第三章 メイドさんは一生懸命
ぼんやりとした光景が、私の目の前に広がる。
どこか見覚えのある薄暗い部屋。そこにはベッドが置かれ、一人の女性が静かに横たわっている。
ベッドの側には小さな女の子がいた。その女の子は、ベッドに横たわる女性の手を握り、肩を震わせて泣いている。
「おかあさん、おかあさん。目を閉じちゃダメだよ。早く、目をあけてよ。目をあけて、私ともっとおしゃべりしようよ。ねえってば・・・・・・」
かすれるような声で、何度も何度もその言葉を繰り返す女の子。
けれど、いくら呼びかけようとも、おかあさんが永遠に目覚めないことは、私自身が一番よくわかっていた。だって、おかあさんは、三年前に病気で亡くなったのだから。
五年前におとうさん。三年前におかあさんを亡くした、私。
今、私の目の前で泣いているのは、三年前の私だった。
ここは夢の中。私は夢の中を通じて、三年前の自分を客観的に見つめていた。
それにしても嫌な夢。何だって今更、このような夢を見るのだろう。
たしかにおかあさんが亡くなった直後は、おかあさんが息を引き取る場面を嫌というほど夢で見た。
それは本当の悪夢。夢の中でも泣き、現実に目が覚めても、誰も側に居ない寂しさに泣いた。
だから、私は願った。時が戻ることを。奇跡がおこることを。
そうすれば、おかあさんたちは生き返り、私も寂しい思いをしなくてすむ。単純にそのようなことを願った。
いま思えば、何でもよかったのかもしれない。ただ、すがるものが欲しかっただけ。
現実という中では、おかあさんが目覚めないのは知っていた。だから、魔法や奇跡など、非現実だと思えるものを望んだ。
そして私は、開いてしまった。
魔法の世界へと続く門を・・・・・・。
それにしても早いものだ。おかあさんが亡くなり、魔法世界リートプレアの門を開いてから、はや三年。
魔法の世界へ迷い込んだ私は、ステラ学長に拾われ、魔法を学ぶことが許された。そして魔法の原理をはじめ、数々の不可思議な知識を学ぶに至った。
だが、それらの本質を理解しているかといえば、相当あやしいものだった。それゆえにまだ、正式な魔法使いになれないのだろう。
わかったことといえば、むやみに時を戻すことも、亡くなった人間を甦らせるのもいけないんだということ。
私ももう、おかあさんのことでこだわるつもりはなかった。
何せ三年の時が経っているのだ。おかあさんの死は、決して忘れてはならない出来事ではあるが、ずっと鮮明におぼえていられるものでもない。
そう思うと、私の夢は急に迫真性を失い、目の前の光景は次第にぼやけ始める。泣いている女の子も、ベッドに横たわるおかあさんも、すべてが霞んで消えて行く。そして、最後には何もかもがなくなり、私は夢から目覚めた。
夢の中の光景とはうってかわり、次に目に入ってきたものは自分の部屋の天井。周りが薄暗いところを見ると、太陽はまだ昇り切っていないのだろうか? 念のため時間だけを確認すると、午前4時過ぎだった。
それにしても。
「・・・・・・・・・・・・嫌な夢です」
私は、寝ころんだまま小さく呟く。
すると。
「どうかしたの、鈴音ちゃん?」
妖精のティルが、目の前に現れて心配そうな顔をする。
「ごめんなさい、ティル。起こしてしまいましたか」
「だいじょ〜ぶ、だいじょ〜ぶ。わたしは、さっきから起きてたからね。それより鈴音ちゃんこそ、大丈夫?」
「ええ。心配しなくても大丈夫です。少し嫌な夢を見ただけですから」
「とんでもない失敗をして、お仕置きされる夢とか?」
「そんなのじゃありません」
「じゃあ。どんな夢。教えて欲しいぞぉ〜」
「ごめんなさい。あんまり思い出したくない夢だから……」
それだけ言って、私はベッドから起きあがる。ティルもそれ以上は、夢のことを訊ねようとはしなかった。
窓辺に寄ってカーテンを開けると、うっすらと白みはじめた空が視界にとびこんでくる。
「今日もいい天気になりそうだねぇ〜」
ヒラヒラと飛んできたティルが、私の頭の上にのっかりながら言う。
確かに彼女が言うように、今日も晴れそうだ。もっとも晴れるということは、夏のこの季節、暑くなるという意味でもあるが。
私は窓を開けて、外の新鮮な空気を部屋の中へと入れる。明け方の涼しい風は、肌にも心地よい。
「さあ、今日も1日・・・・・・」
私は大きく息を吸い、そして。
「明るく元気に頑張りますか〜っ!!!!」
気合いを込めて、そう宣言。
「鈴音ちゃん。いきなり元気よすぎだぞぉ〜」
頭から落ちかけたティルは、私の髪の毛に掴まりながら抗議めいた声をあげる。
「うふふ。1日の始まりは、気合いが肝心なんですから」
・・・・・・それに、あんな暗い夢を見た後には、それを忘れる意味でも元気を出さないと。
そう自分に言い聞かせた、その時だ。
「コラ、鈴音に妖精〜。朝っぱらからやかましいじゃ。いてまうぞ、ワレ!!」
壁にたてかけていたホウキのマコトくんが、機嫌悪そうに怒鳴る。
「あはは。マコトくんは私なんかより、ずっと元気そうですね」
マコトくんの寝起きが悪いのは毎度のことだ。それだけに、怒鳴られたくらいでは気にもならない。
むしろ、こういうやりとりの中にこそ、安心できる日常があるともいえる。
『さあ、今日も元気にお仕事ないとね』
あらためて心の中で宣言。
こうして、また1日がはじまってゆく。
§
栗林家に仕えるようになって、今日で四日目を迎える。
今ではここの生活にも、少しずつ馴染んできたかと思う。
とりあえずの所、屋敷の中で迷子にならなくなっただけでも、私としては大きな進歩といえるだろう。
あと、同僚の玉枝さんことも、かなりわかってきた。彼女は感情を表に出すのが苦手なだけで、決して怖いおばさんではないということ。現に早くからここに馴染めたのも、玉枝さんが色々と親切に教えくれたからだし、たまに淡々とした口調で冗談のような言葉も言ってくれる。・・・・・・もっとも、その冗談が笑えるかどうかは別問題だけど。
でも、一番の問題といえば、宗太郎さまのこと。
初対面の時からそうだったけど、どうも彼は私に馴染んでくれない。いくら話しかけても、ほとんど無視されてしまうのだ。
まあ、下手に慌てても仕方はないのだけど、龍太郎さまから宗太郎さまのことを任された以上は、早いうちに馴染みたいという気持ちはあった。
そんな訳で私は今日も行動する。宗太郎さまと早く仲良くなるためにも、頑張らないといけないから。
トントントン。トントントン。
宗太郎さまの部屋の前。私はその部屋の扉をノックしている。
「宗太郎さま〜。もうすぐお昼ですよ。そろそろ起きてください」
小刻みに、何度も何度も扉を叩く。
いくら今日が日曜日とはいえ、時間は午前十一時をまわっている。さすがに、そろそろ起きてもいい頃だ。
けれど。
「全然、返事がないね〜」
魔法で姿を消しているティルが、私の耳元で囁いた。
ここ最近は、自室から出る際、ティルには魔法で姿を消すように言いつけてあった。妖精である彼女は、私以上にこの種の魔法に秀でている分、透明になるなどたやすくやってのける。
「宗太郎ちゃん、疲れているのかな〜? それにしたって眠りすぎとは思うけど」
「そうですねぇ」
私は小さく溜め息をついた。
ひょっとして、気がついてはいるものの無視されているのだろうか? そんな不安も沸いてくる。
さて、どうしたものか。このまま扉をノックし続けていても、どうにもならないような気がしてきた。
「こうなったら仕方ありませんね」
私は玉枝さんから預かってきた合鍵で、宗太郎さまの部屋を開けることにした。
「わ。勝手に開けちゃっていいの?」
口調は疑問形であるが、ティルの言葉には好奇の色が混じる。
「いくら呼びかけても返事がない以上は心配でもあります。それに・・・・・・」
「それに?」
「宗太郎さまも、綺麗なお姉さんに起こしてもらえれば幸せかもしれませんよ」
「なぁるほどぉ〜」
冗談めかして言ったつもりだが、ティルは妙に納得してくれる。そうなると少し、照れくさい。
「とりあえず部屋の中に入りますから、ティルはおとなしくしていてくださいね」
「了解〜」
こうして私は、合鍵をつかって宗太郎さまの部屋を開けると、一言ことわりをいれてから部屋に踏み入った。
「宗太郎さま。失礼します」
部屋の中はカーテンで閉じられて薄暗かった。
私はとりあえず、カーテンを開け、外の光をとりこんだ。
そして、明るくなった宗太郎さまの部屋を見て、思わず絶句する。
読みかけの本やら何やらが床に散乱し、食べかけのお菓子や、ジュースなども置きっぱなし。足の踏み場がないとまでは言わないが、かなり散らかっているのは間違いない。
「・・・・・・宗太郎さまも、意外とだらしないですね」
この屋敷らしく、広くて立派な部屋なのだが、ここまで散らかっているとそれも狭く感じてしまう。
さすがにこれは掃除をさせた方がよいように思えた。あるいは宗太郎さまが掃除をしないのならば、私がしてあげるまでだ。
「せめてゴミぐらいは、ゴミ箱にいれないと」
私は床の上に無造作に捨てられている、丸められたクシャクシャの紙を拾いあげる。
と、その時。
「ううぅぅぅ」
ベッドの方から、宗太郎さまの唸る声がした。
「宗太郎さま?」
「う、うううぅぅぅ」
苦しそうな呻き声。
私は丸められた紙を懐にしまい、慌てて宗太郎さまのベッドに駆け寄った。
「どうかなさいましたか? 宗太郎さま!」
覗きこんだ宗太郎さまの額には、びっしりと汗が浮かんでいた。息も荒く、何度も口をパクパクさせている。
宗太郎さまが何らかの病気を抱えているとは聞いていないが、この苦しみ方は尋常でないように思える。
少なくとも狸寝入りで演技しているようにも見えない。
「大丈夫ですか。しっかりしてください」
「・・・・・・お、・・・お・・・か・・あ・・・」
彼の口許から、囁くようにして言葉がもれる。私は顔を近づけ、その言葉を聞きとろうとする。
「お・・・かあ・・さ・・・ん」
「おかあさん?」
確かに今、宗太郎さまはそう言った気がする。
私は彼の顔を見て驚く。目尻には、うっすらと涙が滲んでいた。
「宗太郎ちゃん。今朝の鈴音ちゃんみたいに悪い夢でも見てるのかなぁ」
側にやって来たティルが、そんな感想をもらす。
「・・・・・・そんな感じにも見受けられますね」
「でも、宗太郎ちゃんも、やっぱ子供だよねぇ。寝言で『おかあさん』なんだもん」
私も同感だった。けれど、それが悪いことだとは思わない。普段の強がっている宗太郎さまよりも、今の宗太郎さまの方が、ある意味では年相応って気もするから。
とはいえ、苦しんでいる彼を見ていると、そんなことに感心している場合でもない。
「ねえ、鈴音ちゃん。魔法でもかけてあげたら?」
ティルがいきなり提案し、私は眉をひそめた。
「魔法・・・ですか?」
「ほら、心に平静を与える初歩的な魔法があるじゃない。それをかけてあげるんだよぉ」
「・・・・・・むやみに魔法を使うのもどうかと思います。それにここでは魔法は禁止なんですから」
「人前で使わなきゃいいだけの話でしょ? だったら大丈夫だぞぉ〜」
「けれど・・・」
思案する私をよそに、宗太郎さまの苦しみは、ますます激しくなっていく。
魔法をかけるかどうかは別として、とりあえず額の汗を拭いてあげることにした。
「宗太郎さま。しっかりしてください。私がついていますよ」
「・・・おかあ・・・さん」
うわごとのように呟く宗太郎さま。
ひょっとして、私をおかあさんと間違えていたりして。まあ、それはそれで可愛らしい気もするけど。
でも、そう思ったのも束の間。次の瞬間には、私の頭の中は真っ白になる。
・・・・・・・・・・・・ムギュ。
「!?」
寝返りをうった宗太郎さま。・・・・・・その手がいつのまにか、私の胸をつかんでいる。
ムギュギュ〜。
さらに揉まれる。
「い、い、いっっっっ」
私はうわずった声を上げ。
「いやぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
最後には叫んで、宗太郎さまに平手打ちをかましていた。
私はベッドから離れて、床にペタリと座り込む。目尻には涙が浮かび、動悸もかなり激しい。
「だいじょ〜ぶ? 鈴音ちゃん」
ティルの問いに、私はカクカクとしながらだけど頷いた。
「・・・・・・となると大丈夫じゃないのは、宗太郎ちゃんの方か」
「へ?」
私は宗太郎さまに目を向け、そして、絶句した。宗太郎さまの右の頬が、真っ赤に腫れ上がっている。
・・・・・・また、やっちゃった?
もう、思いっきり泣きたい気分だ。
「ま。悪いのは宗太郎ちゃんだからね〜。鈴音ちゃんが気に病む必要なんてないぞぉ〜」
ティルが慰めるように言ってくれるものの、まったく喜べない。
あの状態は、宗太郎さまにとっても不可抗力の筈だから、彼が一概に悪いとはいいきれないだろう。
私は気を落ちつかせると、彼の近くに寄って、おそるおそる言葉をかけてみた。
「・・・・・・ええと。宗太郎さま。お怪我はございませんか?」
「う・・・うう・・う」
打たれた頬をおさえながら、低く唸る宗太郎さま。ワナワナと肩が震えているところをみると、私の言葉は聞こえているようだ。
やがて宗太郎さまは、ハッキリ目を覚まして私を睨みつける。
「何すんだよ。すずめ!!」
「すずめ?」
「おまえバカか。自分の名前だろうが」
「・・・・・・お言葉ですけど、私の名前は『すずめ』ではなく『すずね』なんですが」
バツが悪そうに唇を噛む宗太郎さま。でも、すぐに開き直って。
「とにかく『すずめ』だろうが『するめ』だろうと、このさい何だっていい」
「あのう。『するめ』って呼ぶのだけは勘弁してほしいのですが」
『すずめ』ならばまだ可愛いものの、『するめ』っていうのはあんまりだと思う。
「うるさい! 口ごたえするな、この暴力メイド」
「ご、ごめんなさい」
「謝ってすむかよ! いきなり殴りつけやがって!!」
「でも、それは宗太郎さまが私の胸を・・・・・・」
言いかけて途中で止める。このことをむしりかえしても、自分が恥ずかしいだけだから。
でも、宗太郎さまも、気まずそうに顔を背けられる。ひょっとして触ったことに心当たりがあるのだろうか。
しばらくの間、何とも言えない沈黙が漂った。お互いに顔を赤くしているのは、言うまでも無い。
「おい」
次に口を開いたのは宗太郎さまだった。
「・・・・・・何ですか?」
「殴ったことは許してやる。だが、俺の部屋に勝手に入ったことは許さない」
私は何も言えなかった。ただ、黙って彼の言葉に頷くだけ。
「これからは俺の部屋に勝手に入るな。これは命令だ」
「わかりました。でも、入るなというのでしたら、部屋のお掃除ぐらいはしっかりなさってください。せっかくのお部屋が勿体ないですよ」
「おまえ、メイドの分際で俺に指図する気か?」
「別にそんなつもりは。私は宗太郎さまの事を心配して言っているだけです。部屋を汚したままにしておくと、ヘンな病気にだってかかるかもしれないし・・・・・・」
「余計なお世話だ! 俺だってもう子供じゃないんだ。自分のことぐらい自分でする」
その時、タイミング悪く「よく言うぞぉ〜」という声が、クスクス笑いと共に響く。
私は冷や汗をかいた。この笑い声は、ティルのものだ。
そして、案の定。
「今、笑ったのか。おまえ?」
「え・・・ははは・・・・・・はい」
結局、ティルのせいにする訳にもいかず、また私が罪をかぶることになる。
そして、次の瞬間には。
「出てけっ!」
機嫌を悪くした宗太郎さまに、部屋を追い出されてしまった。
バタンっ!と閉められた扉の向こうからは、「絶対、復讐してやる」とか「解雇してやる」とか、そんな声が聞こえてくる。
私は、大きく溜め息をついた。
もはや仲良くなるというよりは、どんどん最悪な印象を植え付けていっているという方が正しい。
「ごめんだぞぉ〜。鈴音ちゃん」
目の前でティルが手を合わせて謝るが、もうどうでもいいような気がする。
私はもう一度、深い深い溜め息をついたのだった。
§
「そら悪いのは、あのクソガキやでぇ」
朝あった、宗太郎さまとの騒ぎを聞いて、ホウキのマコトくんがそんな感想をもらす。
「仮にそうだとしも、私の方もいけなかったと思います」
夏の陽射しが容赦なく照りつける中、裏庭の花に水をやりながら答える私。
「・・・・・・気が動転していたとはいえ、宗太郎さまをひっぱたいてしまったのですから」
「ええ気味やがな。ワシは気分がスッとしたで」
「そんな気楽に言わないでください。ただでさえ気まずい仲が、余計にこじれているんですから」
「あんなクソガキにヘンに遠慮してもどうにもならんで。むしろ、ああいう礼儀知らずには、恐怖による支配ってもんを、身体に刻みこんだるべきや」
マコトくんの言葉が段々過激になってくる。メイドの私が、主である宗太郎さまを恐怖で支配して何になるのだか・・・・・・。
「まあ、何にせよ、ナメてかかられんことやの。下手にわがままぬかすようやったら、明日から血のションベンを出させたろか?って脅したれ」
「うは〜、マコぽん。お下品だぞぉ。女の子の前で血のションベンはないと思うぞぉ〜」
「うるさいわい、妖精。おまえは黙っとれ」
マコトくんとティルの毎度のかけあい。もういい加減、慣れてもいるので突っ込む気にもなれない。
この二人の意見はともかくとして、何とか宗太郎さまと仲良くなれるチャンスはないだろうか。先程から色々と考えてはいるものの、中々よいアイデアが浮かんでこない。
今のこの暑さも、考えを妨げる要因のひとつだった。容赦のない陽射しは、頭を朦朧とさせ、元気すらも奪っていく。
「ふう」
息をつき、額に流れ出る汗を拭おうとハンカチをとりだした時。
ポトリ、と丸まった紙切れが懐から落ちた。
「あ。そういえばこれ」
宗太郎さまの部屋で拾って、捨て忘れていた紙だ。
クシャクシャに丸められているけど何なのだろう? 何かのプリント用紙のようにも見えるけど。
紙を拾い上げた私は、とりあえずそれを開いてみることにした。
「ええと…………授業参観のご案内?」
目を通したプリントには、そんなことが書かれていた。
「悪いテストの答案ならいざ知らず、どうして授業参観の案内なんかをクシャクシャに・・・・・・」
そう呟いた途端、はっとなる。
考えてもみれば、宗太郎さまには参観に来てくれるような家族はいない。
私は、ぐっと唇を噛んだ。
参観の案内をクシャクシャにして捨てるなんて、宗太郎さま、やはり寂しいのかな。
他のクラスメートの子には両親が来ているのに、自分の両親だけ来なかったら、それは寂しい気分になると思う。
私は案内のプリントを持ったまま、しばらく立ちつくす。自分にも心当たりのある思い出が、いろいろと込み上げてくる。
リートプレアの魔法学院でも参観日みたいなものはあった。生徒たちが学んだ魔法を親の前で披露したりするのだ。その時は皆、両親の前ですごいものを見せたいからと、普段以上の熱心さで頑張る。
けれど私には、そういったものを見せる相手もいなかったので少し寂しかった。頑張ったところで、それを喜んだり、誉めてくれる人がいないのでは張り合いもなかった。
参観前と当日は、いつだって一人取り残されたような気分だった。
「鈴音ちゃん、どうかしたのか〜? 何か遠い目をしてるぞぉ」
ティルがふいに呼びかけ、我にかえる。
「あ。いえ、別に・・・・・・」
私は慌ててとりつくろった。色々思い出し、つい泣き出しそうになっていたから。
「それが何もない態度かいな。大体、その手に持っとるものは何やねん?」
「これですか。これは宗太郎さまの授業参観のご案内です」
「ジュギョウサンカン? なんじゃい、そりゃ?」
「学校での勉強風景などを、両親とかに見てもらうものです」
「そらまた大層やな。鈴音なんかにとっては地獄みたいなもんやろ」
「どうしてです?」
マコトくんの言葉に思わず胸がドキッとする。彼は私の寂しい思いを知っていたのだろうか。
しかし、彼からかえってきた返事は……。
「そら決まっとるやろ。魔法学院きっての劣等生の姿を、両親とかには見せたないや・・・・・・」
ベチッ!!
マコトくんの言葉も終わらぬうち、私は手に持っていた如雨露で彼を殴る。
「ぐぁ〜。不意打ちは卑怯やで〜」
「いくらそれが事実だからって、ハッキリ言われたくないこともあります」
そりゃあ魔法世界では劣等生かもしれないけど、人間界ではそこまでひどくはなかった筈だ。
「マコぽん、口は災いのもとってやつだぞぉ」
ホントどこで覚えてくるのか、ティルがそんな事を言う。
でも、実際その通りだとも思う。
とりあえず、喚くマコトくんは無視して、参観の案内をもう一度見なおした。どうやら、授業参観は明後日に行われるようだ。
「そういや宗太郎ちゃんには、参観に来てくれるような両親っていないんだよね?」
「ええ、そうなりますね」
ティルの問いに、私は頷く。
「じゃあ、鈴音ちゃんが授業参観に出てあげるのもいいかもしれないねぇ〜」
「私がですか??」
正直、予想もしなかった言葉に目をパチクリさせる。
「嫌?」
「・・・・・・いえ、そういうことではなくて」
ティルの言葉に少々、戸惑うものの、そういうのも悪くはないかなと思ってしまう。
「私が授業参観に出たら、宗太郎さま喜んでくれるでしょうか?」
「う〜ん。そうだねぇ。宗太郎ちゃんは素直じゃないから、表立っては喜ばないかもね。でも、内面は寂しがり屋さんだと思うし、心の中では感謝するかもよ」
確かにティルの言うことは当を得ている。普段の宗太郎さまは強がってはいるものの、心の内側はまだまだ弱いように感じる。
でなければ、悪夢にうなされて母親を求めたりはしないだろう。
「鈴音ちゃん。マコぽんの言いようじゃないけど、ヘンに遠慮しすぎるのもどうかと思うぞぉ。最初は嫌われても、どんどん接していくのが一番いいと思う。そうすれば、宗太郎ちゃんも慣れてくれるって。要は悩みすぎず、まっすぐに向かいあうことだね」
「ティルって、意外としっかりした意見をもっているのですね」
私は素直に感心した。
「ふふふ。わたしはこうみえても鈴音ちゃんより長生きしてるからね〜。何でも聞いてほしいんだぞぉ〜」
「ありがとう。ティル」
少しだけど気分が楽になった。
例え嫌われようとも、宗太郎さまのためになることなら、もう少し自信をもった方がいいのかもしれない。メイドさんは、何事にも一生懸命でなければいけないものね。
そう自分に言い聞かせた、その時だ。
「おい、鈴音。クソガキがこっちに走って来よるで!」
マコトくんの警告がなされるやいなや、ティルは姿を隠し、マコトくんも普通のホウキを装う。
私は宗太郎さまの方へと振りかえり、「どうかなさいましたか?」と呼びかけようとした矢先・・・・・・。
「きゃっ!」
小さく悲鳴をあげてしまった。
気がつくと顔やメイド服などが少し濡れている。どうやら水のようなものをかけられたようだ。
「どうだ、暴力メイド。思い知ったか!」
声のした方角を見ると、ライフル銃ぐらいの大きな水鉄砲を構えた宗太郎さまが、誇らしげに笑っている。
「宗太郎さま。水鉄砲遊びですか?」
目をキョトンとさせて、私は訊ねた。
「ば、馬鹿いうな。これは遊びじゃない。おまえへの復讐だ」
宗太郎さまは威張って言うが、おもちゃの水鉄砲を構えて言われたところで、全然迫力がない。
むしろ微笑ましくて、思わず笑みがこぼれる。やっぱり子供なんだな〜って。
「こら、笑うんじゃない!」
ムッとした宗太郎さまが、更に水鉄砲を撃ってくる。
「きゃ〜〜〜〜〜〜」
どんどんと水をかけてくる彼に対し、私は悲鳴をあげて逃げ惑うものの、どこか楽しんでいた。
裏庭を舞台とした夏の遊び。何も知らない人が今の光景を見たら、二人でじゃれあっているようにしか見えるだろう。
しばらくの間、おいかけっこは続いた。宗太郎さまの言う、復讐なんて言葉とは縁遠い程に、ほのぼのとした光景。
気がつけば、私たちは汗だくになるほど走りまわっていた。
「さあ、そろそろこっちも負けませんよ。逆襲しますぅ〜」
私は近くに転がっていた水撒き用のホースを手に取ると、水道の蛇口をひねった。
「おい。そんなの使うなんて卑怯だぞ」
「戦いとは常に過酷なものなのですよ。宗太郎さま、お覚悟」
勢いよく飛び出してゆく水。それは見事、宗太郎さまにヒット。彼は、私なんかとは比べ物にならないほど、びしょ濡れになる。
「あはは。楽しいですね。宗太郎さま♪」
そのまま調子にのって、彼の顔に水をかける。夏の水遊びなんだから、これぐらいは問題ないだろう。
「う・・・うう・・・うう」
「宗太郎さま。もっと遊びますか?」
私の言葉に、宗太郎さまが真っ赤になって怒鳴り返す。
「もういい!! 今日のところは退散してやる。だが今度は手加減しない」
「はい。また、遊びましょうね」
走り去ってゆく宗太郎さまの背中に、そう呼びかける。でも、彼からの返事はなかった。
・・・・・・まあ、いいか。
最初はこういうものなのかもしれない。
大事なのは互いを意識しあうこと。そうすれば、いつかどこかで和解のチャンスだってあるかもしれないのだから。
私はマコトくんたちがいる場所へ戻った。
「鈴音ちゃん。大胆なことするねぇ」
「たまにはこういうのもいいかと思いまして。遊びの延長みたいなものですし」
ティルの言葉に、私はそう答える。
「ま。あれぐらいはやって当然や。ワシは見ていてスッキリしたで。あのクソガキ、ベソかいとったしのお」
「そういや逃げ去っていく宗太郎ちゃん、何か泣いてたもんねぇ〜」
「え?」
私は思わず固まった。
「・・・・・・あ、あのう、宗太郎さまが泣いてたって本当ですか?」
「うん。泣き声がもれてたもの」
「ざまあみやがれって感じやな」
ワハハハハと笑うマコトくんをよそに、私の表情は青ざめてゆく。
ひょっとして、やりすぎちゃった・・・・・・かな?
まっすぐに向かい合おうとして、遠慮はしなかったつもりだけど、泣かせることになろうとは。
不覚。
今さら後悔しても始まらないが、しばらくの間、頭の中が真っ白になった。
一生懸命頑張るのも、ある意味で大変なのかもしれない。
最後には、そんなことを痛感する1日だった。
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