幕間 クラスメート [美紀]
チャイムが鳴った。
これで今日一日の授業はすべて終わり、放課後に入る。
今日もあの子は学校にこなかった。
自分の目の前にポカンと空いた席を見つめ、そんなことを思う。
目の前の席の主は、浅木佳奈さんという。ある一件があって以来、ずっと学校にはきていない。かれこれ、もう数ヶ月は経とうというのに。
別段、私は佳奈さんと親しかったわけではない。
それでも同じクラスメートの姿を長いあいだ見ていないと、少々心配にもなる。
佳奈さんは、別に病気などで休んでいるわけではない。
半年前に、佳奈さんにとって辛い出来事があった。それは彼女の心に大きな傷痕を残し、その傷が未だ癒えていないだけ……
考えようによっては、それは心に負った病ともいえなくはない。
私は、目を閉じた。
思い出になるほど遠くはない昔。元気だった佳奈さんの姿が浮かぶ。
そして、佳奈さんの隣にいつもいた、彼女の親友……浦野千歳さん。
クラスメートの千歳さんが事故で他界して、佳奈さんは笑顔を失った。
無理もない。私から見ても、微笑ましいくらいに仲のよかった二人だ。ものすごく辛いと思う。
けれど、私に出来ることなど、せいぜい同情くらい。
でも、それでいいの?
ポカンと空いた席をずっと見つめるうちに、自分の中によぎるふとした疑問。
それは日を追うごとに、深まってゆく。
「ふう」
溜め息。
同じクラスメートとして、何とか佳奈さんの支えになってあげたいのに、私にはその術が思いつかない。
気が弱い私は、人との交流を持つまでに、かなりの勇気を必要とする。
人と接するのは好きな筈なのに、付き合い方はへたくそ。自分のことながら、難儀な性格だと思う。
私は、とりあえず授業の教科書をしまうことにした。
しばらくすると、担任の先生が教室に入ってきて、放課後のホームルームがはじまる。
が、これといった連絡事項もないのか、ホームルームはすぐに終わった。
ホームルームが終わって、教室内は騒がしくなる。
部活に向かう人、帰宅する人、残って教室でおしゃべりする人。さまざまだ。
私は、教室でぼんやりする人。
けれど、そんなぼんやりとした時間は、そう長くはつづかなかった。
「美紀。帰んないの?」
私の席に、髪を結い上げた、溌剌とした少女が近づいてきた。
数少ない親友の、森田 雪だ。
「もうすぐ帰ります。それより雪は、部活だったのではないのですか?」
確か彼女は、陸上部に所属していたはず。
「今日は部活お休みなんだ。だから、美紀と一緒に帰ろうと思うんだけど」
「そういうことでしたか。勿論かまいませんよ」
私は帰り支度をはじめた。
その途中。
「ねえ、さっきぼんやりしてたみたいだけど、何か考えてたの?」
雪が佳奈さんの席に腰を掛けながら、訊ねてくる。
「別にこれといっては」
「ふうん。でも美紀ってさ、このごろぼんやりしてること多いじゃない。ひょっとして私にも言えない悩みとかあるんじゃないかな〜って。あっ、ひょっとして彼氏でもできた?」
「そんなわけありません」
きっぱりと静かに断言する。雪が冗談を言っているのはわかるけど、こういう冗談は私の一番苦手とするところだ。
「少しはノッてくれてもいいじゃない」
「雪の話に下手にのったら、後でどういう噂がたつかわかりませんから」
「つれないね」
雪はガックリとうなだれる。私は、口に手をあてて笑った。
自分とは正反対の性格の彼女。よく親友になれたものだと、正直思う。
「まあ、冗談はさておき。美紀がぼんやりしている理由って、ここの席にいた浅木のことじゃないの?」
「わかりますか」
「ふふふ。それくらいお見通しよ。何年あなたの親友やってると思うのよ」
「今年のクラス替えの時以降だから、一年もたってないと思いますけど」
「……美紀。ノリ悪いよ」
ごめんなさい。私は、心の中でそう謝っておく。
「それにしても浅木のことが心配とはね」
「いけませんか。同じクラスメートですよ」
「学級委員長の野坂美紀としては、不登校の子は放っておけないってか」
「別にそういう立場は関係ありません」
それに好きで学級委員長になったつもりもない。クラスのみんなの推薦で、仕方なく決まっただけだ。
「ねえ、美紀。心配だったら直接連絡とかとってみれば?」
「それができればとっくにやっています」
「だろうね」
別に連絡先を知らないわけではない。ひとえに自分の性格の問題。……勇気のなさが原因だ。
「でもさあ。このまま悩んでいたって、どうにもならないよ。本当に心配だっていうのなら、それなりの行動をとらなきゃね」
雪の言うことはもっともである。
今のままでは、逃げているだけにすぎない。
「何かいいアイデアはないでしょうか?」
こんなことを相談できるのは雪だけだ。私は、思いきって訊ねてみた。
「電話とかで話すのが苦手なら、いっそのこと家まで会いにいけば? 適当な口実とかつくれば、それほど不自然じゃないと思うよ」
「口実ですか。休み中の授業のノートを貸してあげるとかでしょうか」
「ああ、それいいかもね。それに、直接会いに行くっていうのなら、私もつきあってあげるよ」
「いいんですか?」
「一人で行く勇気、ある?」
私は、首を横に振った。
「それじゃあ、会いに行く時はよろしくお願いします」
「おっけー。そうなると善は急げ。今から行こうよ」
雪は、私の机に頬杖をついて、いたずらっぽく笑う。
「い、今からですか」
「ちょうどいいじゃない。私も部活が休みなんだしさ」
いきなりの展開。
少なくとも雪は本気に違いない。それに、私を心配してくれての申し出だ。躊躇するのもどうかと思われる。
心の準備は整っていないが、覚悟は決めるしかない。
「わかりました。では、つきあって下さい」
「よしきた。でも、出発前に一つだけ質問。どうして浅木の心配なのかしているの? そこらへんをまだ訊いてないよ」
あらためてそう訊かれると、それはそれで困ってしまう。
しいていえば、やはり同じクラスメートだからか。
私はしばらく考えた後、思ったことを伝えてみた。
「もうすぐ二学期も終わるでしょ。冬休みに入って、クリスマスやお正月など楽しいことがいっぱいあるのに、一人では寂しいと思いません?」
「同感。じゃあ、美紀は浅木と友達になるつもり?」
…………友達か。正直、そこまで深く考えていた訳でもなかった。
ただ、私自身、昔が一人ぼっちだったので、単純に一人でいることの寂しさを良く知っている。おせっかいかもしれないけれど、私はそんな寂しさから佳奈さんを救い出したいのかもしれない。
その過程で友達という関係になれるのならば、それは歓迎すべきことだと思う。
だから。
「そうなれば楽しいとは思いませんか。まあ、佳奈さんに嫌がられたら仕方ないですけど」
こういう事を言っても、雪ならば嫌な顔もせずに受け入れてくれるはずだ。
そして、予想通り。
「美紀の友達が増えるってのは、大歓迎だね」
彼女は嬉しいことを言ってくれる。本当にいい親友だと、つくづく思う。
私は、目の前の佳奈さんの席を見た。
席が近かっただけに、ひょっとしたらお友達になれたかもしれなかったのだ。
もし、いま一度そういう機会があるのなら、それを逃すわけにもいかない。
佳奈さんに千歳さんという友人がいたように、彼女だって人間が嫌いという訳ではない筈だ。今は心を開ける相手がいないだけ。
「そろそろ行きましょうか」
私は、鞄を手に立ち上がった。
「佳奈さんの家の場所も調べないといけませんし」
「浅木の家の場所なら、大体わかるよ。私の家から近いはずだし」
「それなら助かります」
私と雪は、教室を後にした。
そして、昇降口で靴を履き替える途中で、雪が言った。
「浅木の家に向かう前に、ゲーセンに寄ってもいい?」
「ゲーセンって……私たち制服のままなんですよ」
眉をひそめる。いまどき学校帰りの学生がそういう場所に出入りするのは珍しいことではないのだろうが、私は少しだけ抵抗があった。
「お願い。ほんの少しだけだよ。クレーンゲームでどうしても欲しい景品があるんだけど、昨日は途中でお金きらしちゃって」
「仕方ないですね。ほんとに少しだけですよ」
手を合わせてまで懇願されては、断るのも可哀想だ。それに雪には、勇気のない私に付き合ってもらうという恩もある。
「まかせてよ。景品のぬいぐるみの可愛さときたら、そりゃもう最高なんだから。とれたら美紀にもよ〜く見せてあげる」
正直言って、私はどっちでもいいのだけど…………
こうして私と雪は、放課後の校舎を後にした。
これから先、ちょっとした騒動になるとも知らずに。