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小さな「時間」

 

今日もまた感じる。

一日のうちの、ふとした「時間」を。

 

 

 買い物を終えての、お屋敷への帰り道。

 わたしは、春の陽気を感じて少し嬉しくなる。

 木洩れ陽から差しこむ光は、限りなく優しい色。冬とは違った温かみが、そこにはあった。

 風が吹く。

 春の緑を色濃く孕んだ風。吸い込めば、思わずむせてしまいそうなほどに、強い香り。

 でも、それが季節の匂い。ここは、それを強く感じられる場所。

 わたしがメイドとしてお仕えするお屋敷は、街から少し遠い。不便といえばそれまでかもしれないが、そこは自然も多く、静かで落ちつける場所でもある。正直、あまり騒がしいのが好きでもないわたしにとっては、好都合な仕事場なのかもしれない。

 しかし。

 お屋敷までの道のりは、やはり大変。高台に位置する場所だけに、帰り道は登り坂だからだ。

 わたしは少し立ち止まって、ひと休みをする。そして、買い物カゴを地面に置いて、近くの欄干に寄ってみた。

「・・・・・・わあ」

 目の前に開ける光景。ここからは下の様子が一望できる。

 別段、珍しいものが見えるわけではない。広がるのは自然や街の景色。何度も見ているものがあるだけ。

 けれど、何度も見ているからって、面白くないわけでもない。同じ光景にしても、その時間帯や状況によって、受ける印象は大きく異なるのだから。肝心なのは、何かを感じ取る気持ち。それがあれば、何事も新鮮に捉えられて、飽きることも少ない。

 強い風が、下から吹きあがった。

 スカートがひるがえりそうになるのは困るけど、全身で受けとめる風は、思いのほか心地よい。

 わたしはしばらく、風にその身を委ねた。

 そして、しばらくしてから。

 今度は急に、後ろから何かが覆い被さった。

「ひゃん!」

 背中にかかるものの重みのせいで、わたしは前につんのめりそうになる。でも、目の前は欄干。ヘンに体勢を崩そうものなら、そのまま下にだって落ちてしまう。

 わたしは、とっさに目を伏せた。

 けれど・・・・・・。誰かが後ろから、わたしを支えてくれていた。

「ユキ。大丈夫かい?」

 耳元に響くそんな声。

「・・・・・・あっ」

 わたしはそっと後ろを振り返った。するとそこには、ご主人さまがいた。

「ごめん。少し驚かせすぎたかな?」

 心配そうに訊ねるご主人さまの顔は近い。それこそ、息が触れ合うほどの距離。

「ちょっとだけ・・・・・・びっくりしました」

 わたしはどきどきして、それだけを答えるのがやっとだった。もっとも、そのどきどきが、体勢を崩して落ちかけたことなのか、ご主人さまの顔が間近にあるためなのかは判らない。

 でも、ご主人さまに見つめられたままだと、段々と意識して恥ずかしくもなる。

「驚かせて悪かったね」

「い、いえ。そんな・・・・・・。そういえば、ご主人さまは今、お帰りですか?」

「うん。そんなところ。とりあえず仕事の用件は済ませて、帰ってきたところだよ」

「お疲れさまです」

 ご主人さまは若くしてお屋敷を継がれたせいもあってか、色々と難しそうな仕事をこなしている。細かい仕事の内容まではわからないが、わたしはそんなご主人さまの助けに、少しでもなれたらいいなって思わないでもない。

「そういうユキは、お買い物の帰りかい?」

「はい。そんなところです」

「そうか。ユキもご苦労さま。でも、買い物帰りのおまえが、こんなところで何をしてるんだい。買い物カゴまで下に置いてさ」

「えっと・・・・・・それは。少し景色に見とれていたんです」

「ふうん。景色ね」

 ご主人さまは言って、わたしが見ていた景色と同じものをみつめる。でも、すぐに首を傾げられた。

「別に珍しいものが見える気はしないけど」

「そうですね。確かに珍しいものは見えませんよね。でも、見なれたものであっても、その時、その瞬間にしか感じられないものだってあると思いますよ」

「なるほど。そういうものってあるかもね。今、僕がユキを感じているみたいに」

「・・・・・・え」

 言われた言葉が心に染み入るにしたがって、頬が染まるのを意識する。それと同時にご主人さまは、わたしをぎゅっと抱きしめた。

「ほんと可愛いいよな。ユキは」

 耳元で響く声は、少しからかっているようにも聞こえなくはない。

「・・・・・・ご主人さま。こんなところで・・・恥ずかしいです」

「恥ずかしいって・・・・・・ちょっと抱きしめているだけじゃないか。それともユキは、もっと恥ずかしいことでもしてほしい?」

「い、いじわる言わないでください」

 思わず涙目になる。

「そういうふうに言われると、余計にいじわるしたくなるものだけどね」

 ご主人さまはそう言いながらも、そっとわたしの頭を撫でてくださる。

 時には乱暴に感じることもあるけれど、大方においては優しく、それでいて安心感を与えてくれる手。

 わたしは彼に撫でられると、不思議な安らぎを覚える。

「そういえば。桜はもう散ったんだな」

 ふいにつぶやくご主人さま。確かに今は春とはいえ、もう桜は散ってしまった。

「ご主人さまは桜が好きだったんですか?」

「そうだね。まあ、人並みにってところ。・・・・・・でも、いいさ」

 ご主人様は、そっとわたしの目を見つめ、言葉を続ける。

「今、僕の腕の中には、桜なんかよりも綺麗なものがあるからね」

 抱きしめる腕に力がこもり、わたしの瞳も揺れる。

 嬉しいのか、恥ずかしいのか、よくわからなかった。

 ご主人さまは、不必要に言葉を飾るぶん、その言葉にどこまでの重みを感じてよいのかもわからない。

 でも、悪いことを言われている訳でもないぶん、ヘンに言い返すのも躊躇われる。

 なんだか、ずるいです。

 何も言い返せない自分のことは棚に上げて、そんなことを思ったりする。

「口紅。よく似合っているよ」

 今度はそう言って、わたしの唇を指でなぞるご主人さま。

「・・・・・・この口紅。以前、ご主人さまに買っていただいたものです」

「やはりそうか。色に見覚えがあったからね」

 わたしたちは、しばらく無言で見つめ合う。そして、ご主人さまは、ふいにわたしの唇を奪った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 抵抗はしなかった。ご主人さまにこういうことをされるのは初めてでもなかったから。

 でも、この口づけを、ご主人さまがどういう気持ちで求めてくるのかは、未だにわからなかった。

 少なくとも、言葉で聞いても、いいようにはぐらかされるだけ。

 だから、わたしはこの行為が成されるあいだに、少しでもご主人さまの気持ちを感じ取ろうと意識する。

 ご主人さまがわたしのことをどう思っているのか、それが知りたい。

 好きなのか・・・・・・それとも遊びなのか。

 けれど。

 結局、今日もまた、何も感じ取れないまま終わってしまいそうだった。

 ご主人さまが、唇を離そうとする。

 ・・・・・・でも、次の瞬間。わたしは、自分の唇をご主人さまに深く押し当てた。まるで離れるのを拒むかのように。

 再び重ね合わさる、お互いの気持ち。

 そうだ。

 良く考えれば、わたしだけがご主人さまの気持ちを知ろうとするのは卑怯なのかもしれない。わたし自身の気持ちを、彼に伝えてすらいないのに。

 だから、わたしは祈るような気持ちで唇を重ねる。わたしの想いを少しでも伝えたくて。

 時間がどれほど経ったのかはわからない。

 それでも、決して長くはなかっただろう。一日という時間の長さを考えれば、これもふとした瞬間。小さな時間に過ぎない。

 今度こそ唇を離したわたしたちは、互いに見つめ合うまま。

 しばらくたっても、言葉が出ない。

 わたしは自分のしたことが急に恥ずかしくなって、泣きそうな顔で目を伏せようとした。

 その時。

「ありがとう。嬉しかったよ」

 ご主人さまの言葉が、そっと耳に響いた。

 わたしは、そのまま顔を伏せてしまう。涙がとめどなく溢れてきた。でも、これはきっと嬉し涙。

 今のご主人さまの言葉で、わたしは満足できたから。

 そして、わたしからも言ってあげる。

「いえ。・・・・・・どういたしまして」

 

 何気ない時間に起きた、ふとした出来事。

 ・・・・・・これもまた、一日の内の小さな「時間」。

 

 

〈了〉

 

 

あとがき

 短編「小さな「時間」」をお届けします。このお話は、短編第十八弾「わたしの「色」」の続きみたいなものです。

 つまりはユキというキャラクターのお話ということです。けれど、それぞれに独立したお話ではあるので、どちらから読んでもらっても問題はありません。

 今回も、日常の一場面を題材とした何気ないお話ですが、楽しんでもらえるかな。

 少なくとも書いている私は、楽しかったですし。こういうお話って、比較的スラスラ書けるから好きですわ。

 あとは何をいっても、ちゃんしーさまより頂いた挿絵。今回も可愛いユキちゃんを頂けました♪

 もう、それだけで幸せ〜って感じですね。

 それにしても、この作品をもってして、当HPにおける短編も二十作目なんですよね。いつのまにやら(苦笑)・・・・・・でも、厳密には二十一作目かな。長編小説「シルヴァウィング」のページ内で、番外短編「カードクラッシャーみかん」ってのもあるし。

 まあ、それはさておき。

 私の短編で、読者の皆様にも「小さな時間」を感じてもらえると、ホント嬉しかったりします。

 また、よろしければ感想など頂けるとありがたいですね。

 

 

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