あなたは白い羽を見たことがありますか?
風に揺らめく天使のような羽。
優しく、柔らかく、そして幸せを運ぶ小さな羽。
耳を澄ませば聞こえてきます。
不思議な少女の歌声が。
その声に誘われた時。
ささやかな出会いがはじまるのです。
プロローグ [菜穂]
新緑に覆われた丘が見える。
やわらかな春の陽射し。緑の匂いをはらんだ風にさそわれて、わたしは空を漂った。
ああ、なんて気持ちいいんだろ。羽を揺らして、つい鼻歌をうたいたくなる。
「春って、いいよねぇ」
暑くもなく寒くもなく、ふわっとぽかぽかした季節。
空は青く澄み渡り、眼下に広がる大地でも花や木々たちが鮮やかに景色を彩る。それらはすべて、冬の眠りから覚めた美しい春の色。
こういう光景を見ていると、自分が“天使”であることを嬉しく感じる。
綺麗な空を間近に感じ、地上からは望むこともできない景色を眺望できるのだから。
あ、でも、“天使”というのはあくまでも自称。わたしの背中には天使のような羽があるから、勝手にそう思っているだけ。むかしは羽なんてなかったんだけど、気がついた時には羽が生えていたの。
羽を得る前の記憶はかなり曖昧。なんだか色々と忘れているみたいなんだよね。
けれど、今はいくら思い返そうとしてもわからないし、そのうちに思い出すかな〜程度で考えている。
お気楽すぎるかもしれないけれど、自分で納得してるんだから問題はなし。
わたしにはどこにでも飛んでいける羽があるんだし、色々な土地を見てまわっていれば何か手掛かりくらいはあるかもしれない。あれこれと考えるのは、何かがわかってからでいいんだよ。
しばらく空の上を漂っていると、やがて丘を越える。
眼下には新しい風景が広がった。
そこには小さな街が見える。
「少し一休みでもしようかな」
街を見た途端、ついそんなことを考えてしまう。
今日は朝からずっと空の上を飛んでいたから、そろそろ疲れてきてもいる。
地上におりて街の中を歩くのも悪くは無い。
「でも、さすがにお腹も空いたかなぁ」
わたしは、ペコペコのお腹をきゅぅっと押さえる。
別に食べなくてもどうとでもなるのだが、美味しいものなら食べられるにこしたことはない。
でも一番の問題は、何かを食べるにせよ、先立つものがないということ。
先立つものとはズバリ“お金”。まったく持っていない訳じゃないんだけど、このお財布の中身の額を語るのはちょっと恥ずかしい。
はぁぁ、貧乏って辛いなぁ。
誰か親切な人でもいて、何か食べさせてくれたら嬉しいんだけど。
「…………はあ、佳奈ちゃんたちといた頃が懐かしいよ」
わたしは、冬に出会ったお友達のことを思い出す。
佳奈ちゃんたちと出会った時は、ほんと色々とご馳走になったものだ。
でも、今のわたしは別の街にきている以上、昔のことを思い出していても仕方がない。余計にお腹も減るだけだしね。
「ま、いいや。街に行って、それからゆっくり考えよ」
わたしはそう心に決めると、静かに街のはずれに降りたった。
この街での、楽しい出来事を願って。