今年もあとわずか

あっという間の一年の中

仲間たちと支えあって頑張ってきた

成長した部分と

成長できなかった部分はあるだろうけど

来年はまた

どうかわっていくんだろうね?

 

 

 

小話その5 年末のとある一日

 

 

 

「さやさん、本当に大丈夫ですか?」

 泣き出しそうな声でまりあが訊ねた。

「大丈夫よ。多分、風邪だと思うし」

 自室のベッドの上に身をおろしたさやは苦笑しながら答える。

 この日の朝、さやは目を覚ました時に身体の不調を感じた。喉が痛く、身体も重い。熱をはかってみたら三十七度六分。

 で、一度起きて、まりあにそのことを伝えたらすぐに自室へと連れ戻されてしまった。

「救急車とか呼ばなくても平気ですか?」

 まりあが真顔で言う。普段は良識のある彼女も、さやのことになると少し見境がなくなる。

「本当に大丈夫。これくらいで救急車を呼んだら笑われちゃうわ」

 笑われるどころか迷惑がられるかもしれない。勿論、顔には出されないとは思うが。

 でも、こんな大袈裟な心配をしてくれるまりあを、さやは少し嬉しく感じる。それだけ想われているという証拠なのだから。それにもしこれが逆の立場なら、自分だって同じようなことを言ってしまうかもしれない。

「とりあえず午前中に病院へ行ってお薬くらいもらってくるわね」

「ひとりでも大丈夫ですか? 私も今日は学校を休んで…………」

「それは駄目よ」

「でも、もう期末試験も済んでテストを返却してもらうくらいですし、大した授業もないんです」

「気持ちは嬉しいけれど、学校にはちゃんと行って欲しいな」

 さやは優しくお願いするような感じで言った。

 さすがにそんな風に言われてしまうと、まりあもしぶしぶながら頷くしかない。

「どうか無理だけはしないでくださいね」

「うん。今日一日はゆっくり休んでいることにするわ」

「お店の方はどうします? 臨時休業にしますか」

「…………そうね。夕方からの営業にしましょう。わたしがいなくても、まりあちゃんたち三人で何とかできるでしょ?」

 さやはまりあのことを信用して言った。それに他のスタッフも優秀だから、うまく店をまわしてくれるとは思う。

「そう望まれるなら、さやさんの分も頑張ってはみます」

「うんうん。その意気よ。今日はまりあちゃんが店長代理ということで」

「私がですか? ふみかさんではなく?」

 まりあが驚いた顔をする。だが、ここでふみかの名前が飛び出すのは、やはり彼女の方が年上で優秀であるという考えがあるのだろう。

 しかし、こうも真面目に反応されるとさやは苦笑するしかない。店長代理という言葉も何気なく言っただけなのだから。

「あ、ええと。別に誰でもいのよ。まりあちゃんに負担ならふみかちゃんにお願いしてもいいし…………」

「負担じゃないです。私でやります。さやさんの分も今日は頑張りますから」

「それじゃあ、店のことはまりあちゃんにお任せということで。それよりもそろそろ学校に行かないと遅刻しちゃうわよ」

 このまま会話が続いたのでは時間がどんどんと経過してしまう。

 しかし、まりあはまださやのことが気になる様子であった。

「あの……今日は私が店長代理ということですし、店の準備をする意味でも学校を休んだ方がいいのでは?」

 この期に及んでまだそんなことを言われ、さやはがっくりと肩を落とす。

「まりあちゃん。色々と心配してくれるのは嬉しいけれど、学校にはちゃんと行って。これ以上の問答が続いたら、わたしも安心して休めないわ」

「…………すみません。学校に行きます」

「うん。本当に無理はしないから、心配しないでね」

 さやにできることは、いつものようにまりあを笑顔で送り出してあげること。そうでもしないと、この心配性の義理の妹は安心してくれないだろうから。

 結果、まりあはそのまま部屋を後にして学校へと向かった。どうにか一段落である。

「さてと、わたしも早くよくならないと、ね」

 一息ついたところでベッドに潜り込む。病院があくまでの時間、少しだけ眠っておく。

 そして、きっちり二時間後にさやは目を覚ます。そろそろ病院に行っておこうと思った。

「あ。その前にふみかちゃんに電話しておかないと」

 今日は夕方からのお店の営業と決めたのだ。お昼からふみかに来て貰う必要も無い。あと、店の入り口にも夕方からの営業を伝える貼り紙をしておかないと。

 さやは私服に着替えると、紙とペンを用意して夕方からの営業の旨を書き記す。そしてふみかに連絡しようと携帯電話を手に取った時、「あら?」と思った。

 何やら知らないうちに着信があったようだ。それも一時間半ほど前にふみかから。

 さやは早速、彼女へ電話をかけなおす。すると、すぐに繋がった。

「あ、もしもし。ふみかちゃん?」

「おはようございます、店長」

 電話越しに、ふみかの抑揚の無い声が響く。

「随分と前に連絡をくれていたのね。ごめんなさい。気付かなくて」

「いえ、それは別に構いません。それよりも店長。身体の具合はどうなのですか?」

「え? ふみかちゃん、わたしが体調崩したの知っているの?」

「朝、まりあさんから連絡を頂いて。それで店長の危機だからすぐに急行して助けてあげて欲しいと言われて」

「そうだったの……って、ちょっと待って。それってお家の方まで来てくれていたという事?」

「はい。今も店の近くを車で走りながら待機してます」

「それって一時間半ほど前から?」

「ええ。そんなところです。着いてから連絡をいれたのですが、反応がなかったのでお休み中かなと思いまして」

 さやはポカーンっとなった。連絡に気付かず熟睡していた自分も何だが、まりあの手回しの良さに唖然となる。

 とはいえ、そんな朝っぱらからふみかを呼びつけるなんて、申し訳ない思いもあった。

「随分と待たせたみたいでごめんなさいね。今、家のほうあけるからあがって頂戴」

「それよりも病院の方は行きましたか? まりあさんから車で送って、付き添って欲しいとも頼まれていて」

「病院は今から行こうと思っていたところよ」

「それならば私が家にあがるより、先に病院へ向かいましょう。外に車をまわしておきますので」

「何から何までごめんなさい。わたしも準備ができたらすぐに外へ出るわ」

 相手が目の前にいる訳でもないのに、さやはペコペコと頭をさげて電話をきる。

 それからコートを羽織り、診察券などを準備して外へ出た。

 外にはふみかの言葉通り、彼女の赤い軽自動車が既に待機していた。

「ごめんね、ふみかちゃん。こんな時間からわざわざ」

 助手席のドアを開け、車に乗り込みながらさやが言う。

「まりあさんの頼みでもありますから。さすがに泣きそうな声で懇願されては無視する訳にもいかないでしょう」

「そんな大袈裟な…………ごめんなさいね。迷惑だったでしょう?」

「気にはしてません。彼女の気持ちはわかりますから」

 ふみかは車を発進させながらサラリという。こういう部分は彼女のかっこいいところだ。

「でも、わたしに何かあるとなると、なりふり構わなくなるのは少し悩みものだわ」

「店長もそこはわかっているのですね」

「普段は冷静な子だけに、ギャップはよくわかるつもりよ」

「確かに彼女は冷静でしっかりした子ですからね」

「うん。わたしなんかより良識もあると思うし」

 さやは苦笑した。

 実際、その通りではあるから。

 さやは良家の箱入り娘であっただけに少々世間知らずな所があるが、まりあは幼い頃に両親を亡くしながらも強く生きてきた。彼女が年齢の割に生真面目でしっかりした性格なのも、そういう人生を送ってきたからこそなのかもしれない。

「でも、わたしの危機になるとそれがあっけなく崩れてしまうのは、まだまだ精神的に未熟な部分があるからなのかしら?」

「それは難しく考えすぎですね。まりあさんは単純に店長のことが大好きなんですよ」

 ストレートにそう言われ、さやは何故だか少し照れくさくなった。

「あと、まりあさんにとって病気や事故というものは過敏にならざる得ないものがあるのだと思いますよ。ご両親やお兄様を亡くされているのです。万が一という不安が、無意識のうちに心を苛むのかもしれません。今の彼女にとって家族はさやさんだけなのですから」

「そっか。…………何だかふみかちゃんの方が、わたしよりまりあちゃんのことを理解しているみたいね」

「あくまで想像であり、確信ではありませんが」

「それでも中々だと思うわ。わたしはそこまで気がまわらなかったし」

「店長。そこでご自分を責めたりはしないでくださいね。店長には店長にしかない魅力があり、まりあさんはそこにベタ惚れなんですから」

「わたしの魅力かあ。何なのかしらね。自分では理解しきれていないだけに」

「理解していない方がいいですよ。それを確信犯的に使うのは、かえって嫌味になって魅力が半減です」

 なるほど。確かにそういうものなのかもしれない。さやも何となく同感だった。

「ま、まりあさんが店長のことでなりふり構わなくなるのは、私からすると微笑ましく見えて好きですけどね」

「そういうものかしら?」

「ええ。可愛いじゃないですか。萌えかもしれません」

 淡々と萌えとか言われても違和感がある。でも、そのギャップもふみかならではの魅力なのかもしれない。

「とりあえず学校には行ってくれたけど、ちゃんと授業に集中してくれてるかしら」

「授業までは面倒みきれませんが、学校生活においての監視の手は既に打っておきました」

「え?」

「しおりさんに連絡を入れておいたのです。まりあさんの様子を見守るよう、学校でのことは任せたと」

 紅茶館“さくら”のアルバイト店員である上条しおりは、まりあの通う学校の生徒であり一年後輩だ。その彼女に任せたのであれば、多少は安心できるかもしれない。そういうことだ。

「そうだったの。さすがはふみかちゃん。しっかりしているわね」

「ただ、完全に安心はできません。店長のことになるとまりあさんは人格がかわりますから、しおりさんにどこまで食い止められるか」

「それはさすがに大袈裟じゃないかしら」

 さやは苦笑する。

 しかし、ふみかの不安がある意味的中していることを、このときの彼女は知る由も無かった。

 

 

§

 

 学校へはやってきたものの、まりあの心は穏やかではなかった。やはり、さやの事が心配で仕方なかった。

 ふみかに連絡をいれ、自分がいない間の世話はお願いしたが、それでも落ち着かないものがある。別にふみかを信用していない訳ではないのだが、自分自身で面倒をみてあげたいという気持ちが大きすぎるのだ。

 一限目と二限目までは授業も受けたが、内容なんて頭に入ってこない。そもそも期末試験の返却ばかりなので、大した内容ですらないともいえる。試験の点数にしても悪いほうではなかっただけに、復習すべきところも少ない。

 結局、いてもたってもいられなくなったまりあは、三限目までの休憩の間にひとり早退することを心に決めた。

 少なくともこの時の彼女は、もはや完全に冷静さを失っていた。自分の行おうとする行動が、結果的にさやを困らせてしまうかもしれないとか、内申に響いたりするとか念頭にもないのだから。

 心を支配するのは重症ともいえる義姉への想い。

 早退の手段も正攻法では駄目だ。その場しのぎの仮病なんかでは保健室で休まされるのがオチ。別の言い訳も思いつかない。

 そうなると手段は次のものしかない。ズバリ、人気の無い場所の塀を乗り越えて学校を脱出。

 校門が開いていれば一番良いのだが、防犯対策の一環として登下校時以外はきっちりとしまっている分、このような強引な手段を取らざる得ないということだ。

 しかし、迷っている時間が惜しいのでまりあは行動を開始する。クラスメイトには何も言わずに下駄箱まで移動。そのまま靴を履き替えて人気の無い校舎裏まで来ると、塀を見上げてグッと握りこぶし。気分はまるで国境を越えて亡命する人間のようだった。

 目の前の塀は高かったが、何か足場になるものをさがせば乗り越えられないこともないだろう。

 まりあは周囲を確認した。

 その時。

「まりあさん、こんなところで何をしているんですか?」

 聞き覚えのある少女の声が耳に響いた。

「しおりちゃん?!

 まりあはビクっとなり、その少女の姿を確認した。突然のことだったので心臓がバクバクいっている。

「もうすぐ授業のチャイムがなりますよ。なのにどうして靴を履き替えて、鞄も持っているんです?」

 しおりはとぼけて訊ねているというよりは、どこか確信的にまりあの不審な行動を指摘しているようであった。

「あ、いや。そのね。私のクラス、次は課外授業で……」

「嘘はいけませんよー。まさか、ここから塀を乗り越えてさやさんのもとへ帰ろうとかしていませんか?」

「うっ」

 まりあは今度こそ確信した。しおりはどういう流れで知ったのか、さやの体調不良のことを知っている。そして、まりあが何をしようとしているのかもお見通しのようだった。

 となれば、ここでジタバタと言い訳をするのも時間の無駄。

「しおりちゃん。後生よ。見逃してっ!」

 まりあは手を合わせてお願いのポーズを決めた。しおりは呆れたような顔をする。

「それは駄目です。わたし、ふみかさんにまりあさんを見張るようにお願いされたんですから」

 なるほど。ふみかの差し金だったのか。まりあは思わず納得する。が、今はそれどころではない。

「武士の情けよ」

「…………わたし、武士じゃありませんから。それに第一、塀を乗り越えるなんて女の子のすることじゃないですよ〜」

「さやさんのピンチなのよ! 塀を乗り越えられるなら、私は女を捨てたっていいわ」

 もはや支離滅裂だった。しおりは疲れたような溜め息をつく。

「気持ちはわかりますが、とにかく冷静になってください。こんなことバレたら大変なことになりますよ」

「授業なんてどうでもいいのよ。さやさんのピンチに比べたら」

「いや、別に授業に限った話じゃなくて」

「とにかく見逃して。見逃してったら見逃して」

「わがまま言わないでくださいよ。三限目ももうすぐ始まるんですからっ」

 しおりも少し焦り気味だった。あと二分もしないうちにチャイムが鳴る。

 まりあはそんな彼女の気持ちを見抜くと、駄々っ子から一転、甘い声でしおりに迫った。

「ねえ、しおりちゃん。お小遣い欲しくない?」

「はい?」

 目を丸くするしおり。まりあはそんな彼女を無視して財布を取り出す。

「三千円でいいわよね」

「ちょ、ちょっと。それはどういうことですか? 買収しようってことですか」

「そんな人聞きの悪い。これは先輩としての気持ちよ。でも、勿論そこでしおりちゃんの後輩としての気持ちも試されるんだけど。二人で幸せな道を選びましょうよ」

「それって完全に買収ですぅー」

 身をよじりながらしおりは全力でそれを拒む。

 その時、三限目を告げるチャイムが鳴った。今から教室に駆け込んでギリギリ。ヘタをすると授業には遅刻だ。

「しおりちゃん、早く教室に戻って」

「う。戻りますけど、まりあさんも途中まで一緒に」

「先に戻って。私もあとですぐに戻るから」

「本当ですか?」

「うん。明日には学校に戻ってくるから」

「それじゃあ意味ありませんって!」

 しおりはそう叫ぶと、まりあの手を強引に引っ張っていこうとする。小柄な彼女らしからぬパワーだ。

「私の事は放っておいて。急がないとしおりちゃんが遅刻しちゃうわよ」

「まりあさんを放っていくことなんてできません」

 もはやしおりも意地になっていた。授業遅刻の理由は腹痛なりでごまかそうと思った。

「…………いっそのこと学校が爆発しないかしら。そうすれば授業中断。私たちだって避難という名目で堂々と帰宅できるかもしれないのに」

 まるっきり冗談みたいな台詞だが、半ば本気に聞こえるあたりが怖い。

「その子供じみた発想は何ですか」

「化学の実験室とかに爆発物ってないかしら」

 フラリとそちらに歩き出そうとするまりあ。しおりはしがみついてそれを止める。

「本気で爆弾テロでも起こす気ですか?」

「大丈夫。人のいないところで爆破させるから」

「もう! いい加減にしてください。頼みますからいつもの冷静なまりあさんに戻ってくださいよ〜」

 しおりが泣き出しそうな声で言った。いや、もう半分は泣いている。目に涙が溜まっていたからだ。

 それを見て、まりあもさすがに我に返る。

 けれど次の瞬間には泣き出してしまう。

「……ごめんね、しおりちゃん。で、でも、さやさんのことが心配でたまらないのよ」

 一度でも涙を出してしまうともう駄目だった。小さな子供のようにわんわん泣きだしてしまう。感情の抑制ができなかった。

 だが、その悲痛な訴えはまりあの一番の気持ち。情けないけれど、どうにも抑えきれないものなのだ。

 しおりは自分の涙を拭って、まりあを抱きしめてくれた。

「大丈夫。ふみかさんがちゃんと看病してくれているんですから。わたしたちは放課後まで我慢しましょう」

 子供をあやすように優しく言い聞かせる。

 とはいえしおりも、少し油断するともらい泣きしそうだった。まりあのさやへの気持ちは、長い付き合いの中で良く理解しているから。

「まりあさんはさやさんに怒られるのと褒められるの、どちらがいいですか?」

「…………え」

 突然のしおりの問いに、まりあは顔をあげる。

「今、ここで問題を起こしちゃうとさやさんに怒られます。でも、頑張ったら笑顔で褒めてくれるかもしれませんよ」

「………………」

「ほら。想像してください。褒めてくれる時のさやさんの姿を。幸せになれると思いませんか」

 そう言われてまりあは想像してみる。

 さやの笑顔。それは彼女にとって極上とも言える天使の微笑み。

 どんなに辛くても元気になれる。温かい気持ちにさせてもらえる。

「…………そうだよね」

 まりあは目を閉じて頷くと、ぎゅっとしおりを抱き返した。

「ありがとうね、しおりちゃん。私、もうちょっと我慢してみる」

「わかってもらえましたか?」

「うん。心配な気持ちはまだあるけど、今はふみかさんに任せて、私は私にできることを頑張ってみる」

 まりあは少し冷静さを取り戻した。

 これもさやの笑顔を想像したおかげなのかもしれない。

 元気をくれる極上の笑顔は、まりあの行動の原動力なのだから。

 それにしても。しおりも中々うまく言うなと思った。さっきの説得の言葉は効果覿面。

 それこそ見事だと褒めてあげたい気分。

 だからこそまりあは、しおりの説得に報いる意味でも頑張ろうと心に決めた。

「教室に戻ろうか。授業、遅刻させちゃってごめんね」

「はい!」

 しおりも笑顔で頷いた。嬉しそうだった。

「あと、今日は私が店長代理だから、放課後のお店の方も頑張ろうね」

「勿論です。わたしも一生懸命、支えさせてもらいます。店長代理」

 しゅたっと敬礼する可愛い後輩に、まりあも微笑をもって応えた。

 

 

§

 

 さやの方は結局ただの風邪であった。

 病院で薬も貰ってきたので、もう大騒ぎして心配する必要もない。

 昼間はまりあの代わりにふみかが食事などの世話もしてくれたので、さやのほうもゆっくり休むことに専念できた。

 そして熟睡から目が覚めた時、時間は二十一時をまわったばかりであった。普段通りならお店の方も営業を終えた頃だろう。

「結構長い時間、眠っていたのね」

 さやはポツリと呟く。七時間以上は眠っていた。

 でも、お昼に飲んだ薬が効いてくれたのか、身体は少し楽。熱も下がってくれたように思える。

 とりあえずまだ夕食を摂っていないので、何かを口にしてから薬を飲まないといけない。あと、店の方の様子も気になった。

「ん、しょっと」

 ゆっくりと身体を起こして伸びをする。部屋の中の空気は冷え切っていた。

 何か羽織れるものを探していると、廊下の方から誰かがやってくる足音が響く。そして小さく、部屋の扉をノックされた。

「さやさん。起きていますか?」

 まりあの声がする。

「あ。うん。今、起きたところ。入ってもいいわよ」

 さやがそう言うと、彼女が扉を開けて入ってくる。手にはお盆が載せられていた。

「食事もってきてくれたの?」

「ええ。お薬も飲まないといけないでしょうし。具合はどうですか? 少しは食べれそうです?」

 まりあが訊ねてくる。朝のように泣きそうな顔で取り乱してはいないので、さやは少しホッとなった。

「食欲旺盛って訳ではないけれど、食べられそうよ。身体も楽にはなったし」

「それはよかったです。しっかり寝ておいてもらった甲斐もあるというものです」

「もしかして、起こさないように我慢してた?」

 まりあと会うのは朝のやりとり以来。実に十数時間ぶり。

「…………はい。我慢しました。熟睡しているのを起こすのも悪いし、早く良くなって欲しかったですから」

「ありがとう」

 さやは優しく微笑んであげた。

 きっとこの妹はかなり我慢したのだろうから。本当は学校から帰ってきた時にでも、話して様子を確かめたかったに違いない。

「お店の方は終わったの?」

「はい。特に問題も無く。ふみかさんやしおりちゃんも私を支えて頑張ってくれました」

「それならよかったわ」

「あの二人には今日一日、私のわがままで大きな迷惑をかけてしまいました」

 まりあはポツリと懺悔のように呟く。そしてそのまま、学校での事も話し出した。

「どうも駄目ですね。冷静さを失った私は情けなくなるほど愚かしい行動を取りがちです。本当はこのようなこと、さやさんに話すつもりもなかったのですが」

「でも、それを話したという事はわたしに叱って欲しいのかしら?」

「…………わかりません。どちらかといえば褒めてもらいたかった筈なのですが、あれだけ愚かしいことをしておいて、褒めてもらうだけというのもムシが良いような気もして」

 やはりまりあは生真面目だ。それ故に自分自身を追い詰めやすい。

 ならば完全に追い込まれる前になんとかしてあげるのは、さやの役目。

「まりあちゃんが自分で反省しているなら、わたしが叱ることなんて何もないわよ。大事なのはこの失敗を今後は繰り返さないようにすることなんだから」

「でも、また同じ過ちを繰り返しそうに思えます。なんだかんだでそこは進歩がないんです、私は」

「ならばその度に反省すればいいわ。まりあちゃんならきっとそれができると思うから」

「でも、それって進歩がないっていうのでは?」

「それは違うわよ、まりあちゃん。本当に進歩がないというのは、全てを諦めたり、投げ出したりした時のことをいうのよ。少なくとも、わたしはそう思うわ」

 諦めたり、投げ出したりしない限り、そこにはもしかすると進歩への可能性は残されているかもしれないと、さやはそう思う。

 勿論、人によってはそれを甘い気休めでしかないと言い切るかもしれない。

 けれどそれで前向きになれるなら、ネガティブな考えになるよりは断然良い筈だ。

「さやさんにそう言ってもらえると気持ちが楽になります」

「うふ。まりあちゃんが頑張ろうとしているなら、わたしはいつだってあなたの味方であるつもりよ。…………皆には迷惑かけちゃったかもしれないけれど、今日はありがとうね。よく頑張ってくれたと思う」

 さやはそう言うと、まりあの頭をそっと撫でた。

「…………さやさん」

 潤んだ目で見つめられる。このまま放っておくとまた泣き出されるかもしれない。

 普段はしっかり者のまりあも、こういう時はものすごく甘えん坊なのだから。

「さ、せっかく食事をもってきてくれたんだし、いただこうかしら」

「あ……すみません。つい話し込んじゃって」

 まりあはさやの目の前にお盆を差し出した。そこには可愛らしい小さなおにぎりが三個と温かい緑茶が載せられている。

「あは。食べやすそうな大きさね。これはまりあちゃんが握ってくれたの?」

「そうです。足りませんか?」

「丁度いいくらいよ。あとは……緑茶より紅茶の方が嬉しかったかな」

「すみません。おにぎりと組み合わせるならこっちの方がいいと思って」

「謝らなくていいわよ。今のはわたしのわがままなんだし」

 さやはそういうとおにぎりとひとつ手にとって、それを口にした。中には梅干が入っている。

「うん。美味しい。まりあちゃんの味がするわ」

「それってどんな味なんですか」

 まりあが苦笑する。でも、どことなく嬉しそうな顔であった。

「口ではうまく説明できないけど、なんとなくそんな気がするのよ。愛情がこもっているっていうのかな」

「それならたっぷりこめましたよ」

「嬉しいわ。だからこんなに美味しいのね。愛情は最高の調味料だから」

 さやとまりあはそこで目を見合わせる。そしてプッと大笑いを始めた。

 何だかお互いに恥ずかしいことを言っているのだから。

 でも、二人が意識していないだけで、こういうやりとりはしょっちゅうだったりもするのだけど。

「早く元気にならないとね」

「ええ。お願いします。私も心配でたまらないんですから」

 穏やかに言うが、それがまりあにとって一番の本音なのだろう。

「うん。きっと早く良くなってみせるから」

 今だって朝と比べれば調子は良いのだ。明日には普通に動けるくらいにはなるだろう。

 それにこの年末の季節。ベッドでじっと寝ているのも辛いものがあった。

 仕事がどうのという訳じゃないが、この季節にしか味わえない楽しみや情緒というものがある。

 残り少ない今年を、一日一日大事に過ごしていくには、ベッドで寝込むなんて勿体なさすぎるのだ。

 まりあはいつだって側にいてくれるかもしれない。けれど、どうせ一緒に側にいれるのなら、楽しいことが感じられる場に居たい。

 さやは心の中でそう思った。

「ねえ、まりあちゃん。紅茶を淹れてくれないかしら」

 おにぎりを食べ終え、薬も飲み終えてからさやが言った。

「それは構いませんが私が淹れるのですか?」

「勿論」

「でも、私なんかが淹れていいのでしょうか。さやさんみたいに美味しく淹れる自信はないですよ」

「大丈夫よ。まりあちゃんだって基本の淹れ方は知っているんだし、あとは飲む人間がどう楽しむかで美味しいかが決まるの。わたしはまりあちゃんの愛情一杯の紅茶が飲みたいの」

 そう言われて、まりあは少し頬を赤らめた。

 そして、そこまで言うのならと、頷いてもくれた。

 こうして用意された紅茶はストレートのアッサムティー。特に余計な一手間を加えないところが、まりあの慎重さというべきだろうか。

 でも、それを味わったさやは満足気に頷く。

「オータムナルのアッサムを淹れてくれたのね」

 オータムナルは十月頃に収穫された茶葉を指す。その時期に収穫された茶葉は味に深みがあり、後味もすっきりしている。

「正解です。一応、ストレートかミルクティーが合うんでしたよね? なのでストレートで淹れてみました。胃腸も弱っているかもしれないのに、ミルクというのもどうかと思いましたので」

「ありがとう。ちゃんと気も遣ってくれているのね」

 さやが褒めると、まりあは照れたように頬を掻く。

 でも、この気遣いは本当に嬉しいと思えた。さりげない優しさが飲む人間を幸せにしてくれる。

「この調子ならまりあちゃんにもお客様に出す紅茶を淹れてもらっても問題ないかも」

「私にはまだ早いですよ。一応、勉強はしていますが」

「うふふ。ならばもう少し勉強してからということにしておきましょうか」

 そういえば今年は、まりあに紅茶の事を教える機会も多かった。

 本来は人に物を教えるのは苦手なだけに、これは自分でもちょっと驚きである。けれどこの妹はしっかりと素直に感心して聞いてくれる分、教え甲斐があった。

(来年にはもっと成長するかもね)

 さやは何となく楽しみになった。可愛い弟子が育っていくみたいに思えて。

 そうだ。来年はもっと色々なことを教えてあげよう。

 さやは紅茶を飲みながら想像をした。

 まりあが淹れてくれる、まりあらしい紅茶の味を。

 それは紅茶好きのさやにとって、とても楽しい想像となった。

 

 

〈了〉