ、と彼女は思った。

 人が自分を裏切る以上、結局、彼女は一人で生きて行くしかない。自分を守るためにはそうするしかないのだ。

 彼女が暮らしていた故郷は、彼女を人間として認めない。でも、彼女は人間。

 何度も絶望はするが、それでも何かにすがりたい人間なのだ。命を落とすのだって、とても怖かった。

 もう彼女には、自分の居場所すらわからなかった。ひょっとすれば狂っているのかもしれない。

 それでも自分を守るために、彼女はまた哀しい「夢」を見る。

 

 

 

 薄暗い雲が、空にたちこめている。

 ロンドンは今、冬の只中にあった。空からは雪がちらちらと舞い落ち、通りを歩く紳士や婦人たちは、厚手のコートなどで寒さを凌いでいる。

 今日はいつにも増して気温が低い。こんな日は外で待ち合わせなどするものではないな、リチャードはそう思いながら、恨めしそうに空を見あげた。

 ほんの少し視線をずらすと、ここトラファルガー広場の中央にある高々とした円柱が目に付く。円柱の頂には、英雄ネルソン提督の像が雄々しい姿で立っていた。

「ふむ。英雄というものは、やはり偉大なものなのかね。こんな寒空の下でも、不平不満をもらさずに立派に立っているのだからな」

 勿論、像が寒さなど感じるわけなどないのだが、リチャードはつい皮肉をもらしてしまう。イギリス国民としては、何とも不遜な態度かもしれないが、彼にしてみればずっと過去に亡くなった人間など、どうでもよいように思えた。

「それにしても遅い。何をしているんだ、あいつは」

 リチャードは時計を確かめた。時間は午後三時四十分をさしている。

 三時半に待ち合わせをしてはずなのだが、相手は一向にやって来る様子がない。

「こんなことならナショナルギャラリーの入口で待ち合わせをするんだった。あそこなら雪ぐらい凌げただろうに・・・・・・」

 独り言のように、そう呟いたときだった。

「おい、そこにいるのはリチャードか?」

 そんな声がしたかと思うと、背の低い、丸い顔つきの男性が走り寄ってくる。リチャードは、呆然とその男を見つめた。

「おまえ・・・・・・ひょっとしてエドガーか?」

「ああ、そうだ。五年ぶりだな、リチャード」

 男はニヤリと笑い、リチャードはその姿をしげしげと見つめた。

「大学を卒業して以来だからな。かなり久しい気がするさ。しかしエドガー、おまえ随分と会わないうちに少し太ったんじゃないのか? 俺の知っているおまえは、もう少し細めだったんだがな」

「会って早々言う事がそれか。たいした親友だよ、おまえは。五年の間で、少しは紳士らしさが身についているかと期待したんだがな」

「それは安心しろ。必要に応じて紳士らしく振る舞うことはできる」

 リチャードは明るく答えた。だが、エドガーは目を細めて意地の悪い笑みを浮かべる。

「本当かねぇ。どうもリチャードの『安心しろ』って言葉ほど、信用ならないものはないと思うがね」

「五年間だ。いくら俺でも少しは変わっているよ。それに俺たちが今から出向く場所は、紳士の礼儀が必要なところだろう。そういった振る舞いに自信がなければ、ヘンに笑われにいくようなものだ」

「違いない」

 エドガーは苦笑した。

「せっかくジェインが事業に成功し、その祝いのパーティーに呼ばれたんだ。いくら古い友人とはいえ、礼儀は必要ってことだな。リチャード」

「まあ、そんなところさ。それよりエドガー。こんな場所で立ち話もなんだ。近くのカフェにでも入るか?」

「そりゃいい考えだ。パーティーまではまだ時間もあるしな。一足先にワシらで旧交を深め合うか」

 その後二人は広場近くにあるカフェに入り、温かい紅茶などを注文した。

 窓の外にはセント・マーティン教会の白い尖塔が見え、エドガーはしみじみとその光景を眺めた。

「久しぶりだな。ロンドンに戻ってきたのも」

 エドガーの言葉に、紅茶を口に含んだリチャードが「ほお」という顔をする。

「最近は別のところにいたのかい?」

「ああ、スコットランドの方で生物の研究をしてたんだ。あそこは自然も多いからな」

「スコットランドで生物か。ネス湖の怪獣ネッシーでも研究してるのか」

「まさか」

 エドガーは首を横に振って、溜め息をついた。

「正直ネッシーには、いい迷惑してるよ。一年前にその姿を目撃されて以来、へんな野次馬どもがあの辺りをうろついてな。ワシのように真面目に研究をしている人間にとっては、邪魔が増えただけさ」

「じゃあエドガーはネッシーには興味がないと?」

「当たり前さ。目撃された、写真に収められたって言っても、大半はアテもない証言とピンボケの写真だ。もっと明確な証拠でもない限り、ワシには信じられんな。それに……」

「それに?」

「仮にネッシーが実在しても、ワシのような臆病者では研究のしようもないさ」

 その言葉にリチャードは大声で笑った。当のエドガーはというと、憮然とした顔で紅茶をすする。

「そう大声で笑うなよ。他の客の目を引いてるぞ。それよりおまえはどうなんだ。ネッシーなんて信じられるか?」

「そうだな。俺もあまり信用はしていない。怪獣や幽霊とかは、俺にしてみればどうでもいいことだからな」

「相変わらず現実的なやつだな。リチャードは今、何の仕事をしているんだ?」

「しがない探偵稼業だ。一応ケンブリッジ近郊に事務所も構えている。親が遺した屋敷だがね」

「そりゃまた意外だな」

「そうでもないさ。以前からこういう仕事には興味もあったしな。それに今のこの国は不景気で、陰気なニュースも多い。だからこそ食うには何かと困らない」

「随分とヤバイことに首を突っ込んでるんじゃないだろうな? それにリチャード、おまえ結婚とかはしてるのか?」

「そんな相手がいると思うか。エドガーこそどうなんだ」

 エドガーも首を横に振り、リチャードは肩を竦めた。

「結局、俺たち旧友の中で成功を収めたのはジェインだけか。事業もうまくいく、おまけに婚約までしたとか手紙に書いてあったしな」

「仕方ないさ。あいつは昔から才能はあったんだ。それよりも知っているか? ジェインが興した事業が何か?」

「出版社だろ。しかもオカルト関連の本を扱う」

 リチャードは興味なさそうに言った。

「そうさ、それだ。ワシも手紙を見た時は驚いた。オカルトなんて、とてもじゃないが儲かるとは思えなかったしな。だが、案外バカにはできんものさ」

「確かにこの国での心霊研究は半世紀近くの歴史があるからな。それなりの名士の目にもとまれば、成功もするだろう」

「だが、ジェインが成功したのも、婚約者のおかげだっていう噂だぞ。リチャード、おまえはもう読んだのか?」

「読んだ? 何をだ?」

「ほら『赤い刻印』とかいうジェインが出版した本だよ。手紙にも書いてあっただろ。あの本は、あいつの婚約者の協力があってこそ完成したっていうことだ」

「そういえば書いていたような気がするが・・・・・・あまり覚えていないな」

「つまりは読んでないって訳だな。不勉強なやつめ。まあ、いいさ。実を言うとな、ワシも今日ロンドンについてから買ったんだ」

 そう言うと、エドガーは自分の鞄の中から一冊の本を取り出した。それは黒い革表紙の立派な装丁の本で、赤く縁取られた文字で『赤い刻印』と題名が書かれている。

「なんでもこの本、ロンドンではかなりのベストセラーらしいじゃないか」

 リチャードに本を手渡しながら、エドガーは言った。

「それは初めて知ったな。何せあまり興味のないものは気にもかけない方だからな」

 そう言いながらパラパラとページをめくるリチャードだが、途中で断念したのか、すぐにエドガーにつき返す。

「オカルトだけに内容が難しそうだ」

「少しは真面目に読めよ。一応はベストセラーだ。そうそう難しい話が一般に受け入れられるとは思えんし、きっとそれなりには面白いんだろう」

「ならばエドガーが読み終えた後に、内容だけ教えてくれ。俺はそれで満足する」

 リチャードはそれだけ言うと紅茶を飲み干した。エドガーは呆れ顔で彼を見つめる。

「まったく、おまえという奴は。ジェインに再会したとき、本の感想でも言ってやれば喜ぶだろうに」

「残念だがそれはないな」

 リチャードは手をヒラヒラ振って、エドガーの言葉を否定した。そして続ける。

「あいつが本当に喜ぶのはピンボケじゃないネッシーの写真さ。その方が、よほどオカルトのネタになる」

 

 

 

 旧交を深め合ったリチャードとエドガーは、夕方になってジェインに招待されているパーティー会場に向かう。

 パーティーが行われるのは、ブルック通りに面したクラリッジというホテルだ。各界の著名人たちが好んで使用するという格調高いホテルで、ヴィクトリア女王が非公式に訪れたことから、一躍その名が高まった。

 ジェインのパーティーは表向き、彼の出版事業の成功を祝うためのものであり、大半の出席者は出版関係の仕事に携わるものか、オカルト研究で名を馳せた名士たちだ。それだけにリチャードは思わなくもない。

「俺たちなんかがパーティに出席しても失礼ないだろうか?」

 ホテルに向かうタクシーの車内で彼がそうつぶやくのを聞き、エドガーは眉を寄せた。

「おいおい。今更ここまで来て帰るつもりか。せっかく旧友が好意で誘ってくれたんだ。少しは楽しもうや」

「確かに楽しめるパーティーならそうもするさ。だが、俺たち以外の出席者は、みんなジェインの同業者かオカルト博士どもだ。オカルトに興味のない俺たちからすると、つまらんかもしれんな」

「パーティーがはじまる前からいらぬ心配するなよ。仮につまらんパーティーでも、美味しい食事ぐらいは食えるさ」

 エドガーの言葉に、リチャードは薄く笑った。

 タクシーはニュー・ボンド通りを曲がってブルック通りにさしかかった。あと少しもしないうちにホテルに到着しようかという時に、リチャードはふと何かに気がつき、身を乗り出した。

「どうした、リチャード?」

 怪訝そうにエドガーが訊ねる。

「見ろよ、エドガー。前の方だ。あそこに集まっているのはスコットランド・ヤードのものじゃないか」

 そう言って、運転席前方を指差す。

「ありゃ、本当ですねえ。なんかあったんでしょうかね」

 こたえたのはタクシーの運転手だった。

「しかもあそこって、旦那たちが行こうとしているホテルの前じゃないですか」

「何だって!?

 エドガーは驚き、リチャードもうなずく。

「厄介なことが起きてなければいいが」

 リチャードの不安をよそに、タクシーはホテル前に到着した。二人は運転手に代金を支払うと、早速ホテルの入口へと近づいて行く。

 ホテル入口周辺には、スコットランド・ヤードのパトカーが数台並び、かなりの数の警官が険しい表情でうろついている。

「どうも只事ではなさそうだな」

「ああ」

 リチャードがうなずいたとき、一人の白髪まじりの警官が二人に近づいてきた。

「あんたら、ここのホテルの客人かね?」

 やってくるなりこの警官は、ぶしつけな態度で質問してくる。

「ええ。俺たちはこのホテルで開かれているジェイン・ラトラル氏のパーティーに招かれて、やってきた者ですが」

「何? あのパーティーにか」

 警官が顔を曇らせたのを見て、エドガーが訊ねた。

「なんかあったのですかな? このホテルで」

「あったもなにも、人が死んだんだよ。しかも、あんたらが訪ねてきたというジェイン氏がね」

「何ですって!!

 驚いて詰め寄る二人に、警官は苦い顔をした。どこか職務怠慢な印象を受ける。

「死んだといっても何故? 病気、事故? あるいは殺人?」

 警官の態度に苛立ちを覚えながらも、リチャードはさらに詰め寄った。

「残念だが自分にもわからんよ。何せ不可解な死体だからな」

「不可解な死体?」

「ああ、そうだ。ジェイン氏はパーティー会場で、いきなり何の前触れも無く干からびて死んだ。全身の水分が抜けきったような、ミイラ状態さ」

「そんな・・・・・・馬鹿な」

 エドガーは信じられないといった顔だ。何の前触れも無く、いきなり人間が干からびて死ぬなど、常識的に考えてもありえる話ではない。

「自分たちだって訳がわからんよ。だが、ミイラになって死んでいたのは確かだし、それを目撃した人間も多くいる。このパーティーの出席者ではないが、こりゃあもうオカルトの領域だ」

 警官は吐き捨てるようにいうと、リチャードたちを不審げな目つきで睨んだ。

「あんたらもパーティーに出席者だったな。どうせオカルト・マニアか何かなのだろうが、この事件、あんたらならどう見る?」

「生憎ですが、俺たちはオカルトには詳しくありませんよ。このパーティーに招かれたのも、学生時代の友人としてジェイン氏に誘われたにすぎません。それよりもジェイン氏の遺体は今どうなっています?」

「遺体は病院に運ばれたさ。色々と調べねばならんでな。・・・・・・その前にあんたらのことも調べねばなるまいな。パーティーの出席者には全員聞き込むことになっておる。悪く思うなよ」

 こうして二人は警官の尋問をうけた。

 職業やジェインとの関係もさることながら、かなり立ち入った質問・・・・・・ジェインに何かしらの恨みを抱いていないか・・・・・・など、遠まわしに訊ねられた。

 結局尋問が終わり、二人が解放されたのは、夜の十時をまわってからだった。リチャードたちはクラリッジからそれほど離れていない、マリオットというホテルに部屋をとり、今日の疲れを癒すことにした。

「まったく。とんだ一日だった」

 ホテルの部屋に落ちつき、ウイスキーを口に運びながら、リチャードはつぶやく。

 エドガーは窓辺に寄って、浮かない表情をしている。

「・・・・・・落ちこんでいるのか?」

 リチャードは静かに訊ねた。

「ああ。おまえこそどうなんだ、リチャード」

「悲しいさ。酒でも飲まんとやっていけない気分だな」

「ワシは未だに信じられんよ。ジェインが死んだなんてな。しかも人間が、何の前触れも無くいきなり干からびたとかいう奇妙な死に方だ。納得などできるものか」

「生物学を研究しているおまえが納得できないんだ。俺なら尚更だね。おまけに事故か殺しかもわからないときている」

 ウイスキーを一気にあおってから、リチャードは深い溜め息をつく。

「おまえ探偵だろ。何とか調べることはできないのか?」

「できるならそうしたいさ。だがな・・・・・・ん?」

 リチャードは途中で言葉を切った。コン、コン、コン。この部屋をノックする軽い音が何度となく響いたからだ。エドガーもそれに気がついてか、怪訝そうな顔をする。

「一体、こんな時間に誰だ?」

「少し確認してくる」

 首を傾げるエドガーにそう答え、リチャードは部屋の入口ドアへと近づいた。そして、誰何の声をかけるが、外からの返事は何もなかった。そのくせ、ノックの音だけは止まない。

 奇妙に思ったリチャードは、懐のホルスターから銃を抜いた。四五口径のウェブリーだ。

 リチャードは、ゆっくりとドアを開けた。すると。

「くぁぁっ!!」

 そんな鳴き声がしたかと思うと、奇怪な小さな影が、ドアの隙間をぬって部屋に侵入した。

 リチャードは慌ててその影を視線で追う。その時、エドガーの悲鳴が聞こえた。

「何だっ! こいつは!?

「どうした、エドガー!」

 リチャードは彼の元へ走り寄り、そして見た。真紅の色をした奇怪な鳥が、エドガーを襲っているのを。

 その鳥の嘴は研ぎ澄まされたナイフの切っ先のように鋭く、エドガーの身体をみるみるうちに傷つけてゆく。

 銃を構えたリチャードだが、なかなか狙いをつけられなかった。へたに撃てば、エドガー自身を撃ち抜きかねない。

「くそっ」

 リチャードは舌打ちし、銃を撃つのを諦めると、近くにあったベッドからシーツを乱暴に引き剥がした。そしてそれを大きく広げ、真紅の鳥に覆い被せようとする。

「くわぁぁぁっ!」

 鳥はかろうじてシーツを避ける。だが、それはリチャードの思惑どおりだった。少なくとも、鳥をエドガーから引き離すことはできたのだから。

 天井に飛びあがった鳥に、リチャードは銃を撃つ。弾は狙い過たず、鳥の右の翼を撃ち抜く。

 いかに奇怪な鳥といえども、四五口径の銃弾をくらって飛びつづけることなどできないと思った。しかし、そんなリチャードの期待は見事に裏切られる。

「何だと!?

 リチャードは驚愕した。真紅の鳥は一鳴きすると、物凄い速さでリチャードに滑空してきたのだ。

 とっさに避ければかわすこともできたであろうが、今はそれもできなかった。恐怖のため身体が硬直し、反応が遅れたのだ。

 真紅の鳥の嘴がリチャードに突き立つ。そう思えた瞬間!

「あなたのあるべき世界へ還りなさい」

 そんな声が部屋入口から聞こえたと思うと、鳥は大きく鳴いて、その姿を跡形もなく消した。

 リチャードはしばらく呆然となった。まるで、夢でも見ているような錯覚にとらわれたからだ。だが、そんな彼は一人の女性の声によって現実に引き戻される。

「みなさん、大丈夫ですか?」

 その声は、先程入口から響いた声と一致する。物静かな中にも、はっきりとした意志が感じ取れる力強い声。

 リチャードはゆっくりと態勢を立て直し、部屋の入口へと向いた。するとそこには、長い黒髪をもった美しい女性がいた。年齢にして二十代前半くらいだろうか。どこか虚ろな目をしているが、清楚な印象が強く感じられる。

「君が・・・・・・助けてくれたのか?」

 すこし警戒しながら、リチャードは訊ねた。

「はい。そうなります。危ないところでしたが、間に合ってよかったです」

「助けてもらった以上は礼を言わないといけないのだろうな。でも、その前に質問がある。君は一体何者なんだ? 先程の奇怪な鳥といい、わからないことだらけだ」

 リチャードの問いに対し、女性は薄く微笑んでから、そっと頷いた。

「私の名はマリア・リヴィングストン。霊障探偵をしています。ここへ来たのは、リチャードさんたちに危機が迫っているのを予見したからです」

「霊障探偵だって? 確かそれって、心霊的な事件を専門に扱うとかいう探偵と聞いたことあるが、君がそうなのか。それにしても俺の名前まで知っているとはな・・・・・・」

 霊障探偵の噂は、リチャードも仕事柄耳にしたことはあるが、実際に会うのは初めてだった。そもそも霊障探偵というのも、今も心霊研究盛んなこの国における、ひとつの便乗商売と思っていたぐらいだ。

「詳しくは後で説明しますが、その前に、お友達の方は大丈夫なのでしょうか?」

 マリアに指摘され、リチャードも気がついた。確認するとエドガーは気を失って倒れている。

 リチャードは彼に駆けより、容態を見た。エドガーは全身傷だらけで、ひどい部分になると肉が見えていた。かろうじて息こそあるものの、早く医者に見せた方がいいように思えた。

「これはひどいな」

「そんなにひどいのですか?」

「ああ。君にも見えるだろ。もっとも、あまりご婦人の見るものでもないが」

「・・・・・・いえ、私は、その・・・・・・見えませんから」

 マリアの言葉にリチャードは怪訝そうな顔をする。そして、改めてマリアの姿を見つめた。

 彼女は男性にじっと見つめられているにもかかわらず、様子に変わりなかった。羞恥心が無いのか、感情が欠落しているのか、よくわからない感じだ。それに彼女の虚ろな瞳は、どことなく焦点があっていないような気もする。

「・・・・・・ひょっとして君、目が見えないのか?」

 リチャードの質問にマリアは小さく頷いた。

「私の瞳は、現実に見えるものを映さないんです」

 どこか意味深な言葉であったが、それを訊ねる以前にマリアの方が口を開く。

「すみませんが、私を怪我人の近くに寄せてもらえますか?」

「それはかまわないが、どうする気だ」

「お友達の傷を治します」

「でも、一体どうやって。医師の心得でもあるのかい」

「そういう訳ではありません。でも、言うとおりにしてください」

 リチャードは仕方なく頷いて、マリアをエドガーの側に導いた。彼女はエドガーの横にかがみこむと、そのまま彼の身体に自分の手をかざし、意識を集中させる。

 するとどうであろう。エドガーに刻まれていた無数の傷痕がみるみるうちに癒されてゆく。やがてには傷も完全にふさがり、その痕跡すら残すことは無かった。

 リチャードは信じられない気持ちで彼女を見た。彼が生きてきた中でも、このような現象を見るのは初めてのことである。まるで奇跡としか言いようがない。

「今のは一体? まるで魔法か超能力だ」

「これは霊能力の一種です」

 マリアがそう言った時、エドガーは軽くうなって、ゆっくりと目を覚ました。

 

 エドガーが目を覚ましてから二時間が経過した。

 その間にもホテルの従業員には発砲の理由を問われたりと、色々とややこしい説明を求められもした。

 もっとも、まともに理由を説明しても、とてもではないが理解できることではない。ましてやリチャードにとっても、まだ不可解なことは多いのだから。だから銃が暴発したと、適当な理由をつけてごまかすしかなかった。

 幸い部屋を追い出されることはなかったが、それも裏返せば、多額の追加料金を払わされることでもある・・・・・・。

 だが、とりあえず従業員も説得でき、今はようやく落ちつくに至った。色々とありすぎたせいで、深夜とはいえ眠気も少ない。

「マリアさんには世話になったようだな。ワシからも礼を言うよ」

 さっきまでの事情を聞いたエドガーは、霊能力の話に驚きながらも、マリアに命を救われたことに感謝を述べた。

「霊能力は俺も初めて見るが、未だに信じられない気分さ」

 リチャードは少し興奮気味であったが、そんな彼に、マリアは穏やかに言う。

「霊能力は人間の内に眠る未知の力ですが、誰しも持ち合わせているものです。私はそれを、自然と操る術を知っているだけにしかすぎません」

 にわかにはどう言えば良いのかわからないが、現実不思議な光景を見た以上は異論も唱えられない。

「そういえば、俺たちに危機が迫っていると予見したとか言っていたが、それも霊能力の一種か?」

「そうですね。予知夢みたいなものです。それで、私もこの事件を追うようになって・・・・・・。ちなみにあなたたちを襲った奇怪な鳥も、誰かが呼び出した霊的な存在に間違いありません」

 リチャードとエドガーは顔を見合わせた。

「なあ。マリアさん。ワシらは何故、あんな奇怪なものに襲われたんじゃろう?」

「私にもそれはわかりません。ただ、私はある事件を追ううちに、あなたたちが襲われることも予見したんです」

「君が追う、ある事件って何だ?」

 リチャードが問う。

「みなさんは最近、ジェイン・ラトラルという方が亡くなったのを知っていますか?」

「知っているもなにも、ジェインはワシとリチャードの旧友だったんだ。昨日行われたパーティにはワシらも出席予定だったんだが、会場についた途端、ジェインが亡くなったことを聞かされてな」

 エドガーの声は少し下がったのを知り、マリアも申し訳なさそうな表情をした。

「・・・・・・そうですか。私がもう少ししっかりしていれば、事件を未然に防ぐことはできたのかもしれないのですが」

「どういうことです?」

「私、この事件が始まる前に、ジェイン氏の危機を予見したんです。彼が、霊的な力を操る何者かに狙われていることを。それで私はその犯人を止めようとパーティー会場へと赴いたのですが、時すでに遅しで・・・・・・」

「・・・・・・マリア。それは君の責任じゃないさ。だから、気に病むことはない」

 気休めとはしりつつも、リチャードは言葉をかけた。そして、話題の方向を変えるべく、更なる質問をした。

「俺たちが襲われると予見したのは、ジェインが亡くなってからなのかな?」

「ええ。そうなります。それで急いでここへかけつけてきたんです」

「なるほどな」

 リチャードは腕を組んで考えた。

「ジェインが殺され、そしてその旧友である俺たちも狙われた。そうなると俺たち三人に恨みのあるやつの犯行か?」

「しかし、リチャード。ワシらはそんな霊的な力を操るやつに狙われる覚えなんてないぞ」

「確かにな。そういうものにかかわっていたジェインなら、まだわからんでもないのだが、俺たちも含まるとなるとな・・・・・・」

 いくら考えても、心当たりは出ない。

 エドガーはマリアに問うた。

「マリアさんが予見した中には、犯人の姿はうつらなかったのかね?」

「ええ。残念ながら。むしろ私が予見して知ったのは、犯人の心の中かもしれません。犯人はとても怯えていて、何かに助けを求めている感じがしたんです。でも、誰も助けてくれる人はいなくて、その結果自分の身を守ろうとして悲しい事件を引き起こした。そんな感じでしか伝わってこないんです」

「・・・・・・・・・・・・」

「だから私、そのイメージを予見した時、犯人を止めて、助けてあげなければって思いました・・・でも手遅れで」

 マリアはうつむいて、少し肩を奮わせた。リチャードは彼女の側に寄ると、後ろからそっと肩に手をおいた。

「君はこれからどうするんだい? まだ、その犯人を追うのか」

「・・・・・・そうなると思います。これ以上、何かを起こさせる訳にもいきませんから」

「ならば、俺も手伝おう。狙われた以上は無関心でいるのも我慢ならないしな。それに俺も、君とはタイプは違うが探偵だ。多少は役に立てると思う」

「でも・・・・・・・・・」

 躊躇するマリアに、エドガーも申し出た。

「そういうことならワシも手伝いたいぞ。この事件の犯人を確かめたいからな」

 リチャードとエドガーは顔を見合わせて、頷きあう。

「・・・・・・という訳だ。俺たち二人も無関係じゃないんだ。君がどう言おうと手伝わせてもらうぞ」

「リチャード。ご婦人に対して、そういう言い方は失礼だろうに」

「自分の正直な気持ちを隠す方が、よほど失礼さ。それに俺は紳士として、この美しい彼女を一人で危険な目にあわすつもりもないってことだ」

 リチャードの言葉に、マリアは少し頬を赤らめる。だが、それを見てリチャードも少し安心した。彼女もまんざら、普通の人間と違うわけではないと思えたからだ。

「おまえという男は、都合のいい時だけ紳士になるんだな」

「なんとでも言え、エドガー」

 場の空気が和らぐのを見計らって、リチャードはマリアに言った。

「これからもよろしく頼む。マリア」

「・・・・・・わかりました。あなたたちにも協力して頂きます」

 結局、マリアは承諾した。

 今の状況、どう断ろうとも、彼らが意思を曲げないのは予見するまでもなくわかるような気がしたから・・・・・・。

 

 

あとがき

 SHORT STORY第九弾。「赤い刻印」の前編をお届けします。

 今回の話は1920年代の英国を舞台にした、オカルト伝奇?的な作品です。私、「誓いと絆」のような異世界ファンタジーも好きなのですが、こういうオカルトじみた話も思いきり好きだったりします。もっとも一番には英国という国が好きというのもありますが。

 とはいえ、あまりマニアックすぎるオカルト(クトゥルフ神話等)を書くのもなんですし、ここは少し馴染み易そうなキャラクターを配置し、それらの魅力も味わってもらおうかと考えています。ま、更に今回のキャラの元ネタは、昔遊んだTRPGとかにあったりするのですが、それは知っている身内だけで笑ってください(爆)

 というわけで後編は、おそらくSHORT STORY第十一弾あたりに書くでしょう。第十弾は別の話考えているので。

 でも、あまり待たせないように努力します。見捨てないで最後までお付き合いくださいね。

 

 

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