誓いと絆(後編)
3 鋼の狩人
空は暗く覆われ、大地をたたきつけるように、大雨が降りしきっていた。
近くでは雷鳴がとどろき、吹く風も思いのほか強かった。それはさながら、ちょっとした嵐。比較的天候が穏やかな、このア・ザーク島にしては珍しいことといえる。
だが、そんな大雨の中、雷鳴の音に負けじと男たちの叫びが響く。
「居たか?」
「いや、まだ見つかっていない」
「何としてでも捜しだせ。まだ、集落の外へは逃げおおせてはいないはずだ」
そんな会話が橋の上でなされた後、男たちはそれぞれに走り散った。
「・・・・・・・・・・・・行ったみたいだね」
男たちが話をしていた橋の下、薄い闇の中から少女の声がする。
「ああ、そのようだね。まったくご苦労なことだよ」
同じく闇の中から女の声。
しばらくもすると、橋の下にあった薄い闇が不自然に晴れる。そして、そこから現れたのは二人の娘だった。
イーシャとティスの二人である。
ここは〈赤い風の獣〉の集落。彼女らはどうにかここまで辿りつき、集落内に潜入したまではいいが、そのまま敵に見咎められ追われていた。
イーシャにとっては部族の仲間の復讐を遂げる旅だけに、すべての敵を屠ることに迷いはない。だが、それでも限界はあった。たった二人で大勢の敵を相手にしては、返り討ちにされるのは目に見えている。
少なくとも、敵の首謀者だけでも討ち取らないことには復讐の意味はない。だから、それまでは無謀な戦いで命を落とすわけにもいかなかった。
「これからどうしよう。イーシャ」
降りしきる雨を憂鬱そうに見つめながら、ティスは訊ねた。
「どうするも何も首謀者の居所を捜すしかないだろう」
「何か捜すあてはあるの?」
「残念ながらこれといってはないね。もっと簡単にみつかると思っていたけど、少し考えが甘かったかもね」
イーシャが知る限り、敵を指揮していたのは赤い髪の男という噂だけ。そいつが何者かは知らないが、この島においては赤い髪の人間など珍しい。大陸から渡ってきた人間かも知れないが、だとすれば目立つ存在だと思っていた。
しかし、生憎の大雨で外を歩く人間も少なく、視界も最悪の状態だ。色々と探っているうちにイーシャたちの方が先に見つかってしまったのは、ある意味運が悪いといえる。
「ティス。あんたの魔法で、赤い髪の男を捜すことはできないの?」
「そういう魔法もあるにはあるけど、私が見知っている人間でしか捜すことはできないの」
「魔法ってのも肝心な所で頼りになんないね」
イーシャが肩を竦めて言うと、相棒は少しムッとした顔をした。
「事が思うように運ばないからって、そんな言い方しなくてもいいでしょ」
「別にあんた自身に文句をつけた訳じゃないんだから、そんなムキになりなさんな」
「それでも魔法を使う人間にとって、さっきの言葉は傷つくもん」
二人が知り合って、はや三日。これぐらいのため口を言い合えるくらいには、お互いに慣れてきている。
「へいへい。謝りますよ。こんな所で言い争っていても仕方ないからね。それよりもこの先どうするか考えないとな」
「それなんだけど、イーシャに一つ訊きたいことがあるの。いいかな?」
「何? 言ってごらん」
「さっきここまで逃げてくる途中で、男たちの胸元に【祈りの歌声】の聖印が見えたような気がするんだけど、ここの人間ってそういうもの信仰しているの?」
ティスの問いに、イーシャは呆けた顔をする。
「何なんだい。その【祈りの歌声】ってのは。あたしは初耳だぞ」
「イーシャ知らないの? 【祈りの歌声】は冥界の神の一人、魂の運び手たる浄化の女神ルイプルシスを奉じる教務団よ」
「【祈りの歌声】もルイプルシスってのも初めて聞くね。神を奉じる教務団ってのが大陸に存在するってのは聞いたことあるけど」
イーシャは苦い顔で言った。
この世界にとって神は、地上世界を蹂躙した忌むべき存在でしかない。だが、神の力は弱き人間にすれば憧れるべき対象でもある。そんな神の力に憧れる人間は教務団という組織をつくり、神が過去に残した汚点を払拭し、神の名のもとによる人民の救済を謳い活動する。いずれ自らの功績が神に称えられ、神の世界の門をくぐることを夢見て。
「教務団も天空の神、冥界の神でそれぞれ大きな組織が存在するわ。【祈りの歌声】もその一つなの」
「でも、ここの連中がそれらを信仰してるってのは妙な話かもね。ここの集落の連中もあたしたちと一緒で〈聖霊〉信仰の筈だしな」
〈聖霊〉は部族の先祖の霊。それを崇めるのはア・ザーク島に点在する部族の伝統だ。それらの信仰を捨ててまで、別の信仰にすがるとなると、それはそれで只事ではないと言える。
サリサが亡くなる前の一言が思い出された。〈赤い風の獣〉にとって、自分たちは異端だから粛清されなければならないという言葉。確かにその言葉をそのまま捉えるのならば、別の信仰に染まった〈赤い風の獣〉にとっては、〈聖霊〉信仰は異端ともいえよう。
「この事件も色々と裏はありそうだね」
ティスの言葉に、イーシャも深くうなずいた。
「ああ。もともとここの部族だって、あたちたちと仲が悪かった訳じゃないんだ。それがこんな風に変わっちまった以上、何かの理由はある筈さ。それも調べ上げないとね」
調べ上げて何かの理由があったとしても、復讐の手を緩める気はない。だが、今はとにかく情報がいる。
「とりあえずは手近な人間でも捕まえて、質問するしかないかしら?」
「それがてっとり早いだろうな。行くよ、ティス」
イーシャは言うと、雨除けの外套を全身に覆う。ティスもうんざりとした表情で同じようにする。
「雨って面倒だから嫌だよね」
「文句を言っても始まらない。とにかくついておいで」
まわりの様子をゆっくりと確認した後、イーシャは橋の下を抜けて上へあがる。ティスも遅れじとそれに続いた。
〈赤い風の獣〉の集落は、イーシャのいた〈緑を孕む風〉の集落と違い、平たい石造りの建物が多い。集落全体の面積も広く、それはちょっとした街規模といえなくもない。
〈緑を孕む風〉が開放的な気質のある遊牧民とすれば、〈赤い風の獣〉は閉鎖的に一つの場所に固執する。だが、閉鎖的とはいえ、その分の住み心地のよさは追及されており、川の水を集落にひいて下水を完備するなど、独自のやりかたとはいえその技術は大陸の小都市並みに匹敵する。
イーシャとティスは、建物の陰から陰へと慎重に移動した。
降り続く雨と雷鳴が自分たちの足音を消してくれるのはよいが、その反面、相手の足音もかき消される。油断はできなかった。
「透明になる魔法でも使ったほうが楽じゃないかな?」
ティスの進言に、イーシャは首を横に振った。
「魔法も際限なく使えるわけじゃないんだろ。さっきも橋の下で薄闇をつくる魔法を使ったばかりだ。この先はできるだけ温存しておいてもらいたいね。何が起こるかわからないんだし」
「使い惜しみをして、あとで悔やむのは嫌だけどね。私も、こう緊張ばかり続くと疲れるもん」
「戦いの前は、その緊張が持続するぐらいのほうがいいんだよ。・・・・・・それに魔法を使うまでもなさそうだ。都合のよさそうな相手がこっちに来る」
狩人としての研ぎ澄まされた感覚は、イーシャに何者かが近づいていることを告げる。物陰から確認すると、こちらに来るのは貧相な身なりの中年男性だった。だが、最低限の武装をして、あたりを窺っているところからすると、イーシャたちを捜しているのは間違いなさそうだ。
「どうするの、イーシャ?」
「勿論、とっつかまえて色々と聞き出すさ。あたしが最初にあいつを背後からつかまえる。あんたはその後すぐに、前面から剣でもつきつけてやりな」
イーシャはそれだけ言うと、予備の短剣を取りだし、相手が横を通りすぎるのを待つ。
物陰に潜みながら、息を呑む。それからしばらくして。男が二人の側を横ぎったのを合図に、イーシャが飛び出す。
イーシャは男の背中に飛びつくと、その喉元に短剣の刃を向ける。
「おとなしくしな」
男は明らかに不意をうたれたようであったが、すぐに暴れてイーシャを振りほどこうとした。だがその行為は、前から現れたティスが剣をつきつけられたことによって止まる。
「ワシを一体どうする気なんだ?」
精一杯の虚勢を張って、男は言ったつもりだろう。しかし、その裏側にある怯えは隠しきれない。
イーシャは低い声で言った。
「とりあえず、あたしたちについて来てもらう。抵抗すれば即命を奪うからね」
押し当たる短剣の刃が、男に有無を言わせなかった。
二人は男を、近くにあった馬小屋に連れ込んだ。中に入りこめば雨もしのげるし、大声を張り上げない限りは、外から見つかる率も低い。側には何頭かの馬がいたが、これといって騒ぐ様子もなかった。
イーシャは男の武器をとりあげてティスに渡すと、そのまま縄で男の腕と脚を縛りあげる。勿論、男には抵抗の余地はない。縛り上げる間にも、ティスの剣が男を狙っているのだから。
イーシャはどうかわからないが、ティスにはあまり慣れない行為だった。まるで自分たちが野盗にでも成り下がった感じがするからだ。とはいえ、状況が状況だけに、仕方がないとも思ってはいる。
「さて、色々と聞かせてもらおうかね」
男を縛り上げたイーシャが、低い声で詰問した。
「おまえたちは一体何者だ?」
縛り上げられた男は、おそれのこもった目でイーシャたちを見つめる。
「あたしは、あんたらが以前に襲った〈緑を孕む風〉の集落の生き残りさ。そして、こっちにいるのはあたしの相棒だ。・・・・・・それよりも、あんたらの事を聞かせてもらいたいね。何だってあたしの集落を襲った?」
「あ、あれは我々の本意ではない。ああする以外に仕方ないの事情もあったんだ」
「罪なき人間を殺めるのに仕方のない事情だと? ふざけんなっ!!」
激昂したイーシャの拳が、男の顔をうつ。ティスは慌ててそれを止めた。
「イーシャ。落ちついて」
「くっ」
「気持ちはわかるけど今は落ちついて。外に声がもれてしまうわ」
ティスの制止に、イーシャは不承不承ながらも頷いた。
今度はティスが男に問う。
「あなたの言う仕方のない事情って何なのかしら? 【祈りの歌声】の教務団と関係あるの?」
それは確信をついた言葉だったのだろう。男に苦渋の表情がよぎる。
「ああ、あんたの言う通りさ。俺たちは大陸から渡ってきた【祈りの歌声】の一人・・・・・・正確にはスーグリって男一人に支配されちまったのさ」
「そんな! あなたたちだって人数はいる訳でしょ? それをたった一人の男に支配されるなんて」
「でも、それが事実さ」
「まさか、あなたたちは何の抵抗もせずに、そのスーグリとかいう男の言いなりになったの?」
「・・・・・・抵抗はしたさ。だが、スーグリは奇怪な術で恐ろしい化け物を呼ぶんだ。俺たちでは束になっても歯がたたないようなな。だから、奴の支配を受け入れるしかなかったんだ。でないと殺されちまうんだ」
「そう。あなたたちも大変だったんだね」
ティスの同情に、イーシャは何か言いたそうな顔だったが、あえて自制する。ティスもそんな彼女の心情も察してか、すぐ本題に戻った。
「スーグリの目的とかはわかるかな?」
「奴はこの島にルイプルシスの教えを広めるとか言っていた。そして、我々もその信徒になるにあたって、生贄を要求されたんだ。魂の運び手たる浄化の女神に捧げる、神への供物が必要と言われて」
「神にはロクなものがいないのは知っていたけど、その女神は邪神か何かかよ」
我慢できなくなったイーシャが、はき捨てるように言った。だが、ティスは首を横に振る。
「ルイプルシスは冥界の神ではあるけど、邪神とまではいかないと思うわ。迷える魂をあるべき場所へと運び、やすらかなる形で浄化せしめるのがルイプルシスという女神だもの。無理に生贄を要求するなんて話、聞いたこともないわ」
「ということは、スーグリって男の独断になるのか?」
「おそらくね」
「だとしたら相当にムカつく野郎だ」
イーシャは腹いせに地面を蹴ると、近くの馬が唸った。ティスはそんな彼女を困った顔で見つめてから、男との話しに戻った。
「それで、あなたたちは生贄を差し出したの?」
「・・・・・・・・・・・・・」
男は押し黙った。だが、ティスにはその沈黙の意味がわかった気がする。
そして、自分の想像した考えを言った。
「あなたたちが生贄として差し出したのは〈緑を孕む風〉の人たちなんだね」
男は苦い顔をし、やがて頷いた。
「・・・・・・そうだ。だが〈緑を孕む風〉にも、スーグリからの話はあった筈なんだ。支配を受けいれろと言う話がな。しかし、若長がその話を拒否したって事だ。だから、奴らは粛清の対象になったとも言われている」
「そりゃあ本当かい?」
イーシャは男に詰め寄った。自分たちの集落にまでそのような話が来ていたなど初耳だ。
だが、若長スーニの性格を考えれば、イーシャが知らないのも無理はないかもしれない。スーニは余程のことでもない限り、周りに余計な心配をかけさせる人間ではないからだ。おそらく今回の一件も、スーニが内々で処理していたに違いない。
「俺たちはそれ以上のことは何もしらない。それに、俺たちだっていつかはスーグリを・・・・・・」
もはや男の言葉はイーシャの耳には届いていなかった。イーシャは男に問う。
「スーグリってのは、今どこにいる?」
「・・・・・・奴なら集落北の〈聖霊〉をまつる聖堂にいる」
部族の守りたる〈聖霊〉をまつる地に、異なる神の僕を入れるなど常識では想像できない。そんなことをすれば聖堂が汚され、〈聖霊〉の祟りがあると畏れるのが、部族ならではの考えの筈だ。だが、それを許してしまうほどに、スーグリの力は強大だったというか・・・・・・。
「スーグリは赤い髪をしているな?」
「ああ。その通りだ」
「わかった」
イーシャは無表情に頷くと、すらりと剣を抜いた。男の顔から血の気が失せる。
「ちょっとイーシャ。何をする気?」
ティスが鋭い声で制した。
「もうこの男に用は無い。だから、この場で消えてもらうんだよ」
「そんなの駄目よ。そんなこと、私が許さないわ!」
「ティスは黙ってろ。これはあたしの問題なんだ。相棒のあんたは、素直にあたしの手助けをしてくれるだけでいい」
「勝手なこと言わないで。私が相棒である以上、あなたと対等であって、あなたに命令されるだけの道具じゃないのよ。だから私にも意見する権利はあるはずよ」
ティスは身を乗り出して、男との間に割って入った。普段の脳天気な彼女とは思えないほど真剣な表情で、イーシャを睨んで来る。
一歩も譲る気がないのは、その顔をみても明らかだ。
「この男をこのままにしておけば、あたしたちの狙いがスーグリだってことが知らされるかもしれないんだよ。それでも、あんたはこの男を庇う訳?」
「ええ、庇うわ。この人たちだって、好きこのんでスーグリに従っている訳じゃないんだもん。それに私たちが集落に入ったことはバレているんだから、この人に知らされるまでもなく、スーグリ周辺の警備は固められていると思うわ」
「・・・・・・・・・・・・・」
相棒の指摘は、いちいちもっともすぎた。だからこそ、かえって腹立たしくもある。
イーシャは険しい形相で唇を噛んだ。
「ねえ、イーシャ。あなたの気持ちはわからない訳じゃないわ。でも、わかったところで認められない物はあるの。あなたの個人的な事情だけで、奪う必要のない命まで奪う権利はない筈よ」
「でも、こいつらは・・・・・・・・・」
剣を持つ手が震えていた。抑えきれない感情の奔流が、涙となってイーシャの頬を濡らした。
「勿論、この人たちがやったことが許されるなんて思ってないわ。だけど、この人たちだって生きる為に必死だったのよ。それだけはわかるでしょう?」
「わかんない。わかってなんかやるもんかっ!」
「冷静になって、イーシャっ!!」
次の瞬間、この場にパシンッという乾いた音が響く。ティスがイーシャの頬を打ったのだ。
イーシャは、にわかに何が起きたのか理解できなかった。目の前の少女がここまで自分に食って掛かるなど、思いもしなかったのだから。しかし、頬の痛みがじわりと広がると共に、イーシャは状況を理解し、この相棒への認識を改めないといけないことを知った。
ティスは本人の言ったとおり、自分と対等な相棒であること思い知る。イーシャにはイーシャの事情があるように、ティスにはティスの事情があるのだ。だから、こんなにも必死に食い下がってくる。
「いきなり殴ったりしてごめんね。でも、本当に憎むべき敵が見えた今、あなたの手を余計な血で汚す必要もないんだよ。そんなのって、とても悲しいもの」
〈聖宿〉クミナレアリースは、イーシャのことを哀しき過去を背負う娘と例えた。だからこそティスも、イーシャを助けるにおいて、後で余計な傷痕を残すような行為はさせたくない。
二人はしばらく見つめ合ったままに、沈黙が続いた。それはお互いの心を確認しあうような感じだった。
そして、次に沈黙を破ったのはイーシャであった。
「あんたの言う通りにするよ。あたし一人だと、冷静さに欠いて、復讐以前の寄り道をしてしまいそうだしな」
照れ隠しのつもりだろうか、少しぶっきらぼうな口調になる。
だが、ティスにはそれでも十分に思えた。
「とにかくこの男の命はとらない。もっとも、この先で手向かってくるんだったら、その時は容赦しないけどさ」
「・・・・・・うん。それは仕方がないよね。でも、できる限りこの集落の人には降伏を呼びかけよう」
娘二人の会話に、男は戸惑いの様子を隠せないでいる。
「あんたら二人だけで、本当にスーグリに勝てる気でいるのか?」
男は訊ねずにはいられなかった。自分たち集落の人間が束になってもかなわないような相手に、年若い娘二人が挑んだところで、それは正気の沙汰とは思えない。
だが、イーシャは気丈にも答えた。
「勝てるかどうかはわかんない。でも、勝たなきゃなんないからね。そのための努力だけは放棄しない」
イーシャには〈聖宿〉アポルトブルトが授けた、〈刻印〉なる力もある。これがいかなる力かはわからないが、この先の戦いではその力も使う時が来るかもしれない。
男は心の中で同情した。何も知らないから、そんな風に言えるのだと。スーグリの恐ろしさは並みではない。だが、心のどこかにはこの娘たちに対する羨望もあった。彼女らは自分たちにないものを持ち合わせているような気もする。
「イーシャ。そろそろここを出ましょう。時間が経てば、むこうの警戒も厳重になっていくと思うわ」
「そうだな。とっととスーグリってムカつく野郎を片付けてやる」
「おじさん。しばらくは縛ったままここにいてもらうけど、悪く思わないでね」
ティスは男の側に屈みこむと、小さく謝った。
その後、二人は馬小屋を飛び出して行く。
雨は未だ、降り止む気配を見せなかった。
§
集落の北に、その聖堂はあった。
堅固な石造りの大きな建物である。だが、外観は大陸などで見られるそれとは違い、ごく質素なものだ。この集落には平たい石造りの住居が多いが、単純にそれを大きくしただけにもうつる。
イーシャとティスは聖堂内に入りこんでいた。勿論、その途中では何人かの人間とはすれ違っている。だが、幸いにもまだ見咎められていない。それというのも、ティスの魔法で姿を透明にしているからだ。
目指すべき赤毛の男、スーグリはここにいる。そうとわかれば、ヘンに魔法を温存するのも勿体無い。魔法の効果が持続するうちにスーグリを見つけ出すことができれば、それにこしたことはないのだから。だが、魔法で消せるのは姿までで、足音や呼気までは消せない。だから何者かとすれ違う際には、多少の緊張は要した。
今もイーシャたちは柱の陰に潜み、人とすれ違ったばかりだ。スーグリらしき男は、まだ見つかっていない。
「スーグリの野郎。一体、どこにいやがるんだ」
人が去るのを見計らってから、イーシャは小声で毒づいた。〈透明〉の魔法の効果も、時間が限られるだけに、気ばかりが焦る。
「慌てないで落ちついていきましょ。魔法は切れたら、またかけなおせばいいんだし」
相棒の心情を察してか、ティスはそう声をかける。例え気休めだとしても、イーシャが一人きりでないことを意識づけるためには、相手の言葉にはなるべく応える方がいい。
一人ではなく、二人いるからこその頼もしさ。それを実践できてこそ、相棒は初めて相棒たりうるのだから。
「それよりもイーシャ。次に中に入っていく人間がいたら、その人をつけましょう。ひょっとしたら、そういう人間はスーグリへの報告に向かう人間かもしれないし」
「なるほど。それはいい考えだ」
聖堂の中は、外観とは裏腹に、入り組んだ構造をしていた。表から入って礼拝堂を抜けた後は、狭い回廊を挟んで小さな部屋同士が複雑に繋がりあっている。これらの部屋をひとつひとつ闇雲にあたるのは、それなりの時間と余裕も必要だった。
この聖堂は、〈赤い風の獣〉を導いてきた先祖たち・・・・・・〈聖霊〉の偉業を、その時代ごとの記録と共に壁面に記し、一部屋ごとに区分けしている感じだ。同じく〈聖霊〉信仰を行うイーシャたちの部族でも、ここまで徹底して〈聖霊〉をまつる風習はない。それだけ、ここの部族は〈聖霊〉という存在に重きを置いている証拠でもあろう。
だが、そんな部族の人間すらも、スーグリの支配に屈するしかなかったのだ。〈赤い風の獣〉の悔しさと絶望感は、イーシャが想像していたよりはるかに大きいのかもしれない。
同情とまではいかないが、自分が本当に討つべき敵は、スーグリなのだとは実感した。
そんなときだ。
一人の部族の戦士が、聖堂の奥の方へと向かっていく姿が見えた。
「追うよ」
イーシャは飛び出して、なるべく音をたてないように戦士の姿を追った。ティスもそれにならうように動く。魔法の効果で、ティスたちにもお互いの姿は見えていないが、それぞれの呼気が感じられるくらいには側にいる。
それにイーシャたちは重い金属鎧をきていないので、慎重に移動すれば、それほどの音もたたない。
こうしたしばらくの追跡の後、部族の戦士は、とある大きな部屋に入った。そこには煌々と灯かりが焚かれ、部屋の奥には黒い大鳥を意匠化して描いた白い旗がかけられている。その旗にある黒い大鳥こそ【祈りの歌声】の聖印でもあることを、ティスは覚えていた。
そして、その旗の手前にある簡易の玉座には、紫の法衣を着た赤い髪の男が座っていた。
(あいつがスーグリか)
イーシャは玉座にいる男を見て、半ば確信をもった。そしてその確信は、部族の戦士の言葉によっても裏づけられる。
「スーグリさま。集落に潜入した者の行方、未だ掴めずにおります。我が部族のものたちも、必死になって捜索を続けております。どうぞ、いましばらく警戒のほどを」
頭を垂れて口上を述べる部族の戦士に、スーグリはあからさまな侮蔑の視線を向けた。
「貴様等は警戒というものが、どういうものかを存じているか?」
表情を変えない淡々とした口調で、スーグリは問うた。見た目でこそは痩せ細った印象の壮年の男だが、その声は思いのほか若い。
部族の戦士は、スーグリの質問の意味を掴みかねていた。そんな部族の戦士を、スーグリは同情と蔑みが混じったような目で見つめる。
「貴様等の言う警戒とは、外敵をこの場に招き寄せることを言うのか?」
「何を仰せられます。そのような筈は・・・・・・」
「ならば貴様の後ろにいる者は、何者だと申すか?」
スーグリがイーシャたちの消えているあたりを指差す。部族の戦士は慌てて背後を振り向くが、勿論その姿は見えていない。
「な、何もいないではありませんか?」
「貴様の後ろの床を、よく見てみろ」
部族の戦士は言われたとおりに床を見た。するとそこには、一部不自然に水がしたたりおちている。丁度イーシャたちが立っているあたりだ。
「これは一体!?」
驚く部族の戦士をよそ目に、スーグリは呪文の言葉を唱えた。ティスにはそれが〈魔術解除〉の呪文だと悟ったが、今更慌てようにも手遅れだった。
イーシャたち二人の姿が現れる。
「ようやく姿を見せたな。侵入者」
「・・・・・・ちっ、みつかっちまったら仕方ないね」
イーシャたちは観念して、雨に濡れた外套を脱ぎ払った。そして、厳しい視線でスーグリを見つめ上げる。
部族の戦士は、彼女等の侵入に、明らかに狼狽している様子であった。
「敵を招き入れた愚か者めが。・・・・・・とはいえ、たかだか小娘が二人か」
「スーグリさま。こやつらめは私が仕留めてみましょうぞっ!」
「いらぬ」
冷ややかなスーグリの宣告と同時に、部族の戦士の身体から炎が吹き出した。
イーシャとティスの二人も、いきなりのことに足が竦んだ。部族の戦士は悲鳴をあげ、床に転げてのたうちまわる。同時に肉の焦げるきな臭い香りが、この部屋一体に充満した。
「・・・す・・・・・・スー・・・グ・・・りさ・・・・・・」
戦士の声は、すぐに弱々しくなり、やがてその姿も灰に等しくなる。
「ルイプルシスのもたらす浄化の炎だ。貴様の魂をもって、神に詫びよ」
玉座から動くこともなく、ただつまらなそうにスーグリは言った。
イーシャは剣の柄に手をかけるが、その手には必要以上に力が入る。人の命を軽々しく弄ぶようなスーグリを、本気で許せなく感じた。〈緑を孕む風〉の同朋たちも、この男の考えによって、無惨に命を散らしていったのだから尚更だ。
「あんた。仲間にまで手をかけるのかよ」
「手をかける? 違うな。俺はこの男にふさわしい役を与えてやっただけのことだ。この男は戦士としては役にたたぬ。故に神に詫びるための使者として、その役目をあたえてやっただけだ」
「あなたの神はそうなことを望んでいるとでも言うの? ルイプルシスは魂を運ぶ女神ではあるけど、無闇やたらにその魂を欲する訳じゃないでしょ?」
ティスは言うが、スーグリは一笑した。
「我が神の教えすらロクに知らぬ貴様が何を言う。・・・・・・たしかに大陸の教務団は、そのような甘いことを囁く。だが、やつらは異端だ。魂を運ぶ女神に、魂を捧げぬして何が信徒ぞ。女神が迷える魂を導き浄化するなど、所詮は奴らの言い出した綺麗事。そのような甘いことをぬかしておっては、神の門を叩くことはおろか、いつまでも神には近づけぬ」
「あなたのやり方なら、神に近づけるの?」
「やつらは未だ、神の門すら叩いてもいない。そのことを考えても、やつらの手段が誤りであるのは明白であろう。俺はやつらには愛想がつきた。故に神の真の意志を伝導すべく、この島へと渡ってきたのだ」
やはり、この男は狂っている。ティスはそう痛感した。スーグリは大陸の教務団を異端と呼ぶが、大勢の目から見れば彼こそが異端なのだ。スーグリはそのことに気づこうとしないだけ。
この男からすれば、自らの意思に沿わぬものなど、全てが異端なのだろう。
その時、イーシャは苦笑してはき捨てた。
「あんたも偉そうなことベラベラ言ってるけど、神の門とやらは叩けてないんだろ?」
「なに?」
「あんたがここでこんな活動をしている以上は、まだまだあんたが神に認められていない証拠さ。それに結局、あんたはこの島に逃げてきたんだろ? おおかた大陸の教務団連中に迫害でもされてね」
イーシャの言葉に、今まで平静を装っていたスーグリの顔が微妙に歪む。どうやら図星らしい。そう悟ったイーシャは、心の中で快哉をあげる。スーグリがいかほどの力を持つかは知らないが、たったこれだけの言葉でも平静を保てないほどの矮小な男だ。そしてイーシャは、そんな矮小で軟弱な男に負ける気はない。だから、一気に言葉を叩きこむ。
「あんたみたいな狂った人間がいると、大勢のやつが迷惑して命を落とす。あたしは、あんたが何を望んで何を成そうとするかまでは興味はないさ。でもね、関係のない人間の自由や思想を奪う権利なんて、あんたにはないっ!」
イーシャは剣を抜いた。するとスーグリは眉をひそめる。
「貴様の言葉は矛盾だな。貴様とて俺の命を、その剣で奪おうとする。俺の自由と思想を共にだ」
「弁解はしないよ。でも、誰かが手をくださなきゃいけないんだ。あたしは復讐の為にあんたを討ちたい。そんな誉められた考えを持つとはいえないあたしだからこそ、大層な大儀をかかえたやつがあんたを討つよりは気が楽ってものさ」
「いいだろう。貴様がその気であらば、俺もその気概に応えてやろう」
スーグリが玉座を立ち、また何事かの言葉を紡ぐ。その前にはティスも〈魔法抵抗増加〉の呪文をかけた。
「行くよっ!!」
敵が何をするかまではわからないが、イーシャもこのままにさせておくつもりはなかった。だから、何かが起こる前に走りこむ。
だが、彼女がスーグリの側に辿り着く前に、前方からものすごい勢いの風が吹きつけ、バランスを失いそうになる。そして、イーシャは見た。奥の壁にかけられた白い旗から巨大な影が飛び出してくるのを。
それは、まさに影の色をした大鳥だった。そいつがはばたいておこす風に、イーシャもティスも動けないでいる。
やがて風は収まる。だが、そこには獰猛にして巨大なる怪鳥が存在していた。その大きさたるや、人の十倍近くはあるだろうか。広いこの部屋の半分を占めるだけに威圧感もすごい。
「イーシャ。そいつはルイプルシスの眷属でカーマという怪鳥に違いないわ! 伝説によれば炎も吐くらしいから気をつけて」
ティスは書物で読んだ記憶を総動員して、イーシャに警告する。だが、内心の動揺はかなりのもので、このような伝説の化け物と対することになろうとは想像だにしていなかった。
「これが連中の言ってた化け物かよ」
舌打ちした時には、カーマの口は赤く光っていた。イーシャたちは慌てて怪鳥の足元に走りこみ、炎の難を逃れようとする。
その後、イーシャたちがいた場所に炎の固まりがぶつけられ、床が砕けた。
「建物の中で物騒なことやらかすなっ!」
イーシャは剣でカーマの足元を切りつけるが、思うようには傷つかない。むしろティスの持つ魔法の剣の方が、相手に手傷を負わしている。
「こいつ固すぎるぞ」
「待って。今、イーシャの剣に魔法を付与するから」
ティスは言って、呪文を唱える。そして、呪文が完成した時、イーシャの剣にほのかな青い輝きが宿った。
「それで少しの間は剣の威力が増すわ」
「よし!」
イーシャは応え、再び切りこんだ。今度は易々とカーマの肉を裂き、それなりの手傷を与えたに見える。
怪鳥は一声鳴いて、足を暴れさせた。こうなるとイーシャたちも避けるのが必死だった。踏み潰されてはタダでは済まないだろうから。
「このままいると危ない。離れるよ!」
「うん!」
イーシャたちは暴れるカーマの足をかいくぐり、どうにか少し離れる。しかし、これからどう攻めるかが問題だった。接近すれば暴れられるし、離れれば炎を吐かれる危険性もある。
ただ、時間をかける訳にはいかなかった。これ以上、あの化け物に暴れられたのでは、この建物だっていつ崩壊するのか知れたものではない。かといって、あんな化け物を一瞬で屠るだけの力は、通常では持ち合わせていない。
ティスは肩で息をしながら、再び呪文の詠唱に入った。
「我望む。雷を招き、あの敵を撃たんことを!」
呪文の完成と共に、魔法の雷撃がカーマを襲う。怪鳥はのたうつが、それもどこまで効果をもたらしたのかは判らない。
その時だ。イーシャたちの立つ場所で大爆発が起こったのは。二人は見事に吹っ飛ぶが、どうにか意識だけは保った。
「貴様らの敵が、そのカーマ以外にいることを忘れたかね?」
爆発をもたらした主、スーグリが愉快そうに笑う。
イーシャは唇を噛んだ。スーグリを失念していた訳ではないが、今の状態では彼を相手にする余裕もない。また、さっきの爆発による怪我が痛んだ。ティスがあらかじめ〈魔法抵抗増加〉の呪文をかけていてくれたおかげで、本来よりも怪我は少ないのだろうが、それでもひどい傷であった。
ティスも倒れてこそいないが、その足取りは重い。
このままでは確実に危険だった。カーマはまだ健在であり、スーグリの魔法もいつ狙ってくるのかわからない。
「・・・・・・仕方ないか」
イーシャは決断した。今こそアポルトブルトより授かりし〈刻印〉を発動させるしかないと。下手に乱用すれば命を削ると言うが、どのみちこのままいたところで命を亡くすのは目に見えている。ならば〈刻印〉に全てを賭けるしかない。
(余裕はないんだ。とっとと発動してくれよ)
〈刻印〉は強く願えば発動すると、アポルトブルトは言っていた。イーシャは己に刻まれた内なる力の発動を強く願う。
するとだ。突然、彼女の手から、まばゆい黄金の輝きがあふれだす。そしてその輝きは、瞬く間に部屋を包み込む光の奔流と化した。
「何だ。これは一体、何だというのだっ!」
スーグリの狼狽した声が響いた。確かに周りを包む光はまぶしく、視界もまともに定まらない。
ティスにしてもそれは同様だったが、慌てるようなことは何もなかった。むしろその輝きには安らぎを感じるほどだ。イーシャが〈刻印〉を発動したのを理解できたから。
〈聖宿〉たちは時として色でも例えられる。ティスのクミナレアリースを銀と例えるなら、イーシャのアポルトブルトは金という具合に。この黄金の輝きは、まぎれもないアポルトブルトの象徴でもあるのだ。だが、アポルトブルトにはもう一つの色がある。それは赤い色。炎の赤だ。
そして、イーシャは感じていた。己の内に燃えあがる炎を。彼女の手のひらには、揺らめく黄金の炎が浮かびあがる。
途方もない力が、手のひらを通して剣に伝わっていく。剣は更なる輝きと重みを増す。この瞬間、彼女の剣は、特殊なる炎によって鍛え上げられた魔剣と化す。
イーシャは剣を両手に構え、敵を見据えた。黄金の輝きが部屋を包みこもうが、イーシャにはハッキリとその先が見える。
それは狩人ならではの、研ぎ澄まされた本能のなせるわざか。
「いくよっ!!」
静かに燃えあがっていた闘志を、この場で一気に解放する。敵を確実に葬り去るべく、彼女は《鋼の狩人》となるのだ。
イーシャはカーマに対して一直線に走った。道は見えている。迷うことはない。
そして。
イーシャはカーマの側に辿り着くと、その足首に剣を突き立てた。
「おりゃああああああああ」
突きたてた剣をそのまま動かして足を抉る。するとカーマに片足は易々と寸断された。
怪鳥は大きく鳴き、そのままバランスを失いかける。だが、羽をはばたかせることで足掻こうとした。そこへイーシャは追い討ちをかけた。それがとどめになることを確信して。
「せりゃっ!」
イーシャは剣を上方へと突き上げた。鋭い切尖がカーマの身体をとらえる。そして、気合いの声と共に己の内にある力を敵に叩きこむ。
その後、カーマの全身に黄金の炎が燃え広がり、一呼吸も経たぬうちにその姿を灰塵に帰させた。
部屋を包みこんでいた光が徐々に衰える。だがスーグリは、己が頼りにしていた力を失い、愕然とした状態だった。
「次はあんただからな」
剣を手に、イーシャはスーグリのもとへゆっくりと詰め寄る。
「く、来るなっ、来るなぁ〜、化け物がっ!!」
彼の動揺は収まらなかった。今までの形勢が一気に逆転し、たった一人の小娘に己の命が奪われようとしているのだ。彼は死ぬことに恐怖を覚えた。今まで人の命を無造作に奪い、その命を神への捧げものとして感じてきた男がだ。
結局、スーグリも己の命を捧げてまで神に殉じる男ではないのだ。
彼は近づくイーシャに対し、半狂乱になって喚くだけだった。イーシャとスーグリの距離が徐々に詰まる。
しかし。
イーシャはスーグリの側に辿り着くことはできなかった。その半ばで、力が抜けたように倒れてしまったからだ。
彼は拍子抜けしたような顔になるが、すぐに我を取り戻し高らかに笑い声をあげた。
「馬鹿な小娘め。力尽いたか。神の信徒たる俺に刃を向けた当然の報いぞ」
「残念だけど、馬鹿なのはやはりあなたの方よ」
スーグリの背後でそんな声がしたかと思うと、彼の胸から白銀の剣の切尖が赤い血と共にあらわれる。
「な・・・なに!?」
「あなたの敵はイーシャ一人じゃないのよ」
ティスはクミナレアリースより授かりし剣〈エルンフェリス〉で、スーグリの胸を貫いていた。
スーグリは口を震わせたが声にもならない。彼女の存在を失念していたことが呪わしくてならなかった。
「あなたも可哀相な人だと思うよ。だからってあなたのしたことは許されはしないわ。あなたも本当に神の信徒ならば、その魂があなたの奉ずる神に届くことだけは祈ってあげる」
ティスは剣を引き抜いた。既にスーグリは絶命し、その身体は床に伏された。
「・・・・・・終わったよ。イーシャ」
剣を鞘に収めると、ティスは倒れた相棒を見た。今のところ動きはしないが、イーシャが死んでいないことはわかる。ただ単に力の使いすぎで気を失っているだけなのだ。
ティスはイーシャの側によると、彼女を肩から起こしあげた。
「とりあえずあなたの復讐も終わったことにしよう。だから、もうこの場は離れるね」
気を失った相棒の耳にそっと囁き、彼女はこの集落をあとにするのだった。
〜エピローグ〜
眩しい。
イーシャが目を覚まし、はじめて感じたことがそれだった。
ここは一体どこであろう? 何かを枕に、自分が横たわっていることはわかるが、場所に関してはピンとこなかった。それ以前に、まだ頭の中の記憶もはっきりとしない。
とりあえず一つ一つ整理をつけてゆく。頬に風の流れを感じるので、ここは外のように思える。そして、あの眩しい光は太陽?
・・・・・・ということは、今は朝か昼あたりか。そこまで考えた時、イーシャの顔を覗くように影があらわれた。
そこにいたのは、見知った顔の娘。お気楽そうな顔で彼女に笑いかけてくる。
「おはよう、イーシャ」
ティスの声に、「おう」とだけ応え、彼女はゆっくり身を起こした。それと同時に色々な記憶が蘇ってくる。
「起きても大丈夫?」
「ああ。なんとかね。でも、ヘンな力はそうそう使うもんではないな。ホント脱力感激しいし」
「きっと慣れてないだけだよ」
「ありゃあ、慣れても乱用するもんじゃないね。それだけは痛感したよ。けど今は幸い身体もあんまり痛くないな」
「怪我は私の魔法で癒してあげたからね」
「そっか。世話をかけたな。それよりここはどこなんだい?」
ぐるりと見渡すと、そこは殺風景な平原だった。ア・ザーク島なのは間違いないだろうが、細かい位置まではすぐに検討つかない。
「ここは〈赤い風の獣〉の集落から、西へ半日ばかり離れたところだよ」
「そりゃまた随分と離れたな。・・・・・・スーグリの野郎はどうなっちまったんだ。あのバカでかい鳥を葬ってからは記憶がなくってさ」
「スーグリなら、私がちゃんとやっつけたよ。剣と魔法を華麗に駆使して、吟遊詩人も感嘆の活躍ぶりで」
笑いながら冗談めかして言われるが、倒してくれたことだけは理解できる。
「〈赤い風の獣〉の連中はどうなった」
「支配者であったスーグリもいなくなったしね。きっと罪をつぐなって元の状態に戻っていくと思うから、放ってきちゃった。それでいいでしょ?」
「・・・・・・そうだな。仕方ないな」
本当はまだ複雑な気持ちであったが、あの部族も被害者だったのだ。彼らも己が部族の〈聖霊〉を汚したことを悔いているに違いない。それらへの贖罪の念をもって、彼らへの裁きは与えられることになるだろう。イーシャはそう思うことにした。
「しかし、スーグリのとどめはあたしがさしたかったな」
「へへ。残念だったね。私がおいしいところを持っていってしまったみたいで」
ティスにすれば、それでよかった気がする。
例え復讐のためとはいえ、イーシャにはできる限りその手を汚して欲しくなかった。いや、復讐だからこそ、不毛な命の奪い合いはさせたくもない。憎しみのぶつかりあいは、お互いの中で遺恨しか残さないのを、ティスは故郷の国で嫌というほど見てきた。
何かを正さんとするのならば、しっかりとした信念を持ち、相手の考えも受け入れた上で間違いを正す。周りからは綺麗事と言われるが、ティスはそういう考えを大事にしたいと考えている。彼女はそういう優しい娘なのだ。
そしてイーシャにも、ティスのそうした優しい部分は、漠然とだが見えていた。だからこそ、スーグリのとどめは自分がさしたかった。
それは自分の復讐のためというよりは、優しい相棒の手を不要な血で汚して欲しくないという思いがあればこそ。
結局二人とも、お互いの心で思うものはあるのだ。
「でも、これでイーシャの復讐は終わったことになるね。これからはどうするのかな?」
「そういうあんたはどうすんのさ?」
「ううん。実はあんまり考えてないかなぁ。まあ、適当になんとかなるよ。きっと」
「やれやれ。気楽すぎだね」
イーシャは苦笑したが、今は彼女の気楽さが心地よかった。それだけ、重い荷がひとつ消えたということか。
「ねえ、ティス。だったら一つ頼みがあるんだけどさ」
「何。頼みって?」
「あたしさ。このまま大陸に渡ろうと思うんだけど、一緒に旅をしてくんないかな」
「どうしたの急に。故郷はどうするの?」
「あたしら部族はひとところにとどまるのって苦手でね。特にあたしはそういう性格が強いのさ。それに今回の一件で、大陸の連中ってのがどういう奴らか気になってね。スーグリみたいな奴もいれば、あんたみたいな奴もいるだろ。色々と見てみたいのさ。故郷の連中は、あたしがいなくてもうまくやっていけるだろうしね」
サリサたちの供養をして生きるのも悪くはないが、それで一生を終えるには、イーシャは若すぎる。
「ね、どうだい? あたし一人だと大陸の流儀もあんまり知らないしさ」
「それがイーシャの願いだったら、私は断る理由もないよ」
ティスは快諾した。それに思いだした。〈聖宿〉クミナレアリースの言葉を。
『遥か西の島に、あなたの助けを待つものがいます。その者を支え、共に運命に立ち向かうことこそ、あなたに課せられた聖戦』
この言葉は、復讐のことを言っているのではなく、ひょっとして今のことを言っているのではないのか?
だとしたら、このまま彼女を一人にさせるわけにもいかない。
イーシャは今回の事件で哀しき過去を背負ったが、いま新たな道に進もうとしている。それを支えることはティスにとっての使命でもあるのだ。
もっとも使命云々など関係はない。ティスにしても、イーシャと別れるには早いと思っていた。
「これからもよろしく頼むぞ。相棒」
「こっちこそ。良い旅をしようね」
イーシャが差し出す手を、ティスはしっかりと握る。
それは温かく、力強い握手だった。この手が、サリサの時のように力なく崩れぬようにイーシャは願う。
(サリサ。あたしは、こいつと一緒に今までの自分でありつづける。だから見守っておくれ)
イーシャはこの大地に眠るであろう友に誓った。
そして、ここからは新たなる友との絆がはじまる。
〈了〉
あとがき
終わりました。三回にわけて書き綴ってきた「誓いと絆」。
今回は少し遅れちゃいましたが、予定よりはそんなに遅れてませんよね(言い訳)。
ま、それはともかく。イーシャの復讐の旅はひとまず幕を閉じました。でも、この先も旅は続くという終わり方です。構想だけでいえば彼女らの旅は、長編・短編あわせても、あと七つほど頭の中にあります(笑) また機会があれば書き綴っていきたいものです。
・・・・・・というか、絶対書きそうだな。私なら。
何せこれから彼女らが渡る大陸も、設定だけはかなりありますし、出したいキャラクターも山のようにいる状態。
異世界ファンタジーは自分にとっての原点でもある分、ホントやりたいことは多いです。こんな私の作品ですが、この先もよろしくお付き合い願えれば幸いであります。
おまけ
この作品では〈聖宿〉なる存在が出てきましたが、イーシャやティスたちの〈聖宿〉を含め、その他の〈聖宿〉なども簡単に公開しておきます。この先、色々と想像して読むのも楽しいかも? ちなみに〈聖宿〉は全部で六体います。
1.ラヴァルトレイス
●役目:公正にして静かなる監視者 ●姿形:紫の衣を纏いし賢人
●象徴:自然、調和、眠り、祈り ●色:紫、緑
2.クミナレアリース
●役目:冷たき運命を導く者 ●姿形:白銀の剣を携えし片翼の乙女
●象徴:羽根、聖戦、憂い、抱擁 ●色:銀、青
3.アポルトブルト
●役目:厳格なる試練を与えし者 ●姿形:黄金の角を持つ黒い大男
●象徴:力、勇気、炎、道 ●色:金、赤
4.リリフティノア
●役目:知識の求道を奨励せし者 ●姿形:書物を携えた温和な女性
●象徴:文字、甘え、夢、鏡 ●色:茶、黄
5.ウルバミム
●役目:混乱を生み出す道化者 ●姿形:白い顔を持つ王者
●象徴:欲望、君臨、笑い、平穏 ●色:黒、白
6.メルニオーフ
●役目:流れを生み出す探求者 ●姿形:鈴の歌声をもつ母親
●象徴:別れ道、音、子供、血 ●色:水色、真紅
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