◆
infinity Bell ◆
Kyrite, ignis divine, eleison.
(
主よ、聖なる炎よ、憐れみ給え)
STORY
V「人であるということ」
「美味しいですか、ルミエちゃん?」
「はい、美味しぃです。ユーティアさん」
ピーナッツバターをふんだんに使ったサンドイッチを口にしながら、二人の少女が頬を寄せ合うようにして微笑む。
あまりにも幸せそうなその表情は、完全に夢見心地といった感じ。それこそ、美味しさにほっぺがとろけおちそうという様子である。
今は、ささやかなお昼休みのひととき。リリエル駅の駅員ユーティアとベルの街の図書館司書であるルミエは、霊星クリエを眼下に一望できるこの広場で、至福の時間を過ごしていた。
ここはユーティアにとってお気に入りの場所。彼女がリリエル駅の駅員になることになった、記念すべき場所でもある。
衛星軌道ステーション“インフィニティ・ベル”内部に存在するクリエ惑星間鉄道。そこのリリエル駅で勤務を始めてから、はや一ヶ月。ユーティアは駅業務をこなす上での最低限の仕事を覚え、ようやくここでの生活にも馴染み始めた頃であった。
そして、駅の仲間たち以外にも、ルミエという新しい友達も出来た。彼女とは初めて出会った日の出来事以来、積極的に慕われることとなったのだ。
あとはお互い、マイペースなのんびり屋ということもあり、自然と波長も合っていったという感じである。
「次はわたしからユーティアさんへ。これ食べてみてくださぃ〜」
そう言うとルミエはビスケットを取り出し、それにベリー系のジャムを塗ってユーティアに手渡そうとした。
「わ〜。ありがとう。いただきます」
ユーティアが受け取ろうと手を伸ばした。その瞬間。
背後から誰かがひょいっとビスケットを取り上げ、遠慮もなくそれを食べてしまう。
「「あ……」」
ユーティアとルミエはポカンとなって、自分たちの座るベンチの背後にいる人物へと振り返った。そこに立っていたのは、真っ白い図書館司書の制服に身を包んだ、ルミエとそっくりな顔立ちをした少女。ただ彼女よりも目つきが鋭く、態度も堂々としている。
ルミエの双子の姉であるアルエであった。
「あれ、姉さん?」
「まったくもう。あれ、姉さん?、じゃないわよ。またアンタってばこんなところに来て」
「お昼休みなんだし別にいいでしょ……そんなのわたしの自由だもん」
ルミエは小声で言い返した。アルエは苦笑したように肩を竦める。
「別に責めるつもりはないのよ。ただ一言ぐらいは声をかけていってよね。心配するじゃない」
アルエは諭すように言った。
彼女はルミエとは正反対で言いたい事はハッキリいうタイプだ。語調を厳しく感じることはあるが、心根は優しい子であることをユーティアは知っている。そこにはいつだって、気の弱い妹を守ろうとする愛情に溢れていたから。
「それに最近、一緒に昼食も摂ってくれないし。あたしだって寂しいじゃない……」
「ごめんなさい。姉さん」
「よければアルエさんもご一緒にどうですか? とっておきのピーナッツバターサンドをご用意しますよ」
ユーティアはベンチの席をつめて、アルエを誘った。
「…………いいの?」
「どうぞ、どうぞ。歓迎しますよ〜」
「んじゃせっかくだし、お言葉に甘えるとしようかしらね」
「時間の許す限り、のんびりしていってください」
にこやかな笑みでユーティアは言うと、早速ピーナッツバターサンドを用意する。アルエはそれを受け取ると口を大きく開けてかぶりつく。
「姉さん、もっと上品に食べようよ」
「うるひゃい。れも、にゃかにゃかおいひい」
口の中をモゴモゴさせながらアルエは言う。その豪快な食べ方は見ようによってはこちらの食欲もわいてくるような、美味しそうな食べ方だった。
そこでユーティアはすかさず、持参してきた紅茶をいれる。
「喉につまらせないように紅茶もどうぞ〜」
「ありぎゃと」
アルエは紅茶を流し込み、ふうっと一息つく。
「うん。美味しかった。ありがとうね」
「お粗末さまでした。よければまだありますよ」
「さっきお昼は食べちゃったし、今はもういいわ。それよりアンタ、なかなか気が利くわね」
「そうですか? 私は普通かと」
「ミズキが相手だとこうはいかないわよ。あたしが喉を詰まらせそうになっていても、知らん顔だし」
「ははは」
ユーティアは苦笑した。彼女にとってミズキという人物は、年下とはいえ仕事場における先輩にあたるので、あまり失礼な相槌はうてない。ただアルエたち双子とは幼馴染みの間柄らしい。
「それより仕事にはもう慣れた?」
「はい。徐々にではありますが何とか。皆、わかりやすく指導してくださるので」
「ミズキもブチ切れたりとかしてない?」
「は、はぁ……特にそういうようなことはないかと」
何をもってブチ切れるのかはわからないが、特にそのようなことはないと思う。
「ふ〜〜ん。アンタって思ったより有能なのね。もっとトロそうな子に見えたんだけど、ミズキがキレないなら見所はありね」
「ね、姉さん。ユーティアさんに対して失礼すぎだよぉ〜」
ルミエはブンブンと手を振り回して姉に抗議する。
「ああ。ゴメンねぇ。別に悪気はないのよ。それに一応は褒めてるつもりなんだから」
悪びれもせずに言うアルエ。ユーティアも別に気を悪くはしていないので笑って頷く。
「ミズキさんってそんなにキレやすい人なんですか?」
「気が短いのよ。だからモタモタしている人物をみると、すぐにイラっとくる感じ」
「ああ。なんとなくそういうのはわかる気がします。でも、キレちゃうなんてことはないですよ。さりげなく手も貸してくれますし」
「ほ〜〜。アイツも少しは大人になったということかしら」
幼い頃のミズキはわからないが、ユーティアの知るミズキは有能で尊敬できる先輩だ。
「きっとそうですよ。とてもプロ意識の高い方でもありますし」
「ま、アイツは昔から努力家ではあったわね。自分自身に対しても厳しい奴だったし」
「さすが幼馴染み。ちゃんとミズキさんの事をわかっているんですね」
「良くも悪くもライバルだしね」
アルエのその言葉からは、何だかんだ言いつつもミズキのことを認めているような響きが感じられる。
「駅長のマリーツィアさんはどんな感じなの?」
「と〜っても優しい人だよ」
答えたのはルミエだった。
「ルミエ。アンタ、話したことあるの?」
「うん。何度かね。この前もここで昼食をとっていたら、焼き立てのアップルパイを差し入れにきてくれたの」
「マリーツィアさんはお菓子作りも得意だからね」
休憩時間には、良く手作りのお菓子を振る舞ってくれたりする。それは店で売られている物並みに美味しかったりした。
「以前、姉さんにクッキーを持ち帰ったのを覚えてる? あれもここの駅長さんの手作りなんだよ〜」
「マジで? 可愛いラッピングもしてあったし有名店のものだと思ってた」
「マリーツィアさんはそういう所もこだわる方なんですよ」
「羨ましいわね。若くて綺麗な駅長さんだとは知ってたけど、そういう才能もおありとは」
「女性としては憧れるタイプですよね」
全員がウンウンと頷いた時、ユーティアはふと遠くにいる人影に気づいた。そこには、サイズのあっていないくたびれたコートを身にまとった、銀髪の少年がいる。
ユーティアはその少年に見覚えがあった。以前、リリエル駅の改札でミズキと問答になっていたからだ。
その少年は、どうしても霊星クリエに渡りたいということであったのだが、乗車チケットを買えるだけの金銭を持ち合わせていなかった為、お帰り願うことになったのである。
それが確か、二日ほど前の事だ。
「どうかしたんですか、ユーティアさん?」
視線を少年に向けている彼女に対し、ルミエが訊ねた。
「あ。ええ。あっちにいる人がいますよね。あの人、この前に駅で見かけた人だったもので」
そう言ってユーティアは、駅であった出来事も説明する。
「ふ〜ん。顔立ちは悪くなさそうだけど、みすぼらしいガキね」
アルエが容赦のない評価を下す。しかし、その途中から更に目を凝らし「あ!」と呟く。
「あたしもアイツみたことあるわ。昨日の夕方、ベルの街で仕事を探してたっぽいけど、店から追い出されてたヤツよ」
「街の住人じゃないんですか?」
「違うと思うわ。今までみたことない顔だもん。となると旅人なんだろうけど、お金が尽きてバイトでもしようとしたのかしらね」
「クリエに渡る為のお金を、稼ごうとしてるのかも」
ルミエも小声でささやく。
「だとしても甘っちょろいわよね。ここの住人でもないのに、いきなり店に頼み込んで仕事を与えてくれるような所、今どき見ないわよ。然るべき場所で斡旋してもらわないと」
「そうだよね……」
「ま、あんまりかかわりあいにはなりたくないわね。家出少年か、浮浪児って感じだし」
「姉さん、それは言いすぎだよ」
アルエとルミエがそんなやりとりをする間も、ユーティアは少年のことが気にかかって仕方がなかった。
今、少年はベンチに腰掛けて霊星クリエを見つめている。
この前に見たときもそうであったが、どこか物悲しげな雰囲気が漂っていた。
いや。むしろ今日は以前よりも更にその色が濃いように思える。
クリエを見つめる少年の目は、そこに憧れているというよりは、救いを求める者の目に見えた。
彼には何かしら、クリエに行きたがるだけの事情がある。それもただならぬ事情として。
ユーティアは本能的にだが、そう感じとっていた。
ただ、そういった事情に自分が立ち入って良いのかまでは、正直なところわからないでいる。
声をかけるべきか否か。
しかし。無闇やたらに相手の事情に踏み込んで、責任がとれないのも迷惑な話だ。
けれど、これだけは言えた。今のあの少年は、数ヶ月前の自分と重なるものがある、と。
悲しさまでは漂っていなかったにしても、彼女もあのベンチで、霊星クリエへの想いを募らせていたのだから…………
※
結局、ユーティアは昼間の少年に声をかけることはできなかった。
ずっと気にはなっていたが、悩んでいるうちに休憩の時間も終わり、駅の業務に戻らざる得なかったからだ。そして、その後の休憩時間に見に行った頃には、少年の姿はベンチから消えていた。
ユーティアは今日一日の業務を終え、与えられた自室へと帰ってきた。そして帽子だけ脱ぐと、あとは着替えをすることもなくベッドに腰掛ける。
いつもならばシャワーを浴びたりするところだが、今は頭の中がぼんやりとしていて、そのことも忘れている。幸いを言えば、仕事中にそういう状態にならなかったのだけは救いといえよう。
ユーティアはベッドの側にある窓から、霊星クリエを見つめた。その星には彼女が大好きであった祖父が眠っている。
「…………おじいちゃん、聞いてください。今日、私はある少年のことが気にかかりました」
既に亡くなっている祖父は何も答えてはくれないが、それでもユーティアは祖父の眠る惑星に語りかけるのが日常となっていた。
「その少年はこの前、クリエに行きたがっていたお客様でした。でも、お金が足りなくてクリエには行けないようなのです。それはそれで仕方がないと諦めてもらうしかないのですが、私は今日見た少年の、悲しそうな雰囲気が忘れられません」
もし、もう一度、あの少年をみかけたとしたら、私はどうするべきなのでしょう?
そう語りかけようとした、その時である。
自室に備え付けられた内線の緊急のコールが鳴り響いた。
ユーティアは我に返ると、慌てて受話器を取る。このようなコールが鳴り響くということは尋常ではない事態の発生を意味するからだ。
「はい。こちらユーティアです」
「ユーティアちゃん。すぐに駅長室まで来てくれないかしら。ちょっと非常事態なの」
受話器の向こう側から駅長のマリーツィアの声が聞こえる。
「何があったのですか?」
「来てくれてから話すわ」
「……わかりました」
ユーティアは通話を終えて帽子をかぶりなおすと、早速駅長室に向かう事にした。
このような事は初めてなので、何が起きているのかという不安はある。かといって、取り乱す訳にもいかなかった。マリーツィアの声音は落ち着いていたようにも思えるから、命に関わるような切羽詰った状況ではないと信じたい。
こうしてユーティアは駅長室の前までやってくると、そのまま室内へと入った。
「お待たせしました」
「全員揃ったわね」
既にミズキもこの場所に来ていた。
「非常事態との話ですが、一体なにがあったのですか?」
「駅構内に侵入者がいる模様です」
答えたのはミズキだった。
マリーツィアは頷くと、駅長室の各システムを起動させる。そして、テーブルの上に駅構内の立体マップを表示させた。
そのマップの一画では赤い光点がひとつ移動している。それが侵入者の存在を示しているのだろう。
「現在、侵入者は七番線への連絡通路を移動しているみたいね」
「とりあえず一人だけのようですが、何が目的なのでしょう」
ミズキが腕を組んで光点を見守る。
このリリエル駅には入り口にシャッターがある訳ではないので、駅構内に侵入するだけなら容易い構造をしている。しかし、その分だけ他のセキュリティーは強固で、正規の乗車チケットを持っていなかったり、駅員の許可のない人間が改札を越えて侵入したりすると、すぐにイレギュラーな存在として警戒センサーに感知されるのだ。
「相手は、こちらが気付いていることがわかっているのでしょうか?」
ユーティアは不安そうに訊ねた。
「多分、気付かれてはいないと思うわ。緊急コールは駅員居住区画にしか発してないから」
「無闇に侵入者を刺激するのも危険ですからね。まずは相手の状態を見極めるのも大事なことです」
「なるほど」
さすがマリーツィアとミズキは冷静であった。ユーティアもそれを見習わなければと思う。
「そろそろ監視カメラにひっかかる位置ですね」
「モニターしてみるわ」
マリーツィアがタッチパネルを操作すると七番線の第二カメラの映像がモニターされる。
そこに映し出された侵入者の姿を見て、ユーティアは目を丸くした。
「あの子は…………」
正直なところ、嫌な予感はしていた。そして、その予感は見事に的中した形となる。
そう。侵入者は彼女が気にかけていた例の少年だったのだ。
「この前、所持金が不足していて乗車チケットが買えなかった少年ですね。それにしてもこのような強引な手で駅に侵入してくるとは。このままどこかに隠れおおせて、密航でもする気なのでしょうか。だとすると、こちらも随分と舐められたものです」
ミズキが不機嫌そうに言い捨てる。
「表面的にスキャンをかけてみたけど、危険物の所持反応はないわね」
マリーツィアがほっとしたように呟く。
「とりあえず鉄道警備隊に連絡の上、引き取りにきてもらいますか?」
指示を仰ぐミズキ。しかし、ユーティアはそれに割って入った。
「あ、あの、そこまでしなくてもいいのではないでしょうか」
「何を言い出すのですか、ユーティアさん。それはあなたがどうこう言うべきことではないでしょうに」
「でも、まだ少年ですし……」
「そんなの関係ありません。不法侵入は立派な犯罪です。第一、本当に少年の将来を考えるなら鉄道警備隊に保護してもらうほうがいいにきまっているでしょう」
ミズキは物凄い剣幕でユーティアへ詰め寄った。マリーツィアがそれを仲裁する。
「二人とも言い争いは良くないわ。でも、あまり大袈裟に事を運ぶのも何だし、まずは自分たちであの少年を保護することにしましょう。警備隊に引き渡すかどうかは、それから判断しようと思うわ」
「なら、私がふんじばってきます」
「いいえ。ここはわたしで行くわ。ミズキちゃんはここでのバックアップをお願い」
「危険です! 駅長にもしものことがあっては」
「大丈夫よ。相手は表立って危険物を持っていないようだし。それにこういうのは駅長であるわたしの役目よ。あと、ユーティアちゃんはわたしに同行してもらってもいいかしら?」
マリーツィアに視線を向けられ、ユーティアは静かに頷いた。何も言われなくても、同行を申し出るつもりでいたからだ。
危険がまったくないとは言えないが、不思議と怖いなどいう気持ちはなかった。少なくともあの少年は、本当に悪い人間とは思えなかっただけに。
「ならそれで決まり。速やかに少年の保護にあたりましょう」
「お二人とも、くれぐれも気をつけてくださいね」
心配そうな顔のミズキに、マリーツィアもユーティアも笑顔で頷いた。
ただ、万が一に備えて、最低限の武装はしておく。といっても殺傷目的の装備ではなく、相手を無力化させるための装備だ。
他にも駅構内の機能として、暴徒鎮圧用の防衛システムは備わっている。いざとなればバックアップのミズキがうまく手を回してくれるだろう。あとはヘッドセットを通して、互いに状況を連絡しあえるようにはしておく。
こうしてユーティアとマリーツィアは七番線へと向かうことになった。
ゴシック様式の夜の駅構内に、二人の足音が響く。
「怖くはない?」
走りながら、マリーツィアが不意に訊ねた。
「はい。不思議と落ち着いていたりします。でも、緊張は少しあります」
「それなら悪くないわね。ちゃんと自身を分析できているみたいだし、その緊張感は良い方向に働くと思うわ」
ユーティアはその言葉に勇気付けられた。こういう配慮が出来るあたり、マリーツィアも至って冷静であると感じたから。
この人と一緒なら、自分も普段のように頑張れる。そんな気がした。
「さあ、そろそろ七番線ね。落ち着いて対処にあたりましょう」
マリーツィアはユーティアにそう言った後、ヘッドセットで駅長室のミズキに連絡を取る。
「侵入者の方は動いている様子はない?」
「はい。今のところは」
「了解。引き続き監視とバックアップをお願いね」
連絡を終えると、彼女は携帯してきたスタン用のハンドガンだけ準備する。ユーティアも念のためそれに倣う。
「どうやって保護しましょう? まさか有無を言わさず撃ったりはしませんよね?」
「距離をとって投降を呼びかけてみましょう。無抵抗な相手に手荒な真似をする訳にもいかないわ」
「安心しました」
ユーティアはホッとした顔をする。これがミズキなら強行突破とか言いかねない。
こうしてマリーツィアは七番線のホームに踏み入ると、静かながらも堂々とした声で侵入者に呼びかける。
「この駅構内に侵入した方。あなたの存在は既に確認されています。速やかに姿をあらわし、私たちの保護を受けてください。おとなしく投降してくださるなら、手荒な真似はしないと約束します」
しばらく様子を窺うが反応はなかった。
ユーティアは周囲に耳をたてるが、特に物音も感じない。
「まだ、ここにいることは確かなのですよね?」
「動いたという報告はないし、あの奥の柱の影に潜んではいるとは思うわ」
「近づきますか?」
「もう少し呼びかけてからにしましょう。ここは焦らずにね」
そう言って、マリーツィアは再び侵入者に呼びかける。
ユーティアは息を呑んでその様子を見守った。
それから五分ほどしてからだろうか。静かなこのホームに、彼女たち以外の音が響いたのは。
激しく咳き込むような音が、奥の柱から聞こえる。同時に苦しそうに呻く声も。
「マリーツィアさん
?!」さすがに異常な事態だと思ったのか、ユーティアはマリーツィアと目を合わす。
それに対する駅長の判断も早かった。
「行きましょう。但し、十分に警戒だけはしてね」
「はい!」
ユーティアは頷くと、マリーツィアと一緒に走りだした。その途中、柱の影から崩れるようにして倒れる少年の姿を目撃する。
視認できる限り、少年は胸元を押さえ、本当に苦しそうにもがいていた。その姿は隙だらけで、自分たちをおびき寄せるような演技とも思えない。
「大丈夫ですか。しっかりしてください」
ユーティアは駆け寄ってかがみ込む。しかし少年の息は荒く、どうすれば良いのかわからなかった。
外傷は見受けられない。とすると何かの発作なのだろうか?
マリーツィアは少年を抱き起こし、優しく背中を撫でる。
「…………顔色がかなり悪いわね。急いで医務室に運びましょう。あとは医師の手配も」
だが、その時だ。苦しげに息を吐きつつも、少年が言葉を発した。
「ご、ごめんなさい。でも、お願いです。医者だけは呼ばないで。医者だけは嫌だ。スグに治りますから」
必死なまでの懇願の言葉だった。
「どうしてですか? こんなに苦しそうなのに。お医者様を呼ばないと楽にならないですよ!」
ユーティアはそう言い返すが、少年は頑なに医師を拒絶する態度をみせた。
「医者だけは駄目なんです。僕はもうあんな思いはシタクない。最後くらい僕は僕らしくありたい」
言っていることが意味不明だった。しかし、何かしらのトラウマがあるというのは理解できた。
あと、何か切羽詰っている様子であることも。
それから少年は、ふっと気を失った。最悪の状態を想定して、一瞬ゾッとはしたが、まだ息はしている。
その時、ユーティアは少年の額部分に目がいった。今まで銀髪で隠されていたそこに、小さな三本の角が突き出ていたのだ。
「…………これは?」
「瘤という訳ではなさそうね。辺境の異星種族なのかしら。三本の角の人ってはじめて見るわ」
「私もです」
この宇宙全域は広いので、自分たちの知らない種族がいてもおかしくはない。しかし、彼は普通に銀河公用語を喋っていたことから、文明保護の行き届いた星の種族であるとも考えられる。
だが、そうなるとまた疑問がわく。ユーティアもマリーツィアも、三本角の種族に全く心当たりがないのだ。
銀河公用語を喋れる種族のことくらいは、いくらなんでも知っていてもおかしくはない筈なのに。
やはりこの少年は、謎で一杯だった。
「ひとまず医務室に連れて行きましょう。ユーティアちゃん、運ぶのを手伝ってくれる?」
「あ、はい。でも、お医者様はどうします。このままって訳にも」
「……そうね。この子には悪いけれど、医師には来てもらいましょう。ただ、私の信頼する人にお願いしてね」
マリーツィアの言葉にユーティアも頷いた。
この少年にどんな訳があろうとも、苦しむ相手をこのまま放っておくことなどできないのだから。
※
謎の少年が保護されてから三時間が経過した。マリーツィアが信頼を寄せている医師は来てくれたが、まだ共に医務室にこもったきりで、少年の容態がどうなっているのかはわからないままだ。
ユーティアとミズキの二人は仮眠をとるようには言われてはいるが、今はとても眠れるような気分ではなかった。二人は駅長室のソファーに腰掛け、ぼんやりとしている。
「あの少年、本当に何者なんでしょうね」
「わかりません。私もあんな種族に心当たりはありませんから。自分たちがこれ以上考えるのは不毛というものです」
ユーティアの疑問をミズキはばっさりと切り捨てる。
この問答は先程から幾度となく続いていた。ユーティアも何かの答えを期待しているわけではないのだが、つい言葉に出てしまうのだ。
今の自分たちには待つことしかできないのが、もどかしい。
時間が長く感じられ。場の空気も重く濁っていた。
そんな状態であったから、マリーツィアが駅長室に戻ってきた時には、一気に空気の流れが変わったのを意識できた。
「皆、あまり休めていないみたいね」
駅員二人の様子を見て、駅長は開口一番に苦笑する。
「マリーツィアさん、あの少年の容態はどうなりましたか?」
ユーティアが訊ねた。
「静かに眠っているわ。今はセリーネが看てくれているから安心して」
セリーネというのはマリーツィアが呼んだ医師の名前だ。まだ若い女性の医師で彼女とは幼馴染みという。
「それで少年の種族等は判明したのですか?」
ミズキが問う。
「……そのことなんだけど、彼は現在認知されている異星種族のどれとも該当しないみたいなの」
「やはりそうですか」
ユーティアは表情を曇らせた。本来ならこれは大発見ともいうべき事件なのかもしれないが、それと同時にかなりデリケートな問題をはらんでいることも彼女なりに理解しているからだ。
ミズキも同じ気持ちなのであろう。表情は硬い。
「あと、もうひとつ悲しい報せがあるわ。あの少年、長くは生きられないだろうって」
「どういうことなのですか?」
ユーティアは驚いて問い返した。
「体内に末期ともいえる癌細胞が多数みられるの。その進行を食い止めるのは、もう手遅れと考えるしかないって」
「そんな…………」
「もしかするとあの少年は、自分の死期を悟り、最後に何かを成し得ようとクリエに渡ろうとしているのかもしれないわね」
マリーツィアもやるせない溜め息をつく。
「助けられる方法はないのですか?」
「残念ながら。薬を投与することで苦痛を和らげるのが精一杯みたい。それに自分たちの認知し得ない種族だけに、薬品投与の分量だって気を遣わなければいけないみたいだし」
「私たちにとっての良薬が、彼にとっての良薬であるとは限らないということですね」
ミズキの言葉にマリーツィアは頷いた。
「とにかくまだまだ調べなければいけないことはあるわ。それで彼のことだけど、今しばらくはどこにも報告はしないで、この駅でかくまってあげようと思うの」
「いいのですか?
少年のことが気になって仕方ないユーティアからすれば、それは願ってもないことだが、同時に大変な問題を抱えるということも意味する。
「ええ。まずはわたしたちで彼の話を聞いてあげましょう。この判断が正しいのかはわからないけれど、わたしは彼の意思を尊重した上でこの先の事を考えたいから」
「駅長がそう仰るのなら私もそれでいいと思います」
ミズキも特に反対はしなかった。
その時、駅長室の内線に呼び出しのコール音が鳴り響く。マリーツィアは受話器を手にし、連絡を受けとる。そして。
「少年が目を覚ましたようよ。わたしは今から医務室に戻るけれど、二人も来る?」
「はい。同行したいです!」
「私もお供します」
ユーティアもミズキも迷いなく言った。
こうして三人は駅長室を後にし、医務室へとやってくる。中に入ると長い黒髪を結い上げた、白衣の女性と目が合う。
「皆、揃って来たのね」
白衣の女性、セリーネが微笑する。
「少年が目を覚ましたとのことだけど」
マリーツィアが口を開く。
「うん。まだベッドで横にはなっているけど、意識はハッキリしているわ」
「喋れる状態にはあるの?」
「とりあえずはね。あとは本人にうかがってみてはどうかしら。私も見守っているから」
「ありがとう。そうするわ」
セリーネに感謝の意を告げると、マリーツィアは少年のいるベッドに近づいた。ユーティアたちもそれに続く。
少年は目を開けていた。今は苦しそうな様子はない。
彼は三人の駅員の姿に気が付くと、警戒するというよりは申し訳なさそうな表情をする。
「すみません。僕がご迷惑をおかけしたみたいで」
流暢な銀河公用語で少年は謝った。こうやって普通に話しかけられると、未知の異星種族とはやはり思えない。
「今はそのことは気にしないで。まずはゆっくり休みながらでも、お話できることを教えてくれると助かります」
マリーツィアが優しく微笑んで言った。
「僕の身体のことはお調べになったんですよね?」
「最低限だけは」
「なら僕が、皆さんとは異質な存在であることはご承知ですよね。そして命が長くないことも。僕はどこかの研究施設へ送り返されるのでしょうか?」
研究施設というのが気になったが、まずは少年を安心させるためにユーティアが教える。
「大丈夫ですよ。私たちはまず話を聞くためにきたんですから。そして、あなたの意志を尊重した上で、その先を決めていこうって思っているんです」
「僕は異質な存在ですよ。人間としての分類にも当てはまらない。動物のようなものかもしれない。そんな僕の意思を尊重してくれるというのですか?」
「何があってご自分を卑下するのかはわかりませんが、私はあなたを異質な存在だとは思っていませんよ。こんなに普通に喋れて、意思疎通だってできているんですから! あ、でも、私がこんなこと言うのはでしゃばり過ぎかな……」
「そんなことないわよ。ユーティアちゃんは彼のこと、とても心配していたんだから」
マリーツィアは隣で微笑んで頷いてくれる。そして。
「君が何を恐れているのかはわからないけれど、ここにいるのは皆、あなたの味方よ」
少年にも優しく告げた。
「……僕が皆さんに危害を与えるような存在だったらどうするんですか?」
「本気でそんな事を思っている人は、自分でそのような事は言いません。油断させる気ならば、もっとうまいやりようもあるでしょうし。第一、いちいち疑ってばかりではキリもありません」
ミズキがぶっきらぼうに口を挟んだ。ユーティアもマリーツィアもクスクスと笑って同意する。
それが幾分か、この場の空気を和らげた。
「そういえばお名前はあるんですか?」
ユーティアが少年に訊ねた。
「研究所の人からはエボルと呼称されていました」
「エボル君ですか。私はユーティアです。この駅の駅員をしています。よろしくなのです」
彼女に続き、マリーツィア、ミズキ、セリーネもそれぞれに自己紹介をした。
「私たちはあなたのような種族に心当たりはないのだけど、どういった星の生まれなの?」
セリーネが穏やかに訊ねた。
「…………僕もはっきりとは知らないのですが、ルオールの遺跡から発掘されたとか言われてます」
「発掘?」
「研究所の人たちがそう言ってました」
「ルオール遺跡って確か、最近になって開拓が進められている、ヴァーミス星域の惑星ラトスにあるものじゃなかったかしら」
マリーツィアが記憶を辿るようにして言う。セリーネも手を叩いて頷いた。
「言われてみればそうね。三ヶ月前の新聞でみたような気がするわ。ソルディアの学術研究院の発掘チームが古代種と思われるミイラを発見したとかいうニュースで……」
「そのミイラとやらが僕です」
エボルがポツリとそう告げた。
「で、でも、ミイラって死んじゃってるものなんじゃないんですか。しわしわの包帯姿だったり」
ユーティアは信じられないといった感じで、貧困なイメージを持ち出してくる。
けれど、少年の表情に冗談めいた様子は見受けられなかった。
「ミイラといっても僕は仮死に近い状態だったと聞きます。何故、そのような眠りについていたかの記憶はありませんけどね。そんな僕をソルディアの研究施設の人たちは蘇生したんです。そして数々の知識を与えられ、研究の素材として扱われてきました」
にわかには受け入れ難い事実であった。
しかし、銀河公用語を流暢に喋れるという点については、これで説明がつく。
「だとしたらソルディアの研究院は、何故そのことを公表しなかったのかしら。こんな蘇生が成功した事例なんて、過去にもなかったと思うわ。それこそ大ニュースになると思うのだけど」
「…………でも、それが完璧な蘇生じゃなかったとしたら、どうかしら」
マリーツィアの疑問にセリーネが呟き、そのまま言葉を続ける。
「今、エボル君の身体を蝕んでいる癌細胞は、無茶な蘇生の副作用に思えてならないのよ。つまりはこの蘇生は完全なる失敗。そんなことを公表すれば、世紀の大発見に対する、施設の研究責任は問われるでしょうね」
「セリーネさんの想像の通りです。僕の蘇生は完璧じゃなかった。だから研究所の人たちは僕を表に出すことを恐れました。そして、僕がまだ動けている間に有益となる実験データだけは集め、一部の人たちだけでその知識を独占しようとさえしました。特に僕の学習能力は常人ではありえないものだったようで、そのあたりを研究解明することが人類進化の鍵を握るとかどうとか」
そこまで話を聞き、ミズキはぐっと拳を握り締めた。
「許せない。ひとつの命を何と思っているのだか。そいつらは自分勝手にも程があります」
「ありがとう。僕の為なんかにそこまで思ってくれて。でも、だからって僕は研究所の人を恨んではいませんよ。僕は元々死んでいたようなものですから、今さら死に対する恐怖だってありませんし」
「ならばどうして? エボル君は研究所が嫌になって、ここへ逃げてきたんじゃないのですか?」
ユーティアが問う。
彼がどうしてここにいるのかという経緯は教わっていないが、研究所が許可を与えたとは思えない。
「逃げてきたのは正解ですが、それは僕にやりたいことがあったからです。ただ嫌になって闇雲に逃げて来た訳じゃありません」
「やりたいことって?」
もしかするとそれが霊星クリエに固執する理由に繋がるのだろうか。
「研究所の人たち曰く、僕は人間としては認められない存在らしいけど、人間らしい知識と感情を持ち合わせています。なので自分の最後くらいは、人間らしい真似事をして死んでみたいんです。過去の自分とは関係なく、現在の自分の意思として。それで僕は霊星クリエに行きたいんです。そこは魂の終着点とまで言われる星ですから」
「クリエで最期の眠りにつきたい。そういうことですか?」
「ええ。そういうことです。でも、ここまで辿り着いた時点で手持ちの資金が底をついてしまいましたが」
エボルは目を伏せながら答えた。物静かな表情の中にも悔しさが感じ取れる。
ユーティアは胸が締め付けられるような思いがした。
少年には覚悟があるのだろうが、周りで見守る人間には痛ましい理由だ。
何とか助けられないのだろうか?
だが、自分たちに彼を治す術はない。
他の誰かに助けを乞おうにも、信頼のおける人間を見つけるまでが大変かもしれない。エボルの存在はそれだけ特別なものであり、下手をすれば彼の自由な意思を奪う行為にもなりかねないのだから。
ユーティアはすがるような目でセリーネを見るが、彼女は悲しそうに首を横に振る。
救う術に心当たりがあるのならば、とっくにそうしているといった様子だ。
そこでミズキが口を開いた。
「駅長。彼をクリエに行かせてあげることはできないでしょうか? 乗車券が必要というのなら、私の給与から差し引いてもらっても構いません」
その言葉に、ユーティアも胸が熱くなった。そして彼女もまた願い出た。
「私からもお願いします。私も乗車券の代金を出しますから!」
悲しいけれど、自分たちにできることはもうそれしかない。
他にどうしようもならないのなら、彼の意思を尊重してあげることしかできないのだから。
「…………まったく。あなたたちは」
マリーツィアは苦笑した。そして二人をそっと抱きしめながら言う。
「わかったわ。臨時の列車を手配しましょう。乗車券代はわたしも負担するわね」
「あ、私も乗らせてちょうだい、その話。だから四人で割り勘ってことで」
セリーネがウィンクする。
「皆さん……どうして僕なんかのためにそこまで。僕は皆さんにご迷惑しかかけてないのに」
少年は申し訳なさそうな表情だった。
「理由は簡単ですよ。私たちがそうしたいって思った。そういうことだけです」
ユーティアが笑顔で答えた。
大きな視点でみればこれは公正なこととはいえないだろうが、どうしても力になりたいと思った時は、理屈云々ではないのだから。
それに。
「本当にすみません。ありがとう、皆さん」
このように心から、感謝の気持ちを述べられる相手の力になれるのなら、悪い気など一切しないのだから。
※
一夜があけた。
エボルの容態はひとまず安定していることもあり、今日の午前中にはクリエへと旅立つ臨時列車が運行されることとなった。
ユーティアとミズキは朝一番から駅構内の清掃という通常の業務をこなす。訪れる乗客が限られる駅だけに、大してゴミや埃が出るわけでもないが、こういうことは毎日の積み重ねが大事。それにこうやって動くことは、起きたての寝ぼけた身体を覚醒させるのにも丁度良い。
二人とも昨夜はあまり眠れていない。一時間程度の仮眠をとったくらいだ。
駅長に至っては一睡もしていないようだった。
ちなみに、ユーティアに関しては疲れを感じていない。
むしろ今は不思議な気分だった。心は静かで穏やか。でも、どこかに空虚な穴があいているような、そんな気分。
やはり、エボルという少年のことが気になっているのだろう。
彼の望みを叶えてあげられることは喜ぶべきだが、それは同時に彼との最期のお別れも意味する。
自分はどんな顔をして、彼を送り出してあげれば良いのだろう。ユーティアにはそれが想像できなかった。
「…………やっぱり切ないですよね」
「はい?」
ポツリと呟くユーティアに対し、ミズキが視線を向ける。
「エボル君の事です。私たちは彼の最期を見送ることしかできないのですから」
「気持ちはわかりますがしっかりしてください。自分たちに出来ることがそれである以上、それを全力で成し遂げるのがプロの仕事というものです」
「さすがですね」
「そうでもしないと私だってやりきれない思いですから」
ミズキは軽く溜め息をついた。
それからしばらくして、二人が清掃を終えたとき、エボルが彼女らの元へと歩いてきた。
彼は既にコートを羽織り、手荷物も持っている。旅立つ準備が整ったといった感じだ。
ユーティアが自分の懐中時計を確かめると、あと十五分で臨時列車が来る時間だった。
「準備は済まされたのですね」
「ええ。おかげさまで」
ユーティアの言葉にエボルが頷く。
「体調は悪くありませんか?」
「今のところは大丈夫です。この通り足取りもしっかりしていますし、クリエに着くまでは問題ないと思います」
「…………そうですか」
これ以上、どう言葉を続けてよいのか、ユーティアにはわからなかった。
自分では命を救うこともできない相手に、どれほどの口出しができるというのだろう。
「ユーティアさん、ミズキさん。お二人にも本当にお世話になりました。ありがとうございます」
エボルは深々と頭をさげる。
「最後まで悔いのない旅を送ってください」
ミズキが言い、少年の手を握った。
それを見たユーティアは、さすがだなと感心する。自分より年下の彼女だが、駅員として成すべきことをちゃんと心得ているのだから。
駅員の使命は旅人を見守り、次の目的地に橋渡しすること。それが仮に終着駅と呼ばれる場所であっても変わらない。そこが本当に旅人の終点であるということはないのだ。駅から送り出した後だって旅人の旅は続く。
(…………私も頑張らないと)
ユーティアが改めて心を決めたその時。
駅構内に非常事態を告げる緊急コールが鳴り響いた。
「な……」
「またですか
!? 今度は何が」さすがに不意をつかれ、この場にいた三人は面食らう。しかも今回の緊急コールのパターンは昨夜のものとは違っていた。このパターンは予期せぬ侵入者が駅構内に強行突入をしてきた時の合図。
はっきり“危険”だと認知された上でのコールだ。
「ユーティアさん。彼を連れて
Dの緊急避難区画へ!」ミズキが指示をする。状況はわからないが、客の安全を最優先に考えても、このままここにとどまるのは危険ということだ。
しかし。時は既に遅かった。
「ようやくみつけましたよ。エボル」
聞き覚えのない男の声が響いた。眼鏡をかけた白いコートの男性が、背後に屈強そうな五人の男を従えてやってくる。
「何者ですか、あなた達は!」
ミズキがユーティアたちを庇うように一歩前に出る。
「おっと。これは失礼。こちらも非常時だったものでね。強引に駅に入らせてもらいました」
眼鏡をクイッと押し上げ、不適に笑われる。年齢は二十代半ばくらいだろうか。まだ若いようではあった。
「答えになっていません。何者か答えなさい」
「うるさい小娘ですね。年上の者への礼儀がなっていませんよ」
「生憎と侵入者にはらう礼儀など持ち合わせてはいません」
「ま、いいでしょう。我々はソルディアの学術院の者で、そちらの少年を回収しにきたのですよ」
そう言って眼鏡の男は、学術院所属の研究員である証明書を見せる。
「もし疑われるのであれば、確認をとって頂いても結構」
「それが本物であろうとなかろうと、今現在のあなた方の無法を許す証明にはなりませんよ」
「手厳しいですな。強引に踏み入った非礼は、いずれ代価をもって詫びさせていただきましょう。我々はその少年を引き渡してさえもらえればすぐにでも撤退しますので、こちらへ返してもらえますかな?」
男の言葉にエボルは俯く。どこか諦めた表情だった。
ユーティアはそんな彼を抱きしめ、研究員に言い返す。
「お断りします。この方は私たちの駅の大切なお客様なんです」
「ユーティアさん?」
目を丸くするエボル。
「エボル君はクリエに行きたいんですよね? あの人たちのもとへは帰りたくないんですよね?」
「勿論です。でも、皆さんにこれ以上の迷惑は……」
「エボル君がクリエに行きたいと願う以上は、私たちのお客様です。そして、そのお客様を守るのは私たちのお仕事だから、迷惑なんかじゃありません」
そのやりとりを見ていた研究員の男は一笑する。
「お客様? こいつはお笑いだ。そいつは我々の所有する研究体で、実は人間じゃないんですよ。どうかこちらに返してもらえないでしょうかね」
「でも、自らの意思を持って生きています。未知の種族というだけでアンドロイドじゃないんですから!」
ユーティアの言葉に研究員の顔が不敵に歪む。
「ほほぉ。あなた方も多少のことは知っているようですね。ならばそいつの存在の重要性もわかるでしょう? そいつは人類にとっての大発見。何もわかっていない君達が扱って良い代物ではないのですよ」
「エボル君のことを物みたいに言わないでくださいっ」
「人間として認められないものなど、物と変わりないでしょう」
「そんな考えおかしいです。この子は意思を持って生きているんですよ。ゆっくりと話を聞いてあげたり、慈愛を持って接してあげてもいいじゃないですか」
「研究体相手に慈愛? バカバカしい。ですが、話は聞いてあげていますよ。施設の中でも不自由はさせなかった」
「貴方たちにとっての都合の良い話だけじゃないのですか?」
「だとしたらどうだというのです。とにかく、これ以上の問答をしても仕方がないでしょう。こちらも不手際への迷惑賃として、それ相応の代価は支払うと言っているのです。お互い穏便にいこうじゃありませんか」
「嫌です。少なくとも貴方のような人がいる場所になんて戻せません」
頑なに拒むユーティア。男は深い溜め息をついた。
「言っておきますが我々も人の心はあるのですよ。だからこそ、その少年を人として見なす事はしないのです。人としての情をもってしまえば、様々な研究プランに支障をきたすのですから」
「外道の言い訳ですね。それは非人道的な研究を行うと言っているようなもの」
ミズキが男を睨みつける。
「非人道的も何も、相手は人間じゃないのです。動物実験みたいなものじゃないですか」
研究員が言い返したその時だ。
「果たして、本当にその通りなのでしょうか?」
凛とした声がこの場に響いた。
「駅長!」
「マリーツィアさん」
ミズキとユーティアの声が同時に重なる。
「お待たせしてごめんなさい。皆、大丈夫だった?」
マリーツィアがセリーネを伴ってあらわれた。研究員の男がフンと鼻を鳴らす。
「駅長さんのご登場ですか。この駅員どもでは話にならない。あなたと話をさせてもらうとしましょうか」
「構いませんが、その前にひとつ聞かせてくださいな。どうしてエボル君がここにいると思われたのです?」
「研究院を逃亡した彼が、この“インフィニティ・ベル”まで向かったという足取りまではすぐにつかめましたが、そこからが大変でね。地道な聞き込みの末、エボルらしい少年がこの近隣に出没していることを知ったのですよ。そして先程、駅の外から彼の姿を垣間見て、踏み込ませて頂いたという次第です」
「そうでしたか。でも、強行に踏み入るなんてどうかと思いますが」
「その非礼は彼を返却してくれた時のお礼と一緒に、形を持って示させていただきますよ。さあ、彼を我々に返して下さい」
ユーティアとミズキは心配するようにマリーツィアの返事を見守った。
勿論、信じてはいる。けれど、その返事をかえすことは、同時にこの研究員の男たちとの交渉決裂を意味するのだ。その先をどう乗り越えていくのかが問題だった。
「お断りしますわ」
あっけらかんとした笑顔でマリーツィアは答えた。
研究員の男もさすがにこれには面食らう。
「な……貴方は自分で何を言ったのかわかっておられるので?」
「勿論です。わかった上でお断りしました。エボル君はお渡しできません。当駅の大切なお客様ですから」
「バカな。あんな人間でもないやつのために肩入れするなど」
「それは訂正すべきだと思いますが。エボル君は“人間”ですよ」
マリーツィアは“人間”という部分を強調して言った。静かながらも堂々としたその言葉に、研究員の男の顔が歪む。
同時に背後に控える男たちからも殺気が感じられる。
だが、それに臆すことなく、今度はセリーネが口を開いた。
「知らなかったなんて言わせないわよ。でも、知らないというなら教えてあげる。エボル君の人体を構成する物質や
DNAは、異星種族人権保護憲章で定められている“人間”としての規定を満たしているのよ。未知の異星種族であろうとも、その規定を満たしている以上は、人としての権利が保障されるの」「研究院ではその事実を知りながらも、大事な研究体を失いたくないことから、それを隠蔽してきた。違いますか?」
「然るべき場所にこの事実を伝えたら、あなたたちの研究院は閉鎖になるわね」
マリーツィアとセリーネの追求に男の肩が震えた。それは怒りなのか恐れなのか。
「我々を脅すつもりですか? いくらお望みです?」
「口止め料なんて求めていませんわ。ただ、わたしたちは異星種族人権保護憲章の考えに則り、人間であるエボル君の意志を尊重しているだけです」
「力ずくでも奪い返す、と言ったら?」
「それは無駄な抵抗というものです。この駅の中ではわたしたちに地の利があります。さあ、お引取りを。おとなしく帰っていただけるのであれば、こちらも悪いようには致しませんわ」
形勢は完全に逆転したといっても良かった。
男はしばらく考えた末、撤退の意思を示す。そして去り際に一言だけ言い捨てる。
「あなたがたは人類の進化の妨げをしたのかもしれない」
「そうかもしれませんが、知り合ってしまった誰かを犠牲にしてまで進化を望むほど傲慢じゃありませんわ」
マリーツィアの言葉に、男は鼻を鳴らして去って行った。
様子を見守っていたユーティアは、研究員たちの姿が完全にみえなくなったところで足の力が抜ける。
「大丈夫ですか」
エボルがそれを支え、ミズキも心配そうに駆け寄る。
「な、なんとか。緊張が解けた途端にこうなっちゃうなんて、ちょっと恥ずかしいですね」
「無理もないでしょう。でも、ユーティアさんもよく頑張りました」
「えへへ」
ミズキに褒められ、ユーティアは照れくさそうに笑った。
そして、少し離れた場所のマリーツィアとも目が合う。彼女も頷いて笑いかけてくれている。
ユーティアはホッとした。少し怖い思いもしたけれど、この駅の駅員らしく頑張れたような気がして、ちょっとだけ自分を誇らしく思えたから。
その時。駅構内に列車の到着を告げる音楽が鳴り響く。定刻どおり列車がやってきたのだ。
※
四両編成のダークブルーの列車にエボルが乗り込む。乗客は彼一人だけだ。
それを見送るのはユーティアたち四人。
「いってらっしゃい。良い旅を」
ユーティアの口をついて出たのは、そんなシンプルな一言だった。どんな風に送り出せば良いのかと迷っていた彼女だが、自然に出てきたのがこの一言だったのだ。
でも、これで良かったと思う。駅員として堂々と彼を見送ってあげられる言葉のような気がして。
「ありがとう。いってきます」
エボルもそう言ってこたえる。そこには悲壮感など微塵もない。自分の道を迷わず進む少年の姿が、そこにあるだけ。
いってらっしゃい、いってきます。その言葉のやりとりだけで、送る者と送られる者の心は通じ合った。
発車を告げるベルが鳴り、ドアが閉まる。
もう言葉は届かない。
あとは手を振ったり、笑顔を向けてあげたり。
そして列車は出発した。
ユーティアは列車がゲートハッチを抜けるまで、ずっと手を振り続けた。そして、その姿が見えなくなったあたりで涙がこみあげてくる。
号泣ではないが、あふれてくる涙を止めることはできなかった。
その時、横からハンカチを差し出される。マリーツィアだ。
「あ、すみません……」
「悲しい?」
「はい……でも、それ以上に」
ユーティアは受け取ったハンカチで涙を拭きながら言葉を続ける。
「悔しいです」
「そうね。わたしたちは駅員としては頑張ったかもしれないけれど、人としてはこれで正しかったのかしらね。もっと別の形で、彼を救う方法はなかったのかしらって思うわ」
「…………マリーツィアさん」
ユーティアは驚きに目を丸くした。まるで心の中を覗かれたかと思うほど、自分とまったく同じ事を考えだったからだ。
「でもね。いくら考えても答えなんてすぐにでないわ。何も答えがでないまま時間ぎれにだってなるかもしれない」
「そうなると余計に何がなんだかわからなくなりますよね……」
「ええ。わたしたちは神様じゃないから、どうしてもできることに限りはあるわ。でも、その先をどう考えていくかで人としての真価が問われるの。無力さを受け入れて諦めるだけの人間になるか、無力さを受け入れて尚、過ちを繰り返さない努力をしようとするか」
「私はやはり後者の考え方がいいです。大変かもしれないけど、あがく先にこそ光が見えるかもしれないって思いたいですから」
ユーティアの言葉にマリーツィアはクスリと微笑んだ。
「そういう風に考えられるなら安心したわ。心はつぶれていない証拠ね」
「すみません。心配をかけてしまいましたか?」
「少しだけね。ユーティアちゃんは強い子だって知っているけど、どんなに強い子でも受け入れられる許容量ってあるもの」
「そうですよね」
ユーティアは静かに頷いた。
正直、自分自身は強いのかわからない。むしろ弱いと思う時もある。でも、弱いからこそ前向きに希望をみつけないと、本当につぶれてしまう。謙遜をして言えば、そういうことなのだ。
「…………マリーツィアさん。私、これからも頑張ります。必ずしも納得のいく結果は出せないかもしれないけど、無力で何もできないのは嫌ですから」
「うん。頑張って。でも、無理はしちゃ駄目よ」
「はい」
ユーティアは深く頷く。
そして、霊星クリエに対して祈りを捧げた。
エボルの魂を安らかに導いてくれるように…………
その日の夜。ユーティアは考えた。
ソルディアの研究員たちにとって、エボルは人類進化の鍵を握る存在。
けれど、人類は今以上にどのような進化を遂げるべきだというのだろう?
常に前向きに考えることは悪くないが、人の心を失いかねない進化は、もはや人としては退化しているともいえる。
科学や医療の進歩。数々の謎と神秘の解明。中には恩恵を受けるものも多いので偉そうなことは言えないが、それでも人は人の分をわきまえるべきだと思う。
少なくとも、人は神様になるべきじゃない。
ユーティアはそう思うから。