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 旅立ち前編 〜FINAL FANTASY XIより〜

 

 

 遥か頭上に、限りない青空が広がっていた。

 少女はそんな空を眺めながら、緑豊かな丘陵をのぼってゆく。

 ザルクヘイム地方にあるコンシュタット高地。少女はこの地を越え、バストゥーク共和国を目指す旅の途中だった。

 そんな少女の旅の道連れは二人。そのうちの一人は、小柄なタルタル族の魔道士。一見すると子供のような背丈であるが、この中では一番の大人だ。もう一人は、長い耳をもった長身痩躯のエルヴァーン族の戦士。

 そして、少女自身はヒューム族の騎士だった。もっとも騎士とはいえ、まだ駆け出しの身にすぎないが。

 そんな種族も職業も違う三人が、黙々と旅を続けている。

 彼女たちは、サンドリア王国から数日かけてこの地までやってきたのだった。

 ここまでの道中も決して平穏な道のりではなかったが、幸いにして大きな事故には見舞われていない。これも陽のあるうちに移動をし、夜には無理をしなかった結果であろう。夜は危険な獣人たちが活発になる時間だけに、それを避けていくだけでも旅の安全性は大きく変わる。

 そして今日も朝早くから歩き続け、現在は太陽が天頂にさしかかろうかという頃合だった。

「少し一休みするかね」

 一番先頭を歩いていたタルタル族の白魔道士カリアスがそう提案した。

「そうですね。朝からずっと歩き詰めな訳だし」

 少女もそれに賛成する。重い鎧に身を包んで丘陵をのぼっていただけに、いつも以上に体力を消耗が激しい。

 彼女は近くにあった岩に腰を下ろすと、大きく息をついた。

「団長。大丈夫か? 疲れていたのだったら、早いうちに言ってくれても良かったと思う」

 荷物から水袋を取り出しながらエルヴァーンの若者、リンクスが言う。

「これくらいなら大丈夫よ。適度に気も張っていたから、疲れはそれほど意識しなかったし」

「それならいいんだが」

「それよりもリンクス君。その団長って呼び方は止めてくれない? 幼馴染みのあなたにそう呼ばれるのは、なんだか他人行儀な気がしてならないのよね」

「そうもいかないさ。今の君は俺たち旅団のリーダーな訳だからね。普段から礼儀は欠く呼び方をしていては、今後先に仲間が大勢増えた時にも示しがつかない」

「でも、堅苦しすぎて息が詰まりそう」

 少女はうんざりとした表情で呟いた。

 確かにこの少女アムリエルは、いまや“小箱旅団(Little Box Brigade)”という一団を束ねる旅団長という立場にある。だが、良くも悪くも年若い彼女は、団長としての自覚に欠けている部分があった。

 リンクスとしては自覚を促す意味で、あえて堅苦しく呼んでいる部分はあるのだが、アムリエルにはそれが不満でならなかった。

「とりあえず我慢してくれ。組織では上下関係も大事なんだ」

「じゃあ、団長として命令。堅苦しいのは当旅団において禁止とします。上下関係が大事だっていうのなら、私の命令は絶対だよ」

「それは横暴というものだ」

 リンクスは眉をひそめて抗議した。

「口ごたえは許しません。これも団長命令よ」

 アムリエルは片目を瞑り、冗談めかしながら言った。

 なんとも子供じみたやりとりではあるが、険悪にならないだけ微笑ましい。離れた位置に座ってその様子を見ていたカリアスは、二人を見てそう思った。

 アムリエルを団長に推薦したカリアスとしては、彼女のああいった気さくな人柄を気に入ってもいた。

 あの少女には父親と同じか、それ以上に人を惹きつける魅力を感じるだけに。

 この“小箱旅団(Little Box Brigade)”は、国家や種族の垣根を越え、ヴァナ・ディール各地で暗躍する獣人勢力に対抗するべく結成された一団だ。

 元々はアムリエルの父親であるラグエル・リーゼンが旅団長となる筈だったのだが、旅団の拡大を良しとしない獣人たちの陰謀によって彼は殺され、その結果として娘の彼女が父の意思を継ぐことになったのがすべての始まりだった。

 旅団が結成されてそろそろ二ヶ月。まだまだその中身が充実しているとはいえないが、着実に大きくはなってきている。今回のバストゥークへの旅にせよ、新たな仲間を引き入れんが為のものだった。

 今の旅団に必要なのは頼れる人材を増やすことだ。それは年若いアムリエルを支える意味でも、急務といえる。

 カリアスは旅団の後見人であるが、彼一人の力だけではまだまだ足りない部分があるのだ。

(そういえば、ここはラグエルが志半ばにして果てた場所だったな)

 遠くに見える風車を見つめ、カリアスは昔戦友だった彼のことを思う。

 ラグエルとカリアスは、二十年前のクリスタル戦争で共に戦場を駆けた仲だった。だが、ラグエルは四ヶ月ほど前、バストゥークに向かう任務の途中で獣人軍の襲撃を受け、この地で非業の死を遂げたのだ。

(ラグエルよ。おまえの娘は、俺がちゃんと支えてやるからな)

 カリアスは改めて心の中で誓った。

 その時である。

「提督もこれいかがです?」

 アムリエルが側にやってきてカリアスにアップルパイを差し出した。カリアスはこの旅団において“提督”という呼び名で慕われている。

「ありがたく頂くとしよう。それより、もう論争は済んだのかね」

「あんなの論争ってほどのものじゃないですよ。適当にはぐらかして逃げてきました」

「それはそれは」

 カリアスは苦笑し、ある意味でリンクスに同情した。いつの時代もそうだが、活発な女性ほど御しえるのは難しいものだから。

「提督は何かお考え中だったのですか?」

「少し昔のことを思い出していただけさ」

「もしかして父のことですか?」

「ああ、そんなところだ」

「……そういえば、父はこの地で亡くなったんですよね」

 アムリエルは遠い目をして呟いた。

「悲しい気持ちにでもなったかね?」

「少しだけ。でも今は、悲しむべき時ではないと心得ています。そんな感傷にひたるよりも、前向きに頑張っていることを伝えたい気分ですから」

 丘陵の上から吹き抜けるオーディンの風と呼ばれる強風が、アムリエルの結い上げた髪を揺らす。

「残された人間が嘆き悲しんでばかりいては、亡くなった人に申し訳ないですからね」

「強いな、団長は」

 アムリエルは笑顔でその言葉を受け入れた。父のように強くありたいと思っているから。

「そういえば、バストゥークへはあと何日ぐらいで着くのでしょう?」

「今のペースで考えれば、あと一日半から二日といった所だな」

「無事に到着できることを祈りたいですね。ここまで来てしまった以上は」

 アムリエルは強くそう願った。

 旅の行程としては、既に半分以上は進んでいる。だが、いつ何時の油断も許されなかった。ラグエルは獣人の計画的な襲撃を受け、この地で倒れたのだ。そのことを考えても、自分達に同じことがないとは言い切れない。

 あと、現在の獣人たちが暗躍している陰には、二十年前に世界を恐怖に陥れた〈闇の王〉が復活したとの噂すらある。

 〈闇の王〉は二十年前のクリスタル戦争の発端でもあり、邪悪な獣人たちを統率し、各国の連合軍と熾烈な戦いを繰り広げた忌むべき存在だ。

 過去の大戦のことについては、アムリエルも伝え聞いてしか知らないが、二度と繰り返したくはない悪夢の時代であると言われている。

 もし再びそのような時代が訪れようものなら、人々はまた絶望するのであろうとも。

 アムリエルはそんな状況を見過ごしたくはなかった。自分にできることなどたかだか知れているとは思うが、それでも人々に希望を与えられる存在でありたいと願う。

 世界を救う英雄にはなれなくとも、小さな部分から誰かを救えるような、そんな英雄になりたい。

 それがアムリエルの現在における誓いでもあった。

「……もう少ししたら出発しましょう。今日中にはグスタベルク地方に近づいておきたいですしね」

 アムリエルの言葉に、カリアスとリンクスは頷く。

 それから三十分も経たないうちに、三人は再び荷物をまとめて歩きだしたのであった。

 

 

§

 

 洗練された白亜の街並みが、アムリエルの目の前に広がっている。

 コンシュタット高地を出発してから二日後の昼過ぎ。彼女たちはようやくバストゥーク共和国に辿り着いたのであった。

 故郷のサンドリア王国とはまた違った光景に、アムリエルはただただ息を呑むばかりであった。正直、ここに至る前のグスタベルク地方が荒涼とした岩石砂漠であっただけに、バストゥークの都市部も殺風景なゴツゴツしたイメージを持っていたのだ。

 だが、今はそのイメージを大幅に訂正しなければいけない。

 同じ石造りの建造物でも、バストゥークのそれは、新興国ならではの斬新な造りを感じさせる。

 アムリエルたちは、カリアスを先頭にクラウツ橋を渡り、商業区の中心ともいえる噴水前までやってきた。その近くでは露店などが出まわり、ちょっとした活気をみせている。

「さすがヒュームが発展させた街だけあって、ヒュームばかりだな」

 リンクスがそんな当たり前の感想を口にした。

「ここではあなたみたいなエルヴァーンは少ないみたいね。でも、私はヒュームだから同じ種族の人たちばかりで親近感あるなあ」

 今まではサンドリア王国でエルヴァーンに混じって暮らしてきたアムリエルだが、やはり同じヒューム族が沢山いるほうが親しみはある。

「団長はこの街を見て、何か懐かしく思うことはないかね」

 カリアスがふとそんなことを訊ねてきた。

「懐かしくですか? 何だってそんなことを?」

「君の生まれ故郷はこのバストゥークなんだよ。君の両親は元々この国の出身者で、ここで君を産んだ筈だからな」

「あ、そういえばそうか。でも、小さい頃のことはあまり覚えていませんね」

「まあ無理もなかろう。団長が三歳になる前に、君の両親はサンドリアへ赴任となった訳だからな」

「とはいえ、何も覚えていない自分も悲しいものがありますね」

 アムリエルは苦笑した。しかし、自分がいま感じているこの国への親しみは、生まれ故郷であるということを考慮すれば当然なのかもしれないな、とも思えてもきた。

 記憶としてこの街のことを覚えていなくても、本能的な部分では懐かしく感じているのかもしれない。

 そんな時、アムリエルの鼻にかぐわしい匂いが漂ってきた。それは少し離れた露店からのものだった。

「二人とも少し待っていて」

 アムリエルはそう言うなり、小走りで露店まで走り寄る。そこには美味しそうな串焼きが並べられていた。

「おじさん、これ四つほど頂けるかしら?」

「あいよ。千二百ギルね」

 アムリエルは代金と引き換えに、串焼きを両手に二本ずつ受け取る。そして仲間の元に戻ろうと振り返った矢先。

 誰かが彼女の胸にぶつかってきた。

「きゃっ!」

「にゃっ!」

 ぶつかった者同士は、お互いに悲鳴をあげてよろめいた。だが、アムリエルは鍛えた脚力で踏みとどまると、ぶつかった相手もどうにか支える。

「…………大丈夫?」

 落ち着きを取り戻しながらアムリエルは訊ねた。

 ぶつかった相手が男性ならば、ここまで落ち着けはしないと思うが、さっき聞こえた声は女性っぽいものだった。だから比較的冷静でいられる。

 そしてアムリエルの予想通り、ぶつかった相手は同じ女性であった。それも年若い少女だ。

 しかし、よく見ると普通の少女ともまた違っていた。

 その相手の頭には、猫のような耳がピョコンとくっついているのだ。おまけにお尻のうしろ当たりには尻尾までついている。

 こういう種族はアムリエルの知る中でもひとつしかない。ミスラ族のものだ。ただ、彼女もこんなに至近距離でミスラに触れたのは初めてなので、少し驚きはした。

 その時になって、目の前のミスラの少女もようやく口をひらいた。

「いやはや、勘弁ね〜。よそ見してたらぶつかっちゃってさぁ。お姉さん、ごめんね〜」

 ミスラの少女はアムリエルが呆気にとられるくらい気さくな口調で謝ってくる。

「う、うん。お互い怪我もなかったんだし、気にしないで」

「ありがと〜。お姉さんが優しい人でよかったわ。じゃあ、あたいは用事があるからこれで」

 ミスラの少女はそれだけ言うと、愛想よくこの場を立ち去って行った。アムリエルは両手の串焼きの無事を確認すると、今度こそ仲間の元へ戻る。

「まったく、いきなり離れて何をしているかと思えば」

 合流するなりリンクスが小言をいう。

「そんなブツクサ言わないの。お腹が減ってるかもしれないと思って、これを買ってきてあげたんだから」

 アムリエルはリンクスの目の前に串焼き二本を差し出した。

「よく言うよ。単に君が食べたかっただけだろうに」

 しっかり串焼きを受け取りつつも、まだ小言をいわれる。

 アムリエルは適当にそれを受け流し、カリアスにも一本の串焼きを手渡した。

「団長は俺たちがこの国に来た目的を忘れてないだろうな?」

 早くも串焼き一本をたいらげたリンクスが、確認をこめて問う。

「覚えているわよ。私たちは旅団に協力してくれる仲間を集めにきたんでしょ」

「そこまでは正解だ。なら、これから会う人物の名前はちゃんと覚えているか?」

「提督の旧い知人である、カルロスって人の協力を仰ぐんでしょ」

「ちゃんと覚えていたみたいだな」

「当たり前よ。リンクス君、そこまで私を信用してない訳?」

 心外だと言わんばかりの目で、アムリエルはリンクスを睨む。

 旅団への協力者を集めるべくやってきたアムリエルたちだが、何のアテもないままここに来た訳でもなかった。まずは彼女の言うように、カリアスの旧い知人でもあるカルロスという男を頼るつもりだった。

「提督。リンクス君がうるさいので、これを食べ終わったらカルロスさんという方の家にご案内願えますか?」

「うむ。そうだな」

 こうして軽い腹ごしらえを終えたアムリエルたちは、カリアスの案内で商業区を抜け、鉱山区の方へと向かう。そこにカルロスという男が住んでいるとのことだった。

 鉱山区はその名の通り、採掘や鉱山開発の拠点ともなる地区であり、バストゥーク産業の要となる場所でもある。そこにはヒューム族の他に、このバストゥークの主軸を担うガルカ族も数多く暮らしているという。

 ガルカ族はトカゲのような尻尾を持つ巨漢の種族で、その大きな見た目どおり、力のある作業に向いている。

 実際、アムリエルたちも鉱山区に入ってから多くのガルカを目撃し、その見事な体躯には少しばかり圧倒されていた。

「確かカルロスという御仁もガルカ族と言ってましたよね?」

 鉱山区をしばらく歩いた所で、リンクスがカリアスに確認した。

「ああ。カルロスはガルカだ。しかも達人の域に達したモンクでもある。義に厚い、気のいい男だよ」

「私、ガルカの人とはあまり面識がないから、お話するのが楽しみかも」

 アムリエルは好奇心をおさえられないといった表情で、そんなことを口にした。

 だが、その時である。

「オレたちガルカは、貴様らヒュームの好奇の対象じゃねぇぞ」

 突如、重く不機嫌な声が近くより響いた。確認すると、側をすれ違った見知らぬガルカがアムリエルを睨みつけている。

 そのガルカの左目には大きな傷がついており、他のガルカにはない威圧感が漂っていた。

 だが、そんなものに恐れて黙っているアムリエルでもなかった。

「私、なにか気に障ることでもいいましたか?」

 言葉こそは丁寧に返すが、口調は少し硬くなる。

「ああ。全て気に障るぜ。貴様らヒュームの存在自体もな」

「ちょっと。それこそ失礼なのでは?」

「失礼だと? 笑わせるな。貴様らヒュームは獣人以上に狡猾で薄汚い連中だろうが。そんな奴らに払う礼儀などもってねぇぜ」

 ガルカが憎々しげに言った。

「なんですって……!」

 アムリエルは思わず腰の剣に手をかけそうになるが、ぎりぎりのところで自制する。いくら暴言をはかれたからといって、これくらいで剣を抜くことは正しいとは思えない。

 相手に暴言をはく理由があるのならば、それを確かめるのが先決ではないだろうか。

 だが、アムリエルは相手の事情を知ることはできなかった。それをする前に、目の前のガルカは立ち去っていったからだ。

「…………なによ、あれ。ガルカのイメージが悪くなりそう」

 追うタイミングを逸した彼女は、小さく悪態をつく。

「あまり気にしない方がいい……と言いたいところだが、さっきのガルカの物言いはひどいものがあったな」

 リンクスも複雑な表情をする。

「獣人以上に狡猾で薄汚いって、あの人、ヒュームに何か恨みでもあるのかしら」

「この国はヒュームとガルカが共生しているとはいえ、お世辞にもうまく言っているとはいえんよ。種族間の意識の違いで、ちょっとした確執もあったりするからな」

 カリアスが言った。

 確かに種族の違いから、お互いの価値観が変わってくるのはアムリエルも理解している。彼女もエルヴァーン族に混じって暮らしていた頃、ヒュームというだけでちょっとした差別を受けたこともあった。

 だが、そういった差別は子供じみた低俗な発想のものであり、先ほどのガルカのように憎しみがこもったものではない。

「何にせよ、ガルカにも色々いるということだ。その点でいえば、これから会うカルロスは団長にも気に入ってもらえると思う」

 カリアスはそれだけ言うと、再び道案内をはじめた。

 こうしてしばらく歩いた後、三人はある一軒の民家に到着する。

「ここがカルロスの家だ」

「案外、普通の家なんですね」

 アムリエルがそんな感想をもらしたその時。

 玄関の扉が開いて、中から年若いヒュームの少女が現れた。

「あら」

 少女はアムリエルたちと目があうと、きょとんとした顔をする。

「お客さまですか? ここの家に何か御用で?」

「えっ。あ、はい」

 アムリエルはぎこちなく頷いた。無理もない。ガルカの住む家にきた筈なのに、中から出てきたのはヒュームの少女だったのだ。少しフェイントだったといえる。

「失礼だがお嬢さん。こちらの家にガルカのカルロスという男はいるかね?」

 カリアスが落ち着きを払いながら訊ねた。

「カルロスおじさまのお客さまなんですか!」

「ああ」

「そうですか。でも、わざわざ訪ねてきてもらって申し訳ないのですが、おじさまは留守中だったりします」

「留守?」

「ええ。しばらく修行の旅に出るとかで、もう半年以上も家を空けてます。ところで皆様は、おじさまとどういうご関係で?」

 目の前の少女は、アムリエルたちを見比べながら遠慮がちに訊ねた。ヒューム、エルヴァーン、タルタルといった組み合わせの三人だけに、珍しく見えるのだろう。

 だが、その時だ。家の奥からもう一人、誰かが現れた。

「ヨツバ、どうかしたのかい?」

 そんな言葉と共に姿をみせたのは、端正な顔立ちと引き締まった身体を持つヒュームの青年だった。

「あ、お兄ちゃん。実はカルロスおじさまを訪ねて、お客さまが来てるのよ」

 ヨツバと呼ばれた少女が青年にそう教える。

「おじさんの客?」

 青年はそう呟きながら、アムリエルたちに向き直った。

「突然、おしかけて申し訳ありません。私はアムリエル・リーゼン。このたびはこちらにお住まいのカルロス氏に用がありまして、サンドリア王国より旅をして参りました」

 アムリエルは軽く一礼しながら、そう告げた。それに続いてリンクスとカリアスもそれぞれ自己紹介する。

「そんな遠くからわざわざ。あ、オレの名はフォウ。こっちの彼女はヨツバ。オレたちは、ここのカルロスのおじさんの家で世話になっているんだ」

「フォウさんとヨツバさんですね。よろしくお願いします」

「そう畏まらなくてもいいよ。でも、カルロスおじさんを訪ねてきたということだけど、生憎とおじさんは留守なんだ」

「ヨツバさんのお話では半年以上も前から旅に出ておられるとか。いつ頃、お戻りになられるかはわかりませんか?」

「残念ながらそこまでは。一年ほどすれば戻るとは言っていたけど」

「そうですか。それはまだ先になりそうですね」

 さすがのアムリエルも落胆を禁じえなかった。長旅の末にここまで来たというのに、肝心の相手が留守なのでは話にならない。かといって、帰ってくるまで待つにも時間が長すぎる。

「お兄ちゃん。こんな所で立ち話もなんだし、中に入ってもらったらどうかしら?」

 ヨツバが気を利かせてそんなことを言う。

「そうだな。皆さんも長旅でお疲れだろうし、少し休んでもらうのもいいかもしれないな」

「でも……」

 何かを言いかけたアムリエルを、フォウは軽く制す。

「おじさんに会えなかったのは残念だろうけど、少しは休んでいってくれ。遠くからわざわざ訪ねて来てくださった客をもてなせないようでは、留守を預かるオレたちとしても面目がたたないしさ」

 フォウはそう言うと、アムリエルたちを家の中に招いてくれた。

 中は外からの見た目以上に機能的で、広い空間になっていた。三人は椅子を勧められると、それぞれ腰を下ろした。

「お茶をどうぞ」

 ヨツバがそれぞれの目の前に、温かいお茶をおいてゆく。

「ありがとう」

 アムリエルは礼を言うと、早速お茶に口をつけた。何かの香草がまじっているらしく、良い香りがする。程よい温かさも飲みやすく、疲れた身体に自然と染み渡っていくようだった。

「美味しいお茶ですね」

「来客用のとっておきだからね。気に入ってもらえたなら幸いだ」

 フォウがにこやかに言った。

「それよりも、君達はどういう用件でおじさんを訪ねてきたんだい? 差しさわりがなければ教えて欲しいんだが」

「それは……」

 アムリエルはカリアスにチラリと視線を向けた。旅団長とはいえ、まだ経験の浅い彼女は、判断に迷う話の場合は提督の意見を仰ぐようにしていた。

 カリアスはウムと頷く。

「カルロスの身内になら話しても問題はないだろう。我々は“小箱旅団(Little Box Brigade)”という組織のものだ」

「“小箱旅団(Little Box Brigade)”?」

「最近、活発となりつつある獣人勢力に対抗すべく、種族や国家の垣根を越えて協力しあえる同志を集めているんだ」

「クリスタル戦争時にあった、アルタナ連合軍みたいなものかい?」

「イメージとしてはそれに近い。だが、あの連合軍も当時の国同士の利害が一致しただけの関係にすぎん。クリスタル戦争後の各国の関係を考えればわかると思うが、表向きの友好はあったとしても、それは深く繋がった信頼とは申せぬ故な。我々はそういった国家の体面に縛られることなく、純粋に獣人たちに立ち向かえる者を欲しているんだ」

「それでカルロスおじさんにも協力を願いにきたと?」

「そんなところだ。まだ旅団は結成されたばかりで、正直なところ人員が足りん。そこで俺はカルロスに目をつけたんだ。彼は俺の旧友でもあり、義に厚いモンクだからな。年若い旅団長を支える意味でもベテランの力は必要だ」

「年若い旅団長って?」

「あ、それは私のことです」

 フォウの疑問に対し、アムリエルは自ら小さく手をあげる。

「君が旅団長だって? でも、女の子じゃないか」

 フォウは驚きの表情を浮かべた。偏見という訳ではないが、アムリエルはヨツバと同じくらいの年頃にみえる。そんな彼女が、旅団長などという重苦しい肩書きを持っているというのが意外だったのだ。

「フォウ殿が驚くのも無理はないな。彼女は団長という肩書きが似合うほど、威厳があるようにも見えないだろうし。だが、剣の腕だけでいえば悪くはない。彼女はこう見えて正規の騎士だからね」

「リンクス君。それ褒めてるの? 貶してるの?」

 アムリエルは憮然とした表情でリンクスを睨んだ。

「どちらというつもりもない。事実をありのまま伝えただけさ」

 リンクスは生真面目に答えた。そんな様子に気まずさを感じたのか、フォウが二人のやりとりに割って入る。

「すまない。オレも悪気があって言ったわけじゃないんだ」

「いいですよ。驚くのも無理はないと思いますから」

 アムリエルも自分が分不相応な立場にいるのはわかっているだけに、別に気にはしていなかった。

「でも、どうして君のような少女が旅団長なんかに?」

「元々は私の父がなる筈だったんですが、旅団設立の計画途中で獣人たちの陰謀によって殺されてしまって。それで私が父の意思を継ぐ形で団長になったんです」

「…………そんなことが。それは辛かっただろうね」

「もっとも、私を団長に推薦してくれたのはそこにいるカリアス提督ですが」

 カリアスも小さく頷いた。

「俺は彼女の父母とも旧い馴染みなんだが、彼女は父親譲りの不思議な魅力を持ち合わせているように思えてな。それもあって推薦したんだ。この旅団には、どんな種族の者とも分け隔てなく接していけるリーダーが必要だったからな」

「提督はそう仰いますが、私は自分の魅力なんてあまり理解はしていませんけどね」

 カリアスの評価に、アムリエルは少し照れくさそうに苦笑する。

「でも、単純に父の意思を継ぐというよりは、自分でもやりたいことがあるから団長という役目を引き受けたのはあります」

 アムリエルはフォウの目をみて言った。

「やりたいこと?」

「誰かを守れる人になりたいんです。獣人たちの動きが活発な今、私たちが頑張ることによって、少しでも誰かの希望になれたらと思いまして」

「誰かを守るか…………」

「勿論、口で言うほど簡単にできるとは思いません。自らの想いを押し付けるだけでは、相手にとっての救いにはなりませんから。でも、だからこそ私は世界各地を巡って、それぞれの人にとって何が救いになるのか、どうすれば守れることになるのかを学ばないといけません」

 守るということは、ただひとつのやり方だけではないのだ。広い視野をもって、それぞれにあった守り方を見つけ出さないと意味はない。

 アムリエルはそう語り、フォウを感心させた。

「しっかりした志を持っているんだね」

「そう言ってもらえると嬉しいです」

「そういうしっかりした志は大事だよ。何が目的なのかはっきりとわかっていれば、周りの人間だってついていきやすいしね」

 フォウはそこで一度言葉を区切り、次にこう続けた。

「けど、皆さんはこれからどうするんです。おじさんはいつ帰るとも知れないし」

「問題はそこだな」

 カリアスは少し考えた後、アムリエルに顔を向けた。

「団長。ここは彼にリンクパールを預けておくのはどうだろう。カルロスが戻れば渡してもらえるように」

「それは良い考えですね」

 アムリエルは深く頷いた。

 リンクパールというのは、不思議な力のこもった大粒の真珠のことである。同じ色のパールを持ち合うものは、それを使って遠方にいる者同士とも会話が可能になるのだ。

 いつかカルロスが戻った時にパールを手渡してもらえれば、その後アムリエルたちがどこにいようとも連絡はとりやすくなる。

 アムリエルは早速リンクパールを渡すべく、それをおさめた小袋を取り出そうとした。

 しかし。

「…………あれ?」

 袋を括りつけていた腰のあたりを探ってみるが、そこにあった筈の小袋がなくなっていた。

「どうかしたのか?」

 アムリエルの様子に何か異変を感じたリンクスが、そっと言葉をかける。

「そ、それが、ないのよ…………」

「ない? もしかしてリンクパールがないのか?!

「………うん」

 消え入りそうな声と共にアムリエルは頷いた。

 リンクスは額を覆い、呆れたように唸る。

「なんでそんな大事なものを無くすんだ」

「私だって好きで無くした訳じゃないわよ。落とさないようにしっかり括り付けていた筈だし」

「でも、現に無くしている。そんなことにも気がつかないなんて、君には団長としての自覚がないのか!」

 リンクスの批難はもっともなものだけに、アムリエルは唇を噛んで押し黙った。

「二人とも落ちつけ。口論してもはじまらん。どこで無くしたのかを考えるのが先だろう」

 カリアスの冷静な言葉に、リンクスは少し感情的になっていたことを恥じた。

「団長。いつまで小袋があったのかは覚えているかね?」

「えっと……たしかこの国に着いて、串焼きを買った時まではあった筈です。お金をおさめた袋も一緒にさげてましたから」

 幸い、お金をおさめたほうの袋だけは落としていないようだった。

「そうなると串焼きを買った後か。…………団長、串焼きを買った後などに何かかわったことはなかったかね? 例えば、誰かがぶつかってきたとか」

 カリアスにそう言われ、アムリエルはふと思い出した。

「そういえば、ミスラ族の少女とぶつかりましたが」

「ミスラ族だって?」

 リンクスが声をあげ、カリアスと顔を見合わせた。二人は静かに頷く。

「多分、それが原因だな」

「原因って?」

 今ひとつピンときていないアムリエルに、リンクスは肩を落としつつ説明する。

「そのミスラ族の少女に、パールをおさめた小袋をスリとられたということさ。ミスラは手先が器用だからな。そいつはシーフか何かだったんだろう」

「じゃあ、ぶつかられたのは偶然じゃなくて」

「わざとぶつかって来たに決まっている。浮かれているからそんなことにも気づかないんだ」

「そんな……」

 まさか、あの少女がスリだったなんて。アムリエルは唇を噛み、己の迂闊さを呪った。

「私、そのミスラを探してきます」

「いや、待つんだ」

 立ち上がろうとするアムリエルをカリアスが差し止めた。

「探すとすれば団長は動かない方がいい。君は面がわれているから、向こうが先に気づけば逃げられるだけだ」

「なら、どうすればいいのです?」

「俺とリンクス殿で探す。俺たちは面がわれていない可能性があるからな」

「そんな! これは私のミスなのですよ」

「確かにそうかもしれないが、ならばこそおとなしくしていて欲しい。リンクパールを取り戻すことを重要に考えるならね」

 アムリエルは何も言い返せなかった。

 カリアスの指摘通り、面がわれている自分が動いても、足手まといにしかならないのは事実だ。

「とりあえずそのミスラの人相と特徴で、覚えていることがあれば教えてくれ」

 悔しい気持ちを引きずりながらも、アムリエルは覚えている範囲でのことを話す。

「オレも、そのミスラとやらを探すのを手伝った方がいいかな?」

 フォウがそう申し出た。だが、リンクスが首を振って丁重に断る。

「気持ちは嬉しいが、これは自分たちの旅団の問題だからね。ただ、フォウ殿さえよければ、ここで団長の面倒をみていてもらえないだろうか?」

「それは構わないけど」

「では、すまないがフォウ殿には団長の世話をお願いする」

 カリアスからも頼まれ、フォウは静かに頷いた。こうしてリンクスとカリアスは椅子から立ち上がり、街の外へ出ようとする。

「団長。あまり落ち込まないでくれ。誰にでも失敗はある。だが、それが穴埋め可能なことであるのならば、俺たちも自発的に動く。こんな時に助け合えてこそ仲間という関係だからな。気楽に頼ってくれ」

 扉を出る前にカリアスは言った。

 その慰めともいえる言葉は、今のアムリエルにとって少々複雑な気持ちではあったが、それが正論であることは認めざるを得ない。彼女も別の相手が同じようなミスを起こそうものなら、彼と同じことを言うと思うから。

「それでは申し訳ありませんが、よろしくお願いします」

 アムリエルの言葉に、二人の仲間は力強く頷いた。

 

 

§

 

 外へ出たカリアスたちは、とりあえずカルロスの家を離れた。

 その途中で、リンクスがふと口を開く。

「提督。俺はアムに厳しすぎるだろうか」

「突然どうしたんだ」

 カリアスは驚いた風でもなく、静かに訊き返した。

「俺は最近、あいつに厳しいことを言うばかりで、提督のような優しい気遣いを見せることもできない」

 リンクスは、カルロスの家を出る前のやりとりを思い出して呟いた。

「俺は俺。君は君だろう」

「確かにそうだけど、俺は自分がこのままでいいのかわからない。今までは彼女に団長としての自覚を持たそうと、わざと厳しく接してきたつもりだ。けれどそれだって、俺の自己満足なのかもしれない」

 厳しくするのが悪いとは思わないが、その行為に慣れすぎるあまり、優しい気遣いも見せられないのはどうかと思えた。

 アムリエルも日々成長はしているのだ。だが、それを認めてやることもせずに、ただ厳しいことしか言えない自分がいるとどうなるだろう? そうなるとこれは、アムリエルに自覚を促すどころか、かえって卑屈へと追い詰めるだけかもしれない。

 今、リンクスは心の中で感じたことがある。

 もしかして自分は、彼女の成長を本当は認めたくないのではないか、と。

 リンクスとアムリエルは幼馴染みだが、彼女の成長を認めるということは、昔の関係を崩すことのように思える。リンクスにとってのアムリエルとは、いつも側にいて守ってやらねばならない少女であった。

 しかし、今は明らかに違っている。旅団長となった彼女は、剣の腕前だけでもリンクスを凌ぐようになり、精神面も着々と成長している。

 今はまだ頼りないとしても、更に成長することは間違いない。それはリンクスの知る彼女が、遠くにいってしまうような感覚だ。

 過去に囚われている自分と、未来に進もうとする彼女。

 これではどちらが足手まといなのか、わかったものではない。

「俺はこの旅団で、どんな役割を成せばいいんだろうな」

 リンクスは力なく呟く。

 そんな彼の膝をポンポンと叩きながら、タルタル族の魔道士は言った。

「今は信頼されていることに応えればいい。結果を出して尚、悩むというのなら、それはその時に考え直すべきことだ」

「提督…………」

「団長だって複雑な気持ちを抑えながら、我々を頼っているんだ。それは俺個人ではなく、君を含めた俺たち二人にだ」

「…………………」

「リンクス殿は団長を愛しているのであろう? 愛する女性に頼りにされる。それは男として光栄なことではないかね?」

 カリアスのこの一言に、今まで沈んでいたリンクスの表情が慌てたものにかわる。

「提督。それは飛躍しすぎだ! 第一、俺はエルヴァーンで彼女はヒュームだ」

「種族の違うもの同士が愛し合ってはいけないなどという法はない。男である以上、いかなる女性をも受け入れる覚悟がなくてはいかんぞ」

「別に俺はそこまで…………」

 そう呟きながらも、リンクスは自分の気持ちがわからないでいた。

 確かにアムリエルは気になる存在だ。まだまだ未熟ではあるが、一途でまっすぐな思いも持っている。弱さも強さも持っている彼女であるからこそ、お互いを高めあえる環境にもあったのだ。

 少なくともリンクスは、エルヴァーンとして一番彼女を理解しているとの自負もある。

 しかし、最近はそれすらも曖昧に思えてきた。

 アムリエルが旅団長になってからは、自分以外のエルヴァーンにも彼女の理解者が増えたからだ。

 幼かった頃は、彼女がヒュームというだけで見下してくるエルヴァーンも多かったが、いまはそういう状況でもない。

 だが、あとからでしゃばってきた者たちに、彼女を理解されるのは少し癪に思えた。

 これではまるきり嫉妬だ。そして、そんな風に思えてしまう自分は、アムリエルという少女をどこかで独占したいという気持ちがあるのかもしれない。

 しかし、それは直接、彼女を愛しているということに繋がるのだろうか?

 リンクスは未だ、それがわからなかった。

「とりあえずリンクス殿。今は犯人を追うことに専念しよう」

「すみません。場違いな話でした」

「いや、構わんよ。悩みを口にすることは悪いことではない。ただ、それを他人に聞かせた以上は、君も前向きに頑張ることだ。そうでなければ、聞かされた側は浮かばれんからな」

 あくまでも軽い口調でカリアスは言う。今のリンクスにはその配慮が嬉しかった。

「それよりも提督。今回、パールを盗んだ奴は、何か計画的なものがあって彼女に近づいたのだろうか?」

「断言はできんが、それは薄いと思っている」

「となると、ミスラの単独ってことか」

「おそらくな。金ではなくリンクパールを奪ったのも、宝石か何かと勘違いしたのかもしれん。もしそうだとすれば、そのミスラも使い道のないものを盗み、さぞがっかりしているだろうがな」

「確かに使い道がわからなければ、宝の持ち腐れか……」

 盗んだミスラも自業自得とはいえ、落胆するのが目に浮かぶようだった。

 それでもリンクスたちにとって、あのパールは取り戻さないといけないものだ。

「とりあえず、俺たちが今もっているリンクパールで、サンドリア本国には連絡をいれておこう。今後しばらくは、重要な連絡を差し控えるようにとな」

 カリアスはそれだけ言うと、早速サンドリアの旅団協力者に連絡だけ送った。

 その後、二人は商業区と港に別れ、ミスラの足取りを追うことにした。

 

 

§

 

 カルロスの家に残されたアムリエルは、小さく溜め息をついていた。

 リンクパールを盗まれたという失態が重く響いているからだ。

 そんなアムリエルを気遣ってか、フォウがそっと声をかけてくる。

「お茶のおかわりなんてどうだい?」

「ありがとうございます。では、頂けますか」

「うん。遠慮することはないよ」

 フォウは優しく頷くと、ヨツバにおかわりをいれてくるように頼んだ。アムリエルもそんな彼女に軽く礼をする。

「ヨツバさん、しっかりした妹さんですね」

 アムリエルはそんな感想をもらした。

「やはりオレとあいつは兄妹に見えるかい?」

「違うのですか?」

「いや、間違っているということはないよ。ただ、オレとヨツバは血が繋がっていない。彼女は身寄りのない孤児だったんだ。それをオレとカルロスのおじさんで引き取って、一緒に暮らし始めたんだ」

「そうだったんですか……」

「二十年前の戦争以降、数年間はどこも治安が乱れていたからね。大半の場所は国家中枢の復興ばかりに追われ、小さな村にまで法整備が行き届いているとはいえなかった。力のない人々は、獣人の残党や野盗に怯えるばかり。オレたちがヨツバと出会ったのは、そんな頃なんだよ」

 アムリエルはその話を聞いて、少し胸が痛んだ。

 戦争が終結したといっても、それらが生み出した傷痕はそう簡単に癒えるものではない。力のない者にすれば、その日その日を生きるだけでも困難だったのであろう。

「そういえば、フォウさんとカルロスさんはどういうご関係なのですか?」

「おじさんはオレの育ての親だよ。オレが幼かった頃、実の父さんに託されて、オレを引き取ってくれたらしい」

「それでは、お父様はまだどこかで?」

「どうだろう。もう二十年以上は会っていないからな。おじさんの話では、父さんはサンドリアの王立騎士団の関係者だったらしい。国の命で旅に出たとは聞いているけどそれっきりさ。案外、もうこの世にはいないのかもしれない」

「そんな…………」

 あっさりというフォウに、アムリエルはどう答えてよいのかわからなかった。

「別に薄情なつもりで言ってる訳じゃないよ。オレは父さんを誇りに思っているし、感謝だってしている。父さんは幼いオレを置いてでも、旅にでなければいけなかったんだ。きっとそこには、どうしても成さなければいけない大事な使命があったんだと思う。そして、カルロスおじさんという信頼できる相手にオレを託してくれた。父さんは己に課せられた使命を貫いて且つ、立派に親としての務めも果たしたと思っているよ」

 そう語るフォウは確かに誇らしげであった。そこにアムリエルは、この青年のまっすぐとした心根を見たように感じた。

 少なくとも今の話は、人によっては親を恨む可能性だってある筈だ。使命を優先させるあまり、家族を捨てたと思う者だっていないとは限らないのだから。

 だがフォウという青年は、使命を全うしようとした父を誇りに思い、カルロスというガルカにも全幅の信頼を寄せている。これほど前向きな考えができるということは、心の面においても、よほど良い成長をしてきた証拠であろう。

「とても良い考えをお持ちなのですね。私、そういう人、好きですよ」

 アムリエルに他意はないのだが、いまの一言はフォウにとって少しフェイントだった。

 若い女性にそんなことを言われたのは初めてだったのか、顔を赤くする。

「オレから見れば、アムリエルさんだって良い考えをもっていると思う」

「私がですか?」

「さっき、君の志を聞かせてもらったしね。誰かを守りたいという志。君くらいの年の子で、あんなにしっかりしたことを言う人は少ないと思うよ。そして、その志に負けることなく、君はちゃんと動いている。長旅を経てここまで来たことなんか、まさにその証じゃないかな」

「でも、肝心な所では失敗続きなんで、仲間たちには苦労かけ通しですよ」

「慰めにはならないかもしれないけど、失敗なんて誰でもあるものだよ。その重責に耐えられない時は、逃げてもいいとオレは思う。若いうちならやり直しだってきくんだから」

 フォウの言葉はあくまでも優しかった。アムリエルも普通の少女であれば、素直にそれが救いとなったであろう。

 しかし、彼女はそっと首を横に振った。

「私は自分から逃げることだけはできません」

「どうして?」

「私が立てた誰かを守るという誓いは、簡単に逃げるような者には務まらないと思うからです。誰かを守るということは、時として自分が盾となって傷つくことでもあります」

「でも、無理をしてまで傷ついては、君が壊れてしまわないかい?」

 いくら覚悟があっても、根本が壊されてしまっては意味がない。フォウはそう告げた。

 だが、アムリエルは少し微笑を浮かべてから、こうも言う。

「私だって無意味に傷つくのは嫌ですよ。でも、そうならないためにはどうするかを考えます。肉体的なことにせよ、精神的なことにせよ、自分が大きな傷を負ったら、次からはどうすれば軽くできるかを考えます」

「…………なるほどな。なんとなくではあるけれど、何故君が団長なんていう役目を背負っているのかがわかった気がするよ。そして、君に協力する仲間たちの気持ちもね」

「どう思ったのですか?」

 アムリエルはフォウに訊ねた。

「君は惹き付けられるほど強い信念の持ち主なんだ。だが、その裏には若い未熟さ故の脆さも見え隠れする。ならば、それは周りからすればどういうことになるのか? その惹き付けれられるまでの信念を成就させるために力を貸してやりたい。そう思えるんじゃないかな」

「それならば嬉しいのですけどね」

 正直、アムリエルにも仲間の本当の気持ちまではわからない。だが、いまフォウが言ったように、仲間が自分の信念に惹き付けられ、それを大事にしてくれているとは信じたかった。

「オレも君の信念には少し惹かれるものがあるよ。もし自分なんかでも手伝えることがあるなら喜んで手を貸してやりたいくらいさ」

 フォウがそう言った時、ヨツバがお茶を用意して戻ってきた。

「おまたせしました。淹れなおしていたら、少し時間がかかってしまって」

「ありがとう。ヨツバさん」

 礼を述べるアムリエルに、ヨツバは「いえいえ」とにこやか言う。そして。

「お兄ちゃん。少し遅れちゃったけど、夕食の材料の買出しに行ってくるね」

 と、フォウに告げた。

「そうだったな。頼むよ」

「任せておいて。アムリエルさんたちも一緒に食べていってくれるよね?」

「えっ…でも」

 リンクスやカリアスが奔走してくれている中で、自分だけこんなに落ち着いていていいのだろうかという思いが、アムリエルの歯切れを悪くした。

「遠慮なんてしなくていいですよ。せっかくのお客様をお持て成ししたいという自分の我侭もありますし」

 ヨツバの言葉に同意するようにフォウも頷く。

「オレも君の話はもっと聞いてみたいしさ」

「そうまで仰るなら…………」

「ならばきまりですね! 今夜は腕によりをかけて料理します。だから、アムリエルさんも元気を出してくださいね。あとのお二人も、きっと朗報を持ち帰ってくれますよ。その時には楽しい食事にしましょう」

 何だかんだでヨツバも、気は遣ってくれているようだった。

 その気持ちに報いるためにも、暗い顔ばかりはしていられない。

「じゃ、良い材料を吟味してくるね」

「頼んだぞ。ヨツバ」

「はーい。買い物と料理はわたしに任せて、お兄ちゃんはアムリエルさんと二人でごゆっくりね」

 言葉の最後の方で、少し含みをもたせたような言い方をされる。

 フォウはその意図に気づき、少し咳払いをした。

「…………ヨツバ。くだらない冗談を言ってないで、早く買い物にいきなさい」

「うふふ」

 ヨツバは最後に、いたずらっぽい笑みをもう一度うかべてから、買い物に出かけていったのであった。

 

 

§

 

 ヨツバの買い物は、小一時間もすれば終わっていた。

 商業区で様々な食材をみつくろい、両手が荷物で一杯になる頃には、辺りも陽が落ちて暗くなっていた。

 街灯には火がともり、街の夜を穏やかに照らしてゆく。

 ヨツバは鉱山区の方へと戻り、そのまま真っ直ぐ帰るべきかを悩んだ。

 その理由は単純だった。

 できればフォウを、アムリエルともう少し二人きりにさせてやりたかったからだ。

 ヨツバの見る限り、フォウはアムリエルに好感を持っているように思えた。自分以外の女性を相手に、あんなに言葉が弾んでいた兄の姿を彼女は見たことがなかったから。

 フォウという兄は良くも悪くも生真面目な人間だった。心根は正しく誠実でもあるのだが、女性との関係においては奥手すぎると言っても良い。だから相手に好意をもっていても、それがまっすぐ伝わっていないことも多々あった。

 余計なお世話かもしれないが、ヨツバからするとそれが実にもどかしく思えてならない。

 血の繋がらない妹であるとはいえ、兄には幸せになってもらいたいという気持ちは本当の肉親以上に強い。

 とにかく今のフォウには、多少なりとも女性と付き合うことに慣れてもらい、自然と己の気持ちを口にできるようになってほしかった。もう結婚して、子供がいても良い年齢なのだから。

(自分のおせっかいは、一重に兄の為を思えばこそ、よ)

 ヨツバは自分にそう言い聞かせて、少しだけ遠回りをして帰ることにした。

 夜の鉱山区は薄暗かった。

 昼間でこそツェールン鉱山で働く鉱夫たちの姿が目に付くが、さすがにこの時間ともなれば仕事も終わっている。

 あと、ツェールン鉱山には採掘場所以外に、クゾッツ地方のゼプウェル島へ抜けるための海底洞窟があるらしい。その海底洞窟はコロロカの洞門と呼ばれ、永い間バストゥーク政府の管理によって入り口が閉ざされてきた。

 しかし、最近になってその入り口は開かれたらしく、未知なる土地に想いを馳せる冒険者たちも大勢やってくるようになったという。

 とはいえ、今はそんな冒険者たちの姿も見えないし、ヨツバもそれ以上の詳しいことは知らない。

 普段の生活で手一杯の彼女には、冒険などおおよそ縁のないことだから。

 遠回りをして歩いてきたヨツバは、いつしかツェールン鉱山の入り口付近までやってきていた。ぽっかりと開いた大きな入り口は、彼女の背丈の何倍もある。

 もう何年も暮らしてきた鉱山区ではあるが、こんなにも鉱山の入り口に近づいたのは数えるくらいしかない。

 少女であるヨツバがこんなところにやってくる理由なんて、時折、鉱夫たちにお弁当の差し入れを運ぶときくらいだ。

 育ての親であるカルロスも街で暮らしている間は、この鉱山で採掘の仕事を手伝っていた。ヨツバは、そんな日のことを少し懐かしく思う。

 だが、しばらく回想にひたっていた彼女は、突然我にかえった。

 近くで、何かしらの話し声がきこえたからだ。それは彼女から数十歩も離れていない、積み上げられた箱の裏から聞こえたような気がする。

 今まで誰もいないと思っていただけに、ヨツバは少しドキっとした。

 会話の内容まではわからなかったが、ここにいるのが悪いように思えてきた。このままここにいたのでは、無意識に会話を盗み聞いてしまう可能性もあるかもしれない。

 とりあえずヨツバはこの場を去ることにした。あくまでも普通に。

 だが、それがいけなかった。

 砂利を踏みしめて歩く音が辺り一帯に響く。その音に反応されたのか、箱の裏手から鋭い誰何の声があがる。

「誰だっ!?

 鋭くも重いその声に、ヨツバの足は凍りつくように止められてしまった。

 そして箱の裏手から、声の主と思しき者が姿をみせる。それは左目に大きな傷を負ったガルカだった。

 ヨツバは彼の名前を知っている。確か、ガズゥとか呼ばれていた筈だ。

 この国に住むガルカの中でも、とびぬけてヒュームを憎んでいるという噂も聞いたことがある。

 そんなガズゥの背後には、顔や全身をすっぽりとした長衣で覆った不気味な人影が三つみえた。

「貴様……たしかカルロスの家にいた小娘だな」

 そう指摘するガズゥに、ヨツバは何も答えられなかった。

 知っている相手とはいえ、とりとめて付き合いがあった訳でもない。むしろ目の前のガルカからはただならぬ殺気すら感じ、彼女の足元を震わせた。

「オレたちの話を聞いたのか?」

 迫り来るガズゥに、彼女は勇気をふり絞って首を横に振った。

「…………ふん。まあいい。話を聞いていようが、聞かれまいが、この現場をみた貴様を帰す訳にはいかんということだ」

 その言葉は、ヨツバの胸に重苦しい刃のように突き刺さる。

 足がガクガクと震え、身体がいうことをきいてくれない。

(助けて、お兄ちゃん!) 

 …………それが言葉になれば、どれだけ救いであったろうか。

 だが今の彼女は、恐怖のあまり言葉を発することもできなかった。

 そこへ長衣で身を覆った者たちもやってきて、ヨツバを取り囲む。そして、その隠された顔が覗きみえたとき、彼女は無意識のうちに悲鳴の声をあげた…………。

 

 

§

 

 ミスラ族のシーフであるセルシアは、げんなりとしていた。

 その理由は、昼間の“仕事”でしくじったからである。

 手ごろなカモをみつけて、そいつからモノをスリとったまでは良かったのだが、そこからがいけなかった。宝石か何かの類と思ってスリとったそれは、店で買い取れる品ではないと言われてしまったのだ。

 どこの店で売ろうとしても反応は同じだった。挙げ句の果てには、何でこんなものを売ろうとするんだ?みたいな目で、胡散臭く見つめてくる奴もいたくらいである。

 確かそいつは、その品物をリンクパールと言っていた。

 だが、リンクパールと言われても、セルシアにはピンとこなかった。まったく馴染みがないものだったから。

 店側の反応を見る限り、どうも何かの道具らしいのだが、自分から使いみちを知らないなどとは言えなかった。そんなことを言えば、ますます怪しい目で見られる気がしたからだ。

 なんにせよ、いまセルシアの手元にある青緑のパールは、彼女の懐を潤す意味では、何の価値もない代物ということだった。

「まったくもってついてない」

 セルシアは今、港の飛空艇発着場近くにいた。

 ここからはバストゥークの名所のひとつである跳ね橋がよく見える。跳ね橋はその名の通りのもので、大きな橋が中央で左右に分かれて跳ね上がり、飛空艇が入港する際の進路をつくる仕掛けだ。それをうごかす動力は、橋のたもとにある巨大な水車で、そういうにもこの国ならではの技術の高さがうかがい知れる。

 セルシアはウィンダス連邦からこの国へやって来たので、初めて跳ね橋を見たときは驚いたものだが、今はもう珍しいとも思わない。

 今日のしくじりのショックは思ったより大きく、気持ちに余裕もなかった。厄日ではないかと疑いたくなる。

 こんなことになるならば、最初から素直に金の方をスリとっておくべきだった。現にそれは可能だった筈なのだ。

 だが、いらぬ欲を出したばかりに、リンクパールという価値のないものを掴むハメになった。

 もしうまくいっていたならば、今頃はささやかな贅沢に浸れていたことだろうに。

 更にいえば、この国で世話になっているネルソンとかいうヒュームの髭親父にも、酒の一本だって買って帰ってやれたかもしれない。ネルソンはセルシアが初めてバストゥークを訪れた際、腹を空かせて倒れそうになっている彼女を救ってくれた恩人である。

 とはいえ、あの口うるさい髭親父のことだ。盗んだ金で買った酒を贈っても、喜びはしないだろう。ネルソンは自分の肉親でもないのに、あれこれとお説教くさいことをぬかすだけに。

 それでも、世話になったのも事実だけに、いずれ何らかの形で恩はかえしておきたかった。

「とりあえずこんな役に立たないものは、海にドボンするかぁ」

 彼女はしばらく考えた後、リンクパールの入った小袋を海に投げ入れようとした。

 その時である。

「そこの君。その手にもったものを少し見せてはくれまいか?」

 背後でそんな声が響き、セルシアの耳と尻尾はビクンっとなった。

 おそるおそる後ろを振り向くと、そこには見知らぬ相手が二人立っていた。それもタルタル族とエルヴァーン族という奇妙な組み合わせだ。

「アンタたち、何さ?」

 セルシアは訝しげに尋ねた。それに対してタルタルの方が答える。

「君が手にもっている物に興味があるんだ。それは昼間、ある少女から盗んだものではないかね?」

 はっきりとそう指摘され、セルシアは息を呑む。

「提督。間違いない。あの女が持っている小袋。あれはアムのものだ」

 今度はエルヴァーンの方が口を開き、タルタルにそう伝える。

 どうもこの二人の会話から察するに、リンクパールを持っていた少女の仲間のようだった。

 セルシアは舌打ちする。

 よくよく考えてみると昼間の少女は、その外見に似合わない物々しい格好をしていたではないか。そのことから考えても、あの少女が冒険者か何かの類だと見ぬけてもよかった筈だ。

 そして冒険者なら、仲間がいてもおかしくはない。

 まったく今日は何て日だ。しくじるにもほどがある。

 カモにする獲物の選定は慎重に行う。シーフとして基本中の基本ではないか。

 ただ、言い訳をさせてもらうならば、セルシアはスリとしての経験は浅い。シーフとしての手先の器用さには自信があるが、他の経験が伴っていないのだ。

 何にせよ、この状況は明らかにマズかった。言い逃れができるような雰囲気ではない。

「おい、貴様。おとなしくその袋を返せ。さもなければ容赦はしない」

 エルヴァーンの若者が、腰に差した剣に手をかける。

 まったくもって冗談ではない。あんな価値のないものをスリとっただけで、ここまで睨みつけられるとは。

「返したら何も言わずに解放してくれる?」

「そういう訳にはいくものか。しかるべき場所にさしだして、悪さができないようにしてもらう」

 エルヴァーンの偉そうな物言いはセルシアの癇に障った。

 だが、かえってその言葉が、彼女に覚悟を決めさせた。

 どうせ解放する気がないというのなら、このまま何としても逃げ切って、こいつらに悔しい思いを味わわせてやる。そのためにはまずどうするかだ。

 相手はエルヴァーンとタルタルの二人。うまくやれば、出し抜けない相手ではないだろう。

 タルタルの方は何を考えているのかわからないが、エルヴァーンの方は少し感情的になっているように思える。それを利用しない手はない。

 セルシアは短剣に手をかけた。そこで相手との緊張も一気に高まる。

 だが、それが頂点に達したとき、セルシアの側から緊張を解き両手をあげた。

「あたいの負けだ。おとなしくするから、その物騒なものから手を離してよ」

 ミスラの少女の言葉に、エルヴァーンの若者は明らかに拍子抜けした顔をする。そして間髪いれず。

「んじゃ、これも返すね」

 そう言って、リンクパールの入った小袋をエルヴァーンに差し出すべく近づく。

 そして、彼がそれを受け取ろうと手をだした瞬間…………。

 セルシアは身を低くして足払いを仕掛けた。

「なっ!」

 エルヴァーンは反射的にそれを避けた。戦士としては良い反応だった。

 しかし、これはセルシアにとっても予想範囲内のことだ。相手が避けようとしたことにより、そこへ隙が生じる。

「甘いよ、兄ちゃんっ!」

 ミスラの少女はエルヴァーンの横をするりと抜けると、そのまま逃げ出す姿勢に入る。気になるのはもう一方のタルタルだ。

「うわっ、やばぁ!」

 タルタルの方を盗み見ると、何やら魔法を唱えようとしているのがみえた。おそらくこんなところで使う以上は、彼女を無力化する魔法だろうが、そんなものをくらう訳にはいかない。

 迷っている暇はなかった。とにかく今は、魔法の範囲から逃げ出すことが先決だ。

 セルシアはシーフとしての俊足を活かすべく、この場から全力で“とんずら”する。彼女たちシーフは、こんな時の逃げ足のためにもそれなりの訓練も積んでいた。

 こうしてセルシアはわき目もふらず、先ほどの場所からずらかった。しばらく経っても魔法の効果が及んでいないところをみると、うまく逃げおおせたと考えても良いだろう。

 だが、できる限り港からは離れたほうがいいと思い、商業区を抜け、鉱山区のほうまで逃げ込むことにした。

「ここまで来れば大丈夫かなぁ」

 ツェールン鉱山の近くまで逃げたセルシアは、そこでようやく一息つく。

 今は夜という時間だけもあって、辺りは薄暗かった。

 しかし、落ち着いたのも束の間。今度は近くから、尋常とは思えぬ女性の悲鳴が聞こえてきた。

 さすがにこれは予想しなかっただけに、セルシアもぎょっとする。

 やばいような気がしなくもないが、セルシアは悲鳴の響いたあたりまで忍び足で近づいた。そして近くに詰まれた物陰から気配の感じる方を覗き見る。

 するとそこには、一人のガルカと奇妙な長衣の一団に追い詰められた、ヒュームの少女の姿がみえた。

 その光景はどう見ても穏やかなものではない。

 それにしたって、多勢で一人の少女を追い詰めるなど、なんと悪趣味な連中だろう。セルシアは反吐のでる思いだった。

 本来なら厄介ごとは御免被りたいところではあるが、この状況をみてしまった以上、あの少女を見捨てることもできない。それに何よりも、ああいう連中が気に食わないのもある。

「まったく、今日はとことんトラブル続きだねぇ」

 セルシアは懐からブーメランを取り出すと、長衣の一人にそれを投げつけた。

 相手は奇妙な連中であるが、ゴロつき程度ならば真正面から立ち向かっても勝てる自信はある。もしそうでない場合なら、あの少女に逃げるだけの隙を与えて自分も全力で逃げる。それ以上の責任はもてない。

 ブーメランは狙った通り標的に命中し、相手の注意をこちらに向けることができた。そこでセルシアは短剣を抜き、更なる挑発を加える。

「こんな暗がりで、よってたかって少女にちょっかいかけてんじゃないよ! ごつい連中は恥ってものを知らないのかい」

 威勢のよい啖呵にどこまでの効果があったのかはわからないが、長衣の集団のうち二人が向き直り、セルシアに迫ってくる。

 おいでなすったね。セルシアは短剣を手に身を低くすると、自らも距離を詰めた。

「かかっておいで。アンタたちの相手はあたいがしてあげるよ!」

 セルシアは華麗な動きで、長衣の一人に短剣の一撃を食らわせる。

 だが、当たった時に腕から伝わってきた感触は、妙に硬い何かだった。重い鎧でも着ているのか?

 そしてセルシアは、長衣越しに見えた“そいつ”の顔と目が合ってしまう。

「クゥダフっ!?

 衝撃が走る。

 “そいつ”は人ではなかった。形こそは人に近いが、そいつは獣人と分類される異形の化け物。

 今、セルシアの目の前にいるのは、亀のような甲羅を背負ったクゥダフという獣人種族のひとつだった。

 しかし、なんだってクゥダフが街の中に侵入しているのだろう。この街の警備はそんなに甘いものなのか? あまりに予想外のものがそこにいただけに、セルシアはひどく混乱した。

 だが、その混乱が命取りともいえる隙を招く。目の前のクゥダフは、それなりに腕の立つ階級にあった。

 正面と背後の両方から、武器による容赦のない重い一撃が加えられる。

「くぅっ」

 しくじった。本当に厄日だ。悪いことはとことん続くものだと痛感せずにはいられない。

 それよりも、自分が助けようとした少女はどうなったのだろう? こんなひどい目にあってまで助けようとしたのだ。無事でなければ浮かばれない。

 だが、今の彼女にはそれを確かめることもできなかった。立っているのも限界だ。

 こうしてセルシアは善戦もむなしく、最後には意識を闇に落としていった。

 

 

 

〈前編・了〉

 

 

【あとがき】

 「ファイナルファンタジーXI」を題材にしたオリジナル小説、第二弾です。

 以前に更新した「邂逅」の続きとも言える話ですが、単品でも楽しめるようには配慮したつもりですw

 登場人物は、私が実際にゲーム内で扱っているキャラクターのアムリエル他、大半はゲーム内でも一緒の旅団の仲間たちです。各キャラクターの設定は、私が今までうかがったものをアレンジしたり、あとは勝手な想像でおぎなったり(爆)

 特に旅団関係者の皆様。性格付けなんかも勝手にやっておりますが、イメージが違っていたらゴメンなさいということで。

 あと、旅団関係者以外の皆様。普通の物語としても読めるよう書き上げたつもりですが、わからない部分とかあったらゴメンなさい。 でも、これを読んで楽しそうだなと思ったら、是非ゲームも遊んでみてください。

 うちの旅団も設立一周年を迎え、新規の旅団メンバーも随時募集中。

 …………閑話休題。

 今回の物語はボリュームがあるので前編、後編に分けさせてもらいました。色々なキャラクターの感情やら活躍を組み込んでいると、とてもではないですが一本の短編には収まりません。

 前編では事件の謎を匂わせつつ、主要キャラクターの顔見世を行いました。後編は事件の全貌が明らかになると共に、まだ登場させていないキャラクターも登場します。

 様々な人間模様が絡み合う中で、皆はどうやって仲間となっていくのか? 小説ならではのオリジナルな展開として、そこらへんを期待してもらえると嬉しいです。

 後編も間を置かずに執筆する予定ですので、こちらもご期待くださいませ。

 

 

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