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第五章 魔法よりも大事なこと

 

 悲鳴は真夜中の別荘に突然響き渡った。

「ギャァァァァァァァ〜〜〜〜〜〜〜!!!!」

 それは、あまりにもストレートな男性の悲鳴であった。眠っていた私たちが目を覚ますくらいに。

「・・・・・・今のは一体?」

 私がベッドから飛び起きるのと同時に、マコトくんやティル、そして隣のベッドで寝ていたスーディアさんも目を覚ます。

「なんぞ、オッサンの悲鳴が聞こえたような気がするで」

「あの悲鳴、黒部殿とかいう御仁のものではないのか?」

 マコトくんの言葉を受けて、スーディアさんがそう付け足す。

 確かに言われてみると、あの悲鳴は男性のものであっても、宗太郎さまのものとは違うように思える。そうなると、この別荘内にいる他の男性では、芳美ちゃんのボディーガードである黒部さんしか残らない。

「何だか、恐怖におののいた悲鳴って感じだったぞぉ。もしかして、雪山名物の殺人事件でも起きたのかなぁ〜」

 ワクワクした顔つきで、ティルが不謹慎なことを言う。

 そんなサスペンスドラマみたいな展開が現実に起こりうるとは思わないが、黒部さんの悲鳴は只事でもなかった分、少し心配になる。

「ちょっと様子を見てきます。スーディアさんは私と一緒に。マコトくんとティルは、ここで待っていてください」

 私たちは上着になるものを羽織ると、黒部さんの使っている部屋へと向かった。

 すると廊下の途中で、こちらの方へ歩いてくる宗太郎さまと芳美ちゃんに出会う。

「お二人も目が覚めたのですか?」

「あ、鈴音」

 宗太郎さまが、私たちに気がついて顔をあげる。

「黒部さんの悲鳴が聞こえたような気がしたのですが・・・・・・」

「ああ。それなんだが、俺たちも今、あの人の様子を見に行ってきたところだ」

「そうでしたか。それで、何かあったのですか?」

「・・・・・・実は、出たらしいんだ」

「出た?」

 宗太郎さまの言葉に、小さく首を傾げる。

「・・・・・・黒部さんの話だと、別荘の外で幽霊が部屋をのぞいていたっていうんだ」

「ゆ、幽霊ぃ?」

 思わぬ言葉に、すっとんきょうな声をあげてしまう。

 雪山の別荘における幽霊事件。殺人事件と匹敵するぐらい、ドラマなんかで良くある展開って気もする。

「貧乏暴力メイド! あなたまでヘンな声あげないでよね。どうせ黒部のことだから、ヘンな夢でも見て寝ぼけたんでしょうよ。まったく、あの男も人騒がせだわ。あたしのボディーガードのクセに情けないったらありゃしない。今度こんなことがあったら、パパに頼んであのバカを解雇してやるんから」

 寝ていた所を起こされた腹いせか、芳美ちゃんの言葉は手厳しい。

「それで肝心の黒部さんは、今はどうなっているのですか?」

「俺たちが彼の部屋に行くと『窓の外に幽霊が・・・・・・』とか言って、そのまま気絶したんだ」

「・・・・・・それはお可哀想に」

「ふん! 可哀想なもんですか。幽霊なんて存在しないものを見たなんて、どうかしてるわ」

 吐き捨てる芳美ちゃん。そこへスーディアさんが真顔でつっこむ。

「お言葉ではあるが、幽霊はちゃんと存在するぞ」

 スーディアさんの一言で、宗太郎さまと芳美ちゃんは明らかにドキッとした顔をする。

「バ、バカなこと言わないでよ。幽霊なんている訳ないじゃない。あたしたちが子供だからって、そんなデタラメ吹きこむんじゃないわよ!!」

 叫ぶ芳美ちゃんの声は、心なしか震えていた。ひょっとして怖いのかもしれない。

 まあ、黒部さんのあんな悲鳴を聞いた後だと無理ないのかもしれないが、それでも虚勢を張る彼女は、ある意味で立派な気もする。

「とりあえず、外の様子を確認してきます。スーディアさんは私と一緒に来てもらえますか?」

「わたくしは構わぬ。幽霊など、どうということもないからな」

「それじゃあ宗太郎さまは、芳美ちゃんのことをよろしくお願いしますね」

 これ以上、芳美ちゃんを怖がらせるのも何なので、私はそう言って話を切り上げることにした。

「鈴音。気をつけていけよ」

「はい。スーディアさんも一緒ですし、安心してください」

 心配そうな宗太郎さまには、軽くウィンクだけ送っておく。

 こうして一度部屋に戻った私たちは、完全に着替えを済ませてから外に出た。

 この時には事情を説明して、マコトくんやティルにも同行してもらう。

 別荘の外は案の定、極寒といえる状態だった。深夜の時間ということもあって、その冷えこみ具合は尋常でない。

「ぐぅぉぉ〜。モノごっつう冷えるやんけ。幽霊なんぞ、ホンマにおるんかいな」

 私の手の中で、ホウキのマコトくんがブルブルっと震える。

「幽霊がいたら抗議してやるんだぞぉ。こんな寒い時に出て来るんじゃないぞぉって」

 ティルは私の懐に半ば潜り込みながら、顔だけをちょこんと出している。

「おい、妖精。今のおのれには、抗議する権限はあらへんぞ。鈴音の服の中でヌクヌクしよってからに」

「ヌクヌクしてないと、小さなわたしは冷凍生物になっちゃうんだぞぉ」

「何が冷凍生物じゃ。それを言えば、ワシかてこのままやったら“かちんかちんホウキ”になってまうがな」

 ティルとマコトくんのかけあいは、果てしなく理解不能だった。

 まあこれだけ元気ならば、“冷凍生物”にも“かちんかちんホウキ?”にもならないとは思うけど。

「マコぽんもそんなに寒ければ、鈴音ちゃんにヌクヌクしてもらえばいいんだぞぉ」

「おっ、そらエエ提案や。ちゅう訳で鈴音、ワシも中に入れたってくれや」

「はい!? 何でぇっ?」

 聞き返したときには既に遅し。マコトくんはひとりでに動き出し、スカートの下より侵入をはかろうとする。

「わっ、わっ、ちょ、ちょっと止めてくださいっ!!」

 まくれあがるスカート。必死に抵抗する私。だが、そんなマコトくんの動きは、スーディアさんが放った蹴りによって止まった。

「止めんか。この破廉恥ホウキ」

 ゲシッ!というものすごい音と共に、マコトくんは雪の中にめり込む。けれど、すぐに起きあがって大声で喚く。

「ぬわぁぁぁぁ〜〜〜、ちべたいがな〜〜。何するんや、このクソ姉ちゃん!」

「鈴音殿が嫌がっているであろう。悪ふざけにも限度があると思うが」

「ワシは単に寒かっただけで、悪ふざけしとったんちゃうわい」

「・・・・・・そうだとしても、少し目に余るものがあった。そんなに寒いのであれば、これで我慢するがよい」

 スーディアさんはそう言った後、小さく何かの呪文を唱えた。すると。

「おわっ! 急に寒さが無くなったでぇ」

「防寒の魔法だ。それをかけてやったのだから、これ以上の文句は言わせぬぞ」

「けっ、しゃあないのぉ。今回ワシを蹴ったことは、この魔法をかけたことによって帳消しにしといたる」

 悪いのはマコトくんの筈なのに、何故か態度が大きい。これもいつものことだけに、余計に突っ込む気はないけど。

 とりあえず私は、スーディアさんにお礼を述べておいた。

「すみません。助けてもらった上に、マコトくんがお手数をかけちゃって」

「簡単な魔法だから気になさるな。それよりも早く、幽霊がいるかどうか確認しましょう」

「そうですね。幽霊はさすがに黒部さんの気のせいだとは思いますが、念のため、他に不審なものがいないかにも注意してください」

「幽霊だろうが何だろうが、我々に害意を成すものなら排除すればよい。大体、芳美殿も黒部殿も頼りないことだ。幽霊ごときがなんだというのだ・・・・・・」

「それは仕方のないことですよ。こっちの世界はリートプレアと違って、霊的な存在は一般的ではないのです」

「面倒なことだ。馴染みがないから、必要以上に恐れる気持ちもわからぬでもないが・・・・・・」

 腕を組みながら、複雑な表情で白い息を吐き出す彼女。

「・・・・・・よもや鈴音殿まで、幽霊が怖いだなどと言わぬであろうな?」

「私なら大丈夫ですよ。リートプレアでそういう存在にも馴染んできたせいか、あまり怖いとは感じません」

 幽霊といっても、実際には色々なタイプがいる。

 大抵は生前にやり残したことが未練となって、魂が浄化されなかったものが幽霊となるのだが、そういう存在は良く話し合った上で未練となるものを晴らしてやれば殆ど害もない。

 たまに、怨念のみにとらわれ、生きる者に害意を抱く存在は厄介だったりするけど・・・・・・。

 結局は幽霊も、扱い方さえ心得ていれば、人間と大差ないのだ。良い人間、悪い人間がいるように、幽霊という存在もそれほど大きな違いはないと思うから。

 とはいえ、そう平然と言えるのも魔法という力があってこそだ。魔法があるからこそリートプレアの人間は、霊とも接触できるし、それを祓う術も心得ている。

 魔法が一般的ではないこっちの世界で、霊的な存在が恐れられるのも、そういった違いがあればこそだ。

「鈴音殿は死霊系の魔法には長けておるか?」

「・・・・・・知識としてはありますが、長けているとは言えませんよ。私は魔法使いとして未熟ですし」

「そうか。ならば、いざという時はわたくしで何とかしよう。霊を感知し、それらと話す魔法ぐらいは心得ておるからな。だが、話し合いの通じぬ相手の場合は、攻撃的な魔法で援護してくれることを願う」

「こ、攻撃魔法って・・・・・・そういうのもあんまり得意では・・・・・・」

 霊的な相手と戦う場合は、大概において物理的な攻撃がきかない。そういう時は、魔力を攻撃的な形に変換した魔法を使えば良いのだが、どうもそういうのは苦手だった。

「鈴音殿は一体、どういう魔法なら得意というのだ?」

「うぅ。・・・・・・自分でもこれといって・・・・・・何が得意なのか、わからないといいましょうか」

「よくそれで正式な魔法使いになれたものだ」

 少し呆れたようなスーディアさんの声。

 何とも言えなく、自分が惨めになる瞬間でもある。

「スーディアちゃん、あまり鈴音ちゃんを苛めるようなこと言ったらダメなんだぞぉ」

 ティルとがスーディアさんに抗議した。

「別に苛めているつもりはない。単に思ったことを口にしたまでだ」

「でも、そういうのってどうかと思うよぉ。第一、スーディアちゃんは、鈴音ちゃんの本当にスゴイ所がわかってないんだぞぉ」

「本当にスゴイ所?」

「鈴音ちゃんはね、魔法よりも大事なことを知っている。その大事なことが、最終的には魔法の力そのものにも影響を及ぼすんだぞぉ〜」

「魔法よりも大事なことか。・・・・・・それは是非、鈴音殿に聞いてみたいところであるな」

 スーディアさんが私の方に視線を戻し、話の矛先がこちらへ向く。

 とはいえ、急にそんなことを言われても困ってしまう。魔法よりも大事なことなんて、私だってわかっていないのだ。

 そんなの意識したことないもの。

「申し訳ありません。それに関しても、どう答えて良いのやら・・・・・・」

 結局は、期待されても答えようがないだけに、謝るしかない。

「まあ、答えを知りたいんやったら、鈴音に語らすんやのうて、己の気持ちとして感じてみることやな」

 マコトくんが悟ったような口ぶりで言う。

「そうすれば、わかると申すのか?」

「姉ちゃんが義理人情に厚いんやったら、わかるかもしれん」

 何だか、本題からそれまくりのような気がする。

 外の様子を確認しにきただけなのに、何だって寒い中で問答しあわなきゃいけないのだか・・・・・・。

「とりあえずお話はそれぐらいにして、今は別荘の周りを確認しませんか?」

「それもそうだな。危うく本来の目的を忘れるところであった」

 スーディアさんが言ったその時である。

「あれ? あっちの窓の下に、足跡みたいなのが見えるぞぉ〜」

 私の懐にいたティルが、にゅっと身を乗り出して叫ぶ。

「足跡?」

「こっちなんだぞぉ〜」

 寒さを気にする様子もなく、ティルが飛び出して先導してくれる。私たちはそれに続いた。

 こうして、彼女に案内された場所には、見事なまでに人の足跡が雪に刻まれていた。

「・・・・・・人の足跡。それも大人ぐらいの大きさだな」

 地面にしゃがみこんだスーディアさんが、そう判断する。

「足跡があるってことは、幽霊なんかじゃなさそうだねぇ〜」

 ティルも覗き込みながら、むむぅと唸る。

「一体、誰の足跡なのでしょう? 私たちは誰も外に出ていませんよね」

 雪に刻まれた跡からいっても、それほど時間が経っているとは思えなかった。

 今だって小雪がちらついているのだ。数時間前のものならば、消えていてもおかしくない。

「おい。この上にある部屋って、あのオッサンの部屋と違うんかい?」

 マコトくんが別荘を見上げながら言う。確かにこの場所から真上二階は、黒部さんが使っている部屋のあたりだ。

「この足跡の主が、黒部殿が見たという幽霊と思って間違いないであろうな」

「でも、黒部さんの話だと、窓の外から幽霊が覗いていたんですよね? こんな場所から二階の窓まで、どうやってあがったのでしょう」

「確かに疑問ではあるな。登れそうな場所はこれといって見当たらぬし、だからといって梯子をかけた様子もない。魔法などで浮かべば話は別だが、この世界ではその可能性も低い」

 腕を組んで考えるスーディアさん。

「黒部のおっちゃんが見間違えたとかないかな〜。本当は窓の下にいたものを、窓の外から覗いているみたいに勘違いしたとか」

「それはあるかもしれませんね。私たちも宗太郎さまから話を聞いただけで、はっきりと黒部さんの口から聞いた訳でもないし」

「・・・・・・けど、幽霊がオッサンの見間違いやったとしても、別の面で妙なもんがあるで」

 今度は地面の足跡を見つめながら、マコトくんが指摘する。

「ほれ、見てみい。雪の足跡はここで途切れてどこにも向かった跡がないんや」

 マコトくんの言う通りだった。足跡はここで途切れ、どこかに向かった様子も、戻った感じもない。

 つまり足跡の主は、ここで姿を消しているということ??

「ううむ。ミステリーって感じだぞぉ〜」

 ティルはヘンに感心しているが、正直、不気味でならなかった。

 誰のものかもわかない謎の足跡が、不自然に消息を絶っているのだ。

「鈴音殿。わたくしは別荘の周囲をもう少し調べてみる。そなたは中へ戻って、宗太郎殿たちの安否を確認してほしい」

「そうですね。私も中の方が気になってきました。申し訳ありませんが外の方はお任せします」

 こうして外のことはスーディアさんに託し、私は宗太郎さまたちの元へ戻った。その途中、マコトくんとティルには、先に部屋へ戻っておいてもらう。

 宗太郎さまと芳美ちゃんは、別荘の居間にいた。とりあえずは二人とも、なにも異常はないみたいで安心する。

「外の様子はどうだった?」

 私が戻るなり、そう訊ねてくる宗太郎さま。

「今のところは何も見つかってはいませんよ。スーディアさんが念を入れて見まわってはくれていますが、多分大丈夫でしょう」

 とりあえず、無難にこう答えておくことにした。あまり正直に言いすぎて、二人を不安にするのも何だったし。

「それより、宗太郎さまたちもお休みになられてはどうですか。後の事は私たちで何とかしますし」

「そうしたいんだけどな・・・・・・」

 宗太郎さまは途中まで言いかけて、芳美ちゃんの方をちらりと見る。

「あたしはまだ休まないんだから。これから宗太郎くんとゲームするんだから邪魔しないで」

 芳美ちゃんはトランプのカードをきりながら、そっけなく言い放つ。

「ゲームはまた、起きてからにしてはいかがですか? ちゃんと休んでおかないと、疲れてしまいますよ」

「うるさいわねぇ。寝つけないんだからゴチャゴチャ言わないでよね」

「・・・・・・俺は寝たいぞ」

 ボソリと呟く宗太郎さま。芳美ちゃんはすがるような目で彼をみつめる。

「そんなこと言わないであたしと遊んでよぉ! 宗太郎くんだけ寝ちゃうなんてズルいわ」

「ズルいって言われてもな・・・・・・。そう思うんだったら水沢も休めよ。意外とすぐに眠れるかもしれないぞ」

「簡単に眠れたら苦労しないわよ〜。・・・・・・宗太郎くんがどうしてもダメだって言うのなら、あなたでもいいわよ。貧乏暴力メイド」

「え? 私ですか」

「そうよ。あなたよ。あたしからゲームに誘われるなんて光栄なことなんだから感謝なさい」

 何だか複雑な言われよう。仮に光栄なことだったとしても、あまり感謝したい気持ちになれない。

 でも、これほどまでに起き続けることにこだわる芳美ちゃんの理由も、何だか判る気がする。きっと一人で眠るのが怖いのだろう。

 かといって、それを指摘するのは躊躇われた。彼女が認めないのは見えているもの。とはいえ、このまま徹夜させてしまう訳にもいかないし・・・・・・。

 私はしばらく悩んだ後、とりあえずこう答えることにした。

「お誘いはありがたいのですが、私も寝たいですね・・・・・・」

「何ですってぇ〜!! このあたしがせっかく誘ってあげたのを断るっていうのぉ?」

「・・・・・・はい。眠いですから。ただ、ひとつだけ問題があるんですよね。寝るに関しても」

「問題って何よ?」

 怪訝そうな顔で問う芳美ちゃん。ここで私は、少し気弱そうな表情をつくりながら小さく答える。

「一人で寝るの・・・・・・怖いんですよ。何も出ないとはわかっているのですが、それでも不安で・・・・・・。スーディアさんもまだ外に出たままだし」

「あなた、バッカじゃないの。いい年して、一人で寝るのが怖いだなんて」

「お恥ずかしい限りです」

 できるだけ情けない様子を装いながら、ここでとどめの一言を続ける。

「・・・・・・もし、芳美ちゃんさえよろしければ、私と一緒に寝てもらえないでしょうか?」

「はぁ? 何よそれ。どうしてあたしが、あなたみないな貧乏くさい女と寝なきゃいけないのよ」

「ダメでしょうか。・・・・・・だったら宗太郎さまに一緒に寝てもらよう頼むしか」

「それはもっとダメぇ〜!!」

 ダンっとテーブルを叩き、立ち上がる芳美ちゃん。そして。

「わかったわよ。あなたと寝てあげるわよ。それでいいんでしょ」

「いいのですか? 嬉しいです」

 私は、心底嬉しそうな表情で彼女に感謝をする。

「本当に特別なんだからね。あたしの優しさに感謝しなさい」

「はい。勿論です。このご恩は一生忘れないくらい感謝しちゃいます」

「……本当にいいのか、鈴音? ……な、なんだったら、俺と一緒に寝るほうが……」

 宗太郎さまがボソボソと小声でそんなことを言う。しかし、芳美ちゃんが大声で叫ぶ。

「バカなこと言わないでよ。宗太郎くん! こんな女と寝たら、宗太郎くん大ぴんちになるわよっ」

「何が大ぴんちなんだ?」

「そっ、そりゃあ……色々よ。○○が××で△□になってもいいのぉっ」

「水沢……おまえ、何言ってんだか、さっぱりわかんない」

 私も宗太郎さまと同意見だった。なんとなくロクな意味でないのだけはわかるのだけど。

「と、とにかく。この女と寝るのはあたしに決まったの! さあ、あなたもとっとと付いてきなさい」

 芳美ちゃんは強引に私の手を引っ張っていった。ひきずられる私は、宗太郎さまに「おやすみなさい」を言うのが精一杯だった。

 そして廊下へ出て、二階への階段を登ろうかという時、先を歩いていた芳美ちゃんが急に立ち止まった。

「・・・・・・あなたってバカね。見え見えなのよ。ヘタな芝居」

「え?」

「一人で寝るのが怖いだなんて嘘でしょ。あたしに気を遣っているのはわかっているんだから」

 振り向きもせずに、そう言う彼女。

 私は否定も肯定もしなかった。ただ、芳美ちゃんの聡明さに感心する。

 彼女はちゃんとわかっているのだ。自分自身の弱さのことなど。彼女はそれを他人には見せたくないだけ。

「あたしがあなたの提案にのったのも、あれ以上不毛な掛け合いをしていても惨めになるからよ。ヘタに気を遣われるのって、こっちからすればいい迷惑だわ。でもね・・・・・・」

 芳美ちゃんは、私に振り向く。

「あなたのおかげで、宗太郎くんに余計な迷惑をかけずに済んだことは感謝してあげる。あのままきっかけがなければ、あたしは彼にわがままを通していたかもしれないもの」

「そうですか」

 私は小さく、笑顔で頷く。ただ、それだけ。

 芳美ちゃんはまた、クルリと背を向けた。

「・・・・・・さ、寝に行くわよ」

「はい」

 再び歩き出す芳美ちゃん。私は素直に従った。

 外の様子も気にならないではないが、今は彼女が寝つくまで側に居てあげようと思うから。

 

§

 

 昨晩の騒ぎから、一夜が明けた。

 後でスーディアさんに伝え聞いたところ、私と別れてからは何も掴めなかったと言う。つまりあの謎の足跡に関しては、未だもって不明と言う事だ。

 そんな訳で私とスーディアさんは、朝食をとった後、黒部さんの部屋を訪ねてみることにした。

 黒部さんは昨夜に気を失って以後、朝に一度目を覚ましているが、どうも本調子でないということで、今はまだ部屋で休んでいる。

 こうして彼の部屋に訪れた私たちは、軽い食事を差し出すついでに、昨夜、何を見たのか訊ねてみた。

「・・・・・・俺がみたものは、まぎれもなく幽霊だと思う」

 私たちの質問に対し、黒部さんは重い口調で語り出す。

「昨晩は風の音がうるさく、俺は目を覚ました。だがその時、窓の外に何かの気配を感じたのだ。気になった俺は窓に近づいてみた。するといたんだ」

「幽霊がですか?」

「ああ」

 目を伏せて小さく頷く黒部さん。その顔は血の気も失せているのか、蒼白に近い。

「・・・・・・その幽霊は、宙に浮かんで窓をのぞいていたのか?」

 近くにあった椅子に腰をかけ、スーディアさんが問う。

「そうだ。そっちの窓に、梯子も何もなく、宙に浮かんでいたのだ」

 黒部さんが指さした窓の下は、昨夜、私たちが謎の足跡を見失った場所に間違いない。

 そのことを考えても、彼が単に幻をみたとは考えにくい。

「その幽霊ってどんな感じだったのでしょうか? やはり人みたいなものですか」

「・・・・・・人と言えばそうかもしれん。だが、実際にはよくわからんかった。赤い衣で全身を包み、その顔さえハッキリとは見えなかったからな」

「赤い衣の幽霊ですか」

 色々と知識をほりかえしてみるものの、そんな類の幽霊は私にも覚えが無い。

「他に覚えていることはないのか? 貴殿に何か話し掛けてきたとか?」

「それはないと思う。仮に何かを言っていたのだとしても、気が動転して覚えてもおらん」

「・・・・・・そうか」

 スーディアさんは、腕を組んで唸る。

「今の俺に言えるのはそれぐらいだ。情けない話だがな。だが、確かに見たのだ。あれは夢なんかじゃない」

 黒部さんは必死に、それだけを訴えた。

「わかりました。私たちも少し注意してみます。ですから、今日はゆっくり休んでおいてください」

 これ以上、問うのは無理に思えた。また、今の彼の状態では、謎の足跡の話をするのも躊躇われる。

 黒部さんの精神状態は、まだ不安定ともいえるから。

 こうして私たちは、一旦彼の部屋を離れて廊下に出た。

「黒部さん、かなり参っているようですね」

「ああ」

「でも、赤い衣の幽霊なんて、スーディアさん心当たりあります?」

「残念だが・・・・・・覚えはないな」

「ですよね。まあ、黒部さんが何かを見たのは確かだとは思いますが。昨夜の足跡のこともありますからね。ただ、それが幽霊かどうかも疑問だし」

「・・・・・・宙を漂う霊に、普通は足などないだろうからな」

 そう言ってからスーディアさんは、ふいに廊下の壁に寄りかかった。

 いや、それはどちらかというと、倒れこんだようにも見える。

「どうかなさいましたか、スーディアさん?」

 彼女の様子が少しヘンだったので、心配して近づく。

「すまぬ。気になさるな。少し寒気がして、体調が優れぬだけだ」

「寒気ってそんな! 少し失礼しますね」

 一声かけてから、彼女の額に手をあてた。

 すると。

 かなり熱かった。

「スーディアさん、すごい熱です。いつからこんな状態なんですか?」

「寒気を感じたのは、今朝起きてからだな」

 私は小さく唇を噛んだ。きっと昨夜、外で色々と調べていた事が、体調を崩すきっかけになったのだと思う。

「とにかく部屋に戻って休みましょう。こんな状況で起きていても辛いだけでしょうし」

「大丈夫だ。これくらいの熱ぐらい、どうということはない。それよりも今は、謎の足跡についても調べねばならぬであろう」

「そんな熱では無理です。余計に体調を崩したらどうするのですか」

 とりあえずスーディアさんに肩を貸し、強引に部屋まで連れ帰った。

 私たちが部屋に戻ると、ティルとマコトくんが驚いて見てくる。

「あれぇ? どうかしちゃったのぉ。スーディアちゃん」

「何ぞ、怪我でもしよったんかい?」

「怪我というわけではありません。体調を崩して高い熱があるみたいなんです」

「うわっ、それって風邪でもひいたってこと?」

「そうだと思います。お医者さまにみせていないので、はっきりしたことはいえませんが」

 私は、スーディアさんをベッドに横たわらせると、持参した荷物の中から薬などを探す。

「鈴音殿。わたくしなら本当に大丈夫だ。これぐらい、魔法で治せばあっという間に楽になる」

「・・・・・・・・・・・・」

 確かに魔法には、病気を治すものだってある。でも、私はそういうものに少し抵抗があった。

 魔法で治せば、すぐに楽にはなるだろう。けれど、それで本当に病気を治したと言えるのだろうか? 

 結局はその場しのぎでしかないような気がする。

「スーディアさん。魔法で治すよりは、ちゃんと身体を休めて治す方が良いと思いますよ」

「しかし、それでは回復までに時間がかかるであろう。第一、鈴音殿たちにも余計な世話をかける」

「私は余計な世話だなんて思っていませんよ」

「仮に鈴音殿がそうであるとしても、わたくしのほうの気が引ける」

「でも、病気を治す魔法なんて、私ではうまく使えませんよ」

「それなら、わたくしで何とかする」

 そう言ってスーディアさんは呪文を唱えようとするが、どうも辛そうな感じに見える。

 魔法を使うときは、かなりの集中と精神力を要する。病気の状態でそれを成す事は、ある意味で余計な負担を身体に負わしかねない。

「スーディアさん。無理はいけません」

 呪文がうまくいかない様子の彼女を、私はそっと止めた。スーディアさんは、唇を噛んで悔しそうにうつむく。

「……情けない限りだ。熱ごときで、まともに呪文の集中もできぬとは」

「体調の悪いときは仕方ありませんよ」

「しかし……」

 まだ何かを言おうとするスーディアさん。私は彼女の言葉をさえぎって、ふいに訊ねた。

「スーディアさんは、魔法の本質が何であるのか知っていますか?」

「急に何を言い出すのだ。……魔法の本質は“見えざる真理”に呼びかける、願いの力であろう」

「さすがはスーディアさん。その通りです。では、魔法の本質が“願いの力”であると、どこまで意識していますか?」

「意識か。そう問われると、どう答えて良いのかわからぬな。正直、そのようなもの、あまり意識したことはないのかもしれん」

「これって、リートプレアの人にとっては意外な落とし穴なのかもしれませんね。本来、願いとは、こうなってほしいと思うことであって、必ずしもかなうものではありません。でも、だからこそ人は、その願いがかなえようと一生懸命に努力する。リートプレアには、なまじ魔法が日常的にある分、その願いというものが軽々しくはありませんか?」

「……確かにそうかもしれんな。当たり前のように使える力と思っていただけに、それが“願い”であることなど意識する機会もなかった」

 自嘲気味につぶやき、顔をうつむけるスーディアさん。

「そういう時こそ、魔法に頼らず、遠回りすることも大事なんだと思います」

「遠回り……」

「そうです。遠回りして、私に余計な世話をかけちゃってください。それで気が引けるようなら、それこそがチャンスです。そこで私に迷惑をかけない為にも、早く治りたいって“願える”筈ですから」

 私はそう言って、にっこりと微笑んだ。

 魔法は純粋なる願いの力。

 自分のためへの願い。人のためへの願い。願いの形はさまざまであるが、大きな願いほどかなえるのは大変なのだ。

 願うための理由や動機がなければ、簡単にかなうものではない。

 でも、きっかけを与えれば、ちゃんと願いに通じる道ができる。

 何事においても大事なことは、それを成すためのきっかけ。それは、魔法も日常の物事も変わらないと思う。

 スーディアさんが小さく息を吐き、肩の力を抜いた。そして。

「ティル殿。昨夜、鈴音殿は魔法よりも大事なことを知っていると申していたな。その言葉、わたくしにもわかった気がする」

「うんうん! それなら良かったぞぉ〜。これからも鈴音ちゃんのスゴイ所が段々わかっていくと思うぞぉ」

「そうだな。彼女からは、わたくしの方が学ぶべきことが多いのやもしれぬ。いずれは師匠とお呼びしなければな」

 二人の会話は、少しくすぐったいものだった。良く言ってくれるのは嬉しいのだけど、過剰な評価って気もする。

 けれど、今は何も言わなくてもいいだろう。スーディアさんも冗談が言えるくらいには、落ち着いてくれた様子だし。

 ……それ以前に“師匠”っていうのは冗談だよね。本気で言ってたら困るけど。

「わたくしも今回は、鈴音殿の申し出を聞いて、素直に身体を休めるとしよう」

「そうですね。それがいいです」

 私はそう言って、彼女に毛布をかけてあげる。

「幽霊の事に関しては、私のほうでも判りそうなことを調べてみます。ですから、今はゆっくりとお休みください」

「世話をかけて申し訳ない」

 目を閉じるスーディアさん。私は無言でうなずいた。

 そして。

「スーディアさんの看病もそうですが、幽霊騒ぎの事に関しても、何かあったら手伝ってくださいね」

 マコトくんとティルに向き直って、改めてそうお願いしておく。

 この願いに対し、二人が迷わず了解してくれたのは言うまでもない。

 何だかんだといっても、仲間がいてくれるのは、それだけで頼りにも励みにもなる。

 私にとっては、そういう仲間を得ることこそ、魔法よりも大切なもののような気がする……。

 

 

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