〜宿り木の双子〜
私たちに、出来ることは……
◆
第1話 小さなお客さま
◆
ありふれた日常の中
どこにでもあるような、街の光景
あなたは気づいていますか?
ふと足を止めたとき
そこに憩いの場所があるかもしれないことを
1
[柊 若葉]
冬の空は曇っているか、深く冷たそうな青の色が多い。
今日の空は深い青。雲は少なく、一応は晴れとも言える天気。
学校を終えたわたしは、帰りに立ち寄ったスーパーの袋を手に、そんな空の下を歩く。
スーパーの袋には沢山の品物が入っているせいもあってか重い。どれも必要なものだけに仕方はないのだけど、これだけ重いと、途中で休み休みしながら帰らないといけない。
「姉さんにも手伝ってもらった方がよかったかしら……」
わたしの脳裏に、双子の姉である彩音姉さんの姿が浮かぶ。
でも、その考えはすぐに打ち消した。
彩音姉さんは、非力なわたしに輪をかけて非力なんだもの。手伝ってもらおうものなら、更に余計な手間がかかるのかもしれない。
…………溜め息。
結局はわたしが頑張るしかないんだよね。
あと少しで帰りつけるのだし、もう少しの辛抱だ。
わたしは、よいしょっ、と荷物を持ち上げて再び歩き出す。
こうしてしばらくも歩くと、自分の暮らしている場所が見えてくる。
街の表通りから、少し裏にまわった所にある小さな喫茶店。
そこがわたしと姉さんの暮らす場所であり、二人できりもりしているお店。
喫茶店の名前は、“宿り木”という。
もともとこの喫茶店は、おじいさまが経営しているお店なのだけど、今はおじいさまも病気で入院中。
加えて、わたしたち双子には両親がいない。おとうさまとおかあさまは五年前、わたしたちが十二歳の時に交通事故で亡くなったから。
おじいさまに引き取られてこの店で暮らすことになったわたしたちだけど、おじいさまが入院している今となっては、姉妹で二人暮らし。
でも、それほど大きな苦労はしていない。わたしたちも高校生なんだし、最低限のことぐらいは二人でこなしていけるもの。
喫茶店の運営に関しても、五年間おじいさまのお手伝いをしてきて大体のことはわかっている。
本当ならおじいさまが入院した時点で、このお店を一時休業にしても良かったのだけど、わたしたちはそうしなかった。
だって、ここはおじいさまの大事なお店。寂れさすには勿体無いもの。
また、ここを愛してくれるお客さまだってそれなりにいる。
そんな人たちのためにも、わたしたちは頑張りたかった。いつもと変わらない憩いの場所を提供したかった。
もっとも、自分たちには学校があるから、喫茶店を営業するのは学校が終わってからになってしまうけれど……。
そしてわたしが帰れば、今日も“宿り木”の営業は始まるのだ。
カランカランカラン。
“宿り木”の入り口をあけると同時に鳴り響くカウベルの音。
「姉さん、ただいま。材料の買い出し終えてきたよ」
わたしは、お買い物の袋を手に店に入る。すると。
「あ、若葉ちゃん。お帰りなさい」
店のカウンターの中からおっとりとした声が響き、“mistletoe(宿り木)”と書かれたエプロンを着用した、長い髪の女性がわたしを出迎えてくれる。この人がわたしの双子の姉、柊 彩音。
「若葉ちゃん。私、あなたの帰りをず〜っと待っていたんだよ」
「え? どうかしたの姉さん」
急にそんなことを言う彩音姉さんに、わたしはちょこんと首を傾げる。すると姉さんは、わたしのほうではなくカウンター席のほうに向き直りこう言った。
「お待たせしました。ここの店の料理長さんが、ようやく帰ってきましたよ」
姉さんの言葉は、わたしではない別の人に向けられたものだった。そんな訳でわたしも、姉さんと同じくカウンター席に向き直る。
するとそこには、小さな可愛いらしい女の子がちょこんと立っていた。
多分、初めて会う子だと思う。このお店のお客様としては、覚えがなかったりするし……。
一体、どこの女の子だろう。年の頃にしても、十歳にも満たない気がする。
女の子は、キョトンとした目でわたしを見つめている。見つめたまま何も言わない。
「……えっと、姉さん。この子は?」
「その女の子は朱美ちゃんっていうらしいの。私がお店に帰ってくる前から入り口の外で待っていたみたいで、料理長である若葉ちゃんに用事があるみたいなの」
「りょ、料理長って、いつからそんな……」
「料理とかは若葉ちゃんの分野でしょ。だから料理長なの。嫌だったかしら?」
「別に……嫌とかそういうのじゃないけど」
確かにこの店での料理はわたしが全部引き受けている。彩音姉さんは、料理の腕だけは何故か壊滅的だから……。
とはいえ今は、料理長が云々という場合では無かった。目の前にいる朱美ちゃんという子の話を聞かないとね。
「ええと、朱美ちゃんだっけ? わたしに何かご用ですか」
相手は小さな女の子。わたしも小さく屈んで、その子と同じ目線に立つ。
「……おねえさんが…おいしいケーキをつくる、りょーりちょーさん?」
おずおずと訊ねてくる朱美ちゃん。少し舌足らずな部分が愛らしい。
「う〜ん。まあ、そうなるのかしら。……朱美ちゃんは、ここのケーキを食べてくれたことあるのかな?」
「わたしはたべたことないけど、パパがここのケーキ、おいしいって」
「そうなんだ。じゃあ、朱美ちゃんのパパは、この店のお客様で来てくださってるんだ」
「うん。……そうだとおもう。だからね……これ」
途中まで言うと、朱美ちゃんはそっと手を出してきた。その手には百円玉が四枚のっかっている。
「……お金?」
「……これ、わたしがためたおこづかい。あげるから……おっきくて、まあるいケーキをつくってほしいの」
え? え? どういうこと?
いきなりの申し入れに、わたしは目をパチクリさせた。
これって、大きな丸いケーキを四百円で作って欲しいってこと??
わたしが戸惑っていると、朱美ちゃんは上目遣いに見つめてくる。
「だめ? これだけおかねがあったら、おかしだって、いっぱい、いっぱい、かえるよ」
四百円。確かにこの子からすれば大金……。お菓子がいっぱいなのも、わからないでもない。
「朱美ちゃんは、そのお金でケーキが食べたいの?」
今度は姉さんがそう問う。すると朱美ちゃんは、首を大きく横に振った。
「たべるんじゃないの。つくってほしいの。パパとママにプレゼントするの。おっきなケーキを」
「まあ、プレゼントなんだ。お誕生日か何かの記念かしら」
「おたんじょーびとかじゃなくて、クリスマスなの。わたしね、サンタさんになって、パパとママにプレゼントあげるの」
クリスマス? そっか。もうすぐそんな時期なんだよね。
でも、こんな小さな子が両親にプレゼントだなんて感心しちゃうな。親孝行っていうのか、ちょっと温かい気持ちになれたりする。
……けれど、困っちゃったな。四百円で大きなケーキってなると、さすがに値段と釣り合いそうにない。
わたしは姉さんに、「どうしよう?」と目で訊ねてみる。それに対する姉さんの答えは。
「若葉ちゃんの気持ちひとつだと思うよ。可愛いサンタさんの願いを聞き入れるかどうかは」
ニッコリ笑顔でそう言われてしまう。つまりは否定も肯定もされなかった訳だけど……。
「りょーりちょーさん。おねがい。おいしいケーキをつくってください」
朱美ちゃんはそう言って、四百円をわたしの手におしつけてくる。
「え……それはまあ、何とかできれば、してあげたいところだけど」
こんなに熱心にお願いされてしまうと、断ろうにも気が引けてしまう。
でも、そんなやりとりをしていると、店の入り口が勢い良く開かれ、カウベルが乱暴に鳴り響いた。
それと同時に響く、知らない女の人の声。
「朱美! こんな所で何をやっているの!!」
女の人は、店に入ってくるなりそう叫んだ。
「あ、ママ」
朱美ちゃんが驚いたようにつぶやく。……ということは、いま入って来たのは朱美ちゃんのお母さん?
わたしと姉さんは、急に入ってきた朱美ちゃんのお母さんを見るが、その表情はどうも怒っているっぽい。
「朱美、心配したじゃないの。ちゃんとお菓子売り場で待っていなさいって、あれほど言ったでしょうが」
「……ご、ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃないでしょ! ママがどれほど心配したかわかっているの?」
朱美ちゃんのお母さんは手をあげて、彼女をぶとうとする。わたしは慌ててそれを止めた。
「あ、あの、暴力はいけません」
「……あなた何よ? まさかあなたが、朱美をこんな所に連れてきた訳じゃないでしょうね」
「い、いえ。わたしはそんなこと……」
「じゃあ、何故この子はこんな所にいるの? この子にはスーパーのお菓子売り場で待つように言っておいたのよ。私が交番に行く途中で偶然見つかったからよかったようなものの、あなたが朱美をここに連れてきたっていうのなら立派な誘拐よ!」
「で、ですから、わたしが連れてきた訳じゃなく、朱美ちゃんは最初からここにいた訳で」
朱美ちゃんのお母さんの剣幕に、しどろもどろに弁解するわたし。そこへ今度は、朱美ちゃんが割って入る。
「ママ! りょーりちょーさんをいじめちゃダメっ!!」
「一体どういうことなの? 朱美、説明しなさい。何故、こんな店にいたの?」
「……うぅ……いまは、まだいえないもん」
「ママに言えないなんて、悪いことをしてるんじゃないでしょうね?」
「そんなことしてないもん!」
「だったら、何をしていたか言いなさい」
「だめ……いまはヒミツ…だから」
「朱美、いい加減にしなさいっ」
再び振り上げられるおばさんの手。でも、それから逃げるようにして朱美ちゃんは走り出した。
そして、店の出口に差し掛かったあたりで一度振りかえると、半泣きになりながら叫ぶ。
「ママなんて、だいっきらい。わたしをしんじてくれないと、サンタさんこないんだからっ!」
朱美ちゃんはそのまま店の外へ逃げ出して行く。
「待ちなさいっ!」
彼女の母親も、慌ててその後を追って行く。
わたしと姉さんは、ただその様子を見ているしかできなかった。あまりにも唐突な出来事だったし、踏み入る余地もないほどに殺気だっていたから。
「…………行っちゃった…ね?」
彩音姉さんの呟きに、わたしも呆然としながら頷くだけ。でも次の瞬間、わたしは叫んでいた。
「あっ!!」
「ど、どうしたの、若葉ちゃん? 急に大きな声をだして」
「姉さん。あの子、忘れ物しているの。これ」
そう言ってわたしが見せたものは、朱美ちゃんにおしつけられた四百円だった。彼女から渡された直後に先ほどのような騒ぎがあったので、すっかり返すのを忘れていたのだ。
「大変。すぐに追いかけて、返してあげないといけないね」
「わたし、ちょっと行ってくる」
店のことは姉さんに任せ、わたしも朱美ちゃんたちを追って外に出る。
しかし。
「……困っちゃったなあ」
既にこの近辺に彼女たちの姿は見えず、どこへ行ったのかも見当がつかなかった。
2
午後10時。今日も店を終える時間がやって来た。
わたしたちは最後のお客さまを送り出し、店の掃除や後片付けをしてゆく。
「…………はぁ」
カウンターのテーブルを拭きながら、小さな溜め息つく。カウンターの奥には、朱美ちゃんに返すことのできなかった四百円が置かれたままだった。
結局あの後、朱美ちゃんが見つけることはできなかったのだ。
どこに住んでいる子かもわからないし、名字だってわからない。他のお客さまが来たから、今日はそのまま店をはじめてしまったけれど、明日は交番にでも行って調べてもらったほうが良いのかもしれない。
「若葉ちゃん。溜め息なんてついて、疲れているの?」
彩音姉さんが声をかけてきた。わたしは首を横に振ってから答える。
「別に疲れているとか、そういうのじゃないよ」
「じゃあ、昼間の朱美ちゃんのことが気になっているとか?」
「……うん。そんなところかな」
「私も朱美ちゃんのことは気になっているよ。ちゃんとお母さんに会えて仲直りできたのかなって」
「そうだね。それも心配。あとは……この四百円を返してあげないといけないし」
わたしがそう言うと、姉さんは「あれ?」という顔をした。
「その四百円、返しちゃうの?」
「…………返しちゃうの?って、わたしたちが持っている訳にもいかないでしょう」
「あ、別に変な意味で言った訳じゃなくて、若葉ちゃんはその四百円でケーキを作ってあげるんじゃないの?」
「それはまだ……」
お母さんとお父さんへのクリスマスプレゼントとして、朱美ちゃんに頼まれたケーキ作り。そのお代として預かった四百円だけど、これだけのお金では大きな丸いケーキという注文は満たせそうにない。
でも、朱美ちゃんの一途な親孝行の気持ちを考えると、胸の奥が締めつけられる気もした。
「若葉ちゃん。ケーキ作ってあげようよ。朱美ちゃんのせっかくの頼みなんだし」
「作ってあげたいのは山々だけど、あの子だけを特別扱いするわけにもいかないでしょ」
「そんなに固く考えなくてもいいと思うんだけど」
「でも、四百円で大きなケーキを作ったなんて噂が広まったら困るじゃない」
「それはそうだけど……」
姉さんは指を口許にあてて「ううん」と唸る。けれど、しばらくして何かを思いついたのか、ポンッと手をたたく。
「だったら、こういうのはどうかな。私、前々からクリスマス限定のオリジナルケーキを店でも用意しようと思っていたんだけど」
「オリジナルケーキ?」
「うん。クリスマスだけの限定でね。で、そのオリジナルケーキを作るにしても、最初は実験で試作するでしょ。それを朱美ちゃんにプレゼントして試食してもらうの。駄目かしら?」
熱心に言い寄る彩音姉さん。どうにかして口実をつくってでも、朱美ちゃんの気持ちに応えてあげたいのだろう。
でも、それ以上に、わたしの気持ちも案じてくれているのがわかる。
わたしたちは双子の姉妹。お互いの気持ちに引っかかるものがあれば、すぐにそういうものは伝わってしまう。
このままこの事を引きずるくらいなら、自分の気持ちに正直になったほうがいいのかもしれない。
「…………姉さんがそう言うのなら、作ってもいいかな」
せっかくの提案を無碍にするのも何なので、わたしはそう呟いてみる。すると姉さんも嬉しそうに微笑んで、小さく頷いた。
「うん。それがいいよ。私はお手伝いぐらいしかできないけど、できる事があれば何でもするよ」
「気持ちは嬉しいけど、姉さんに手伝ってもらうとすごいことになっちゃうからな〜」
「うぅ。それに関しては反論できないかも。私、料理はいくら教えてもらってもダメダメだからね」
「少なくとも、生野菜をトースターに放りこんで、丸コゲにしちゃうなんて芸当、姉さんにしかできないと思うし」
昔あった姉さんの失敗を思い出し、クスリと笑う。もっとも失敗した時は、笑い事でもなく大騒ぎだったけど。
「あの時のことは反省してます。もう忘れて頂戴」
「忘れようにもインパクトが大きすぎるもの。下手したら火事になりそうだったんだから」
「うぅぅ」
「ま、あまり姉さんを苛めるのも何だし、今からオリジナルケーキの試作でもしてみようかな」
「え? 今から」
わたしの言葉に、姉さんは驚いたような顔をする。
「実はわたしもクリスマス限定メニューについては思い描いていたものがあるの。だから、それなんか丁度いいかなって。それに試作品をプレゼントするなら、できるだけ早い方がいいでしょ?」
「うん。そうだね。朱美ちゃんの家庭を気まずいままにはしておけないもの」
さすがは彩音姉さん。全てを言わなくても、すぐに理解してくれる。
そうと決まれば行動は早かった。幸い明日は日曜日で学校もお休み。夜更かししても問題はない。
わたしたちは朱美ちゃんという小さなサンタさんのために、少し頑張ってみることにした。
3
「で、若葉ちゃんはどんなクリスマスメニューを思い描いてたの?」
厨房に入るなり、彩音姉さんが訊ねてくる。
「とりあえず、ケーキというよりは洋菓子の部類に入っちゃうんだけど、パリブレストというものを作ってみようと思うの」
「パリブレスト?」
「簡単に言えば、シュー皮を丸いリング状に焼いたお菓子」
わたしは言いながら、近くにあった紙にイメージ図を描いてみる。ちょっと自慢になっちゃうけど、絵心はあるつもりだから、こういうのは簡単に描けてしまう。
「ま、こんな風に丸いリング状のシュー皮を焼いて、中にはカスタードクリームを詰めるの」
「何だか凝ってるね」
「うん。でも、このリングの形に少しトッピングとか加えたら、クリスマスのリースに見たてられると思わない?」
「あ、なるほど〜。円形の大きさとしてもちょうどいい感じだし、色々と飾りつけしたら面白そうだよね」
「でしょ」
次は冷蔵庫などから材料となるものを用意する。
バターや牛乳、卵、薄力粉にアーモンドダイスなどなど。一通りのものは揃っているので、作ることには支障がない。
「まずはシュー皮から作るんだけど……姉さんこの卵を割って、ほぐしておいてくれる?」
「わかったわ。頑張ってみるね」
力強く頷く彩音姉さんに卵は任せ、わたしのほうはオーブンシートを広げ、その裏側に直径20cmほどの円を描き、天板をのせておく。そして今度は鍋を取り出すと、その中に水とバターを入れて中火にかける。
作り方は頭の中に入っているので、まずまずは順調。
塩と砂糖もかるく加え、鍋の中のバターを木ベラで崩してゆく。するとバターが徐々に溶けてもいって、かぐわしい匂いがふんわりと広がる。バターが溶けて鍋が煮立ってきたら、今度は火を止めて薄力粉をどさっと加える。
「よいしょっと!」
薄力粉を入れたら、木ベラで素早くまとめ、なおかつ練り混ぜる。それこそ、えいえいっと一生懸命に。鍋から離れるくらいに生地を練り上げないと、焼いたときにうまく膨らまないんだよね。
そして次は卵の出番になるわけなんだけど……。
「姉さん、卵のほうはどうかしら?」
わたしが訊ねると、彩音姉さんは困ったような顔つきで卵の入ったボールを差し出してくる。
「若葉ちゃん……私ね、頑張ったつもりなんだけど」
消え入りそうな姉さんの声に嫌な予感を感じつつも、ボールな中をのぞいて見る。すると案の定だった。
割られた卵はグチャグチャで、おまけに細かい殻なども入っている。
「お約束だけど、壮絶だね」
やはり姉さんに任せたのは失敗だったかな。でも、卵もまともに割れないほどに不器用というのも考え物だと思う。
「……殻が入っていて、カルシウムにはいいかもしれないよ」
「そういう問題でもないような」
苦笑するわたし。しゅんと小さくなる姉さん。
「ま、こうなっちゃったものは仕方ないし、後はわたしで何とかするわ。姉さんはもうゆっくりしていて」
「お役ご免だね」
悲しそうに呟く姉さんを見ると、わたしの方が罪悪感をおぼえてしまう。でも、わたしが何か言葉をかける前に、姉さんは口を開く。
「料理の方は若葉ちゃんに任せるよ。私は頑張る若葉ちゃんを応援するため、美味しい紅茶を淹れてあげる」
そう言って笑う彩音姉さんは、とても前向きな人。物事に詰まっても、すぐに考え方を切りかえて、自分にできることを提案できるんだもの。
「うん。それじゃあ、わたし頑張るね。姉さんの淹れる紅茶を楽しみにして」
わたしも微笑んだ。
少なくとも、二人の思いは一緒だから。
自分にできることを見失わなければ、どんなに遠回りで間接的であろうとも、その思いだけはどこかで反映される。
朱美ちゃんたち家族のために頑張るわたし。わたしを応援してくれる彩音姉さん。
姉さんに応援されれば、たくさん頑張れる。たくさん頑張れたら、朱美ちゃんたちにも喜んでもらえる物を作れるかもしれない。
こうやって思いはずっと繋がっている。だから、二人の思いは一緒なんだよね。
「じゃあ、作業再開しましょう」
「うん。とびきり美味しいお菓子を作って見せるよ」
こうして料理に戻ったわたしは、新たに卵を割る。そして卵をよ〜く解きほぐし、先程の生地に少しずつ加え、手早く混ぜた。すると卵は段々と生地に馴染んで、もっちりとしてくる。このとき注意しなければいけないのは、加える卵が多すぎると、焼き上がりにふっくらしないということ。
木ベラで持ち上げ、ゆっくりと落ちるぐらいの堅さならばOKかな。
ここまで来ると、次に必要になるのは最初に円を描いたオーブンシート。練り上げた生地を丸口金の絞り袋に入れたら、オーブンシートの円に沿って、ゆっくりと生地を絞り出してゆく。このときは一度絞った生地に重ねて、もう一度生地を絞る。
その後は、軽く表面に霧を吹きかけ、二百度に温めたオーブンの中へ。15分ほど焼いたら、オーブンの温度を百五十度に下げて、更に15分〜20分ぐらいの間で焼くのがポイント。
こうして色がつき、ふっくらとしたら、リング状のシュー皮は完成する予定だ。
ちなみに今回は、朱美ちゃんに渡す分とわたしたちの分の二つを作っている。さすがに自分たちでも試食しないことには、自信をもって勧められないものね。
さ、シュー皮が完全に焼きあがるまでは、カスタードクリームを作らないと。
カスタードクリームを作るには、まずボールの中にグラニュー糖と薄力粉、あとそれに温めた牛乳を加える。そして、その三つを混ぜ合わせたものを、裏ごししながら鍋にいれかえる。
鍋は中火にかけ、泡立て器で混ぜながら、とろみがつくまで煮てゆく。ほどよくとろみが出たら、一度火を止め卵黄をいれ、再び混ぜながら30秒ほど火にかける。
最後は火を下ろして、バターやリキュールを混ぜ加えれば、カスタードクリームはあっという間に完成。
「シュー皮はうまく焼きあがっているかな?」
オーブンの中をのぞくと、シュー皮もふっくらと良い色合いで完成していた。ここまでくれば、あとは最後の仕上げにとりかかるだけだ。
わたしはオーブンから取り出したシュー皮をお皿の上に乗せかえ、横半分からスライスして、上下に割る。そしてシュー皮の下側に、先程のカスタードクリームをたっぷりと詰めていく。他にも、イチゴやみかんなどの旬のフルーツも彩りよく添えると綺麗になるね。
あとは生クリームにグラニュー糖を加えて、ボールの中でしっかり泡立てる。そして、泡立てた生クリームも絞り袋に入れて、カスタードクリームやフルーツの上に少しはみ出す程度にのせてゆく。
最後はシュー皮の上の部分をかぶせ、ミントの葉やベリー、小さく切り分けたキウイなどをトッピングして、粉砂糖を全体にまぶす。こうして、クリスマスリース風にアレンジしたパリブレストは完成。
「出来たよ!!」
完成したパリブレストを見せたくて、わたしは早速、彩音姉さんを呼ぶ。
程なくしてやって来た姉さんは、パリブレストを見て嬉しそうに目を輝かせる。
「わぁ。見た目としても、とっても綺麗に出来ているね」
「味の方はまだわからないけどね」
「うふ。若葉ちゃんなら大丈夫だよ。こんなに上手に出来ているんだもの。きっと味だって最高に違いないわ」
「ありがとう。で、姉さんの方の紅茶はどう?」
「茶葉の準備とかはばっちりできているよ。今から作るから、温かい紅茶を召し上がれ」
「じゃあ、わたしもパリブレストの試作1号を出すから、真夜中のお茶会にしましょう」
わたしたちは微笑み合うと、それぞれの準備をした。
時計を見れば、もう午前三時前。作業に没頭していると、時間が経つのなんてあっという間だよね。
パリブレストの準備も終わり、わたしが店のテーブルで待っていると、彩音姉さんの紅茶が運ばれてきた。
「はい。若葉ちゃん、お疲れ様です」
目の前に置かれるティーカップ。見た目はミルクティーっぽいんだけど、カップのふちには飾り用に切られた小さなメロンがのせられている。
わたしの方もパリブレストを何個かに切り分け、姉さんに配った。
「それじゃあ、紅茶も温かいうちに頂くね」
「はい。どうぞ」
わたしはティーカップに口をつけ、姉さんの淹れた紅茶を味わう。するとどうであろう、ミルクの味に加え、ちょっぴり甘めのメロンの香りが口のなか一杯に広がる。これって、飾り用のメロンの香りだけでは出せないよね。
淹れたての温かさと共に、ほんのりと疲れを癒してくれるような優しい味。
「疲れている時には、ほんのりと甘みがあるほうが美味しいでしょ?」
姉さんはわたしの様子を見て、そっと微笑んでくる。
「うん。何だか不思議なぐらいにメロンの味が生きているし……」
「その紅茶は、ドアーズという銘柄の茶葉をベースに、汲み立ての水と少量の牛乳、つぶしたメロンなんかを手鍋で煮て抽出したものなの。少し上品な味わいでしょ」
「そうだね。それに甘さのわりには味もすっきりしているし」
「とりあえず若葉ちゃんの作ったパリブレストにも合わせてみたんだよ。そのお菓子、カスタードクリームとかで甘いでしょ。紅茶は程よい甘みに抑えるようにして、口直しにもなるようにって考えたの」
……さすがは彩音姉さん。料理の方は全然ダメだけど、紅茶のことに関してはわたしでも足元に及ばないんだよね。
しかも、パリブレストに合わせた紅茶を瞬時に生み出せるあたり、見事というか何と言うか。
今度は自分の作ったパリブレストも食べてみることにした。
「あは。美味しい」
先に一口食べて彩音姉さんが、ほっぱたをおさえながら嬉しそうに微笑む。
わたしも口に入れてみて、ふむ、と納得した。ふっくらサックリのシュー皮に、フルーツの酸味も混じったカスタードクリームは中々のハーモニー。難を言えば、フルーツはもう少し小さく刻んだ方が良かったかなってぐらい。
まあ、はじめてつくったものとしては上出来……としておこうかな。
「若葉ちゃん。とっても美味しいよ。これなら見た目も味も、絶対に喜んでもらえるよ」
「そうだといいんだけどね」
「大丈夫。保証するよ。だって、私は笑顔になれたよ」
「え?」
姉さんの言ったことの意味がわからず、わたしは小さく首をかしげる。
「若葉ちゃんは、本当に美味しい食べ物って何か知ってる?」
「……うぅん? 何だろう」
「本当に美味しい食べ物って、人を笑顔にしてくれるものなんだよ」
そう言って更に微笑む姉さんを見て、わたしも思わず笑ってしまった。
そうだね。確かに姉さんの言う通りだよね。単純で当たり前のことだけど、忘れてはいけないこと。
食べてくれる人が笑顔になってくれれば、作る方だって嬉しいんだもの。
誰かの為に頑張ること。それは決して義務ではない。
頑張った分だけ人が喜んでくれれば、自分が幸せになれる。少なくとも、わたしや姉さんはそう思う。
「……姉さん。わたしね、今回これを作って良かったと思っている。これをきっかけに朱美ちゃんも親孝行ができて、その家族も幸せになるかもしれないんだもの」
「ちょっぴりいいことした気分だよね。親孝行のお手伝いができたのなら」
「うん。わたしたちには、もう親孝行なんてできないからね。他人の手伝いでもそういうことができたって思うと、ちょっと嬉しい気持ちがあるよ」
静かな時間と程よい疲れがそうさせるのか、少ししんみりとなってしまう。
わたしたちの両親は他界していない。自分たち双子に惜しみない愛情を注いでくれた両親に、本当ならもっともっと親孝行してあげたかったのにな……。
失ってこそ判る寂しさ。家族というものの大切さ。
朱美ちゃんだって、あの子なりだけど、家族のために頑張ろうとしているのだ。そんな純粋な思いがあるうちは、それを無駄にさせちゃダメなんだよね。きっと。
「若葉ちゃん。それでいいんだよ。私たちには実際の親孝行ってできないけれど、一生懸命まっすぐに生きることはできる。その気持ちをずっと持ちつづけていれば、天国のおとうさまたちも喜んでくれるよ」
「……うん」
一生懸命まっすぐに生きること。
それが、生きているわたしたちにできること。
大層なことを言ってはいるけど、それは辛いことでも何でもない。一生懸命まっすぐに生きて、後悔なんてしたことはないし、することもないと思う。
今は入院しているけど、おじいさまだっているし、すぐ側には彩音姉さんもいる。
わたしたちは双子。とても仲の良い姉妹。お互いで支え合えば、どんな時でも頑張れる。
わたしと彩音姉さんは、しばし夜のお茶会を楽しんだ。
午後三時のお茶会ではなく、午前三時のお茶会だけど、これはこれで悪くも無かった。
静かな夜は、ちょっとだけ開放的な気分にさせてくれるから。
4
一夜が明けた。
わたしと彩音姉さんは、あのお茶会の後に少し休んで、朝の九時には交番などで朱美ちゃん家を調べてもらった。
最初は名字も判らないこともあって、交番の人にも苦労をかけるかなと思ったけれど、朱美ちゃんやおばさんの特徴を言ったら、案外すぐに見当はついたらしい。
こうしてわたしたちは、交番で教えてもらった朱美ちゃんの家を目指し、そこへ辿り着いた。
住宅街の一画にある、まだ新しい一戸建ての家。表札には野上と書かれている。
「ここみたいだね」
「うん」
わたしたちは頷きあい、インターホンのチャイムを押そうとした矢先。
「あ! ……あなたたちは昨日の!!」
玄関先から急に声をかけられる。そこに立っていたのは昨日会った、朱美ちゃんのお母さんだった。
でも、声の調子からいって、あまり歓迎されているようには思えなかった。
「……あ、あの。おはよう……ございます」
おばさんの剣幕に圧倒されてか、しどろもどろになってしまうわたし。
「あなたたち、一体ここに何をしにいらしたの?」
「実は少し、朱美ちゃんに用事がありまして」
今度は姉さんが話に出てくれた。
「朱美に用事って一体何なの? あの子、昨日からずっと、あなたたちと何があったのか教えてくれませんのよ」
「……そ、そうなんですか」
「あなたたち、一体あの子に何をしたの? 事と次第によっては……」
おばさんの言葉が更に続こうとしたその時、急に割って入る、男の人の声があった。
「おや、君たちは“宿り木”の娘さんたちじゃないか」
「え?」
わたしと姉さんは、一斉に男の人を見る。その人には見覚えがあった。たまにわたしたちの店を利用してくださる、お客様の一人だったからだ。
「あなた、いいところへ来たわ。あれが昨日、朱美をたぶらかした人達なのよ」
朱美ちゃんのお母さんが男の人に対してそう告げる。その様子から見て、あの男の人は朱美ちゃんのお父さんなんだろう。
「おいおい。事情もわからないで、たぶらかされたはないだろう」
「でも、あなた……」
「あの娘さんたちは悪い人なんかじゃないさ。とりあえず僕の方から事情をきくから、落ちつきなさい」
そう言っておばさんを宥めてから、おじさんは前に出てくる。
「妻が失礼なことを言ったみたいですまないね。朱美のことで何か用事があるんだって?」
「……実は朱美ちゃんにお渡しするものがありまして」
「娘に渡すもの? 何か色々な事情がありそうだけど、よければ理由をきかせてもらえないかな」
わたしと彩音姉さんは顔を見合わせた。どうすればいいか判らないから。
おじさんたちの様子からいっても、朱美ちゃんが何も説明していないのは明らかだった。彼女がここまで秘密にしていることを、わたしたちがバラしてよいものだろうか……。
「どうしよう、若葉ちゃん?」
姉さんも困った顔。でも、その心の内は、きっとわたしと同じ気持ちに思える。
……朱美ちゃんは秘密にすることにこだわっているのだ。両親に驚いてもらいたい一心で。
例え怒られようとも、頑なに守り抜く秘密。その秘密の内容は決して悪いことでも無い筈なのに……。
言えないよ。
言えるわけがない。
だからわたしは、覚悟を決めておじさんに告げる。
「「ごめんなさい。いま、事情を説明することはできません!!」」
声が重なり、わたしはすぐに姉さんを見た。姉さんも驚いたように、わたしを見る。
重なったのは彩音姉さんとの声だった。それがわかった一瞬後には、お互いにクスリと微笑みあう。
やっぱりわたしたちが双子なんだと実感する時。
「そんなに説明できないような……事情なのかい?」
おじさんは困惑したような顔で問う。
「今はまだ説明できないだけです。でも、すぐに朱美ちゃんの口から明らかにされると思います。だから……だから、朱美ちゃんを信用してあげてください」
「しかし、親に隠し事をしてまで信用しろと言われても」
「では失礼ですが、おじさんたちは幼い頃にサンタクロースを信じたことがありますか?」
「そりゃまあ、子供の頃はね。でも、途中で親がサンタであることも知ったけど」
「ならば、サンタさんの正体を知る前までは、おじさんの親もそれを隠していたことになりますよね」
「そうなるかな」
「おじさんたちは、隠し事をしていた親を信じられなくなりましたか?」
わたしの問いに、おじさんたちは顔を見合わせ戸惑う。
「答えてもらえますか?」
「……別にそんなことはなかったさ。親からすれば夢を壊さないように秘密にしていたんだろうし」
「ならば朱美ちゃんだって、それと同じ事です。確かにいけない秘密事もあるでしょう。でも、秘密にすること全てが悪いことばかりでもありません」
そこまで言ってから、深々と頭を下げる。
「生意気言ってすみません。ですが、信じて欲しいんです。朱美ちゃんのやろうとしたことを」
「…………事情は朱美の口から、すぐ明らかになるんだね?」
「はい。きっとそうなるはずです」
「わかった。そこまで言うのなら、朱美に会って用事を済ませていいよ」
おじさんの言葉に、わたしたちはもう一度深く頭を下げた。
「でも、その前に一つだけ質問していいだろうか?」
「……はい? 何でしょうか」
「今回、僕たちが朱美を信用してやれなかったのは、いけないことだったんだろうか」
唐突なおじさんの問いに答えたのは彩音姉さんだった。
「こう言うと、また生意気に聞こえるかもしれませんが、おじさんたちは朱美ちゃんに対する心配が先走りすぎただけで、心の奥ではちゃんと信用されていたかと思いますよ」
「そうか。……うん。そう言ってもらえるとありがたい」
「心配するのは親の務めだと思います。でも、それによってすれ違いが起きるんじゃないかなって思うのなら……その時は、優しく黙って見守ってあげてください」
彩音姉さんは優しく微笑む。
その言葉に、わたしも心が温かくなる。
優しく黙って見守る事。それは相手の気持ちを尊重し、でも過ちがあれば正してあげられる状態。
決して無責任に放置するわけではないのだ。
「……そうだね。ありがとう。とても大事なことだ」
おじさんはおばさんとも顔を合わせ、わたしたちに頭を下げてくる。少なくともこれで、あらぬ誤解だけは解けたかな?
こうしてわたしたちは家の中に入れてもらい、朱美ちゃんにも会うことができた。
「はい。朱美サンタさん、これご注文の品です。クリスマスには少し早いかもしれませんが、大事な人にプレゼントしてあげてくださいね」
「食べ物のプレゼントだけに、今すぐに渡さないといけませんよ」
パリブレストの入った箱を、ゆっくりと朱美ちゃんに手渡す。すると彼女はとても嬉しそうに。
「ありがとう!!」
満面の笑顔でお礼を述べてくれた。
耳に響く“ありがとう”の声。簡単な言葉だけど、だからこそ判り易い感謝の気持ち。
朱美ちゃんはわたしたちに言われた通り、すぐにプレゼントを親の元に持って走る。
昨日から続いていた頑なさは消え、純粋にサンタさんになれる喜びで一杯なのだろう。それは子供らしい、とても素直な気持ち。
「若葉ちゃん。帰ろうか」
「うん。あとは朱美ちゃんたち家族の時間だものね」
あえて見届ける必要などなかった。
きっとあの家族は、笑顔になれたと信じているから。
……美味しい食べ物は、人を笑顔にしてくれる。それが正しいのであれば、絶対に笑顔になれるよ。
だって、わたしが作ったものは……きっとそういうものだから。
朱美ちゃんの家から帰った後、わたしたちは店の営業を始める。
いつものように見知りのお客さまや、知らないお客さまが訪れて、時間は流れて行く。
そして、外も暗くなった頃。またカウベルが鳴り響いて、新しいお客さまがやってきた。
お客さまは三人。
小さな可愛いサンタさんを連れた、大きなサンタさんが二人。
“ご注文は何にしますか?”
わたしは笑顔で訊ねる。
新しいお客さま。そのうちのお一人は、何度かこの店に来てくれた人。
でも、もう二人はこの店内での飲食は初めて。
こうやって新しいお客さまが増えたんだから、四百円の投資は安かったかな。
ついそんなことを思って、心の中で苦笑。
でも、来てくれてありがとうございます。
一生懸命におもてなししますね。
それが“宿り木”にいる、わたしたち双子の思いですから……。
第1話 了