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Blood Rebirth「〜二人〜」

 

 

 

 真っ赤な月の輝く夜。女は濃厚な血の匂いに酔っていた。

 その足元には、喉を鋭利な刃物で裂いたかのような、男女二人のむごたらしい遺体が転がっている。二人は女の“獲物”として殺されたのだ。

 犯人の女の手は血にまみれていた。時代錯誤な肩をむきだしにした黒いドレスも、返り血でどす黒く汚れている。

 だが、それ以上に目立つのは獣を彷彿とさせるような赤く輝いた目。

 そして赤い口元。それは紅をひいたとかではなく、肉を喰らい血を啜ったがゆえのもの。

 犠牲者の喉を裂いた凶器はみあたらない。そんなものはこの女に必要ないから。

 凶器はこの女の肉体そのもの。なぜならこの女は…………

「また派手にやったものね。低俗な“化け物”らしい品のない行いといえばそうだけど」

 女から数メートルと離れない位置から、凛とした少女の声が響く。

 “化け物”と表現された女が声の主へと振りかえると、そこには二人の人間が立っていた。

 片方は十代半ばくらい。栗色の長い髪を持つ清楚な服装の少女。もう片方は背が高く、理知的な顔立ちをしたスーツ姿の青年。

 二人は殺人を犯した女に対して、臆する様子もなく対峙する。

「何者?」

 女は舌なめずりをしながら問う。

「あなたの“主”を探している者よ。居場所を教えて頂戴」

「何故、教えなければいけないの?」

「“わたし”が訊ねているからよ。これ以上の口ごたえは許さなくてよ、“化け物”」

 少女の言葉に女は微笑を浮かべる。ただそれはどこかしら醜いものだった。

「ねぇ、あなた。その化け物という言葉、撤回なさい」

「口ごたえは許さないと言った筈よ」

「あたしは低俗な化け物じゃないわ。主に“永遠”を授かった超越者なのよ」

 話は噛み合っていなかった。少女は諦めにも似たため息をもらす。

「食屍鬼(グール)ごときが超越者だなんて笑わせないで。“主”によって下等吸血鬼にすらされなかったあなたなんて、低俗な化け物としかいいようがないじゃない」

「違う。あたしは立派な吸血鬼よ。主の血を与えられ、彼と共に“永遠”を生きる至高の存在」

「血を与えられたら誰でも吸血鬼って訳でもないのよ。それに吸血鬼が至高の存在だなんて思い上がりもいいところだわ」

 少女は目を伏せて肩を竦ませる。

「うるさいわねぇ、小娘っ!」

 言うが早いか、女は獣のような跳躍力で少女に飛び掛った。爪が刃物のようにぎらりと光る。

 そのときだ。

「危ないっ、イリス」

 今まで黙っていた青年が少女と女の間に割って入り、女の攻撃を腕全体で受け止めた。

「レイ?!

 少女は青年の行動の方に驚きはするものの、すぐ我に返って反撃に転ずる。

 素早い動きで身を翻して女の背後に回りこんだ少女は、そのままの勢いで手刀を突き出す。そしてそれは女の心臓を貫いた。

「…………………!」

 女の目が驚きに見開かれる。普通の人間であれば即死しているところだが、食屍鬼(グール)の生命力も吸血鬼並みだ。

 だが、その強い生命力と再生能力をもってしても、それを超える力にはかなわない。女の心臓を貫く少女の爪も、まるで狼のように鋭いものだった。

「これが本物の吸血鬼の力よ。格の違いを知りなさい」

 少女はそれだけ言うと、女の心臓を簡単に握りつぶす。こうして食屍鬼(グール)はあっけなく滅んだ。

「レイ、大丈夫?」

 一息つく間もなく、少女は青年の方へと心配そうに向き直る。

「平気だ。傷はそんなに深くもないし、これくらいならすぐに再生もするよ」

「だからといって無茶はしないで。わたしがあんな食屍鬼(グール)ごときに遅れをとる訳ないんだから」

「ごめん。頭ではちゃんと理解しているつもりだけど、万が一でもイリスが傷つくかもしれないって思うと、じっとしてられなくてね」

 青年のその言葉に、イリスと呼ばれた少女は頬を赤らめる。それから胸に手を当て、軽く深呼吸してから嬉しそうにはにかむ。

「レイは優しいね。その気持ちはとても嬉しいよ」

「男として当然のことを言ったまでだよ。もっとも、かえって足手まといになっているから威張れることじゃないが」

「足手まといとはいわないけれど、レイにはあまり吸血鬼としての力を使ってほしくないの。これはあなたが忌み嫌っていた力だし、それを行使してあなたが苦しむ姿はみたくないわ」

「ありがとう、イリス」

 二人は静かに見詰め合った。

 イリスもレイも吸血鬼という種族であるが、そこには互いを慈しむような関係がみてとれた。

 もっとも同じ吸血鬼とはいえ、イリスとレイでは格の違いはありすぎる。イリスは第二世代の血族によって生み出された第三世代の吸血鬼。一方のレイは第六世代の吸血鬼に血を授けられた第七世代。

 吸血鬼の始祖を第一世代とするならば、世代が古いものほど血も濃く、その力も神懸かり的な強さを誇る。特にイリスのような第三世代は始祖の孫ともいえる存在にあたるだけに、現在に生きる吸血鬼の一族の中でも飛びぬけて高貴な立場ともいえた。

 ただ、イリスは世代こそ古いが、吸血鬼になって十年にも満たない新生種なので精神的にはまだ幼い。彼女は何百年も生きてきた第二世代に、この現代において血を与えられ吸血鬼になった者だから。

 またレイの第七世代もイリスなどには到底及ばないものの古い血族には分類される。そして彼もここ数ヶ月の間に吸血鬼とされた者だった。加えて言えば、彼は完璧な吸血鬼ともいえない。レイは“奴隷”と呼ばれる下等吸血鬼なのだ。

 吸血鬼は、別の吸血鬼によって血を吸い尽くされ、そこにその吸血鬼の血を与えられる事(これを“抱擁”と呼ぶ)によって誕生する。そしてその時、“主”に与えられる血の量でどのような吸血鬼になるかが決まってゆく。

 一滴だけの血を与えられたのなら吸血鬼にも満たない食屍鬼(グール)に。二滴だけの血なら“奴隷”と呼ばれる吸血鬼に。三滴目の血でようやく真正のひとり立ちした吸血鬼になるのだ。

 レイの“奴隷”という立場は、吸血鬼としての能力を持つ反面、血を提供した“主”には逆らえないという弱点がある。心を呪縛され、“主”の望むままに動かされるのが“奴隷”だから。

 けれど、レイの心は終止呪縛の影響を受けている訳でもなかった。これは彼の心が強いとかではなく、彼の“主”が“今だけわざと”心を縛るような真似をしなかっただけにすぎない。それはある種の悪趣味な戯れでもあり、イリスという少女への挑発でもあった。

 レイはイリスにとっての想い人だったのだが、ある事件をきっかけにグラハムという吸血鬼の“奴隷”にされたのだ。想い人の心を奪い、それをいつでも操る事ができるというグラハムの行いは、イリスにとってこのうえない屈辱だった。

 その後、グラハムは姿を消し、いまも世界のどこかに存在する。

 故に彼女はグラハムを追って旅をつづけている。彼に受けた屈辱を返し、レイを元の人間に戻すためにも。

 少なくともイリスはレイに吸血鬼としての運命を背負わせる事を望んではいない。そして、幸い“奴隷”という段階にあるのならば、“主”の吸血鬼をたおすことによって、まだ人へと戻れる可能性はある。

「それにしても…………痛々しい光景だ」

 レイは食屍鬼(グール)の犠牲者になった二人の遺体をみて悲しげにつぶやいた。

 本当ならばもっと冷静さを失ってもよいような光景だが、平静に観察できる自分の変化にも複雑な気持ちを覚える。

「そう思うのは大事なことよ。そういった人間性を失ったら、レイは力の虜になってしまうわ」

「さっきの食屍鬼(グール)みたいになるってことか。……いや、案外、もうそれに近いのかもしれないな。あの遺体を痛々しく思う反面、流れる血を啜ってみたいという衝動もあるんだからね」

「今のあなたは吸血鬼だから、その衝動は仕方ないわ。それに力を少しでも使えばお腹は減るものね。けれど今は我慢して。なんでも手当たり次第に“食べ”つくしていたらお腹を壊すわ」

 イリスは言葉の最後のほうを、子供に言い聞かせる母親のような調子で言った。

「わかっているよ」

 レイも吸血衝動をぐっと抑え込み、少女の言葉に頷いた。

 吸血鬼にとって、誰かの血を啜るという行為は生きていく上でも必要不可欠なものだ。しかし、ある程度であれば普通の食事でも代用は効くし、血を啜るにしてもほんの数滴でも吸えば生きていける。

 つまりは、相手を殺してしまうほど血を吸う必要なんてどこにもないのだ。殺してしまうほど血を吸う吸血鬼は、完全に血の味を覚えて歯止めのきかない連中のみ。現代に生きる吸血鬼たちにとって、そういう連中は思わしくない。

 あまり目立って大きな“狩り”を行えば、吸血鬼という存在は世間に明るみになり、自分たちの存亡にだってかかわるのだから。

 いかに吸血鬼が大きな力を持つとはいえ、それに比例して人間もそれなりの力を持っているし、何よりも数が多い。全面的な戦いになればどちらが不利かは明白である。

「けれど、この食屍鬼(グール)からは背後にいる吸血鬼の手がかりを得られなかったのは残念だな。せめて背後にいるのがグラハムかどうかくらいは知りたかったが」

 レイはそう呟いてから、イリスに向き直った。

「この地方でおきている猟奇事件の背後に、グラハムが絡んでいる可能性はどれくらいだと思う?」

「正直を言えば、低いと思うわ。グラハムは悪趣味で何を考えているのかわからない奴だけど、ここで起きている事件は別の意味の悪趣味さを感じるの」

「ならばもうこの土地は立ち去るかい?」

「そういう訳にもいかないでしょう。こんな節操の無い騒ぎを起こされたのでは、ひっそりと掟を守って暮らしている吸血鬼にはいい迷惑だわ。それにわたし…………人間が好きだし、無意味に命を奪われていくのを見るのは好きじゃない」

 イリスのその言葉に、レイの表情はふっと和らいだ。

「いい子だね。君は」

 そういわれて少女は少し頬を赤らめる。見た目相応の可愛らしい反応。

「あ、あたり前のことを言っただけよ。だって人間たちは限りある人生の中で素晴らしい芸術を生み出したりできるもの。永遠を生きる吸血鬼には中々真似のできないことよ。わたしはそういう部分に惹かれるの」

「でも、永遠に生きられる方が芸術を極める事だってできるんじゃないかな」

「無限の時間は終着点がないのと同じよ。区切りが無いからいつまでも惰性が続いて、結果的には何も生み出せないの。あと吸血鬼全般にいえることだけど、吸血鬼っていう生き物は怠惰で時間の使い方が下手くそなの」

「永遠であるが故に、その時間をもてあますといった感じかい?」

「そんなところね」

 イリスはそこで一旦言葉を区切り、この場を離れようと告げた。

 辺りに漂う濃厚な血の香りは、我慢していても吸血衝動に訴えかけてくるものがあるから。

 

 

§

 

 

 吸血鬼というものは、やはりあまり陽の光を得意とはしない。

 イリスほどの吸血鬼ともなれば、長時間でなければ昼間でも動き回れるが、その能力は大きく制限される。よって、そんな効率の悪いことをするくらいなら、昼間は充分に休息をとることを選ぶ。

 こうして二人は昼間の間はホテルで眠りにつき、夕刻前に目を覚ました。

 今、イリスたちはホテルの部屋で、いくつかの夕刊紙に目を通している。

 夕刊には、昨夜この町で起こった猟奇殺人以外に、近隣の町でも同様の事件が三件あったことを報じていた。どの事件も被害者が食い荒らされているという点では共通しているが、距離のある町でも被害者の死亡推定時刻が似通っていることから同一犯である可能性は低いとも書かれていた。

 よって、警察も犯人像の特定に難航している。

 だが、一般常識の枠におしこめて犯人像を推理しても、なかなか真実にいきつくことは難しいだろう。何しろ、この事件の犯人は一般の人間とは異なる価値観の生き物なのだから。

 むしろ三流新聞に書かれているような「現代社会に怪物現る?!」といった突飛な見出しのほうが真実なのだから皮肉もいいところだ。

「どうやら複数の食屍鬼(グール)が暴れまわっているみたいね。無節操もいいところだわ」

 一通りの夕刊に目を通した所で、イリスは呆れたようにうなだれた。

「でも、こいつらの無節操にみえる行動も、何者かの意図が絡んでいるんだろ?」

 レイの問いかけにイリスは小さく頷いた。

「ええ。裏で糸をひいている吸血鬼は必ずいる筈よ。そいつが何を考えているのかは未だに想像しにくいけど」

「せめてもう少し手がかりがあればな。地道に食屍鬼(グール)を片付けて、本命の吸血鬼が表に出るのを待つしかないのだろうか? そいつに何か目的があるとすれば、俺たちに“領地”を荒らされるのは好まないだろうし」

「それもひとつの手段ではあると思うけれど効果的ではないわ。一匹ずつ食屍鬼(グール)を狩った所で、また複数の食屍鬼(グール)を生み出されたら埒もあかないでしょ」

「たしかにそうだね」

 レイの表情が曇る。そんな彼を慰めるように、イリスは優しく告げた。

「でも、手がかりの心当たりがない訳じゃないのよ」

「それは?」

「昨夜はあまり意識しなかったのだけれど、あの食屍鬼(グール)からは下水の嫌な匂いがしたわ」

「奴らは下水道にでも潜んでいると?」

「可能性としてはね。あともうひとつ、それを裏付ける根拠もあるの。吸血鬼の一族の中には、下水道などの地下を利用して独自の“勢力”を持っているものたちもいるのよ。そしてそいつらは人や動物を食屍鬼(グール)にして使役することも多いわ」

「なるほど。地下の下水道というのは盲点だったかもな。今夜はそこを調べてみようか」

 納得と同時にそう提案するレイだが、イリスは憂鬱そうにため息をついた。

「どうかしたのかい?」

「正直、下水道なんていう可能性は無視したかったのはあるわ。あんなところ、喜んで入りたいとは思わないでしょ」

「確かに女の子なら尚のことだろうな」

 言わんとする意図を汲み取ってもらえてイリスは心の中で喜んだ。やはり愛する人には、吸血鬼としてより女の子として見てもらえる方が嬉しいのだから。

「あともうひとつ言えば、地下にいる連中には本能的な嫌悪感があるの。その吸血鬼の一族は、吸血鬼社会でも疎まれている呪われた存在だけにね」

「どういった奴らなんだい?」

「禁忌を犯したのよ。自分より上の世代の吸血鬼を罠にかけ、相手の血を根こそぎ吸い尽くすことで世代を若返ろうとしたから」

「いわゆる“世代越え”というやつか」

 イリスは頷いた。

 吸血鬼は自分よりも上の世代の吸血鬼から血を吸い尽くす事で、相手の世代の力を得る事ができる。だが、それは吸血鬼社会においては大罪とされる行為でもあった。人間でいえば親を殺すのと似たような意味をもつ。

「近年では、そういう狂った願望を持つ吸血鬼も少ない訳じゃないけど、一番最初にその禁忌を犯そうとしたのがこの一族なの。でも企みは失敗し、それを知った始祖に強力な呪いをかけられたの。そして彼らは醜い姿にかえられ、以後は地下世界に潜む事になったのよ」

「哀れなものだね」

「自業自得よ。同情なんていらないわ」

 イリスはそっけなく言い放った。この様子からしても、彼女がその一族を快く思っていないのは明らかに見える。

「けれど、地下で勢力を持っているということは、今はもうその土地で馴染んでいるということかい?」

「そういうこと。環境の変化に適応し、それを甘んじて受け入れることで彼らは安住の地を得たのよ。そして今ではひとつの“国”ともいえるほどにその勢力は肥大している。しぶとすぎるわ」

「でも、ある意味では感心するね。逆境にも耐え抜いたということだから」

 イリスの気分を損ねやしないかとも思ったが、レイは素直な感想を口にした。少なくとも彼自身、吸血鬼にされる前はしがない絵描きで、さまざまな逆境の中で自分を磨いてきた分、共感を持てる気もしたのだ。

「認めるのは癪だけど、今のあの一族は決して愚か者ではないわ。皮肉な話だけど、大罪を犯したことによる悔いから、今では慎重で思慮深い一族になっているもの」

「無用な過ちを犯さないようにするためにかい?」

「ええ。でも、そうであるからこそ、ひとつだけ引っかかることがあるの。今回の事件で起きているような無節操なやり方は、彼ららしくないとも思えるし。彼らはその醜い姿ゆえ、普通の吸血鬼以上に目立つようなことは避けたい筈だもの」

「不必要に目立つ事は自分たちの存亡にもかかわる訳だしね」

 レイは頷いてから、また口を開く。

「とりあえず今夜はどうする?」

「乗り気ではないけれど、地下にはいくわ。確認くらいはしないといけないでしょうし」

「気がすすまないなら、俺一人でも調べてくるが」

「心遣いは嬉しいけれど、わたしからこの土地に残ると言い出したんだからその責任は取るわ。それに、吸血鬼の知識も流儀もわたしのほうが詳しいんだし、厄介ごとが起きた時だって対処はできるでしょ」

 新生種とはいえ、イリスのような真正の吸血鬼は親の持っていた膨大な知識を受け継いでいる。その知識をどう活かすかは当人の器量しだいだが、正しく使いこなせれば何百年と生きた吸血鬼とも対等に渡り合える。

「なんだか君に守られてばかりのようで申し訳ない気もするな」

「そんな風に考えないで。お互いに得手不得手はあるんだから、それを補完しあっているくらいに思って欲しいわ」

「そういうものなのかな」

 レイはまだ少し納得のいかないような顔ではあったが、イリスは「そういうものなの」と一蹴した。

「さ、そんなことよりも先に腹ごしらえをしましょう。起き掛けにはどうかと思うけど、血のしたたるようなお肉でも食べたい気分だわ」

「胃がもたれそうだね」

「ふふ。別にお肉にこだわる必要もないけどね」

「イリスの希望のもので付き合うよ」

「それならお肉で決定。一応、この町についてからいいお店のほうも調べておいたからそこに行きましょう」

 レイは彼女のそういうこまめさに苦笑を漏らした。

 

 

§

 

 

 地下に広がる下水道という世界は、一種の結界であり異世界でもあると感じさせる。

 マンホールの入り口ひとつをくぐるだけで、今まで認識されていた世界とは異なる感覚が飛び込んでくるのだから。

 じめじめとした重い空気、殺風景で色の少ない景色。下水から漂う微かな臭気も気分を滅入らせてくれる。これでも大昔の下水道と比べれば、幾分かマシなのかもしれないが…………

 そんな異世界にイリスとレイは下り立った。周囲は勿論暗いが、吸血鬼である二人にはこれくらいの闇など問題にはならなかった。だから懐中電灯などのあかりに頼る必要もない。

 二人は、とりあえず地下の世界を歩むことにした。

「さすがに広そうだな」

 しばらく歩いたところでレイのほうが口を開いた。下水道が迷路のように入り組んでいるのもそうだが、地図などもなく全体を把握できないことから、余計にそういう風に感じさせる。

 イリスのほうは下水道に入ってからというもの、ずっと無言を保ったままだった。

 あまり乗り気でもなかったようだし、気分が優れないのかもしれない。レイはそう思った。

 しかし、このまま沈黙というのも何だか気まずいものはある。別にイリスが悪いとかいう訳ではないが、こういう異質な空間では会話でもして気を紛らわせない事には息がつまりそうだった。

 時折、ネズミらしい生き物の鳴き声がきこえるが、そういうものでも無いよりはマシに思える程なのだから。

 そんな時、イリスがようやく口を開いた。

「食屍鬼(グール)がいるわね」

「…………なんだって?」

 レイは少し身構えて周囲を見渡すが、それらしい影は見えなかった。

「わたしの感じた食屍鬼(グール)はネズミよ。食屍鬼(グール)は必ずしも人の成れの果てとは限らないんだから」

「そうか。確か動物も使役するみたいなことを言っていたよね」

「あのネズミはおそらく偵察のものね」

「しかし、ここにそういうものがいるということはイリスの読みは当たっていたということだな」

「そうなるわね。ま、こちらのことも気づかれてはいる訳だけど、無駄に歩かされるよりは手っ取り早い手段がとれて助かるわ」

 イリスはそれだけ言うと、今度は下水道内に響けとばかりに呼びかけの声をあげた。

「この領域を根城とするモーンデルスの一族よ。わたしはアルスライン家のイリス。ここの主とお目通り願いたいのだけど」

 多少の皮肉をこめた呼びかけより数十秒。くぐもった笑いを伴った声が奥より響く。

 そして、何者かが音も立てずに視界内に現れた。薄汚れたボロ衣で全身をすっぽりと覆った、いかにも怪しい風体の者が。

「ようこそ、我が領域へ。私はモーンデルスの一族に連なる者の一人でスマーフ」

 スマーフと名乗った者は、顔こそは見えないが、衣の奥から聞こえる声は張りのある男のものだった。

「アルスラインの一族の方がこのような場所においでとは珍しい」

「来たくて来た訳でもないけどね」

「でしょうな。絶対の美を愛でるアルスラインの方が、このような“ゴミ溜め”に興味を抱くとは思えませんしな」

「ならば、わたしたちの来訪の理由は察しがついているかしら?」

 不毛な問答は気分を不快にさせる。これ以上、関係ない話をさせないためにも、イリスは強い語調で話を切り出す。

「地上に放っている食屍鬼(グール)のことですな」

「そうよ。無節操な猟奇殺人を繰り返しているアレよ。あなたがやらせていることなの?」

「そうですよ」

 スマーフはあっさりと認めた。

「何の目的があって? ああいったやり方は吸血鬼社会で快く思われていないわ。それはあなたの一族でも一緒ではなくて?」

「まあこれは一族がどうのというよりは、私個人の意思みたいなものですがね。目的のひとつは我々“化物”の存在を人間たちに認知させること。そしてもうひとつは、その人間たちが我ら吸血鬼を滅ぼす為に乗り出すこと」

 イリスは露骨に眉をひそめる。

「訳がわからないわね。それじゃあ、あなたにも危機が及ぶんじゃなくて?」

「ええ。それも望みですから」

 そこまで言うと、スマーフは顔を覆っていた布を取り、すさまじく醜い素顔を晒した。

 ぐちゅぐちゅに溶けた肌と頭髪の抜けおちた頭。腫れ物のような瘤もいくつか見受けられ、鼻と耳は腐り落ちていた。口元からは黄ばんだ乱杭歯が覗き、異臭が漂ってもくる。これがモーンデルスの一族に延々と受け継がれる呪いの影響。

「私の姿はこの通り異形です。一族にかけられた呪いとかのせいでね。この呪いのせいで自分たちはこのような地下世界に潜むことになった。ですが、私はそれが悔しいのですよ。他の仲間たちのようには割り切れないのです」

「モーンデルスの一族の中では変わり者というわけね」

 イリスは嫌悪を隠す事もなく言い放つ。

「変わり者という表現は好きではありませんな。人間性が強いと考えていただきたい。そもそも我ら吸血鬼は、人間性と獣性の狭間で葛藤する生き物。私は吸血鬼になる前の人間性を失うまいと様々な思索にふけりました。でも、その結果の先にわかったのは、我らはどうあがいてもあさましい“化け物”であるということ。そして、現代の吸血鬼社会は間違っているということです。我ら一族だけが蔑まれ、他の一族は大罪を犯しても呪われないという不公平さ。少なくとも他の吸血鬼たちも同じ“化け物”同士であるというのにね。だから彼らも思い知る必要があるのです。“化け物”は人間とは相容れない存在だということを。自分たちは人間に認知されれば、迫害を受ける存在であることを」

「要はあなたの一族だけが、不遇な目に遭うのが納得いかないとでもいいたいのかしら?」

 イリスの言葉にスマーフは薄い笑みを浮かべる。

「身もふたもないことをいえばそうなりますな。とにかく言える事は、吸血鬼は全て“化け物”なのですよ。そして今の吸血鬼社会は腐り果てている。そんな社会は滅んだ方がいい」

「狂っているな」

 今まで言葉を発さなかったレイがポツリと口を開いた。

「あんたにはもう人間性など微塵も残っていない。普通の人間では持ち得ないような価値観を築いている自体でな」

「偉そうなことを言うあなたは何様ですかな? 失礼ながら真正の吸血鬼とは雰囲気も違うようだが」

 値踏みするようなスマーフの言葉にレイは何も答えなかった。ここで正体を告げるのは、忌むべきグラハムの“奴隷”であることを認めるようで嫌だった。

 そんな彼の気持ちを察してか、イリスが代弁する。

「彼こそが“人間”よ。まっとうな人としての理性を持ち合わせている者」

 これはイリスの切なる願いでもあった。肉体こそは吸血鬼であっても、心は人間らしさを保ち続けてほしい。そうでなければ彼を人間に戻す事もできないのだから。

 そして、もうひとつ言えることは、イリスは彼の人間としての生き方を愛している。無意味に永遠の時を重ねるような、つまらない存在にはなってほしくなかった。

「アルスラインの姫君。あなたまで私を狂人扱いするのですか?」

「それ以外に何だというの。今のあなたは人間社会でも吸血鬼社会でも狂っている存在にしか思えないわ」

「やれやれ。やはり話にはならないようですな」

「絶対とする価値観が違いすぎているもの。とりあえず、あなたもその考えを変える気はなさそうだし、こちらも実力であなたを排除させてもらうわ」

「短気な姫君ですね」

「警告や忠告なんて意味はないでしょう? あなた自身、滅んでもいいと願っているくらいなんだから。だから、あなた一人だけで消えていきなさい」

 これ以上の問答は無用とばかりにイリスは身構える。

「短気な上に強気ですか。若い証拠だ。ですが、この地下は私の領域。いかに古い世代の血を引いている姫君とて、簡単に勝てると思うのは大間違いというものです」

 言葉の後、スマーフは口元を歪め、ネズミの鳴き声を真似た。

 それと同時に、どこかに潜んでいたのかネズミの大群が一斉に押し寄せ、イリスたちに襲い掛かる。

「鬱陶しいっ!」

 秘められた能力を解放し、イリスは腕の一振りでいくらかのネズミを薙ぎ払う。レイもそれに合わせて彼女がしとめ損なったネズミを落としてゆく。

 しかし、ネズミは次から次に押し寄せ、防戦へと追い込まれる。数が増えてくるに従って、さすがに無傷というままではいられない。

「このままだとキリがない。雑魚は俺が何とかする。イリスは隙をみつけてスマーフを」

 レイはイリスより前に進み出ると、群がろうとするネズミの大半を相手にしながら叫ぶ。

「ごめん。任せるわ。ほんの少しだけ辛抱してね」

 イリスはそれだけ言うと、素早い動きでネズミの群れをかわして、スマーフがいた位置まで駆け抜ける。

 しかし、そこにはモーンデルスの吸血鬼はいなかった。それでも禍々しい気配と異臭だけは消えていない。地下に潜む一族は、闇に溶け込む能力にも長けているのを彼女は思い出す。

 イリスは精神を研ぎ澄まし、特に異臭のする方を見やった。何も無いように見える場所に、うっすらとだが紫のオーラがみえ、それがこちらに向かってくる。

 紫のオーラは攻撃意思の色。アルスラインの一族は相手の感情をオーラの色でみわけることができる。

 ゴウゥッ!! 重くも鈍い風をきる音がイリスの目の前をかすめた。寸でのところで飛びのいたから攻撃は食らわなかったものの、前方には腕の筋肉が異様に膨れ上がったスマーフが立っていた。その手には血で錆び付いた斧が握られている。

「避けましたか」

「さすがにそんなので殴られるのは冗談じゃないもの」

「おとなしく攻撃を受けてくれればよいものを。美しい姫君を醜い肉塊に変えて差し上げましょうぞ」

 豪腕による斧が振り回されるが、そのことごとくをイリスは避けていく。そして隙をついて反撃に転じようとはするが、彼女の攻撃は盾として割って入ったネズミに阻まれる。

 スマーフの動きだけなら決して追いきれないものではないが、使役されたネズミの食屍鬼(グール)が邪魔すぎた。

「随分とやりにくそうですな。だから言ったでしょう。ここは私の領域だと」

「そうね。確かにここはあなたの領域。そんな場所でこれ以上はしたなく振る舞いすぎるのもどうかと思ったけど、もう少しだけ本気を出させてもらうわ」

「強がりを」

 イリスは何も答えず更なる力を引き出した。その目には一瞬だが赤い輝きが宿る。

 彼女はスマーフに対して踏み込んだ。

 その動きは常人の目では追いつかない素早さ。ネズミの食屍鬼(グール)たちは再び主を守ろうと動くが、それも一瞬で薙ぎ払われる。まるで小さな竜巻に翻弄されるように。

 そしてイリスは片手でスマーフの首をとらえた。溶け落ちた皮膚のぬめりとした手触りが気持ち悪い。この嫌な感覚から逃れる為にも、彼女は迷いなくとどめを刺す事を決める。

「さようならよ。あなたに滅びを与えてあげるわ」

 吸血鬼を“殺す”には首を落とすのが確実な手段。そうすることにより二度と復活することもない。

 しかし、その時だ。

「お待ちあれ、アルスラインのお方」

 今まで誰もいなかった闇の中より新たな声が響いた。そしてこう続く。

「その男が犯した罪は我が一族の不始末。断罪は我らでつけさせてもらえませぬか?」

 イリスは悟る。現れたのはモーンデルスの、別の吸血鬼のようだった。

「随分と遅かったわね。あなた方で裁く気があれば、もっと早くに解決はできたんじゃないの」

「ごもっとも。されど、無闇に同族を断罪するのも躊躇するもの。まずは慎重にその男の目的などを探らせてもらっておりましたがゆえ、対応が遅れました」

「ま、いいわ。わたしは正規の護法官でもないし、彼の処分はそっちに委ねるとするわ」

「感謝いたします。アルスラインのお方」

 感情のこもらない相手の声に、イリスは「ふんっ」と鼻を鳴らしてからスマーフを放り出す。

 そして、レイの元に戻りながら告げた。

「もうここを出ましょう。あとはわたしたちの出る幕じゃないし」

「…………信用してもいいのかい?」

「一族の者が裁きに出張ってきた以上は、彼らの領域でわたしたちが断罪をくだすのは礼儀に反するというものよ」

「そうか」

 少し釈然としない気もするが、愛すべき少女が無用に手を汚すよりはいい。だからレイも、それ以上は何も言わなかった。

 こうして二人は下水道を後にする。

 今はただ、ここで染み付いた不快な臭いを洗い流したいとイリスは思った。

 

 

§

 

 

 翌朝になってから、町の浮浪者たちの間ではひとつの噂が流れた。

 昨夜、町の地下より、この世のものとは思えない苦しげな呻き声が響いたというのだ。あまりにも不気味なそれは、三流新聞を賑わせる怪物の記事とも相まって、本当にそういうものが存在するんじゃないかとも囁かれた。

 もっとも、それを確かめるような勇気のある浮浪者は誰もいなかったが…………

 

「レイ。どうかしたの? 朝からずっとぼんやりしているわ」

 お昼過ぎ。カフェで食後のコーヒーに口をつけたイリスが、相棒の青年に話しかけた。

「ん? 特になんでもないよ」

 我に返ったレイは静かにそう答えるが、少女の方は納得していない顔だ。

「ウソよ。あなたのその様子は絶対に何か思い悩んでいるようにしか見えないわ」

「別に思い悩んでいる訳じゃないよ。ただ、少し色々と考えさせられることがあっただけで」

「ほらごらんなさい。なんでもないなんてウソじゃない」

 揚げ足をとるイリスにレイは苦笑いをする。

「気になっていたのならすまない。別に相談するほどのことでもないだろうって思っていたからね」

「本当にそうなのかしら。朝からほとんどうわの空だもの。心配にもなるわ。一体、何を考えていたの?」

 興味を持たれた以上、このまま何も語らないのでは彼女も引き下がってはくれないだろう。

 レイは諦めて話すことにした。

「俺たちにある人間性ってものについて少しね」

「また随分と難しいことを考えているのね。スマーフとのやりとりで、何か思うことでも増えてしまったのかしら」

「そんな感じだよ。あいつ自身は確かに狂っていたが、その言葉には必ずしも否定できないものも含まれていた」

「どういった言葉に引っかかりを覚えたの?」

 コーヒーに砂糖を足しながら、イリスは何気なく訊ねた。

「吸血鬼は全て“化け物”だっていう部分。それは俺も否定できない。人間と違うのは明らかだからね。そんな自分たちにはどれほどの人間性があるというのだろう」

 普段、イリスの事を気にかけている彼らしくない言葉。ある意味で、レイの吸血鬼というものに対する認識がどういうものであるのかが見えた気がする。

 だからといって、それに気を悪くするつもりもなかった。

 でも、ひとつだけ訂正しておこうとイリスは思った。

「人間と違うからって“化け物”と例えるのはどうかと思うわ。吸血鬼はあくまで吸血鬼。“化け物”なんていう言葉は、それに嫌悪を持つ者が使う蔑称にすぎないわ」

「すまない…………別にイリスのことまで悪くいうつもりじゃなかったんだ」

「それは気にしていないわ。ただ、今の自分たちを卑下してはいけないわ。別に吸血鬼であることを誇れとも言わないけど、己の存在そのものに疑問をもった時点で大抵の者は狂っていくのよ。人間性はそこから失われていくわ。自分が何者なのかわからなくなるから」

「イリス…………」

「人間性っていうのは人らしい本性。つまりは人間らしさ。わたしたちが吸血鬼だとしても、人であろうと意識して振る舞えば、簡単に失うものじゃないわ。それは忘れないで」

 優しく諭す少女。レイは少し恥じ入る。

 目の前にいるイリスは、限りなく人らしい心を持つ吸血鬼。そんな彼女を見ていると、さっきまで抱いていた人間性への疑問もささいなことに思えてきた。

 勿論、吸血鬼として逃れられない現実は多々あるだろうが、それでも今のイリスの言葉は充分な癒しにはなる。

「ありがとう、イリス。とりあえず今は、人らしく振る舞えることを大事にしてみるよ」

 そう言って手付かずだったコーヒーに口をつけたレイは、あまりの甘ったるい味にむせかえった。

「何だ、このコーヒー?」

「わたしが砂糖をたっぷり足しておいてあげたのよ」

「それにしたってこれは甘すぎるな」

 スプーンで掻きまぜると、カップの底には溶けきっていない砂糖がじゃりじゃりとたまっていた。

「うふふ。午前中、ロクにかまってくれなかった罰よ」

 悪びれもせずにイリスは言う。

「それにね、それくらい甘い方が男女の付き合う午後の雰囲気にはぴったりかもよ」

 

 

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【あとがき】

 久しぶりの短編です。読んでの通り吸血鬼が出てくる話です。

 書いたきっかけは「近代に生きる吸血鬼モノの話を書いて欲しい」というメールをサイトのお客様から頂いた所から始まってます。

 あとは、まんま趣味の赴くままに垂れ流しで書いてます(それでいいのか?)。まだまだ書き足りない部分はあるのですが、まずは私の中にある吸血鬼の世界ってのはこういう感じなんだくらいで。

 お読みになった方はわかるでしょうが、物語の主人公二人はある目的を持って旅を続けています。今回はその本題からすると番外的なお話の感じ。

 本題の方の構想もあるにはあるんで、また別の機会に短編で書き綴っていくか、長編で書き下ろすかはしたいですね。

 

 

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