第一章  誕生日  [智美]

 

 

「はい。智美ちゃん、これ誕生日のプレゼント」

 そんな言葉と共に、小さなクマのぬいぐるみが差し出される。

 目の前にいるのは年の離れたお兄さんともいえる男性。優しげな顔をして、私に笑いかけてくれる。

 でも私、このお兄さん嫌い…………

 その感情は、おのずと表情にもあらわれ、私の顔を仏頂面にする。

「智美。そんな顔して、正彦さんに失礼でしょ。謝りなさい」

 怒ったような、里美お姉ちゃんの声。

 どうして怒るの?

 今日は私の誕生日なんだよ。

 生まれてから、十回目の誕生日なんだよ。

 少しぐらいわがままでいてもいいじゃない。今日は私が主役なんだよ。

 なのに。

 どうして私の嫌いな人を連れてくるの?

 私は実の姉と、赤の他人である正彦お兄さんを睨みつけた。

「いい加減にしなさい智美。怒るわよ」

 …………なによ。もう、怒ってるくせに。

「まあまあ、里美さんも落ち着いて。智美ちゃんは、きっとこのプレゼントが気に入らなかったんだよ。ね?」

 里美お姉ちゃんをなだめつつ、私に向き直る正彦お兄さん。

 でも、私は顔をそむけてやる。

 誰が話してなんかやるものか。

 あなたのおかげで、楽しいと思っていた私の誕生日は目茶苦茶になったんだ。

「もっと大きなクマさんがよかったかな。それとも別のぬいぐるみがいい? 智美ちゃんの欲しいものを言ってよ。今度、それと交換してくるからさ」

「正彦さん。そこまでしなくてもいいわ。この子のわがままなんだから」

 里美お姉ちゃん、どうしてそんな男に気を遣うの?

 最近のお姉ちゃん、いつもそうだよ。

 何かあるたびに正彦さん、正彦さんって。

 私のこと、どうでもよくなっちゃったの? いまとなっては、たった一人の肉親同志なのに…………

 里美お姉ちゃんも、正彦お兄さんも、見ていると腹が立ってくる。

 最悪な気分。

 この場にいることすら、息苦しい感じがする。

 私は、ダンッと立ち上がるとこの部屋を走り出た。

「ちょっと、智美。待ちなさい!」

 後ろから聞こえる里美お姉ちゃんの声は無視。

 廊下を走り、階段を下り、そしてまた廊下を走る。

 その途中、私たち姉妹が世話になっている、この家の叔母さんとすれ違う。

「あら。智美ちゃん。どうしたの?」

「散歩に行ってくるの」

 誕生日の料理を運ぶ途中の叔母さんにそれだけ告げて、止まらず玄関へ。

 自分の靴をはいた私は、そのまま家の外へ飛び出した。

「里美お姉ちゃんのバカっ!」

 それだけ呟いて、あてもなく走りだす。

 とにかく家から離れたかった。

 あの男が来ている家になんかいたくない。あの男が帰るまで、どこかで時間をつぶしていよう。私はそう考える。

 外はもう夜だった。

 街灯の光こそあるものの、こんな暗い時間に一人で出てくるのははじめてだ。

 ましてやこの近所は、人の通りも少ない。

 少し心細く感じる…………

「…………こ、怖くなんてないもん」

 自分を勇気付けようと、わざと声を出してみる。

 そうだ。私だって今日で十歳だもん。夜、一人で出歩くのが怖いなんていったら、お友達に笑われてしまう。

 私は、とりあえず走りつづけることにした。

 そしてどれほど家から離れただろう。しばらくすると、街を流れる川のほとりにまで辿り着いた。

 そして。

「あ……」

 目の前に広がる光景に、私は思わず息を呑んだ。

 そこにはたくさんの桜の木があったからだ。

 この場所は川沿いに面して桜並木が続いており、今の時期はちょうど満開の頃合。

 鮮やかな桜の木々たちを前に、しばらくその美しさに見とれてしまう。

「桜があると、夜もこんなに明るいんだ」

 月明かりに照らされた桜の花。

 正直いって、こんなに綺麗なものだとは思わなかった。

 昼間の桜はよく見ているけど、夜の桜をこんなにゆっくり見たのは始めてのような気がする。

 いいな〜。すてきだな〜。近くに誰もいないから、ここの桜は独り占め。思わず踊りたくなるほど嬉しくい気分。

 夜に対する不安なんて、いつの間にやら消え去っている。

 桜の花をみつめていると、まるで甘い夢の世界にでも吸い込まれそうになる。

 その時だ。

 うっとりとしていた私は、どこからか聞こえる綺麗な歌声を耳にした。

「…………わあ、すごく綺麗な声」

 夢うつつのなか、私はその歌声に心をよせた。

 風にのって流れてくるのは優しそうな女性の歌声。まるで桜の精が歌っているかのような錯覚にとらわれる。

 でも。

 よく聞いていると、かなりヘンな感じの歌だった。

 歌詞の中身だけを聞いていると、まるで叔父さんたちが聞いているような演歌みたいにシブい内容なのだ。

 一体、誰が歌っているんだろう?

 笑いと共に、そんな興味が沸いてしまう。

「あっちの方から聞こえてくるよね」

 私は声の流れてくる方向を確認すると、ゆっくりとそちらの方へ歩いていく。

 そして。しばらく歩いた後。

 私の目の前に、桜よりも驚く光景が飛び込んできた。

「天使!?

 桜の木に隠れながら、私は見たものの名前を呆然とつぶやく。

 そこにいたのは、まぎれもなく、天使と呼ぶにふさわしい女の人だった。

 私なんかよりかなりお姉さんに見えるけど、背中に生えた白い羽は、物語に出てくる天使のものとそっくり。ただ、頭の上に輪っかはないけれど…………

 ひょっとして天使じゃなくて、桜の精なのだろうか?

 けれど、どちらにしても非現実なものには間違いない。

 白い羽を持つ女の人が空に浮かび、桜の木々の間で優雅に歌い踊るだなんて。

 私は、夢をみているのかなあ?

 けれど、夢ならそれでもいい。こんなステキな夢なら大歓迎だ。

 つまらない人に誕生日を祝われるよりも、よっぽどいい感じがする。

 私は白い羽のお姉さんをしばらく見つめていた。あいかわらずヘンな歌詞の知らない歌をうたっていたが、舞い散る桜と共に踊るその姿は、物語から飛び出してきたお姫様のように美しい。

 あれでドレスなんか着ていれば更にいいんだろうけど、生憎と見た目だけでいえば、私たちが着ているような普通の私服とかわらない。

 しばらく眺めていると、やがて歌が終わった。

 そこで私は、パチパチと拍手して木の陰から姿をあらわした。

 不思議と彼女からは、怖いとかいう感覚は感じられなかったから。

「すごく上手な歌だね。白い羽のお姉さん」

「え?」

 私が登場したことに驚いたのか、白い羽のお姉さんはキョトンとした顔をする。

「驚かないでいいよ。私、怖い人じゃないから」

 私は、にこやかな笑みを浮かべて言った。

 すると、白い羽のお姉さんはクスクスと笑い出す。

「別に怖いことはないよ。あなたは小さくて、可愛らしいから」

 白い羽のお姉さんは、おかしそうに笑いながら言うと、ゆるやかに羽を広げて私の近くに舞いおりた。

 その際に、風がふわりと甘い香りを運ぶ。

「はじめまして。あなたの名前は?」

「智美だよ。永野智美っていうの」

「ふうん。智美ちゃんっていうんだ。わたしは菜穂っていうの。よろしくね」

 菜穂と名乗った白い羽のお姉さんは、手をさしだしてきた。

「うん、よろしく菜穂お姉さん」

 私もにこやかに彼女の手をとった。

 温かくて、柔らかい手。これは夢でも幻でもなく、本物だと意識できる。でも、気分的にはまだ夢の中にいるような感じがしないでもない。

「それはそうと智美ちゃん。一つお願いがあるんだけど、ここで見たこの白い羽のことは、他の人にはなるべく内緒にしてもらえるかな」

「どうして?」

「だって大騒ぎになっちゃうもの」

 なるほど。確かに菜穂お姉さんの言うこともわからないではない。

 ヘンな大人に見つかれば、それこそ騒ぎどころの話じゃないだろう。私も十歳になったから、少しは大人の事情もわかる。

「わかった。黙っていてあげるよ」

 ポンっと胸をたたいて、力強く言ってあげた。

「ありがとう。智美ちゃん」

「でも、見つかったら困るのに何で歌なんかうたってたの?」

「う〜〜〜。それは……なんとなく、そういう気分だったんだよ。桜、綺麗だしね」

「あは。なるほどね。でも、わかる気がするよ」

 きっとさっきまでの私とおんなじ。桜の花をみているうちに、無意識にその美しい世界に引き込まれていったようなものかもしれない。

 私が一人そう納得していると、菜穂お姉さんの羽がいつの間にか消えていた。

「あれれ? 羽は?」

「普段は必要ないからね。しまっておいたの」

「へえ、そんなことができるんだ。便利〜。羽がないと、普通のお姉さんと変わりないね」

「羽があっても、普通のお姉さんだと思うよ」

 ううん、そうなんだろうか? まあ、よくわからないけどそういうことにしておいてあげよう。

「そういえば智美ちゃんは、どうしてこんな所にいるの。夜桜見物か何か?」

「……えっ、まあそんなところかな」

「じゃあ、近くにご両親も来てるんだ」

 両親?

 その言葉に、表情が少し固くなる。

 それというのも、私にはもう両親がいないからだ。お父さんとお母さん、そして二番目のお姉ちゃんは数年前に交通事故に遭い、もうこの世にはいない。

 唯一残った肉親は長女である里美お姉ちゃんだけ。

 けれどそのお姉ちゃんですら、いつまでも私の家族でいてくれる保証なんてない。

 …………あの男がいる以上。

「智美ちゃん。どうかした? わたし、変なこと聞いてしまったかな」

「あ、別にそんなことはないよ。……でも、ここには家族来てないの」

「ひょっとして、一人でここに来たの?」

 私は、小さく頷いた。

「……そうなんだ。でも、こんな夜遅くに小さな女の子が外出だなんて、家族の人は心配してない?」

「大丈夫よ。家の人には散歩に行くって、ちゃんと言ってきたもん!」

「ならばいいけどね。だけどあんまり遅くなったら駄目だよ」

 はあぁ、菜穂お姉さんまで、里美お姉ちゃんみたいなことを言う。さっきまでの夢見心地な感覚から、少しずつ現実に引き戻されていく気分がする。

「余計な心配はしなくていいよ。私は、もう子供じゃないんだから!」

「えっ、じゃあ智美ちゃんは大人なの?」

「そうよ。だから子供扱いしないでいいの」

 力強く宣言する私を、菜穂お姉さんは感心したように見つめる。

 でも、次に彼女から返った言葉は、私を見事にコケさせた。

「うわあ、感動だよぉ。私、小人族ってはじめて見たかも!」

「……へ?」

 小人族って何? ひょっとして童話か何かの物語の中で「ハイホー、ハイホー」とか言っているあの小人さんのこと??

 私があんぐりとしている間にも、菜穂お姉さんは色々と聞いてくる。

「ねえねえ、この街は小人さんがたくさん住んでいる街なの? ここの小人さんたちも、やっぱりハイホー、ハイホーって歌うのかな?」

 ああ、間違いない。やっぱりハイホー、ハイホーだと思い込んでいる。

「……あ、あの、ちょ、ちょっと、菜穂お姉さん待って」

「あっ、ごめんなさい。いっぺんに質問したら混乱するよね」

「そうじゃなくて! 私は小人族なんてものじゃなくて、普通の人間なの!」

「あれ、そうなの?」

 菜穂お姉さんが、少し残念そうな顔をする。

 この人、ホントに小人族がいるだなんて信じてるのかな? ただ、羽の生えた人間が目の前にいるくらいだし、小人族の世界だってどこかにあるのかもしれないけれど…………

「がっかりしたのならゴメンね。でも、私は普通の人間だし、ここは小人族の街でもないんだよ」

「……だったら、智美ちゃんはやっぱり子供じゃないの?」

「う」

 また、そういうことむしりかえす。

 けれど、ここで慌ててしまえばホントに子供だ。だから、私はできる限り落ちつきを払って言ってあげた。

「私はもう大人なの。だって今日で十歳になったんだもん」

「…………十歳ってまだ子供なんじゃ」

「十歳は大人だよ! 数字だってケタが違うんだよ」

「あはは。なるほど、確かに一ケタ違うよね」

 うぅ、何だか笑われてる。そりゃ確かに菜穂お姉さんと比べたら、子供かもしれないけどさ……

「でも、今日で十歳ってことは、今日がお誕生日ってことだよね」

「うん、まあそうなるかな」

「だったら智美ちゃん、お誕生日おめでとう。私からもお祝いさせてもらうよ」

 菜穂お姉さんは、優しい笑顔を私に向けてくれた。

 私は、言葉に詰まった。

 なんだか嬉しかくもあり、悲しくもあったから。

 本当なら、里美お姉ちゃんにこういう笑顔を向けたもらいたかった気がするのに。

 でも、あの男がいたから、お姉ちゃんは私に笑いかけてくれない。

「本当ならプレゼントとかもあげたいんだけど、わたしいま持ち合わせがないんだよ。ごめんね」

 菜穂お姉さんが手を合わせて謝る。

 私は、慌てて手を振った。

「そんなの気にしなくてもいいよ。初対面なんだから」

「あはは。そう言ってもらえると助かるよ。でも、せっかくの誕生日なのにごめんね」

 ここまで律儀に言われると、こちらもかえって戸惑ってしまう。けれど悪い気はしなかった。今日ここまで真剣に誕生日を祝ってくれた人は、菜穂お姉さんぐらいなものだから。

 正彦お兄さんだって「おめでとう」とは言ってくれたが、あんなのは所詮上辺。私の誕生日を祝いにきたのではなく、里美お姉ちゃんに会いにきただけなんだから。

 そして、肝心の里美お姉ちゃんは一言も「おめでとう」とは言ってもくれず、怒ってばかり。

「…………そこまで言うなら今度、機会があったらまた会ってくれる?」

 私はつい、そんなことを口走ってしまった。

 家にいて重苦しいことばかりを考えるよりも、菜穂お姉さんといれば少しは気分も晴れるのかもしれない。単純にそう思ったのだ。

 それに対して、彼女の答えは。

「うん。そんなことでいいのなら構わないよ」

 快諾だった。

 私は、ホッと安心した。

 ……と、その時である。

 遠くの方から、「智美〜、どこにいるの?」とか「智美ちゃ〜ん」とか呼ぶ声が聞こえる。

 あれは里美お姉ちゃんと正彦お兄さんの声だ。

 きっと私を探しに来たに違いない。

「ねえ、向こうから聞こえてくる声。智美ちゃんを探してる声なんじゃない?」

 菜穂お姉さんが私の顔を覗きこんで、そう訊ねる。

 すぐには何も答えられなかった。

 できれば同じ名前の、違う人だと言いたかった。

 でも、そう言おうとした前に。

「いこう、智美ちゃん。向こうの人たち、きっと智美ちゃんを心配してるよ」

 菜穂お姉さんが、優しく手を取ろうとする。

 けれど私は、彼女の手を乱暴に払いのけてしまった。

「智美ちゃん?」

「……ごめん。でも、私帰りたくないの」

「向こうの人たちと何か嫌なことでもあったの?」

 菜穂お姉さんは気分を悪くした様子もなく、穏やかに訊ねてくれる。

 だから、私は素直に頷いた。

「そうか。せっかくのお誕生日に、嫌なことがあっただなんて辛いよね」

 菜穂お姉さんは、それ以上の理由を訊ねようとはしなかった。そのかわり、私と同じ目線までしゃがみこむ。

 そして、軽く頬に触れてきた。

 私は、それを心地よいと感じる。

「でもさ、今日はとりあえず帰ろうね。智美ちゃんを探してる向こうの人たちも、このままあなたが見つからなければ辛い思いをするだけだよ。せっかくの誕生日なんだし、これ以上、お互い辛いことを増やしてもどうかと思うよ」

「…………でも」

 反論しようとした私の口に、菜穂お姉さんの指がそっと添えられる。

「智美ちゃんも大人なんだったら少しは我慢しなきゃ」

 何だか痛いところをつかれる。

「今日我慢したら、今度はその分、わたしがしっかりお祝いしてあげるよ」

「本当に?」

「うん。本当、本当」

 その言葉で、私はとりあえず納得することにした。

 そして。

「智美!!」

 すぐ近くから、里美お姉ちゃんの声がした。

 菜穂お姉さんは私の背中を軽く叩いて、戻るよううながす。

 うながされた方向には、里美お姉ちゃんと、あの男……正彦お兄さんがいる。

「さあ、今日は帰ろうね」

 菜穂お姉さんが耳元で囁く。

 そんな彼女に、私は向き直って訊ねた。

「明日の夕方……四時頃、またここで会ってくれる?」

「うん、わかったよ。約束する」

 菜穂お姉さんは、かるく指切りをしてくれた。

 そして、立ち上がると。

「また明日ね! 智美ちゃん」

 それだけ言って、走り去ってゆく。

「あ……」

 呼びとめる間もなかった。

 その頃には、里美お姉ちゃんの方が近づいてくる。

「智美。あの人は誰なの?」

「……天使だよ」

「天使?」

 案の定、疑問顔をされる。

 けれど私は、それ以上は何も答えなかった。

 走り去ってゆく、菜穂お姉さんの姿を最後まで見送っていたから。

 天使と出会った十歳の誕生日。

 よく考えてみると、これはとてもすごいことなのではないかと思えてきた。

 だからこそ。

 私は、これが夢でないことを信じたかった。