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マロン

 

 

小さな秋

とても栗が美味しい季節

 

 

 

 私…………七宮 雛は、アイドル歌手というお仕事をしている。

 ファンの皆や大好きな彼氏の理解もあって、順調に活動はつづいている。それは、とても幸せなことだった。

 けれど、それに比例して忙しさも増していく。今日も雑誌に掲載するインタビューや歌番組の収録などに加え、最後には所属する事務所で新曲の打ち合わせ。

 過密なスケジュールが数日続くことは、今までにも無かった訳ではないが、そういう日々が続くと心身ともに疲労はたまっていく。

 弱音を吐くつもりは無いけど、さすがに仕事も終わると身体がぐったりとしてしまう。

 今も打ち合わせを終えたばかりの事務所のテーブルで、ようやく落ち着いたとばかりに息がもれる。

 時間は午前の1時をまわり、終電なんかもとっくに無くなっていた。

「雛〜。ぼけ〜っとしちゃって、大丈夫?」

 突如そんな声がしたかと思うと、背後から私より年上の女性が顔をのぞかせた。彼女は私のマネージャーの育野さん。とても頼りになる優しいお姉さんでもある。

「あんまり大丈夫でもないです」

 私はちょっと甘えるみたいに、そんな言葉を口にしてみた。

 すると育野さんは、おやおやという顔をして私の肩を揉んでくれた。

「ま、最近こんな時間ばっかりだもんね。さすがのあなたも疲れて当然よね。ホント、ごめ〜ん」

「別に誰も悪い訳じゃないんだから、謝ることなんてないですよ。皆さんだって遅くまで頑張っていたし、育野さんも私に付き合っている以上は大変じゃないですか」

「そうやってあたしのことまで気遣ってくれるんだから、雛って本当に優しい子よね〜。大好きだぞ〜」

 背中からぎゅ〜っと抱きつかれて、まるでじゃれられている感じ。でも、こういう気さくな接され方がたまらなく好き。まるで本物の姉妹のような気分にもなれるから。

 育野さんとこうしながら笑っていると、ほんの少しだけでも疲れが飛んでいくのだから不思議。

「さ、落ち着いたら帰る支度しましょ」

「はーい」

 今夜もまた彼女の車で、住んでいるマンションまで送ってもらうことになる。こういう事も含めて彼女のお仕事なのだ。だから、それを申し訳なく思うようにはしないで、純粋に感謝だけをする。

 こうして私は、帰る支度をしようと立ち上がった時だ。

 グゥゥゥ〜〜〜。

 急に自分のお腹がなって、思わず顔が赤くなった。育野さんにいたっては、プッと吹き出している。

「雛ってば、もしかしてお腹空いてる?」

「…………そのようですね」

 今までは気にしていなかったけど、改めて意識してみると空腹感があった。

「そういえば時間の都合で夕食もあまりとれなかったものね。じゃ、送って帰る途中でラーメンか何かでも食べていく? 美味しい豚骨のお店知ってるわよ」

「いや、さすがにラーメンとかはちょっと…………」

「雛、ラーメンは嫌いだっけ?」

「そんなことはありませんけど、この時間にあまりこってりとしたものは」

 それにあまり量を食べたいという感じでもなかった。

「だったらどうする。他に食べたいものがあったら、どこでも寄ってあげるわよ。この時間だと限られはするだろうけど、深夜でもやってるお店はあるでしょうしね」

「改めて考えると結構悩みますね。…………あ、そうだ。いいものがありました」

「何か思いついた?」

「ちょっと待ってください」

 私はそれだけ言うと、自分の鞄の中からあるものを取り出した。そして、それを彼女に見せる。

「じゃじゃ〜ん。これなんかどうでしょう」

「…………それって、天津甘栗じゃない」

「ええ。番組の収録が終わった後に、あちらのスタッフさんが沢山あまってるからどうぞって、くださったんですよ」

「それにしたって、四袋もあるじゃない。こんなに貰ってどうするのよ。雛はそんなに栗が好きだったの?」

「私で全部たべるわけじゃないですよ。半分は牧兎くんにあげようかなって思って。彼、栗が好きみたいなので」

「ふ〜〜ん。なるほどね、ウサギ君へのエサってことか」

 育野さんは意味ありげな笑みを浮かべて納得する。

「エサなんて言い方しないでください。それに牧兎くんは牧兎くんであって、ウサピョンじゃないです。私の大切な彼氏なんですから、ちゃんと呼んであげて欲しいです」

「あたし、ウサピョンとまでは言ってないけど」

「似たようなものです」

 そんなことを言い合いながらも、また二人で笑い合う。

 ちなみに私の彼氏である牧兎くんは、育野さんにも深く理解されている。事務所の側としては私と彼の関係をあまり快くは思っていないらしいけど、彼女だけは私と牧兎くんの仲を応援してくれているのが嬉しい。

「でも、栗なんかでいいの?」

「大丈夫です。これくらいが丁度いいかなって思ってますし。育野さんも食べてください」

 そう言って一袋の栗を、テーブルの上に広げる。

「…………結構な数があるわね。確かにこれだけ食べれば、少しはお腹も膨れそうね」

「遠慮なくどうぞ」

 育野さんは「はいはい」と苦笑しながら私の正面に座り、早速栗の皮をむき始めた。

「栗って食べるまで面倒なのが嫌なのよね」

 皮むきと格闘しながら、彼女はげんなりと呟く。

「鬼皮むくのも大変ですものね」

「かたすぎるわよ。繊細な女性であるあたしには向かない作業ね…………って、ちょっと雛、そこで意外そうな顔しない!」

「え? 私、そんな顔してませんよ〜」

「い〜や、してたわ。ま、いいわよ。どうせあたしは周りからみると、繊細とは無縁な女性なのよ」

「そんなことありませんよ〜。少なくともそんなこと気にしているあたりで、育野さんは繊細なんだなって思いますし」

 何だか話がヘンな方向に逸れてる気もするけど、とりあえずフォローだけはいれておく。

 けれど、私のこの一言に、育野さんは吹き出すように笑った。

「まったく雛ってば、そんな真面目にフォローしないでよ。そんな風に言われると毒気がそがれちゃうわよ」

「ヘンでしょうか?」

「うん。ちょっとね。でも、そんな天然気味のツッコミができるあたりが、あなたの魅力なのかもしれないけど」

「なんだか複雑な言われようですね」

「ま、深くは考えないでいいわよ」

 育野さんはそう言いながら、再び鬼皮をむくのに専念。でも、やはり苦労しているようだった。

 そこで私はあることを思いつく。

「ちょっと給湯室お借りしてもいいですか?」

「うん。それはかまわないけど、お茶でもいれるのかしら」

「熱湯を沸かしたいんです。それとこの栗も少し持って行きますね」

 テーブルに広げた栗をもう一度集めなおし、それを給湯室に持っていく。そして、小さな鍋を取り出してその中でお湯を沸かす。お湯が沸騰したら、鍋の中に栗を放り込む。

 それから待つこと十分ほど。熱湯からホカホカになった栗を取り出して、育野さんの元へ戻る。

「お待たせしました。これで食べやすくなった筈ですよ」

「栗でも煮詰めてきたの?」

「熱湯に浸けてきたんですよ。とりあえず皮をむいてみてください」

 私に促され、彼女は鬼皮をむく。すると。

「あら、拍子抜けするくらい簡単にむけた」

「でしょ? 熱湯に十分ほど浸けておくと、かたい鬼皮も簡単で且つ、上手にむけるんですよ」

「へえ〜。これは食べやすくなっていいわね」

「知っている人も結構いるかと思うので、そんなたいした知恵でもないのですけどね」

「あたしは知らなかったわよ。雛はお母さんにでも教えてもらったの?」

「いえ。自分で調べてみたんです」

「すごいわね。そんなのどうやって調べるんだか。栗の皮のむき方なんて本でもあるのかしらね」

「そんなストレートな本はないと思いますよ。私はお菓子作りの本で知ったんです。栗を使ったお菓子でも牧兎くんに作ってあげたら喜んでくれるかな〜って調べていたら、丁度鬼皮の簡単なむき方も載ってあったので」

「やっぱりウサギ君の為か〜。雛ってば献身的すぎ」

 苦笑する育野さん。

「そんなことありませんよ。私は別に自分の身を犠牲にしてないし、むしろ楽しんでやってますから。それに相手が喜んでくれたら、私だって嬉しいですから」

 大好きな人のことを想って、その人が喜ぶことを自分のできる範囲で行う。それはとても素敵なことだ。

 ここで重要なのは、無理に背伸びはしないこと。あまりに不相応な努力をしすぎても、相手に気を遣わせてしまうとかえって申し訳ないし、完全に自分だけの満足になってしまう。そこまでくると、本当に相手のことを想っているとはいえない気がする。

 何にしても適度なバランスは必要。もっとも、私も普段からはそこまで考えている訳ではないけどね。なんとなく育野さんの、献身的っていう言葉に引っかかって、こんなことを思ってしまっただけにすぎない。

「本当、ウサギ君は幸せものよねぇ。こんな優しい彼女がいるんだから」

「私は彼が幸せになってくれる彼女を目指してますから」

「あらあら。言い切っちゃったよ、この子は」

「何度でも言い切りますよ。だって私は牧兎くんが大好きですもの」

「その気持ちと同じくらい、ファンの皆だって大切にしてあげなさいよね」

「勿論ですよ」

「本当かしらね〜」

 育野さんは少し疑わしそうな目つきで、苦笑している。

「はい。大丈夫です。ファンの人たちには有り難い気持ちで一杯なんですから。その気持ちだけはいつも忘れていませんよ」

 私個人にとっての一番の支えは牧兎くんかもしれないけれど、アイドルとしての自分の支えはやはりファンなのだ。

 勿論、行き過ぎた想いを一方的にぶつけてくるファンはちょっと困るけどね。でも、余計な行き違いを起こさないためにも、私は素に近いままの私で頑張りたい。ありのままに近い自分を知ってもらって且つ、それでもファンに受け入れてもらえるなら、それがアイドルとしての七宮 雛の完成形だと思う。

「それならよろしい。ま、たまにこうやって確認したくなるのよね」

「私って信用なりません?」

「その逆よ。信用しているからこそ確認するの。あなたの純粋で素直な気持ちは、マネージャーであるあたしの活力にもなるのよ。雛がやる気満々だと、こっちも頑張り甲斐があるもの」

「そういってもらえると嬉しいです」

 私が微笑むと、育野さんも優しいお姉さんの目をする。

「雛ってば本当に可愛すぎ。こんな素直な子には、あたしも弘法大師みたいにご褒美をあげたくなるわね」

「あは。ご褒美いただけるのは嬉しいですね。でも、なんだって弘法大師なんですか?」

「栗を食べていて思い出したんだけど、雛は三度栗っていう昔話を知っている?」

「う〜ん。知らないです」

「雛は神戸の出身だから知らないのも無理はないか。三度栗っていうお話はね、静岡のお話なのよ。むかし、ある村に訪れた弘法大師が、栗を美味しそうに食べている子供たちを見て、自分にもその栗をくれませんかってお願いしたの。そしたら子供たちは素直に栗をわけてくれてね、弘法大師はそれに感動して、そのお礼として村に年三度、栗が実るようにしてあげたという昔話」

「不思議なお話ですね。子供たちもきっと喜んでそう」

「単純なお話だけど、素直な優しい心は人の心に響くという典型ね。三重県でも弘法大師が絡んだ三度栗のお話があるらしいけど、そっちはあまり詳しくは知らないわ。確か子供を空腹から救うようなお話だったと思うけど」

「へえ」

 単純な昔話でも、こうやって各地方でひろがっているのを想像すると、それはそれで面白い。ひとつひとつは小さなことでも、すべてをつなげ合わせると、大きな何かが見えてくるかもしれないものね。

「ま、三度栗の話は一旦おいておいて、あたしからのご褒美の話いくわね。再来週だけど、雛に三日間の連休をあげようと思うの」

「え! いいんですか?」

 突然の嬉しい申し出に私は目を丸くする。

「ええ。そのあたりのスケジュールとか変更がでてきてるし、うまくやれば空けてあげれそうだし」

「もしそうして頂けるなら、とても嬉しいです」

「わかったわ。じゃあうまく調整してあげる。雛もずっと頑張ってきたし、ゆっくり英気を養いなさい。でも、年末は今より忙しくなるから覚悟しておいてよ」

 軽くウィンクする育野さんに、「はいっ!」と元気良く返事。

 連休かあ。楽しみだな〜。

 一泊くらいの旅行もいいかもしれないし、日帰りで遊びにいくのも悪くない。

 でも、一番はやっぱり牧兎くん。彼の予定さえよければ、ず〜〜っと側にいたいなんて願望もある。

 もしあの人の側にいられるなら、何もしなくてもきっと幸せだから。

 それこそ一日ゆっくり、二人で笑顔で話しながら、栗を食べるなんてのも良いかな。

 

 美味しい栗の季節。その甘い味が、恋人たちに素敵な時間を与えてくれるなら…………ね。

 

 

〈了〉

 

 

あとがき

 雛は書き易いです。毎度、彼女の話を書くたびにそれを実感します。

 今回は栗を食べていたら、突発的に書きたくなったという感じです(爆) 特に深く考えていた訳でもなく、無意識のようにつらつら〜っと数時間で書き上げた短編です。

 牧兎こそ登場しませんが、相変わらず雛のおのろけは止まりません。ま、今回は雛と育野の日常の1シーンを綴ってみたかったというのは、多少なりともあるかも。

 育野マネージャーは私も書いていて好きなキャラだし、雛にとっての理想のお姉さんというつもりで書いてます。

 個人的には育野視点のお話も書いてみたい気もしますが、それはいずれ気がむいたらということでw

 

 

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