夕暮れの出来事
「沢田先輩!」
彼女が、その姿を確認した途端に声をかける。
街中での偶然の出会い。
一人の青年が立ち止まる。
「何だ、真奈美か。どうした。買い物の帰りか?」
「そうなんです。母がちょっと風邪をこじらせたみたいで、今日は私が夕飯などの買い出しに来たんです」
そう言って、両手一杯に持たれたスーパーの袋を見せる。
「大変だな」
小さくつぶやく沢田に、真奈美は首を横にふって答えた。
「これぐらいの荷物なら大丈夫だと思います。ゆっくりと休み休み持ちかえればいいですから」
「いや、大変だなっていうのは、おまえの母さんの病気のことなんだが・・・・・・」
「えっ?」
僅かな沈黙。会話が噛み合っていない。
真奈美は赤くなって、小さく肩をすくめた。その時、沢田が彼女の荷物の幾つかを奪い取る。
「重いだろうからな。これぐらいは一緒に運んでやるよ」
「そんな。別にいいです」
真奈美は慌てた。先程、自分が言った言葉とつなげると、まるで催促したみたいに思えて恥ずかしい。
「遠慮するなよ。どうせ、おまえのことだ。電車もつかわずに隣町まで歩いて帰るんだろう?」
「ええ、まあ」
恥ずかしげにうなずく真奈美。彼女は乗り物が苦手だけに、移動の大半は歩きが主体だ。
「ゆっくり帰ってたら、日も暮れて夜になる。病人の母さんを待たせるのは可哀相ってもんだぞ」
たしかに沢田の言うとおりに思える。家に戻ったら、今度は夕飯の支度もしないといけないのだ。あまり遅くなるのは好ましくはない。
「それじゃあ、お願いしてもいいですか?」
「任せておけ。ちゃんと家まで運んでやるよ」
そう言った時には、沢田はすでに歩き出していた。
§
夕暮れ時の線路の横道。
車の通りも比較的少なく、歩く人間もごく限られる。
毎日おとずれる時間の、ほんと何気ない光景。けれど、人それぞれによっては、その何気ない普通さが、時として普通でなくなる場合もある。
真奈美にとっては、いつも通る慣れ親しんだ道。あまりにも普通に感じていたこの光景も、沢田と歩くだけで変わってみえるから不思議なものだ。
「乗り物が苦手というのも不便なもんだな」
近くを通りすぎる電車を横目に、沢田がもらす。
「私、どうも駄目なんです。ああいう揺れる乗り物って」
「これまた大袈裟だな。電車の揺れなんて、船や飛行機と比べれば無いに等しいだろうに」
「それでも苦手なんです。それに人間にはちゃんと足があるんだから、最低限の移動には困らないと思います」
いかにも歩くことを生活の中心としている真奈美らしい言葉。沢田にはとても真似できそうにない。
「でもさ、友人たちと遠出する時なんかは困らないか?」
「別にこれといっては。どこかへ遊びに行くほど、親しい友達もいないし」
あえていえば沢田先輩に誘われた時に困るかな・・・。そんなことを思うが、さすがに言葉には出せない。
真奈美は、そっと沢田の顔を覗き見て、ドキリとした。
沢田も彼女の顔を見ていたからだ。ただ、その顔は少し心配げだった。
「おまえ、友達いないのか?」
沢田の声のトーンが少し落ちる。
心配されている。そう気がついた時、真奈美は慌てて言葉を添えた。
「まあ、それは昔の話です。今は先輩たち陸上部の人たちとも知り合えて楽しいですし」
「可愛いやつだな。おまえって」
「はい?」
いきなりの思わぬ言葉に、真奈美は驚く。
「慌てて言い繕うあたりが可愛らしいなって思っただけだ。以前までのおまえだったら、暗い方向の話になると、ほとんど何もいえずに黙ってしまっていただろう」
「そうかもしれないですね」
真奈美は素直にうなずく。沢田たちと会う前の自分は、何事においても、少し臆病な感があった。
「けれど、今は違いますよ」
心からそう思える。自信のある一言。
沢田が側にいるからこそ、言える言葉。
「それはいいことだ」
沢田が笑う。そして。
「もっとがんばれよ。そうすれば、おまえはもっと幸せになれるはずだ」
さりげない激励。
飾らないがゆえに、わかりやすい。
恋をする真奈美にとっては、それは魔法の呪文。
でも、それが大事なこと。
魔法の呪文は、ひょんなことから心に染み入る。
「はい」
明瞭な返事。彼女はすでに魔法の虜。
口巧みに騙されているのとは、訳が違う。
嘘からは決して魔法は生まれない。信じられるからこそ、それは効果を持ちうるのだ。
「あのう、先輩」
「どうした」
「荷物を運んでもらったお礼に、夕飯でも食べていきませんか」
「おまえの手料理か?」
そう露骨に言われると、妙に照れくさい。
そして、沢田からの返事。
「ありがたい申し出だが遠慮しておくよ。おまえの母さんに気をつかわせるのも何だしな。俺の相手なんかより、病人の母さんの看病をしてやれ」
「・・・・・・そうですよね」
少し寂しい。でも、浮かれすぎて母親のことを忘れかけていたのも事実。
真奈美は自分の行いを反省すると共に、沢田の心づかいに感謝した。
「それよりさ。真奈美さえよければ、ひとつ頼みがあるんだが」
「なんですか?」
「今度、陸上部で親睦会を開こうってことになったんだ。よければその時の料理とか、おまえが作ってくれないか?」
いきなりの申し出に少し戸惑う。
が、断る理由もこれといってない。
「いいですよ」
「そいつはよかった」
「でも、そうとわかっていたら、今日に材料とか買っておいたのに」
「慌てることないぞ。まだ詳しい日程も決まってないんだからさ」
沢田はそう言うが、真奈美にとってはそんなことが問題ではなかった。
やはり作る以上は、とても美味しいものを。それが真奈美の気持ち。しっかりと練習したいのだ。
「たくさん作りますから、余ってもちゃんと先輩が食べてくださいね」
「任せろ。俺は結構食う方だからな。残さず食べてやる。そのかわり、ちゃんとまともなものをつくってくれよ」
「先輩の舌がとろけてしまうほど、美味しいものをつくります」
二人は顔を見合わせ、笑い会う。
他愛も無い会話の、ささやかな笑い。
それでもこの瞬間が幸せだと、真奈美は思った。
のんびりとした夕暮れの出来事。ありふれた日常の中に、ふとした喜びを見出すのは素敵なことなのかもしれない。
了
あとがき
突発、短編小説第1弾です。難しい説明などは極力無しにして、単純な物語を書いてみました。
1時間半ぐらいで書き上げた作品ですが結構気に入ってます。ストーリー全体にはこれといった重みを科さず、その瞬間のシチュエーションを重視した構造をとっていますが、みなさま楽しんでいただけたでしょうか?
私は、たまにはこういうのもいいかなあなんて思います(笑) これをきっかけに、長編小説へのイメージを固めていくこともできるのですから。
そんなわけで、またこういう短編を書いていけたらなあって思います。
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