第二章 メイドさんと少年
「ここが鈴音さんのお部屋です」
仕事の段取りを説明してもらった後、玉枝さんが案内してくれた部屋は、二階の奥まった場所にある一室だった。
「こちらで、そのメイド服に着替えていただきます」
「・・・・・・は、はあ」
玉枝さんの淡々とした口調に、私は気のない返事をする。いまだ、このメイド服というものに戸惑っている部分があったから・・・・・・。
「着替えが終わった後は、また食堂の方に戻ってきてください。今度は龍太郎さまが、この屋敷の住人と引き合わせくださると思いますので」
それだけ言い終えると、玉枝さんは踵をかえして下の階へとおりて行く。
残された私は、とりあえず自分にあてがわれた部屋へと入る。
「なんや、えらい殺風景な部屋やのぉ」
部屋に入るなりマコトくんがそんな感想をもらした。
ベッドと机とクローゼットが置かれた、飾り気のない部屋。一人で使う分には、不自由ないと思える。
「あとで花瓶でも借りて、お花を飾れば、少しは見栄えするかもしれませんね」
「お花いいよねぇ。ここのお庭にもたくさんお花が咲いてたぞぉ〜」
ティルもすかさず賛成してくれる。
「花なんてアホくさい。ワシは少女趣味な部屋は嫌やで」
「マコトくん。外で野ざらしにされる方が好きですか?」
「・・・・・・……いや、実は最近、少女趣味な部屋もええかなぁなんて」
「よろしい」
私はそれだけ言うと、預かった箱の中からメイド服をとりだした。
『本当にこんなの着るの?』
確かに可愛いともいえなくはない紺色のエプロンドレス。でも、こんな恰好で仕事をしている人なんて、ざらにいるものではない。
とはいえ、これを着ないことには仕事になりそうもない。私は観念して着替えに入った。
そして、しばらくして。
「おお! 鈴音ちゃん。すごぉ〜く、かわいいぞぉ〜」
着替え終わった私を見て、ティルがそう誉めてくれた。私自身、あまり実感は沸かないものの、誉められて嫌な気分はしない。
「そんなに似合いますか?」
調子にのって、クルリと一回りしてみせる。
「ばっちり、ばっちり。どこから見ても、立派なメイドさんだぞぉ」
「ありがとう、ティル」
私とティルは、お互いに笑いあった。
「しかしまあ、なんやのお。その服、鈴音にピッタリの大きさやな」
「それがどうかしたのですか、マコトくん?」
「鈴音は結構、出るとこでて、ひっこむとこひっこんどるさかい、うまいこと大きさあわせとるなぁって」
「う」
マコトくんには悪気はないのだろうが、彼に言われると、どうも卑猥な言葉に思えてしまう。
「まあ、鈴音ちゃんは、ないすばでぃ〜、とかいうやつだからね」
ティル。私、そんなに言われるほどスタイルが良いとは思わないんだけど。
ついでを言えば「ないすばでぃ〜」なんて言葉、一体どこで覚えてくるのだろう・・・・・・。タクシーのことといい、彼女はたまにわからないときがある。
とはいえ、今はそのような些細なことを気にしていても始まらない。着替え終わったのだから、早速にでも食堂の方へ行かないと。
私は最後に、自分の長い髪を結い上げ、それを持参したリボンで束ねた。こうしておけば、仕事の際にも邪魔にならなくてすむだろう。
「それじゃあ私は食堂の方へ行ってきます。マコトくんとティルは、ここでおとなしくしていてくださいね」
私がそうお願いしたのも束の間。
「嫌や」
「わたしも一緒にいくぞぉ」
マコトくんとティルに、即答で反論される。
「二人ともわがままいわないでください。龍太郎さまにも、他の人の前では魔法は禁止だと言われたんですよ」
「ワシはホウキに宿っとる精霊やさかい魔法とは違うで」
「ティルだって、妖精だから魔法じゃないぞぉ〜」
「・・・・・・そういうのは屁理屈です。魔法に馴染みのない人々が、あなたたちの姿を見ようものなら大騒ぎになるんですよ」
「んなもん、気にすんなや。おとなしゅうしとったるさかい。それにワシらかて、ここに住んどんのがどないな人間かは、知っておく権利はあるはずや」
「そぉそぉ、マコぽんの言う通りぃ〜」
「まあ、鈴音がどないしても駄目やいうんやったら、ワシらここで歌でもうたって待っとるけどな」
ここまでくるともう脅しだ。
「・・・・・・もういいです。一緒に来て下さい」
反論するだけ面倒に思えた。
「その変わり、ぜぇ〜〜〜〜ったいに、おとなしくしていてくださいね」
「おう!」
「ほい」
何とも信用のおけない返事ではあるが、今更どうこういっても始まらない。
私はマコトくんとティルを伴って自室を後にすると、玉枝さんに言われた通り食堂へと足を運んだ。
食堂では先程、玉枝さんからアイスコーヒーを頂いたばかりで、向かうのには何ら問題はなかった・・・・・・筈なんだけど。
「・・・・・・一体、ここはどこなのでしょう」
まっすぐ食堂を目指していたつもりが、まったく見に覚えのないところに出てきてしまう。
「おいおい。鈴音、しっかりせんかいな〜。いくらおまえが方向音痴やいうても、屋内で迷うか。普通?」
「そうは言いますが、こんなに広いお屋敷だと迷いもします」
とりあえず、マコトくんに言われたままでは腹立たしいので、言い訳だけはしておく。
「そういえば魔法学院の中でも、鈴音ちゃんはよく迷子になっていたもんねぇ〜。迷って立ち入り禁止の部屋に踏み入っては、先生たちにもよく叱られていたし」
ティルが昔の嫌な記憶をむしりかえす。
でも、私だってすき好んで迷っていた訳じゃない。
怪しい魔方陣が描かれた部屋に入ったときは、死にかける思いすらしたのだから。
それはさておき。
一体、どっちに行ったら食堂にたどり着くのだろう。私が正直、困り果てた矢先。
「おい、鈴音! あっち」
マコトくんが小さく警告めいた声をあげ、ティルは私の背後に隠れた。
私はマコトくんの促した方向をむく。するとそこには、見慣れぬ顔の少年が、じ〜っと私の方を見つめていた。
・・・・・・いや、見つめているというよりは、睨まれているような気もする。それぐらいに少年の目つきは鋭かった。
しばらく、気まずい沈黙が続く。でも、このままだと何なので、少し話しかけてみることにした。
「えっと、あの〜。は、はじめまして。こちらのお屋敷の方でしょうか?」
自分が怪しい人間ではないことをアピールすべく、にこやかに言葉をかけたる私。
すると少年の方から。
「おい、おまえ」
「はい」
「バカか?」
少年は冷たい口調で言い放った。
私は一瞬、ポカンとするものの、その言葉の意味が頭に浸透するにつれて、少しムッとなった。
「いきなりバカか?、などと言われましても」
「バカみたいな恰好をしてる」
「・・・・・・このメイド服のことですか?」
少年は無言のまま頷いた。
確かに少年の言葉には、ある意味で一理はあるが、素直にそれを認めるのも釈然としない。
「このメイド服は、ここの主である龍太郎さまに頂いた、立派な仕事着です。それをバカと言われては少々心外です」
「おまえ、爺さんの愛人か何かか?」
「あ、愛人!?」
いきなりの一言に、私の声は裏返ってしまう。
この少年は、何て事を言い出すのだろう。見た目だけでいえば、おそらく私より年下。小、中学生ぐらいだと思うが、かなりスレた印象を受ける。
その時だ。
「宗太郎さま。学校からお帰りでしたか?」
突然、玉枝さんの声が響き、彼女が廊下の奥から現れる。
「ただいま、玉枝さん」
宗太郎と呼ばれた少年が、そっけなく答える。
私は玉枝さんと目が合った。
「鈴音さん、こんなところで何を? こちらは食堂ではありませんわよ」
「・・・・・・すみません。少し迷ってしまって」
言い訳するのも見苦しいので、正直に言う。
玉枝さんは軽く一瞥はするものの、深くは追求してこなかった。そして。
「宗太郎さま。食堂の方に、おやつを用意ができております」
それだけ言うと、玉枝さんはまたどこかへ歩きだしてゆく。宗太郎と呼ばれた少年も、彼女とは別の方向へと歩きだす。
「食堂に行くんだろ。ついてこい、バカ」
私にすれ違う際、少年が小声で言った。
「・・・・・・・・・・・・」
バカと呼ばれたことには少々憮然となるが、とりあえずは少年についていくしかないのであった。
§
「フォホホホ。屋敷の中で迷っておったのかね。それは大変じゃったのお」
龍太郎さまお得意の笑い声が、食堂に響く。
私は照れ笑いをうかべて、立っているしかできない。なんだか恥ずかしい限りだから。
そんな私の近くでは、先程出会った宗太郎という少年が大きなメロンを食べている。さすがこんなお屋敷に住むだけあって、おやつひとつにしても豪華なものだと感心してしまう。
「しかし、まあなんじゃ。宗太郎と出会えたのは不幸中の幸いじゃったのお」
「・・・・・・ええ」
あの出会いを果たして幸いと言えるのだろうか。まあ、あまり気にしてもなんだけど。
「それはそうと、宗太郎とはもう自己紹介を済ませたのかね?」
「いえ。まだ正式には」
「そうか、そうか。まあ、想像しておるかもしれんが、この宗太郎はわしの孫じゃ。これからもよろしく接してくだされ」
なるほど、お孫さんなんだ。さっき玉枝さんが「宗太郎さま」と呼んでいたから、ある程度は予想していたけど。
それにしても。あまり似ていない祖父と孫。それが私の、今の印象だった。
ニコニコと朗らかに笑う龍太郎さまに対して、ぶっきらぼうで愛想のかけらもない宗太郎さま。でも、宗太郎さまも若いから、まだまだ人との付き合いに慣れていないだけかもしれない。
それに、龍太郎さまの孫ということは、彼もまた私が仕えるべき対象である。ここは、最初の悪印象は捨てて、誠心誠意お仕えしないといけないよね。
私はそう心に誓い、あらためて宗太郎さまに向き直った。
「今日からこの屋敷で働くことになりました、羽月鈴音です。今後ともよろしくお願いしますね、宗太郎さま」
とりあえず、深く頭を下げる。
けれど宗太郎さまは、私の挨拶など気にする様子もなく、一心不乱にメロンを食べている。
「あのう、宗太郎さま?」
もう一度呼びかけてみるが、あからさまに無視。
「これ、宗太郎や。鈴音くんに、挨拶せにゃならんぞ」
さすがに見かねてか、龍太郎さまも言葉をかけてくださる。それでも、宗太郎さまはメロンに集中したままだ。
・・・・・・私、かなり嫌われているのかな? 彼の態度を見ていると、どうしてもそんな不安にかられる。
が、そんな事を思った矢先。
「あ!」
私の持っていたマコトくんがいきなり動き出し、宗太郎さまの後頭部を「スパ〜ン!!」と殴りたおした。
マコトくんを制御する間もなかった。はっきりいって、私の油断。見る人が見れば、私がホウキで宗太郎さまを殴りたおしたようにしか見えない・・・・・・。
宗太郎さまは・・・・・・メロンのお皿に、顔を埋める形となっている。
「あ・・・はわわ・・・わわ」
私は乾いた笑いで、硬直するしかなかった。
宗太郎さまの肩が、ワナワナ震えているのがわかる。
「ご、ごめんなさい。宗太郎さま。お怪我はございませんか?」
おそるおそる呼びかけてみた途端、宗太郎さまはガバーッ!!と顔をあげた。
「いきなりなにすんだよ!!」
顔中をメロンの汁まみれにして、宗太郎さまが叫ぶ。その顔を見て思わず笑いそうになったが、このまま笑ってしまえば、事態は更に泥沼化するだろう。
「ごめんなさい。本当に申し訳ありません」
ペコリ、ペコリと何度も頭を下げるしかない。
「いきなり殴りつけて、ごめんも何もあるもんか!」
「私が殴ったのではなく、このホウキが・・・・・・」
そう言いかけたところで、はっとなる。魔法や精霊の類を、宗太郎さまに見せるわけにはいかないんだ。
ということは、結局。
「・・・・・・すみません。すべて私が悪いんです」
しゅんとなって、謝るしかなかった。
「爺さん! この危険な女、すぐに解雇しろ」
「それはいかん。鈴音くんには、今後とも、宗太郎の面倒を見てもらわねばならんのじゃから」
「俺はこんな女に世話されるのは、まっぴらご免だ」
「わがままをいうものではない」
やんわりと諭そうとする龍太郎さまに、宗太郎さまはグッと唇を噛む。そして。
「やい。そこの女。いつかきっと、復讐してやるからな。覚えてろ!」
宗太郎さまはそう言い放つと、そのまま食堂を走り去って行った。
「ケ。負け犬ほど、よぉ吠えよるわい」
マコトくんが愉快そうに言う。だが私は、そんなマコトくんを床にたたきつけた。
「痛ぁ〜っ!」
「もう。マコトくん。なんてことしてくれるんですか! おとなしくしてるって約束したでしょう?」
「・・・・・・そないいうたかて、あの場合はしゃあないやろ。ああいう礼儀知らずなクソガキは、最初で一発ガツ〜ンとやったらな、後でなめられるだけやぞ」
「わたしもマコぽんの言うとおりだと思うぞぉ」
いつのまにか出てきたティルまで、そんなことを言う。でも私は、素直に同意できなかった。
とりあえず今できることとして、近くにいる龍太郎さまには謝っておく。
「申し訳ありません。お孫さんをあんな目に遭わせてしまって」
「気になさるな。悪いのは宗太郎じゃから、鈴音くんが気に病む必要はなかろう。ただ・・・・・・」
「ただ?」
「宗太郎も本当は良い子じゃから、そこのところだけはわかってやってくれるかのお。あの子も両親を亡くすまでは、ごく普通の明るい子だったのじゃよ」
「宗太郎さまは、両親を亡くされているのですか!?」
「うむ。二年前・・・・・・あの子が十歳の時、旅先で飛行機が墜落しての。あの子は奇跡的に生き残ったが、両親たちは助からなかったのじゃよ。それからのあの子は、ずっと塞ぎこむ毎日で、口数もどんどん減っていっておる」
「そうでしたか」
私はそれ以上、何も言えなかった。
早いうちに両親を亡くす悲しみは、自分にも覚えがあったから。
ましてや宗太郎さまの場合、飛行機事故の中で、自らも死ぬかもしれないという恐怖にさらされている。そのことを考慮にいれれば、彼が心におった傷は相当なものだろう。
死ぬかもしれなかった恐怖と、両親を失った絶望。まだ若い宗太郎さまには、さぞかし大きな負担になっているに違いない。
「鈴音くん。宗太郎のことを、よろしく頼みますわい。あの子が昔のように元気になってくれることが、わしの望みじゃて」
そう言った龍太郎さまの表情は、本当に優しい祖父の顔。でもそこには、多少ばかり不安の翳りもみてとれる。
こういう表情を見せられるとどうも弱い。だから私も、できる限りの笑みをうかべて。
「わかっております。宗太郎さまも、きっと元の良い子に戻りますよ。勿論、そのためには私も協力させてもらいます」
そう言った。何だかそれが、龍太郎さまに一番求められていることのように思えたから。
「そうか。そう言ってもらうとわしも安心じゃわい。これで心置きなく、屋敷を留守にできるというものじゃ」
「え? 龍太郎さま。どこかへ行かれるのですか」
「明日から仕事の取り引きで、ドイツの方までいかねばならんのじゃ。しばらく戻れなくなるが、その間は玉枝さんと鈴音くんにこの屋敷の留守を任せることになる」
いきなりの話に、私はしばらく呆然とした。龍太郎さまがいなくなったら、誰が私の最終試験を監督するのだろう。
そこでティルが龍太郎さまに質問する。
「ねぇねぇ、おっちゃん。この屋敷には、他に住んでる人はいないの?」
確かにそれは重要だった。龍太郎さまがいないならば、誰か代わりに私の事情を知っている人がいてもいい筈だ。
しかし……。
「この屋敷に住んでおるのは、わしと宗太郎、玉枝さんの三人だけじゃ。そこへ鈴音くんが加わって四人なのじゃが、明日からはわしが留守になるから、また三人じゃの」
……それって本当ですか?
この広いお屋敷の中で、私たち三人。マコトくんとティルを含めたとしても五人?
これだけのお屋敷なのだから、もっと使用人もいると思っていたのに。
「色々と大変かもしれんが、よろしく頼みますわい」
龍太郎さまはそう言って頭をさげようとするが、私は慌ててそれを止める。
「お世話になるのは私の方ですから、そんな頭をさげないでください。それよりも龍太郎さまが留守になったら、誰が私の試験を監督なさるのでしょう?」
「誰も監督などせんよ」
「でも、これって魔法使いになるための最終試験なのですよね?」
私は急に不安になってきた。ただでさえ最終試験の意図がわからないのだ。ひょっとして試験などというのはウソで、私は体よく魔法学院を追放されたんじゃないだろうか。そんな風にも思えてくる。
「鈴音くん、安心したまえ。誰も監督するものはおらんが、これは明らかに試験じゃ。それも“特別”のな。じゃから今は、何も深くは考えず、この屋敷のことと宗太郎を見守って欲しいのじゃ。わかるかな?」
諭すように仰る龍太郎さま。そういう風に言われると、何も反論の言葉は返せなかった。
「わかりました。とりあえずは悩まずに頑張ってみます。あと、宗太郎さまのことはお任せください。龍太郎さまが戻られる時には、きっと仲良くもなっていると思いますので」
言葉後半だけは、龍太郎さまを安心させるべく笑顔で言った。きっと龍太郎さまもそれを願っているだろうから。
私自身、その言葉に嘘もない。宗太郎さまとも、しばらく一緒に暮らしていれば仲良くなれるだろう。
龍太郎さまの話でも、昔の宗太郎さまは明るい子だったということだし、親身になってお仕えすればきっと良い方向にも変わってくれる。
小さなところから人との付き合いを続けていけば、いずれは明るく心も開いてくれると信じている。
昔の私が、そうやって変わっていったように・・・・・・。
「ありがとう。鈴音くん」
結局、また頭をさげる龍太郎さま。
私は恐縮しながらも、彼の思いを受け止めたのだった。
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