美味しい紅茶はいかがでしょう?

立ち上る優雅な香りと

綺麗な飴色

そして、ちょっとした渋み

それらはあなたに

ほんの少しだけ素敵な時間を

与えてくれるかもしれませんよ…………

 

 

 

小話その1 桜の季節と紅茶のお店

 

 

 

 

 

 

 暖かい日差しの春の朝。

 あと十日もすれば、街は桜の花で満開になろうかという頃。

 学校が春休みに入ったまりあは、いつもより少し遅い目覚めを迎えた。

 午前八時二十五分。普段の平日ならもう学校にむかっていないといけない時間。

 とはいえ、まりあは休日の日曜でも早起きだから、こんな時間に目が覚めるのは珍しいともいえた。昨夜に読む進めていた小説が面白くて、夜更かししてしまったのが原因かもしれない。

 まりあはベッドから起きて私服へと着替えると、自室のカーテンと窓を開け、春の日差しと空気で部屋を満たす。

 明るい日差しの眩しさが、まだ寝ぼけた感じの目を覚ましてくれる。

 その後は鏡と向き合って長い髪を櫛でとき、自室を出てからは洗面所に行き顔を洗う。

 それらのことを一通りすませた後はキッチンへ直行。朝食を摂るためだ。

「おはようございます、さやさん」

 まりあはキッチンへ入りながらそう言った。そこに人がいることを既に知っていたから。

「あ、おはよう、まりあちゃん」

 先にこの場にいた人物から返事がかえる。柔らかい雰囲気の若い女性の声だった。

「すみません。いつもより遅く目が覚めてしまいました」

 まりあが申し訳なさそうにそう言うと、さやと呼ばれた女性はクスクスっと笑う。

「そんなに遅いってほどでもないでしょう。せっかく春休みに入ったのだから、もう少しゆっくり寝ていてもよかったのよ」

「そうはいきませんよ。春休みとはいえ、なるべくは規則正しく生活したいですから。それに、朝はさやさんと一緒に紅茶を飲まないと調子もでませんし」

「うふふ。そんなことで調子がでるのなら、わたしはいくらでも喜んで付き合うわよ」

 さやはそう言うと立ち上がり、椅子に座ったまりあに訊ねた。

「紅茶淹れるわね。なにがいいかしら?」

「さやさんのおすすめで」

 まりあは任せることにした。少なくとも紅茶のことに関しては彼女の方が詳しかったから。

「それじゃあ無難にイングリッシュブレックファストにするわね。わたしも飲みたいし」

 さやはまだ開封されていない缶入りの茶葉を取り出すと、馴れた手つきで準備をこなしていく。新しくお湯を沸かすのと同時にティーポットやカップも温め、人数にみあった茶葉をティーポットに加えた。

 そして、お湯がポコポコと沸き始めたら火を止めて、その熱湯をティーポットに注ぐ。

 沸騰したてのお湯を使うのは、美味しい紅茶を淹れる上では絶対条件。そうしないと茶葉の成分を抽出するジャンピングという動作が起こりにくくなり、風味やバランスを損なった紅茶になってしまう。

(いつみても見事だよね)

 流れるような手つきで紅茶を準備していくさやを見て、まりあは素直に感心する。

 他の事に関しては、お世辞にも手際が良いともいえない彼女だが、紅茶のこととなるとまるで別人のようだった。

(あ。でも、別人というのは少し違うか……)

 まりあはすぐにそう思って訂正。紅茶を淹れている間のさやは、いつにも増して楽しそうというのはあるが、そこから発せられる空気は、普段の彼女から漂う“和み”の空気そのものだから。

「あとは時間を計って蒸らしま〜す」

 さやはお気に入りの懐中時計を取り出すと時間を確認した。

 この蒸らし時間というのが、美味しい紅茶を淹れる上での仕上げとなる。

「今回の紅茶って、ロイヤルドルトンのものなんですね。ここって確か陶磁器のメーカーじゃなかったですか?」

 まりあがテーブルに置かれた缶を見て言った。

「そうよ。1815年に陶磁器のメーカーとして創業し、1901年に最初の英国王室ご用達のメーカーに任命されたの。その時にロイヤルの名を冠することが許されたらしいわよ。ちなみに紅茶の販売をはじめたのは比較的近年で1992年からなの」

「それは意外です。もっと古くから紅茶も扱っているのかと思っていました。そういえば、ウェッジウッドも陶磁器メーカーでありながら紅茶の販売もしてましたよね」

「ええ。でも、ウェッジウッドが紅茶業界に進出したのもロイヤルドルトンの一年前。1991年からなのよ」

 そういう薀蓄がスラスラ出てくるあたり、さやの紅茶好きは筋金入りだった。

 まりあも普通の一般人よりかは紅茶に詳しいと思うが、彼女の足元には到底及ばない。

「そろそろいいかしらね」

 紅茶を蒸らし始めてから約三分。さやが懐中時計をしまい、カップに紅茶を注ぎ始めた。

 軽やかな香りと共にカップには飴色の液体が満たされてゆく。

「はい。まりあちゃん、どうぞ〜」

「ありがとうございます」

 まりあは近くにあった砂糖を少し加え、早速それに口をつける。

「この口当たりの良さはセイロンあたり……でしょうか?」

「半分正解。ロイヤルドルトンのイングリッシュブレックファストはセイロンとアッサムのブレンドなのよ」

 さやも自分の紅茶を飲みながら笑顔でそう答えた。

「なるほど。私もまだまだわかってはいませんが、半分正解っていうのなら嬉しいです」

「本当に味を見極めようとするのって難しいわよ。同じ産地の茶葉でも時期やメーカーによって若干違ったりもするし」

「奥深いですよね」

「そうね。でも、奥深いからどんどんハマれて楽しいっていうか」

 さやの言葉に対し、まりあも微笑ましげに頷いた。

 ちなみにこの二人。綾瀬まりあと綾瀬さやの関係だが、彼女らは義理の姉妹という間柄だった。

 まりあには直人という名の兄がいるのだが、さやはその兄の妻なのだ。

 しかし、兄の直人は結婚三ヵ月後に事故で他界。まりあは幼少の頃に両親を亡くしていたこともあり、それで肉親すべてを失ったことになる。

 そんなまりあを見かねてか、さやはいまだ綾瀬の家に籍を置き続けることを選んでくれた。

 勿論、同情だけでなく兄への想いもあるのだろうが。

 とはいえ、まりあは彼女の厚意に甘えっぱなしになるというつもりはなかった。さやはまりあより五歳年上というだけで、まだ二十二歳という若さなのだ。その上、元が良家の箱入り娘ということもあり世間に疎い。

 まりあの側からすると、そんな彼女こそ守ってあげなければいけないなと思うほどだ。

 それに何よりも、まりあはさやの事が好きだった。その気持ちは亡き兄にだって引けを取らないくらいに。

 そういう関係から、二人は今もこうして支えあいながら生活しているのだった。

「あ、そういえばさやさん。昨夜に話していた例の企画、何か具体的なアイデアって思いつきました?」

 近くにあるクロワッサンを手に取りながら、不意にまりあがそう話をきりだした。

「まだ特には。まりあちゃんの方は?」

「私のほうもさすがに……」

 意味深な会話で顔を見合わせる二人。

 それはこの二人の関係を繋ぐもうひとつの要素に関係する話。喫茶店の経営についてのことだった。

 さやは普段、紅茶館“さくら”という紅茶専門の喫茶店を経営しているのだ。

 その店は元々、直人とさやが開いたものなのだが、直人が亡くなってからはさやが店長を引き継ぐ形となり、まりあも学業の傍ら店の手伝いをしているのだった。

 そんな、紅茶館“さくら”も来週には一周年を迎える。

 今、まりあたちの間では、店の一周年を記念して何かできないであろうか?という話が持ち上がっていた。

 とはいっても、思いついたのは昨夜の就寝前。何気ない会話の中で、どちらからともなく言い出した話が膨らんだのがきっかけ。

「とりあえず、ふみかちゃんやしおりちゃんにも意見を出してもらった方がいいわね。そう思って、昨夜はあまり深くまで考えなかったのもあるけど」

 さやがそんなことを言った。

 ふみかとしおりというのは、まりあと同じく紅茶館“さくら”を支えるスタッフの名前である。

 紅茶館“さくら”は、その四人で切り盛りされているのだ。

「そうですね。彼女達にも意見をもらいますか。なんてったって“さくら”は私たち四人で創り上げていくお店でもありますしね」

「うん。そういうこと」

 さやは嬉しそうに頷いた。

 彼女にとって紅茶館“さくら”は、ちょっとした夢の形のひとつなのだという。皆で意見を出し合い、それらをひとつにうまくまとめて素敵な場所を築くという。

 まりあもそんなさやの思い共感し、またそんな場所を創り上げていくことにもわくわくした。

 また巡り来る桜の季節。

 もうすぐ一周年という記念すべき時。

 次に繋がる何かを残せたらいいなと、まりあは心から思った。

 

 

§

 

 

 街の中心地から外れた桜並木の続く通り。

 その一画に、白い石壁の小さな店があった。それが紅茶館“さくら”。

 雑誌などで紹介されるほど有名な店ではないが、美味しい紅茶と心地の良い時間を味わえる店として、常連の客には人気がある。

 そんな“さくら”は現在、開店前の準備を大体終えたところだった。

 あと三十分もすれば営業の時間となる。

 だが、それを前にして四人の店員たちが集まり、例の一周年企画の話が進められていた。

「…………なるほど。話はわかりました。一周年の企画になりそうなアイデアがあれば、自分たちにも出せ。そういうことですね?」

 店長のさやから一通り話を伺った後、黒髪を結い上げた女性が無表情にそう確認を返す。

 彼女の名は夕月ふみか。普段から淡々とした雰囲気の漂う女性で、表情や言葉にもあまり感情がこもっていないが、そこに悪意などがないのはまりあたちも承知済み。

 ほんの少しだけ普通の人間とはズレた感性があるような気もするが、様々な分野のことに博識で、この店においては一番頼りになる存在とも言えた。

「どんなアイデアでも構わないわ。採用するしないは別として、まずは気楽に考えてみて頂戴。時間もまだある訳だし」

「でも、店長。もう来週には一周年なんですよね? 手の込んだ企画をやるとするなら、今すぐ方向性だけでも決めておかないとまずいと思うんですが」

 今度は小柄な愛らしい少女がそう言った。まりあの通う高校の後輩にして、アルバイト店員の上条しおりだ。

 将来は絵本作家を志しているらしく、その豊かな感性と絵の才能にはまりあたちも一目置いている。

「確かにそういう考え方もあるけど…………」

 しおりの言うことも一理あるだけに、さやは少し肩をすくめる。

「さやさん。店長として“こんなことがしてみたい”っていうのがあれば、それを方向性として皆で話を広げてみるのはどうでしょう?」

 難しく考える義理の姉に対し、まりあは優しく言葉をかけた。

「…………そうね。でも、わたしがしてみたいことなんて全部紅茶絡みになってしまうわよ」

「例えばどんな?」

「一周年を記念して、この店を象徴するような紅茶をつくってみたいかな、なんて」

「いいんじゃないですか。うちは紅茶専門の店でもある訳だし、そういう方向性が一番わかりやすいかもしれないですよ」

 まりあの言葉に、しおりやふみかも同感だとばかりに頷く。

「でも、このお店を象徴するような紅茶のイメージってなると中々ね」

 苦笑するさや。

 確かにそこは、まりあでもパッとは思いつきにくい。

 一周年を記念する紅茶である以上、そこには何らかの意味づけも欲しいところだった。

「四種類の紅茶を作ってみるというのはどうでしょう?」

 ふみかがそう提案し、そのまま言葉を続けた。

「私たち四人のひとりひとりが、それぞれ自分で考えた創作紅茶をお出しするんです。例えば“さやブレンド”とか“まりあスペシャル”、“しおりダイナマイト”といった具合に」

「ちょっとふみかさん。ブレンドやスペシャルはまだしも、わたしのダイナマイトってなんですか? 意味わからないのですが」

「深くは気にしないでください。なんとなく出た物の例えですから」

 特に表情も変えずに言い返され、しおりは「むぅぅ」と唸る。

 そんな彼女を苦笑しながら宥め、今度はまりあが言った。

「さやさんやふみかさんならまだしも、私としおりちゃんには創作紅茶とか難しい気がするのですが」

「別に茶葉とかブレンドせずに、バリエーションティーでもいいと思います」

「果物とかを添えたりするやつですか? でも、それにしたって紅茶本来の味を引き立てるとなると、それなりの知識と経験がないと大変のような…………」

 自分だけで楽しんで飲む分にはまだしも、客に出すものとなればいい加減なものは作りたくなかった。

 勿論、さややふみかにアドバイスを貰うこともできるだろうが、それはそれで彼女らの足をひっぱるようで嫌でもある。

「四種類の紅茶は面白そうなアイデアではあるけれど、すべてを考え出すまで時間はかかりそうね。やはりここはひとつに絞って考えてみましょう」

 さやがそう言った。

 こうして話は振り出しに戻るが、その時しおりが「あっ」と間の抜けた声をあげた。

「どうしたの、しおりちゃん?」

 まりあが訊ねる。

「あ。いえ。大したことではないんです。ひとつアイデアを思いついたつもりだったのですが、実行には難があることに気づいちゃって。なので忘れちゃってください」

「そう言われると少し気になるかな〜。とりあえず教えてみてくれないかしら」

「安直だって笑ったりしません?」

「うん。笑わない笑わない」

 そんな保証はどこにもないが、まりあは勢いでそう言っておく。

「…………紅茶に桜の花びらでも浮かべてみてはどうだろう、って思ったんです」

「桜の花びら?」

「季節は春だし、来週には桜も満開になりそうじゃないですか。それに店の名前も“さくら”だし。でも、やっぱり安直すぎますよね。桜の花びらを浮かべるにしたって、そこらの道端で拾う訳にもいかないだろうし」

 なるほど。確かにわかりやすいくらいに安直。

 ただ、その発想自体は悪いものとは思わなかった。紅茶に花びらというのもお洒落な気がするから。

「紅茶のイメージは良さそうだけど、道端とかで花びら拾い集めるのは確かに問題よね…………」

 まりあはそう言うが、ふみかの方は「いや、そのアイデアは案外いけるかも」と呟く。

「え? 道で花びらを拾うのですか?」

「いえ。それではなく紅茶に桜の花びらを浮かべるという発想のほうです」

「何か良い方法でも思いついた?」

 さやが訊ねると、ふみかは無言で頷いた。

「桜湯というものがありますが、それと同じ感じで紅茶にしてみてはいかがでしょう」

「ああ、それいいわね」

「桜湯?」

 しおりが初耳だという顔で問う。

「お湯に桜の花を浮かべた飲み物で、お見合いや婚礼などの祝いの席ではお茶の代わりに出されるものなんです。お茶は、その場だけを取り繕ってごまかす“茶を濁す”ということで忌み嫌われますから」

「へえ〜」

 ふみかの説明に、しおりは素直に感心する。

「じゃあ、桜湯で使われているその花はどういったものなんですか?」

 今度はまりあが訊ねた。

「塩漬けの桜花というものを使っています。聞いたことはありませんか?」

「う〜ん。あまり…………」

「そうですか。まあ名前通りのものです。上品な和菓子なんかでも使われていたりします」

 上品な和菓子と聞いて、確かに自分には縁のないものだな〜とまりあは思った。甘いお菓子は好きではあるが、どちらかといえば洋菓子派だっただけに。

「あ、でも、塩漬けの桜花ってどこで手に入るかしら?」

 さやがそんな疑問を口にする。

「そこはご心配なく。心当たりの業者があるんで、もし必要とあらばすぐに手配をさせます」

 任せてくださいとばかりに、ふみかが言う。こういう面では実に頼りになる女性だった。自称“凄腕用心棒”というのが彼女のキャッチフレーズだが、幅広い知識と行動力はそれに見合うものといえる。

「それじゃあ一周年を記念する紅茶は、しおりちゃんのアイデアを採用して“さくらティー”に決定しちゃいましょうか♪」

 さやのこの一言で、一周年を記念する紅茶の方向性だけは定まった。

 あとは使用する茶葉の選定やら何やらがあるだが、それは追々決めていこうということになる。店の開店時間も近かったから。

 こうして四人は話を切り上げると、今日の喫茶店営業を開始した。

 ただそんな中で、まりあだけはもうひとつの何かを考え始めていた…………

 

 

§

 

 

 一周年の紅茶の方向性が決まってから四日後。

 その日の営業を終えた四人は、“さくらティー”を試飲してみようということになった。

 ふみかが手配した塩漬けの桜花が手に入り、さやも使う茶葉の目処がついたということだったから。

 今、テーブルの上には“さくらティー”に使われる材料がのせられている。

「というわけで、今回はこのヌワラエリヤをベースに“さくらティー”を作ってみたいと思いま〜す」

 さやが茶葉の入った容器を掲げて嬉しそうに宣言をした。

 ヌワラエリヤは、スリランカ南西部に位置する標高1800メートルの山岳地帯で栽培される茶葉で、さわやかな渋みのある紅茶だ。

 まりあも昔でこそ馴染みはなかったが、最近では良く飲む機会に恵まれている。

「そのヌワラエリヤって以前から店にあるものじゃなくて、新しく仕入れたものなんですか?」

 さやの持つ容器が普段店に置かれているものとは違っていたので、まりあが訊ねた。

「あ、わかる? 色々とツテを当たって、最近摘まれたばかりのものを入荷したのよ」

「なるほど。確かヌワラエリヤのクオリティーシーズンは一月〜三月でしたものね」

「正解正解。まりあちゃんも紅茶に詳しくなってきたわね」

 さやに褒められ、まりあは素直に嬉しくなった。

 クオリティーシーズンというのは紅茶の味や色、香りなどがもっとも充実した期間のことをいう。

 やはり店の一年を記念すべき紅茶の茶葉ともなれば、上質な物を使いたいという思いがあるのだろう。

「それでは店長。私は桜花の塩抜きをしておきます」

 ふみかが桜花の入った袋を手にして言う。

「うん。そちらはお願いするわね」

「あ、ふみかさん。わたしも何かお手伝いできることはないでしょうか?」

 特にすることのないしおりがそう申し出る。何か手伝わないと落ち着かないといった様子だ。

「ならば、ぬるま湯だけ用意してください。桜花はそれで軽くだけ塩抜きにするので」

「わかりました」

 しおりは明るく答えると、てきぱきと言われた物の準備を始める。

 これは負けてはいられないぞ。という訳で、まりあの方はさやに歩み寄った。

「お湯は私の方で沸かしますから、さやさんはティーポットの準備を」

 紅茶を淹れるくらい、放っておくと彼女一人でやってしまいそうだったから、まりあはあえて自分の役割を強引に決めて手伝うことにする。

「わかったわ。お願いね」

 さやはそれだけ言うと、ティーポットと一緒にカップも用意した。

「あれ、そのカップは?」

 置かれたカップが普段店で使われているものとは違っていた。

「これは今日、特別に自分たちだけで使おうかなと思って持ってきたのよ。アフタヌーンティー社のクラックっていうカップなの」

 そのカップは見た目でこそ質素だが、爽やかな春の緑を感じさせるような色をしている。

「本当はお店の方でもこれでお出ししたいのだけど、残念ながらこのカップは四つしか無かったものだから」

「なるほど。だから、自分たちだけで特別にって訳ですか」

 確かに四つしか無いカップを店で出すわけにもいかないな、とまりあも思う。

 少なくとも一周年を記念する紅茶なのだ。店にいる客の四人以上がそれを同時に注文してくる可能性は大いにある。それなのに同じカップで出せないのでは、それは良いもてなし方とは言えない。

「数を買い足そうとも考えたのだけど、そうなると際限なく店の経費を使ってしまいそうだったし」

「それは困りますね。クオリティーシーズンのヌワラエリヤだって、結構いい値段で仕入れてるんじゃありませんか?」

 まりあの指摘にさやはギクッという顔をする。

「うぅ。まあね。…………まりあちゃんの許可もちゃんと取るべきだったかしら」

 苦笑を浮かべながら上目遣いで見つめてくる。

「経費のことも考えてくれているのなら、それくらいは大目に見てあげましょう。一周年の記念ですしね」

「ありがとう。そう言ってくれると助かるわ」

 ホッとしたような表情をするさやを見て、まりあはどっちが上の立場なんだかわからないなと苦笑する。でも、そんな子供っぽい彼女を、可愛らしい人だなと思ってしまうのもまた事実。

 その後は二人とも自分たちの仕事に専念した。

 さやがポットやカップを温めていく間に、まりあは新たなお湯を沸騰させる。

「その茶葉はBOP(ブロークン・オレンジ・ペコー)なんですか?」

「ええ。ヌワラエリヤのリーフグレードは大抵がBOP(ブロークン・オレンジ・ペコー)が中心ね。たまにOP(オレンジ・ペコー)やBOPF(ブロークン・オレンジ・ペコー・ファニングス)って場合もあるけれど」

 リーフグレード(等級区分)とは品質の良し悪しに関係するものではなく、茶葉の形状を指す言葉だ。その形状によって蒸らし時間などの細かい調節の目安にしたりもする。

 良く見かけたり耳にするOP(オレンジ・ペコー)は、枝葉の先端から二枚目の葉のことを意味し、果物のオレンジとは一切関係ない。そして、まりあの言ったBOP(ブロークン・オレンジ・ペコー)はOP(オレンジ・ペコー)を2〜3ミリ程度にカットし、芯芽(ティップ)を含んだもののことを言う。

「でも、リーフグレードは生産者や製造するメーカーさんで基準も異なったりするから厳密なものって訳でもないのよ」

「そういうものなんですか? 勉強になります」

「紅茶は味もそうだけど、ひとつコレだっていう定義でまとめるには曖昧すぎるものなの。だから、自分たちそれぞれで素材の持ち味を引き出す努力さえすれば、どんな愉しみ方でもいいと思うの」

 愉しむということ。それはさやが紅茶を淹れるとき、常々言って実践もしている。

 それを素敵に感じるから、まりあはさやという女性に強く惹かれてしまうのだろう。

「あ。お湯の方が沸いたようです」

「じゃあ、こちらも茶葉をポットにいれていくわね」

 さやがメジャースプーンで人数に見合った茶葉を量り、ポットの中に加えていく。

「あれ? 入れる茶葉の量、少なくありませんか」

「ええ。意識して少なめにしているわよ。ふみかちゃんにそうするよう言われているの」

「ふみかさんにですか?」

 そう言った次の瞬間、「…………はい。私が店長にお願いしました」と、背後から気配もなく声がかかる。

 突然だったので少しビックリはするが、さすがに声まではあげない。ただ、もうちょっと普通に気配を感じさせて欲しいなとは思った。物静かな性格までは良いとしても、気配までそういう感じだと、真夜中の道で遭遇したりなんかするとちょっと怖いだろう。

「店長。塩抜き終わりました」

 まりあの驚きにはさして気も止めず、ふみかが淡々と報告した。

「はーい。ふみかちゃん、しおりちゃん、お疲れ様」

 大した仕事でもなかったが、さやは二人にねぎらいの言葉をかける。

「それはそうと、どうして茶葉は少なめなんですか?」

 先程の疑問がまだ解消されていないので、まりあはふみかに直に訊ねた。

「実は既に自宅で実験してきたのです。桜花に多少の塩気を残し、少なめの茶葉で淹れたものの方が、風味も引き立つとわかったもので」

「なるほど。そういうものなんだ」

「好みにもよりけりでしょうが、私はそう感じました。あとで普通の分量で淹れたものと比べてみるのも良いかもしれません」

「うん。そうですね」

 まりあは頷いた。

 せっかくの試飲会。四人で色々と試し、その上でコレだと思えるものを最後に決めれば良いのだから。

 そうこうするうちに、まず一杯目の紅茶が四人の前に並べられた。

 透明感のある飴色の液体の中、一枚の桜の花びらが浮かんでいる。それは洋風というよりは和風の落ち着いた趣を感じさせる。

 まりあは「うん、いいかも。これならアレとも合いそうね」と、ひとり心の中だけで呟いた。

「では、早速みんなで試飲してみましょう」

 さやの言葉を合図に、それぞれ紅茶に口をつける。

 すると、花のような上品でふわっとした香りがみるみる口の中に広がってゆく。そして、最後にくるちょっとした渋みもまた悪くはない。

「良い感じだわ。ヌワラエリヤ独特の味わいもさることながら、また違った深みもあるっていうか」

 さやがウットリしながら感想を述べる。

「わたしも美味しいとは思いますが、これって砂糖とかは入れないほうがいいんでしょうか?」

 しおりがそんな事を言った。彼女はどちらかといえば甘党なので、砂糖なしのストレートの味には物足りなさを感じているのかもしれない。

「砂糖はお客様の好みで加えてもらってもいいかもしれませんが、少なめにはして欲しい所です。あとミルクは加えない方がいいでしょう」

 ふみかが答える。

「でも、これだけっていうのは少し勿体ない気がしますね。なんていうか、春の温かくも甘〜いイメージなんかもあれば……って、生意気言ってすみません」

「いいのよ、しおりちゃん。それもまた意見のひとつではあるし」

 さやが優しく言う。そして今度は、まりあの方に視線を向けて言葉を続ける。

「ねぇねぇ、まりあちゃんの“とっておき”。出せる状態にあるのならそろそろ出してもいいんじゃないかしら」

「へ?」

 突然そう話を振られ、思わず間の抜けた返事をかえす。

「ここ数日間、わたしたちに内緒で何か作ってたんじゃないの?」

「えええっ??」

 まりあは驚いた。

「…………知ってたんですか?」

「一緒に暮らしているんだもの。毎晩、真夜中のキッチンで何かしていれば気づきもするわ」

 全てお見通しと言わんばかりのさやに、まりあは参ったなあと苦笑する。

 確かに彼女は他の三人には内緒で、あるものの準備をしていた。でも、今まで黙っていたのは、それが上手く仕上がるかわからなかったからというのもある。

「何を作っていたかまでは知らないのだけど、それって一周年の企画に関係したものじゃないの?」

「まあ、そうですね…………」

 バレてしまっているのでは出し惜しみをしても仕方ない。

 それに、出すタイミングとしても悪くはなかった。

「なら、ほんの少しお待ちください」

 まりあはそう言って立ち上がると、奥の棚にそっと隠しておいたものを持ち出してくる。それは和風の小皿に載せられたものだった。

「皆の口に合うかはわからないけど、よければ食べてみてくれますか」

 上にかけられているラップをはがすと、ひび割れて少し黄色みがかった蒸し菓子が姿をあらわす。

 それを見たさやは、思わず「わあ♪」と声をあげる。

「これって黄身しぐれね」

「そうです。今回の紅茶と一緒にお出しできそうなお菓子をと思い、作ってみたのですが」

 黄身しぐれとは白あんと卵の黄身などを使って蒸し上げる和菓子だ。

「形もいいし、美味しそうね」

「今回は桜の花びらを浮かべる紅茶ということで和風のイメージが浮かんだんです。ならば一緒に合わせるお菓子も、スコーンなどよりは和菓子の方がいいかなと」

 まりあは照れくさそうに答えた。

「私もまりあさんの意見には同感です。ただ、こういうものを作っているなら、私たちにも一声をかけてくれても良かったのでは?」

 ふみかが言った。

「ひとりで勝手な事をしたのは謝ります。ただ私、前の企画立案ではあまり役に立つ意見を出せなかったでしょう? しおりちゃんは“さくらティー”の発想を生んで、ふみかさんは塩づけの桜花を使うというアイデアを出した。これでさやさんが茶葉選びを頑張ったとなると、私はただ見ているしかできない。だから、なんとかして自分にもできそうなことをしたくなって…………」

「なるほど」

 ふみかはあっけなく頷いた。特に否定も肯定もしないのは、まりあの気持ちを汲み取った上での彼女なりの優しさだ。

「まりあちゃんは本当に生真面目ね。でも、そのおかげで自分たちもこんな美味しそうなお菓子を頂ける機会に恵まれたのだから、喜ばないといけないわね」

「さやさん……」

 まりあは、彼女のその言葉だけで救われた気がした。

 それに大好きな彼女に喜んでもらえることは、何よりのご褒美でもある。

「あの〜、早速いただいちゃっても構いませんか?」

 しおりがそろそろ我慢できないとばかりに訊ねてきた。

「うん。食べてみて。そして感想を聞かせてね」

 こうしてまりあを除いた三人は、それぞれ黄身しぐれを口にする。

 果たして皆の口には合うだろうか? 少なくとも、食べられないほどの味ではないと思うのだが…………

「美味しいです!」

 最初に感想を述べたのはしおりだった。単純明快な一言ではあったが、彼女の表情はまりあの作った黄身しぐれを本当に気に入った様子に見える。

「うん。中々に良い出来だと思うわ。昔、作ったこととかあるのかしら?」

 さやにはそう問われて、首を横に振る。

「いえ、これを作ったのは今回が初めてです。本とか色々調べたりして」

「それでこれだけのものを作ってしまうなんてすごいわ」

「ありがとうございます」

 幼い頃に家族を亡くし、その後の家事全般を長年こなしてきたまりあだけに、料理センスは高い方だった。それがこういう面で役立つとは考えもしなかったが。

「ふみかさんはどうですか? お口にあいますか」

 先程から黄身しぐれと紅茶を交互に口にしている彼女に、まりあはそっと訊ねる。

「悪くないと思います。紅茶とのバランスも絶妙ですね。菓子の甘みと紅茶の渋みが互いを引き立てあっています。これはもう紅茶とセットにしてお出しするほうが良いかもしれません」

「あ。わたしもそれがいいと思います」

 しおりも賛成とばかりに頷く。

「………………ただ、こだわりを言えば、ひとつだけ気になることが」

 黄身しぐれを見つめながら、ふみかがポツリと呟いた。

 まりあは何を言われるのだろうと、軽く身構える。

「…………四方の梢も色々に、錦を彩る夕しぐれ、濡れてや鹿のひとり啼く…………」

「え?」

 突然、何やら口ずさむ彼女にまりあは目を丸くする。

「それは謡曲“紅葉狩り”の一節だったかしら?」

「さすが店長。ご存知でしたか」

「うろ覚えだけれどね」

 さやはそう言って苦笑する。まりあは今のやりとりに何の意味があるのか未だにわからなかった。

「まりあさん。黄身しぐれの“しぐれ”とはどういう意味合いかご存知ですか?」

「えっと……いえ、そこまでは」

「漢字の時と雨で“時雨(しぐれ)”です。それは秋の末から冬の初めごろに降ったりやんだりする雨に由来します」

 そこまで言われ、ふみかが何を言いたいのかピンと来る。そして、まりあは自分の無知を恥じた。

「…………もしかして黄身しぐれって、秋から冬の和菓子なんですか?」

「ええ。どちらかというとそういうイメージです。本来はそこまでこだわることもないのでしょうが、せっかく季節感のある紅茶と一緒にお出しする以上は、雰囲気のバランスとしてはどうかと」

 知らなかったとはいえ、痛い指摘にまりあは肩を落とす。せっかく頑張ってはみたのに、最後でこのような落とし穴が待っていようとは。

「それじゃあ、お店では出せませんね」

「ええ〜。あんなに美味しかったのに、勿体ないです」

 落胆するまりあと残念そうなしおり。

 だがその時。さやが明るく声をかけた。

「諦めちゃ駄目よ。まだ方法はあると思うわ。今の黄身しぐれが秋から冬のものだとしたら、その黄身しぐれの季節を進めて春にしてあげればどうかしら。季節はそうやって順番に巡り行くものなんだし」

「春にするって……」

 まるで謎かけのような言葉だった。

 しかし、さやが何の考えもなしにこのようなことを言うとは思えなかった。きっと彼女には何らかの答えがみえているのかもしれない。

「なるほど。店長には何か良案があるようですね。私もおそらく、店長と同じ考えを思いつきました」

 ふみかの方も何かを悟ったらしく、さやにゴニョゴニョっと耳打ちする。

「うん正解。さすがふみかちゃん」

「一応、この店における凄腕用心棒の自称してますから。店長のお考えを察すのも仕事のうちです」

 何やら通じ合っている二人をみて、まりあはちょっとだけ悔しいなと思った。

 でも、今は自分の未熟さとしてそれを受け止める。

「黄身しぐれの季節を進めるなんて、どうやったらそんなことができるんでしょう?」

 しおりが唇に指をあてて「う〜ん」と悩む。

「…………私もまだよくわからないわ」

 顔を見合わせて唸るまりあたちをみて、さやは楽しそうに笑う。

「なら、ひとつヒントを。まりあちゃんが黄身しぐれを作るときに使った主な材料を思い出してみて」

「材料ですか? 卵黄や白あん、ベーキングパウダー……あとは……」

「はい、スト〜ップ! 今、挙げた三つの材料の中に、既に重要なものが含まれてまーす。そのあるものひとつを少しだけアレンジすると春らしくなるわよ」

「……………卵黄、白あん、ベーキングパウダー」

 それらを再び口に出してみて、まりあは「あっ!」と思う。自分にはあまり馴染みはないのだが、もしかするとコレじゃないかというものが頭の中によぎる。

「白あんを桜あんにしてみる……とかですか?」

「ピンポーン。正解〜♪」

 よくできましたとばかりに、さやがパチパチっと拍手する。

「桜あんって白あんに桜色の着色を施したものですよね。この季節限定で、たまにそういうアンパンを見たことあります」

 しおりも思い出したように言った。

「という訳で、白あんを桜あんにしたら、きっと春らしい黄身しぐれができるわよ。それでまりあちゃんの頑張りも無駄にはならないと思うのだけど」

 さやに極上ともいえる笑顔でそう言われ、まりあは心の中がきゅぅっと温かくなるのを感じた。

「桜あんを必要とされるなら私に言ってください。作り方は心得ていますので」

 ふみかが無表情ながらも親指をぐっと立てる。

「ありがとう、ふみかさん。その時にはお願いします」

「お任せください。まりあさんの黄身しぐれを台無しにするようなものにはしませんから」

「なら、わたしは…………えっとぉ、頑張って試食しますっ」

 しおりが最後にそう言い、皆の笑いをとった。

 まりあは改めて、この店の仲間たちを好きになった。優しいさや。頼れるふみか。愛らしいしおり。

 皆それぞれ、かけがえの無い存在だ。

 そんな素敵な仲間たちが助け合い、和み、この店という場所が少しずつ完成していく。

 一年前からは想像もしなかった光景だが、まりあは今のこの状況をとても気に入っている。

「さあ、ここからはみんなでどんどんアイデアを詰めていきましょう」

 それから四人は、結構遅い時間まで色々と話し合った。

 だが、それは難しい話し合いというよりは、楽しい茶会の延長のようなものだった。

 

 

 

 各地の桜が満開の頃。

 この街の中心地から外れた桜並木も一番の見ごろを迎えていた。

 空が晴れ渡り、暖かい陽気だったりすると、この通りを散歩して歩く人も多い。それこそ老若男女問わず。

 そして、ふと桜から目線を外した時。そこには白い石壁の洒落た店が見えるかもしれない。

【一周年記念。お店の中にも春が溢れています。特別な紅茶とお菓子を用意してお待ちしております】

 店の前に飾られた小さな黒板には、可愛いらしい動物のイラストと共に、そのようなことが書かれている。

 それに興味を覚えた人は、いつのまにかそちらに足を向け、店の扉を開く。

 すると。

「いらっしゃいませ」

 明るい女性たちの声が響く。

 紅茶館“さくら”。

 そこでは美味しい紅茶やお菓子。そして、素敵な店員たちが出迎えてくれる。

 

 

〈了〉