頑張るという事

それは前向きな行動のひとつ

自分のためではなく、誰かのために頑張っても

いつか自分に、

大きな嬉しさが返ってくることが

あると信じてみましょう

 

 

小話その4 おもてなしの心づかい

 

 

 

 暑かった夏も終わりを告げ、ようやく秋らしい季節へと移り変わりつつあった。

 日が暮れるのが早くなり、昼夜の温度差もある。体調管理を怠ると、すぐにも風邪をひいてしまいそうだが、そういう部分にさえしっかりしておけば過ごしやすい毎日を送ることができる。

 今年の九月は例年以上に暑かったほうだが、十月に入ってからは平年並みの気温。

 へんにだれることもないから、身も心も軽くなったように思えるのが不思議。

 もっとも、そのような気持ちになれるのは、過ごしやすい季節になったからという理由だけではないのだが……

 

 夏にさやと二人で花火を楽しんで以降、まりあの心は穏やかさに満ち溢れていた。

 大好きな彼女が、まりあと家族でいられることこそ自分の幸せだと語ってくれたからだ。

 これまでの二人の関係からみて、「今更そんなこと言うまでもないんじゃないの?」と思う者もいるかもしれないが、それがどんなに当たり前の事であろうとも、時には確認して安心を得たくなるのが人の心。

 言葉がなくとも通じ合っているとしても、言葉があればより通じ合える。

 今、まりあは自分で言うのも何だが絶好調な気分だった。

 ずっと悩んでいた大学への進学もすることに決めた。そして受験すべき大学の目処もつけている。この二ヶ月の間で、大きな考え方の進歩といえよう。

 最初は大学への進学を捨て、紅茶館“さくら”の仕事に集中したいと考えていた時期もあったが、それよりかは大学で色々なことも経験し、そこで得た体験談などをさやに楽しく聞かせてあげようと思った。要は様々な経験をし、人間的にも話題が豊富になるというのは悪くもない。そういうことだ。

 勿論、お店の手伝いはこれまでと同様、学業と並行で続けていくつもりである。

 もっとも、そんな先のことを語る前に受験に成功しないといけない訳だが、まりあの学校での成績は悪い方ではない。狙っている大学のレベルもそれほど高くはないので、余程のミスでもしない限りは十分合格するのではないかという教師の言葉もある。

 けれど、そういった半ばお墨付きの言葉をもらっても、油断しないように受験勉強を怠らないのがまりあの良いところ。それに、とりたてて難しいことをしている訳でもない。ほんの少しだけ勉強の時間を増やしただけで、今まで同様の生活パターンは崩していないのだから。

 平日の朝〜昼は学校に通い、夕方からは紅茶館“さくら”の手伝い、そして夜に勉強というのがまりあの一日だ。

 特に店の手伝いは、まりあにとって良い息抜きにもなっている。それは大好きなさやをはじめ、心許せる仲間と一緒にいられる時間でもあるから。

 

 ある日の夜。紅茶館“さくら”の営業時間もあと三十分で終わろうかという時間に、一人の客が訪れた。

「ごめ〜ん。まだラストオーダーいけるかな?」

 店に入るなりそう訊ねてきたのは、この店の常連客でもある神谷葉子という女性だった。

「あ。葉子さん、いらっしゃい。どうぞ。まだ構いませんよ」

 フロアにいたまりあがそう答えると、葉子は「あんがと」と軽く手を振ってカウンター席に座る。

 そこへしおりが、水と温かいおしぼりを持ってきた。

「サンキュ、しおりちゃん」

「いえ〜。ご注文は何にしますか?」

「今夜はダージリンでも頂こうかな。とりあえずそれだけでいいや」

「かしこまりました。ダージリンですね。少々お待ちくださいね」

 しおりがさやに注文を伝え、さやも笑顔で準備を始める。

「うわっ、もしかして今の時間の客はあたしだけ?」

 店内を見渡した葉子は、自分以外の客の姿がないことを確認し、申し訳なさそうな顔をする。

「普段はいつもこんな感じですよ」

 まりあが答えた。この時間帯の客層は、散歩ついでの近所の住人などが多いが、それでも閉店の近いこの時間ともなれば大抵の客は自宅へ戻る。

「なんかごめんね。こんな遅くに来ちゃって」

「気にしないでください。まだ営業時間内ですし。でも、珍しいですよね。葉子さんがこんな時間にいらっしゃるだなんて」

 葉子もこの街の住人ではあるが、自宅はこの店から結構離れていた筈だ。まりあはそう記憶している。

「なにね。来年にはあたしの後輩になるかもしれないまりあちゃんの勉強具合はどうかなって、様子を見に来ただけよ」

「ちゃんとはかどっていますよ。高校の担任の先生からも、余程の失敗でもしない限り大丈夫だろうとも言われてますし」

「ほ〜。それは立派。ま、まりあちゃんはあたしと違ってしっかりやってそうだしね。心配するだけ野暮ってものか」

 感心する葉子。彼女はまりあが狙っている大学に通う二回生でもある。まりあが彼女の大学に受験を決めたのも、この葉子とその友人である百合奈に相談を持ちかけたことも大きい。

「でも、こうやってわざわざ様子をうかがいに来てくれるなんて、ちょっと嬉しいです」

「あはは。まりあちゃんは素直ね。さっきの言葉は出まかせだったのに」

 バツが悪そうに葉子は苦笑する。

「それでも気にかけてくれたのは事実じゃないですか」

「そんな風に言われると照れくさいわね。でも、悪い気はしないかな。まりあちゃんが大学に入ってきたら、先輩を立てる良い後輩になってくれそうだわ」

「私も葉子さんのような先輩がいれば、大学での生活は心強そうです」

「これ以上、おだてても何もでないわよ」

「別にそんなの望んでいませんよ」

 まりあにとって葉子は話しやすい相手だ。気さくで肩の凝らない人物だけに。

 そこへ注文のダージリンがしおりによって運ばれてきた。

「ダージリン、お待たせしました」

「お、随分と早いわね」

「丁度、沸かしたてのお湯があったみたいなので」

「そかそか」

「とりあえず三分ほど蒸らしてからどうぞ」

 しおりはそう言いながら、ダージリンの入ったティーポットとカップを葉子の前に置く。そしてティーポットにはティーコジーという保温用のカバーをかぶせる。

「お。このティーコジー可愛いわね」

 そのティーコジーはお人形の少女のような形をしていた。ふわっとしたスカート部分が、ポットを覆うカバーになっているのだ。

「これはふみかさんお手製のもので、市販で売られているものではないんですよ」

 まりあが説明した。

「へ〜。それはまた器用な。ふみかさんって何でもできちゃうのね。あたしも見習わないと」

「…………よければ今度、作り方でもご伝授しましょうか?」

 葉子の言葉の後、抑揚のない物静かな声が近くより響いた。噂の当人にして、紅茶館“さくら”の自称凄腕用心棒、ふみかの登場である。

 先程まで奥の方の片づけをしていたが、いつのまにかこちらへやってきたようだった。

「これって簡単に作れるものなの?」

「順序立ててやれば、それほど難しいものじゃありません」

「わたしも今度、ふみかさんに教えてもらうつもりなんですよ〜。葉子さんも一緒にやりませんか」

 しおりが言い、ふみかもそれに頷いた。

「一人教えるのも、二人教えるのも変わりませんし、興味があればどうぞ」

「あたしがこういうのを作るのって柄じゃない気もするんだけど。がさつで不器用だし」

「そのようなことはないと思いますが」

 まりあが微笑みながら言う。確かに葉子はボーイッシュな性格ではあるが、女の子としての感性はしっかりしている。身に着ける衣服や小物のセンスだって悪くない。

「そういうまりあちゃんの方はどうなの。一緒に教えてもらったりしない訳?」

「私は既に作り方は知っていたりしますから」

「ほ〜。そりゃすごい」

「このお店で手作りのティーコジーを作り始めたのは、まりあさんが最初なんですよ」

 しおりが葉子にそう教えた。

「そうなんだ」

「ちょっとした気まぐれですよ」

 イギリスなどでは、お手製のティーコジーをティーパーティーでお披露目したりするという話をさやから聞き、それで興味を持って作り方を調べてみたのがきっかけだった。

「でも、私が作ったものなんて、ふみかさんのものと比べるとまだまだですけど」

 謙遜でも何でもなく、まりあは事実を述べる。まあ、ふみかは何でも器用にこなせる人物だけに競うつもりもないが。

「作れるってだけでも凄いと思うわよ、あたしは」

「ありがとうございます」

「作れる人間が二人もいるんだったら、お店でティーコジーの製作教室でも開いてみたらどう?」

 葉子の提案に、ふみかも「なるほど」と手を打つ。

「それは確かに良いアイデアかもしれませんね。お客様が集まればお店の利益にも繋がります」

「何だったら大学でも宣伝してあげるわよ」

「でも、ふみかさんはともかく、私は人に教えられるほどの技術じゃないし」

「そんなことはないと思いますよ。まりあさんの作ったものだって、中々のものですから」

 ふみかの言葉にまりあは少し照れた。事実のみを淡々と述べる彼女にそうまで言ってもらえるということは、多少なりとも自信を持ってもいいということだから。

「ま、さやさんにも相談して考えてみてよ。決定したら百合奈をはじめ、他にもお友達をつれてきてあげるから」

 紅茶に口をつけながら葉子が言う。

「お友達といえば、葉子さんが以前に連れてきてくださった由美子さん。あれから連日のようにお店にきてくれていますよ。余程、ここを気に入ってくれたみたいですね〜」

 何気ない感じでしおりが言った。だが、由美子という名前を聞いた途端、葉子の表情が少し曇る。

「やっぱりあいつ、通い詰めてるんだ」

 やるせない溜め息をつかれる。

「あ……えっと……何か気に障るようなことでも言ってしまったでしょうか?」

 しおりは自分が何かマズイことでも言ってしまったかと慌てた。

「あ、ごめん。別にしおりちゃんは悪くないのよ。ただ最近、その由美子とちょっとトラブルがあってね。今夜、ここに寄ったのも確認したいことがあっただけなのよ」

「それはどんな確認を?」

 まりあが訊ねた。

「由美子、この店で変なこと言ってたりしない?」

「……変なことですか」

 まりあは首を傾げる。特に思い当たることがなかった。ふみかやしおりにも目を向けるが、二人も首を横に振る。

「少なくとも、悪いことを言われている感じはありませんよ。いつも美味しそうに紅茶をいただいているように見えますし」

「そっか。まあ、あいつはこの店の大ファンを公言しているし、皆に対する尊敬もあるみたいだから、さすがに暴言は言わないか」

 何やら一人で納得をされる。

 由美子は二週間ほど前に、葉子が連れてきた友人の一人で、確かにこのお店の事を気に入ってくれた様子ではあった。その日以来、一人でも毎日のように店を訪れてくれるのだから。

 少なくとも、まりあから見て悪い印象なんてなかった。珍しい紅茶に興味もあるようで、そういったものを心から楽しんでいるように見える。

「あの……葉子さんとの間ではどんなトラブルがあったのですか? 差し支えなければ教えてもらえますか」

「そうね。ここで何も事情を説明しなかったら、まりあちゃん達も気になって仕方ないだろうしね」

 まりあ達は頷く。

「じゃあ、その前にひとつ質問なんだけど、ティーバッグってリーフティーに劣るものなの? 特にどこでも手に入るようなリプトンやらトワイニングとか」

「確かにそのような印象はあるかもしれませんが、それほど劣るものではないと思いますよ」

 少なくともさやの淹れる紅茶は、ティーバッグのものでも美味しかった。

「ティーバッグを劣ると考える人は、その淹れ方に問題があるのが大半かと」

 ふみかも淡々と答える。

「やっぱそういうものよね。ところが由美子ってばさ、リプトンのティーバッグなんて低級な紅茶であって、本物の紅茶の味とは程遠いなんて言いやがるのよ」

「それは乱暴な言い方ですよね」

 しおりも少し眉をひそめた。

「でしょ〜。それで由美子ってば、本物の味を知りたければいつでも良いお店を紹介してあげるわ、なんて周囲の子に言いふらしているんだけど、周囲の子はその言い方に反感もっちゃってさ」

「えっと……その良いお店というのはここのことですか?」

「もちろん」

 まりあの問いに葉子は頷いた。

「このお店を紹介しようっていうのは良いことだと思うけど、そんな言い方されたんじゃ逆効果になりそうじゃない。それであたしも由美子に注意してやったんだけど、そこからは大口論。挙句にあたしは、この店の価値を理解できていない味音痴とまで言われてしまうし」

「その様子だと、仲直りは?」

「できてないわよ。根は悪いやつじゃないんだけど、高級感のあるもとそうでないものとの差別だけはひどすぎよ。あいつの勝手な価値観でこっちを見下してるんだから。思い出すだけでも腹立たしいわ!」

「葉子さん。とりあえず落ち着いて下さい」

 まりあがなだめると葉子は「うぅ」と唸る。そして。

「ねぇ、なんとかして由美子をギャフンと言わせる方法ってないかしら。このままじゃ悔しいしわ。まりあちゃんたちで何とかならない?」

「気持ちはわかりますが、ギャフンと言わせるとか、そういうやり方はどうかと」

「じゃあ、まりあちゃんはどういうやり方なら良いと言うの?」

 葉子に迫られ、まりあは言葉に詰まった。

 そもそも発想の根本が仕返しみたいで感心はできない。葉子の悔しがる気持ちもわかりはするが、ここで自分たちが手を貸そうものなら、かえって事態がややこしくなる気もする。

 由美子という女性も、いまやこの店の常連客なのだ。普段の発言に問題があるとはいえ、この店を評価してくれているお客様に不愉快な思いをさせる訳にもいかないだろう。

 しかし、そんなまりあの気持ちとは別に、ふみかの方が口を開く。

「なんでしたら私がギャフンと言わせてやりましょうか」

「ちょっと! ふみかさん、何を言い出すんですか」

 ストレートな物言いのふみかに、まりあは目を丸くする。少なくとも感情のわかりにくい彼女が言うと冗談に聞こえない。

「だからギャフンと」

「いや、そういう意味じゃなくて」

「何となく悲しいじゃないですか。見た目の雰囲気などで紅茶の良し悪しを判断されるなんて」

「でも、そんな仕返しみたいなことをしたら、由美子さんだって気分を悪くされるのでは?」

 しおりが言い、まりあもその通りだと頷く。

 しかし、ふみかは首を横に振った。

「別に意地悪をしようというつもりはありませんよ。ただ、このまま由美子さんを放っておいたら、彼女は周囲からもどんどんと嫌われる性格になりかねません。ならばこれ以上、問題が大きくならないうちに引導を渡すのが筋かと」

「…………引導って」

 なんとも物騒な響きにまりあは絶句した。導くというよりは、そのままトドメをさしかねないような気もする。

「そうそう。これは由美子の傲慢を正す意味でも必要なことなのよ。友人として当然の行いなのよ」

 いかにも自分たちこそ正義だと言わんばかりに、葉子が腕を振り上げて言う。

「とりあえずこのことに関しては私で責任も持ちましょう。ティーバッグでも美味しい紅茶は淹れられると証明するだけなのです。勿論、店長にも相談してから行います。なので、信じてもらえませんか?」

 ふみかの表情は真剣だった。いや、元々表情に乏しい人物なのでいつも真顔にみえてしまうのもあるのだが。

 だが、そこまで言われてしまうと、ここで言い返すことなど難しい。ましてや相手はしっかりもののふみかだ。決して悪い方向になることはないと思いたい…………

 結局、しおりはその一言でとりあえずの納得はしたようだが、まりあにはまだ少し不安があった。

 ふみかのことは信用しているが、このまま手放しで見守ることに抵抗があるのだ。

 それはまりあの、この店のスタッフとしての責任感の表れでもあった。

 けれど、ここでこれ以上の事を言うのは、少し躊躇ってしまう。とりあえず、さやにも相談をするということだし、まずはその流れを見守ってからどうすべきかを考えることにした。

 

 

§

 

 店の営業時間が終わり、しおりやふみかも帰宅した後、まりあはさやの淹れた紅茶を飲んでいた。

 今夜の紅茶はアップルコンポートティー。これは小さくカットしたリンゴを手鍋にいれ、ひたひたの水とグラニュー糖で柔らかく透き通るまで煮て、リンゴと少しの煮汁を紅茶に加えたものだ。ほんのりとしたリンゴの甘みを楽しむため、ベースとなる紅茶はニルギリやセイロンといった癖のないものが良いという。

 そんなさやの講釈を聞きながらも、まりあは少しうわの空だった。本当なら、仕事の後のこういった時間は、彼女にとって至福の時間の筈なのに。

 こんな状態にあるのも、やはり閉店間際のやりとりによるものが大きい。

 あれから店が終わって、ふみかはさやに葉子の持ちかけてきた話を相談し、その問題へ介入することの許可を得た。だが、あまりにもあっさり許可が下りた為、まりあは心配でならなかった。

 さやはこの問題の意味をちゃんと理解しているのだろうか? 

 行き過ぎた余計なお節介は、お客様の気分を悪くさせかねないというのに。

「まりあちゃんはさっきのわたしの許可が不満?」

 口数の少ないまりあのことを察してか、さやが紅茶の話題から先程の出来事の話へと切り替える。

「不満というか心配です。大切なお客様の気分を害すかもしれないんですから」

「そうよね」

 さやも苦笑しながら紅茶に口をつける。

「そう思うのなら、どうして許可なんてしたんですか?」

「ふみかちゃんを信用しているからよ」

 笑顔で言い返された。

「でも、それにしたって…………」

 まりあは、ふみかがさやに相談を持ちかけた際の一言を思い出した。

 

『ギャフンと言わせたい相手がいるのですが、少し勝手をすることをお許し願えますか?』

 

 ふみかはそんな風に話を切り出したのだ。それはあまりにもストレートすぎて、まりあは頭を抱えたくなった。もっと他に言いようはあるだろうに。

 勿論、さやも最初は「へ?」という表情ではあったが、事情を全て聞いた後はあっさりと許可を出してしまったのだ。まりあにはそれが納得いかない。

「さやさんはこのお店の店長なんですから、もっと慎重に先の事を考えて許可を出すべきです」

 大好きなさやをあまり批判したくはないが、さすがに今夜のこれはどうかと思える。

「わたしなりにちゃんと考えてみたつもりなんだけど」

 さやは苦笑する。そして、そのまま穏やかに訊ね返してきた。

「まりあちゃんはふみかちゃんのこと、そんなに信用できない?」

「信用はしています。最後にはうまくまとめてくれるとも思います。でも、ふみかさんって物言いがストレートすぎるから、うまくまとめるまでの過程で、お客様に不愉快な思いをさせはしないかと心配なんです」

 結果だけを見て、全て良しなんていうのは乱暴な物の考え方だ。

 相手にどんな事情があろうとも、お客様には最初から最後まで心地よい時間を過ごしてもらいたい。そして、そんな空間を提供するのが店側の筋だと思う。

 まりあのこの意見に、さやも「なるほどね」と頷いた。

「つまるところ、ふみかちゃんのやり方では、お客様の顔を立てることはできない。まりあちゃんはそう思うのね?」

「そうです。まさにそれです」

 さやが自分の言わんとすることを理解してくれて、まりあは少し嬉しくなった。

「まあ、そう言われると、まりあちゃんの不安も一理あるわね」

「ならば葉子さんに謝りをいれて、ふみかさんも止めましょう。今ならまだ間に合います」

 まりあはそう言ったが、さやは少し「ん〜」と考えたような表情をして、最後には首を横に振った。

「やっぱりふみかちゃんに任せましょう。彼女にだって思うところはあるんだろうし、今更その勢いを消すのもどうかと思うの。それにわたしだって、由美子ちゃんという子に、紅茶の事を良く理解してもらいたいし」

「でも!」

「ふみかちゃんだけに任せるのが不安なら、まりあちゃんがそのサポートについてあげるなんていうのはどうかしら?」

「…………え?」

 さらりと笑顔でそんなことを言われ、まりあはキョトンとなった。

「スタッフ同士で支えあうのも大事なことだと思わない? それにお客様のことをそんなに考えてくれているまりあちゃんがついてくれるなら、わたしも安心して任せられるし」

 それは想像もしなかった提案だった。だが、全てをうまくまとめようとすれば、一番理にかなった意見。

 問題は、まりあ自身にそれができるかどうかだ。

 そこを良く考えてみる。

 少なくとも周囲は皆、ふみかのやろうとしていることを何だかんだで認めている。それは信頼に基づいてのものだ。でも、まりあもふみかを信頼しているとはいえ、彼女のやり方では多少なりとも由美子というお客様の気分を害す恐れがある。そんな心配を抱いているのが自分だけであるとするのならば、やはりここは自分で何とかするしかない。

 自分の思う不安を現実にさせないためには、自分が立ち回って動くのが一番。

 ヘタに他人任せにして、思うような結果が望めないのも困るのだから。

「…………そうですね。私でサポートしてみることにします」

 まりあは心を決めた。大変ではあるかもしれないが、前向きに考えようと思った。

 不満だけを述べて何もしないなんていうのは、自分のポリシーにも反すものだ。

 それに、さやの期待にも応えられるかもしれないとなれば、不思議とやる気だってわいてくる。

「頼りにしているわよ」

「はい。今後の接客の勉強と思ってやってみます」

「うふふ。まりあちゃんてば、本当に生真面目ね」

「そうでも思わないと、面倒で投げ出してしまいたくなりますから」

 半ば冗談めかして言う。自分自身へのリラックスの意味もこめて。

「あ、それとさやさん。お願いがあるのですが」

「ん? なあに」

「私にもティーバッグの紅茶のこと、色々教えてもらえますか」

 ふみかのサポートにつくと決めた以上、まりあにも知っておかねばならないことはある。

 ティーバッグの紅茶でも十分に美味しいものを淹れられるのは知っているが、どうすればそんな味が引き出せるのかとか、どういった特徴があるのかは学んでおきたい。

 こういうことは本などで調べるよりかは、実践で様々な経験をしているさやに聞くのが一番なのだから。

「いいわよ。大役を押し付けちゃった訳だし、わたしもそれくらいはしないとね。何だったら今からティーバッグで、もう一杯淹れましょうか? まりあちゃんに時間があるなら、愉しみながら教えてあげるわよ」

「そうですね。是非お願いします」

 日課の受験勉強は今日のところは取りやめ。今夜はティーバッグの紅茶について色々と教わることとなった。

 それにこれは、さやとの心休まるお茶会の延長ともいえ、まりあにとって少し嬉しいものもあった。

 

 

§

 

 あれから五日が過ぎ去った。

 その間、特に何も動きがなかった訳ではなく、水面下では色々と準備が進んでいた。

 そして今日はお店の定休日。だが、特別に葉子と由美子を招いて“ティーバッグによるお茶会”を実行する手筈になっている。

 葉子の方も由美子への約束は既に取り付けてあるらしく、十七時には店を訪れるということだった。

 応対に関しては、まりあとふみかだけでどうにかするつもりではあるが、店にはさやとしおりの姿もあった。本来は定休日なのだから休んでいても構わないのだが、さすがに気にはなるらしい。

 ちなみに最初からティーバッグだとバラすのではなく、途中で驚かせてやりたいという葉子の意向があったので、それに従う形で動こうとは思っている。

 そんなこんなで、もうすぐ約束の十七時になろうとしていた。

 店側の準備としては全て整っている。

「なんだかこういう状態でお店に待機するのって不思議と緊張しますね。わたしは見守るだけの側なのに」

 しおりが苦笑しながら言った。でも、まりあにも彼女の気持ちがよくわかる分、同意するように頷く。

「この先、何が起こるかわからないものね。正直、私たちは未だ余計なことをしようとしているとは思えるけど」

「頑張ってくださいね、まりあさん。及ばずながら応援だけはさせてもらいます」

「ありがとう。しおりちゃん」

 まりあは覚悟をきめ、心の中で気合いを入れた。この五日の間、さやからティーバッグの紅茶の魅力を色々と教わったのだ。自分としては、それを相手に喜んでもらえるように伝えていこう。それ以上は余計なことをしない。そう決めた。

 あと、ふみかの方との示し合わせもついていた。まりあはふみかに対する自分の不安を正直に語った上で、由美子への接客は自分がメインですすめたいと伝えたのだ。

 それに対してはふみかも別段気を悪くした様子もなく、むしろその方がいいでしょうとも快く了承してくれた。彼女にすれば、由美子の考えを改めさせることができればそれで問題はないという。

 そして。十七時を少し過ぎた頃、店の扉が開き、カウベルの軽い音が来客をつげた。

「いらっしゃいませ」

 まりあが声をかけると、そこには予定通りの客人が入ってくる。葉子と由美子の二人だ。

「お待たせ。お邪魔するね」

 葉子はいつも通り気さくな調子。その隣では由美子が丁寧に一礼してくる。

「今日は定休日だというのにわざわざお招きくださり、光栄に存じますわ」

 こういう礼儀正しい面を見ていると、由美子が悪い人物とは到底思えない。多少、芝居がかった喋り方が多いような気もするが、それは彼女が意図的に作り出している個性のようにも思える。服装もどことなく高貴なお嬢様風だったりするし。

「さあ、立ち話も何ですし、こちらへどうぞ」

 まりあは二人を奥のテーブル席へと案内した。

「それにしても驚きましたわ。葉子さんがここまでこのお店に顔が利くだなんて」

 席に着いた由美子がそう言い、葉子は苦笑する。

「それって褒めてる訳?」

「一応、そのつもりですわよ。定休日にわざわざお店を貸しきるなんて、余程の常連にしか出来ないことでしょうし。あまりにも意外すぎて、驚くには十分な理由といってもいいでしょう」

「そんな言い方だと、全然褒められてる感じがしないよ」

 葉子が肩を竦めて吐き捨てる。だが、由美子の方はそれを無視してまりあに訊ねた。

「それはそうと、今日はわたしに味わって欲しい紅茶があるとか?」

「はい。葉子さんの頼みでとっておきのものをご用意しています」

「ま、葉子さんがどんなものを頼んだのかはわかりませんけど、一応は楽しみにしておいてあげますわ」

「それって味音痴のあたしのすすめるものなんて、あまり期待できないって風にも聞こえるけど」

「どうしてそんな風に受け取るのでしょうね。ひねくれているとしか思えませんわ」

「あんたの言い方に問題あるんでしょうが」

 葉子がムスっとした顔をする。

「まあまあ。お二人とも落ち着いてください。こんなところで言い争いもどうかと思いますよ」

 やんわりとまりあが言う。

「あら。ごめんなさい。わたしは別にそういうつもりじゃなかったのだけど、彼女の方がね」

「はいはい。どうせ悪いのはあたしですよぉ」

 葉子はそう言いながらもまりあに目配せを送る。とっととこの女をギャフンと言わせてやって……と、目で訴えられているようであった。

 まあこのまま不穏な会話の流れになるのも何なので、まりあはふみかに頼んで例の紅茶を早速準備してもらうことにした。

 そして、数分と経たずして二つのティーカップをお盆に載せたふみかが戻ってくる。

「既に蒸らし終えてあるので、もう飲んでくださっても結構です」

「あら、もうよろしいですの?」

「お手軽なものですから」

「それでは早速」

 葉子と由美子は早速カップを手に取り、そのまま一口だけ味見をする。

 まりあとふみかはその様子をまず見守った。

「…………うん。悪くはないですわね」

 由美子がそう感想をもらす。

「それは美味しいってこと?」

「そうなりますわね。不味くはありませんわ」

「ほぉ。気に入ってくれて何より」

 葉子がどこか意地悪げに笑う。

「他に感想は? あんたのような紅茶通ならもっと色々と言いようはあるんじゃないの」

「そうね。なんていうのか飲みやすいわ。へんにクセのある味でもないし。でも、ちゃんと紅茶らしい香りと味わいが感じられてよ」

「さすがですね。由美子さんはちゃんとこの紅茶の味を的確に理解されています」

 まりあが感心する。それにこれはお世辞でもなんでもない。この紅茶の特徴について、由美子は何ら間違ったことを言っていないのだから。彼女の舌は正常であるといえよう。

 少なくとも適当に難しい感想を述べるような、エセ評論家の真似事をしないだけ好感は持てた。

「思ったままのことを言っただけですわよ。それにこれが何の紅茶かまでわかるほど、知識が豊富という訳でもありませんし」

 由美子も悪い気はしなかったのか、少し謙虚な態度を見せる。

「でも、この紅茶。由美子だって一度は飲んだことがあると思うんだけどね」

「それはどういうことですの、葉子さん?」

「ま、最近のあんたは口にしないのかもしれないけど、これはリプトンのティーバッグの紅茶なのよ。あんたが低級だって言ってた」

「えっ、ティーバッグですって……!」

 由美子は絶句し、表情を強張らせた。

 そんな彼女の様子を見て、葉子は満面の笑みを浮かべる。してやったり。ざまあみろ、って感じなのだろう。

 けれど、まりあとしては彼女を自由にさせるのもここまでが限界。あとはこちらの思う限りのフォローを尽くさせてもらうことにする。

「驚かれたみたいですね。でも、葉子さんは由美子さんのことを心配しておられたのですよ」

 まりあは優しい声で話しかけた。

「…………心配?」

「ええ。ティーバッグは一般に普及する中で誤った飲み方をされていることも多いので、由美子さんも悪い例ばかりを見てきたのではないかと心配されていました。だとすれば、それは紅茶を心より愛す由美子さんにとって不幸すぎることだからと、今回は本当のティーバッグの魅力を教えてあげて欲しいとお願いされたんです」

 半ばでっちあげではあるが、相手を思いやるのならばこれくらいは言わないと駄目だろう。

「少なくとも由美子さんはこの紅茶を飲んで美味しいと言ってくれました。そのことを考えても由美子さんの味覚は正しいものです。でも、そんな由美子さんがティーバッグに悪い印象を持たれていたとするのならば、それはやはり誤った飲み方が多かったのだと思います」

「まあ、大抵の人が間違った淹れ方をしますから、お客様が誤ったイメージを持っていたのも無理からぬことですね」

 ふみかもそっとフォローの言葉をかけ、そのままひとつのことを訊ねた。

「お客様はティーバッグを使う際、軽くお湯に浸して、色をつけるだけだったりしませんか?」

「……そうね」

「それは業界用語で“行水”といって、それでは本当の味は引き出せません」

 さすがふみかは知識も豊富だった。そういう業界用語はまりあも知らなかったからだ。でも、悔しいというよりはかえって勉強になる。

「その“行水”でそれっぽく紅茶ができてしまうように見える分、大抵の人はそれをティーバッグの手軽さと考えてしまうのかもしれませんね。かくいう私も、昔はやはり何も知らなくて“行水”ばかりでした」

 まりあが苦笑を浮かべながら言う。

「なるほど。わたしが知らなかっただけで、ティーバッグというのも奥が深いものだったのですね」

 由美子はそう呟いて、もう一口紅茶を味わう。

「うん。やっぱり美味しいですわ」

「あたしのこと味音痴って言ったの撤回する?」

 葉子がそっと訊ねた。

「そうですわね。それはわたしの失言でしたわ。撤回します」

「ウム。よろしい」

「でも、不思議ですわ。どうすればこのように美味しいティーバッグの紅茶を淹れられるのかしら。味も香りも、わたしが知るものと全然違いますわ」

「実はそんなに難しいことはしていないのですよ。よければ二杯目の紅茶で実演してみましょうか?」

「是非お願いしますわ」

「では、少しだけお待ちくださいね」

 こうして由美子たちが一杯目の紅茶を飲み干す間に、まりあたちは二杯目の準備にとりかかる。といっても用意するものは新しいティーバッグと沸かしたてのお湯くらいのものだ。

「それでは二杯目の紅茶、この場で淹れさせてもらいますね」

 戻ったまりあたちは、新しいティーカップを客人たちの前に並べる。

「まずはカップに熱湯を注ぎます」

 その言葉通り、ふたつのカップに沸かしたての熱湯を注ぐ。

「次はティーバッグを取り出して、袋に少し膨らみをつけます。そしてそれを熱湯の中に手早く沈めます。最後は受け皿のソーサーなどで蓋をして、一分ほど蒸らすと完成です」

 まりあはソーサーをカップにかぶせた。葉子と由美子は感心するように魅入っている。

「たったのこれだけであのような味に?」

「はい。やはりティーバッグは手軽さもウリですから」

 驚く由美子に、まりあは笑顔で答えた。半ばはさやの受け売りであるが、お客様にこのように感心されるのはちょっぴり嬉しい。

 こうして蒸らし終えた後は蓋を除ける。

「あと、ティーバッグをカップから取り出す際は、スプーンなどでギュウギュウっと絞らないでくださいね。渋みが出て、後味が悪くなりますから」

「え? そうだったんだ。あたし、いつも絞ってた」

 葉子が意外そうな顔をした。でも無理は無い。それも良く間違われることのひとつなのだから。

「もうひとつ些細な事ですが、ティーバッグはひとつにつき一杯の紅茶しかとれません。勿体ないからといって、ひとつのティーバッグで何杯も紅茶を作るような真似はしないほうがいいでしょう」

 ふみかがそうつけ加えた。

「なるほど。勉強になりますわ」

 由美子はカップを手に取り、二杯目の紅茶の香りを確かめる。そして満足そうに頷いた。

「先程と一緒で良い香りがしますわ」

「これで今度からは気軽にティーバッグを愉しんでもらえそうですね」

「ええ。これだけ簡単にできるとわかれば、家でも広めたくなりますわ。まりあさん、ふみかさん、今日は本当にありがとう。それと葉子さんにも感謝ですわ」

「そう素直に言われると、何だかかえってやりにくいな」

 葉子は頬を掻いた。本音としては、もっとギャフンといわせてやりたかった気持ちがあったのだろう。

「でも、これだけはどうしても思うのですが、美味しいとはいえ、やはりリーフティーには劣るような」

「おいおい」

 また何を言い出すんだとばかりに、葉子が渋い顔をする。

「別に言いがかりをつけている訳ではありませんのよ。ただ正直、自分はそう思うだけで」

「由美子さんの感じられた事は、決して間違いではないですね。確かにリーフで淹れたものと比べて、ティーバッグには限界というものがありますから」

 まりあはその言葉と共に、ティーバッグの紅茶ではジャンピングが十分に行われにくいことを教えた。

 ジャンピングは紅茶の成分を抽出する上で欠かせない要素だ。ティーポットで淹れるリーフティーならば、蒸らす際に茶葉が上下にしっかり動いてジャンピングされるが、ティーバッグのように袋に詰められたものではそこに限界がある。

 けれど、そればかりは仕方のないこととして納得するしかない。

「なんだかそこは寂しい気もしますわね。美味しい筈なのに劣るだなんて」

 説明を聞き終えた由美子は複雑な表情で呟いた。でも、まりあは明るく言葉を続ける。

「先程述べたのはティーバッグの欠点ではありますが、だからといって劣る物だっていう考えは早いですよ。それぞれに長所と短所はあるんですから」

「確かにそれはそうなんだけど、やっぱり高級なイメージからは程遠いですわね」

「由美子。あんたまだそんなこと言う訳?」

「高級感は大事だと思いますわよ。どんなに美味しくてもリプトンなんて珍しくないんですから」

 再び睨み合う由美子と葉子。見守るまりあは心の中で苦笑した。

「由美子さん。確かにリプトンはどこでも見かけるものですが、言い換えればそれだけ有名で人気のある商品なんですよ」

「それくらいは今のわたしにだって想像はできますわ。でも……」

「高級感においても、リプトンは決して劣りはしませんよ。なにせ百年以上前から英国王室御用達の茶商なんですから」

「そうなんですの?」

 興味を示す由美子。やはり彼女はこの手の話題のほうが食いつきはよいようだ。

1985年にヴィクトリア女王から指定されているんです。あとリプトンの特徴としては、原茶の調達能力に加えて、ブレンド技術の高さが挙げられます。この日本で販売されているものも、日本用にブレンドされているんですよ」

 日本でリプトンが輸入されたのは1906年。最初はロンドンで販売されているイエローラベルが直輸入された。そして本格的な紅茶としてグリーンラベルのエクストラクォリティ(またの名を青缶)やダージリンを続けて輸入。

「ティーバッグが日本で発売されたのは1962年からなのですが、毎日飲んでもらうことを前提に、クセのない何にでも合う味わいに仕立てられているといいます。このようにそれぞれの場所にあわせた工夫もとられているので、リプトンは世界的に愛される紅茶としての地位を獲得しているのかもしれません」

「まりあちゃん、よくそういうのスラスラ言えるね。これもさやさんの教えの賜物?」

 葉子が素直に感心した。

「勿論それもありますが、最近は受験勉強のついでにこういうのも暗記しちゃうんですよ」

 まりあは笑いながら答えた。そして由美子へと向き直る。

「どうでしょう? リプトンのそういった歴史は、由美子さんの基準では高級に当てはまりませんか?」

「…………それは」

「まあ感じ方は人それぞれなので、わたしからはこれ以上言う事もないんですけどね」

 まりあはそこで一歩ひいた。相手はお客様なのだ。理屈で打ち負かして良い相手ではない。

 なので最後は、あえて当人の考えに委ねる。

 するとどうであろう。次の瞬間、由美子はクスクスと笑い出した。

「どうしたのよ。いきなり笑い出すなんて不気味ね」

 葉子が遠慮なしに言う。しかし彼女はそれを気にせず、まりあにこう答えた。

「わたしの紅茶に対する理解はまだまだ足りていないかもしれませんが、これだけは改めてわかりましたわ。このお店のもてなしはわたしにとって最高のものであると」

「それは光栄です」

「本当よ。知識を語るにしても決しておしつけがましくなく、控えるところも心得ている。何より客人を立ててくれようとする、まりあさんの配慮が嬉しいわ」

「ありがとうございます。そう言って頂けるとわたしも嬉しいです」

 まりあは深く頭をさげた。

 少なくとも由美子を不快にさせないという配慮は、それなりに相手にも伝わってくれたといえる。

 それが何より嬉しかった。

「まりあさんは来年、わたしたちの大学を受験されるのですよね? 合格することを期待していますわ。あなたみたいな後輩ができるとなれば、きっと楽しくなるでしょうし」

「ちょっと待った。まりあちゃんの世話はあたしと百合奈でやるの。あんたがでしゃばる必要はない」

「そんなこと葉子さんで勝手にきめつけないでくださる。誰がどう後輩の世話をしようが自由だと思いますけど」

「あんたが世話するとロクでもなさそうだ。まりあちゃんにヘンな高級意識を植え付けそうで」

「わたしは葉子さんに任せる方が余程心配ですわ。まりあさんががさつで大雑把な人間になりはしないかと」

 また言い争いをはじめる二人。

 話題が自分にまつわることだけに、まりあは止めるかどうか悩んだが、隣のふみかがポンっと肩を叩いて耳打ちしてきた。

「好きにやらせてあげましょう。お二人にとってはこれが自然な付き合い方であり、本当に仲が悪いとも思えませんし」

「…………言われてみると、そうですよね」

 確かになんとなく納得できる。何だかんだと言いながらも、結局この二人はそんな軽口を楽しんでいるようにも見えてきた。

 それに、本当に仲が悪ければ一緒にこの店にくることもない筈だ。

 ま、慣れないうちは見守る側もハラハラするが、わかってくると微笑ましい気もする。

 少なくともこんな先輩たちのいる大学に通えるなら、入学早々から寂しい思いだけはしないで済みそうだった。

 そう思った時。

「うふふ。なんだか賑やかそうだけど、まりあちゃんを取り合おうとするお話?」

 気がつくと、奥の部屋に控えていたさやとしおりがこちらの方にやってきていた。

 二人の手にはティーポットやカップ、あとサンドイッチなどを載せたお盆が持たれている。

「さやさん、それは?」

「わたしとしおりちゃんからの差し入れよ。というか、そろそろわたしたちも一緒にお茶会に混ぜて欲しいかな〜なんて」

 さやが微笑みながら言った。

「今日はお店もお休みなんだし、ここから先は皆でプライベートなお茶会にしましょうっていう店長の提案なんです」

 しおりが全員分のティーカップを並べながら答えた。

 これには葉子と由美子も口論を一旦やめて、「おお」という驚きの声をあげる。

「さ、まりあちゃんとふみかちゃんも席に座って。皆で楽しくやりましょう」

 さやのその一言が、この場の空気を一気に柔らかいものにする。

 見事なタイミングでの乱入だった。

 そして、皆が席についていく中、さやがまりあの耳に囁いた。

「お疲れ様。とても素敵な接客だったと思うわ。わたしも見習わないとね」

 砂糖菓子のような甘い声が、すぅ〜っとまりあの中に溶け込んでいく。

 大好きな人に褒めてもらえたことにより、嬉しさが何倍にもこみあげてくる。

 頑張って良かった。心の底からそう思えた。

 

 こうして六人でのお茶会がはじまった。

 心許せるお店の仲間たち。そして、来年には学校での先輩になるかもしれない人たち。

 語られるのは現在のこと。未来のこと。

 でも、それはとても楽しげで、まりあにとって心地の良い時間だった。

 

〈了〉