あけましておめでとう
新しい年のはじまり
今年はどんな新しい私たちになれるのだろう?
新年を迎えるたびにそう思う
でも、大切にしているものは今までと変わらない
それを忘れない、新しい自分でありたい
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小話その6 新年といつもの私たち
◆
年明け三日目の今日、まりあとさやは近所の神社にやって来ていた。
新年ということもあり初詣が目的だ。けれど、人が大勢集まるような神社に行くのが大変だろうという事で、近場の小さな神社で済ませることにした。
有難みにおいては劣るかもしれないが、ゆっくりとお参りができるという点では空いている方がいい。
それにこの神社にしても、誰もよりつかないような辺鄙な神社ではなく、まばらにではあるが人の姿は目に付く。
今、まりあとさやはそんな神社の鳥居の前で、人を待っている。待ち人はしおりとふみかの二人だ。
今日は四人で初詣をしようということになり、ここで待ち合わせることになっていた。
ちなみに待ち人の二人とは、年が明けてから顔を合わせるのは今日が最初。元旦と二日は彼女らも実家で過ごしている。
紅茶館のほうは昨年の三十日から年末年始のお休みをとっているので、数日ぶりの再会となる訳だ。
日数にして数えると大した期間ではない筈だが、新しい年をまたいでの再会となると、何故だかものすごく久しぶりのように感じてしまうのが不思議。まあ、全員が全員そう考える訳でもないだろうけど、まりあにはそんな気持ちがあった。
やはり新年を越したという事には特別な思いがある。心機一転という感じだ。
皆と会ったら何を話そう。まずは挨拶からだろうけど、大晦日やお正月をどう過ごしたかは聞いてみたい。あとは今年の抱負? 他にも色々とあるけど、実際にはどうでもいいような雑談が多く思い浮かぶ。でも、そんなどうでもいいような事も楽しみにしているのだから、少し浮かれ気味なのかもしれない。
「ちょっと早く来すぎたかもしれませんね。さやさん、寒くないですか?」
まりあは隣にいるさやに声をかける。浮かれた自分に付き合わせて、早めに家を出たのでちょっと悪かったかなと思う。
「わたしは平気よ。寒さには強い方だし」
にこやかに笑みを返される。
その笑みはまりあにとって最高のスパイス。それを眺めているだけで心も身体も温かくなる。
「頼もしい限りです」
「それよりまりあちゃん。本当にこんな近くの神社で良かったの? もうすぐ大学受験もあるし、もっと大きな神社へお参りに行っても良かったのよ」
「別にここで構いませんよ。本当に神頼みが必要とあらば、この時期を外してから行っても遅くはないでしょうし」
まりあ自身、賑やかな人ごみが嫌いという訳でもないのだが、正月はのんびり過ごしたいという思いが強かった。それに人がごったがえすような神社に皆で行くと、さやだけがはぐれてしまいそうで怖かった。
自分より年上の彼女にこんなことを思うのは何だが、さやはマイペースでのんびりとした人だ。一人で迷子になんかなってしまうと心配でならない。それこそずっと手でも握って、離さないようにでもしておかないと。
でも、大好きなさやの手をずっと握っているというのも魅力的かな〜と、心の隅で思わなくもない。そういう考えだけは我ながらちゃっかりしているなと、まりあは苦笑する。
と、その時だ。
「店長〜、まりあさ〜ん。あけましておめでとうございま〜す」
数メートル向こうからしおりの元気な声が響いた。見ると嬉しそうに手を振っている。その隣にはふみかも一緒に歩いていた。
まりあたちは二人が側にきてから、改めてお互いの新年の挨拶を交わした。
「しおりちゃんも新年から元気そうね」
先程の手を振っていた姿を思い出してさやが言う。
「元旦はずっと家の用事とかをしていて退屈だったんです。だから皆さんと会える今日はちょっと嬉しくて」
「あら、のんびりとはできなかったの?」
「親戚がひっきりなしに訪れてきて、それどころじゃなかったですね。わたしに関係ない話の時もずっとその場でいなさいって言われて、ちょっと窮屈でした」
しおりが肩を竦めながら苦笑し、まりあはそれに同情した。
「ちょっと意外。しおりちゃんの家ってそんなに厳しいの?」
「お正月は祖父母も来てまして、おじいちゃんはすごく厳しい人なんです。わたしももう大人に近いんだから、大人の会話の席にいるのは当然だっていう人なので」
「礼儀にしっかりした方なのね」
さやがそんな感想をもらす。彼女も元々良家の令嬢であっただけに、似たような経験があるのかもしれない。
「でもそんなのだから、おじいちゃんはお年玉もくれないんですよ。おばあちゃんは裏でこっそりくれますけど」
「あはは。おばあちゃんは優しい人なんだ。それならまだよかったじゃない」
まりあは笑った。それに厳しくともそういう家族がまだいるということは幸せなことだと思う。何せまりあには、もうそういう家族はいないのだから。
でも、別に悲しいとかそう言うのは無かった。今は今で、さやという大好きな人が家族でいてくれる訳だし。
「まりあさんと店長はどんなお正月を過ごしたんですか?」
今度は逆にしおりが訊ねてきた。
「私とさやさんはのんびりとしたお正月だったな。特にどこかへ出かけた訳でもないし、受験勉強したり、テレビみたり……あ、あとトランプしたり」
人が聞いても面白みはないだろうが、まりあにとっては充実したお正月。
「トランプは楽しかったよね。テレビみながら大晦日の夜から年明けまでずっと。まりあちゃん、神経衰弱がとても強いのよ」
「あれは私が強いというか、さやさんがテレビに気をとられて集中力がなかっただけで」
「でも、それがなくてもやっぱり強いと思うわよ。さすが受験生だけあって記憶力いいなって思えたもの」
「あとは初日の出まで起きてようかって言ってたんだけど、お互い四時ごろダウンしちゃいましたよね」
まりあが思い出して苦笑した。あのときは時間もさることながら、部屋の温度も丁度よく、心地よい睡魔に誘われるには絶好の条件だった。
「いいな〜。素朴だけど楽しそうなお正月に聞こえます」
まりあたちのやりとりを見て、しおりが羨ましそうな顔をする。
「ふみかさんの方はどうだったんですか。確か実家に戻られたんですよね?」
「私は実家で祖父と酒を酌み交わしていました」
「うわぁ。なんか大人って感じです」
「それ以前に酒を酌み交わすっていう表現がシブいような」
感心するしおりと苦笑するまりあ。
でも、ふみからしいとはいえる。出会った当初は捉えどころの無い彼女ではあったが、時代劇系統が好みなのは最近わかってきたから。
「祖父は実に美味しそうに酒を頂く人間ですから、私も共に飲んでいて楽しいです。良い相手と飲めるだけで酒の味というのは何倍にも引き立つように思えますから」
「それじゃあ私も二十歳になったら、ふみかさんにお酒の愉しみ方でも教えてもらおうかな」
「お酒もいいけど紅茶も忘れないでね。まりあちゃんがお酒にハマっちゃったら、わたし寂しいもの」
さりげないさやの一言に、まりあは更に苦笑する。
もしかして嫉妬された?
まあ、さすがにそこまではないだろうが、さやが自分を必要としてくれているように思えて、まりあは少し嬉しかった。
それから四人は話しながら参道を進み、お賽銭を入れてお参りをする。
各々どんな願い事をしているのか気にはなるが、わざわざ声に出している者はいない。
ちなみにまりあの願い事はここ数年いつも同じだった。
それは“いつまでもさやと仲良くいられますように”というもの。
良くも悪くもまりあにとって重要なのはそのことに尽きるのだ。むしろその望みさえかなえば、あとはどんな苦難も自力で乗り越えられる自信があった。
やがて、それぞれにお祈りを終えた四人は顔を見合わせる。
「皆のお願い事、かなうといいわね」
さやの言葉に皆が頷く。
「そういえば店長…………お賽銭に一万円入れてませんでしたか?」
しおりがポツリと言い、まりあは目を丸くした。
「本当ですか?」
「あ、うん。今回は沢山お願い事があったから奮発しちゃった」
「それはまた……」
何と勿体ない!と口から出かけるものの、寸での所で我慢した。さすがに神社の中でそれを言うのもバチあたりに思えたから。
「一万円分のお願い事ってどんなのなんですか?」
しおりはしおりで、さやがどんな願い事をしたのか興味があるようだった。勿論、まりあも気になった。
「お店のことや皆の健康、まりあちゃんの受験合格のこととかね」
「それだけで一万円なんですか?」
「他は去年のことに対するお礼や個人的なことよ」
「その個人的な部分、気になりますね〜」
しおりが尚も詮索するが、さやはそこで指を口許にあて「ヒミツ」と微笑む。
そうされてしまっては彼女もそれ以上は食いつかない。嫌われてまで無理をするタイプでもなかったから。
「ちなみに私は千円で天下太平を願いました」
誰に聞かれた訳でもないが、ふみかが誇らしげに告げる。言い回しは古風だが要は世の中の平和を願ったということだ。
「わたしは来年、美大に合格するようお願いしました」
「しおりちゃんは今年の春に三年で来年には受験だものね」
さやが言う。
「何とか美大に合格して、絵本作家になる足がかりも掴みたいと思います。なので今年から念をいれてお祈りしました」
「頑張って夢をかなえてね。皆も応援してくれるだろうし」
「はいっ! 今年は弱気な自分を克服して、強い心で頑張っていこうとも思っているので」
しおりは元気良く宣言した。純粋に将来の大きな夢を持つ彼女は、とても微笑ましく見える。
「そういえば、皆さんはおみくじ引きませんか?」
ふみかが言った。
「いいですね。合格祈願のお守りを買うついでに引いておこうかな」
まりあは頷いた。しかし、さやとしおりは遠慮するという。
理由は、二人ともおみくじの内容を信じてしまいがちになるので、悪い結果が出たら落ち込んでしまうということだった。
さやがそういう性格であることはまりあも知っていたが、しおりもそうだと言うのは初耳だ。しかし、“今年は弱気な自分を克服して、強い心で頑張る”と言ったばかりだというのに、いきなり弱気に思えるのは気のせい?
まあ、さすがにそこを突っ込むのは意地悪だし、新年から彼女の決意に水を差しかねないから何も言わないが。
こうして、まりあとふみかの二人だけでおみくじを引くことになる。
そして、その結果は…………
「あ、私は大吉だ」
まりあが嬉しそうに広げて見せる。
「こちらは中吉とありますね」
ふみかも見せた。結果としてはお互いに悪くない。
「まりあちゃんのは病気のところ以外、ちゃんと良い事が書かれているわね。試験も“くよくよせず、思い切り勉強せよ”だし」
下にある文章を読みながら、さやが微笑んだ。
ちなみに病気は“重くなる。早く医者へ”ということだった。
「さて…………初詣も済みましたがこれからどうします?」
おみくじを折りたたみながら、ふみかが皆に訊ねた。
確かにこれより先のことは決めていなかった。このまま別れるというのもあるが、何だか勿体ない気もする。
「しおりちゃんとふみかちゃんはこの後も時間は空いているの?」
「はい。今日は一日空けてます〜」
「こちらも同じくです」
「なら、一度お店の方に戻りませんか? そこで一息つきながら今後の事を考えるというので」
まりあがそう提案した。それにはさやも名案とばかりに同意する。
「特に何も意見がないならそれがいいわね。お店で温かい紅茶でも飲みながら考えましょう」
しおりとふみかからも反対の声は無かった。
こうしてまりあたちは自分たちの店に戻ることにする。寒い中で突っ立っているよりも、そろそろ温かい場所が恋しいというのもあったから。
§
まず店に戻ってしたことは暖房を全開にすることだった。
寒い外から帰ってきただけに、風が遮られるだけでもホッとする。あとは室内が暖まるのを待つだけだ。
「何か淹れてほしい紅茶のリクエストはあるかしら?」
さやが周りに意見を求める。
とりあえずまりあとしては、温まりさえすれば何でも良いような気がする。
「もしなければロシアンティーなんてどうかしら?」
「それはいいですね。私はそれに一票です」
ふみかが言った。
「ロシアンティーってどんな感じの紅茶なんですか? 名前はたまに耳にしたりしますけど」
しおりが訊ねた。まりあも同じ感覚だったからどのようなものか気になる。
説明はふみかがしてくれた。
「ロシアンティーというのは名前どおりロシアなどの寒い地域で親しまれている伝統的な飲み物です。少し濃い目の紅茶にジャムやマーマレードを添えたりするんです。あとはブランデーなんかも少し加えると身体もより温かくなりますね」
「それは美味しそうですね。でも、未成年のわたしやまりあさんがブランデーっていいのでしょうか?」
「少量なら問題ないでしょうし、無理にお酒をいれる必要はありまんよ」
ふみかの言葉に、さやもうんうんと頷く。
「せっかくだし今回は本格的にサモワールを使って淹れてみましょうか」
サモワール? また耳慣れぬ言葉が出てきたという顔のしおり。
まりあの方は写真か何かでみたことがある。確かロシアで使われている金属製の湯沸かし器だ。ただ、それがこの店にあるというのは初耳だった。
「店長はサモワールをお持ちだったのですか」
ふみかは少し感心した表情をしている。珍しい物なのかもしれない。
「ロシアへ旅行に行った友人のお土産で貰ったのよ。でも、なかなか使う機会がなくて」
そう言ってからさやは、棚の奥にしまってある箱を取り出してくる。中を開けると金属で出来た壺のようなものが出てきた。優美な曲線からはエキゾチックな趣も感じられる。お腹の部分あたりには小さな蛇口もついており、何とも不思議な形だった。
「それがサモワールなんですか?」
しおりは物珍しげにそれを見つめた。
「そうよ。ロシアで使われている湯沸かし器なの。昔のは木炭を燃やしてお湯を沸かしていたみたいだけど、わたしの貰ったこれは電気の力でお湯を沸かすからちょっと現代的ね」
「時代に合わせて使いやすくなったということですね」
まりあは笑った。まあ確かに木炭を燃やしてとなると、それはそれで骨董品みたいなイメージがある。好事家には受けるかもしれないが、使いやすさの点では電熱式の方が良さそうに思えた。
「では、早速使ってみるわね」
さやがてきぱきと準備を開始する。サモワールの上の部分は小さなティーポットになっており、まずはそれを取り外す。そしてプラグをコンセントにさしこもうとした。
「店長、たしかそれってロシアのお土産なんですよね。日本のコンセントを使っても大丈夫なのですか?」
「そこは安心して。これを使うことを想定して、電気工事はちゃんとしてあったりするの」
ふみかの問いにさやはニコリと答える。
「そうでしたか。さすがですね」
「どういうことなんですか?」
意味がわかっていないしおりが訊ねた。
「日本とロシアでは家庭用電源の電圧が違うんです。日本は百ボルト。ロシアは二百二十ボルトで」
「自分の国のはともかく、海外のなんて良く覚えていますね」
まりあは感心した。毎度の事ながらふみかの博識ぶりには驚かされるばかりだ。彼女なら世界各地の電圧を暗記してそうなイメージがある。
そんな会話の間にも、さやは普段使っていない場所のコンセントにプラグをさす。それが終わるとサモワールの本体部分になみなみと水を注ぎいれた。
「あとはお湯が沸くのを待ちましょう」
「それじゃあ私はティーカップとジャムを用意してきますね」
「うん。ジャムも何種類か、あるだけ持ってきて」
まりあは頷くと、すぐに必要なものを準備。
しおりとふみかはお湯の沸く過程をじっと見つめていた。やはり珍しいものがあるのだろう。まりあも同じ気持ちだ。
こうして暫くもすると、サモワールから低い音が響き始める。
「どうやら沸き始めてきたみたいね」
ここでさやは茶葉を用意する。持ち出されてきたのはキャンディという紅茶。
「ロシアンティーはジャムとも併せていただくから、セイロン系のクセのない紅茶がいいのよ。そして、このキャンディはセイロン紅茶の産みの親である、ジェームス・テーラーが最初に茶園を開いた場所としても有名なの」
お得意の知識を語りながら、サモワールの上についていた小さなティーポットに茶葉をいれていく。濃い目に淹れるということだったので茶葉は少し多めだ。
そうしているうちにお湯も沸騰し、一旦プラグを外す。
次はサモワール本体の蛇口から栓をひねって、沸きたてのお湯をティーポットに注ぐ。
「あとはティーポットをサモワールの上部分に戻して、蒸らし終えるのを待ちま〜す」
そして待つこと数分。
完成したのか、ポットの紅茶をティーカップに注いでいく。けれど量的にはそれぞれのカップに四分の一程度しか注がれない。
「これって少なすぎませんか?」
まりあが疑問の声をあげた。考えても見れば、あの小さなティーポットではたっぷり四人分の紅茶はまかなえない。
「量はそれで大丈夫よ。あとはその紅茶をサモワールのお湯で好みの味に薄めるの」
「だから予め濃い目に作る訳ですか?」
「そういうこと」
こうして四人は各々の好みに合わせて、お湯で薄めた。
サモワールの中にはまだまだたっぷりのお湯が残っており、ティーポットを上に乗せておくことによって保温が保たれる。ポットの中にもまだ紅茶はあるのでおかわりは自由という訳だ。
あとはお茶受けようのクッキーなども用意され、ささやかなお茶会の準備は完了。
「ジャムとかはどうするんですか。紅茶にいれたりするのでしょうか?」
しおりが訊ねた。
「日本での認識だとジャムを紅茶の中にいれて溶かしながら飲むのが多いわね」
さやが答えた。でも、そこへまりあが更に質問する。
「日本での認識ということは海外では違うのですか?」
「ロシアでは小皿にブランデーとジャムを混ぜたものをおいて、それをなめながら紅茶をいただくの」
「へ〜」
「まあ好み次第だから、皆は好きなように飲んでくれていいと思うわよ」
微笑むさや。
「せっかくなので私は本格的な飲み方でいってみようと思います」
まりあはそう言うと、ティースプーンでジャムをひとすくいして口の中に含む。そして紅茶をいただいた。
ベリー系のジャムの酸味がふわりと口の中でほどけるように広がる。繊細な味わいではないにしても、これはこれで美味しかった。
しおりも同じように真似ているが、好評のようだ。
「ジャムの甘酸っぱさを綺麗に流していってくれますよね」
「元の紅茶をかなり濃く作ってあるので、お湯での薄め方によっても幅広い味が楽しめます」
ふみかは薄めるのを少なめにしていた。きっと渋い味なのだろう。それらがジャムとどうまじり合っているのかも気にかかる。
あと、さやは少量のブランデーを用意してそれを加えていた。
「まりあちゃんたちも少しどう?」
「未成年にお酒ですか」
まりあは冗談めかして苦笑した。
「お正月だし、わたしは頂きます」
しおりが元気良く挙手する。やはりハメを外したいという気持ちがあるのだろう。とはいえ、香りつけ程度ならば余程でもない限りは酔うこともないのだろうけど。
結局、まりあも少しブランデーを加えてもらった。
飲んでしばらくもすると、心なしか身体も更に温まったような気がする。
「そういえば皆はこんなお話を知っている? イギリスではレモンをいれた紅茶のことをロシアンティーって呼ぶことがあるの」
さやが突然そう切り出した。
「え? レモンティーではなくてですか」
しおりが不思議そうな顔をする。博識なふみかは当然知っているようであった。
そして、まりあはというと。
「それってヴィクトリア女王がロシアに行った際、レモン入りの紅茶を出されたのが原因でしたっけ」
自分でも意外なことながら、記憶の片隅にそんな知識があった。昔に何かの本で見たのを思い出したのだ。
「正解。良く知っていたわね」
さやがにこやかに拍手する。
「ヴィクトリア女王の孫娘アレクサンドラがロシアの皇帝ニコライ二世に嫁いだ後、女王はロシアに暮らす孫娘のところへ訪問したの。その時のお茶会の席で出されたのがレモンを添えた紅茶で、女王はそれに感動し、イギリスへの帰国後にロシアンティーとしてその紅茶を広めまわったというわ」
「面白い話ですね。国ごとの歴史や文化によって紅茶の認識も違ってくるなんて」
「ロイヤルミルクティーというのがありますが、これも日本独自のものでイギリスでは通じませんからね」
ふみかがそう付け加えた。
「それも意外です。ロイヤルっていうくらいだから、ずっとイギリスだと思っていました」
しおりは驚いてばかりだが、楽しそうではあった。
「それだけ紅茶文化は、世界の各国々で自由ってことなんだろうね。最低限こうすれば美味しいっていう淹れ方はあるにしても、あとは自分たちがどれだけ愉しめるか。それが一番大事なこと……ですよね、さやさん?」
まりあはさやに目線を送る。これは義姉が常日頃から大事にしている持論。
そして、自分たち紅茶館のスタッフが忘れてはならないこと。
「うん。その通りよ」
さやはものすごく嬉しそうに頷いてくれた。そして。
「今日はもうずっとここに居ましょうか。皆と過ごすこの時間がとても愛おしくて動く気になれないわ」
「私もそれでいいかと。まだ紅茶もたっぷりあるみたいですしね」
まりあも同感とばかりに頷いた。
今までにも幾度となく茶会を楽しんできた仲間たちだが、飽きるようなことは何一つない。
「では、このままお店の中で新年会という流れにしましょうか」
ふみかもそう提案する。
「わたしは皆でトランプもしたいです。店長とまりあさんのお話を聞いていたらとても楽しそうなんだもの」
しおりの言葉にまりあたちは笑った。
結局、誰もこの店で過ごすことに反対はしなかった。皆、腰が重そうだ。
温かい場所。美味しい紅茶。甘いお菓子。
それらが揃っているこの場所を動くには、それなりに強い意志がないと難しそうだから。
「とりあえずトランプでも神経衰弱だけは無しにしましょうか。さやさんにとって不利かもしれないし」
まりあは気を利かせてそう言ったつもりだった。しかし。
「あら。神経衰弱は望むところよ。今度こそ負けないんだから」
きゅっと拳を握り締め、気合が入っていることをアピールされる。
「本当にいいんですか?」
「勿論よ」
その言葉の後、さやの口が小さく何かを呟いた。それはあまりにも微かで、しおりやふみかには聞こえなかったかもしれない。
けれど、隣にいたまりあには聞こえてしまった。「だって、負けないよう神様にお願いしたんだから」、と。
もしかして神社のお願いでさやがヒミツにしていたことって、こういうことだったのだろうか?
だとしたら、なんて可愛い人なんだろう。負けず嫌いでも、一途で前向きなら微笑ましい。
そして。
今日という日も、ささやかではあるが、忘れられない一日となった。
〈了〉