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第四章 波乱含みの授業参観

 

「鈴音さん、本当に授業参観に行かれるのですか?」

「ええ。そのつもりです」

 昼食をとりながらの、玉枝さんとのやりとり。

「しかし、機嫌を悪くなされないかしら。このことは宗太郎さまも知らないのでしょう?」

「ええ。彼に言ったら拒絶されるのは見えていますし」

「それがわかっていて何故。……後で面倒なことになっても知りませんよ」

 相変わらず淡々とした玉枝さんの口調。

 けれど、ただでさえ細い目が細まっているところに、彼女の不安げな表情がうかがえる。

「面倒を恐れていては、いつまでも宗太郎さまとは打ち解けることはできません」

 私は、もっともらしくかっこいいことを言った。

 ・・・・・・が。

「チキンライスを頬張りながら言っても、あまりかっこよくありませんわよ」

「やっぱり?」

 口の中をモゴモゴさせながら、私は苦笑する。

 普段ならもう少し落ちついて食べるのだが、今日はそうも言ってられない事情があるので、慌てて頬張っている。

 とりあえずは最後に、冷たい麦茶で食事を押し流し、ようやく落ちつく。

「ふう。お腹いっぱいです」

「もっとゆっくり食べないと、消化に悪いですわよ」

「でも、早く食べないと授業参観に遅れてしまいます。準備だってしなければならないし」

 そう。私が慌てている理由はそれだった。

 今日は火曜日。宗太郎さまの学校で、授業参観がある日なのだ。

 前の日曜の水かけ事件?以後、宗太郎さまとの仲は、ますます泥沼と化してきている。

 だが、ここで逃げ腰になっては、お互いにわかりあえることなどできない。

 最初は何かと疎まれるかもしれないが、誠心誠意お仕えすれば、いつかはきっとわかってくださる。

 そのためにもまずは、宗太郎さまとの距離を少しでも縮め、私に馴染んでもらうしかない。

「どうしても行かれるというのですか?」

「駄目でしょうか」

「そこまでは言いませんが、後で面倒になって、こっちにまで迷惑がかかっては困ります」

 遠まわしではあるが、明らかに「余計なことはするな」と言うことだろう。

 とはいえ、玉枝さんのそんな態度を責められる筈もない。宗太郎さまの普段の行いを考えれば、適当に放っておいたほうが、手間がかからないのは事実ある。

 でも、それではあんまりすぎるだろう。このまま宗太郎さまを放っておこうものなら、彼はこの先ひとりぼっちだ。人間は色々な人と接して大きくなるのだから、ここで人を避けるような生き方を癖づけるべきではない。

 ・・・・・・なんてね。

 偉そうなこと言ってるけど、これは魔法学院にいた時の、ある先生の受け売り。リートプレアでの生活に馴染めなかった私に、先生がくれた一言でもある。

「玉枝さんは、宗太郎さまのことを面倒だと思っているのですか?」

「扱いづらい子ではありますね」

「だからといって面倒を避けていては、いつまでたっても扱いづらい子のままですよ。まっすぐに向かい合って、宗太郎さまの気持ちを理解してあげるべきです。本当に面倒かどうかなんて、後々に判断することだと思うし」

 黙りこみ、私を見つめる玉枝さん。少し慣れてきたとはいえ、無表情に見つめられるのは睨まれているようで怖い。

 言いすぎただろうか? 沈黙が長く続くにつれて、気まずい雰囲気になってくる。

「すみません。新参者の分際で、勝手なことを言ってしまって」

「別に構いませんわ。でも、私たち使用人は、あの子に対してそこまで気にかける必要はないでしょうに。家族でもないのですから」

 玉枝さんの言葉に、私は唇を噛む。

 一般論でいえば玉枝さんの言う通りだ。でも私の心は、それは違うと反論する。

「私は・・・・・・宗太郎さまの事を家族だって思いたい・・・というか思ってもらいたいです。例え血が繋がっていなくても、家族らしい絆を求めることってできると思うんです。というのも、私も両親を早くに亡くして、色々な人たちに家族のように接してもらいましたから」

「だから、宗太郎さまのお気持ちもわかると?」

「そこまで言いきるつもりはありません。でも、生きていく中で、人と接する大切さってありますよね。宗太郎さまには、それをわかってほしいんです」

「鈴音さんはホント、おせっかいやきですね」

 そう言いながらも玉枝さんの目尻はさがり、少し穏やかな印象がただよう。

「ま、さすがは龍太郎さまが見こんだだけはありますわ。鈴音さんなら、そのメイド服が似合う、立派な使用人になれるでしょう」

「は・・・はあ?」

 何故、ここでメイド服が出てくるの? 話題が飛躍しすぎて、生返事しかできない。

「ただ、鈴音さん。授業参観にどうしても行くというのなら・・・・・・」

 玉枝さんの声が、少し厳しい冷たさを帯びる。

 私は思わず息をのんだ。

「帰りに夕飯の材料を買ってきてくださいな」

 その言葉に、どっと肩の力が抜けたのはいうもでもない。

 

§

 

 今日も、からっとした良い天気。

 蒸し暑い夏の午後。眩しい太陽の光に目を細めながら、私は宗太郎さまが通う小学校へと向かう。

 栗林邸より歩くこと、おおよそ二十分。やがて、学校らしい建物が見えてくる。

 自分で言うのもなんだが、ここまで迷わずにこれたことは、奇跡なのかもしれない。

「どうやら、わたしの読みはあたったみたいだねぇ〜」

 学校の校舎が見えてきた途端、魔法で姿を隠しているティルが耳元で囁いた。

「そのようですね」

 実を言うと、迷わずここに来られたのも、半分はティルのおかげだった。実際、道の途中で迷いかけてる私に、周りを歩いている派手なおばさんたちに付いていけばいいとアドバイスしてくれたからだ。

 で、そのおばさんたちに付いてきたら、見事宗太郎さまの通う学校が見えてきたという訳だ。

 ・・・・・・それにしても。

 近くを歩くおばさんたちが増えてきたのはいいんだけど、みんな私の方をチラチラと見てくる。

 まあ、無理もないか。今の私は私服とはいえ、かなりラフな恰好だもの。それに比べて、周りを歩くおばさんたちは、いかにもお金持ちのマダムといった感じで、服装なども高級なブランド品で身をかためている。

 けれど。周りを歩くおばさんたちだって、ヘンに派手なだけで、お世辞にも似合っている人は少ない。

 あえて私が、異様に見られる最大の原因といえば・・・・・・。

「あのクソババアども、ジロジロ見くさりよって。いてまうぞ、ワレ」

 ・・・・・・こんなことをブツブツと呟くホウキを持っていることだろう。そう、マコトくんも一緒にいるのだ。

 とはいえ、こればかりは毎度のこと。いちいち周りの視線を気にしていても疲れるだけ。

 こうして私は、校門の前までたどりついた。そして、思わず息をのんだ。

「わあ。大きな学校」

 思わず口をついて出た一言。

 白を基調とした、立派で美しい校舎が目の前に広がる。敷地の大きさにしても、これは小学校というよりは、昔テレビドラマで見た大学ぐらいはあるのではないだろうか。

 建物の外観は、何となくではあるが、リートプレアの魔法学院とも通ずるものがある。いかにも知識を得るための、神聖な学び舎といった感じがしないでもない。

 少なくとも、私がむかし通っていたような、典型的などこにでもあるような小学校とはレベルが違う。おぼっちゃま、お嬢さまが通う名門校という雰囲気が、ひしひしと漂っていた。

 とりあえず、校門前で突っ立っていても仕方がないので中へと入る。まずは宗太郎さまのいる教室を見つけないといけない。

「たしか、宗太郎さまのクラスは6年2組でしたね」

 玉枝さんから得た情報をもとに、その教室を探そうとするが、これだけ広いとどこから探せばよいのかわからない。

 だが、そこへタイミングよく、6年2組のネームプレートをつけた女の子がすれ違ってゆく。

「あのう、すみません」

「え」

 私が呼びかけると、その女の子は怪訝そうな顔で立ち止まる。

 ウェーブのかかった、長い栗色の髪をした女の子だが、私を見る目はどことなく冷たい。

 初めて宗太郎さまと出会った時と、どこか雰囲気が似ていた。

「あなた6年2組の生徒さんですよね? 6年2組の教室がどこにあるのか教えてもらえませんか」

「・・・・・・・・・・・・・」

 問いには答えず、女の子は値踏みするかのように私を見る。正直言って、あまり良い感じはしない。

「あのう、6年2組の教室は?」

 とりあえずは優しいお姉さんと印象づけるべく、柔らかく微笑んではみる。

 だが、この女の子からかえってきた返事は。

「用務員室はあっちよ。おばさん」

 そう言って、どこだかわからない方角を指さし、女の子はそのまま立ち去ろうとする。

「ちょ、ちょっと待ってください。私が聞きたいのは用務員室の場所じゃなくて6年2組。・・・…それに私、おばさんじゃないし」

「だったら何? 汚らしいホウキをもった貧乏人が6年2組に何の用なのよ」

 明らかな侮蔑の視線。口調も冷たく、年上に対する礼儀もなっていない。

 手の中で暴れようとするマコトくんを取り押さえながら、私も心を落ちつけて話しを続ける。

「6年2組の授業参観を見に来たのですけど」

「あなたみたい人が授業参観の見学ですって? 冗談言わないでよね。あなたみたいな貧乏臭い保護者を持ってる子なんて、うちのクラスには誰一人としていないんだから。一体、誰の保護者で来たっていうのよ」

 初対面の子供にここまで失礼なことを言われようとは、この学校の教育は一体どうなっているのだか? それとも、この女の子元来の性格なのだろうか?

 ・・・・・・おそらく、後者な感じはするけど。

「6年2組に栗林宗太郎って子がいるでしょう? 私、その宗太郎さまの保護者がわりなんですけど」

「なっ、なんですってぇ〜〜〜!!」

 女の子が急に血相を変えて叫ぶ。そして。

「あなた、宗太郎くんの何なのよっ!?」

 食らいつくように、訊ねられる。

「私は栗林家に仕えるメイドで羽月鈴音といいます。宗太郎さまの身の回りのお世話などをつとめています」

「ウソ!?」

「嘘も何も、私は事実を申しただけですが。何か気に入らないことでもありましたか?」

「ぜ〜んぶ気に入らないわよっ」

 女の子は大袈裟に取り乱し、叫び、そして最後にはガックリと肩を落とした。

「あうぅ。もう信じらんないわ。宗太郎くんが、あなたみたいな貧乏娘に世話をされているなんて」

「……勝手に貧乏娘とか決め付けないでもらえます?」

「うるさいわね! あなたみたいな庶民は、あたしたち上流階級の人間とは格が違うんだから気軽に話し掛けないで」

 落ちこんだり、怒鳴ったり、ホント態度の変化が激しい子。それが私の感想だった。

 宗太郎さまもそうだけど、最近の子供って、こういう子が多いのかな? とはいっても、ここまでの極端な子も珍しいけど。

 それにしても、どうしたものだろう。私がそう悩みはじめた矢先。

 キーンコーンカーンコーン♪ キーンコーンカーンコーン♪

 学校のチャイムが鳴り響いた。

「まずいわ!」

 女の子が慌てた表情になる。

「どうしたのですか?」

「あなた、バカ!? 授業開始のチャイムよ。あなたみたいな貧乏娘を相手にしていたから遅刻しそうじゃないのよぉ〜」

「う。ごめんなさい」

「謝ってすむ問題じゃないわよ。遅刻してママに恥をかかせたらどうしてくれるのよ!」

 半分、泣き顔まじりで訴えられる。

「とりあえずは教室まで走りましょう。そうすれば、間に合うかもしれませんよ」

「わ、わかってるわよ!」

 女の子は叫ぶと、早足でスタスタ歩き出す。私もそれに付いて行く。

「・・・あのう。もう少し、早く走らなくても大丈夫ですか?」

「廊下を走ったら先生に怒られるわよっ!」

 急ぎたい気持ちを必至におさえながら、早足だけで進む女の子。ある意味で律儀な性格なのかもしれない。

「のお、鈴音。ここって、ひねくれ者の養成校け?」

「あはは。それウマイかもね、マコぽん」

 マコトくんとティルが口々に囁きあう。私は、二人の感想に苦笑した。

 ホントにひねくれものを養成する学校だったら、それはそれで最悪かも。

 ・・・・・・結局、6年2組の教室についた時には、先生や保護者たちはすでに集まり、授業も始まっているところだった。

 

§

 

「遅いぞ、水沢芳美。どうしたんだ?」

 教室に入るなり、担任の先生らしい人が、女の子に問う。

 親のいる手前、先生も穏やかな口調ではあるが、女の子は必要以上に小さくなり、しきりにうしろの親たちを気にしていた。

 私はチラリと、女の子の視線の先を見る。するとそこには、いかにも教育熱心そうなオバサンが、眼鏡を光らせて女の子を睨んでいた。

 どうやらあのオバサンが、女の子のお母さんのようだ。

 厳しそうなお母さんだけに、後で家に帰って怒られることを気にしているんだろうな、この女の子は。

 結局、水沢芳美と呼ばれた女の子は、先生や親たちの前で萎縮するだけで何もいえない。それは何だか、可哀相にも思えた。

 だから私は、女の子を助けてあげることにした。

「あのう、先生」

「ん。君は?」

「私は、このクラスの栗林宗太郎さまの保護者として参りました、羽月鈴音と申します。このたびは、6年2組の教室を探して迷っていたところ、こちらにいる芳美さんに親切にも案内していただきました。だから、遅れて来た事は責めないであげてほしいのですが」

「なるほど。そういうことでしたか」

 先生は、ニコリとして頷いた。

「よくやったな。水沢芳美。偉いぞ」

「え……は…はい」

 芳美ちゃんは、しどろもどろになりながらも返事する。

「ホント、芳美さんには感謝しています。きっと両親や先生方の教育が良いのでしょうね」

 ここは少し大袈裟に持ち上げておく。すると案の定、うしろにいる芳美ちゃんのお母さんも、まんざら悪い顔はしていない。

 手に持ったマコトくんの、「何、心にもないことを言うとんねん」という言葉は、とりあえず無視。

「じゃあ、水沢芳美。席につきなさい。羽月さんはうしろの保護者側の方へ」

「はい」

 私と芳美ちゃんは、先生に言われた場所に向かう。その途中。

「少しばかり助けたからって、いい気にならないでよね」

 芳美ちゃんに小声で悪態をつかれ、私は苦笑するしかなかった。

 こうして、芳美ちゃんは自分の席につくが、その隣の席には宗太郎さまがいた。

「宗太郎さま〜♪」

 私は思わず、笑顔で手を振ってしまう。

 宗太郎さまはあからさまに苦い顔をして、そっぽを向く。かわりに教室の生徒たちが、どよどよと騒いで宗太郎さまを見る。

 どうやら、宗太郎“さま”という呼び方が、波紋を呼んだらしい。

 中には「あの人って、宗太郎くんの許婚?」などという、とんでもない会話まで聞こえてくる。

 勿論、宗太郎さまがそれに答えられるはずもなく、完全に無視を決めこんでいた。

 ・・・・・・少し、悪いことをしちゃったかな。

 でも、この場の騒ぎは、担任の先生によってすぐにおさめられ、授業の方は再開された。

 私はうしろにいる保護者たちに混じって、授業風景を眺めることにする。

 今日の授業は、作文発表のようだった。

 題材は「自分の家族」というものだ。

 生徒たちは次々と順番にあてられ、作文を読み上げていく。小学生の作文らしく、単純で判り易いものも多かったが、一部だけ私にはついていけない感覚があった。それは皆、ものすごい生活をしているってこと。

 親が会社の社長とか、議員とかいう子が大半を占め、その暮らしぶりは世間一般の人々とはまったくかけはなれているのだ。

 ある意味この作文って、自分達の家の自慢合戦に聞こえるのは、私の気のせいだろうか・・・・・・。

 とはいえ、みんな幸せな生活を送っているようには思える。家族が健在で、それなりに満たされるものもあるのだから。

 こうしてしばらくすると、次に宗太郎さまの番がまわってきた。宗太郎さまは、作文を手に立ちあがる。

 彼は一体、どんな作文を書いたのだろう? 私は思わず息をのんだ。

 そして、宗太郎さまは作文を読み上げ始める。

「『自分の家族。6年2組。栗林宗太郎。・・・・・・自分には家族と呼べる人たちはいません。終わり』」

「よし、次。塚田」

 先生が次の生徒を指名した。

 え? え?

 ひょっとして、もう終わり? あんな作文ってありなのだろうか?

「いくらなんでも、簡潔すぎだぞぉ」

 姿を消しているティルも、小声でそんな感想をもらす。

 確かに、あれではあんまりすぎる。宗太郎さまの両親は亡くなってはいるが、家族という面では龍太郎さまだっておられるのだ。また他に考えるのならば、亡くなった両親の思い出だって書くことはできた筈。

 それなのに、どうしてあんな寂しい作文を?

 第一、先生も先生だ。もう少し何か言葉をかけてあげても良いのではなかろうか。

 そう思った時、私は先生に抗議していた。

「先生。いくらなんでも、今のはあんまりではありませんか?」

「どうかしましたか。何か気に入らないことでも」

 先生は目を丸くして戸惑う。

「気に入らないも何も、もう少し宗太郎さまのことを気にかけるとかできないのですか? 先生だって、彼の家庭の事情ぐらいはご存知でしょうに」

「そう申されても授業の時間も限られていますし、彼だけ特別扱いして、いちいち細かく返事をかえしてる訳にも・・・」

「それが先生たるものの、お言葉ですか!?」

 さすがの私も、呆れ果てていた。先生が言うように授業時間が限られているのは理解できるが、普通は「頑張るんだぞ」の一言ぐらいかけてあげても、良いのではなかろうか?

 私は思わず唇を噛んだ。その時。

「鈴音。もういいから学校から帰れっ!」

 宗太郎さまの一喝が、教室内に響き渡った。

 一瞬、しんと静まり返る教室。でも、すぐにざわめきを取り戻す。

「どうしてですか、宗太郎さま?」

 私は、彼の側まで走り寄って訊ねた。

「俺はおまえをこの学校に呼んだつもりはないぞ。それに先生は何も悪くない」

「・・・・・・けれど」

「とにかく帰れよ! 俺はおまえみたいに、人の気持ちも理解しないで、勝手に同情面するやつが大っ嫌いなんだ!!」

 宗太郎さまの言葉が胸に突き刺さる。

「・・・そんな・・・私は別に、同情とかそんなつもりで・・・私、宗太郎さまとは本当の・・・家族・・・・・・の・・・ように・・・」

 言っていて何だか惨めになってきた。伝えたいことたくさんあるはずなのに、涙が溢れてきて言葉にならない。

「おまえが俺の家族だって? メイドの分際で冗談言うな」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 とっさに何も言い返せない。そして。

「帰りなさいよ。宗太郎くんは、あなたのことを大っ嫌いって言ってるでしょ」

 宗太郎さまの近くにいた芳美ちゃんも、ボソリと辛辣に言い放つ。

 それがとどめ。

 私はそのまま、6年2組の教室を走り去ったのだった。

 

§

 

 雨。

 夏の午後の夕立ち。

 夕飯の買い物袋を手にしたまま、傘もささずに雨に濡れる私。

 ぼんやりと無気力に歩くため、屋敷への帰り道はほど遠い。

 宗太郎さまの学校を後にし、夕飯の買い物をしていたときも、ずっと涙がとまらなかった。おかげで、買い物に来ていた主婦たちにも心配そうな顔をされた。

 いまは雨に濡れているため、泣いていても涙はそれほど目立たない。

「・・・・・・のお、鈴音。悲劇のヒロインを気取るのもええけど、ワシ、雨に濡れて冷たいんやけど」

 マコトくんが情けない声で訴える。

「すみません。もう少しだけ我慢してください」

「そら殺生ってもんやで〜」

 先程からずっとこの調子で、マコトくんは喚く。でも、それが私を勇気付けようと、色々と喋ってくれていることぐらいは理解できる。

「とにかく鈴音ちゃん。元気だすんだぞぉ〜」

 ティルも私の耳元で囁いてくれる。

 本当にいい仲間だと思えた。

 だから私も、いつまでも落ちこんでいられないのはわかっている。

 でも、今日の出来事はやはりショックだった。

「大っ嫌い・・・ですか」

 ポツリと口に出して言う。

「嫌われてもエエやないけ。あんなクソガキ、こっちから願い下げっちゅうもんやで。まあ、このまま泣き寝入りはせんけどな。いずれは復讐して、奥歯ガタガタ言わせたろやないか」

「マコトくん、それは過激です」

「鈴音を泣かしたんや。ワシはそれぐらいせな、気がすまんで〜」

「そんなことしたら、宗太郎さまとの関係が余計に悪化します」

「あないヒドイこと言われて、まだクソガキとの関係を考えとるんかいな?」

「彼を傷つけてしまったのは私ですから、ひどいこと言われても仕方はありませんよ」

「何、弱気なこと言うとんねん。そない下手に出とったら、あのガキに余計ナメられるだけやで。どうにかしようと考えとるんやったら、ここは真っ向勝負で信念をぶつけあおうやないか。男は拳を交えてこそ、はじめてわかりあうこともある」

「・・・・・・マコトくん。私、女の子なんですけど」

 彼の言うことは、ほとんど支離滅裂だった。ただ、色々と話しているうちに、少しは気持ちもおちついてくる。

「ねぇねぇ、鈴音ちゃん。宗太郎ちゃんとのこと、これからも頑張るの?」

 今度はティルが訊ねてきた。それに対し、私は小さくだけ頷いた。

「できれば頑張っていきたいです。どうやったら、関係を改善させられるかはわかりませんけどね」

 それが今の悩み。

 けれど。

「今までどおりでいいんじゃないかなぁ。鈴音ちゃんは、宗太郎ちゃんのことを本気で心配してるんでしょ〜」

 ティルは、そう言ってくれる。

「でも、本当にこのままでいいのか判らないんです。私のしていることって、宗太郎さまの言うように、勝手な同情には見えませんか?」

「同情でもいいじゃないのさ。同情って悪いことなの?」

「・・・・・・それは」

 私は言葉につまった。

「同情でも何でも、人を思いやっていることには変わりないぞぉ」

 ティルは、さも当然のことのように言ってのけた。これだけ、はっきり言いきってくれると、何だかさっぱりもする。

「ま、そこは妖精の言う通りやの。同情は何も悪いことやあらへん。それをどう感じるかは相手次第であって、自分らは悪気をもってやっとるんちゃうんや。せやから鈴音は、なんやむずかしゅう考えんと、今まで通りに頑張ればええんや」

「そうそう。もっと自分を信じるんだぞぉ。信じる気持ちは力になる。かつて鈴音ちゃんが、魔法世界への門を開いたようにね」

 信じる気持ちは力になる・・・か。

 確かにそうかもしれない。

 魔法を渇望した時の自分と、今の自分。そこにはまだまだ、大きな気持ちの隔たりがあるように思える。

 今の自分は、まだ十分に頑張っているとはいえないのかも・・・・・・。

 宗太郎さまは、人の気持ちも理解しないで、勝手に同情面をするやつが大っ嫌いだと言った。

 でも、誰とも向かい合おうともしない宗太郎さまの気持ちなんて、普通の人では理解できないだろう。

 ならば、何を言われても、どんなに困難になろうとも、向かい合うしかないのだと思う。彼の気持ちを理解するためには・・・・・・。

 それが自分なりのやり方であるならば尚更だ。

 私は、空を見上げた。

 雨は段々と小降りになり、雲の切れ間から晴れた空がのぞく。

 曇っていた空が晴れるように、私の心も少しづつではあるが晴れ渡ってゆく。

 私は、濡れている顔をハンカチで拭いた。

「そろそろ、急いで帰りますか。帰って夕飯の支度もしないといけないし」

 今度は笑顔を見せて言った。もう気持ちは完全に落ち着いている。

「・・・・・・どうせなら、もっと大降りの時に急いで欲しかったけどな」

「まあまあ、そう言わないのマコぽん。私は雨に濡れるのも、冷たくて気持ち良かったぞぉ」

「まったく妖精は気楽でエエのお。ワシなんかは、繊細やから風邪ひくかもしれんで」

「マコトくんが繊細っていうの、かなり無理ありませんか?」

 彼の言葉に、思わず笑ってしまった。

 第一、精霊が宿っているとはいえ、ホウキが風邪をひくだなんて想像するだけで可笑しい。

「鈴音〜。そら差別っちゅうもんやでぇ。ワシ、ものごっつう傷ついたで」

「じゃあ傷ついたまま、へこたれていてください。その方が静かでいいです」

「なんじゃい、そりゃあ!?」

「さ。帰りましょう」

 マコトくんを無視して、そう宣言。私は栗林家への帰路を急いだ。

 今夜の夕飯は、宗太郎さまが好きだというカレーライス。

 美味しいカレーライスをつくって、宗太郎さまに今日のことは謝ろう。大好きなものを食べれば、彼だって少しは寛大な気持ちになるかもしれない。

 とりあえず、そんな幸せな想像を浮かべながら私は帰った。

 この後、とんでもない大騒ぎが起きるとも知らないで・・・・・・。

 

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