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 誓いと絆(前編)

 

〜プロローグ〜

 

 夢の中・・・・・・。

 その中には、もう一人の自分がいる。

 声が響く。

 その声は、自分の心の内より響くものだった。

 何よりも懐かしく、そして、何よりも身近に感じるものの声だった。

 ティンクティアノーゼの第三王女、ティオメナース・レ・ラフォルトは、いつものようにその声に心を委ねる。すると、彼女の目の前に声の主が姿を現した。

 そこに現れたのは、白銀の剣を携えた片翼の乙女。母の抱擁よりもあたたかく、父の厳しさよりも冷たきもの。

 片翼の乙女は、憂いを帯びた瞳でティオメナースを見つめ、おごそかに告げた。

「我、あなたを冷たき運命に導きます」

 ティオメナースは静かにうなずいた。以前より、覚悟はしていたことだから。

「遥か西の島に、あなたの助けを待つものがいます。その者を支え、共に運命に立ち向かうことこそ、あなたに課せられた聖戦」

 それも知っていた。だから、素直に受け入れるつもりでいる。

 けれど。

「〈聖宿〉様。私は自分に課せられた聖戦から逃げるつもりはありません。でも、私が助けるべき相手はどのような人なのですか?」

 それは知らなかった。正確には、今まで教えてもらえなかったといえる。

「・・・・・・あなたが助けるのは、哀しき過去を背負う娘」

 〈聖宿〉と呼ばれた片翼の乙女は、そう告げた。

「哀しき過去を背負う娘?」

「いかにも。それ以上のことは、あなたが聖戦に赴けば、おのずと知ることになるでしょう」

 〈聖宿〉の言葉に、ティオメナースは押し黙った。今はこれ以上のことを訊ねても、無意味に思える。

 でも、哀しきものを助けるのが自分のつとめだとすれば、それは大事なことだと思えた。放っておくことなど、自分の良心が許してくれそうにない。そうすることが、王女としての生活を捨てることであってもだ。

 幸い、ティオメナースは第三王女だ。よほどの事態でも起きない限り、その存在が重要視されるほどの立場にある訳でもない。ましてや彼女は、他の姉たちと違って、正妃から生まれた訳でもない。妾の子供・・・・・・つまりは妾腹の姫という存在だ。

 ティオメナースを生んだ実母は、彼女が幼い頃に亡くなっている。それに、姉たちや義母との関係は、お世辞にも良好とはいえなかった。それだけに、この国に残りたいという未練もない。

「ティス」

 〈聖宿〉が、ティオメナースを愛称で呼んだ。

「あなたに・・・・・・我が剣〈エルンフェリス〉を与えます。これを手にした時、あなたは冷たき運命に導かれ、自分が成すべきことを知るでしょう」

 剣が目の前に差し出される。

 ティオメナースは、小さく息をのむ。これを手にした瞬間、すべてがはじまるのだ。

 だが、もはや迷いはなかった。ティオメナースは、白銀の剣をその手に取る。

「私の〈聖宿〉クミナレアリースよ。私はあなたがもたらす運命に導かれ、自分に課せられし聖戦に赴きます」

 それは剣の誓い。

 そして、すべてのはじまり。

 

 

   1 宴の夜に

 

「居た」

 草むらのかげに潜みながら、娘は自らが追っている獲物を見据えた。

 彼女の視線の先には、大きな角をもった三つ目の鹿がいる。並みの鹿とは訳が違う。その大きさたるや、普通の鹿の2倍近くはあるだろうか。この鹿は、ア・ザーク島のガルティア平原にのみ棲息するフーバという生き物だ。

 それを狙う娘は、ぐっと息をこらえて、手に持った長弓を構えた。矢をつがえる瞬間には緊張も高まる。

 朝はやくに狩りに出て、夕方の今、ようやく追い詰めた獲物だ。そう簡単に逃すわけにはいかない。どうにかあのフーバを仕留めて、持ち帰らなければならない事情もあるのだから。

 幸いにして、フーバにはまだ気付かれていない。緊張のはしる中、娘はしっかりと狙いを定め、そして矢を放った。

 短く風をきる音が響いた後、その矢は狙いをあやまることなく、獲物の首に突き刺さる。

(やった!)

 娘は、心の内で快哉をあげた。

 フーバはすぐに倒れることはなかったものの、しばらくも暴れると、段々とその動きは弱くなっていった。そして、数秒と経たないうちに、その巨体を草原に横たえることとなる。

 もはや、動く様子もない。

 娘はじっくりとそれを確認した後、草むらから飛び出して、獲物に近づいた。

 娘は若かった。短く切りそろえた黒髪と健康的に日焼けした肌。背はそれほど高くないものの、体型は女性の割にがっしりとしており、顔には溌剌とした笑みが浮かんでいる。

 彼女の名前は、イーシャという。

「へへへ。これを持ち帰ったら、サリサのやつ驚くだろうな」

 仕留めた獲物を、イーシャは満足げに見下ろす。

 少なくともこれで目的は達成。手ぶらで帰ることだけは、避けられたようだ。

 問題はこれをどうやって持ち帰るかだが、これだけの巨体となると彼女一人で引きずってかえるのも難しい。

 イーシャはしばらく考えた後に、腰に下げた山刀を引き抜いた。別段、全体を持ち帰る必要はないので、必要な部分だけ解体して持ちかえればよいのだ。

「とっとと終わらせないとね。でないと婚礼の儀式まで、集落に帰れなくなっちまう」

 もはや日は暮れつつある。

 イーシャの集落では、今夜一組の男女が婚礼の儀式をとりおこなう。伴侶となるべき二人のうち、男の方は集落を束ねる若長で、女の方はイーシャの友人でもあるサリサという娘だった。

 フーバの解体を進めながら、イーシャは花嫁となるサリサの姿を想像した。自分とは違って、女らしく慎ましやかなサリサは、集落の皆に人気のある娘だった。婚礼の話がまとまった後、花嫁衣裳の試し着をした彼女を見たことがあるが、その姿は同姓のイーシャから見ても美しく思えたぐらいだ。

 今夜はちゃんとした化粧を施した上で、また花嫁姿のサリサを見ることができる。そう思うと、色々と嬉しくもあった。

 だが、何よりも嬉しいことは、幼い頃からの友人が幸せになることだ。最近知った話では、サリサの方も、昔から若長に気があったという。つまりは彼女の思いは叶ったということになる。

 サリサたち夫婦が、これからも幸せでいられるようにとイーシャは願う。そのためにも今夜の婚礼の儀式は、しっかりと祝ってやらねばならない。

 フーバの肉という最高のご馳走も、手土産に持ち帰ることができそうなのだ。とにかく今は、作業を急いで終えるだけだった。

 イーシャが属す部族〈緑を孕む風〉の集落は、ガルティア草原のほぼ最南端にあった。規模的には百人足らずとそれほど大きくもないが、集落のほとんどの人間は、それぞれが個々の技術に秀でたものの集まりだった。

 例えばそれは、珍しい細工物をつくる腕前であったり、立派な馬を育てる才能であったりと様々だが、最終的にはそういった技術の産物をもとに、大陸の商人たちとも取り引きをおこなっていたりする。

 そのためか、他の草原部族と比べると、比較的開かれた印象は受ける。

 イーシャが集落に帰り着いた頃には、すでに夜が訪れていた。当初予定していたよりも随分と遅れての帰還だけに、内心はかなり焦っている。

 集落のあちこちでは、かがり火がいつもより多くたかれ、集会を催す広場からは部族特有の楽曲の音が流れてくる。

 ひょっとすると婚礼の儀式はもう始まっているのかもしれない。イーシャはそう思い、儀式が行われている広場まで急ごうとした。

 その時。

「イーシャ! こんな時間までどこに行っていたのよ」

 突然背後からそんな声をかけられたものだから、イーシャはひどく慌てた。

「サリサ?」

 おそるおそる振りかえった視線の先には、見間違える筈もない友人、サリサの姿があった。ただ、その格好は以前にも見た花嫁衣裳である。

 青を基調とした布地に金糸の唐草模様が縫いこまれた花嫁衣裳。貞淑なる草原部族の美徳として、露出は極端に少ないものの、そういった地味さがかえってサリサの美しさを際立たせている。

 サリサは胸元で腕を組んで、イーシャをムスッと睨み付けており、機嫌の悪さがはっきりとうかがいしれた。

「ど、どうしたんだよ、サリサ。こんなところで。大体、婚礼の儀式とかはどうなっちゃったの?」

「あなたの質問は後。まずは、わたしの質問に答えて。どこに行ってたのよ」

 サリサの問いに、イーシャは肩を竦めた後に、手に持った荷袋を彼女の前に放り出した。

「これは?」

「さっき草原で狩ったフーバの肉。あんたたちの婚礼の祝いにと思ってさ」

「それじゃあ、これを狩るために朝はやくからいなかったの?」

「まあね」

「・・・・・・もう、別にそんな気は遣わなくてもいいのに」

 口ではそういうが、サリサの表情は心なしか嬉しそうだった。イーシャもそれを見て、ホッとする。

「せっかくのめでたい日だしね。これぐらいしないと悪いかなって思ったの。とにかく中も見てみなよ。本物のフーバの肉だよ」

 イーシャの言葉に促され、サリサは中身を確認した。

「すごい。本当にフーバの肉なんだ。でも、よく仕留めることができたわね」

「まあ、これが実力ってやつかな。あたしぐらい狩猟の達人ともなると、フーバの一頭や二頭、一撃さ」

「一撃!? 毒もつかわないで」

 サリサの言葉に、イーシャは乾いた笑みを浮かべる。

「ははは。正直言うと、ちょびっとばかりは麻痺毒を矢に塗ってたりして・・・・・・」

「おかしいと思った。フーバなんて生き物、一撃で仕留めるなんて難しいに違いないもの」

「でも、矢を一本しかつかってないのは事実だよ」

「はいはい」

 サリサはおざなりにうなずくと、イーシャの手を取って引っ張りはじめた。

「さあ、あなたも早く広場に来て。みんなもお待ちかねよ」

「ちょ、ちょっと。みんなお待ちかねって、婚礼の儀式はどうなったの!」

「まだ終わってないわよ。あなたが戻ってこないうちに、はじめる訳にもいかないでしょう? だから、どうにか無理を言って待ってもらってるの」

「なんで! 今夜の主役はサリサたちなんだから、あたしなんか待ってる必要なかったろうに」

「つべこべいわずついてきなさい」

 こうも強引にまくしたてられると、イーシャとしても従うしかない。

 しかし、なんだかなぁ、と思う。

 今夜の主役である花嫁に手を引かれるのは、なんとも奇妙な感じがする。これでは自分がサリサの花婿みたいではないか。

 もっとも、同姓である以上それは絶対にないし、イーシャにしてみても、その手の趣味はない。

 結局、なんだかんだと言っているうちに、彼女らは広場までやって来た。

 すでに部族の大半がこの場には集まっており、みんな思い思いの時を過ごしている。

「みんな。遅くなってごめんなさい。今、ようやくイーシャが帰ってきたわ」

 広場に着くなり、サリサは全員に伝わるよう大声で言った。

「さあ、イーシャもみんなに謝って」

「あ・・・ああ」

 周囲の目が集中する中、イーシャは申し訳なさそうに頭をさげる。なんとも情けない気持ちで一杯だった。

 その時、一人の青年がイーシャに近寄って声をかけた。

「おかえり。イーシャ」

 イーシャはその青年の姿を確認すると、今まで以上に深く頭を下げた。それは、この青年こそがサリサの夫となる人物で、この集落の若長であるスーニだったからである。

「若長。戻るのがおそくなってすみません」

 イーシャは、いつもの自分らしからぬ丁寧さで、若長に詫びた。

「かまわないよ、イーシャ。君が無事に戻ったんだからね。正直、サリサと少し心配していたんだが、君が戻った以上は婚礼の儀式も進められそうだ」

「申し訳ありません。あたしなんかのために、婚礼の儀式を遅らせてもらって」

「君のためじゃない。我が妻、サリサのためだよ。サリサは友人の君に祝ってもらうのを楽しみにしていたんだからね」

 若長スーニの言葉に、サリサもうなずく。

「それよりスーニ。イーシャがわたしたちの婚礼の祝いにって、フーバを狩ってきたのよ」

「ほお、それはすごいな。さすがはイーシャだ」

「別にたいしたものじゃありませんよ。宴のご馳走に、少しばかり華を添えようと思っただけですから」

 照れ笑いを浮かべるイーシャだが、誉められてまんざら悪い気はしない。

「では、フーバは後で料理人たちに任せるとして、さっそく婚礼の儀式を執り行おう」

 スーニはそれだけ言うと、あらためて部族の全員に向き直り、婚礼の儀式の開催を宣言した。すると、部族の人間たちから歓声が巻き起こる。

 こうして始まった婚礼の儀式は、ごく簡単なものだった。

 伴侶となる二人が、衣装から垂れる腰帯の先を互いに結びつけあい、そ状態のまま巫師の目の前で〈聖霊〉への祝福を乞うのだ。

 〈聖霊〉は部族の先祖の霊であり、それらへの礼儀を欠くことは〈血の絆〉を重視するこの部族にとっては許されるものではない。

 また、この婚礼が不当なる成り立ちのもと行われているとするならば、〈聖霊〉がその御姿を現し、婚礼そのものを中断させた後に、部族全体に試練を与えるという言い伝えもある。

 イーシャにすれば、そういった言い伝えを信じるたちではなかったが、あながち悪い風習とも思っていない。

 少なくとも婚礼がお互いの幸せを誓い合うものならば、それが不当なものであってはならないからだ。そして、その言い伝えを人々が畏れて受け継いでいく以上は、不当な婚礼など起こりようもないと思う。

 伴侶となる二人は、やはり幸せな関係にあるべきなのだ。今のスーニやサリサのように。

(しかし、まあ。ホント、似合いの二人だよなぁ)

 イーシャは儀式の様子を眺めながら、しみじみと思う。

 少しばかり憧れを覚えないわけでもないが、生憎と自分には相手がいない。

(他の男ってパッとしないしなあ)

 周囲にいる部族の男性たちは、イーシャにとってどれも並み以下の男ばかりだ。一人で大概のことをこなせる彼女にしてみれば、そういう風に周りを見るのも無理はないだろうが・・・・・・。

 婚礼の儀式が終わった後、場の流れは無礼講の宴へ変わってゆく。

 かなりの量の酒と料理が振る舞われ、人々は伴侶となった二人を祝福する傍ら、歌い踊る。

 普段は無口で無愛想な人間も、こういう時には饒舌な語りを見せたりするから意外なものだ。

「イーシャ。しっかりと飲んどるかね?」

 ぼんやりと宴の楽曲に耳を傾けていたイーシャは、ふいに声をかけられて我に返った。彼女に声をかけたのは、ブノンという名の中年男性だ。もっと詳しく言えば、今夜の花嫁、サリサの父親だった。

「おっちゃん。もうできあがってるのかい」

 イーシャは軽く目線だけを送って言った。

「あたりまえじゃ。なんてったって今夜は娘の晴れの日じゃからなあ。しっかり飲まんとバチがあたるわい」

「娘の晴れの日と飲むことって、全然関係ないんじゃないの?」

「細かいことは言いっこなしじゃ。それよりも、まあ飲め」

「わかった。せっかくだし頂こう」

 ブノンから差し出された杯を受け取ると、イーシャは一気にそれを飲み干した。かなりきつい酒だけに、少々めまいを覚える。

「いい飲みっぷりだ!」

 愉快そうにブノンが背中をたたくと、身体が揺れて余計に頭も回る。

「おっちゃん、たたくにしても手加減してよね」

「へへへ。そりゃすまねえな。・・・・・・それとよ、イーシャ。今までありがとうよ」

「どうしたってのさ。やぶからぼうに」

「なにね。サリサがああやって幸せになれたのも、おまえさんがあいつのことを妹のように可愛がってくれたからだと思えてな」

「あたしは別に何もしてないさ。確かにサリサのことは妹のように思ってた所もあるけど、それを言えば、おっちゃんはあたしの親代わりみたいなもんだったしね」

 イーシャには両親がいなかった。彼女の親は、イーシャが幼い頃に、病に冒されこの世を去ったのだ。

 それから先はブノンの元に引き取られ、十五歳の成人を迎えるまでは、サリサたちと共に暮らしてきた。

「親代わりか。そんなかっこいいもんかね。あんときはサリサも母親を亡くしたばかりで落ちこんでたからな。そんな娘の話し相手にでもと思って、おまえを引き取った。それが本音なんだがな」

「言わなきゃバレないものを」

 イーシャは笑った。

「どうも今夜は口が軽くなっていけねえや」

 自嘲気味な笑みを浮かべた後、ブノンは再び杯をあおる。

「なあ、おっちゃんはこれからどうするんだい? サリサが嫁にいった以上、一人になって寂しいんじゃないかい」

 イーシャはブノンの心の内を見透かしたように言った。遠慮のない一言ではあるが、こういう場合、はっきりと相手の心情をついてやるほうが、相手にとっても気は楽なはずだ。

 何よりもブノンは、話し相手を求めている。

「そうだな。そりゃあ寂しいさ。でもよ・・・・・・」

 ブノンは一呼吸おいて、言葉を続けた。

「別に遠くにいっちまうわけでもねえし、会おうと思えばすぐに会えるんだぜ。一番の難を言えば、世話をしてくれる奴がいなくなる分、これからの自分の生活が心配だな。なんだったらイーシャ、またワシのところにでも戻ってくるか?」

「冗談。今、おっちゃんのところに戻ったら、毎晩酒の相手をさせられちまう」

「大丈夫。酒は今後控えることにするって決めたんだ。サリサがいなくなったら、自分の身体は自分で管理するしかねえだろう。嫁にいったあいつにまで心配はかけたくないからな」

「へえ。ちゃんと考えてるんだ」

「当たり前さ。ワシも親として、サリサの恥になるような真似だけはしたくないからな。それにワシは、若長の義父でもあるんだぞ。そこらへんもきっちり自覚している。だから今宵の酒は、ワシにとって最後の深酒になるだろうよ」

 その言葉に、イーシャはしんみりとした表情になる。

「強いね。おっちゃんは」

 そして、心に決めた。今夜はとことんまでブノンにつき合ってやろうと。

「さあて、飲むか。おっちゃん」

 イーシャはそう言うと、近くの人間から酒瓶を借り受け、ブノンと自分の杯に酒を注いだ。

 その頃には、イーシャの狩ったフーバの肉も振る舞われ、宴は最高潮の盛りあがりをみせてゆく。

 イーシャとブノンは、今宵伴侶となった二人を見つめながら、ただ無言に酒を酌み交わしあった。

 こうして、草原の夜は更けてゆく・・・・・・。

 

 きな臭い香りがした。

 いつの間にか眠っていたイーシャは、ふと目を覚ます。

 頭の中は打楽器が鳴り響いているかのように痛い。かなりの量の酒を飲んだのまでは覚えているが、そこから先については、はっきりと記憶になかった。

 ただ、今自分が眠っている場所は、自分が普段つかっている天幕の中だとは理解できる。つまりはどうにかして戻ってきたのだろう。

 とはいえ身体は気だるく、頭のほうもぼんやりとしか働かない。

 イーシャは軽く寝返りをうった。

 まだ真夜中なのだろうが、天幕の外は異様に明るい。未だ宴の席はもりあがっているのだろうか?

 イーシャは響く頭を抑えながら、そんなことを思った。

 それにしても、少しやかましすぎやしないか。寝ぼけている彼女は、外の喧騒に少々の苛立ちを覚えた。

(まったく。もう少し静かにやってくれよ。眠れないじゃないか)

 不機嫌そうな気分で、そう思った時・・・・・・。

 彼女は、耳慣れぬ異様な音を聞き取った。

「いっ?」

 慌ててイーシャは飛び起きた。今、聞こえてきたのは、ひょっとして人の悲鳴ではなかったか。それもかなり切迫した様子の。

 どういうこと?

 だが、深く考えている余裕はなくなった。

 きな臭い香りが、天幕の中に充満しているのに気がついたからだ。どうも外から煙のようなものが流れ込んでいるようだが、どう考えても只事ではない。

 イーシャは反射的に天幕の外に飛び出した。深く考えるのは自分の主義にあわないと思えばこそだ。

 そして、外に出た彼女は、あまりにも意外な光景に言葉を失った。

 集落全体が燃えていた。

 まぶしいまでの炎の波が、集落のあちらこちらで燃えひろがり、その先には見知らぬ姿の連中が、物騒な大槍を手に馬を操り、集落を駆け抜けて行くのが見える。

 そして、イーシャは見た。逃げ惑う子供の一人が、馬上の連中らの槍によって串刺しにされるのを・・・・・・。もんどりうって転んだ子供は、そのまま槍に刺されたまま地面を引きずり回される。

 あの子供の命については、もはや絶望的と言わざるを得ない。

(あいつら、なんて非道な真似をするんだ!)

 その瞬間イーシャの中で、プツリと何かが切れた。

 そして、彼女は自分の天幕に飛び入るなり、狩猟でつかっていた長弓と、今は亡き父の形見である長剣を持ち出した。

(何者かは知らないけど、これ以上の好き勝手をさせてたまるか)

 イーシャは外に出て、馬上の連中がいた場所まで走る。すると、ほどなくしてその者たちの姿が確認できた。

 馬上の連中は、新たな獲物・・・・・・集落の老人たちを追いたてるのに夢中の様子だった。

「当たれっ!!」

 イーシャは立ち止まって素早く矢をつがえると、馬上の連中の一人に向かって、それを放った。

 すると矢は見事に命中し、目標の脇腹に深く突き刺さる。

 仲間の一人が傷ついたのを見て、残りの連中たちもイーシャの存在に気がつく。その数は、いま負傷した者を含めて三人。全員が男であることが見て取れた。

「おまえら。無力な老人や子供を追い立てようなんて、大の男がすることかよ。今度はあたしが相手だ!」

 イーシャは身振り手振りをまじえて、馬上の男たちを挑発する。正直、後先考えぬ行動ともいえたが、今は冷静な判断よりも、怒りの方がまさっていた。

 その後の男たちの動きは案の定だった。イーシャのことを女だと思って甘く見たのか、まだ無傷の二人が馬で迫ってくる。

 だが、イーシャも黙って迫らせはしない。もう一度矢をつがえると、即それを放つ。

「ぐぁっ!」

 矢は再び狙いあやまたず目標の一人に当たり、そいつは馬上から転がり落ちた。

 残りの敵は一人。もはや目前まで迫りつつある。

「死ねやぁぁぁぁぁぁ、小娘ぇぇぇっ!」

 男が吠え、馬上から大槍を突き出してきた。

「うわぁっと!」

 イーシャは身体ごと地面に転がって、どうにかその一撃を避けた。そして、ある程度の距離をとってから、彼女は態勢をたて直し、剣を抜く。

 その頃には男も馬を向き直らせ、イーシャに再び挑みかかろうとする。

 少々腰がひける思いだったが、イーシャは長剣をしっかりと構えた。そして、何を思ったのか彼女は、馬上の男めがけて一気に走り込んだ。

「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 馬上の男が行動を起こす前に間合いがつまる。さすがにこれには男も意表をつかれたのか、反応が遅れた。

 イーシャはその好機を見逃さない。なりふり構わず剣を叩きつける。

 その途端、彼女の目の前で鮮血が舞った。イーシャの振るった剣が見事、男の胴を切り裂いたのだ。

「はぁはぁはぁ」

 彼女が肩で息をする中、男は馬上から地面に落ちる。どうやら絶命しているようだった。

 無我夢中の事とはいえ、随分と無茶をしたような気がする。父親の剣は彼女が持つには少々長く、いまさらながら肩にずっしりと重みがのしかかる。

 人を手にかけたこと自体は、それほど気にはならなかった。今までも野盗の類となら戦ったことはある。

 イーシャは我に返ると、追われていた老人たちの元へ走った。

「大丈夫かい。爺さんたち」

「イーシャか。すまんのお。助かったわい」

「一体、これはどういうことなんだい?」

 老人たちを助け起こしながら、イーシャは疑問を口にした。そして、老人からもどってきた返事は、彼女にとっても驚くべきものだった。

「〈赤い風の獣〉が攻めてきよったのじゃ」

「何だって!?」

 〈赤い風の獣〉は〈緑を孕む風〉と同様、ここガルティア草原部族の一つである。本来は草原の北に領域をひろげ、〈緑を孕む風〉とも決して仲は悪くなかった筈だ。

 そんな部族がいきなり攻め入ってきたというのだから、イーシャにもにわかには信じられなかった。

「おい、爺さん。それは本当のことなんだろうね!」

 イーシャは目の前の老人を乱暴に揺すってしまう。慌てて他の老人たちが、それを止める。

「落ちつくんじゃ、イーシャ。それは間違いなく事実じゃ。奴ら、若長の婚礼祝いを持参したと称して集落に入ってきよった。しかしその後、奴らと対面した若長が・・・・・・」

 老人はそこで言葉を切り、悲痛な面持ちでうつむいた。

「ちょっと。若長がどうしたっていうのさ!!」

 叫ぶイーシャも、嫌な予感はしていた。そして案の定、彼女の想像した返事がかえってきた。

 若長のスーニは殺されたと・・・・・・。

「・・・・・・なんてこと」

 イーシャは頭の中が真っ白になる思いだった。

 〈赤い風の獣〉は、一体何が目的で攻めてきたのか?

 どうして、スーニが殺されなければならない。

 そして、サリサは。

「サリサ?」

 そうだ。サリサはどうなったのだ。

 イーシャは我に返ると、再び老人たちに向き直った。

「ねえ。爺さんたち。サリサはどうなったの?」

「それはわからん。若長がやられた後は、もはや混乱の極みじゃ。ワシらも逃げるので精一杯じゃった」

 イーシャは軽く舌打ちすると、立ちあがった。そして。

「サリサを探してくる!」

 それだけ言うと、老人たちの制止の声も聞かずに走り出した。

 燃え盛る集落の中は、まさに地獄のような光景だった。多くの同胞たちの死体が無造作にころがり、また積みあがっている。それも、男、女、老人、子供を問わずだ。ありとあらゆる者が、突然の不幸に対処するまでもなくとどめをさされていた。

 炎の熱気の漂う中、血の匂いと、肉の焦げる嫌な匂いとが充満する。

 イーシャは胸の詰まる思いだった。心の内からは、ふつふつと怒りがこみあげてくる。

 だが、その怒りをぶつけるべき相手の姿は見えなかった。もっとも、それは幸いといえたのかもしれない。仮にこの場に敵がいて戦いを挑んだとしても、彼女に勝てる保証などどこにもないのだから。

 集落の人間を、不意打ち同然とはいえここまで追い詰めた連中だ。それなりの数だっていただろう。

 悔しさと哀しさが入りまじる中、イーシャはサリサの姿を求めて集落の中を歩き回った。

 そして、しばらくさまよった後。イーシャは倒れているサリサの姿を見つけることになる。

「サリサっ!」

 イーシャはサリサの側にかけよった。

「しっかりしろ、サリサ。サリサぁっ!!」

 サリサを抱き起こしながら、イーシャは必死に彼女の名前を呼んだ。

「・・・・・・うっ、ううう・・・うう」

 小さな呻き声が、サリサの口許からもれる。

「サリサ。目を覚まして。あたしだ。イーシャだよ」

「・・・・・・イ、イーシャなの?」

 うっすらとだが、サリサの瞼が開く。

「そうだよ。わかるかい、イーシャだよ。すぐに手当てしてあげるからね。今、包帯と薬草持ってくるから」

「・・・・・・待って。手当てはいいの・・・だから、どこにもいかないで。行ったら、お別れが、言えなくなっちゃ・・・・・・う」

「馬鹿! 何、言ってんだよ。死にたいのかい」

「どのみち、もう、長くないよ、わたし」

 サリサの手が弱々しくのびてきた。イーシャは唇を噛み締めて、その手を握ってやる。

 指先が絡み合うと、サリサは薄く微笑んだ。

「イーシャは、無事・・・・・・だったんだね」

「あたしが、そう簡単にくたばるもんか」

 答えながらもイーシャの目からは涙が溢れてきた。友人の手の力が段々と弱くなっているのが、嫌でも伝わってくる。

「泣いてるの、イーシャ? ごめん、ね。悲しい思いさせて、本当に・・・・・・ごめんね」

「サリサが謝ることじゃないよ。悪いのは〈赤い風の獣〉だ。あんたが悪いんじゃない!」

 どんなにこらえようとしても、涙は止まらなかった。

「わたしね、未だに信じられないの。スーニが殺されて、父さんもわたしを守ろうとして、死んで・・・・・・」

「おっちゃんも?」

 イーシャは愕然となった。

「一体、どうして、こんなことに、なっちゃったんだろうね。わたし・・・・・・わかん、ないよ」

「〈赤い風の獣〉は、何か言ってなかったのかい?」

「・・・・・・わたしたちは異端なんだって。だから、粛清されなきゃ・・・ならないって」

「異端!? 粛清? どういう意味なの」

「よくわかんないよ。・・・・・・そんなの」

 サリサの指の力が、ふっと緩む。

「サリサっ!」

 イーシャは慌てて指に力をこめる。すると、それに応じるように、サリサの指にも軽くだけ力が入る。

「お願いがあるの。イーシャ」

「何、遠慮なく言ってごらん」

 おそらくこれが最期の言葉かもしれない。そう悟ったイーシャは、できるだけ穏やかな声で彼女の願いを促した。

「わたしがいなくなっても、イーシャは、いつものイーシャで、ありつづけて、ね」

「それがサリサの願いなら」

「・・・・・・よかった」

 その言葉を最期に、サリサは息をひきとった。

 イーシャは彼女の亡骸を抱え込むと、声を殺して泣いた。

(サリサ。約束した直後で何だけど、あたし、そう簡単には、いつもの自分に戻れそうにないよ)

 肩を震わせながら、彼女は何度も心の中でつぶやいた。

(あたしは嘘つきかもな)

 花嫁衣裳のままのサリサを見ていると胸が痛む。これからの幸せを前に、理不尽な死をとげた友人。

 イーシャは、この哀れな少女の冥福を心から祈った。

 

 

あとがき

 どうも〜、沙絵です。SHORT STORY第4弾「誓いと絆(前編)」をお届けします。

 今回は久しぶりに異世界ファンタジーな作品を書いてみました。何だか急に書きたくなったからです(爆) しかも、今までこのHP上で書いてきた作品と比べると、かなり血なまぐさいお話かもしれません。色々とギャップがあったら、すみませんです。

 とはいえ、こういう異世界ファンタジーものは、私にとっての原点みたいなもんです。「剣と魔法」の世界って、昔も今も憧れるものがあります。現代世界では見られないような、不思議に満ちた国や土地。そして、伝説や伝承に彩られた太古の遺跡や、おそるべき魔物。こういったファンタジーには、ホントさまざまな魅力があるものです。

 勿論この物語・・・・・・というか、世界観にも、そういった要素はかなり詰めこんではおります。

 今回のこの世界は、私こと滝沢沙絵の創作した「ヴァルナレード」という世界が舞台になっております。昔はこの世界を扱って、同人なんかで短編などを書いていた時期があるのですが、どれも今一つの部分がありました。短編としてのテーマ性には沿っていたのかもしれませんが、この世界独特の魅力を出しきれなかった感があるのです。

 そこで今回は、そういった世界独特の魅力も書きつつ、新たな物語を紡いでいこうと考えた訳です。まだ、はじまったばかりで判断のつきづらいものもあるかもしれませんが、温かく見守っていただければ幸いです。

 とりあえずこの「誓いと絆」は、全三回の更新となります。ですから、あとは中編と後編ですね。

 次回の中編では、友と故郷を失ったイーシャが、プロローグで登場したティオメナース(愛称ティス)と運命の出会いを果たします。

 そんなわけで、この二人の主人公が出会ったところから、本当の始まりはあるのかもしれません。次回を期待していただければ、嬉しいです(笑) 

 

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