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 邂逅 FINAL FANTASY XIより〜

 

 

 その部屋は重い空気に包まれていた。

 薄暗い一室を照らすのは、いくつかの蝋燭の明かりだけ。

 部屋の中央には円卓が置かれ、それを取り囲むようにして小柄な種族が五名、沈黙を守っている。

 一見、子供のようにみえるものたちばかりだが、彼らは立派な大人だった。ウィンダス連邦の主軸を成す種族タルタル。それが彼ら種族の名前だ。

 そしてここは、ウィンダス連邦の石の区のはずれにある建物。

 表向きは普通の民家であるが、その裏は秘密結社“水晶連盟”ウィンダス支部の集会場所でもある。

 時間は既に深夜。沈黙する部屋の静寂を破ったのは、扉の開く音だった。

 この場にいるタルタルたちは一様に顔をあげ、その扉に目をむける。すると、一人のタルタルが部屋の中に入ってきておもむろに告げた。

「リーゼン卿が亡くなったという話は間違いなかった。先程、ボクも彼の死体を確認してきた」

 その報告に、五人の表情が落胆に変わる。

「彼に同行した他の者たちは? 全滅なのか?」

 部屋にいたタルタルの一人が訊ねた。

「魔法で危急を伝えに来た者以外は残念ながら。サンドリアからバストゥークに向かう途中、コンシュタット高地で獣人軍の襲撃に遭ったというのは間違いないようだ」

 報告のひとつひとつにタルタルたちの顔が曇る。本来、陽気なタルタル族にあっては似つかわしくない表情だ。

「彼らほどの者が、多少の獣人の襲撃を受けたぐらいで全滅するとは信じられない」

「だが、軍勢という規模で仕掛けてきたのだろう? 明らかに獣人を指揮する何者かが存在し、我らの計画を阻止せんと意図的に襲撃をかけてきたと考えるべきだ」

「我ら“水晶連盟”の計画は筒抜けということなのか…………」

「連盟の中に、敵と内通している者がいるかもしれないぞ!」

 タルタルたちは口々に意見した。

 “水晶連盟”は世界を脅かす獣人に立ち向かうべく結成された、種族や国家の垣根を超えた独立組織だ。その運営には各国家の有力者からの資金援助もあるが、活動はあくまでも秘密裏に行われ、組織の存在を知るものは一握りにすぎない。

「皆、落ち着こう。色々と考えられはするが、仲間を疑うのはまだ早い」

「でも、これが落ち着いていられようか? リーゼン卿が殺されたということは“旅団”構想にも遅れが生じるかもしれないのだぞ」

「それは大問題だよね。リーゼン卿は“旅団”構想の要を担ってきた人。彼がいたからこそ、我ら“水晶連盟”も一枚岩にまとまることができた。今後、更なる大きな目的に動き出そうという時期に、中心となる人物を失ったのは痛すぎる」

「今回、リーゼン卿がバストゥークに向かっていたのも、“旅団”構想の詳しい中身を彼の国に広げるという目的だったのであろう?」

「ああ、そのとおりさ。バストゥークをまわった後は、ここウィンダスにも来る予定だったんだ」

「忌々しいな。一体、何者が獣人どもを指揮しているんだろう」

 一人がそう言って円卓を叩いたとき、報告に入ってきたタルタルが再び口を開いた。

「それなんだけど、獣人たちの掲げる旗の中に〈闇の王〉の紋章を見たという報告がある」

 〈闇の王〉。

 その名が口にされた時、この場の空気が凍りついた。

 少なくとも〈闇の王〉の名は、ヴァナ・ディール世界に生きる者たちにとって悪夢の象徴であった。

 今からおよそ二十年前。邪悪なる獣人を率いた〈闇の王〉の軍勢と、ヴァナ・ディール各諸国が協力して結成したアルタナ連合軍との間で、熾烈な戦いが繰り広げられた。クリスタル戦争と呼ばれる一大事件である。

 その戦争では数多の尊い犠牲を生み出すこととはなったが、最終的には各種族の英雄たちが〈闇の王〉を追い詰め、それを討ち果たすことによって戦いは終結した筈だ。

 だが今の時代になって、再び〈闇の王〉の影がちらつきはじめようなどとは、あまり想像したくはないことだった。

「やはり〈闇の王〉は復活したのだろうか? 信憑性があるわけではないが、最近の獣人たちの動向からそういう噂が出ているのは事実だ」

「噂の真偽を早急に確かめなければならないな」

「確かに噂に呑まれているだけでは具体的な行動もとれない。他には何か情報はないのかい?」

「それなんだが、リーゼン卿を襲撃した獣人の一部が、『北のオークどもに遅れをとるな』と叫んでいるのを聞いたらしい」

 報告に入ってきたタルタルがそう口にする。

「北のオーク?」

「…………どういう意味だろう。コンシュタットから北といえばバルクルム砂丘。そのまま更に北へ抜ければラテーヌ高原。オークたちが徘徊しているサンドリア王国も近いね」

 あるタルタルが壁に掛けられた地図を見てつぶやいた。

 その時だ。

「俺は、今からサンドリア王国に行ってみようと思う」

 これまで何も意見を出さなかった一人のタルタルが突如そう宣言した。その言葉に、他のタルタルたちは驚いて彼を見る。

「カリアス殿。いきなり何を言い出すタルか」

「どうも嫌な予感がするんだ。サンドリア王国にはリーゼン卿の奥方であるアレイシア殿もおられる。彼女もリーゼン卿同様、“旅団”構想の中核を担ってきた方だし、その身が気にかかる」

 カリアスと呼ばれたタルタルがそう答えた。

「だが、魔法組頭である君がわざわざ行かなくとも」

「他にも理由はある。俺はリーゼン卿やアレイシア殿とは古い馴染みでな。リーゼン卿が亡くなったことを彼女に伝え、慰めのひとつでもかけてやりたい。そして今後の方針を決めるためにも、早く立ち直ってもらわんとな」

 カリアスの言葉に、他の者は何も言い返せなかった。

 “旅団”構想は、今の“水晶連盟”において最重要ともいえる計画のひとつだからだ。そもそも今回の“旅団”構想は、世界に散らばる有望な冒険者たちを集め、そのものたちで旅団を編成し、各地の獣人たちの脅威に立ち向かうというのが基本的な趣旨だ。

 先のクリスタル戦争以来、今でもこの世界に住まう者たちは国家や種族の垣根を超えて協力はしている。

 だが、それはあくまで表向きの話にすぎず、裏では各国、各種族の覇権争いが続いていた。

 連盟の“旅団”構想は、そういった私欲を捨て、純粋に獣人と戦う同志を求めている。裏に暗い欲望を秘めたままでは、いつ闇に囚われるとも限らないのだから。

 未だ不安定な平和の続くこの時代にあってこそ、連盟の“旅団”構想は最悪の未来に対抗する上での急務でもあった。

「それじゃあ早速で悪いが、俺は行く」

 カリアスは立ち上がって手近な荷物をまとめると、移動のための魔法を唱え始めた。

 高位の白魔道士でもある彼は、広大な世界各地を魔法で行き来することができる。

 こうして他のタルタルたちの見守る中、カリアスの姿はこの場から消えていった。

 

 

§

 

 その夜、アムリエルは寝付けなかった。

 理由はわからないが、どこか胸騒ぎのする夜だった。

 ベッドの上で何度転がっても、眠りに落ちることはできなかった。

 その結果、彼女は眠ることを諦めて外へ出ることにした。外の空気を吸って気分を入れ換えようというところだ。

 夜は冷えるので軽く着替えて、あとは剣を携える。そして、屋敷の者が起きないようそっと部屋を出てゆく。

 彼女が住んでいる屋敷は、北サンドリアにある上流階級の建物が立ち並ぶ一角にあった。

 ここサンドリア王国はエルヴァーン族の治める歴史ある国家だ。だが、アムリエルはエルヴァーンではなくヒューム族の娘。

 ヒュームの彼女がなぜ、エルヴァーンの上流階級の住むような区画で暮らしているかといえば、すべては両親の事情によるものだった。

 両親は他国より派遣された特別な駐在官なのだと、アムリエルは幼い頃に教えられている。

 今から十四年前。彼女がまだ三歳のとき、ここサンドリア王国に両親ともども赴任してきたのだ。

 故に、物心ついた時からこの国で暮らす彼女にとっては、この地こそが故郷ともいえた。

 アムリエルは住みなれた屋敷を抜け出し、街に出た。

 サンドリアの街は、堅牢な石壁によって作られた城砦都市だ。深い歴史を持つ国だけに、その光景には古式に満ちた重みが刻まれている。

 今は夜という時間もあってさすがに薄暗いが、十数年ここで暮らしてきたアムリエルにとっては迷うこともなかった。

 とりあえず彼女はこの街を抜けて、近隣にあるロンフォールの森にいくつもりだった。そこには最近、彼女が気に入っている場所があるからだ。

 だが、このような時間にアムリエルのような少女が一人で正門を抜けようものなら、衛士(ガード)に止められるのは目にみえている。だから、彼女は正門とは異なる秘密の場所から街の外へ出た。

 こうして森へ着いた彼女は、そのままお気に入りの場所へと向かう。そこは街からそれほど離れていない、東ロンフォールにあるシュバル川という場所だ。

 しばらく歩くとシュバル川のせせらぎが耳に入り、川原に辿り着いた。

 アムリエルは履いていたブーツを脱ぐと、澄んだ水の中に足を浸す。

「ふぅ」

 ひんやりとはしているが、心地の良い冷たさだった。もやもやとした胸騒ぎも洗われていくかのように。

 今夜は晴れており、空の月も綺麗にみえる。アムリエルはしばらくの間、川面に映った月と空の月とを交互にみつめた。

 先程よりは落ち着いたものの、まだ微かな胸騒ぎは残っていた。それが何からくるのかわからないことが、彼女にはもどかしくてならない。

 しかし、いくら考えたところで答えなどでるものではなかった。

 アムリエルは、ほどいていた黒髪を結い上げると、持参してきた剣を手に立ち上がる。そして、剣を抜き、素振りの稽古に入った。

 剣を構えると気持ちが引き締まるのを感じる。彼女は身体を動かすことによって、よくわからない胸騒ぎを忘れようとした。

 剣の手ほどきは、幼い頃より両親がつけてくれただけに、筋は決して悪くない。まだまだ荒削りな所はあるが美しい剣筋である。

 両親ともが騎士であるだけに、彼女が目指すものもまた騎士であった。それは誰かに強制されたものではなく、アムリエル自身で選んだ道でもある。それだけに自己の鍛錬は欠かさない。

 アムリエルはしばらくの間、無心になって剣を振るい続けた。その時だ。

 ヒュン!

 そんな軽い音とともに、何かが彼女に向けて投げつけられた。アムリエルはそれを払い落とそうとするが間に合わなかった。

 こつん。

 投げつけられたものが肩に当たり、足元に落ちる。それは小さな木の枝だった。

「アムは剣の振りが荒いから、咄嗟に払い落とせないんだ」

 枝が投げつけられた方角より、落ち着いた声が響く。

「リンクス……君?」

 アムリエルが訊ね返すと、予想通りの人物が姿を現した。そこに立っていたのは、エルヴァーン特有の長い耳をもつ長身痩躯の青年。赤毛を短く切りそろえたこのエルヴァーンの名は、リンクスという。

「こんばんは……といいたい所だが、こんな夜更けに女性一人だけでこんな所にいるというのは感心しないな。最近、オークたちの動きが活発なのはアムの耳にも入っているだろうに」

「ご心配ありがとう。でも、そういうリンクス君もここに何をしにきたの? 夜の森が危険なのは、なにも私だけに限ったことじゃないと思うけど」

「たしかにアムの言うとおりだな。ま、俺がここに来た理由も君と似たようなものかもしれない。少し身体を動かしたくなったんだ」

 リンクスはそう言うと、手に持った剣を見せる。彼はアムリエルがこの国に来て以来の幼馴染みであり、剣友でもあった。

「そうなんだ。なんだったら一緒に手合わせでもする?」

「してもいいが、負ける気はしないぞ。今夜の君の剣はいつも以上に荒々しく感じる。そんな状態で打ち込んできても、軽くいなしてしまうだけだ」

「そんなに荒っぽく見えた?」

「なんとなくだがね」

 リンクスの指摘に、アムリエルは少し恥じ入る思いだった。

 確かに今夜は、言い知れようもないもやもやがあるが、それを剣の振りにまで見せてしまうなど未熟な証拠だった。心の動揺を剣から悟られるようでは、勝てるものも勝てはしない。

「何か心配ごとでもあるのか? それとも誰かに嫌がらせでもされたか?」

 昔は彼女がヒューム族というだけで、差別や嫌がらせをしてくる者がいた。リンクスはそういった者たちから、何度となく彼女を守ったことがある。

「もう子供じゃないんだから、ちょっと嫌がらせされたぐらいでは落ち込まないわよ」

「だったら、どうしたというんだ?」

「…………自分でもよくわからないの。ただ、漠然と胸騒ぎがして眠れなくて」

「心当たりはないのか?」

「ないわ。だから余計に嫌な感じなの」

「なるほどな」

 リンクスは小さく頷くと、言葉を続けた。

「アムもオレのように、エルヴァーン流の正規の剣術を学んだらどうだ。身体だけでなく精神的な鍛錬もつけてくれるぞ」

「お誘いは嬉しいけれど、いまさらって気もするわね。私には父様と母様が仕込んでくれた剣術があるから。それに実戦さながらの試合になれば、教本通りのエルヴァーンの剣術より役に立つわよ」

「確かにアムの両親の剣術は実戦向けではあると思う。優雅さには欠けるがね。しかし、君が扱うには荒削りすぎる」

「だから、父様たちに近づくため練習してるのよ」

 父ラグエルや母アレイシアは、己が剣術を頼りに名声を上げてきた。娘の彼女がそれを受け継ぐことは、リーゼン家の名誉を背負うことでもあると思うだけに、他の剣術に走ることには躊躇いがあった。

 リンクスもこれ以上は何も言わなかった。アムリエルの剣は荒削りだが、その素質は彼も認めいている。それだけに彼女がどっちの剣術を続けるのが正しいのか、聡明な彼にもわからなかったからだ。

「そういえばリーゼン郷は今、サンドリアを留守にしているんだったな。いつ頃に戻ってくるんだい?」

 リンクスは話題を変えた。リーゼン郷というのはアムリエルの父親、ラグエルのことである。

「さあ。いつ頃かまではさすがに。大事な仕事で世界各国をまわるから長旅になるみたいだし」

「そうか。リーゼン郷がお戻りになったら、また旅のお話などをうかがってみたいものだ」

「私もそれは楽しみだわ。父様がしてくれる旅のお話は大好きだから。まだみたことのない世界の事も想像できたりしてね」

 そう言ってアムリエルは目を閉じた。

 父も母も若い頃は旅を続け、様々なものを見てきたという。だから彼女もいつか、世界各地を巡る旅に出たいとは思っている。もはや想像だけでは満たされないものもあったから。

 そんな風なことを考えたそのとき。アムリエルは急に現実に引き戻される。近くで人の悲鳴が聞こえたからだ。

「今のは?! 東のほうから聞こえたよね?」

「ああ、間違いない」

 リンクスが緊張した表情で頷く。それと同時にアムリエルは東に走り出していた。制止する間もない。彼もすぐに後を追った。

 夜の森は視界が悪い。霧がでてないのは幸いだったが、それでも見える範囲には限界がある。

 今、頼りになるのは月明かりだけ。

「気をつけるんだ。人の悲鳴がきこえたということは、近くにオークやゴブリンがいる可能性もある」

 追いついたリンクスがそう忠告し、アムリエルは走る速度を緩めた。

 確かにそろそろ慎重になる必要はあった。強いオークがいるとすると、二人がかりでも勝てる可能性は薄い。

 だが、そんなことを話している矢先、目のまえに人が倒れているのが見えた。周囲にオークなどの姿が見えないことを確認した二人は、倒れている人物の前に急いで駆け寄る。

 倒れているのは王国の巡回兵のようだった。全身血にまみれており、呼びかけてもこれといった反応がない。

 リンクスが息を確かめてみるが、暗い顔で首を横に振った。

「駄目だ。こときれている」

「…………そんな」

 アムリエルは目を逸らした。こんな間近で人の死をみるのは初めてのことだった。

 見知らぬ者の死とはいえ、悲しいものを感じる。

「どうやらオークにやられたものと見て間違いないだろう。奴らの臭いがする。だが、この傷口は槍によるものだ。このあたりに槍を扱うオークなどいただろうか…………」

「新手のオークがいるってことかしら? 父様から聞いたことがあるんだけど、別の地方にはこことは比べ物にならないほどの強いオークもいるって」

「その可能性はあるかもな。最近のオークたちの活発さを考えると、なにか良くないことが起きつつあるのかもしれない。それにこの槍の傷口。ほぼ一突きで兵士を仕留めている。これがオークの仕業とすれば、相当な手練れだ」

 リンクスは常に冷静に状況を見て取る。

「そんなオークが近くにいるとなれば、ここにとどまるのは危険ね。亡くなったこの兵士のことも街の衛士(ガード)に知らせないと」

「ああ。それが賢明だろう」

 二人は立ち上がって街に戻ろうとする。

 だが、時すでに遅し。

 闇の森の中。二人の近くで野獣のような唸り声が響く。ひとつやふたつではない。周囲をとりかこむようにして、嫌な気配がひろがってくる。

「くそっ。気づくのが遅かったか」

 唇を噛むリンクス。アムリエルも頷きながら剣の柄に手をかけた。

 次の瞬間、闇の中よりずんぐりとした体型の生き物が姿を現す。それはオークに間違いなかった。

 その数は四体。

 手斧を持ったオーク、杖を構えたオーク、素手のオークと様々だが、中にはこの辺りでは見慣れないオークもいる。そいつは槍を構えていた。

「ナンダ。コムスメとコゾウ……か」

 槍を持ったオークがカタコトの共通語で喋った。

 本来ならば、小娘呼ばわりされた事に悔しさを覚えるところであるが、今はその余裕すらなかった。オーク四体に囲まれ、絶対絶命の状況なのだから。

 この現状を脱出するのはかなり難しいように思えた。アムリエルの脳裏に、先程亡くなった兵士の姿がよぎる。

 自分もあのように殺されるのだろうか? 今夜感じていた胸騒ぎは、このことを予見していたのだろうか?

 ゆっくり考えていられる状況ではなかった。オークたちはじわじわと距離を縮めてくる。

「アム。俺が突っ込んで奴らの注意をひく。君はその間に全力で逃げろ」

 リンクスが小声で指示をだした。

「馬鹿なこと言わないで。そんな指示には従えないわ。何か策があるなら別だけど」

 だが、彼は首を横に振った。

「残念だが策はない。うまくいって君を逃すので精一杯だ」

「だったら従えない。私があなたを置いて逃げれるような性格だと思ってるの?」

「…………思わないな。だが、時には冷酷になることも必要だ」

「だからってあなたを犠牲にするなんてできないわ。そんな事を言う暇があるんだったら、二人で逃げられる方法を最後まで粘って考えて!」

 アムリエルは強い語調で言った。

 正直、今の自分たちの実力ではこの状況は明らかに絶望的だ。しかし、誰かを犠牲にしてまで生き残るなど絶対に嫌だった。かといって自分を犠牲にする気もアムリエルにはなかった。

 オークたちはゆっくりと間合いをつめてくるだけでまだ時間はある。とにかくその間に考えぬくのだ。

 諦めるにはまだ早い。諦めるのはもっと状況が悪くなってからでいい。

「リンクス君。私が三秒数えるわ。そしたら、杖をもったオークに二人で突っ込みましょう。おそらくあれは魔道士だろうし、接近戦には慣れていない筈。二人で勢いよく突っ込めば怯む可能性もあるわ。そこを突破して逃げ切るの。いい?」

 アムリエルは咄嗟に思った考えを早口で言う。

「いいだろう。反対する理由はない」

 リンクスは素直に頷いた。同じ危険な行為ならば、彼女が望むとおり二人で助かる道に賭けてみるしかない。

 それに、これ以上は考えている時間もなかった。オークたちはもう目と鼻の先だ。

「いくわよ。一、二、三っ!」

 合図がなされた。アムリエルたちは剣を構え、気合の声と共に大地を蹴って駆け出す。

 これにはオークたちも意表をつかれたようだった。二人はそのまま勢いをおとさず、杖をもったオークに仕掛けると見せかけて、相手が怯んだところを突破してゆく。

 作戦はうまくいったように思われた。あとはなりふり構わず逃げ切るだけだ。

 しかし。

 その思惑はすぐに崩される。次の瞬間、アムリエルの足が地面にはり付いたように動かなくなったからだ。

 これは杖をもったオークの仕業だった。黒魔法〈バインド〉。それが彼女の足を束縛する原因だった。

「アムっ!」

 リンクスが異変に気づいて振り返る。

「走って! 止まったらあなたまで殺される」

 アムリエルは涙目になりながらも、必死になって叫んだ。

 自分はもう助からない。足が動かないことも手伝って、死ぬことの恐怖が彼女を支配する。だが、それ以上にリンクスまで殺されるのは嫌だった。

 幼い頃、彼は何度となくアムリエルを助けてくれた。その恩返しは今もまだできていない。

 父や母のような騎士にはなれなかった。でも、せめて最期くらいは騎士のように誰かを守って死にたかった。

 アムリエルの想いはリンクスに伝わっただろうか? 

 わからなかった。

 何故なら次の瞬間には頭部に鈍痛がおこり、アムリエルの意識は闇に落ちていったから…………。

 

 

§

 

 目覚めはお世辞にも快適とはいえなかった。

 身体の自由が利かず、まわりからはねっとりとした腐臭が漂ってくる。

 アムリエルはそんな中で、うっすらと目を覚ました。

 頭にはまだ鈍い痛みが残っていた。その痛みが幸か不幸か、彼女を現実に立ち返らせてくれる。

(私…………生きている?)

 彼女は段々と、オークに襲われた時のことを思い出した。てっきりあの場で殺されたと思っていたのに、まだ死んでいる感じではい。

 だが、生きているとはいえ、誰かに助けられたという訳でもなさそうだった。

 今、アムリエルは硬い床に転がされ、手足をきつく縛られていた。

(ここはどこかしら?)

 意識がはっきりするにつれて、そんな疑問も湧いてくる。

 どこかの部屋の中のようだが、まるで家畜小屋のような場所だった。

(もっとよく確認しないと…………)

 寝返りをうって周囲の状況を確かめようとしたその時、耳馴染んだ声が近くから響いた。

「目が覚めたのか。アム」

 驚いた彼女は、声のする方向に首をむける。するとそこには、アムリエル同様に手足を縛られたリンクスがいた。

「リンクス君! 無事だったんだ」

 この状況で無事という言葉が適切かはわからないが、生きているとわかっただけホッとした。

「とりあえず殺されることはなかった。どういうつもりかはわからないがな」

「私たち、どういう状況にあるの?」

「オークに捕らえられたんだ。そして、こんな小屋に軟禁されている」

 リンクスは悔しそうに呟いた。

「小屋? ここは一体、どこなの?」

「ゲルスバだ」

 その名はアムリエルにも聞き覚えがあった。ゲルスバはサンドリア王国の目と鼻の先。オークたちが近年になって砦を築いた場所だ。つまりはこの地方における、オークたちの前線基地ともいえる。

「厄介なところね。手足を縛られていたら逃げることもできないし」

「お世辞にも良い状況でないのは確かだ。だが、アムが目を覚ましてよかった。かれこれ二日以上も気を失っていたんだぞ」

「そんなに?」

 アムリエルは驚いた。

 部屋に差し込む光が明るいことから、一晩は経っていると思ったが、二日以上の時間が流れているとは予想もしなかった。

「私たちどうなるのかしらね?」

「わからない。今のところは生かされているが、その理由も不明のままだ。ここに放りこまれて以後、時折オークたちが様子を見には来るが、何かをしてくるということはなかったからな」

「…………それも何だか不気味ね」

 アムリエルがそう言った時、小屋の外側から何者かが近づいてくる音が響いた。

 そして戸が開けられ、一体のオークがこの部屋の中に入ってくる。

 二人は身を硬くしてオークを睨んだ。

「コエがスルとオモエバ、コムスメもようやくオメザメか」

 カタコトの共通語。そのオークの姿には見覚えがあった。以前、対峙した槍をもったオークだ。

「ホラ。くえ。キサマラのエサだ」

 そう言って投げつけられたものは、調理も施されていない生のウサギの肉だった。とてもではないが食べられたものではない。

「こんなものをオレたちに食えというのか」

 肉を軽く一瞥してから、リンクスがつぶやく。

「ガシされてもコマルかなら。サイテイゲンのエサはクレテヤル」

「…………餓死されては困るか。オレたちを生かしてどうするつもりだ?」

「キサマラはヒトジチだ。アルやつをオビキダスためのナ」

「そいつは初耳だな。誰をおびき出すつもりだ?」

「アレイシア・リーゼンというオンナだ」

 思いもしなかった名前がオークの口からもれ、二人は目を見開いた。アレイシア・リーゼンといえば、アムリエルの母親の名前だからだ。

「そっ、その人をおびき出してどうするつもりよ!」

 アムリエルが震える口調で訊ねた。

「コロス。ソレがオレたちにアタエラレたメイレイだからナ」

「命令だと? 誰がおまえに命令をしている」

「ヤカマシイ。これイジョウ、キサマにコタえるリユウなどナイ!」

 オークはそう言うなり、リンクスを殴り飛ばした。アムリエルは心配そうに彼を見つめてから、最後にはオークを睨みつける。

「ナンダ、そのメツキは? コムスメ。キサマもオナジメにアイタイか?」

「やれるものならやってみなさいよ」

「止めろ、アムっ」

 リンクスが制止する。だが、母親の命を狙おうとするこのオークを前に、アムリエルは完全に冷静さを失っていた。

 身体の自由が利いていたら、迷わず飛び掛っていた筈だ。それができなかったのは不幸中の幸いといえるだろう。

「マアイイ。ナグリコロシテしまっては、ヒトジチにナランからナ。スデにサンドリアにもテをうってアルのだ。アレイシアがクルマデ、キサマらはオトナシク、エサでもクッテろ」

 オークはそれだけ言うと、ブフゥっと鼻を鳴らしてこの場を去っていった。

 アムリエルは悔しさに身を震わせた。

「…………どうして母様があんな奴に狙われてるのよ」

「わからない。だが、あのオーク。君がアレイシア殿の娘であることには気づいていない様子だな」

 リンクスが冷静に指摘した。

「そんな感じだったわね」

「それはそれで幸いといえるが、気になるのは、誰があのオークに命令しているかだ」

 アムリエルも頷いた。胸によぎる不安はより一層強まっている。

「個人的な怨みか、何かの陰謀によるものか。それすらもわからないんじゃね」

 わかったところで何かができる保証もないが、これが大きな陰謀の中に成り立ったものだとすると、アムリエルの今後にも影響は出てくるはずだ。

「……こんなところでじっとしている訳にもいかないわ。脱出しないと」

「手足も縛られている状態なんだぞ。どうする気だ」

「そんなの決まってるじゃない。まずはこの部屋の中で縄が切れそうなものを探すのよ」

 言うや否や、アムリエルは身をよじらせて周囲にあるものを物色した。だが、縄を切ることのできそうな刃物類は見つからない。

「私たちの持っていた武器はどうなったの?」

「取り上げられた。部屋の外側に放置されているはずだ」

「そうなると、他に役立ちそうなものなんて…………」

 近くに転がっているものはウサギの生肉やゴミ同然の臭い藁。あとは粗末なガラクタや数える程度のお金、クリスタルなどが無造作に放置されているといった感じだ。

 あまりの乱雑ぶりに呆れかけたアムリエルだが、ふとあるものに目を向けなおす。

 それはクリスタルだった。雑然と転がされた何種類かのクリスタルの中に、赤い光を宿したものが見つかる。

 炎のクリスタルだ。

(ひょっとしたらいけるかもしれない)

 アムリエルの脳裏に、ひとつのアイデアが浮かび上がった。彼女はそれを実行すべく行動を開始する。

「なにをする気だ?」

「うまくいくかはわからないけど、まあ見ていて」

 炎のクリスタルに近づいたアムリエルは、縛られた手でどうにかそれを掴む。そして、掴んだクリスタルに意識を集中させた。

 万物は八つの元素によって構成されており、クリスタルはその色によって各々の元素の力が凝縮されている。炎のクリスタルはその名の通り炎の力を宿し、集中次第によっては、宿された元素の力を引き出すこともできると聞いたことがある。

 アムリエルはクリスタルを通じて、炎の形をイメージした。

 力を引き出す際に大事なのは、いかにその力を明確に思い浮かべるかだ。

 するとどうであろう。アムリエルが集中するにつれ、炎のクリスタルは次第に熱を帯びてゆく。あまりの熱さに掴んだ手を離しそうになるが、彼女はそれに耐える。

 そして次の瞬間。

 クリスタルが爆ぜた。手に掴んだそれからは小さな炎の塊が生まれ、手首を縛った縄を焼き切った。

 彼女の思惑はうまくいったのだ。

 アムリエルは自由になった手で足の縄もほどき、そのままリンクスの縄もほどきにかかった。

「まったく。なんて無茶をするんだ」

「うまくいったんだから、ほめてくれてもいいんじゃない」

 リンクスの非難にアムリエルは憮然として言い返す。

「しかし、女性である君が火傷を負ってまですることじゃない。今度からああいうことをやるのならオレに言ってくれ」

「心配してくれているんだ?」

「当たり前だ。オレは必要以上にアムが傷つくのは嫌なんだ」

 その言葉の後、二人の視線は不意に絡みあった。

 何故だか気まずい沈黙に包まれる。

 さっきの言葉には深い意味があるの? アムリエルはそう思ったが、それを問うのは躊躇われた。

 少なくとも今は、そんな悠長なことを言ってる場合でもないのだから。

「…………とりあえずほどけたわ」

「すまない」

 自由になった手足を軽く動かし、リンクスが礼を述べる。

「でも、これからが問題ね。どうやってここを逃げ出すか。リンクス君は外への抜け方、わかるかしら?」

「道ならば覚えている。オレは自分の足でここまで連行されたからな」

「ならば隙をつけば脱出できるかもしれないわね」

 アムリエルはそう言い、覗き窓から小屋の外の様子を確認する。

 広い野営地には粗末な櫓や小屋が建てられ、何体かのオークが徘徊しているのが見えた。その数は思っていたほど多くはない。

 あと、自分たちが閉じ込められている小屋の周りも調べたが、鍵がかかっている様子もなければ、見張りがいる気配もなかった。手足を縛ったことで完全に油断しているのだろう。

 脱出するなら今がチャンスかもしれない。アムリエルはそう思った。

「リンクス君、今すぐにでも動けそう?」

「オレなら大丈夫だが、アムのほうはいいのか」

「私も平気よ。外は昼間だし、周りにはオークたちの数も少ないわ。脱出するにはチャンスかもしれない」

「確かに昼間ならば、オークの視界も良くないな」

 オークたちは夜目こそ利くが、昼間は視界の幅が狭まる。

 アムリエルとリンクスは互いに頷きあうと、ここから脱出すべく行動を開始した。

 まずこの小屋の扉を開けると、無造作に放置された二人の剣がみつかった。それを取り戻すと、今度はリンクスの案内で慎重に野営地の外側へ抜けてゆく。

 遠くの方でオークたちの姿がみえるが、二人が小屋を抜け出したことには気がついていないようだった。

 しかし、そう思ったのも束の間。しばらく移動した先で、なにやら騒ぎが聞こえてきた。荒々しいオークの唸り声だ。

「しまった。気づかれた?」

「いや、それにしては方角が妙だ。オレたちが逃げてきた所とは違う場所からだ」

 二人は近くの物陰に隠れ、騒ぎのする側をそっと覗き見た。すると、驚くような光景が二人の目に飛び込んでくる。

「子供がオークに追われている?」

 リンクスが言葉に出した。

 遠目に見える光景は、まさにそうとしか例えようのないものだった。

 小さな子供が、あの槍を持ったオークに追われているのだ。

 どうしてここに子供がいるのか? 

 そんな疑問も一瞬よぎるが、二人のように人質として捕まったという風にも考えられる。

「助けないとっ! 放っておくことなんてできないわ」

 アムリエルが小さく叫び、剣を抜いた。だが、彼女よりも先にリンクスが動く。

「オレがあのオークの注意をひく。アムはその隙をついて、あの子の手をとって逃げろ」

「え、ちょっと!」

 反論する機会も与えられず、リンクスがオークへと突っ込んでゆく。

 色々考えるだけの時間がないのも事実だが、今の指示には素直に頷く事などできなかった。第一、子供を助け出したところで、アムリエルだけでは外に出る道がわからない。

 とりあえず彼女も遅れて走り出した。

 先に突っ込んだリンクスは、石をぶつけることによってオークの注意をひき、戦いに入ろうとしていた。

 次の瞬間、リンクスの剣とオークの槍が激しくぶつかりあう。

 だが、戦いの分は明らかにオークのほうにあった。

 剣の突きを槍で払ったオークは、そのまま巧みに穂先を動かしリンクスの左肩を貫く!

「くあぅっ」

 激痛に加えて大量の血が肩から噴き出し、リンクスは左腕の感覚を失った。

 それを見たアムリエルは足が竦む。

 どうすればいいの?

 正面から戦って勝てる相手とは思えなかった。このままリンクスを見捨てて、子供だけを救うのが正しいのだろうか? 

 いや、それ以前に自分はこの場を動けるのだろうか? アムリエルの竦んだ足は、次第に震えだしそうだった。

 力がないことが悔しかった。力さえあれば皆を救うこともできるだろうに。

 敵を打ち砕くだけの力が欲しいのではない。アムリエルが欲するのは人を守るための力だ。

 でも今は、純粋に敵を斃したいとだけ願った。持っている剣だけではあまりにも頼りなさすぎる。

 その時、アムリエルは手近なところに一本の真新しい槍が置かれているのを発見した。

(………………こうなったらイチかバチかよ!)

 震える己を叱咤し、彼女は素早く槍を拾い上げて両手で構える。そして、穂先を前面に押し出すと、気合いの声と共に突撃(チャージ)を開始した。

 槍自体あまり使い慣れてはいなかったが、いまは目の前の敵を貫くことだけを考える。

 走るにつれオークの姿が間近に迫った。アムリエルは助走の勢いを落とさず、全体重をのせて槍ごとぶつかっていく。

 そして。

 槍は見事にオークを貫いた。深々と突き刺さったそれは致命傷といってもよい。

(やった?)

 アムリエルは確かな手ごたえを感じた。

 しかし。目の前のオークの生命力は、彼女の想像の範疇を超えていた。

 オークは苦悶の声をあげると、アムリエルを乱暴に払い落とす。

「きゃあ」

 背中から地面に叩きつけられたアムリエルは一瞬息が詰まる。

 何とか起き上がろうとするが、その時にはオークの持った槍が眼前に迫っていた。

 避け切れる距離ではない。アムリエルは今度こそ死を覚悟した。

(ごめんね)

 目を閉じると、悔いた気持ちだけが広がる。リンクスも子供も、このままではどうなるかわからない。

 助けてあげたくても、彼女に残された手はなかった。

 だが、その時である。

 彼女の目の前で大きな音が響き渡った。

 それは例えるならば、雷の轟音のような音だった。それに続いてオークの断末魔の叫び。

「…………え?」

 アムリエルはおそるおそる目を開いた。するとそこには、黒焦げになったオークの死体が転がっていた。さっきまで彼女に槍をむけていたオークに間違いない。

 どういうこと? 疑問に感じた直後、聞きなれない声が近くよりかけられた。

「大丈夫かね」

 声のした側を向くと、そこには彼女たちが先程助けようとしていた子供の姿があった。

 だが、冷静に近くで見ると違和感があった。背丈はヒュームの子供並みだが、その落ち着きぶりは子供のそれとは異なる。

「あなた、タルタル族……なの?」

「いかにも。俺はタルタル族のカリアスというものだよ」

 アムリエルの問いに、目の前のタルタルはそう答えた。そして今度はリンクスの声がする。

「どうやらオレもアムも、この彼に救われたみたいだな」

「リンクスくん! 大丈夫?」

「ああ。今は平気だ。怪我の方も彼の癒しの魔法で治ったからな」

「…………よかった」

 アムリエルは安堵すると共に、カリアスに何度も礼を述べた。オークにとどめをさしたのも彼の魔法のおかげということだった。

 つまり二人は、助けに入った相手から逆に助けられることになったのだ。

「それはそうとカリアスさんはこんな所で何を?」

「人をさがしているんだ。アムリエル・リーゼンという娘さんを」

 目の前のタルタルの言葉に、アムリエルは目を丸くした。

「あの、アムリエル・リーゼンは私ですが……」

「君がそうなのか? なるほどな。言われてみればたしかに似ている」

 カリアスは彼女を見て、どこか一人で納得したように笑った。

 アムリエルとリンクスは互いに顔を見合わせ、首をかしげる。

 どういうことなのか、さっぱりわからなかったから。

 だが、この場での出会いこそが、後に二人の運命を大きく動かすことになろうとは、今の二人には想像だにできなかった。

 

 

§

 

 サンドリア旧家の一室にそれはあった。“小箱の広間”と呼ばれる部屋が。

 そこは秘密結社“水晶連盟”のサンドリアでの会合場所でもあり、数々の重大な決定がなされてきた場所でもある。

 “小箱”の名は、その場所が小さな箱庭のような世界であったことが由来だ。国家や種族の垣根を越えた理想とされる世界。それがこの、小さな箱庭世界のような部屋に存在する。

 誰がそう呼び始めたかはさだかではないが、いつしかこの部屋はその名で定着していた。

 今、“小箱の広間”には、カリアスと一人の女性がいた。

「ありがとうカリアス。あなたのおかげで、娘まで失うことにはならなかったわ。心から感謝していてよ」

 その女性…………アレイシア・リーゼンは、カリアスに深く頭を下げた。

「礼などいらないさ。俺は君の旧い友人として、当然のことをしたまでだ」

「そう言ってもらえると助かるわ」

 言葉こそ落ち着いてはいるが、カリアスは彼女の心にある重いものを理解はしている。

 数日前に夫を失い、昨日までは一人娘をも誘拐されていたのだ。胸中を察すれば、その心労がいかなるものかは想像もつく。

 それでもあからさまに取り乱したりしないところは、彼女の強さの現われであった。さすがはラグエル・リーゼンの妻、アレイシアといったところであろう。

「それより、問題は今後のことね」

 アレイシアの言葉にカリアスは無言で頷いた。

「夫が亡くなった以上、“旅団”構想の計画は大幅に遅れるわね。このまま中止になってしまうのかしら」

「計画の遅れは否めないだろうが、中止するのはどうかと思う。リーゼン卿が長い時間をかけて温めてきた計画だけにな」

「そうね。私もここで計画を白紙に戻したくはないわ。誰かが意思を継いであげないと、夫や死んでいった仲間たちが浮かばれないもの。でもそうなると、それを継ぐのは私ということになるのかしら?」

「理想を言えば、君が一番の適任者であるのは間違いない。リーゼン卿のやり方を一番見てきているのは君だからな」

「やっぱりそうなるのね。…………でも、正直な所をいえば自信なんてないわ。夫のやり方はずっと見てきたけれど、私にはせいぜいその真似事くらいしかできないと思うの。国家や種族を繋ぐ架け橋になるにも、確固たる信念と柔軟性が必要だわ。私なんかで、どこまで出来るかしら」

「君らしくないな。最初から気負う必要はないだろう。君はリーゼン卿の意思を継ぐ上で、自分のやり方をみつければいい」

「確かにあなたの言う通りね。ごめんなさい。夫を失ったことが堪えているのか、弱気になっているわ」

 アレイシアは自嘲気味に呟いた。

 そんな彼女を見かねてか、カリアスは次のようなことを口にした。

「君に自信がないのなら、もう一人だけ適任者がいる」

「え?」

「君の娘さんだよ。アムリエル殿……だったかな」

「あの子を?」

 アレイシアは驚いた様子であった。

「俺が見るところ、彼女はまぎれもなく君とリーゼン卿の血を引いているのがわかる。若い頃の君たちにそっくりだ」

「でも、あの子に“旅団”の計画を継がせるのは…………」

「早いとでも思うのかい?」

「ええ。あの子はまだ未熟ですもの」

「心配はわかる。だが俺は、今だからこそ良い時期だと思っている。それに今回の事件にしても、このまま我々の事情を隠し通せはすまい」

 アムリエルにはまだ、父親が亡くなったことやアレイシアが狙われた理由などを教えてはいない。

 だが、このことはカリアスが指摘する通り、遅かれ早かれ話さねばならないことだろう。そして、すべてを知った上でアムリエルが何を望むかも、母親としては容易に想像がついた。

「あと、君を狙ってきた連中についてだが、明らかに我々の計画に気づいてのことだろう。連中が何者であるのかはハッキリしてないが、このまま引き下がってくれるとも考えにくい。しかしそうなると、また今回のような事が起こるかもしれない。アムリエル殿にも害が及ぶ可能性があるのなら、今のうちに実戦で鍛えさせた方がいいのではないか?」

「私たちはすでにあの子を巻き込んでいるのね」

「皮肉な話だがな」

「これが運命というのならば、あまりにも残酷すぎるわね。夫や私を狙ってきた連中にしても、獣人たちだけでは正直、ここまで統率のとれた動きがとれるとは思えないし。…………ねえ、カリアス。あの噂は本当なのかしら」

「〈闇の王〉が復活したという話かい?」

 その忌まわしき名が口にされた途端、アレイシアは静かに頷いた。

「あなたの耳にも入っていたみたいね。でも、この噂が真実だとすると、人々は再び絶望の時代を迎えることになるわ。そして娘も、そんな恐ろしい敵たちに立ち向かわなければいけなくなる」

 アレイシアは一度溜め息をついてから言葉を続けた。

「せめて娘には、平和な時代を生きて欲しいと思っていたわ。そのために私たちは、先のクリスタル戦争で勇敢に戦ってきたんだから。それなのにまた暗黒の時代が到来するとしたら、私たちのやってきたことは何だったのかしらね」

「意味はなかったとでも?」

「そこまでは思いたくないわ。でも……」

「大丈夫だ。意味ならちゃんとある。恐ろしい闇が世界を覆いつくそうとしても、平和を取り戻すために立ち向かう者はいる筈だ。どんな世界、どんな時代であろうと、人はあがいて生きるものだからな。俺たちは先の大戦を通じてそれを知った筈だ。そして俺たちも、再び訪れるかも知れない世界の危機に対し、こうやって動いているじゃないか」

「確かにあなたの言うとおりね」

 得たものも失ったものもある。それでも無駄と思えるものはなかった筈だ。

「君の娘さんならきっと大丈夫さ。彼女には仲間もいるからな」

「リンクスのこと?」

「ああ。彼にも事情は話さねばなるまい。そして彼ならきっと、君の娘さんの力になってくれると思う。あとは俺も、彼女のために力を貸そう」

 カリアスの最後の一言に、アレイシアは更に驚いた顔をする。

「あなたも娘の手助けをしてくださるの?」

「驚く話じゃないだろう。彼女たちが一人前に成長するまでは、誰かが見守ってやらねばなるまい」

 そう言って、カリアスは薄く微笑んだ。

 アレイシアは目頭が熱くなるのを押さえて、彼に頭を下げた。

「ありがとう、カリアス。あなたが力を貸してくれるなら私も安心できるわ」

「礼は不要だよ。それにこういうのもなんだが、君の娘さんにはリーゼン卿と同じ魅力を感じる。いや、それ以上のものかもしれんな。俺は彼女がどういう風に運命を切り拓くのか見てみたい」

「娘に惚れたのかしら?」

「茶化すなよ」

 アレイシアに冗談を言う余裕ができたことが嬉しかったのか、カリアスも少しおどけた調子で肩をすくめる。

「だが真面目な話、君の娘さんは幼い頃から異種族と交じって暮らしてきたせいもあってか、異種族の者に対する偏見はないように思える。これは種族や国家の垣根を越える“旅団”を率いるにあたって、重要な資質だ」

「そうかもしれないわね。あの子は父親以上にそういう部分が自然だから」

「とりあえず君の娘さんとも詳しい話をせねばなるまいな」

「ええ」

 アレイシアも意を決して静かに頷いた。

 母として娘を危険な旅に赴かせるのは忍びなかったが、いつかは旅に出る筈の娘だったのだ。ならば今、娘がそれを望むのであれば、少しでも力になってやりたかった。

 

 こうしてアムリエルが、父たちの意思を継いで旅立ったのは、二ヶ月先のことだった。

 

 

〈了〉

 

 

【あとがき】

 

 この短編は、私の遊んでいるオンラインRPG「ファイナルファンタジーXI」を題材にした小説だったりします。

 ゲームの世界観を背景としていますが、半分近くは私の勝手な想像で書いてる所もあるので、間違いがあったり、イメージと違っている部分もあるかもしれません。優しい目で見守っていただけると幸いです(苦笑)

 今回の登場人物であるアムリエルは、私が実際のゲーム内で使っているキャラクターで、リンクス君やカリアス殿もゲーム内での仲間だったりします。他にも今回は小説では登場しなかったものの、フォウ殿やハクリュウ殿といった仲間もいて、「小箱旅団」というグループも作っていたりします。

 私自身、最近このゲームを始めたのですが、こういった素晴らしい仲間に囲まれているせいもあってか、殆ど孤独に感じることはありませんでした。

 今回の短編は、私をこんな素晴らしい世界に誘ってくれた方々へのお礼も込め、こっそり執筆してみました。

 特に「小箱旅団」が本格的に結成された際、カリアス殿のプレイヤーさんがステキな設定を掲示板に書き込んでくれたのもあり、それをより明確な形にしてみようという思いもありました。

 まあ、ゲーム内で遊んでいるキャラクターは小説ほど重いものを背負っている訳ではありませんが、RPGは役割を演じるゲームでもありますし、設定などが細かく決まっていれば、キャラクターにもより愛着が増します。

 普段のゲーム内では表現できないようなキャラクターのドラマを、こういった小説を通じて補完しようとしたのですが、果たしてどこまで楽しんでもらえるかが気になるところです。

 最後に。

 いつもゲームの中で遊んでくださっている、旅団の仲間やユニコーン・サーバーの皆様。これからもよろしくお願いします。

 あと、これからこのゲームを遊んでみようという人で「小箱旅団」にも興味があるという奇特(笑)な方。メールや掲示板などでご一報頂ければ、歓迎もいたします。

 私自身、まだゲーム内ではへっぽこ旅団長ではありますが、小説のキャラクターに負けないぐらいの心意気で頑張っていきたいと思っております。

 

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