第一章  出会った少女  [佳奈]

 

 

 つまらない世の中だと思う。

 決められた社会のルール。面白みのない日常。個性のない人間たち。

 幸せだと感じていたことも、失ってしまえば一瞬。実にあっけない。

 次の幸せを見つけようにも、なかなか見つからない。

 いや、むしろ幸せなんて欲しくはない。今のつまらない世の中では。

 個性もなく、上辺でしかつきあえない人間たちと、どうやって幸せなんて築ける? 無気力で無関心の人間たちと、どうやって笑いあうことができる?

 実に馬鹿馬鹿しい。薄っぺらな世界が広がっても、何が楽しいんだか。

 ホント、つまらない世の中と人間たち。

 そしてあたしも、そんなつまらない人間の一人。少し違う部分をいえば、人との馴れ合いに飽きたということぐらいか。

「ふわぁぁぁ〜〜〜〜〜」

 あくびがもれる。

 青空の広がる良い天気。冬という季節でなければ、もうとっくにウトウトしていそうなものだ。

 静かな公園での昼下がり。普通ならば、学校で勉強に励んでいる時間。

 でも、そんな勉強に価値を見い出していないあたしは、無断欠席。

 つまりは、サボりだ。

 ここ最近は、ずっと学校には行っていない。

 担任の教師から自宅に連絡もあったが、その時だけ生返事をして、あとはずっと無視。大体、担任にしたって本気で心配しているかといえば怪しいものだ。

 それが仕事だから心配しているにすぎない。きっとそんなもんだろう。

 いまどき、熱血教師なんて流行らない。そういうのは漫画やドラマの世界だけで充分だ。

 そもそもあの担任に、教師としての本当の自覚があれば、“あの時”にあんな心ないことはいわないはずだ。

 あんな……人として、最低なこと……。

 担任が担任なら、それに従っているクラスメートも最低だ。

 思い出すのも腹立たしいが、その怒りをぶつける場所なんてどこにもありはしない。苛々するだけ、やはり損なのかもしれない。

「あんたがいなくなってから、あたしの人生変わっちゃったよ」

 青空を見上げて、そこに行ったであろう友人につぶやく。

 その時だ。

「おサボリさん、み〜つけた」

 あたしの背後からそんな声が聞こえた。

 聞き覚えのない声だったが、明らかにあたしに対しての呼びかけだと思い、後ろを振り返る。

「あんた、誰よ?」

 そこにいたのは、あたしと同世代ぐらいの少女だった。ちなみに見知った顔ではない。

「わたしは菜穂。昨日からずっと、あなたのこと探してたんだから」

 菜穂? 記憶を掘り返してみるが、やっぱり知らない奴だ。

 それより、昨日から探してただって? ……何でっ!?

「さあ、わたしと一緒にケーキ屋さんに行って、店の人に謝ろうね」

「うわぁっ、ちょ、ちょっと!!」

 菜穂と名乗ったやつは、いきなりあたしの腕をつかんで引っ張りだす。

「一体、あんた誰よ。あたしに何の用だよ。わかるように説明しろっ!」

「さっき言ったばかりじゃない。わたしは菜穂で、あなたはわたしと一緒にケーキ屋さんに謝りにいくの」

「さっぱり話が見えないぞ。コラ!」

 あたしは、このヘンな女の手を強引に振りほどいた。

「わっ、逃げるの?」

「違う!」

「良かった〜」

 ホッと胸を撫で下ろす菜穂。

 まったくこいつは何なんだよ。ケーキ屋がどうこう言ってるが、まさかケーキ屋の店員か何かか? でも、こんなやつ店員にいたっけ?

「あんた、あたしをケーキ屋に連れていって何をさせるつもりさ?」

「勿論、店の人に謝るんだよ。昨日の夜、あなたが万引きしたブーツを返して」

 そう言われて、あたしはウゲッという顔になる。まさか、昨夜の行為を見られていたとは思わなかった。

「さあ、謝りにいこう。ケーキ屋さんにだって、きっと情けぐらいあるよ」

「ちょっと待った。あんたさ、ケーキ屋の店員なの?」

「違うよ」

 すんなりと言われる。

「じゃあ、一体なんな訳?」

「通りすがりの旅の少女。ただ、少々おせっかい焼きなの」

 昔見たテレビの時代劇で聞いたような台詞を、こいつは言う。

「早く万引きの事、謝りにいこうよ」

「あ、あのねえ。万引きとかケーキ屋だの、あたしは知らないよ。人違いじゃないの?」

「間違いないよ。昨日、あなたの顔はしっかり見てたから」

 はっきり堂々と言われる。

 ううむ。しくじった。こいつはあたしの気づかないところで、ずっとあたしを見てやがったのか。

 だが、仮に見ていたとしても、あたしが万引きをしただなんて、簡単に立証できやしないだろう。あたしは、シラをきり通す覚悟を決めた。

「あたしが万引きをしただなんて、とんだ言いがかりだね。第一、証拠はあるの?」

「証拠……ううん、証拠ねぇ。……わたしが見てたっていうのでは駄目かな」

「んなもん、証拠になるか!」

「そりゃ残念」

 今度は腕を組んで唸り出す。

 はっきりいって、これ以上こいつの相手をしていても仕方ない。

「証拠がないんなら、あたしは行かせてもらうからね」

「あっ、ちょっと待ってよぉ〜」

 情けない声で呼び止められるが、そんなものは無視だ。

 だが。

「待って、待って! 証拠発見!」

 前に回り込まれて止められてしまう。……それで止まっているあたしも、ひょっとして馬鹿?

「何だよ。証拠って」

「ねえ、あなた学校サボってるでしょ?」

「それがなんなのさ」

「だって、こんな時間に私服で公園にいるんだもの」

「サボってなくても、私服でいるやつはいるだろ。風邪ひいて休んでるやつとかさ」

「少なくとも風邪をひいてる人は、家でゆっくり寝ているものだよ」

「だったら、学費が払えなくて学校に通えないやつとか」

「あっ、なるほど。あなた、貧乏でお金がないから万引きなんかしたんだ?」

「違う!」

 あたしの例えも悪かったが、人を勝手に貧乏人にするとは、喧嘩売ってんのかよ。こいつは。

「あんた、結局は何がいいたいのさ。学校をサボるのと万引きがどうつながるっていうの」

「簡単だよ。学校をさぼるのは悪い子。万引きをするのも悪い子。悪い子っていう意味で共通してるでしょ」

 めまいがしそうだった。こいつ変な奴なんじゃないか。

「この時期に悪いことをしても損だよ。サンタクロースは良い子の家にしかこないんだから。だから、良い子にして謝りにいこう。ね?」

 訂正。変な奴どころか、変そのものだ。

 いい年齢してサンタクロースとは、こりゃまいった。

 しかも、あたしは完全に犯人扱いだ。まあ、それは間違ってないんだけどさ。

 それにしても、こいつを改めて見ていると一つ気にかかることがあった。

 あたしは、そこを指摘してやる。

「あたしが悪い子っていうんなら、あんただってそうじゃないの?」

「えっ、どうして!」

「あんただって、あたしと同じで私服じゃん。学校はどうしたのさ。風邪をひいてる人間は、家で休んでるものだよね」

 そう。目の前にいるこの菜穂という少女も私服だった。クリーム色のセーターに薄いジャケット。チェック柄のスカートに黒のオーバーニーソックス。これは学生服とはいえないだろう。

 ただ、こいつが大学生とかいうなら話は別だが、あたしより年上にはみえなかった。

「うぅ、それは……。わたしは…その…いいの」

「よくないね。ひょっとして、万引きしたのだってあんたじゃないの? 一人で謝りに行くのが怖いから、あたしを巻き込もうとしてるとか」

 ささやかな逆襲だ。さて、こいつはどうでるやら。

「あなたって、ひょっとして意地悪?」

「それが初対面の人間に言う台詞かよ!」

 なんか全然、逆襲になってない気がする。力が抜けそうだ。

「とにかく、もういいだろ。あたしに構うな」

「駄目。ちゃんと万引きしたもの返さなきゃ。わたし、見たんだから」

「見た見たって、しつこいぞ。証拠もないのにさ」

「わたし、空の上からずっと見てたの。あなたが万引きするところ」

 空の上。

 その言葉を聞いた途端、ゾクリとする。

 空の上って、あいつが行った空のことなのだろうか。

 そんなわけないよな。

「ふん。馬鹿らしい。空の上から、どうやって見てたっていうのさ。鳥でもあるまいしさ」

 あたしは、何かをふっきるように、辛辣に言い捨てた。

 だが、次にこいつから返ってきた言葉は、あたしの心を再び揺さぶった。

「見てたよ。本当に。だって、わたしは天使だもの」

 天使……?

 あたしは、目の前の菜穂と名乗った少女を、まざまざと見つめる。

 とてもそうには見えない。第一、そんなものが本当にいるのか?

 否定したい思いと肯定したい思い。あたしの中で、現実ばなれした考えが渦を巻く。

「証拠は……あるの?」

「それってつまり」

「あんたが天使である証拠だよ!」 

 気がついた時には、そう訊ねていた。

「……うう〜ん、そうだねぇ。証拠は見せられるけど、驚かないって約束できる?」

「約束する。ついでにケーキ屋に謝りに行ってもいい」

 何言ってんだ、あたし。これじゃあ万引きしたって認めるようなもんじゃないか。

 それでも、一度湧いた興味は止めようもなかった。

「それじゃあ、周りに人もいないことだし、少しだけだよ」

 菜穂が照れくさそうに微笑する。それと同時に、彼女の身体が淡い光に包まれ、その背中から真っ白な羽があらわれる。

 けっして大きくない羽だった。それでも太陽の光を透して輝く羽は、生きている者にのみ与えられる、生命の煌きのようなものを感じさせる。

 目の前の彼女が、ゆるやかに浮かび上がった。

 あたしは、呆然と見とれる。

 夢のような光景。目の前の少女はあまりにも幻想的で儚い。

 常識の境界が曖昧になる。天使など非現実だと思っていた昔の自分と、天使という存在を信じたい今の自分。目の前で起きている光景は、そんなあたしの不安定な心が生み出した、夢か幻か?

 目の前に、菜穂の手がそっと差し伸べられる。

 あたしはその手を掴んだ。

 柔らかくも温かい手。これはまぎれもなく現実だ。そう認識できる。

 そして、菜穂は優しい顔で言った。

「ケーキ屋に謝りに行こうね」

 あたしは、その手をとったまま、無言でうなずいたのだった。

 

 

 

 

 二人でケーキ屋に謝りに行き、再び公園に戻ってきた頃には、もうあたりが真っ暗になる時間帯だった。

 さすがにこの時間ともなると遊んでる子供もいない。ま、ただでさえ昼間でも人は少ない公園ではあるんだけど。

 ケーキ屋での謝罪は、あっけないほど簡単に終わった。菜穂が一生懸命、店長にかけあってくれたのもあって、万引きの件は親や学校にも知らせないよう計らってもらえたし。勿論、もう二度と万引きなどしないようには約束させられたが。

 公園のブランコに腰掛けるあたしの横には、同じくブランコに腰掛け、買ったばかりのケーキをパクついている菜穂がいる。

「おいしいよ。やっぱりケーキはイチゴ・ショートに限るね」

 口の周りに生クリームをつけながら、菜穂は幸せそうに笑う。

 まるっきり子供だな、こいつは。見た目だけなら、あたしと同じで高校生くらいなのに。

「ねえねえ。このケーキ、本当にご馳走になってもよかったの?」

「食べてから言うな」

 菜穂と喋っていると、どうしても苦笑がもれる。

「とりあえず一緒に謝ってくれたお礼だから、遠慮しなくていいさ」

 この気持ちに偽りはない。こいつが一生懸命謝ってくれたおかげで、大ごとにならずに済んだようなものだ。

「それにしても菜穂ってさ。あんまり天使ってイメージじゃないよね」

「どうして?」

「んんと、ね。なんていうのか……神々しさに欠けるっていうのかなあ」

 はじめて菜穂の羽を見たときは幻想的だと思った。けれど、いま目の前にいるこいつはただの食いしん坊だ。うまくはいえないが、ギャップがある。

「天使って神々しいものなの?」

「いやっ、その…これは、あたしの抱いてたイメージであってさ……」

 あたしは頭を掻いた。本物の天使にむかって、何を言ってんだか。

「ううむ。わたしって、本当は天使とは違うのかなぁ」

「はい?」

 聞き捨てならない言葉。あたしは、怪訝な目で菜穂を見た。

「実は、わたしにもよくわからないんだよ。背中に羽があったから天使なのかなぁって、自分で勝手に思ってるだけで。……実は何たら星雲からやってきた宇宙人かもしれないね。さすがに巨大化はできないけど」

 あたしは、言葉を失った。

 騙されたのか?

「ひょっとして、怒ってる?」

 菜穂が申し訳なさそうにあたしの顔を覗く。

 だから、あたしは…………

 大声で笑いとばしてやった。

「このさいあんたが何者であっても、驚きゃしないよ。十分、非現実なやつなんだからさ」

 色々考えてもみたが、あたしが見たこいつの羽は本物だった。ホント、非現実な存在であることにはかわりないのだ。

「ひどいなぁ」

 菜穂は、むくれ顔で抗議する。

「でも、あんたって、元々はどういう子だったの。昔から羽なんてあった訳?」

「別に昔からあった訳じゃないよ。元々は普通の人間として暮らしてたんだけど、気がついた時には羽があって……その前後の記憶が曖昧で」

「なんか、複雑そうだね」

「深く考えたらそうかもしれない。でも、いくら考えても思い出せないし、まあいずれ思い出したらいいかなって程度で」

 あっけらかんと答えられるけど、そんなに簡単に流してしまって良いことなのだろうか。

 かといって、こいつがこの調子ではこれ以上に突っ込んでも意味がない。

「そっか。まあ変なことを聞いたっていうんなら、ごめんよ」

「大丈夫だよ。気にしないで。それに、わたしでわかる事だったら何でも聞いてくれていいから」

 何でも聞いてくれていいから、か。

 確かに聞きたいことなんて山ほどある。

 空の彼方には、本当に天国があるのかとか、そこには“あいつ”がいるのかとか。

「…………ねえ、菜穂。空の上には、あんたと同じように羽の生えた人間っているのかな?」

「唐突だね。でも、どうかなぁ。わたしみたいなのがいるくらいだし、他にもいるんじゃないかな」

「だったら、そこに千歳って子はいない?」

「千歳ちゃん? うう〜ん、ごめん。知らないよ」

「そっか」

 あたしは、溜め息をつく。予想していた答えとはいえ、あっさり言われるとやはり寂しいものがある。

「千歳ちゃんって、あなたの大事な人?」

「まあね。空の上にいっちゃった、あたしの大切な友人」

 そう。千歳は大切で、かけがえのなかった友人。けれど、事故で亡くなってしまった。

 あまりにもあっけない人生の幕引き。千歳が可哀想でならなかった。だから、あの子が天国に行き、天使として幸せに暮らしているんだと信じたかった。

 で、残されたあたしといえば、あいつがいなくなってから、何もかもがつまらなくなった。

 必要以上に、誰とも喋らなくなった。

 今、空を見上げても、そこには千歳の姿はない。暗い夜空が見えるだけ。

 でも、隣には菜穂がいる。空から地上に舞い降りた自称“天使”が。

 考えてもみりゃ、他人とこんなに話したのって何日ぶりだろう。千歳がいなくなった頃からすると、おおよそ半年ぶりか。

 何だか久しぶりに人間らしい感覚を取り戻した気分だ。

 菜穂は変わり者だが、どこか千歳に似ている。おせっかいで強引なとこなど特に。

「千歳ちゃんって子、元気だといいね」

 自称“天使”の少女は、あたしの気持ちを察したのか、そっと声をかけてくれた。

 千歳も、人の気持ちを察するのが上手な子だった。

「そうだな。まっ、あんたみたいな子もいるわけだし、千歳も空の上でよろしくやってんのかもね」

 あたしは元気よく言ってから、話題の方向を切り替えた。

「それより菜穂。あんた、今夜はどうすんの? そもそもあんたって、何か目的とかあるの」

「別にこれといっては。強いて言えば、忘れていることを思い出すために、あちこち旅してまわってるくらいかな」

「ふ〜ん。ま、慌てていないんなら、今夜はあたしん家に泊まりにおいでよ」

「でも、迷惑じゃないかな?」

「別にいいって。家族だって、家に帰ってくるの遅いし、一人で晩メシ食ったって美味くないしさ」

 菜穂はしばらく考えたようだったが、やがて結論を出した。

「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「よし、決まりだ」

「でも、ひとつ勿体無いことをしたかな〜って思ったよ」

 何だ? 重要なことでも忘れてるのか。

 あたしが疑問顔をしていると、菜穂はケーキの箱を持ち上げた。

「こんなことになるなら、このケーキ、夕食後に食べればよかったなあって」

「なんだよ。そんなことか」

 まったくとぼけたやつなんだから。こいつは。

 でも、それが微笑ましいのかもしれない。

「さあて、そろそろ行くか」

 あたしは立ち上がると、公園を抜けるべく走り出す。

「あっ、待ってよぉ」

「浅木佳奈」

 途中、立ち止まったあたしは、振り返って自分の名前を名乗る。

「え?」

「それ、あたしの名前」

 そして、再び全力で走り出す。

「待ってよ〜、佳奈ちゃ〜ん」

 遥か後方で、間延びした、情けない声が響く。

 まったく、トロくさいやつだ。

 でも、何だか久しぶりに楽しんでいる。

 あたしはそんな感覚に、少し嬉しいものを感じていた。