SCENEV [美坂 栞]

 

 病院での生活が始まって、五日が過ぎようとしていた。

 誕生日の翌日に病院へ戻り、ほんの少しでも、長生きをするために……。

 諦めてしまうのは簡単だけど、家族のみんなを悲しませないためにも、一分でも一秒でも長生きをしなければいけない。

 同じお別れをするにしても、少しでも時間はあるほうがいいのだから。

 病室の中は静かで暗かった。両親もお姉ちゃんもいなくて、この部屋にいるのは私一人だけ。

 今がもう消灯時間ということもあり、暗いのはそのためだ。

 消灯時間から三時間、日付はまた変わろうとしている。今日も生きられたことにホッとする反面、あとどれくらい生きられるのだろうかと不安に思う。

 今夜は、少し熱っぽかった。こういうときは早く寝つきたいのだけど、何故か眠気は訪れてくれなかった。

 目を閉じても、天井を見上げても、そこにあるのは闇。

 見つめていると、その闇に吸い込まれそうな錯覚を覚え、息が詰まりそうになる。

 もうすぐ私が赴く世界も、あのような闇なのだろうか?

 不安が胸の中に渦巻く。

 両親もお姉ちゃんも……祐一さんもいない世界。

 たくさんの親しい人にお別れをして、ひとりぼっちで赴く世界。

 覚悟はできていた筈。悔いる事だってない筈。

 大好きなアイスクリームもたくさん食べた。

 少しの間ではあったけど、お姉ちゃんと同じ学校に通うことも出来た。

 学校でもお友達ができ、どこかへ遊びに行こうねとも誘ってもらえた。

 最後の最後で、祐一さんとも沢山の思い出をつくれた。

 誕生日にもらったプレゼントで、祐一さんやお姉ちゃんの絵だって描いた。

 でも。

 それでも……。

 行きたいところ、やりたいこと、まだまだ、たくさん……たくさんあるのに……。

 私はベッドの中でうずくまった。

 うずくまって、肩を震わせて嗚咽をもらした。

 ……本当は死にたくない。

 お別れもいや。

 ひとりぼっちも……いや。

 おっきな雪だるまだって、作りたかった。

 感情の高まりと共に涙は溢れ、止まらない。

 止まらないから、どれほど泣き続けているのかも判らなかった。

 長く、長く、気が遠くなるほどに長く。

 それはやがて迫真性を失い、泣いている自分を客観的に見つめられるほどに長く。

 でも、その時に気がついた。

 泣いているのは、いつのまにか自分では無くなっていることに。

 妙な言い方かもしれないが、私は誰かが泣いている姿を見つめているのだ。

 その誰かは、髪に大きな白いリボンをつけた小さな女の子だった。私のすぐ目の前にいて、しゃがみこんで泣いている。

「…………どうか、したのですか?」

 私は、そっと声をかけていた。泣いている女の子を、放ってはおけなかったから。

 女の子はゆっくりと顔をあげた。

 その顔は、私の知っている誰かに面影が似ていたけれど、誰であるのかが思い出せなかった。

「……悲しい夢を見たの」

 女の子は涙の目をゴシゴシとこすり、小さな声でつぶやいた。

「それはどのような夢なんですか?」

「仲の良い、姉妹の夢だよ」

 女の子は言葉を続けた。

 とても仲の良い姉妹の夢。

 姉は、誰よりも妹を可愛がっていた。

 妹は、そんな姉が大好きだった。

 一緒の制服に身を包んで。

 同じ学校に通って。

 暖かい中庭でお弁当を広げて。

 そして、楽しそうに話しながら、同じ家に帰る。

 そんなささいな幸せが、ずっとずっと続くという……。

「……悲しい夢、だったの」

 女の子は目を伏せて、再び涙を流した。

 私は、しばらく何も言えなかった。

 いま、女の子が語った夢は、まるで私とお姉ちゃんのことを言われているかのようだったから。

 ……いや、私たちそのものだろう。

 でも、だとしたらこの子は一体誰なのだろう? 私たちのことを知っているこの子は?

 それ以前に、ここがどこであるのかも判らないのだ。

 まわりを見渡しても、風景のない真っ白な世界。

 ここは夢の世界だろうか。あるいは……?

 目の前の女の子は泣き止まなかった。

 でも、なぜこの子が泣く必要があるのだろう。

 ささいな幸せが、ずっと続いて欲しいと願っているのは私の筈なのに……。

 願っても叶わないと知っているから、私にとっては悲しい夢。

 でも、この子には関係は無い筈に思える。

「どうしてそれが……悲しい夢なのですか?」

 私は思いきって訊ねてみた。

「ささいな幸せが、ずっと続くことは悲しいことなのでしょうか?」

「その夢だけを取れば……悲しい夢なんかじゃないと思う」

「では、なぜ悲しいのですか?」

「それは、ボクの夢の中に登場する人が思う、ささやかな願いだから」

「………………」

 女の子は、自分のことをボクと言う。これもどこかで覚えがあるような気がする。

 そのまま女の子は言葉を続けた。

「ボクの夢の中には悲しい女の子が登場するの。その女の子は重い病気で、もうすぐ大好きな人達と別れ離れになっちゃうんだ。でもね、その女の子は、本当はささやかな幸せを望んでいるの。叶わないって判っているのに」

「……そうなんですか」

 もし、この子の夢に出てくる悲しい女の子が私だったら、私はこの子の夢の中にいる住人なのだろうか?

 でも、そうだとしたら、この子は私に気がついてもいい筈だ。だから、違うのかもしれない。

「ボクもう、悲しい夢はいやだよぉ。何とかして助けてあげたいのに、ボクにはどうしてあげることもできないんだよ」

 肩を震わせて泣き続ける女の子に、私も当惑しか返せなかった。

 悲痛な泣き声だった。まるで今までにも、ずっと泣き続けてきたような。

 優しい子だと思った。夢の中にいる女の子のことを心配して、ここまで悲しんであげられるのだから。

 …………夢?

 私は、ふとあることに気がついた。

 この子が見ている夢が悲しいものだとするのならば、夢から覚ましてあげればいいのじゃないだろうか。

 私はそう思って、女の子に話しかけた。

「これがあなたの見る夢ならば、覚めれば悲しい思いはしないですみますよ」

「……それじゃあダメだよ。例え一度は覚めたとしても、また悲しい夢の続きを見るかもしれないもの」

 そう言われると、どう返せばいいのか困ってしまう。

 けれど。

「だったら、こうしてはどうでしょう? いま見ている悲しい夢を、良い夢に変えてしまうんです」

「……そんなこと……できるの?」

「夢の中ですから。あなたが強く願えば、そうなるのかもしれませんよ」

 そう。夢が物語のようなものであるとすれば、それをどういう方向に持っていくのも、夢を見ている人次第。

 せめて……お話の中でくらい、ハッピーエンドでありたいとも思う。

 夢の中でなら、奇跡が許されてもいいと思う。

「ボクに……できるかな……」

「不安ですか?」

「うん。ちょっと……あ、でも、ひょっとしたらボク、できるかもしれない」

 不安な表情から一変、女の子の表情が明るくなる。

「今のボクはね、たった一つだけ、どんな願いでも叶えることができるんだよ。貰ったプレゼントで」

「そうなんですか?」

「うん。……探し物、見つかったからね」

 女の子の言っていることは、一部判らなかった。

 それでも、何かしらの光明は見えたらしく、泣き顔ということはなくなった。

「これで夢の中の女の子も助けてあげられるよ」

「良かったです」

 女の子につられて、私もいつしか笑っていた。

 そして、女の子はちょこんと立ちあがって、何かを手に祈るように呟いた。

 

『ボクの、願いは……』

 

 呟きと共に、まばゆく、優しい光が私を包み込んだ。

 そのあまりのまぶしさに、思わず目を覆ってしまう。

 そして、次の瞬間。

 …………私は、病院のベッドの上で目を覚ました。

「夢……だったんだ」

 自分でも良く判らなかった。

 ただ、気がつけば目が覚めて、外には陽が昇っていた。

 私は、小さく息を吐き出す。

 昨夜までの熱っぽさは無くなっている様子だった。それどころか、いつも感じる身体の気だるさも不思議と感じない。

 珍しいほど、調子の良い朝。

「あれは……本当に夢だったのかな?」

 もしも、あの女の子の願いが、私を救うことに向けられていて、その願いが叶ったとするのならば……。

 ……それは、奇跡と言うべきものかもしれない。

「そういえば、祐一さんも言っていましたよね」

 起きる可能性が少しでもあるから、だから、奇跡なんだと。

 自分がなぜ、このようなことを考えているのかは判らない。

 強いて言えば、あの夢自体、奇跡の瞬間を目の当たりにしたような感じがするからだろうか。

 

 

 でも、あの夢は本当に奇跡のはじまりであったと、後で実感する。

 私の中に重くのしかかっているだけだった、ただ冷たい雪のようなものは、次第に消えていったから。

 それは、私にとっての雪解け。

 春を迎え、また来年には本当に大好きな冬を待ち望むための。

 

 起こらないから奇跡っていうんです。

 私が、言った言葉。

 まずはこれを、大好きな人の前で訂正しないといけない。

 

 だって、私には……。

 

 …………奇跡が起きたのだから。

 

 

〈了〉

 

 

 

あとがき

 2月1日。栞の誕生日記念として、この短編を書きました。

 『Kanon』というゲームを知らない人には少し判りにくい話かと思いますが、プレイした人に説明すれば、栞シナリオのエピローグに続くまでの間をネタにしております。

 祐一と別れ、奇跡が起こるまでの瞬間。栞の視点から見ると、こういうのもアリかなと思って書いております。

 栞シナリオのエピローグでは、栞が次のようなことを言ってます。

 “自分が、誰かの夢の中にいる”……そう考えたことはありませんか?、と。

 そういう部分も私なりに解釈して書くと、こうなった感じですね。

 まあ、かなりのネタバレを含んでいますが、そこらへんはご容赦ということで。

 単に私は、大好きな栞の誕生日を祝って、短編を書きたかっただけですので(笑)

 

 

SHORT STORYに戻る

ホームに戻る