「月と鎖」
ワタシは月
鎖に繋がれた月
其は戒めであり
または犯した罪の痛み
鎖を解くのは簡単なこと
でも、ワタシはそれを躊躇う
何も知らないから
1 邂逅
教会の扉が開かれ、一人の女が礼拝堂に踏み入った。
ステンドグラス越しに光が差しこんでいるものの、他がカーテンで閉じられているせいか、周りは薄暗い。
また、埃などがひどいことから、この礼拝堂が最近機能していないことを意味する。
女はそんな中を迷わず歩き、前方にある祭壇の前で立ち止まった。
「・・・・・・あなたがレン?」
女は祭壇の奥に呼びかけた。奥にあるのはただの闇に見える。だが、その中から人が姿をあらわした。
雲に隠れた月が、そっと浮かび上がるように。
「うん」
あらわれたのは、どこか陰のある、まだ歳若い少女だった。それも、女より何歳か年下であろう東洋人の娘。
少女の名が観月 憐(ミヅキ レン)であることを女は知っていた。何故なら、彼女がこの少女をここまで呼んだから。
だが、実際に出会うのは初めてだった。
「この場合、初めましてっていうのでしょうね。わたしはエリィ・ハーマンよ。よろしく」
エリィは自己紹介をしつつも、少女の若さに驚きを禁じえなかった。
東洋人という珍しさは除いたとしても、あまりにも可憐な年頃の少女だ。しかし、エリィは目の前にいる少女が、凄腕の殺し屋であることを噂で聞いて知っている。
人は見かけなどでは判断できないということだろう。それを言えば、エリィだって似たようなものなのだから。
エリィの仕事は、裏の世界における何でも屋。情報の収集や操作は勿論、非合法な品物の手配や、場合によっては殺しすらも請け負う。
「今回、わたしがあなたを呼んだのも、あなたに手伝って欲しい仕事があるからなの」
遠まわしな世間話は避け、エリィは早速本題に入った。
憐もこれといった異論はないのか、小さく頷く。
「まずはこれを見て頂戴」
エリィは言って、祭壇の上に一枚の男の写真を置く。
「この男はリドリー・バーツ。英国内でも最大手の製薬会社B・Mセラピーの元重鎮。現在は海外のマフィアに、独自に調合した非合法の薬品を卸しているわ。・・・・・・あなたには、この男を消すのを手伝ってほしいの」
「報酬は?」
「5000ポンドってところでどう」
「・・・・・・安いわ」
表情ひとつ変えずに、憐は呟くように言った。
「これでも奮発している方よ」
「でも、危険は多いのでしょう? この男を消すと言う事は、同時にマフィアをも相手にすることになるもの。そして、あなたは多分、何度か計画に失敗している。だから、私に手伝いを依頼した」
憐の言葉にエリィは唇を噛む。図星だからだ。
でも、ここで黙りきるのはエリィの性に合わない。だから、素直に認める。
「たしかにあなたの言うとおりね。わたしはこの依頼を受けてから、二回計画に失敗しているわ。信頼していた仲間も死なせちゃったしね」
「・・・・・・そう」
「ヘンな言い方かもしれないけど、半分は仲間の仇討ちでもあるの。それに二回も失敗してれば、わたしだって目をつけられた可能性があるわ。いつ狙われるかしれない中で暮らすのは趣味じゃないし、危険な芽は早いうちに摘んでおきたいの」
エリィは裏の世界の人間にしては、情に流され易いタイプだ。また、直情的ともいえる。
「で、手は貸してくれるの? くれないの?」
「あなたが依頼主からもらった報酬はいくら」
「8000ポンドよ。ちなみに依頼主は、例の非合法な薬品の実験台にされた、ごく平凡だった一家庭」
「・・・・・・わかったわ。引き受ける」
憐はうなずいた。こちらは情に流された訳ではない。報酬的に妥当と納得したからだ。
それに、どのみち受ける気ではいた。生きるためには仕事をこなさなければいけないのだから。
殺しを生業とする以上、その報酬こそが生きるための糧。迷いなどはない。
こうして、二人の間に契約は結ばれた。
2 無垢
契約が結ばれた翌日、エリィと憐・・・・・・二人の姿はロンドン郊外の高級住宅街にあった。
彼女たちは、車を道の端の目立たない位置によせ、そこから一軒の屋敷を見つめていた。
「あれが今回の標的、リドリー・バーツの別邸。本来の自宅はオックスフォードにあるらしいけど、今はここで暮らしているようよ」
運転席に座るエリィは、ポニーテールにした髪を手で揺らしながら、助手席に座る憐に説明する。
「ごく平凡そうな屋敷ね」
憐は見たままの感想を述べた。表にいかめしい門番が立っているわけでもなければ、あやしい人物が出入りしている訳でもない。
「ま、表向きはね」
車のハンドルを指でつつきながらエリィは苦笑する。
「でも、中には怖いお兄さんが沢山いるわよ。わたしたちのような、か弱い乙女では逃げ出したくなるようなね」
「エリィが知る限りで何人ほどいたの。あと、護衛のもっている武器は何」
冗談には答えず、憐はただ実務的な物事を問う。それは一種のプロ意識のあらわれだろうか。
エリィはつまらなそうに肩を竦めるが、とりあえず質問には答えた。
「屋敷内には大体、二十人ほどの護衛がいるわ。武器は大体がコルトM1911」
「・・・・・・わかったわ」
憐がうなずいた時だった。屋敷の中より人が出てくる。
「あれは?」
微かに眉を揺らす憐。その瞳にうつったものは、小さな男女の子供だった。
エリィも少し驚いて、その子供たちを見る。
「あれってリドリーの息子と娘だわ。確かレスターとシリアとかいう、まだ
10歳にも満たない子供よ。でも、何だってこんな所に・・・・・・」少なくともあの子供たちは、自宅のあるオックスフォードに住んでいたはずだ。それをわざわざ、何の用でここまで訊ねてきたのかは判らない。
しばらく様子を見ていたが、他には大人などが出る感じもなく、二人の子供は屋敷を立ち去った。
「行ってしまったわね。何だったのかしら」
エリィが首を傾げると、憐はポツリとつぶやいた。
「泣いていたわ」
「え?」
「男の子の方が泣いていたの」
憐はそれだけ言うと、車を降りて走り出した。
「あ! ちょっと待ちなさいよ」
慌ててエリィも車を降り、一足遅れで彼女を追う。
その間にも憐は、さっきの子供が去った方へ向かった。そして、ほどなくすると、ある光景に出くわした。
二人の子供のうち、泣いていた男の子の方がクシャクシャにしたポンド紙幣を道に捨てたのだ。それどころか男の子は、女の子の抱えていた人形まで強引に奪うと、それすらも投げ捨てる。
女の子は一瞬泣きそうな顔になるが、男の子はそれを無視して女の子の手をひっぱってゆく。
道に捨てられた、紙幣と人形。
憐はそれらを拾い上げると、子供たちを追って、二人の前に出た。
向かい合う憐と子供たち。憐は腰をかがめると、そっと拾ったものを差し出す。
「・・・・・・落し物」
いつもと変わらない感情のない口調。
子供たちは呆気にとられるが、男の子・・・・・・レスターが首をそっぽ向けた。
「そんなのいらない。欲しければあげるよ」
レスターは拗ねたように言った。仕方がないので憐は、女の子、シリアに目をむける。
シリアの方は人形を物欲しげに見つめた後、おそるおそる手を出してきた。
「よせよ、シリア!」
レスターの叱咤が飛び、怯えたシリアは手をひっこめようとする。だが、憐はその手を掴んで人形を返す。
「宝物・・・・・・でしょ?」
憐がそう訊ねると、シリアは嬉しそうに微笑んで大きく頷いた。
その微笑みは、あまりにも純真無垢と呼ぶに相応しいものであった。そして、憐もその笑顔に応じるように表情を緩ませる。
意識して緩ませたのではなく、それは無意識のもの。だから、憐自身も気づいてなどいない。
「この人形ね・・・・・・さっきお父さんがくれたものなの」
シリアがそう言った。でも、レスターは吐き捨てるように呟く。
「そんなものを貰っただけで騙されるなよ。せっかく僕たちが訪ねて行ったっていうのに、追い返されたんだぞ」
「仕方ないよ、お兄ちゃん。お父さん、仕事で忙しいって言ってたでしょ」
兄を気遣うような妹の言葉。でも、レスターは聞き入れようとはしなかった。
「忙しい忙しいって言っても、あんな追い返し方あるもんか。久しぶりに会いに来たっていうのに、物だけを渡して、邪魔者みたいに追い出して・・・・・・僕は父さんがあんな人だなんて思わなかった。悔しいよ」
「きっと仕事が忙しくて、機嫌が悪かっただけだよ。それに私たちも内緒で来たわけだし」
交わされる兄妹の会話。それを聞きつつ、憐はおおよその事情はわかった気がする。
この二人は単に、父親であるリドリーに会いにきたのを無下に追い返されただけなのだ。だが、その事情も納得がいくような気はした。今のリドリーは、二回に渡るエリィらの襲撃で、自分の身が狙われているのを知っている。故に、子供たちをそれに巻き込みたくなかったのであろう。
「ねぇ、お姉ちゃんからも、お兄ちゃんがお父さんと仲直りできるように言って」
急にシリアが、憐に懇願する。これにはさすがの彼女も戸惑いの色をみせた。
これから殺す相手の娘の願い。しかも、息子が父親と仲直りができるように促すなど・・・・・・。
下手をすれば、憐が仲直りの機会を永久に奪うかもしれないというのに。
けれど。
憐は不思議と断ることはできなかった。自分自身が何を考えているのかわからない。
「・・・・・・うまく仲直りができるといいね」
彼女に言えるのは、それだけだった。
それでも、何かしら思うところがあったのか、レスターも不承不承に頷く。
シリアはぱっと顔を輝かせて、憐に礼を述べる。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「うん」
「・・・・・・じゃあ、僕たちは帰るよ」
「気をつけてね」
こうして子供たち二人は、頭を下げたのち、この場を立ち去っていった。
二人の姿が完全に見えなくなってから、憐は背後に顔を向ける。すると、それほど離れない位置にエリィが立っていた。
「あなた何やってるのよ?」
「情報収集・・・・・・の筈だった」
「で、何か収穫はあった訳?」
皮肉をこめて訪ねるが、憐は正直に首を横に振った。
「たいしたことは掴めなかった」
エリィは小さく息をつく。そして思う。からかいがいもない奴だと。
「それにしてもあの子たち」
兄妹が去っていた道を見つめて、エリィは目を細める。
「・・・・・・自分たちの父親が何をしているのか、完全に知らなそうね」
「うん」
あの兄妹の父親は、許されざる罪を犯し、多くの人間を不幸に導く一端を握っている。だが、あの子供たちはそんな事実さえも知らずに、ごく普通に父親を慕う。
それは、シリアが向けた無垢なる微笑からみても明らかだった。
あの子たちの父親リドリーも、家族の前では尊敬される良き父親であるのかもしれない。
「どうするのよ、あなたは」
エリィは腕を組んで訊ねた。
「何が?」
「今回の仕事よ。あの子たちに仲直りを促したあなたとしては、今回の仕事をどうする気なのか、改めて聞きなおしたいわ」
そう言いながらエリィは、懐にある銃を握る。憐の返事次第では、彼女をここで撃つつもりだ。
「やるわ」
憐は小さく、けれどもはっきりそう言って、素早く手首をひるがえす。
それに反応して、エリィも懐の得物を抜く。
道端で突き付けられるお互いの銃口。誰も見るものがいなくて幸いといえた。もし、見るものがいれば、その者は撃ち殺されていたのかもしれないから・・・・・・。
「早いわね」
エリィは薄く笑った。彼女も銃器の扱いだけには自信はあったが、憐はそれ以上に手馴れている。
「・・・・・・私には、こんなことしかできないから」
「手伝ってくれるわね」
「うん。・・・・・・それが仕事だもの」
淡々としてはいるが、迷いのない言葉。それが殺しを生業とするものの流儀。
エリィは、こうやって銃を向け合う中で、憐の一部に触れた気がする。そしてどこかで嫌悪を感じた。
『わたし、悪魔と契約しちゃったのかしら』
心の中ではそんな苦笑すらも出てくる。
ひょっとすれば、あの子供たちに同情しているのはエリィの方なのかもしれない。だからこそ、こんなに淡々としている憐に嫌悪を覚えるのかもしれない。
だが、実際のところはよくわからなかった。
憐という少女と付き合って、まだ時間もない。
そして、彼女を求めたのはエリィの方なのだから。
二人はどちらからともなく銃をしまう。
「今夜に決行するわ。いいわね?」
エリィの言葉に、憐は何も言わずに小さく頷いた。
3 乙女は死を運ぶ
礼拝堂の中を灯すのは、ただひとつの燭台。
揺れる炎に照らされて、二人の乙女の影がのびる。
はじめて二人が出会った廃れた教会。その中の祭壇を取り囲み、憐とエリィはそれぞれの銃を組みたてていた。
自分たちの命を預ける道具。手入れだけは欠かせない。
弾などの必要なものに関しては、全てエリィが手配した。裏世界の何でも屋である彼女は、どちらかといえば、そういう段取りをつけるほうが得意ともいえる。
一方の憐は、そういう裏方作業には向かない。ただ、与えられた殺しの依頼を正確に遂行するだけ。
全ては生きるために。そして、自分の知らない沢山のことを見つけるために。
ほどなくして、二人の銃は組み終わり、手に馴染ませる。
エリィは時計を確認した。
時間は、もうすぐ午前四時をさそうとしていた。
「そろそろね」
「うん」
憐も頷いて、銃をしまう。
「手筈はさっきも説明した通り」
「ええ、わかっている。エリィがおとりで私が潜入」
「それじゃあ、いくわよ」
エリィは燭台の炎を吹き消した。この場に完全な闇が訪れると同時に、二人の姿も溶けるようになくなった。
こうして“仕事”は始まる。
標的、リドリー・バーツの別邸に辿り着いた二人は、お互いに示し合わせた通り、行動を開始した。
「それじゃあ、ひとつ派手に挨拶してくるわ」
エリィはそれだけ言うと、憐から離れて屋敷の門の前までくる。
屋敷の表は、昼間も見た通り静かなものだった。目に付く範囲で誰かが見張っているということもない。だが、屋敷の中ともなるとそうもいかないだろう。
今まで二度の襲撃を考えれば、連中もそれ相応の警戒は強いている筈だ。中に何人の人間がいるのかはわからないが、憐の仕事をやりやすくする上でも、エリィが何人かをいぶりだすしかない。
「今度でケリをつける以上、これくらいの派手さは勘弁ね」
エリィは自分の手配した道具の中から、手榴弾を持ち出す。
そして、安全ピンを抜き、迷わずそれを屋敷の庭に投げ入れた。
すると爆発が起こる。挨拶としては充分な効果が期待できる音だ。
エリィは爆風の煙がのこるうちに、門をくぐり庭へ入る。そして、玄関の扉などが視認できる木の陰に隠れた。
庭には多少の炎が広がりをみせる。そこへ、屋敷内から黒服の男たちがあらわれ、すぐにそれらの消火をはじめ出す。玄関は混乱の只中であった。
銃を構えたエリィは、その場へむけて発砲する。まずは威嚇の意味をこめて。
すると当然、向こうも反応し、応戦すべく銃を抜き出すものがあらわれる。エリィは再び発砲。今度は迷わず、相手の胴に三発撃ちこむ。
比較的、暗い中にあっては正確な射撃である。こうして二人の男を屠ったエリィは、屋敷の中から更に何人かの男たちが時点で、庭の奥へと走り出す。
彼女を追って、数人の男たちが動く。
エリィはひたすらに庭を走る。少なくとも、今まで二度の襲撃で、庭の構造は完全に頭に入っていた。利用できる遮蔽物などの位置、罠や時間稼ぎに使えるものも検討ずみだ。
慎重に粘りを見せる限り、エリィ自身、失敗するつもりはなかった。
今までの仲間を責める気はないが、これまでの二度の失敗はすべて、彼女の仲間の失策によるものが大きい。
そして、その失策ゆえに仲間たちは最悪の末路を迎えている。つき合わせたエリィとしては、罪悪感のほうが強いくらいだ。だから、こうやって仇討ちもする。
「・・・・・・あとはあの子次第ね」
迫り来る敵を更に一人屠り、エリィは呟いた。
三度目の正直か、二度あることは三度ある。そのどちらかはわからない。だが、今のエリィは憐の腕前を信じることにして、自分に当てられた役目をこなす。
その頃、一方の憐は、すでに屋敷の内部に侵入を果たしていた。
玄関に残っていた男たちは、すべて脳と心臓を一発ずつ撃ちぬかれて絶命している。すべては憐の仕業だ。
憐は屋敷内の陰から陰へと素早く走りぬける。リドリーの部屋自体おおよその見当がついていた。二階の奥にある寝室であろう。
事前にエリィから、屋敷内の大体の見取り図を見せられて推測はつけている。
階段まではのぼりつめることができた。だが、その先の奥の廊下から男たちが三人姿をあらわし、銃を撃ってくる。
憐は階段脇の陰に身を引いて、それらをやりすごす。
そして、銃声が止んだ時点で少し身を出して、廊下天井のシャンデリアなどを撃ってそれを破壊。
そうなると勿論、廊下は暗くなる。男たちが動揺した時点で、憐は物陰に隠れて再び発砲。男たちにはわざと当てないようにして、弾が尽きるまで撃ちきる。
闇雲な攻撃に、男たちも条件反射で慌てて銃を撃ち返す。
憐は懐からコンパクトを出すと、その鏡で廊下奥の光景を写す。すると闇に紛れて、発砲による火花がみえる。それで、相手のおおよその位置は把握できた。
また彼女は、相手の撃った銃弾の数を正確に数えていた。そして、相手の弾がつきた時点で、素早く自分の銃のマガジンを取りかえると、今度は身をさらして、先ほど確認した相手の位置に銃弾を撃ちこむ。
男たちは銃を再装填する暇も与えられず、正確に急所を撃ち抜かれ絶命していった。残ったものは一人としていない。
憐も感覚でそれを感じ取ると、暗闇の廊下をかけぬけた。彼女は暗視にも長けているので、多少の闇なら平然と活動できる。
だが、そんな彼女の行く手を阻まんと、ある部屋の扉が開いて新手の敵があらわれた。それも前と後を囲む形の至近距離。
前方の男がナイフを構えて突きかかり、後方の男も動く気配をみせる。憐はナイフがあたる寸前で素早く身を低くし、相手に足払いをかけた。そこで相手が体勢を崩すのを感じ取ると、彼女も勢いで仰向けに倒れる。
そして、背後の相手にむかって発砲。
全ての動きには迷いも躊躇いもない。自然のままにしなやかでいて、それがかえって人間離れした不自然さをも感じさせる。
結局、新手の二人も数秒と経たないうちに、物言わぬ屍にかわった。
その後も幾度かの障害はあったが、憐にとってほとんどが無意味なものに等しかった。
殺し屋は静かに仕事を果たすだけが全てではない。時には今のように、正面きって相手を仕留めてゆく。
命のやり取りにおいては、誰しもが必要以上の緊張を強いられる。それによって研ぎ澄まされる感性もあるだろうが、それだって脆い吊り橋の上にあるだけの危うげな存在。多少、揺らしてやるだけで、支えを失って崩れる。
結局、過度の緊張感はかえって己の身を滅ぼすのだ。死んでいった男たちは、憐が揺らした橋の上で逃げることもできず、無様にもがくしかできなかったのだから。
こうして憐は、ついに標的の部屋へと踏みこんだ。
部屋の中には写真でのみ見た男、リドリー・バーツが立っていた。
彼は憐の姿そのものに驚きはするものの、すぐに表情を緩めた。それは全てを覚悟したものに見られる穏やかな顔。
「君のような少女が、わたしを死に誘ってくれるのかね?」
憐は何も答えずに銃口を向けた。
「・・・・・・抵抗はしない。覚悟もできている。ただ、最後に妻や子供たちに別れを言わせてくれないか」
リドリーはそれだけ言って、手に持っていたものを見せる。
それは彼の家族の写真だった。彼の妻、それにレスターやシリアも一緒に写った、ごく普通の写真。
憐の指先がわずかに震える。
「君は何のために人を殺す仕事をする?」
写真に目を落としたまま、リドリーは訊ねた。
「・・・・・・答えは、あなたが言った中にあるわ」
「君の口から教えて欲しいね」
「・・・・・・仕事だから。仕事は即ち、生きる糧を得るための行為」
憐の言葉に、リドリーは目を伏せて笑った。
「わたしと同じなのだね。わたしは多くの人間を不幸にしてきたが、それを悪だとは思っていなかったよ。自分を・・・・・・そして家族を守るためには、生きる糧が必要だったからね。自分にできることをするしかなかった」
「・・・・・・・・・・・・」
「だが、わたしは“仕事”として君に敗れたようだ」
笑顔。それがリドリーの合図だった。
憐は寂しそうに目を伏せ、それでも迷いなく引き金をひく。
幕ぎれはあっけない。
お互いの“仕事”としての勝負。それに決着がついただけのこと。何ら気負うものはない。
「・・・・・・エリィ。そこにいるんでしょ」
憐は目を伏せたまま口を開いた。
すると、その言葉に応じるようにエリィが部屋へと入ってくる。彼女は途中から、この部屋での出来事を隠れて聞いていたのだ。
「終わったようね」
「・・・・・・うん」
「あの子たちの父親を殺した感想は?」
床に落ちた写真を見つめ、エリィが訊ねた。
「何もないわ」
物静かな即答。
エリィは生理的な嫌悪感を覚え、思わず銃を抜きそうになる。自分が彼女を誘い、このような役目を与えたにもかかわらず、リドリーの方に同情を禁じえなかった。加えて言えば、ここにくるまでの屍の山。
ほとんどが急所を撃ちぬかれている徹底ぶりには、驚き以上に、恐怖すらも感じたくらいだ。
「・・・・・・けどね」
憐の言葉は続いていた。
「何もないのは・・・・・・私が何もわからなかったから」
エリィは銃を抜くのを止め、唇を噛んだ。今の憐の言葉に、彼女の弱さが滲み出た気がするから。
「お互いの仕事の結果。それだけでいいはずなのに・・・・・・わからないことが沢山」
泣いているわけでもない。いつものように、感情があるかないかの呟きだけ。
今までエリィは、憐に対して意識的に年上として接してきた。だがこの瞬間、エリィは自分が彼女より年上なんだと実感する。
だから、彼女は言ってやった。
「わかんないことなんて、あって当然よ。普通あなたの年齢って、まだ学生とかやっている歳だもの。仕事のことをどうこう理解できる年齢じゃないわ」
この言葉が正しいかはわからない。
優しくもとれ、辛辣にもとれる言葉。今のエリィに言える精一杯でもあった。
それに。
どんなに大人になろうとも、わからないものは沢山あるのだ。
「ま、それでも悩むのなら教会にでも行って神様に問うことね。今日は日曜日だし、朝の礼拝に混じってもいいわよ」
最後は、少し冗談めかして言った。
4 痛み
この巡り合わせは残酷というのだろうか。あるいは皮肉というのだろうか。
仕事が終わって数時間後。
朝の町を歩いていた憐とエリィは、近寄ってきた小さな兄妹に声をかけられる。
正確には、声をかけられたのは憐の方。そして近くにいる子供はレスターとシリアだった。
「やっぱり、あの時のお姉ちゃんだ」
嬉しそうに笑うシリアに対し、憐は複雑な気持ちを心にただよわす。
「お姉ちゃん、昨日はありがとう。実はね、あのあとおうちに帰ってお父さんに電話したら、ちゃんと仲直りしてくれるんだって」
「・・・・・・・・・・・・そう」
「それで僕たち、今からお父さんの家に行くんだ。今日だけは特別に来てもいいっていわれてさ」
「・・・・・・・・・・・・」
憐は何も言えなかった。
「それじゃあ、僕たちもう行くね」
「お父さんと仲直りできるのも、お姉ちゃんがお兄ちゃんを説得してくれたおかげだよ」
子供たちは手を振って去っていく。その先では、母親とおぼしき女性も軽くだけ頭を下げていた。
何も知らない様子だ。
これから先の悲劇も、仲直りすべき人物がもうこの世にはいないことも。
「・・・・・・殺る?」
普通に家族を見送りながら、エリィが意地の悪い質問をする。
「ここであの子たちも殺せば、色々と割りきれてスッキリするかもよ」
これはいわゆる賭けであった。憐が本当に悪魔なのか、あるいは人なのかを知る。
しばらくして憐は、首を横に振る。そして、言った。
「痛いの」
「え?」
「私はあの子たちの父親を殺したわ。でも、そのことは痛くないの。だって、それが仕事だもの」
憐はうつむいて、言葉を続く。
「けれど、あの子たちを見ていると痛いの。私にとって人を殺すことは当たり前の仕事だけど、多くの人はそれを罪という。もしこれが罪の痛みだとすれば、私はそれを犯す人間として報いを受けなければならない」
「罪の痛みによる報いか。・・・・・・そんなのって死ぬときに考えればいいわ」
「死んでからは痛みを感じない。痛みは生きていてこそ感じるものなの」
憐は生きることを望む。
わからないことを知るために、生きることを望む。そして、生きるために人を殺す。
痛みは生きていてこそ感じるもの。痛みは彼女にとって鎖であり、戒めでもある。
だが、その鎖を解いたとき、彼女は何によって痛みを与えられるというのか。
彼女が痛みを感じなくなった時、そこに生きている意味や実感はあるのか?
わからない。
だから、憐は鎖の戒めをとかない。
「・・・・・・ま、わたしもあなたのことはよく判ってないけど、いくつか感じることはあるわ」
「なに?」
「子供には似つかわしくない悩みを持ち過ぎってこと。わたしたちは裏の世界の人間よ。罪の報いとかそんなのは、いまさら感じるものでもないでしょ。そんなものは当たり前のようにつきまとってくる。あえてそんなことをいう奴は偽善者か何かよ」
エリィの言葉は厳しい。でも、それが彼女の優しさ。
憐を人と認めればこその同情でもある。
人には忘れられない痛みや傷はある。だが、それを和らげることができるのも、また人の繋がりだ。表の世界も裏の世界も、それは同じ事。エリィはそう考えている。
裏の世界における太陽をエリィとすれば、さしずめ憐は月。
「とにかく生きて、沢山学びなさいよ」
大人ぶった口調であるが、エリィも全てがわかるほど大人ではない。
それでも、憐にはない、器用さはあると思う。それが屁理屈で形のないものだとしても。
それにこうでも言わないと立場はない。仕事に対する徹底ぶりでは、憐に劣ることを充分に承知しているがゆえに、どこかで自分の優位性を保ちたかったのもある。
エリィは人の下に立つことを嫌う。上に立つか、あるいは対等な関係でいるか。それが彼女としてのプライド。
「・・・・・・・・・・・・私は、生きるわ」
憐は呟いた。
痛みを鎖と認識する少女は、まだ多くのことを学ばねばならない。
〈了〉
あとがき
短編第十六弾「月と鎖」をお届けします。この作品、短編第十四弾「雨と柩」の続編です。
とはいえ、それぞれが1話完結のお話なので、どっちから読んでいただいても問題ない内容かな。
今回もシリアスです。主人公は相変わらず殺りまくってますし(爆) でも、テーマ的なものは「雨と柩」と共通した一貫ものです。
こういう話って、簡単に答えは区切れないでしょうしね。更に言えば、まともに語り出すとキリもない。
あとはやはり「必殺」シリーズなテイスト。
エリィなんて、裏世界の何でも屋という仕事から、元ネタが何でも屋のお加代だったりしますし(笑)
ギャグこそない作品ですが、どことなく「必殺」シリーズなユーモアを感じていただければ、別の意味で面白いのかも。
この話も、まだまだネタ的にやりたいことは多いし、機会があればまた1話完結で続きも書きたいですね。
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