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心の距離を

 

相手を知る

これって案外、難しいこと

私の想い

あなたの心

互いの気持ちを知りあえる勇気を

私にください

 

 

 この日、私こと七宮 雛は友人に呼び出されて、とある喫茶店に足を運ぶことになった。

 友人は私の通う大学の同級生で、名前を田辺君江という。数日前、その君江から相談にのってほしいことがあるとの電話を受け、私は時間的に余裕のあるこの日を指定した。

 普段は私も普通の大学生なんだけれど、その傍らでは芸能プロダクションに所属するアイドル歌手という一面も持っている。それだけに忙しい時期などは、ゆっくりとした時間をつくるのも大変。

 でも今日は予定通りに仕事も終わり、約束どおり君江とも会う事ができそうだった。

 時間は午後八時半前。まだまだ夏の暑さが残る九月のはじめではあるが、さすがにこの時間ともなると、周囲の風景は夜のものへとかわっている。

 君江と待ち合わせをしているのは、最近お気に入りになりつつある隠れ家的な喫茶店“mistletoe(宿り木)”。都心から少し離れた街にあるこの喫茶店は、仲の良い双子の姉妹によってきりもりされ、美味しいケーキと紅茶を出すことでも一部有名だった。

 最寄りの駅から歩いて五分ほど。私の足は目的の場所へと向かって行く。

 そしてやがてには“mistletoe(宿り木)”と書かれた、お洒落な吊り看板が見えてくる。店の前まで到着すると、そのまま扉をあけて店の中へ。

 カランカランカランというカウベルの心地よい響きとともに聞こえる元気な「いらっしゃいませ」の声。応対にきてくれたのはショートな髪の活発そうな女の子。確か双子の妹、若葉ちゃんだったと思う。

「お一人様ですか?」

「えっと、ここでお友達の子と待ち合わせの約束をしているんです」

 若葉ちゃんの言葉にそう答えてから、店の中を見渡す。すると奥のテーブルのほうで遠慮がちに手を振っている君江の姿がみえた。若葉ちゃんのほうもそれに気づいたようで、私をそっちのテーブルまで案内してくれる。

 こうして席について水をもらった私は、まず注文を頼むためメニューに目を通す。

「ケーキはこの苺のシャルロットで。これに合った紅茶で何かおすすめはあります?」

 この店は食べるケーキに合わせて、相性の良い紅茶などを教えてくれたりもする。

「アイスのライムティーなどはいかがでしょう。ケーキが少し甘めな分、口なおしにも良いかと思いますよ」

「じゃあ、それをお願いします」

「かしこまりました」

 若葉ちゃんは元気に微笑むと、オーダーを通すべくこの場を離れていった。

 私は改めて、目の前にいる君江に向き直る。すると彼女は遠慮がちに頭をさげた。

「今日はわざわざ来てもらってごめんなさいね。お仕事で疲れているでしょうに」

「いいよ。私こそごめんね。相談だって聞いていたのに、なかなか会ってあげられなかったんだもの」

「こうやって来てくれただけでも嬉しいわ」

 君江は微笑しながら言ってくれる。でも、その表情の弱々しさから、彼女の相談が深刻なものであり、それがまだ解決していないのは容易に想像がついた。

 彼女は眼鏡をかけた地味目な子で、普段から表情が豊かな方ではない。それでも友人としてみれば、彼女の気持ちぐらいはわかるつもりだ。

「それで今日はどういった相談事なのかな? 電話では話しにくいって言ってたけど」

 他愛もない世間話から切り出してもよかったのだけど、あまり気を遣うような会話もなんなので、単刀直入に本題へ入る。

 すると君江は、少しうつむきながら小さな声で話し始めた。

「実はわたし、好きな人……ううん、気になる男の人がいたの」

「わ、そうなの?」

 これには少し驚いた。別に好きな人がいてもおかしくはないと思うが、話の切り出しからしてこうくるとは思わなかった。

 でも、好きな人がいるという話の割に、彼女からは浮いたところが感じられない。むしろどこか淡々としている。

「その彼とはまだ会ったことがないんだけど、色々とあってね」

「ちょっと待って。会ったこともないのに色々あったってどういうこと?」

「携帯のメール友達なのよ」

「それって俗にいう出会い系のサイトとか?」

 更に驚く。少なくとも私はそういうところを利用したことがないし、あまり良い印象も持っていない。でも、私の驚きは少し早とちりだったようだ。君江はちょっと慌てた様子で否定する。

「そういうのじゃないわ。最初は趣味で巡っていた文章系サイトの掲示板を通じて、その人のことを知ったの。そして彼の書いた詩を読んで、その感想を伝え合ううちに親しくなっていったのよ。携帯でメールのやりとりができるくらいまで」

「なるほど」

「でもね、親しくなってしばらくしたら、彼からのメールが急にこなくなったの。勿論、心配したわ。何かあったんじゃないかって」

「それは不安だよね。で、どうなったの?」

「五日前に彼からメールが着たわ。けれどその内容は、もうやりとりは終わりにしようってものだったの。何でも彼、好きな人ができたそうなの。それで…………」

 君江の言葉は段々と弱くなっていく。彼女の目尻にはうっすらと涙もみえる。

 その時に、私の注文したケーキと紅茶が運ばれてきた。

「お待たせしました。苺のシャルロットとアイスライムティーになります」

「あ、ありがとう」

 注文を運んできた若葉ちゃんは、ちらりと君江の様子を気にした感じだったが、軽く一礼だけすると引き下がってゆく。

 とりあえず私はケーキに手をつけず、目の前の君江に声をかけた。

「本当に好きだったんだね。その彼氏さんのこと」

「それがわからないの。実際には会ったことないんだもの」

「だったら、どうしてそんな涙を浮かべたりするの」

「わからない……わからないから雛に相談にのってもらいたかったの」

「でも、君江自身にもわからないこと、私なんかでわかるのかな…………」

 相談にのる側としては消極的な言葉だが、そうとしか言いようはなかった。ただ、彼女が混乱しているのだけはわかるので、あまり突き放すような言い方もできない。

「雛は牧兎くんと長く付き合っているでしょう。ちゃんとした恋をしているあなたから見て、わたしはどう見えるか教えて欲しいの」

 君江は急に、私の大好きな彼氏である牧兎くんの名を持ち出す。ちなみに彼も君江とは大学の同級生だ。

「とりあえず落ち着いて整理していこうか。私もゆっくりつきあってあげるよ。それで君江の気持ちがどういうものか、考えていけるといいわけだし」

 ハンカチを渡して、まずは涙を拭いてもらう。

「ありがとう雛」

「気にしないで。それよりも好きかどうかもわからないのに、そんなに泣くなんてやっぱりヘンなことだよ。悲しいなら悲しいなりの理由とかもあるはずだけど、心当たりはない?」

「悲しいというよりは悔しいかも。せっかく仲良くなれてきたのに、一方的に捨てられたようなものだから」

「…………」

「確かにわたしたちは正式に付き合っていたわけでもないし、互いの顔も知らない薄っぺらな関係だったかもしれないわ。それでも今度会おうねって約束したりして、色々と計画だってたてていたの。そんな矢先のこの仕打ちって、あんまりだと思わない」

 肩を震わせて、懸命に泣くことをこらえる友人。私も自分のことに置き換えて考えると、彼女の痛みは鋭く胸に突き刺さる。

 もし牧兎くんに一方的な別れを言い出されたら、きっと私も泣いてしまう。それだけじゃない。もう何も信じられなくなるだろう。

 沢山のファンを持つアイドルがこんなに脆くていいのかと思われるかもしれないが、私は牧兎くんがいないと何もできないような臆病な女の子だ。でも、言い換えれば彼という存在がいれば、ある程度のことなら頑張れる…………。

「君江にとっての彼は、元気をくれる人だった?」

「そうだと思ってた。彼からのメールはいつだってわたしをホッとさせてくれたわ。どんなに短いものでもね」

「繋がっていることに安心を見出せていたんだね」

「ええ。やりとりが続く間は、ずっと夢をみていられると思ったわ。でも、現実は違った」

「じゃあここで更に鋭い質問していい?」

 私はそう前置きだけして、彼女の確認をとった。

「内容にもよるけれど…………」

「嫌なら黙っててもいいよ。あなたはその彼氏を恨んでいるの?」

「少しはそういう気持ちあるかな。でも、恨むのは筋違いって気もするの。彼は正直にはっきり終わらせたいって告げてきた訳だし、ちゃんと付き合ってもいない私が彼を強く引きとめるだけの権利なんてある訳ないし」

「恨みたい気持ちと、良く思いたい気持ちがまじってるんだね」

「ええ」

 なるほど。君江の気持ちはよくわかってきた。確かに今のままだと、一人では答えなんてでないよね。

 もしここで、彼女が一人で結論を出そうとしていたなら、それはきっと無理に想いを封印することになる。でも君江は、まだそれをしたくないから、こんなにも悩み、誰かに助けを求めているんだ。

「ねえ、雛。わたしはどうしたらいいの? このまま彼の負担にならないよう、今までのことはなかったようにすればいいの?」

 限界だったのだろう。君江の涙が堰を切ったように流れ始める。

 見ていて痛々しかった。だが、心にかかった余分な負担を涙が軽くしてくれるなら、しばらくは泣かせてあげようとも思う。

 その間に、私もケーキを一口だけ食べて考えてみる。苺ムースのなめらかな味が舌に心地よい。

 まず大事なのは、君江自身がその彼を好きであるかという点だ。

 これは今までの話の流れで考えると、はっきり好きであるとは決め付けないほうがいいだろう。お互いに顔も知らないような相手なのだから。

 つまりこの時点では、せいぜい言えて、彼が好き“かもしれない”で止めるほうがいい。まだ相手のことを完全に理解する前の段階。憧れにも似た理想を自分の中だけで楽しんでいる状況だったからこそ、こんな悩み方になるのかな。

「君江。この場合の選択肢は二つだけだと思う」

「どういうこと?」

「これは私の意見だから絶対正しいとも言い切れないけど、ひとつは君江の言うようになかったことにする。もうひとつはもっとその彼のことを理解するように頑張ることだよ」

「でも、そのどっちを選べばいいかわからないから悩んでいるのよ」

「じゃあ言い方をかえるね。君江は彼のことを信じている? それとも信じられない?」

「それもちょっと…………」

「私はね、牧兎くんのことが好きだよ。世界の誰よりも大好き。だって信じているから」

「いきなり何を言い出すの」

 少し困惑気味の顔で言われる。それでも私は言葉を続けた。

「少しでも信じる気持ちがあるなら、ちょっとぐらいは負担をかけてもいいんじゃないかな。君江の想う彼氏は、それを許してくれないほど心の狭い人?」

「それは……。でも、彼に負担をかけて嫌われたりしたら、わたしは」

「負担をかけているのはお互いさまだと思うよ。その彼氏さんのことを悪くいうわけじゃないんだけど、君江をこんなに悩ませているでしょ」

「………………」

「誤解してはいけないのは、負担をかけることって悪いことばかりじゃないんだよ。相手を信用して、甘える意味で負担をかけちゃうときだってあるんだよ」

「そうなんだ……」

「まあ、実際はいまの言葉だけで片付かないのもあると思うよ。私だって同じ状況だったら、ショックで何も考えられないもの。けれど、遠慮ばかりしていても相手の心に近づくことなんてできないよ」

「じゃあわたしは、彼に負担をかけてもわがまま言った方がいいのかな?」

「う〜〜ん。別にはっきりそうしろっていうのはないかな。君江にとって大事なのは相手のことをもっと知ることだろうからね」

 少なくとも彼女は、相手の彼のことをしっかりわかっている状況じゃない。諦めるならそれでいいが、付き合いたいという気持ちがあるのなら、もっと相手を知ってみるところからはじめてみないと。

 知ることの先には、不安な現実もあるかもしれない。でも、そういうものも受け入れる覚悟がないと先には進めない。私はそのことを君江に指摘した。

「雛って、予想外にしっかりしているのね。悪い意味でいうんじゃないけど、いつも夢をみているような印象があったから」

「牧兎くんにもよく言われるよ。雛は夢見がちだって。それは当たっていると思うよ。ただ、私の場合は現実を見つめながら、夢をみているの」

「どういうこと?」

「私の欲しい夢は常に現実の中にこそあるんだよ。アイドルとして大成するには現実を頑張らなきゃいけないし、大好きな牧兎くんと触れあうことも現実じゃないとできないもの」

 現実は甘くない。多くの人はそう言う。傷つくことも沢山あるから。だからこそ人は、自分にとって都合のよい夢をみて、時として現実を逃れようとする。

 私はアイドルとして夢を与えるのが仕事だから、そんな人たちを否定する気はない。でも私は、しっかりと現実を見つめ続けた上で夢を紡いでいきたい。

「強いね。雛は」

「それはどうかな。私もその時々で違うから。仕事で失敗して泣いちゃうことも多いんだよ」

「それでもわたしなんかより強くみえる」

「今はそう心掛けてるからだよ。相談相手が頼りなかったら、せっかくの信頼を裏切ってしまうでしょ」

「…………うん」

 君江の表情に、うっすらとだけど明るさが戻った。そして。

「雛。わたし、ここから先は自分で考えてみる。彼のことを忘れられそうになければ、落ち着きながら彼を知るよう努力してみる。うまくいかなくて落ち込むことになるかもしれないけれど、そのときはまた相談にのってくれる?」

「勿論。私は君江が大好きだから」

 約束した。友達として彼女のことは大好きだもの。悲しいことがあったらできる限りで支えになってあげたい。

 これから先、君江がどうなるかはわからない。こればかりは彼女の問題であり、彼女が決めることだから。

 今は動き出すきっかけを与えられただけでも良かったと思うべきだ。気持ちを整理することは大切だったしね。

 私はケーキと紅茶を片付けた。アイスライムティーは氷が解けすぎて、少し味が薄くなっていた。

 そんな時だ。誰かが近づいてきて声をかけたのは。

「あの。お客様、よろしいですか?」

「はい?」

 声のほうを向くと、そこには店員の若葉ちゃんが立っていた。

「申し訳ありませんが、そろそろお店のほうを閉める時間なんです」

「あ、もうそんな時間なのね。ごめんなさい」

 君江は時計を確認して、若葉ちゃんに謝る。

 確かに店内を見渡したところ、残っている客は私たちだけのようだったし、閉店の時刻から五分が過ぎ去っていた。

「すぐに出るようにしますね」

「慌てなくていいですよ。お忘れ物だけには気をつけてください」

 若葉ちゃんの言葉に頷き、私たちは会計にむかう。会計は若葉ちゃんの双子の姉、彩音さんがやってくれた。この彩音さんは若葉ちゃんと対照的に髪は長く、どちらかといえば落ち着いた物静かなタイプだ。

 会計がそれぞれですむと、彩音さんは私たちに小さな箱詰めを渡してくれた。

「これは?」

 私が訊ねると、彩音さんはにこやかに教えてくれた。

「お店のほうであまったケーキです。よろしければお土産にもって帰ってくださいな」

「いいんですか?」

「ええ。あまらせておいても日持ちしないものですし、私たちでは処理するのも大変ですし。ね、若葉ちゃん」

 彩音さんに振られて若葉ちゃんも頷く。

「遠慮せずにお持ち帰りください。捨てちゃうよりは食べてもらえる方が幸せですし」

「美味しいケーキは人を幸せにしてくれます。涙なんて吹っ飛んじゃいますよ〜」

「ちょ、ちょっと姉さん!」

 彩音さんの不意の一言に、若葉ちゃんが慌てたようにたしなめる。彩音さんは「あ、言っちゃダメだった?」という顔で口元をおさえて、最後には申し訳なさそうな表情になる。

 私と君江は互いに顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。どうやらこの双子たちにも心配をかけてた様子だ。ケーキをお土産にくれた理由もそういうところにあるのかもしれない。でも、双子たちの心遣いは嬉しいものだった。彩音さんのミスも微笑ましいもの。

 恥ずかしそうに謝る若葉ちゃんと彩音さん。そんな二人に君江は「気にしないで」と声をかけ、最後には晴れた表情で店をあとにする。

 こうして私たちは駅のバスターミナルまで戻ってきた。

「今夜は付き合ってくれてありがとう」

 君江が告げた。ここから先、彼女はバスを乗り継いで帰ることになる。

「構わないよ。君江もしっかり頑張ってね」

「うん、そうする。どうなるかはわからないけれど、少しは気持ちに余裕できたから。これも雛っていう心強い友達のおかげ」

「気持ちの整理を手伝っただけで、大したことなんてしてないよ」

「それで充分よ。最後に決めるのはわたし自身だものね」

 その言葉を聞いて安心した。彼女はちゃんと現実をみつめている。これでこそ私も相談にのった甲斐があるというものだ。

「じゃ、そろそろバスも出そうだし行くね。おやすみ、雛」

「おやすみなさ〜い」

 手を振って君江とは別れる。とりあえずバスが去っていくのを見送ってから、自分は電車にのるべく駅の改札にむかう。

 その時だ。彼が声をかけてくれたのは。

「いまから帰りか、雛?」

「牧兎くん!」

 その声の主を確認して、私の顔はほころんだ。大好きな人がそこに立っていたから。

「どうしてこんな所にいるの?」

「バイトの帰りなんだ」

「あれ? でも、牧兎くんのバイト先って隣の町じゃなかった?」

「そうだけど、気になって立ち寄ったんだ。おまえ今夜、君江とこの町で会う約束してただろ。遅くなってたら心配だから、“mistletoe(宿り木)”まで行こうと思ったんだ」

「入れ違いだったらどうするつもりだったの? 携帯に電話くれてもよかったのに」

「それもそうだったな……。疲れていて、てっきり忘れてた」

「おっちょこちょいだね、牧兎くんは。でも、嬉しいよ。そんなに疲れているのに、私のこと心配してくれるんだもの」

「別におまえの為だけじゃないさ。君江も心配だったからな。あいつ大学でも元気なかったし、ぼんやり夜道を帰ろうものなら危ないだろ」

 なるほど。そういう考え方もあるよね。牧兎くんって正直ものだ。私だけじゃなく、君江のことも考えてくれるところなど本当に優しい。誰にでも優しい彼氏にやきもきする女の子っているみたいだけど、私はそんな牧兎くんが大好き。そして、そんな人の彼女であることがすごく誇らしくもある。

「君江はもう帰ったのか?」

「うん。今、バスに乗ったところ。元気になったかはわからないけれど、相談して少しは気分も落ち着いたみたいだよ」

 私は簡単に君江との相談の経緯を話した。牧兎くんも静かに頷く。

「あとはあいつ次第ってことか」

「そういうことだね。牧兎くんも私がいないときは、そっと見守ってあげてね」

「わかってる。俺はいつもどおりにやるさ。相談の内容も知らなかったことにはしておく」

 全てを心得ている牧兎くんは、本当に有難い。

「さ、俺たちも帰るか。マンションまで送ってやるよ」

「いいの? 遠回りになっちゃうよ。牧兎くん疲れてるでしょうに」

「こんな時間に女の子を一人で帰す方が心配だ」

「嬉しいよ」

 あまりにも嬉しくて、牧兎くんの腕に自分の腕を絡めて、ぴっとりとくっついてしまう。そして彼の顔を見上げて、思わずにっこりと微笑んだ。

「…………甘えん坊め」

「牧兎くんが優しいから、存分に甘えちゃうんだよ」

 お仕事の時は甘えなんて許されない。その反動で、こんなに甘えちゃうのもあるのかも。

「そうだ、牧兎くん。私を送っていくついでに、マンションでケーキを食べていかない? さっきお土産にってお店の余りもの頂いたの」

 そう言ってケーキの箱を見せる。

「疲れているときは甘いものっていうでしょ」

「じゃ、お言葉に甘えてそうさせてもらうか。俺も“mistletoe(宿り木)”のケーキは好きだし」

「うん!」

 これでほんの少しだけでも、牧兎くんと一緒にいられる時間が増えた。自分にとっては、それがどんなに幸せなことなのか。

 彩音さんは、美味しいケーキは人を幸せにすると言っていたけど、まさにその通りなのかもね。私は“mistletoe(宿り木)”の双子たちにそっと感謝した。

 こうして私たちは仲良く一緒に帰り、その後はささやかなお茶会に興じたのだった。

 

 数日後、君江からの報告があった。

 残念ではあるけれど、例の彼氏さんとははっきり話をつけて別れることになったらしい。

 でも、それを報告する彼女の声は、穏やかですっきりしたものだった。

 私はその声を聞いて思った。

 よく頑張ったね、と。

 

 

〈了〉

 

 

 

あとがき

 久しぶりに勢いのままに書きました。雛のお話ではありますが、今回はいつもとちょっと違う試みをしてみました。

 いかがでしたでしょう?

 いつもならば牧兎とべったりな話ですが、今回は大学の友人の相談に乗るという立場。

 ま、基本は相変わらずのおのろけ娘ですが、雛の持つ真面目な強さを少しでも表現できたらいいなと思いました。

 あとはゲストとして“mistletoe(宿り木)”の双子、若葉と彩音が登場してます。このことからもわかるように、雛の話と双子の話は同じ世界観、同じ時間軸の物語ともいえます。まあどれも現代を舞台としたお話ですし、滝沢沙絵の世界観としては、いくつかの物語は同じ世界観で繋がっていることを前提に書いているのもあります。

 それだけにどこかのお話であのキャラが登場なんてことは、今後もあるかもしれません。

 ま、そういう繋がりも楽しみにしつつ、今後も作品を期待してもらえると嬉しいです。

 

 

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