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第六章 対決、ふたたび!

 

 夕食は、私と宗太郎さま、芳美ちゃんの三人だけでとる事になった。

 黒部さんは幽霊?騒動のショックで寝こんだままだし、スーディアさんも熱を出して休んでいる。

 スーディアさんには薬を与えておいたので、じきに熱もひくと思う。ただ、黒部さんが昨夜見たという幽霊?に関しては、いまだもって手がかりは掴めないでいた。

 そのせいもあってか、宗太郎さまたちは今日一日、どこか元気がなかった。

 芳美ちゃんも、空元気こそ見せてはいるものの、昨夜の騒ぎを気にしているのは明らかだった。せっかく雪山の別荘に遊びにきたというのに、まったく外で遊ぼうとしないのだから。

 そんな訳で今日は、室内でトランプ遊びなどをしていたのだけど、それも大して盛り上がりはしなかった。

 こうして重い空気をひきずったまま夕食の時間を迎えた訳だが、楽しげな会話が繰り広げられる様子もない。

 私たち三人は、夕食のクリームシチューを黙々と口に運んだ。

 今日もまた日は暮れ、夜という時間になる。外が暗くなるに従って、皆の気分も沈んでいくのがありありとわかる。

「なあ、二人とも」

 沈黙を破るように、不意に宗太郎さまが切り出した。

 私と芳美ちゃんは彼に顔を向ける。

「明日にはもう帰らないか? 今夜一晩休めば、黒部さんやスーディアさんも少しは持ちなおすだろうし」

「……でもここに来てから、スキーも雪合戦もしてないんだよ」

 芳美ちゃんが沈んだ声で呟いた。

「よくわからない騒ぎがおきているんだ。そんなこと言ってる場合じゃないだろ」

「騒ぎとは言うけど、実際は何も起きてないじゃない。あの黒部が単に寝ぼけているだけかもしれないし」

「だったらこのまま滞在するか? 俺は構わないんだぞ。ただ、こんな暗い気分のまま滞在するんだったら帰る方がましだ」

「うぅ。そんな言い方、意地悪だよ」

 芳美ちゃんはしゅんとなって俯いた。

 まあ、彼女の気持ちもわからないではない。せっかく宗太郎さまを誘って雪山にきたというのに、何もないまま帰るのは寂しいのだろう。かといって、このまま滞在するにも、例の幽霊?騒ぎが気になって仕方がないだろうし。

 芳美ちゃんにとってはまさに板ばさみ的状況だった。

「とりあえず今夜の様子で考えてみてはいかがでしょう?」

 私も会話に割って入った。

「何にもなさそうならばこのまま滞在してもいいでしょうし、不安な要素が消えないのならば帰るということで」

「妥当な意見だな。ま、俺はそれでいいとは思う」

「芳美ちゃんの方はどうですか?」

「……あなたの提案ってが癪だけど、それに関しては文句はないわ」

 そういうと彼女は椅子から立ちあがった。

「シチューのおかわりいれてくる」

「あ、それでしたら私がやりますよ」

「結構よ。貧乏暴力メイドに世話なんてされたくないもの。あなたに任せたら毒だって盛られかねないわ」

 芳美ちゃんは皿を持って厨房へ向かう。

 それにしてもさんざんな言われようだった。

 少なくとも私は、そんな物騒なこと思いついたことはない。第一、盛るような毒だってもっていないというのに。

「水沢のやつ、相変わらずおまえを敵視しているんだな」

 宗太郎さまは呆れたように呟いた。

「仕方ありませんよ。それが彼女の性格なのでしょうし。私も今はそんなに気にもしていません」

「馬鹿らしくて相手をする気にもならないってことか?」

「そうではありませんよ。私、どんな相手でも真っ直ぐ向き合いたいとは思っていますもの。それに芳美ちゃんは、口こそ悪いけれど、根は良い子だと思いますから。どこか憎めないんですよね」

「憎めないか。ま、わからない訳じゃないな。俺もそれがなければ、あいつとなんか付き合ってない」

「あは。最後の一言は、ちょっと手厳しい言い方に聞こえますね」

「思ったことを言ってるまでだ。それよりも鈴音。幽霊の騒ぎに関しては実際どうなんだ。俺たちに話していないだけで、何か隠していることとかないか?」

 何気ない質問。でもそれは、鋭いところをついている。

 実際、宗太郎さまと芳美ちゃんには、謎の足跡のことは伏せてあった。これ以上、不安を与えたくなかったから。

 けれど、こういう風に訊ねられてしまうと、答えるべきかどうか悩んだ。

 私って嘘をつくのがあまり上手い方ではないから、ヘンに隠そうとしても、すぐに怪しく思われてしまう。

「俺は水沢と違って、多少のことでは驚いたりしないぞ。何かあったのなら教えてくれ」

「えっと……そのことなんですけど……」

 私が歯切れ悪く言いかけた時。

 厨房の方から芳美ちゃんの悲鳴が上がった。それに続いて、お皿が割れるような音も。

 私たちは、ハッと顔を見合わせる。

「宗太郎さま。今の?」

「ああ。水沢のものに間違いない!」

 お互い緊張の面持ちで頷きあう。そして私たちは厨房へ走った。

 そして。

「芳美ちゃん、大丈夫ですか?」

 厨房に入ったすぐのところで、床にへたりこんでいる芳美ちゃんを見つける。近くには、彼女の持っていったお皿が割れて散らばっていた。

「おい、水沢。しっかりしろ。何があった」

 宗太郎さまも呼びかけると、芳美ちゃんは震える声で呟いた。

「ゆっ、ゆうれいがいた……の。あか、い、ゆうれい」

「赤い幽霊だって?」

「う、うん。そこに……鍋の近くに、いたのよ」

 ガクガクと答える芳美ちゃん。私たちはシチューの鍋が置かれているあたりを見る。

「……何もいるようには見えないぞ」

 宗太郎さまの言う通りだった。近くには幽霊らしいものの姿は見えない。

「水沢。幻を見たんじゃないのか? こわいこわいって思っているから、ありもしないものが見えたとか」

「あたし、嘘なんて言ってないよ。ぜっ、絶対に見たんだから、赤い幽霊」

 半泣きになりながら取り乱す彼女を見ると、それが冗談とも思えなかった。

 あと、ひとつだけ気になることがある。

 それは、芳美ちゃんが見たのが赤い幽霊であるということだ。

 確か黒部さんが見たのも、赤い衣の幽霊ではなかったか?

 少なくとも私は、幽霊が赤い衣であるなんて、芳美ちゃんたちには教えていない。それなのに彼女は赤い幽霊を見たという。そうなるとこれは、ただの偶然とも思えなかった。

 私は鍋の近く寄って見る。鍋の蓋は開いていた。中を覗いて見ると、少し妙だった。

 シチューがかなり減っているのだ。

 芳美ちゃんがおかわりをしたとしても、これほど無くなっているのはヘンだった。第一、彼女の割れたお皿には、おかわりをいれた形跡がない。

 つまりこれって、誰かが食べたってこと?

 でも、一体誰が?

 黒部さんとスーディアさんが起きてきたとは思えない。

 順当に考えれば、幽霊が食べたように考えるのが自然なのだろうが、物を食べる幽霊というのもしっくりこない。

 その時である。

 近くに掛けてあったフライパンがカタカタと動き出し、私めがけて勢い良く飛んできたのは。

「きゃあ!」

 とっさに顔を覆うが、避ける事はできなかった。フライパンはガツンっと腕に当たり、私は肘を痛めた。

「鈴音っ! 大丈夫か?」

 宗太郎さまの心配そうな叫びに、芳美ちゃんの悲鳴が重なる。

 見ると、他の道具などもゆっくりと宙に浮かびあがり、それはさながら自分たちを狙うかのように勢いをつけていた。

 これって例の幽霊の仕業?

 だとすれば、ポルターガイスト?

 ただ、冷静に分析している暇などなかった。

「宗太郎さま。芳美ちゃんを連れて、ここを離れてください! こっちは私で食いとめます」

 痛む肘を押さえながら、私は叫んだ。

「ば、馬鹿を言うな。おまえを置いてなどいけるか」

「言うことを聞いてください。ここを離れてスーディアさんを呼んで来るんです。早くっ!」

 私の言葉に、宗太郎さまは一瞬だけ迷った様子だったが、最後には頷いてくれた。

「すぐもどる」

 彼は言って、芳美ちゃんを抱えてここを出る。

 その後、今度はまな板とおたまが飛んできた。

 私は床に転がるようにして、それを避ける。そしてそのまま、テーブルの下に身を隠した。

 自分でもよくここまで身体が動いたものだと感心する。

 ただ、ここから先が問題であった。他の道具類も、いつ襲い掛かってくるかもわからないのだ。どうにか対処しないことには、小さな怪我だけで済むとは思えない。

 ここは一気に自分から仕掛けるべきか? 

 見えない霊体を仕留めるには、魔法で霊の姿を感知して捉え、そこに浄霊の魔法などを使うのが一般的だ。

 しかし、未熟な自分に、それらの魔法が簡単に唱えられるとは思わなかった。

 うまくいっても霊の姿を感知するので精一杯だろう。

 魔法の本質は願いの力である。だから理屈だけで言えば、自分が強く願えば、どんな高等な魔法だって使えないわけではない。でも、それにしても限界はあるのだ。

 少なくとも私は、この幽霊を浄霊するだけの願いを持ちえていない。

 今、こうやって襲われてはいるが、なぜ幽霊がこのようなことをするのかわかっていないのだ。そこにもし理由があるとするのならば、問答無用で祓うことは躊躇われる。

 そして、そのようなことを思っている時点で、浄霊の願いは通じなくなる。

 甘いと言われればそれまでだが、こればかりは性格だから仕方がない。

「……どうすればいいの」

 小声で呟いて自問する。

 自らで霊を祓えない以上、スーディアさんが来るのを待つしかないのだろう。

 そのためにも、それまで自分の身を守りきるしかない。

 私は心を決めて、防護の魔法を張ることにした。精神を集中させ“見えざる真理”に願いを届けようとする。

 が、その集中は途中で途切れる形となった。

 自分の隠れていたテーブルが急に浮かび上がり、それに気をとられたからだ。

 テーブルが浮いたことによって、私の身は晒される。そして目線前方には包丁が浮かんでいた。

 包丁は明らかに私を狙っており、その切っ先が鈍く輝く。

 あんなものが飛んできたら確実に無事では済まない。いや、へたをすれば死にかねない。

 恐怖が私の心を萎えさせてゆく。身体は震え、もはや魔法を使うという余裕すら生まれなかった。

 そして、包丁は私めがけて飛んだ。

「……っ!!」

 目を閉じて痛みがくるのを覚悟する。

 だが、それと同時に。

 キンッ!!

 金属と金属がぶつかり合う甲高い音が耳に響いた。そして。

「鈴音殿。無事かっ?」

 スーディアさんの頼もしい声が、私の心を現実に引き戻した。

 目を開けると、そこには剣を構えた彼女が立っており、私に向かってきた包丁は床に落とされていた。

「スーディアさん」

 涙声で彼女の名前を呼び、自分が助かったことを意識する。

 そこへ今度は、ティルとマコトくんも飛び込んできた。

「鈴音ちゃ〜ん。生きてるかぁ?」

「私なら大丈夫です。肘を少し痛めた程度ですから」

「なんやてぇ! ちゅうことは、多少は痛い目におうたっちゅうことかいな。おのれ〜、このクソ幽霊どもが。ワシの怒りに火をつけたらタダでは済まさんど」

 マコトくんが憤慨して叫ぶ。

「ともかく、わたくしたちが来た以上はもう大丈夫だ」

「はい。でも、気をつけてください。ここに潜む幽霊は危険なものかもしれません」

 厨房の中は未だポルターガイスト現象のように、物が浮かび上がっている。

 だがその時、スーディアさんが意外な言葉を口にした。

「鈴音殿。……これは幽霊の仕業ではないようだ」

「なんですって?」

「落ち着いて感じるのだ。この部屋に充満する魔力の波動を。これらは霊的な奴らが使うものとは異なる」

 スーディアさんはそこまで言うと、スッと腕を動かし早口で呪文の言葉を唱える。

「そこに隠れておる者、姿を現せ!」

 呪文は完成し、効果が現れたのだろう。宙に浮いていた物は次々と床に落ち、更には何もなかった空間より人が現れた。

「おわ! 赤い衣だぞぉ」

 ティルの言う通りだった。空間より出てきたものは赤い衣を着た人間。フードで顔を覆っているので表情は見え辛かったが、はっきりとした実体をもっていることから幽霊には見えなかった。

「……この部屋全体に“魔法解除”をかけるとは、スーディア君も大胆なことをするものだ」

 赤い衣の人間より、男性の声が響いた。初対面の人間にこういう印象を抱くのもどうかと思うが、耳障りないやらしい声

 ただ、その男性の口ぶりからすると、スーディアさんとは面識があるような感じだった。

「貴様……ヴェノスか?」

 スーディアさんが硬い声で呼びかけた。それに対して赤い衣の人間はくぐもった声で笑う。

「そうだよ。わたしはヴェノスだ。久しぶりだね、スーディア君」

「確かに久しいな。だが、再会を懐かしむより先に貴様には問うことがある。ヴェノス、何のつもりだ? 何故貴様がここにいて、このような騒ぎを起こす」

「おいおい。そう怖い顔をするものではないよ。同じ評議会の仲間に詰問はないだろう」

「無駄口は好かぬ。訊ねられたことのみ答えよ」

 今のやりとりを見て、二人が魔法評議会の仲間であることはわかった。

 つまりあのヴェノスという男性も、リートプレアの人間で魔法使いなのだ。そう考えれば、昨夜からの騒動の疑問点はすべて解決がつく。黒部さんのいた二階を覗くにしても魔法を使えば造作もないことだし、外に足跡が残っていたことも、彼が幽霊ではなく人間であればこそだ。

 ただ、スーディアさんが言うように、何故あのような人がここにいるのかはわからない。

 私は二人の様子を見守ることにした。

「ここに来た理由は、スーディア君……君の様子を確かめにきたのだよ」

「どういうことだ? もう少し詳しく話せ」

「君は羽月鈴音が魔法使いとして相応しいかどうかを調べるべく、評議会より派遣された筈だ。しかし君は、なかなか報告を持ちかえらなかった。よってわたしが、君の様子を確かめにいくよう申し付けられたのさ」

「つまりはわたくしを心配して来た。そういうのだな」

「その通り。で、調べのほうはどうなのかね。評議会の中でも実力のある君にしては、手間取っているように思えるが」

「正直に申せば時間はかかるであろうな。公正に見極めねばならぬと判断した故」

「公正ねぇ……」

 ヴェノスという男性が私を一瞥したような気がした。実際、表情は見えないのだが、何か嫌な視線を感じたからだ。

 スーディアさんもそれを察したのだろう。彼女はヴェノスという人の前に立ちふさがり、再び詰問する。

「とりあえず貴様がわたくしの様子を見に来たのは判った。しかし、この騒ぎは何と説明する?」

「腹が減ってたのだよ」

「何?」

「言葉通りだよ。わたしは腹が減っていて、ここで食べ物を見かけたものだからね。少しだけご馳走になったのさ。そしたら不運にも人に見つかり、すぐに姿を消したのはいいんだけど、騒ぎ出されちゃってね。鬱陶しいから驚かせてやったのさ」

「貴様は馬鹿か。姿を消しておとなしくしていれば済むものを、鬱陶しいから驚かせただと? 余計に厄介事になるとは思わなかったのか?」

「冷静ではなかったのさ。わたしも驚いて、自分の身を守りたかったんだろうよ」

「その軽口、どこまで信用してよいのか判らぬ。第一、貴様は刃物まで飛ばそうとした。無抵抗の相手に怪我を負わせようと思うほど、貴様は追い詰められていたというのか?」

「どうかな。あの時は咄嗟のことだったし、自分でも覚えていないね」

「………ヴェノス。あまり不真面目な返答は、己が身を危うくすると心得よ。貴様も名誉ある評議会の一員であれば、その行動に責任を持て。それができぬ場合は、わたくしは貴様の愚行を看過し得ぬ」

「わかったよ。今後は気をつけようじゃないか」

 反省の色がまったく感じられない声。スーディアさんが唇を噛んでいるのがわかる。

「ま、それよりもだ。わたしも見つかってしまった以上、君たちに話がある」

 今度は私にも向き直って言われる。

「一体、何の話だ?」

「羽月鈴音のことについてだよ。彼女の実力を調べるというね」

「それに関しては時間がかかると申した筈だ。余計な手出しはせずに、上にもそう報告してもらいたい」

「だが、そうも言ってられなくてね」

「どういうことですか?」

 思わず不安になり、私から訊ねてしまった。

「……とりあえず話は、外でしようじゃないか。この建物の中で物騒な話もなんだろうしね」

 明らかに物騒と言いきるあたり、不安を増長させてくれる。

「わたしは建物の外、裏の林の前で待っている。中の人間達を落ち着かせたら、来てくれたまえ」

 ヴェノスという人はそれだけ言うと、この場から姿を消してしまった。恐らくは瞬間移動の魔法を使ったのだろう。

 残された私たちは、彼の一方的な宣言に呆然とするしかなかった。

 

§

 

「おい。そんな奴と話をして大丈夫なんだろうな?」

 別荘の一室で、宗太郎さまが不安そうに訊ねる。

「それはわかりませんが、無視はできないと思います」

 ヴェノスという人が消えてから、私たちは部屋に戻り、宗太郎さまに事の次第を話した。

 ちなみに芳美ちゃんは気絶しているらしく、今は隣の部屋で寝かされている。よってこの部屋にいるのは、リートプレアの事情を知るものだけだった。

「スーディアさん。あんたはどう思うんだ。ヴェノスって奴とは同じ評議会の仲間なんだろ?」

「確かに評議会の同僚ではあるが、あまり親しい訳ではありませぬ」

「だが、どういう人間かぐらいはわからないか? そのヴェノスが良からぬ人間で、鈴音に何らかを企んでいるのだとすれば、俺はこいつを話し合いにいかせるつもりはない」

 宗太郎さまの言葉に、マコトくんも力強く頷く。

「ワシのクソガキの意見に賛成や。あのヴェノスっちゅう奴、どない考えてもエエ奴とは思えん。しかも、物騒な話がどうとか言うとったやんけ。そないなところに鈴音を行かせられるかいな」

「宗太郎殿とマコト殿の意見はわかる。しかし、放っておいてもどうにもならぬぞ」

「そない簡単に済ますなや! あっちに用事があろうと、こっちの知ったことやないんや。ましてや鈴音に、怪我を負わせよった相手やで。言うこときいたる義理なんてあるかい」

「マコトくん! あまり叫ばないでください。スーディアさんが悪いわけでもないのですから」

 私は彼を捕まえて、そっとなだめた。

「けどな〜、鈴音。ヴェノスっちゅう奴が来たのかて、この姉ちゃんにも関係しとるんやで。ここはこの姉ちゃんに追い返してもらうのが一番エエと思うねん」

「それは反対です。スーディアさんに全てを任すのは無責任に思いますし」

 マコトくんの言いたいことも判るが、一番の大元は私にも関係しているのだ。

 評議会の人間は、私の実力を計るべく派遣されてきたのを忘れてはいけない。例えそれが、向こうの都合で行っていることにしてもだ。

「おいおい。何、お人好しなこと言うてんねん。危険があるのかもしれんのやで」

「でも、絶対にそうなるという確証もないのです。ここではぐらかして印象を悪くするよりは、誠意をもってこちらからも話し合いにのぞむべきではありませんか」

「そうはいうけどな……」

 納得いかない顔のマコトくん。このままでは意見は平行線だった。

 そこへ今度は、ティルがスーディアさんに訊ねる。

「ねぇねぇ、あのヴェノスっていうのは評議会の中ではどういう位置付けにいるのぉ? スーディアちゃんが以前言ってたような、新体制側の人間な訳?」

「そうだな。ティル殿の言う通りだ。ヴェノスは新体制側の筆頭に近い人間だ」

「なるほどぉ。じゃあ、腐ってる連中の仲間ってことだね」

 ティルの言葉は軽口であるが、容赦はなかった。

 以前、スーディアさんから、今の評議会は組織的に腐敗しているとは聞かされたことはある。そして彼女は、そんな新体制側からすると目障りな存在であるとも。

「あのヴェノスという方が新体制派の人間だとして、彼はスーディアさんを疎ましく思っているのですか?」

 次は私が訊ね、彼女は静かに頷いた。

「ああ。奴にとって、わたくしは目の上のコブだろう」

「そうなると私も、ますます話し合いには応じなければいけませんね」

「何でそないなるんや!」

 マコトくんは訳のわからないといった顔だった。

「理由は簡単ですよ。もし私がいかなければ、スーディアさんとヴェノスの溝は更に深まります。以前、スーディアさんが言っていたことをもっと思い出してください。今の評議会は、新体制の目障りとなるものをことごとく追放しているんですよ。ここでスーディアさんがヘタに評議会に逆らい、確執が増すようなことになれば、彼らはそれを理由にいつ彼女を追い出しにかかるかわかりません」

「うむぅ。鈴音ちゃんの言うことも正しいね。それにもしスーディアちゃんが評議会を追放されたら、最終的には鈴音ちゃんにも不都合なことになるしねぇ〜」

「ティルの考える通りです。スーディアさんのいなくなった評議会は、もはや歯止めのきく組織には思えません。私はずっと、評議会から敵視されたままになるでしょう」

 しばらく部屋は沈黙に満たされた。

 皆、それぞれに考えをまとめているのだ。

 でも、すぐにはうまい考えなどまとまらない様子だった。

「……鈴音殿。ヴェノスを待たせるのも何だ。そろそろ出よう」

 腕を組んでいたスーディアさんが宣言した。彼女は元からその考えなのだろう。今まで黙っていたのは皆の意見を待っていただけ。だが、それでは埒があかないと判断したに違いない。

「スーディアさん。体調の方は大丈夫ですか?」

「心配はいらぬ。先程までゆっくり休んだのだ。今はもう心配ない。それより行きましょう」

 私も元よりその覚悟だったので、異論はなく頷いた。

 その時である。

「行くな、鈴音!」

 宗太郎さまは叫ぶと、私の背中に腕をまわし、動きを封じようとした。

 しがみついた力強さは、そのまま彼の想いの強さをあらわしている。

 そして彼は……。

 泣いていた。

 正直、胸が痛んだ。

 しかし私は、そっと彼の腕をほどいた。

「宗太郎さま。心配しないで。すぐに戻ってきます。約束しますから」

 ほどいた腕を手に取ったまま、彼を振りかえることなく答える。

 気の利いた言葉はでなかった。今のが私の精一杯だから。

 今度はスーディアさんが、宗太郎さまの肩をポンと叩いた。

「鈴音殿の身はわたくしが責任をもって保証する。信じていただけませぬか?」

 優しい声だった。

 宗太郎さまの反応は何もない。頷くこともなければ、止めることもしない。

「さあ、スーディアさん。参りましょう。マコトくんとティルは私に同行してください。そして宗太郎さまは、ここで芳美ちゃんのことをお願いします」

 彼には悪いと思ったが、話を切り上げるべく宣言した。

 悩んでいても、私自身だって不安になるだけだ。ここは早いうちに決断して、問題となることを終わらせるに限る。

 結局、宗太郎さまは黙ったままだった。

 私とスーディアさんたちは、そんな彼をここに残して外へ出た。

「くぅぅ。今夜もまた、一段と冷え込みよるでぇ。またかちんかちんホウキになるかもしれん」

 屋外に出たマコトくんは、自分たちの緊張をほぐすかのように軽口を叩いた。

「またスーディアちゃんに防寒の魔法でもかけてもらうのぉ?」

「いいや。今夜はかちんかちんホウキの方が都合エエのかもしれん。もしも、ヴェノスっちゅうやつがちょっかいをかけてくるようなことがあったら、かちんかちんに固まったワシがどたまカチ割ったる」

「おお! それはいいかもしれないぞぉ」

 ティルが大声で笑い、私も微笑がこぼれる。こんなやりとりだけでも、ほんの少しだけ寒さや不安を忘れられる気がする。

 今夜も昨夜と同様、外の寒さは堪えるものがあった。

 ただひとつだけ昨夜と違うことは、月の明かりがとても綺麗だということ。

 銀色に輝く冷たい月。それが投げかける光は、雪の美しさをより一層引き立たせる。

 そこに広がるのは、冷たくも幻想的な光景。

 遠くの闇と足元にある白。

 吸いこまれそうになるその世界にあって、私を現実につなぎとめてくれるのはマコトくんたちの会話。

 やがて、裏の林前に辿り着いた。そこには赤い衣を纏った人影が待っている。

「来たかね。丁度いいタイミングだよ」

「早速だが話を聞こう。冷え込む場所で長話も何だ。手短に用件のみを言え」

 白い息を吐きながら、スーディアさんは促す。

「手短にね。わかったよ。なら、戦え」

「何?」

「戦えって言ったんだよ。君と羽月鈴音でね」

「ふざけるなっ! それのどこが話だ」

「怒鳴るなよ。それにわたしはふざけてはいない。用件のみを言えといったのは、君だぞ」

「しかし、何故に彼女と戦わねばならぬ?」

「手っ取り早く実力を知るためだよ。羽月鈴音が魔法使いに相応しいかどうか、それを試すには戦いが一番早いだろう。とっさの判断力や冷静さも計り知ることができるんだしね」

「貴様の言うことも一理あるが、わたくしにそれを実行する気はない。少なくとも鈴音殿の実力を知る上では、不適切な方法だと思っているからだ」

「だから、時間をかけて確かめるっていうのかい?」

「そうだ」

 スーディアさんの言葉は頼もしかった。私は見守ることしかできない。

「……困ったね。ここで時間をかけることは、君に良い結果をもたらさないと思うんだけど」

 ヴェノスという人が告げた。言葉の内容とは違い、その口調は何ら困った様子には感じられない。

 むしろ、スーディアさんの反応を見て、愉しんでいるという感じだ。

「どういう意味だ?」

「あと一日以内に、君に与えられた使命を全うしろとの命令が下ったのさ。それに従わない場合、君は評議会を追放される」

「何だとっ! なぜそのようなことになる」

 私たちも息をのんだ。ヴェノスという人は言葉を続ける。

「理由はこうだよ。評議会の中では、君が羽月鈴音に懐柔されたんじゃないかという噂が立っている。そしていつかは与えられた使命も忘れ、懐柔の末に虚偽の報告をするのではないかとね」

「……そんな真似はしない」

「わたしは信じてはいるよ。だが、噂は悪い方向に進んでいる。ここで君が評議会の勧告を無視すれば、即追放なのは間違いない」

「………………」

「君が中途半端な仕事をしたくない気持ちはわかる。だが、今は評議会の意向に従うべきだ。わたしたちも、君が評議会を去るのは忍びないんだよ。実力のある君がいなくなるのは、評議会にとっても痛手だと思っている」

 スーディアさんは顔をうつむけ沈黙した。良く見れば、肩が震えている。

 それは怒りか、悔しさか。言葉を発さない分、彼女の葛藤がそこに集約されていた。

 そんなスーディアさんを見てはいられなかったのだろう。マコトくんが叫んだ。

「コラァっ、そこの赤いの! さっきから黙ってきいとったら、何を都合のエエことぬかしとるんじゃ。善人ぶったことほざいとるけど、実際のところは単なる脅しやないか!」

「下賎なホウキが失礼なこと言うものじゃないよ。わたしは事実を報告しにきただけだよ」

「何が事実や。ワシにはわかる。おのれの言っとることは、本心からのモンには思えん」

「やれやれ。とんだ言いがかりだよ」

 小馬鹿にしたような物言いに、マコトくんの身体は怒りに震える。

「鈴音! ワシ、もう我慢ならんで。あのアホんだらを半殺しにするぐらいにせな、気が済みそうにあらへん」

「わたしもマコぽんと同じ気持ちだぞぉ。あいつの言い方は気にいらないぞぉ」

 ティルも真顔で告げた。

 二人の気持ちは良くわかる。ヴェノスが伝える話は、仮に事実であったとしても、彼個人の気持ちとしては真実味にかける。

 しかし、いま自分たちから動くわけにもいかなかった。

 彼の告げた話に対し、スーディアさんがどう答えを出すかのほうが重要だからだ。

 私は、スーディアさんを見た。

 すると彼女もこちらを振り向いた。

 互いに視線が合う。そこには迷いが感じられる。

 しかし、次の瞬間に瞳を閉じ、それがまた開いたとき、スーディアさんの迷いは消えていた。

 彼女の手に、魔法の剣が握られる。

「鈴音殿。……わたくしは評議会の人間なのだ」

 剣をゆっくり構え、冷たく呟く。私は息をのんだ。

「スーディアちゃん! あいつなんかの言うことを聞くつもりなのぉ?」

「姉ちゃん、考えなおすんや。騙されるんやない!」

「黙れっ! わたくしは、わたしくは……評議会の人間なのだ。貴殿らに恨みはないが、使命は全うせねばならぬのだ。理解して頂きたい」

「アホがっ。見損のうたで。アンタは評議会の中ではマシな人間や思うとったんやど。それはワシのかいかぶりやったんかい?」

「わたくしは評議会を離れる訳にはいかないのだ。名誉ある組織を守るためにも」

 使命感の強い彼女であればこその言葉。

 腐敗した評議会を正すべく、スーディアさんはその機会を窺っていた。それを成し得るためにも、今まで我慢を重ね、ずっと絶えてきた。

 だが、ここで追放されれば、全ての苦労は意味を無くしてしまう。

 私には彼女の気持ちが痛いほどに伝わってくる。

 だから。

「わかりました。私も心を決めました。スーディアさんと戦い、その上で実力を知ってもらいます」

 そう宣言した。

「ちょっとちょっと、鈴音ちゃんまで何を言いだすのぉ! そんな無茶な行動、認められないぞぉ〜」

「ティル。私はやけくそで言ってる訳じゃありません。自分の信念にかけて決めたことなんです」

「信念って、何なんだぞぉ?」

「私、どんなことがあってもスーディアさんを信じるって決めたんです。彼女の味方として」

「でも、信じるもなにも、向こうはもう裏切ってるんだぞぉ」

「大丈夫です。彼女は裏切ってはいませんよ。事情によって少し状況がかわっただけです。それに今の彼女なら、戦いの中でも公正に判断してくれるものがあるって信じていますから」

 ティルはまだ何か言いたそうではあったが、マコトくんによってやんわりと止められる。

「おい妖精。もう鈴音に何を言うたかて無駄や。これは信念の戦いやし、それを差し止めるんは二人のためにならへん」

「マコぽんは怒りメラメラだろうから、そんなことが言えるんだぞぉ」

「いや、ワシはさっきより落ちついとるつもりやで。何でか言うと、鈴音を信じとるからや。今の鈴音は本気で落ちついとるんがワシにはわかる」

「ホントに?」

「こんな時に嘘は言わんわい。落ちついた鈴音は誰にも負けへん。信じる何かのため戦うんや。鈴音の信じる力は、今までかてすごい奇跡を呼んできよったやないか」

 マコトくんの言葉はくすぐったかった。

 でも彼の言う通り、自分でも不思議なほど落ち着いてはいる。

 こんな結果にはなったものの、悔いはない。私は本当にスーディアさんを信じているから。これまで彼女と接してきた日々を無駄だとは思っていないもの。

「マコトくん、それにティル。私の動きに合わせてサポートしてください」

「おうっ。任せとけ」

「……わかったぞぉ。鈴音ちゃん」

 スーディアさんには知性ある魔法の剣ウィムドさんがいるのだ。こちらもこれくらいの味方は許されてもいいだろう。

 私もゆっくりとホウキを構えた。

「さあ、スーディアさん。いつでも構いません」

「心得た。では、参らせてもらう!」

 言うが否やスーディアさんの動きは速かった。剣を手に鋭く踏み込んでくる。

 これは予想通り。自分がホウキを構えたら、彼女も先に接近戦を仕掛けてくると読んでいたからだ。

 私はその攻撃をまともに受けるつもりはない。だから地面に転がることで、なりふり構わずそれを避ける。

「そこまでですか!」

 スーディアさんの鋭い声。一撃目を避けることはできたが、今の私の体勢では次を避けることは無理に近い。

 だが、勿論このままで終わるつもりはなかった。私は彼女の声を無視し、呪文を唱えた。

 次の瞬間、地面より小さな突風が巻き起こった。これは私の魔法が発動したことを意味する。

 初歩的な風を起こす魔法だが、それによって雪煙が舞いあがる。

「くっ……」

 雪煙はスーディアさんを包み込み、少し後ずらせた。

「ティル。魔法で私の姿を消して」

 間髪いれず命じる。

「らじゃ〜!」

 姿を消す魔法は妖精である彼女が得意とするものだ。ティルは私の肩にとまり、魔法を発動させた。

 そして。

「おっけ〜。魔法はうまくかかったと思うぞぉ」

 耳元で囁くティルの声に無言で頷く。

 魔法の成功は間違いないようだった。雪煙より解放されたスーディアさんが、私の姿を目で探すのが見える。

 だが、彼女は冷静だ。すぐに私が姿を消した一点を見据えてくる。

 冷静ささえ失わなければ答えは簡単。いくら姿を消しているとはいえ、ここは深い雪の中なのだ。少しでも動けば足跡などですぐにバレてしまう。

 けれどそんなのは計算のうちだった。大事なのは少しでも時間を稼ぐこと。未熟な私は、呪文を唱えるのにしても要領が悪い。簡単な短い呪文ならまだしも、そうでないものの方が沢山存在するのだ。

 呪文は魔法語によって形成されるが、その意味合いは自分の願いをより強く導きだすための暗示みたいなもの。

 魔法は願いの力だが、曖昧に願うだけでは発動しない。正確に願うべき形をイメージしなければならない。そのイメージを高めてくれる言霊こそが呪文なのだ。

 私は身を起こして、次の呪文の詠唱に入っていた。

 スーディアさんがどう仕掛けてくるにせよ、今度の魔法で決着はつける。

 魔法発動のタイミングは間違えないようにしないと。

 私は彼女の動きを注視した。魔法でくるか? それとも剣でくるか?

 そして次の瞬間。

 スーディアさんは動いた。剣で仕掛けるつもりで。

 私は彼女が仕掛けてくると同時に呪文を完成させた。手応えはある!

 まばゆいばかりの光の球体が魔法によって生みだされ、私はそれを彼女の顔めがけて投げつけた。

「……うぅっ」

 スーディアさんが眩しさに目を覆い、踏み込みの姿勢を崩す。その一瞬の隙は見逃さない。

「マコトくん!」

「おうよっ!」

 私はホウキで突き込み、スーディアさんの足元を払った。

 ドサっ!

 彼女はそのまま倒れ、雪の中に埋もれる。

「スーディアさん。もうこれでいいですよね?」

 私は確認するつもりで訊ねた。

「…………まだ続けると申したら?」

 倒れたまま、返事だけがかえる。

「私にはもう打つ手はありません」

「甘いな。これは戦いなのだぞ。わたくしはまだまだ動ける。大怪我でも負わせぬ限り、実力を証明したことにはならんぞ」

「でも、本当に打つ手はないんです。攻撃魔法なんて使いたくありませんから」

「甘すぎるぞ」

「そうかもしれません。でも、それって悪いことですか? 私は自分にできる魔法で戦いには応じたつもりです。それに……」

「何だ?」

「どんな理由があっても、お友達を傷つけるのは嫌ですもの」

 一瞬、沈黙がこの場を支配した。

 その後、スーディアさんが息をつく。

「鈴音殿は優しいな」

 以前にも一度聞いた言葉。

「あなたが好きだから、そうなれるだけですよ」

「……優しい魔女か。信じてもよさそうだな」

 スーディアさんは薄く微笑むと、身を起こし立ちあがった。そして。

「ヴェノス。見ての通りだ。鈴音殿は荒事には向かぬ。ここまでで判断を下す」

 そう告げた。

「ふん。今のやりとりだけで何が判断できるというのだね?」

「鈴音殿は自分にできる限りの魔法で応戦してくれた。そしてそれは、正しい判断力の元、効率良く働かせていたと思う」

「でも、そんな初歩的な魔法を使われた程度ではね」

「貴様の言い分もわからぬ訳ではない。だが、このようなやり方は鈴音殿を試す意味ではやはり不適切に思えた。今回は我々の事情で強引にこの手段を押し通しはしたが、これで納得がいかないのであれば、わたくしは評議会に戻って再審議の申請をしたい」

「手間をかけるっていうのかい」

「その通りだ。今の戦いでその必要があるとはっきり認識した。わたくしは上にそれを報告する」

「くっくっくっくっ。スーディア君。馬鹿正直なくらいに仕事熱心だねぇ」

 ヴェノスという人は、嫌らしい笑いをあげた。

「でもさぁ、そういうのってつまらないんだよね。もうちょっとお互いを傷つけあって欲しかったよ。殺しちゃうくらいにね」

「貴様。何を言っている!」

「これだけで終わってしまうのは残念に思うんだよ。君達とはもうお別れなんだから、最後まで醜く取り乱した姿を晒しつづけてほしかったなぁ」

 彼の言葉に、私たちは本能的に危険なものを感じた。

 そしてそれを裏付けるような出来事が起こる。地面より赤い光が溢れ出し、自分達の周囲を取り囲んだのだ。

「おい! こらなんやねんっ!」

「これは一種の結界魔法? ヴェノス、貴様っ」

 取り乱すマコトくん。歯噛みするスーディアさん。

「君達が来た時、いいタイミングと言っただろ。君達とお別れをする準備を進めていたからね。それだけの結界を作るには手間も少しかかるんだよ」

「貴様は最初からそのつもりで」

「当たり前だよ。わたしは君と羽月鈴音を抹消するつもりで来たんだ。二人とも評議会にとっては厄介な存在だし、消しちゃったほうが早いじゃないか。かといって、スーディア君とまともに戦ったのでは不利だしね。とりあえずは結界で異世界の狭間に閉じ込めることに決めたんだよ」

「冗談じゃないんだぞぉ〜」

 ティルの言う通りだった。すぐにでもこの結界を解くなりして、外へ出ないといけない。

 しかしその時だ。足元の感覚が大きく揺らいだ。

「え?」

 驚いて下を見ると、地面の雪はなくなり、かわって薄暗い深淵があらわれていた。そしてそれは自分達の身体を引きずり込むようにして吸いこむ。

「……そ、そんな」

 抗おうにもどうすることも出来なかった。ここを抜け出そうにも地面がない以上、走るということができないのだから。

「鈴音! ワシにしっかり掴まるんや」

 マコトくんが浮遊して、吸いこまれるのに耐えようとする。

 私は頷いて、ホウキの柄をしっかりと握る。だが、深淵の吸引力は予想以上に強い。

 スーディアさんも“浮遊”の魔法を使い、ギリギリで耐えているが、限界は近いようだった。

「もっ、もうダメなんだぞぉ〜〜〜」

 ティルがついに、深淵に引きずり込まれた。

「ティルっ!!」

 私は叫んだ。妖精の彼女は、見る見る間にその姿を消して行く。小さな身体で、この吸引力に耐えきるのは無理だったのだ。

 大切な友達を一人失ったショックは、計り知れないものだった。頭の中が真っ白になり、全身の力が抜けていく。

 それがまずかった。

 次の瞬間、私の手はマコトくんを離れ、そのまま深淵に落ちて行った。

 頭の上の方で、誰かが叫ぶ声が聞こえる。

 それはマコトくんかスーディアさんか。

 いや、あの声は宗太郎さまのような気がした。

 しかしもう、それを確かめる術はない。

 薄暗い世界に落ちていく私は、そのまま意識も闇に閉ざされていったから。

 

 

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