伝えたいカタチ
ずっと昔からの、大切な気持ち
甘いお菓子に詰め込んで
これまでも、そして、これからも
あなたに贈り続けたいな
2月に入ると、デパートの食品売り場などで良く見かける光景。
そこでは、特別コーナーなどを設けて、チョコレートを販売している。
そう。もうすぐ2月14日。バレンタインデーだから……。
想いを寄せる男性、親しい男友達、それぞれに配る人のことを思って、女の子たちはチョコレートを選ぶ。
そして今日は、私こと……七宮 雛も、そんなチョコレートを選ぶ一人の女の子であった。
「う〜〜〜ん。どれにしようかな〜」
口もとに指をあて、あれこれと思案。
目の前には沢山のチョコレートが並んでいて、どれも目移りしてしまう。
普通にオーソドックスなものもあれば、バレンタイン用に可愛く仕上げられたものまで様々。見ている限りには楽しいのだけど、選ぶとなると色々と迷う。
私の場合、買いこむチョコレートの数もそれなりにある。
アイドルとして所属する事務所の人々、現在の仕事でお世話になっているテレビ局のスタッフの方々など、配らなければならないところは沢山あるのだから。
そして、絶対に忘れてはいけないのが、大好きな牧兎くんにあげるチョコレート。
彼にあげるチョコレートだけは、買い合わせのものではなく、毎年手作りでプレゼントはしている。
勿論、今年だって手作りのものをプレゼントするつもりだ。そのためにも、材料となるチョコも調達しないといけない。
でも、そうやってチョコレート選びに悩んでいると、急に後ろから肩を叩かれた。
私は背後に振り向く。すると。
「わ! 牧兎くん!!」
そこに立っていたのは、私の大切な人、和泉牧兎くんだった。
「よ、雛。こんなところでチョコレート選びか?」
「え? う、うん。まあ、そんなところかな」
急に彼と会うだなんて思ってもいなかった分、少し心臓がドキドキする。付き合い出して長いんだけど、未だに牧兎くんと会うと気分が高揚して、ときめくような気持ちで一杯になる。
「こんな所で会えるだなんて運命だな」
「わあ。牧兎くんがそんなこと言うのって珍しいね。でも、これが運命だったら、私も嬉しいな」
「俺はいま、雛と会えた喜びで一杯だ」
牧兎くんの言葉に、私は真っ赤になって照れてしまう。大好きな人にこういう言葉をかけてもらえることほど、幸せなことはない。
最近の牧兎くんは、随分と積極的になってきたけれど、会って早々、周りに人がいる状況でこんなことを言うのは珍しいかな……。
しかし、私がそんなことを考えているよそで、牧兎くんは近くにあった大きなチョコレートを取る。
「雛。俺用のチョコレートはこれがいい」
「え? 牧兎くんには今年も手作りで……」
「だが、手作りだとすぐに食べられないだろう」
「すぐに食べられない?」
彼の言っている意味が良くわからず、首を傾げる。
「俺、腹が減ってるんだ。だから、このチョコレートを買って、今すぐにプレゼントしてくれ」
「そんな! ダメだよ。チョコレートはバレンタインデー当日にあげないといけないんだよ」
「堅苦しいこと言うなよ。そんな法律がある訳でもないんだからさ。ここで雛にまで見捨てられたら、俺は空腹でのたれ死ぬかもしれない」
「のたれ死になんて縁起でもない。大体、どうして空腹なの? チョコレートじゃなくても、何か別の物でも買って食べればいいのに」
「そうしたいのは山々なんだが、バイトの給料が出るまで生活が苦しいんだ。食事の回数も抑えていてさ。今日はこの店で試食コーナーがないか探していたんだが、結局何もなかったし」
「そんな無茶な生活したらダメだよ。相談してくれたら、何とかしてあげたのに」
牧兎くんの状況を聞いていると、かなり心配に思えてくる。試食コーナーで空腹を満たそうだなんて、相当に追い詰められている証拠のような……。
「忙しい雛に心配をかけるのも何だったからな。でも、今日ここで会えたのも運命だ。贅沢は言わないから、このチョコレートだけでもプレゼントしてくれ」
「……もしかして運命って言ったのは、私に会えた喜びよりも、空腹を満たせるかもしれないチャンスだから?」
「そうだな。そっちの方が大きいかもしれない。地獄に仏。空腹に雛。そんな感じだ」
「ひ、ひどいよ……」
気がつくと私はポロポロと涙を流していた。牧兎くんにかけてもらった嬉しかった言葉の意味が、そんなものだったなんて。
近くにいた他の女の子たちは、私たちの方を見て、ひそひそと何かを言っていたりする。
「お、おい。雛も泣くことはないだろ。人が見てるだろ」
少し慌てたような牧兎くんの声。けれど私は……。
「だって……とても傷ついたんだもの」
何とかして泣きやもうとはするんだけど、不思議と涙が止まってくれなかった。
「とにかくここにいると目立つ。離れるぞ!」
牧兎くんはそう言って私の手を引っ張ると、エレベーターに乗ってデパートの屋上にまで連れていった。
屋上外は、自販機や休憩用のベンチなどがあるけれど、今は2月の肌寒さもあってか人は誰もいない。
「とりあえず、このへんでいいか……」
牧兎くんはぐったりとしてベンチに腰掛ける。
「雛も座れよ」
「う、うん」
頷いて私も座るが、まだ涙で頬は濡れていた。そこへ、ハンカチが差し出される。
「使えよ。……それと……一応ごめんな」
「私こそごめんね。泣くつもりなんてなかったのに、何故か涙が出てきちゃって……」
「雛って昔からそうだよな。小学生の頃まで遡ると、おまえが泣いている顔しか思い出せないくらいだ」
「うん。あの頃の私は今よりも泣き虫だったから……。牧兎くんに冷たくされて、どれほど泣いたかわからないくらいだよ」
「冷たくって……まあ、あの時は俺だって恥ずかしかったんだ。雛が訳わかんないことばっかり言うから、どれだけクラスの連中に冷やかされたことか」
「……ごめんね。でも、私は牧兎くんが好きだったから、ああいうしかなかったんだよ」
「雛は泣き虫の割りに強引なところあるからな。結局、俺のほうが根負けして、おまえが恥ずかしいことを言わないように監視しなきゃいけなくなったし」
牧兎くんの口から語られる、ちょっとした思い出話。
「監視かあ。そういえば牧兎くん、そんなこと言ってたよね。でも、それが私たちがちゃんと付き合うきっかけでもあったんだよね」
「何故か雛といることが多くなったからな」
「私は何だか嬉しかったよ。牧兎くんが、ず〜っと見つめてくれているんだもん」
「あの時は、睨んでただけだ」
「それでも嬉しかったよ」
目を伏せて、過去の出来事に思いを馳せる。
牧兎くんとの思い出で、忘れていることなどほとんど無い。どれだって鮮明に思い出すことができるもの。
だって私も……牧兎くんのこと、ず〜っと見つめていたからね。
「まあ、昔は昔、今は今ってところか。……しかし、腹減ったなあ。ここまで走ってきたから尚更だ」
「どこか喫茶店にでも入る? おごってあげるよ」
「別にさっきのチョコレートでも良かったんだぜ。どうせ近いうちに貰うものなんだし、あっちの方が安いだろう」
「チョコレートだけは絶対ダメ。手作りのものをバレンタインに渡すから」
「随分とこだわるんだな」
「……それだけの理由があるからね」
一度、言葉を区切ってから、そっと牧兎くんに訊ねてみる。
「ねえ、牧兎くん。小学生の時、はじめてあげたバレンタインのチョコレートのこと覚えてる?」
「……え〜と、確か、すごく形が不細工なやつじゃなかったか」
「うん。それかな。そのチョコレートね、クラスの男の子たち全員にあげようと思って、お母さんに教えてもらいながら作ったんだよ。でも、男の子たちは形が不気味だとか言って全然食べてくれないし、中にはゴミ箱に捨てたり、靴で踏んじゃったりする子もいて」
「思い出した。あの時も雛は泣いてたもんな」
「そりゃあ泣くよ。一生懸命にはじめて作ったんだもの。でも、牧兎くんだけは食べてくれたんだよ。形はヘンだけど、味はまあまあだなって言って」
「あの時は食い意地が張ってただけだ。食べ物を粗末にするのもいけないことだしな」
「でも、心の底から嬉しかったよ。それでね、その時に心に決めたの。これからは牧兎くんのためだけに、毎年、一生懸命チョコレートを作ってあげようって」
「…………………」
「毎年贈るチョコレートには、私の感謝の気持ちを沢山詰め込んでいけたらなあって思っていたの」
ずっと昔からの変わらない気持ち。
ただ一人、大切な人に伝えたい、感謝の心。
今までもそうだったように、これからもずっと、“おいしいよ”って言ってもらえるチョコレートを贈るために……。
「わかったよ」
牧兎くんは小さく微笑み、ポンっと私の頭を撫でた。
「今年も手作りのチョコレート、期待しているな」
「うん!」
私は元気に頷いた。
「…………けど、ごめんね。こういうのも私の自己満足で、わがままなんだよね」
「別にいいんじゃないのか。雛にとっては、それが大切なものなんだろ」
「私にとってはね。でも、他の人にはどうでもいいことに思えちゃうでしょ?」
「そんなことはないさ。雛の気持ちは決して悪いものなんかじゃないからな。だから俺も……おまえの気持ちを知ったから、それを大切なものとして守ってやりたいと思う」
「……牧兎くん」
いつのまにか、また涙が溢れてくる。けれど今度は、胸の奥がほんのりと温かい。
やっぱり、自分の気持ちって素直に伝えるのがいいよね。それが悪いものでない限りは。
伝える手段は言葉でも、形でもいい。
気持ちさえ伝われば、理解してくれる人は、ちゃんとしてくれる。
私は牧兎くんが好き。本当に大好き。
昔からそう言い続けてきたから、今の幸せがあるのかもしれないね。
「ホント、泣き虫だな」
耳元に響く大好きな人の声。それに対して、私は涙を拭かないままにこたえる。
「……今度は泣き止みたくないかな。嬉しいから、しばらく泣いていたいよ」
そう言って、甘えるように彼にもたれかかる。
牧兎くんはそんな私を拒んだりせず、そっと引き寄せてもくれた。
静かな時間が流れる。
でも、それは束の間だけ。
静寂は牧兎くんのお腹の音で破られた。
私たちは顔を見合わせて、クスリと笑う。
そして、私は提案した。
シュークリームを食べようよ、と。
〈了〉
あとがき
バレンタインデーなので、ちょろちょろっと短編を書いてみました。
「聖夜」、「夏の小さな願い」、「あなたに……」に引き続き、七宮 雛のお話では4番目にあたります。
時間にして三時間ほどで書いた物なので、あまり深いネタでもありません。そもそもからして、書く予定でもなかったようなものだし(苦笑)
でも、せっかく書いたものだし、楽しんでいただければいいなあとは思っています。
前作の「あなたに……」が、アイドルとしての雛のお話だったので、今回は一人の女の子としての雛で書いてみました。
まあ、相変わらずのおのろけ娘なので書くのは楽です。昔の思い出話を通じて、雛が温めてきた気持ちをストレートに綴ってみました。
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