〜宿り木の双子〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、12時の鐘は鳴る……

 

 

 

 

 

 

 

第2話 七日間の魔法

 

不思議

思いもかけない瞬間、心が感じてしまう

一言では表せないこの気持ち

これって一体

なんというものだろう?

 

 

 

[柊 彩音]

 

 午後9時。喫茶店“宿り木”が閉店する1時間前。

 今夜もあの人はお店に来てくれた。

 お客さまの名は、貴田 誠さん。私より何歳か年上の男性だ。

 彼はいつもこのあたりの時間に来て、窓際の奥の席に座る。

「いらっしゃいませ、貴田さん」

 席についた彼に早速、注文をとりにいく私。

「こんばんは。彩音さん。今夜も寄せてもらったよ」

 貴田さんはにこやかにそう告げる。

「いつもありがとうございます。今夜のご注文は何になさいますか?」

「そうだね。昨夜は苺のケーキを頂いたし、今夜は林檎のタルトでも頼もうかな」

「かしこまりました。林檎のタルトですね。お飲み物はどうしましょう」

「飲み物はいつものように彩音さんにお任せするよ。温かいものなら何でもいいや」

「はい。それではお任せされますね」

 親しいお客さまとのごく普通のやりとり。これといって特別なことがあるわけでもないのだが、不思議と楽しんでいる自分がいた。

「あ、そうそう。彩音さん。足のほうはもう大丈夫かい?」

 注文を控えた私に、貴田さんが訊ねてくる。

「ええ、大丈夫ですよ。おかげさまでもう痛くはありません」

「それなら良かった。医者に見せるほどでもなかったようだね」

「これも貴田さんのおかげです」

「僕は最低限のことしかしていないさ」

 お互いに顔を見合わせ笑いあう。

 貴田さんと出会ったのは、四日前のことだった。喫茶店で使う食材などを買った帰り、私は走ってくる自転車とぶつかりそうになり転びかけたことがあったのだ。

 その時、運悪く足を挫いてしまい、それを助けてくれたのが貴田さんだった。

 貴田さんは何でもお医者様の卵らしく、彼の適切な処置のおかげで足のほうも大事に至ることはなかった。

 そして、私を店まで送ってくれた彼は、それから以後も、毎晩のように自分たちの店を訪れてくれるお客さまとなったのだ……。

「ま、良くなってきたとはいえ、無理はしちゃだめだよ」

「はい。わかっています」

 貴田さんの言葉に笑顔で頷いてからは、厨房にいる双子の妹、若葉ちゃんに注文を告げに戻った。

 この喫茶店“宿り木”は、私と妹の二人できりもりしている。

 五年前に両親を無くした私たちは、おじいさまの運営するこの店に引き取られたのだ。けれど今は、おじいさまも病気で入院しており、自分たち双子が店を守っているという状態だった。

「若葉ちゃ〜ん。林檎のタルト、注文入ったわよ」

「了解。姉さん。それ、貴田さんからの注文ね?」

 厨房に入ると溌剌とした元気な声が響き、妹の若葉ちゃんが振り返る。

「うん。そうだよ」

「それじゃあ、しっかり用意しないとね。姉さんの“大事”なお客様な訳だし」

 なぜだか“大事”って部分を強調させながら、若葉ちゃんが言う。

「わ。なに? その意味深な言い方。それに貴田さんは、私だけのお客様じゃないよ」

「ふふふふ。隠すことないよ。わたしにはちゃ〜んとわかってるんだから」

「隠す? 私、何も隠していることないよ。若葉ちゃん、何を言ってるの??」

 本当にわからないから首を傾げてしまう。

 そんな私に妹は近づいてきて、小声で耳打ちする。

「姉さん、貴田さんのことが好きで気になっているんじゃないの?」

「ええ〜〜っ?!

 突然の言葉に目を丸くして驚く。わ、若葉ちゃん、いきなり何を言い出すんだよ〜。

「声が大きい。厨房を筒抜けて店まで響くわよ。で、実際のところどうなの?」

 興味津々といった顔で訊ねてくる若葉ちゃん。

「どうって言われても……別に若葉ちゃんが思ってるようなことはないよ」

「本当にそうかしら? 貴田さんを相手にしている姉さんって、いつもより楽しそうに見えるんだけどな〜」

 うぅ〜ん、ある意味では鋭い指摘。

 確かに貴田さんとのやりとりを楽しんでいる自分がいるのは認める。でも、それが直接、好きに繋がるかは少々疑問だった。

「…………多分、若葉ちゃんの気のせいだよ。それに楽しそうに見えるのは、貴田さんへの紅茶選びの部分なんだよ。彼っていつも、紅茶は私に任せるでしょ。あの方の選んだ食べ物に対し、どんな紅茶を合わせるのがいいか。それを考えるのが楽しいんだよ」

 うん! これだよ。不思議と楽しく感じるのはそれが理由……と思う。

 選んでくれた食べ物に合わせ、最高の紅茶をお出しする。紅茶を淹れることだけが取り柄の私には、そうやってお客さまに喜んでもらうことが嬉しいもの。

 ただ若葉ちゃんの方は、私の今の答えに納得がいかない様子だった。

「姉さんと貴田さんを見ていたら、他にも何かあると思うんだけどなぁ〜」

「ヘンなこと言ってないで、早く林檎のタルトを用意して」

「はいはい」

 とりあえず、タルトを妹に任せた私は、今夜お出しする紅茶の準備にとりかかる。

 林檎のタルトのような甘いお菓子とあわせるとなると、口直しになるようなすっきりした紅茶が良いように思える。

 となれば、ヌワラエリヤなんかピッタリかもしれない。12月から3月までに摘まれた葉は香りもよい高級品だし、最近入荷したヌワラエリヤも12月のはじめに摘まれたものだ。これをお出ししてみよう。

 こうして紅茶も決まり、それを淹れ終わった頃には、若葉ちゃんが林檎のタルトをお皿にのせて持ってくる。

「林檎のタルト、これがもう最後だよ」

「わかったわ。それじゃあ紅茶もできあがったことだし、貴田さんにお出ししてくるわね」

「了解。姉さん、頑張ってね。応援してるから」

「もうっ! まだそんなこと言う。からかわないでよ〜」

 にこにこと笑う妹を尻目に、私は注文の品を運ぶ。

「貴田さん。おまたせしました」

 テーブルの上にタルトと紅茶を置く。

「ありがとう。今夜の紅茶は一体なんだろう? みたところ普通な感じだけど」

「紅茶はヌワラエリヤという銘柄です。甘いお菓子の口直しも考えて、味のしっかりしたものを選んでみました。香りも良いので、ヘンにバリエーションをつけずに、ストレートティーでお持ちしました」

「それじゃあ早速、頂いてみるよ」

 貴田さんはそう言うなり、まず林檎のタルトを一口食べ、そのあとに紅茶を飲んだ。

 私は思わず、その様子をじ〜〜っと見詰めてしまう。彼の感想が気になるから。

 そして貴田さんは、小さく頷いた。

「タルトも美味しいけど、紅茶は更にぴったりくる。彩音さんはホント、紅茶を淹れるのが上手だね」

「恐縮です」

 お客様に喜んでいただく。それはサービスを提供するものにとって、最高の幸せ。

 けど、貴田さんに誉めてもらうと、他のお客さまに誉めてもらう以上に嬉しいものがある。

 これってどうしてなんだろう?

 まさかとは思うけれど、若葉ちゃんが言ってたようなことじゃないよね。

 少なくとも私は、貴田さんに対してそれほど特別な想いなんて…………。

 本当ならもうこの場を離れてもいい筈なのに、ついつい彼の動きを目で追ってしまう。

 端整で落ちついた横顔。優しいお医者様にぴったりの柔和な笑み。

 …………はぁ。さっき若葉ちゃんにヘンなことを言われたせいか、妙に意識してしまうよ。

「彩音さん、どうかした? 先程から僕の様子をうかがっているみたいだけど」

「へ? い、いえ、別に、その、紅茶などを喜んでもらえて良かったなぁって思いまして。はい」

 しどろもどろになって答える。

 私、そんなに彼のことをじっと見ていたのだろうか? 失礼に思われていないか少し不安。

「僕は満足しているよ。こんなに美味しいお菓子や紅茶を飲ませてくれる店ってあまり知らなかったからね。そう考えると、あのとき彩音さんと出会えたのも、ちょっとした運命かもしれないな」

 うっ、運命…………?!

 貴田さんからすれば、さらりといった言葉かもしれないが、今の私には何故か重い一言のように響く。

「気障な言い回しだったかな? 僕には似合わないよね」

「い、いえ。そんなことはありませんよ。私たちとしては、お客さまにこうやって来ていただけるだけでも嬉しいことですし、こういう縁も運命の巡り合わせかと思います」

「あはは。そう言ってもらえると僕も安心するよ。そういえばここのお菓子って、妹の若葉さんが作っているんだよね?」

「ええ。そうですよ。妹はお菓子や食事、私は紅茶をはじめとする飲み物を担当しているんです」

「そうか。彩音さんは料理とか作ったりはしないの?」

「えっと、私は…………」

 実をいうと私、お料理ってからっきし駄目なんだよね。妹の若葉ちゃんにも太鼓判おされるほどの料理下手だから。

 ただ、貴田さんにそれを告げるのは恥ずかしかった。

 だから思わず……。

「…………たまに作ることはありますよ」

 そう答えてしまった。

「だったら今度、彩音さんが作ったものも食べてみたいな」

「え?」

「彩音さんが作ったものを食べてみたいって言ったんだけど」

 間抜けにも訊き返した私に、貴田さんは丁寧に繰り返してくださる。

 ただ、今の言葉も聞こえなかった訳ではない。あまりにも突然の申し出に驚いてしまっただけ。

 それにしてもどうしよう……。

 私の作ったものを食べたいだなんて。こんなことを言われるのは予想外だった。

 でも、こればかりは断ったほうがいいだろう。私の作った食べ物なんて、貴田さんにお出しするには失礼すぎるもの。

 しかし、私がお断りするより先に貴田さんが口を開いた。

「いつも、僕が想像もしないような美味しい紅茶を淹れてくれるし、食べ物のほうも何が出てくるか楽しみなんだ」

 純粋に好奇の混じった言葉。本当に楽しみにされている事が、ありありと伝わってくる。

 困ったよ〜。こんな風に言われたら、断りにくいよ。

「どうかな? 今度来たときにでも、彩音さんの作ったお菓子を食べさせてくれないかい」

「とはいえ、いきなり明日という訳には……」

「あ、それなら大丈夫だよ。僕、明日からしばらくここに来れないんだ。上の先生に提出するレポートとか仕上げなきゃいけなくてね」

「そうなんですか? それは大変ですね」

「うん。だから次に来れるのは、一週間後になりそうなんだ。その時まで、何か考えてみてくれるのはダメかな?」

 一週間後かあ。私は店の壁に飾ってあるカレンダーを見た。

 そして、「あっ!」っと思う。

 今から一週間後は1224日。クリスマス・イブだった。

 クリスマス・イブ。貴田さんに私の作ったお菓子を食べてもらう……か。

 確かに特別な日ではあるし、挫いた足を手当てしてもらったお礼を兼ねる意味でも悪くはないかもしれない。

 私はしばらく考えた後、心を決めた。

「わかりました。それならば一週間後、何か準備してみますね」

「やった! そういう楽しみがあればレポートのほうも頑張れるってものだよ」

 本当に嬉しそうな貴田さん。こういう笑顔を見ると、私まで楽しくなってしまう。

 問題は、自分にどんなお菓子が作れるかだけど、それはこの七日の間に何かをマスターするしかない。

 今は弱気になるより、何かができると信じよう。

 だって私は、今の貴田さんの笑顔を、もっともっと輝かせたい気持ちで一杯だもの。

 

 

 

 貴田さんと約束した翌日から、私の挑戦は始まった。

 妹の若葉ちゃんも起きていない早朝から、私は厨房に入る。

 目的は朝食をつくることだった。

 いつもは若葉ちゃんに任せているんだけど、今回は私が頑張ろうと思った。貴田さんにお菓子をつくるにしても、まずは料理をするという行為に馴染んでおかねばならないものね。

 まあ、朝食はそんなに凝った物でなくてもいい筈だから、自分でも何かはできるだろう。

 さてと、今朝は何をつくろうかな?

 普段はトーストとベーコンエッグなんかが多いけど、少しは手のこんだものも作ってみたいなあ。

 そんな訳で冷蔵庫や棚の中から目に付くものをとりだしてみる。

「キャベツにトマト、卵に明太子、パスタと塩、胡椒、砂糖…………」

 適当に並べてみるけど、これだけでも何かできるかなあ?

 私は材料を見て、う〜〜んと唸る。中々パッとしたものが浮かばない。

 仮に何かを思いついても、それってありきたりの料理ばかり。そういう誰でも作れそうなものは、なんだか面白くなさそう。

 ここはひとつ、少し工夫を凝らしてみたいところではある。

「トマトはサラダ用として、キャベツは千切り……って、これじゃあトンカツの付け合せだよね」

 その時だ。私の脳裏にひらめくものがあった。

「そうだ。キャベツといえば、ロールキャベツがいいかも! でも中にくるむもの……卵を焼いて明太子と一緒にキャベツでくるんで、ええと……ロール明太卵??」

 ネーミングはいまひとつだけど、これって画期的な気がする。

 栄養たっぷりの卵焼きを、ヘルシーなキャベツでくるむ。私の頭の中ではとても美味しそうなイメージだ。

 じゃあ、まずは中にくるむ卵焼きを作らないとね。

 私はフライパンを準備し、それを火にかけ、気合いを込めて卵を割る。

「えいっ!!」

 正直、卵を割るのって苦手なんだけど、今日はうまくいってくれた。これは幸先が良いかも。

 けれど…………。

 なんだかフライパンの上で焼けているのって、卵焼きというより目玉焼き。そもそも卵焼きってどうやって作るんだっけ?

 …………ま、細かいことは気にしちゃダメだよね。きっと卵焼きっていうぐらいだから、長時間焼いていれば、目玉焼きから卵焼きになるんだよ。多分。

 それよりも次は、キャベツを洗って、サラダ用のトマトも切らないとね。

 卵を焼いている間、むしったキャベツとトマトを綺麗に洗い、それが終わったあとはトマトを包丁で切る。

 けれどトマトはうまく切れず、中身がグチャっとつぶれた。

「ううぅぅ」

 しばらくトマトと格闘するものの、やればやるほどおかしくなっていく。そのとき、卵を焼いていたフライパンから焦げ臭いかおりが漂ってくる。

 慌ててそっちを見ると、卵が黒く焦げかけていた。

「あれ? 焼いてたら卵焼きになるんじゃないのかな……。う〜〜ん。ひっくりかえしてみようかしら」

 手に持っていた包丁で、卵をひっくりかえそうとしたその時だ。

「ちょっと姉さん! 何やってるのよ?」

 厨房の入り口から若葉ちゃんの声が響いた。どうやら起きて来たようだ。

「朝食の準備をしてるんだけど、うまくいかないんだよ〜」

「準備って、どうして姉さんが? それにコレ、一体なにを作ってるの?」

 置かれた材料を見て、若葉ちゃんが眉をひそめる。

「ロール明太卵」

「はぁ?」

 訳がわからないといった顔をされる。

「明太子と卵焼きをキャベツでくるんでみようと思ったの。でも肝心の卵焼きがうまくできなくて」

「…………姉さん。それ卵焼きというより、目玉焼き……らしいものに見えるけど。しかもこんなに焦げつかせちゃって。ちゃんとフライパンに油はひいたの?」

「……やってないよ」

 若葉ちゃんは額をおさえて、首を振った。

「姉さん。朝からたちの悪い冗談はやめてくれる?」

「ごめんね。でも、私にも事情があったんだよ」

「何よ、その事情って。凄絶な料理でもつくって、憎い人間に食べさせるの?」

「そうじゃなくて……」

 こうして私は、昨夜、貴田さんとの間で取り交わした約束の話をした。

「……とまあ、そういうことだから、クリスマス・イブまで何か作れるようにならなきゃいけないんだよ。それの練習も兼ねて、今日の朝食をつくろうとしたんだけどね」

「貴田さんの為にお菓子をねぇ」

 若葉ちゃんは半分呆れつつも、最後まではきいてくれた。そして。

「やっぱり姉さん、貴田さんのことが好きなんじゃないの?」

 またしても、からかうように言われてしまう。

「そ、そんなのじゃないよ!」

 やだなあ。こういう風にからかわれるから、若葉ちゃんにはあまり言いたくなかったんだけどね。

「本当に? わざわざ苦労してまで手作りのお菓子をつくるなんて、特別な気持ちがないとできないと思うけどな〜」

「私はただ、足の手当てをしてもらったお礼をしたかった訳で、特別とかそういうのは……」

「ないっていいきれる?」

 じっとみつめてくる若葉ちゃん。妹は少し真剣な表情だった。

 だから私も、いま自分に言える精一杯の答えで返す。

「正直、よくわからないんだよ。今の自分の気持ちがどういうものであるのか。……でも、それをはっきりさせたいから、貴田さんに色々としてあげたいのかも。彼と接しているうちに答えがでるかもしれないし」

「なるほどね。姉さんは姉さんで、よくわからない気持ちと向き合ってる訳だ」

「うん。そうなるかな。だからそれを知る意味でも、出来る事を頑張りたいんだよ」

「わかったわ。……でも姉さん、ちょっと水臭いよ」

「え?」

「お菓子作りのことなら、わたしにも相談してほしかったな。必要以上にでしゃばる気はないけど、力にはなれると思うよ」

「でも、若葉ちゃんにこのことを相談したら、色々とからかわれそうだったもん」

 私がそのことを言うと、妹は「てへへ」っと、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「じゃあ、もうヘンにからかったりはしないから、お手伝いさせてくれる?」

「…………うん。私のほうこそお願いするよ」

 クリスマスまでの一週間は長いようで短い。今の自分の有様を考えれば、若葉ちゃんに色々と教えてもらわないと恥をかくのは明白だった。

 それがわかっているからこそ、若葉ちゃんもお手伝いを申し出てくれる。

 優しい妹だった。

「OK。それじゃあ今日から色々と考えていきましょ。でもそのまえに、目の前の朝食をなんとかしなきゃね」

 確かにそれは大事だった。自分たちはまだ学生で、普段は午後まで学校があるのだから。このままぼんやりとしていれば、学校にだって遅刻しかねない。

「ロール明太卵、もう一度つくりなおしたほうがいいかしら」

「それは却下。そんなもの食べて学校にいったら、一限目から腹痛でうなされそうだもの」

 ……優しい妹というのに少し補足。優しいけど、ちょっぴり意地悪な妹だ。

 でも、どこの誰よりも私の気持ちを理解してくれる、大事な片割れ。

 私たちは厨房の片付けを済ませたあと、いつものようにトーストとベーコンエッグの朝食を摂った。

 

 

 

 料理というものは、不器用な私にとって実に難しいものだと実感した。

 妹、若葉ちゃんの協力を得てから四日、私は料理の基礎をみっちり仕込まれた。

 平日の昼間は学校、夕方から夜まではお店。料理の特訓は喫茶店の営業が終わってからとなる。

 特訓は毎晩遅くまで続いた。若葉ちゃんの教え方は良いのだろうけど、私のほうが相当にダメな生徒なので、ひとつひとつに時間がかかってしまうんだよね……。

 それでも若葉ちゃんは、嫌な顔ひとつせずに根気良く付き合ってくれる。そんな優しい妹に対し、私はどれだけ感謝をしていいのかわからない。

 そして今夜も、店を閉めた後の特訓がはじまる。

 

「若葉ちゃん、今夜は何を教えてくれるのかな?」

 店の後片付けや掃除が済んだ後、私は妹に訊ねた。

「今夜は細々としたことを教えるのではなく、お菓子づくりの実践に入ろうと思うわ」

「わ! もしかして、何かを作るってこと?」

「そのつもりよ。イブまで、もう何日とないわけだし、そろそろ実践の段階に入らないと間に合わないでしょう」

「で、でも……いきなり実践だなんて、私にできるのかなあ。包丁だって、まともに持つのが精一杯なのに」

 若葉ちゃんがついているとはいえ、不安は沢山あった。

 妹がつくる、見栄えの良い華麗なお菓子を見なれている私には、自分でもそのようなものを作れるのか自信がないのだ。

 いきなり若葉ちゃんレベルのものを作るのは無理としても、多少は見栄えよくなるようにしたい。そのためにも、もう少し基礎を固めたいという気持ちがあった。

 ただ、私がそのことを伝えると、若葉ちゃんはにべもなく却下する。

「見栄えなんて後回しでいいわよ。大事なのは美味しいものをつくるという気持ち」

「それはわかっているけど、あまり無様なものは作りたくないよ〜」

「大丈夫よ。これから姉さんにつくってもらうものは、見栄えなんて気にしなくてもいい、地味なケーキだから」

「地味なケーキ?」

「ま、そういうと少し語弊はあるけど、基礎さえ踏まえていれば姉さんにだってそれなりのものは作れるわ」

 そう言って若葉ちゃんは、とある料理雑誌を見せてくれた。

「…………さつまいものケーキ?」

 開かれたページには、四角い形で飾り気のない、ふっくらしたお菓子が載っていた。

「そう。さつまいもを使ったバターケーキよ。見た目こそは地味かもしれないけど、味に関しては保証できるわ」

「たしかに、ふっくらしていて美味しそうだね」

「でしょ。これなら見栄えなんて気にしなくても味で勝負できるわ」

「でも、本当にうまくできるかな」

「最初はうまくできなくてもいいわよ。少しづつ慣れていけばいいんだから。今夜からイブまで、毎晩つくって練習あるのみ。ぶっつけ本番よりはいいでしょ?」

「それはそうだけど……」

「姉さん、自信もっていいよ。ここ数日の特訓で、たどたどしいながらも基礎はおさえてきたんだから。良い仕事は、基礎をどれだけ堅実に積み重ねられるかで決まるわ。今の姉さんなら、きっと大丈夫だよ」

 若葉ちゃんは笑顔で保証してくれる。

 そして、妹は言葉を続けた。

「紅茶を淹れる時の感覚を思い出して。姉さん、いつも楽しんで紅茶を準備するでしょ。お菓子づくりもそれと同じ。肩を張らないで、楽しんで作ろうよね」

「うふふ。若葉ちゃんの言う通りだね」

 楽しんで作る。それは大事なこと。

 その余裕がなければ、お客様を喜ばせる配慮なんてできない。

 私、料理を作ることに苦手意識ばかりあったから、その大事なことを少し忘れかけていたかもしれないね。

「よ〜〜し。私、さつまいものケーキ作るの頑張ってみるよ。そして出来あがった第1号は、若葉ちゃんに食べてもらうね」

「了解。毒見役、しかと仰せつかったわよ」

「もう〜。その言い方、意地悪〜」

 そんな冗談を交し合いながら、笑いあう私たち。

 笑いは余裕を生み、心を楽にしてくれる。ここで気合いをこめれば、あとは勢いのまま動き出す。

「じゃあ、そろそろ実践にうつろうか。材料の方は、わたしのほうで用意しておいたわ」

 そういうと若葉ちゃんは、今回のケーキの材料と道具を持ち出してくる。

「さすが、用意がいいね」

「任せてよ。ちゃんと計画的に考えてるんだから。それじゃあまず、このさつまいもを半分に切って、片方は皮をむいてくれるかな」

「包丁つかうんだよね? いきなり難題だよ」

「ゆっくりでいいから、昨日までやってた通りに頑張って」

 妹の言葉に頷いた後は、指示通りさつまいもを半分に切り、おそるおそる皮をむく。

 怪我こそしなかったものの、時間は結構かかる。ついでをいえば、さつまいもの表面もガタガタだ。

「こんなのでいいのかしら……」

「大丈夫よ。とりあえず皮もむけたし、次はそれを薄く切って。そこそこでいいから」

「うん」

 ゆっくり、ゆっくり、さつまいもを薄く切り分ける。

「薄く切り終わったら、それを電子レンジに柔らかくするわ。そして柔らかくなったら、つぶして裏ごしするの」

 言われた作業を若葉ちゃんの指示のもと、丁寧にこなす。

 ひとつひとつわかりやすく教えてくれるので、とてもやりやすい。

「裏ごし、こんなところでいい?」

「ま、上出来かな。それじゃあ次、半分あまっているさつまいもを1センチほどの角切りにして。皮はむかなくていいから」

「うぅぅ。また包丁なんだ」

「つべこべいわずに手を動かす」

「は〜〜い」

 今度も慎重に、ざくんざくんっと切っていく。1センチの角切りってことだけど、これもまた難しいよ。意識すればするほど、ヘンな形になっていくし。

 でも、若葉ちゃんはじっと見つめたまま、これといって止める様子もなかった。

 こうしてとりあえずは、さつまいもを細かく刻み終わった。形さまざまだけど……。

「不恰好に刻んじゃったね」

「少しぐらいヘンでも問題ないわよ。これだけできれば上等」

 ガックリとうなだれる私を、若葉ちゃんは励ましてくれた。

 こうして角切りに切り終わったさつまいもは、電子レンジに8分ほどかけられる。

 その間に今度はボールを用意され、バターをクリーム状に練るよう言われた。

「バターがクリーム状になってきたら、ここにあるグラニュー糖を三回ほどにわけて混ぜ加えて」

「うん、わかったよ」

 一生懸命混ぜていくと、段々ふんわり白っぽくなってくる。

 若葉ちゃんはそれを覗き、満足げに頷いた。

「そこまできたら次は卵をわって、それを溶きながら、三回にわけて混ぜ加える」

「ふむふむ」

 私は言われたまま卵を割る。ここ数日の特訓で、卵ぐらいはうまくわれるようになった。自分にとっては大きな進歩かもしれない。

 溶き卵を加えた後は、裏ごししたさつまいもと、角切りにしたさつまいもをボールに入れる。そして、薄力粉とベーキングパウダーを一度に加えてサックリ混ぜあわせる。

 そうするうちにふわふわっとした生地がボールの中で出来てくる。

「よしよし。ここまでくればあとは最終段階」

 若葉ちゃんは言って、長方形の型を渡してくれた。

「この型の中に、ボールの中の生地をたっぷり流し込んでね」

 私は言われた通り、生地を型の中に流し込み、表面を平らにする。

 そしてトントンと型を落とし空気をぬいたあと、180度のオーブンで45分ほど焼くよう指示された。

「…………オーブンに入れたよ。次は何するの?」

 私が訊ねると、妹はニッコリとして肩を叩いてきた。

「これでおしまい。あとは焼きあがりを待つだけだよ」

「わ。本当に?」

「うん。うまく焼きあがっていれば完成ってところね」

「なんだかワクワクするよ〜」

 私にとって、はじめてのお菓子づくり。焼きあがりを待つまでがドキドキして仕方ない。

「ねぇ、若葉ちゃん」

「なに?」

「ありがとうだよ」

 熱心に協力してくれた妹に、ささやかなお礼が言う。

「気にしなくていいわよ。わたしも好きで手伝っているんだから。それよりも貴田さんに喜んでもらえるといいね」

「うん。それが一番気になるよ」

「ま、わたしが指導したんだから大丈夫とは思うわ。貴田さん、姉さんに惚れなおしちゃうかもね」

「わわ! 惚れなおすって、別に彼はそんな……」

「でも、どうだかわかんないわよ。姉さんが貴田さんを気にかけてるように、貴田さんだって姉さんを意識してるかもしれないし。これでうまくいけば、相思相愛じゃない」

「ええ〜〜っ!!」

 どうも若葉ちゃんの言うことは、私にとって刺激的すぎる。

 彼を気になっているのは事実だけど、自分でもその気持ちがどういうものかわかっていないんだもん。

「姉さんと貴田さんが付き合うようなことになれば、わたしも少し嬉しいかも」

「本当に? でも、若葉ちゃん寂しがらない?」

「う〜〜ん。それはないと思うよ。姉さんに彼氏ができても、姉さんは姉さんだもの。それに貴田さんみたいな人が義理のお兄さんになってくれるなら、それはわたしにとっても喜ぶべきことだよ。優しそうな人だしね」

 義理のお兄さん……つまり私と貴田さんが結婚しようものなら、そうなる。

 ううぅ。若葉ちゃん、やっぱり発想が飛躍しすぎだよ。

 少なくとも私たち、まだ高校生なんだよ。普通にお付き合いするならまだしも、結婚まで視野にいれるのは早すぎると思う。

「……そういう若葉ちゃんはどうなの? 私の世話ばかりやくけど、若葉ちゃんには気になる男性とかいないの?」

 私ばかり詮索されるのも不公平なので、今度は妹にもそういう話を振ってみる。

 すると若葉ちゃんは。

「今はこれといっていないわよ。ま、わたしはその気になれば、いつでも作れる自信はあるけどね」

 あっさりとそう答えてくれる。あまりにもあっけなく言われたので、私はそれ以上突っ込めるものがなかった。

 ま、確かに若葉ちゃんならそうだよね。私なんかと違って明るく外交的だし、お料理だって上手なんだもん。彼氏の一人ぐらい、すぐにでも作ってしまいそうな雰囲気はある。

 こうして二人して他愛もない話に興じていると、ケーキのほうも焼きあがった。

 私たちは早速、それをオーブンから取り出して見る。

 そして出てきたさつまいものケーキを見て、思わず感嘆の声をあげてしまう。

「本でみた写真みたいに綺麗に焼きあがっているよ〜〜」

「それじゃあ、型からも出すね」

 若葉ちゃんは型をはずし、焼きあがったケーキをお皿にのせる。そして包丁で、真ん中からふたつに割った。

「わぁ〜」

 焼きあがったケーキは表面こんがり、中はふっくらって感じだった。

「とりあえず外見はOKってところね。あとは味かな」

「うんうん。食べて見ようよ」

 私たちは焼きあがったケーキを早速いただいてみた。

 その結果……。

「わ。結構、いけるんじゃないかな」

 私は一口食べて見てそう口にした。正直、自分で作ったのが不思議に思えるほど、食べられないものじゃなかった。

 一方、妹である若葉ちゃんの反応は…………。

「ま、どうにか合格点ってところかな。味に関しては悪くないわ。あとは焼く前の生地を、もっと念入りに練っておけば良くなるわよ。次の晩もまた同じケーキ焼いて、本番への完成へ備えましょう」

「うん。頑張ってみるよ!」

 はじめて出来た手作りのお菓子。それがそこそこ食べれるものだった興奮もあって、私は妙に嬉しい気分だった。

 こんな感動、久しく味わってはいなかったかもね。

 よ〜し、今度はもっと美味しくなるように頑張って見よう。そして、貴田さんには最高のクリスマスプレゼントになるよう、気合いを入れてつくらなきゃ。

 この後は若葉ちゃんに、今回の作り方における注意点などを聞きながら、夜は更けていったのであった。

 

 

 

 1224日。ついにその日はやってきた。

 今日もいつもと同じように夕方から店を開き、いつもと同じようにお客さまを迎える。

 クリスマス・イブということもあってか、今夜はカップルのお客さまも多い。

 あと今年は、クリスマス用の特別メニューとして、クリスマスリースを模した、パリブレストというお菓子も出している。これも見た目の可愛らしさも手伝って、注文が多かった。若葉ちゃんが頑張って飾り付けただけに、その苦労も報われたといったところだ。

 そして時間は、午後9時。貴田さんがいつも通りの時間に来るのなら、そろそろ店の扉が開く頃だ。

 ちなみに私の方も準備は万端。

 数日前から何度となく練習し、今夜お出しするさつまいものケーキも完成しているからだ。ケーキと一緒にお出しする紅茶もしっかり考えている。

 今夜はクリスマス・イブなので、少しお洒落にホイップクリームたっぷりのラムウィンナーティーを用意するつもりだ。ラム酒も入っている紅茶なので、寒い季節にはぴったり。身体もぽかぽか温かくなるんだよね。

 あとは貴田さんが来られるのを待つだけなんだけど……。

 いつもの時間になっても彼は現れなかった。

 まあ、5分、10分程度なら遅いときもあるよね。

 しかし、これが30分、40分と経ち、更には店の閉店10分前にもなると、さすがに心配になってくる。

 店内からは最後のお客さまも帰り、店の中は私と妹だけになった。

「……貴田さん、こなかったわね」

 テーブルの食器を片付けながら、若葉ちゃんが遠慮がちに声をかけてくる。

 時間は9時53分。閉店まであと7分。

「まだ時間はあるよ。もしかしたら、来るかもしれないよ」

 私は時計を見ながらこたえる。彼が来てくれる事を願って。

 きっと何かの事情で遅れているんだよ。

 うん。そうに違いない。

 そして、時間は9時55分。閉店5分前。

 いてもたってもいられなくなった私は、エプロンを外して妹に向き直る。

「若葉ちゃん。少し外を見てくるよ。貴田さん、近くまで来ているかもしれないし」

「え? でも姉さん、この時間だとさすがに……」

「お願い。行かせて」

 間髪いれずそう言った私に、若葉ちゃんは一瞬きょとんとする。でも、そのあとは目を閉じて小さく頷いてくれた。

「わかったわ、姉さん。気をつけて行ってらっしゃい」

 姉のわがままを苦笑しながらも認めてくれる妹。

「ありがとう。それじゃあ、お店のことはお願いね」

 店のことを妹に託すと、私はそのまま外へと飛び出した。

 貴田さんを迎えにいくといっても、これといったあてがあるわけでもない。

 知っている事といえば、彼は隣町に住んでいて、いつも電車でこっちにくるということくらい。だから私の足は、無意識のうちに駅の方へと向かっていた。

 そして、10分ほど歩いた後には駅前の広場に到着する。

 時間はもう、10時を過ぎていた。

 ここへ来る途中、貴田さんらしい人と遭遇することはなかった。

 駅前の広場も思っていた以上に静かで、ひとりひとりの姿を確認できるくらいの余裕すらある。

 近くを通りがかるのは一部の会社員と、別れを惜しむカップルたち。

 あと、2時間も経たないうちにイブは終わる。駅前にある大きなツリーや飾りも、明後日には撤去されるだろう。

 またしばらくの間、この景色をみることはできなくなるのは少し寂しいかも。

 私はツリーをぼんやりと眺めた。

 そこから発せられる光はとても綺麗。冬の寒さを忘れさせてくれるほどに。

 でも、この光をみつめていると、今日が特別な日なんだと思いしらされるよ。

 そして今年は、例年以上に特別な日になる予感があったのに…………。

 貴田さんも今夜はもう来ない。

 本当は店を出てくる前からわかってはいた筈だろうに。

 それなのに私、こんなところで何をしているんだろうね?

 切ないな。とても切ないよ。

 彼のことが好きかどうかはわからない。

 でも、好きかどうかもわからなくても、こんなにも切ない気持ちになれるんだよね。

 気持ちって本当に不思議。

 それにしても私、一体どうしたいのかな?

 貴田さんが来るのを信じたいから、こんな所で待っているの?

 それとも、来ないってわかっているから、一人になって泣きたかったの?

 …………わからない。自分の気持ちが。

 私はその後も、駅前で佇んでいた。ある区切りが訪れるまでは。

 そして、いつしか。

 駅前の時計塔から、12時を告げる鐘が鳴った。

 それは、魔法のような時間が解けた瞬間でもある。

「…………帰ろうかな」

 この場を動こうとして、自分の身体が冷え込んでいるのを実感した。

 今まで気にもしなかったけれど、この時間はやはり寒いんだね。

 でも、その時だ。

 背中からすっとマフラーがかけられ、更には誰かに抱きつかれた。

「姉さん、寒い中お疲れ様」

「え?」

 振り向くと、そこには若葉ちゃんがいた。

「姉さんの身体冷たいね。わたしが温めてあげるよ」

 妹はそう言うと、抱きつく力を強めてくる。

 ちょっぴり苦しいけれど、背中に感じる若葉ちゃんの温かさは嬉しいものがあった。

「……もしかして、ずっと見ていたの?」

「う〜〜ん。30分ほど前からかな。すぐに声をかけようかとも思ったんだけど、姉さんの気持ちに整理がつくまで待ってあげようと思って」

「わ! それだったら若葉ちゃんにも寒い思いをさせちゃったよね。ごめんなさい」

「いいよ。そんなこと。それより姉さんが風邪ひいてないか、そっちが心配かも」

「私は大丈夫と思うよ。むしろ若葉ちゃんの方こそ」

「こっちも平気。常に元気なのが取り得だもん」

 明るく言ってのける若葉ちゃんを見て、思わず微笑みがもれる。それは、自分の気持ちが落ち着いてきている証にも思えた。

「…………見てわかると思うけれど、貴田さんの方は来なかったよ」

「うん。わかってるよ。実はね、姉さんが店を出てから10分ほど後に貴田さんから電話があったから」

「え! そうだったの?」

 私は驚いて目を見開く。

「貴田さんね。お医者様の先生のお手伝いで、明日から急に海外へいかなきゃならなくなったんですって。今日はその準備とか打ち合わせで、お店に来れなかったみたいだよ。姉さんに謝って欲しいって言ってたわ」

「そっか」

 彼にも来れない事情はちゃんとあったんだね。

 それに遅くなったとはいえ、今日のことを忘れずに電話をくれたことが何より嬉しい。

 それにしても貴田さん、外国に行っちゃうんだ。これってしばらくは会えなくなるってことなんだよね。

 けれど、不思議とそれを寂しいとも思わなかった。

 だって私たちには、あのお店がある。もし貴田さんが覚えていてくれたら、きっとまた来てくれる筈だよね。信じて待っていれば、二度と会えないなんてことはないと思う。

「ねぇ、姉さん。こうやって貴田さんのことを待ってみて、何か自分の気持ちにきづいたとかある?」

「あはは。どうだろう。実はね、まだわかんないんだよ。でもね……」

 私は一度言葉を止めて、近くにあるツリーを見上げる。

「このクリスマスまでの七日間は、魔法みたいな時間だったよ。誰かのために自分の知らないことを一生懸命頑張れたんだから。そう考えたら、今年はそれだけでも特別なクリスマスだったのかも」

「そして、12時の鐘と共に魔法はとけちゃったの?」

「うん。シンデレラみたいにね」

 言ってることがロマンチックすぎるかな。

「シンデレラかあ。だったら、この先にもいいことあるかもね」

「そうなの?」

「だって、シンデレラは魔法が解けてからも王子さまに想われ、最後には幸せになれたじゃない」

「あは。それもそうだよね」

 若葉ちゃんはいつも前向きで明るい。

 そんな妹がいてくれるからこそ、私も元気でいられるのかもしれない。

「さ、姉さん。とりあえず帰りましょう。少なくとも今夜は、わたしが姉さんを幸せにしてあげるよ」

「若葉ちゃんばかりに世話にはなれないよ。私だってお姉さんなんだから、若葉ちゃんを幸せにしてあげる」

 互いを思い遣ることの心地よさ。それもまた寒さを忘れさせてくれるほどに温かい。

 帰ったら、ささやかではあるけれど、姉妹二人でクリスマスパーティーをしよう。

 街はまだクリスマスの装い。

 私たちはそんな風景の中を歩きながら、店に戻ったのであった。

 

 後日のことになる。

 年があけてからしばらく経ったある日、海外にいる貴田さんから贈り物が届いた。

 贈り物は、小さな双子のクマのぬいぐるみ。それは少し遅れてのクリスマスプレゼント。

 一緒に添えられた手紙には、クリスマスに来れなかったことを謝ると共に、帰国したらまた店に来てくださるとの一文もあった。

 私はそれを、とても嬉しく感じた。

 そして、ひっそりと心に誓う。

 自分の気持ちがどういうものかはわからないけれど、今度彼が来てくださる時には、もっともっと美味しいものを作って迎えてあげようって…………。

 

 

第2話 了