天国のカケラ。
− side B −

オレの前からキミが消えた。
キミがいない生活を、オレは勝手に考えなかったんだ。
明けない夜はないように、ずっと続くわけなんてないと、
そんなことに、とっくに気付いていた。
それでも。
続くと思っていたんだ。
だから、空っぽの部屋を見て、俺は思ったんだ。
感じたんだ。
考えたんだ。
お前の存在する意味を。
たった一言の、言えなかった言葉を。

 

「なんかいいことあったの?幸せそうだよ、井ノ原くん。」
バイトの同僚の剛が笑う。
学校ではできる限り優等生ぶって、
結奈の前では優しくも冷たいフり。
明らかに疲れるであろう生活に、
バイト先は俺の聖地だった。
ここだけは、素直な自分でいられる。
自分を隠すことなく生活できる。
人数が少ない分、俺たちの距離は近い。
仕事が暇な分、信頼関係というより、居場所を見つけることが簡単にできた。
そんな俺の聖地。
「ちょっとなー。」
「なんだよ、噂の同居人かー?」
「まぁな。」
「ちぇ。彼氏持ちはいいなぁ。」
「お前はまたなんつーこと言うんだよ。一応店だぞ?」
「一応ってなんだよ。店だよ。ああ店さ、ここは。」
「どんな逆ギレだよそれ。わけわかんねぇよ。」
剛は俺の1つ年下で、今大学4年生。
俺は大学を普通に出て、就職できずにここにいる。
だから、学生の剛の気持ちはわかるし、
何より、俺と一番年が近かったのが剛で、
わけのわからんことをたまに言う剛が、弟みたいに見えて、
一番安らげる場所だった。
安らげる意味はわかってる。
健を知っているから、だ。
「ねぇ。」
「ん?」
「なんでそんなかまうの?」
一通り騒いだ後、急に真剣な顔して聞いてきた。
「他人だろ?だってアイツ拾ったとか言っ・・・」
「剛。」
「んだよ。」
「お客様がお見えだぞ。」
「え?あ、いらっしゃいませ。」
慌てて剛がカウンタに走った。
そうだよ、他人だよ。
だけど、アイツは俺がいないと生きて行けないんだよ。
・・・違う。
アイツがいないと、俺が寂しいんだ。
アイツの彼女に嫉妬するほどではないけど、
レイラさん。
あんたが彼女だったらもっと、健のこと愛してやってほしい。
犬みたいにじゃなくて、パートナーとして。
勝手な想像ってことはわかってるけれど。
切に思う。
健の泣いた顔は、見たくないんだ。
「ん。」
「何?」
剛は俺の前に客のネガの入った袋を押しつけて来た。
「何じゃねーよ。焼き増し。働けよ。」
なんて、笑って来たから、俺もなんだか笑えて来た。
「はいはい。かわいい剛ちゃんのために働くよ。」
「ああ?黙れそこの男好き。」
なんだよ、お前ん中では俺はまだゲイなのかよ。
「はいはい。別にお前以外の男には手出さないからさ。」
冗談で言ったつもりが、剛の顔がちょっとひきつってる。
え、今のマジでひかれた?
「・・・井ノ原くん?」
やっぱり。
「冗談の通じねー男だなぁお前は。」
って大笑いして言うと、あからさまに安心した表情を見せた。
「ちょっと心臓止まりかけたぜ、マジ。」
「言っとくけど、俺は女の方が好きだ。」
「だよな?」
「当たり前だよ。ただ・・・」
「何?」
「アイツだけは、特別なんだ。」
素直に告げた俺に、
「そ。」
と、そうあっさり返した。
「彼女作んねーから決定的だと思ってたよ。」
お前それ、俺がゲイじゃないってことが完全にわかったから言っただろ。
「お前はどうなんだよ。」
「は?俺彼女いるだろ?」
いやそうじゃなくて。
「順調か?最近話聞かないけど。大学の子だっけ?」
「あー・・・まぁ、それなり。」
ははん。またケンカしたな。
この頑固者。
そんなことを考えながら客のネガを取り出す。
「なー剛。」
「何?」
「別れたら?」
「あ?」
「お前らケンカしすぎ。俺と健の方がよっぽど恋人らしいぞ?」
からかって。
あくまで冗談のようにからかって言ったつもりだった。
別れたら?って言ったのはあくまで本音だったけど、
笑って「ありえねぇ」って帰ってくると思ったのに、意外に深刻な顔をされた。
剛は少し意味ありげに笑って、
「悩んでんだ。」
と言った。
自分を守るために逃げた質問が、
相手を苦しめるなんて思わなくて、
俺は大きな自己嫌悪に陥った。

 

「犬を飼い始めた。」
そう言った俺に、
「いいなぁ。俺もほしいんだ。今度見してよ。」
さらっと返事した剛。
「そのうちな。」
軽く笑ってやる。
先延ばしにして、結局見せる気なんて、もちろんなかった。
犬と言っても、動物ではない。
犬みたいな人なんだから。
「種類何?」
種類・・ねぇ。
見た目コリー犬っぽいかな?
なんだろ、たまにかしこいとこもあるからラブラドール?
「何だと思う?」
「は?知らないよそんなの。調べとけよ。あー、じゃぁ名前。名前とかは?」
名前・・・
「ケン?」
「なんで俺に聞くんだよ。ケン?なんか人間みたいだな。友達の名前とかつけたわけ?」
「あーまぁ、そんなもんかな。」
いちいち反応してくれる剛がおもしろくて、ついついからかってしまう。
「結構騒ぐんだよ。俺んとこアパートだろ?だから大丈夫かなぁとか心配でさ。」
「しつけがなってねーんだって。最初吠えててもしつけ次第でなんとかなると思うな。」
「あー、あとなぁ、たまに家出するんだよ。」
「はぁっ?大丈夫かよアンタ。ちゃんと帰ってきてんの?」
「そーれがちゃんと帰ってくるわけよ。出てくときはきっちり報告してくれるし。」
「それってさ、頭よすぎじゃね?だったらゴールデンとかかな。ていうか報告とかできんの?」
「まぁなんか、雰囲気でわかるっていうか。」
「じゃぁ引き止めろよ。わけわかんねー。」
「信頼関係よ。信頼関係。」
そういうと、少しあきれた顔をしてため息をついた。
「ちゃんと育てろよ?なんか井ノ原くん愛がなさすぎだよ。大丈夫かな。」
意外だった。
剛は結構俺様なところがあるから、動物に興味あるとか全然思ってなかった。
「お前犬好き?」
「あー・・まぁ。」
あ、動物全般好きそうだな。
勝手なイメージだけどさ。
「お前かわいいな。」
「・・・井ノ原くんが言うとさー冗談に聞こえないからやめてくんない?」
「そういわれるとあたかも俺が変な人みたいじゃん。」
「変だろ、実際。」
「んなわけねーって。」
「おら、働けよ。客が・・・」
「井ノ原くーんっ。」
「・・・名指しできたぞ。」
「ああ・・・うん。」
タイミングが本当に悪いというか、話してる最中で健が現れた。
バイト先を教えたこともなかったし、何よりわけがわからないの一言につきる。
そして、人のいないカウンターで思いっきりこんなことを告げた。
お気に入りのジーパンをよくも洗濯しやがったな、だとか、
シャツのアイロンかけてくれなかった、だとか、
あ、住所勝手に調べたからね?だとか。
あれこれ散々喚いた後「当分家帰んないから」と言われた。
これがいつもの家出報告。
「じゃぁね。」
「ああ。」
奴が帰った後、剛は平然とした顔で、
「犬ってアレ?」
と聞き返して来た。
一緒に入っていた人間がたまたま剛だったけど、
「誰?」
と追及されるより、ずっと良い聞き方をしてきた。
しかも、人を見る目が同じだなぁとしみじみ感じる。
やっぱお前もそう思うか、と。
「かわいいだろ?」
と、悪乗りする俺に、少し考えてから剛が言った。
「親戚の子?」
「いや。この前拾った。」
普通のことのようにいうと、カウンターにがっくりと倒れこんだ。
「なんか井ノ原くんってつくづく謎だよね。やっぱそっちの気あるんじゃないの?」
結構マジな顔で言われたから、
慌てて全否定したことを覚えてる。
健は俺の中でだけ存在していて、誰にも言うことができなかった。
秘密の共有では決してないけれど、俺の知る誰かの中でアイツが存在することがうれしかった。
だから、剛との距離がもっと縮まったのは当然だったし、
健の前でできる顔が自然とここでもできるようになった。
だから、健が来たときはホントにやばいと思ったけど、
結果オーライ。
やっぱり俺を幸せにしてくれる。
そして、他でもない剛が一緒にいたからよかった。
タイミングも悪くない、アイツは不思議なヤツ。
偶然だらけだけど、結果はどれも当たってる。
だから手放せない。
それだけが理由じゃないけれど、他人であっても手放せない。
血のつながりだけで家族と呼ぶのなら、血なんてつながってなくても、家族のように大事な人はいる。
俺の中で健がまさにそうだった。

 

「やべぇなぁ、もうすぐ卒業だぜ?俺たち」
大学に来る日はどんどん少なくなっていって、
とりあえずゼミの先生とかそういう人たちに挨拶周りで勝手に俺たちは集まってた。
そんなこと直前に思うのは俺たちだけだろうと思ってたのに、
他のゼミも結構同じようなもんで、普通に授業があるような勢いで大学に人がいた。
卒業式はもう明後日に迫ってる。
「で。結奈ちゃんとはどうもならんわけ?お前。」
遠くで結奈の笑う顔が見えた。
「だってあの子就職先大阪なんだろ?お前どうすんだよ。向こうでこれから就職先見つけんの?」
「見つけねーし探さねーよ。オレはずっと東京で写真焼き続けんの。」
「ああ、バイト?そのまま雇ってもらえたらラッキーなんだけどな。」
なんて笑われたから、
「ホント切実。楽だしなー。」
って笑ってみた。
フリーターってオレみたいなヤツばっかだから増えんのかな。
ふとそんなことに気がついた。
「オレも関西行くしな。お前だけだぞ、東京残るの。」
「なぁなぁ。俺思ったんだけどさ。」
「どした?」
「普通東京にいたら東京で就職しねぇの?大阪のヤツがこっち来るのはなんとなくわかるけど。」
友人への素朴な疑問だった。
卒業すれば友達はみんな関西とか地方に飛ぶ。
遊ぶ相手がいねぇじゃん。なんだよこれ。
「落ちたんだよ。」
あっさり言う友人と、
「オレ実家奈良だしな。」
と笑う者もいた。
「帰った時は連絡しろよー。寂しいじゃんマジ。」
「むしろお前がこっちに来い。来年待ってるから。」
「ハイハイ。考えとくよ。」
行けない理由はいろいろある。
フリーターでいる自分はダメだってわかってる。
人一倍社会に出たがってたのも俺のはずだった。
でも、東京からは離れられない。
健からは離れられない。
「いのっち。」
「え?」
振り向くと結奈がいた。
「じゃ、また後でな、いのっち。」
なんて、友人達がひやかしてくるもんだから、
「お前らなぁ。」
呆れてしまった。
お前らがいのっちなんて呼んだことねーくせによ。
「どした?」
まさか話しかけられるなんて思ってもみなかったから、普通に驚いてしまった。
「これ。」
手紙?
「柄じゃないって笑う?卒業式に渡そうって思ってたんだけど、いのっち失くしそうだしね。」
ああ。
「それは確かに言えてるかも。」
って、笑ってみるけど、結構空笑い。
「ごめんね。」
「何が。」
「私のせいだよね。」
「だから何が。」
「いろいろ・・・だよ。」
いろいろ・・・ねぇ。
「別に、お前がきっかけで彼女作らないとか、そんなんじゃねーよ。」
「でも、いのっち今まで結構人気あったでしょ。」
「タイプがいなかったんだよ。それだけだよ。」
そうだよ、それだけだよ。
そんなんで、お前の人生縛られちゃだめだろ。
「お前もさ、彼氏作んなかったじゃん。オレの周りで大人気だったんだぜお前?なんで?」
「なんでって・・・」
急に黙り込んでしまったから、これだから女はわからない。
「あのさ。この際はっきり言うけどいい?」
「・・なに?」
「気にしてんのはお前だろ?」
「・・・なにが?」
「オレは全く気にしてないし、むしろもう忘れたし。大学でたらバラバラなるし。」
結局俺たちは、肝心なことを1言も言っていない。
全てが暗黙の了解で、全てが自分の都合のいいように解釈している気がする。
だから、言ってる事は自己満足かもしれない。
それでも、はっきりさせたかった。
言わないと後悔する気がした。
「オレだって、これからすっげぇいい恋するし、お前なんて社会人なんだからもっといい出会いあるし、相手見つかるし。」
「できないよ。」
「え?」
「快彦以上なんて、どこにもいないよ。」
「・・・。」
「ずっと好きだったよ。快彦が。」
結局、逃げたのは俺で、逃げなかったのが彼女だった。
そんなことに、数年かかってやっと気がついた。
「手紙・・・読んで。面と向かって言ったら泣いちゃいそうだから。」
そんなことを言いながら、もうすでに涙目になっている彼女の目。
「へどがでる内容かもよ。」
何だよ、それ。
「・・・楽しみに・・してるよ。」
「もし、もし返事くれるなら、卒業式。待ってるから。」
「どこで?」
「・・・約束の・・・場所で。」
約束の・・場所?
どこだっけ。
「思い出して。貴方はきっと忘れてるね。来てくれたら、ちゃんと忘れるから。」
それだけを告げて勝手に去って行った彼女。
残されたのは、手紙と約束。
頭がパンクしそうだ。

 

「事故らないでくださいよ、今日の井ノ原さん、ちょっと変。」
バイトの同僚にそんな声をかけられて、帰り道を歩く。
変・・か。
確かに変。
料金間違えそうになったり、写真焼くやつ間違えたり、お客様にカード返し忘れたり。
変と言うか、仕事になってないと思う。
自己嫌悪は、深みにはまればはまるほど落ちていく。
結奈からの手紙はホントにへどが出るような内容。
中学生の時のことは、周りに冷やかされて恥ずかしくて言ってしまったとか、
本当はうれしかったのに素直になれなかったとか、
実は快彦は女子の間でとても人気があって、オレを選ぶことをためらったとか、
高校生になっていろんな男性を見てきたけど、やっぱりオレがいいとか。
大学でまた会えたことを運命だと思ったとか。
・・・約束を・・覚えている?とか・・・。
彼女の中での俺の存在を、開放するべきだと思う。
結婚すると言った約束から開放するべきだと思う。
俺達の世界はもっと広いはずだ。
もし、一緒に広げることができればどれだけいいだろう。
それでも、そんなことできるわけないんだ。
できるわけがないんだよ。
「今更・・・何言ってんだよ、アイツ。」
ドアの前でつぶやく。
「ただいま。」
こんな時は健の笑顔が見たい。
無垢な。
何も知らない、俺だけに向けられる幸せ顔がほしい。
「健っ。」
叫んだところで彼はいなかった。
めずらしい。
何の連絡もなしにいなくなるようなやつではない。
かばんを投げて、もう1度手紙を手にする。
手紙の中に入った1枚の写真は、懐かしい日の1枚。
どっからこんなの持ってきたんだっていうくらい、懐かしいオレと結奈。
好きだった。
誰とも付き合わなかったのは、結奈の笑顔が忘れられないから。
そんなことくらいわかってた。
だけど、お互い強く求めすぎてるんだ、俺たちは。
俺達の知らない世界はもっとある。
それは、お互いが別々で見つけなければならない。
オレはそう思う。
手紙を机の上に投げてベッドにダイブする。
健に会いたい。
誰でもいい。
オレに笑ってほしい。
落ちて落ちてこんな気持ちでいたくない。
誰か助けてほしい。
気がつくと俺は電気もつけたまま、鍵もかけないまま眠りに落ちていた。
記憶の中でドアが開いた音が聞こえたけど、健が帰ってきたっていう確信さえもなくて、
泥棒であっても、もうどうでもいい。
殺すならもう今日死んでもいい。
いや、嫌だけど。
それでも体が動かない。
何もかもを放棄したい。
そんな気持ちでいっぱいだった。
約束の場所。
きっとアイツの言う場所はあの公園だ。
奇しくも健を見つけたあの公園のブランコ。
俺たちが結婚を誓ったあのブランコだ。
でも行ってどうなる?
オレの気持ちはもう決まってるのに。
行かなかったらどうなる?
まだ縛られたままだろうか。彼女はオレの存在に。
誰か教えてほしい。
どうすればいいか教えてほしい。

 

「井ノ原くん無用心すぎ。鍵開いてたよ?」
そんな甲高い声が耳を通過する。
ああ・・・朝。
やっぱりあのドアは健か。
ちょっと安心。
「お前もめずらしいな、遅くに帰ってくるなんて。」
「うん、ちょっとね。ごめんね、連絡もしなくて。」
「いや、別にいいよ。全然。」
「もうすぐ卒業式なんだね、井ノ原くん。」
何で知ってんの?
ああ、スーツかけっぱなしだっけ。
それに、台所のカレンダーにも書いてたっけ。
「ああ・・・うん、まぁ。」
「これからどうすんの?やっぱ就職とか決まってんの?」
無垢な顔で、何も知らない健が聞いてくる。
「いや、俺フリーター。だからずっとこのままここにいるよ。何?これからどうするかお前も心配したわけ?」
そっか、コイツ家なかったんだよな。
そりゃ考えるか、今後のこととか。
「あ、いや。うん、まぁそんな感じ。」
「いいぞ、ここにいて。俺はずっとこのまんまだし。」
「・・そっか。」
「朝飯もう食った?俺結構腹減ったかも。」
何かないかなーと思ってパンを置いてるとこをさぐるんだけど、
そういや最近買い物行ってねーなーってことにやっと気付く。
あ、冷凍庫ん中に。
ビンゴ。
「カレーパンとか食う?」
この前冷凍しといたの正解だったな。
「食うっ。」
健はいつもと変わらないように思えた。
むしろ、違っていたのかもしれないけれど、俺の頭の中はそんなことより別なことでいっぱいだった。
気付く余裕さえなかった。
キミが笑うから。
その笑顔を真に受けてたんだ。
「今日は何?」
「オレ?オレ今日は何もない。なんせ明日が卒業式だからな。」
「俺も何もないんだ。じゃぁさ、どっか出かけない?」
珍しい健からの誘いだった。
よく俺が飲みに付き合えとか、どっか行くぞとかそういう誘いはしたけど、
健がどこかへ行こうと誘ったのは初めてのような気がした。
「いいけど。どっか行きたいとこでもあんの?」
「いや、これといってないんだけど。なんか2人とも何もない日なんて滅多にないじゃん?」
まぁ、確かに。
「じゃぁゲーセンツアーとかでもする?」
「井ノ原くん子供。」
ゲームばっかしてるお前に言われたかねぇよ。
「なんか、気がついたらバイトばっかしてて、ちょっと今金持ち。」
自嘲気味に笑った自分に気付いて、また少し落ち込んだ。
健が来てから外食が減った。
帰りに寄り道することも減った。
まっすぐ家に帰るようになったら、ちょっと金持ち。
「いいよ。家のゲームだけじゃつまんないしね。」
一緒にいて楽しい相手といればいいんだ。
俺にとって、健がいるように。
結奈にとっても、新しい誰かが見つかるはずだ。
簡単に思ったんだ。
「おし。じゃぁこれ食ったら行くか。」
「うんっ。」
考えることはやめよう。
そして、明日は行こう。
行って話しをしよう。
そうすればきっと考えられる。
お互い納得がいくと思う。
大丈夫。
健がついてる。
素直になろう。
俺は、変わらないといけない。

 

約束の公園に行くと結奈がいた。
場所は間違ってなかったってことは、やっぱりお互いがこだわってる証拠。
卒業式の後の飲み会を適当に断ってきたけれど、
来てよかったって思うのは、普段とは違う彼女の姿。
かわいいなんて言い飽きているけれど、綺麗だと思う。
「そうやって見るとさ、結構知的に見えるんだな、お前。」
ブランコの前にいた彼女に声をかけると、少し肩が動いた。
「俺が来なかったらずっとそうしてたわけ?」
「んー、まぁね。」
綺麗に笑う彼女は、俺が知っている彼女じゃなくて、
いつの間にか女になってたんだなって、改めて思う。
「馬子にも衣装だな。結構似合うじゃん。」
「でしょ?」
でしょじゃねーよ。
そんな風に笑うと、妙に懐かしくて、でもそう思ったのは俺だけじゃなかったらしい。
「なんか、昔みたいよね。こうやって話すの。」
「ああ。」
不思議な空間だった。
視界の外の方で、梅が少しの花びらをつけている。
春になれば桜が咲く。
桜が咲く頃には、俺たちは別々の道を歩いている。
今、俺が彼女に伝えたいことはなんだろう。
「読んだよ、手紙。」
「・・・うん。」
「よかった。ちゃんと話せて。場所間違ったらどうしようかなって、結構マジで悩んでてさ。」
そんなウソ。
きっとバレてただろうけど。
彼女は俺を見ない。
見ようとしないのか、見ることができないのか。
「ずっと好きだったよ。お前のこと。」
きっと決心は同じ。
だって、一緒に育ったんだから、俺たちは。
考えてることだって、結構似てる。
「確かに、誰とも付き合わなかったのは、お前が忘れられなかったからっていうのと、お前を超えるようなヤツがいなかったんだな。」
彼女はどこか遠くを見てるような気がした。
聞いてはいるとは思う。
ただ、どんな解釈をしてるのかは、よくわからない。
「なん・・で?」
「え?」
「そんなこと言いに来たの?」
「ダメかよ。」
「そうじゃないけど。」
「俺は。ちゃんと別れたいんだ。そう思ってきた。」
心は決まってる。
強い意志でそう言って、彼女の肩を無理やりつかんでこっちを向かせた。
泣きそうな。
そんな目だった。
少し決心が揺らぐけど、こんなんじゃいつまでたっても前に進めない。
「俺はここで。お前は違う場所で。新しい道を見つけるんだよ。」
それが、俺の答えだった。
「こだわりすぎてるんだと思う。俺もお前も。俺はそう思う。」
「私は、一緒に見つけたいって思ったよ。」
一言。
たった一言そう言われ、ハッとした。
それができたらどれだけいいか。
でも。
「離れてわかることも、あると思うんだ。」
「一緒に見つけることも、できると思う。」
「俺はできない。」
「なんで?」
「みたいんだ。もっと。知らない世界。俺はこだわってるんだよ、お前に。」
そうだよ。
きっと、それが本心だった。
「人生さ、80年生きられるとして、まだ22年とかだけど、まだ60年もあるじゃん。」
「うん。」
「俺たちさ、離れてみて知らない世界を知るべきだと思う。」
「なんだ。決めちゃったんだ。もう。」
彼女の張り詰めた表情が、少し緩んだ気がした。
「口説いてみよっかなぁなんて思ってたんだけどな。」
その顔が寂し気で、俺が「帰るよ」って言うと必ずしていた表情だった気がする。
「好きだって言われたから、あ、いけるって思ったんだけどな。」
「いい女になれよ。俺も、いい男になるから。」
「そういうのが思わせぶりだって言ってるじゃない。」
笑った顔が少し儚くて、思わず抱きしめた。
「今度また会えたら、次こそ運命感じるかも。」
「あー、次は俺も感じるかもしれねぇなぁ。」
「その時は快彦なんかよりも、うーんとかっこいい彼氏と一緒にいて自慢するんだから。」
「あ、言ったな。俺だってお前なんかよりボンキュッボンな姉ちゃん連れて歩いてやるかんな。」
「・・言い回しが古いよね、あんたは。」
「マジで?」
「後悔、させてやるからね。」
そう言って俺を突き放すと同時に、唇にキスをした。
「ファーストキスは、快彦がいいから。」
・・・思わせぶりはお互い様じゃねーかよ。
「それは、同感かも。」
今度は俺からキスをする。
少し長めの。
当分会うことができないであろう彼女に。
「じゃぁ、バイバイ。」
「うん。」
「好きだったよ。快彦。」
「俺も。好きだったよ。結奈。」
過去形で伝えた俺たちの思いは、始まりの第一歩。
これでよかったんだと思う。
手放したいなんて、ほんとは思ってないけれど、
これでよかったんだと思う。
俺は、例えば3年後、例えば5年後、これでよかったと思える人生を歩まなければならない。
長い人生を、これから作っていかなければならない。
結奈の後ろ姿を見た後、胸をなでおろした。
また会えたら、その時に考えればいい。
本当に会いたくなったら、きっとまた会える。
そして、これから新しい日を作ろう。
無償に前向きな気持ちになれるのは、天気がよかったから。
初めて、太陽が俺の味方をしてくれた気がした。

 

伝えよう。
健に。
俺を変えてくれたアイツに伝えよう。

 

「お前、何してんの?」
家に帰ると、静かなはずの俺の部屋が、妙に慌ただしかった。
健が家中動き回って、荷物をまとめている。
ああ、またレイラさんのとこに行くんだな。
今日くらい、一緒にいてくれてもいいのに。
少し、わがままを言いたい気分だった。
そんなことをぼんやり考えていた。
「荷物まとめてんの。見りゃわかるでしょ?」
その姿はなかなかに楽しそうで、いいことがあったのか、と、
漠然と伝わってくる。
でも、
「俺の分残ってないよね?」
そう尋ねる健は、いつもと様子が違った。
「俺の分って?」
「いやだから、俺の分だよ。」
もちょっと説明していただけませんかね?
ふと彼の足下を見ると、
健が持つ一番でかい鞄が目に入った。
初めて出会った時、彼が持っていた鞄だった。
「あ、ねぇ。この時計もらっていい?ずっとかっこいいなーって思ってたんだ。」
普段つける時計と、特別な時につける時計。
彼は特別な時につける時計を手に取った。
偶然歩いてて、なんとなくかっこいいなぁと思って買ったもの。
あげたくないほどの思い入れはないけど、健の様子がおかしかった。
「ねーダメかなぁ?」
出かけて数週間帰ってこない日はあったけど、
あの鞄に手を出したのは初めてだった。
「いい・・・けど。」
「やった。ありがと。」
笑顔はいつもと変わらないのに、
寂しそうな空気はなんだろう?
「井ノ原くんのもの、持ってたかったんだ。大事にするよ。」
そう、俺に笑って、鞄のファスナーを閉じた。
「健?」
「これ、お餞別だから。」
綺麗な弧を描いて俺の手に向かってきたものを、咄嗟に受け止めた。
「恋愛成就」
そう書かれたおまもり。
「俺、邪魔だったよね。写真、見つけちゃって。」
「何の?」
「なんか、一緒に写ってるの。女の子と。彼女だったんでしょ?」
目線が机の上に注がれた。
結奈と写った写真のことだろうか。
「・・・違うよ。結奈はそんなんじゃない。」
「俺が来てから、女の影が消えてた予感はしてたんだ。」
「別に。それはお前のせいじゃなくて・・・」
「出てくよ。俺。」
「え?」
それは、思いもよらないことだった。
「原因は、それ?だったら勘違いだぞ?アイツとはなんでもねーよ。」
俺の言葉に対し、静かに横に首を振る。
「玲良が倒れたんだ。俺が助けないと。」
いつもレイラさんレイラさんと犬のように騒いでいた彼が、
今日は男の顔をしていた。
「いつ・・・帰ってくんの?」
足が竦んだ。
思い出される昨日の会話。
神社や寺にはご利益が。
お願い事が。
全て彼女を助けるため。
何もできない彼が、悩んで苦しんで出した答えは神頼み。
推測だけど、きっと当たってる。
俺は気づいたんだ。
コイツはもう、帰ってこないって。
「いつ帰ってくんだよっ?」
言葉が強くなるのがわかった。
それは、帰って来いっていう願いと、
命令と共に。
「なぁ。」
健は何も言わない。
「なぁ答えろよっ。」
真っ直ぐに俺を見ていた視線が、下を向く。
「井ノ原くんって、ホントお人好しだよね。そのうち騙されんじゃない?」
「ああ?」
「気をつけなよ。あと、服脱ぎっ放しにすんの。あれよくないよ。ちゃんと畳んでよね。」
服を人一倍大事に扱う健は、いつも俺が服をほったらかしにする姿を見て、
「あんたねー。」
って、まるでおめぇ俺の彼女かよ状態だったことを思いだす。
「それから、ご飯の味。だんだん濃くなってってるよ。そのうち成人病になるんじゃない?気をつけなよ。」
「健。」
「あとね。」
「健っ。」
その表情は俺にはよくわからなくて。
そんなことを聞きたいんじゃない。
そうじゃなくて。
「井ノ原くんも大事。」
ポツっと。
そんな言葉が落ちた。
泣きそうな、そんな言葉が。
「でも、玲良には、俺しかいないんだ。」
俺にもお前しかいない。
一思いに言ってしまいたかった。
でも、アイツを責めれば責めるほど、
困った顔するのがわかるから。
俺の意見にいつも「あ、そっか。」って流される彼の、
意思が強いことくらいわかっていた。
「俺、ここいるから。」
俯いたままの健の顔が、ぐっと前に上がった。
「もし、また辛くなったら、ここ。来いよ。」
「・・・ん。」
「俺、死ぬまでここいるから。」
泣きそうな顔が一転して、思いっきりの笑顔。
「無理だよそれ。」
「じゃあ次来る人にオレの連絡先教えておくから。」
「変だよ、それ。」
笑った彼にもう一度会いたいと。
失いたくないと願うことは、
叶わない約束なんだろうなって、思う。
「おめぇもよー、たまには料理くらい作ってやれよ?文句ばっか言いやがってよ。」
「えーなんだよ。」
「あと風呂なげぇんだよ。金かかるんだって。もっと控えろよ。」
「俺、長い?」
「長い長い。あとなー」
「ありがとね。」
正反対なのに、どうでもいいところはそっくりの俺達。
思えば、正反対だからこそこんなに合ったのかもしれない。
彼のありがとうという言葉を、こんなにも素直に受け入れられる。
「ああ。」
「楽しかったよ。すっげぇ楽しかったんだ。ほんとだよ?」
犬みたいな健が、大人になる時。
俺は父親ってこんな感じなのかなぁとか、馬鹿みたいなことを考えていた。
「卒業おめでとう。」
「ああ。」
「初めて見たよ。そんなまともな姿。」
「どういう意味だよ、それ。」
「いいこと、あったんじゃない?今日。井ノ原くん、すっげぇいい顔してる。」
ほんとに、全部お見通しなんだな、お前には。
「だから、俺も井ノ原くんから卒業する。」
鞄をグッとつかんで肩にかける健。
「ありがとう。いっぱいいっぱい元気もらった。」
素直な言葉をなかなか出せなかった俺。
全部全部が正直な健。
ありがとうなんて、お前が言う言葉じゃない。
俺が言う言葉だよ。それは。
「じゃあ、行くね?」
「え?今から?」
「うん。時間がないんだ。」
「そ・・・か。」
さすがに急なことで、軽く眩暈がした。
「ねぇ。井ノ原くん。」
「ん?」
「もし、もし俺が・・・っ」
「・・・何?」
彼は何かを言おうとしている。
でも、それがなんなのか。
真剣な表情はわかるのに。
「やっぱ・・・いい。」
「なんだよ。途中で言ってやめんなよ。」
「いいや。言ったら井ノ原くん、もっと俺にかまいたくなるから。」
「なんだよそれ。」
いつもの健だ。
「うん。元気でね。」
「お前も。」
「うん。俺。」
少し決意したように俺に告げる。
「井ノ原くんのこと、好きだよ。」
「俺も。あ、でも。」
「ゲイじゃないからね。」
2人の声が重なった。
そんなの、どっちでもいい。
お前が一緒にいるなら、それで。
「幸せに、なれよ。」
「なんかお婿に行くみたい。」
って、あの頃会った時のような、屈託のない笑顔をしている。
「笑ってろよ。ずっと。お前の笑顔、幸せにしてくれるから。」
びっくりしたように。
照れたように笑う彼。
「ありがと。井ノ原くんも。」
「ん。」
「じゃあ、さよなら。」
「ん。じゃあな。」
見送りとか、そんな女々しいことをしてしまうと、無理やりにでも引き止めてしまいそうになるから。
あれこれ考えてるうちに、ガタンってドアが閉まる音を聞こえると、
全てが終わった予感がした。
急に静まり返った部屋は、俺1人だったら半分も使っていなかったことに気付く。
彼が好きだったマンガもゲームも。
服も帽子も靴も、何もない。
彼は実はこの世に存在してなくて、全部夢だったんじゃないかって思う。
それでも、思い出す彼の笑顔。
今、この瞬間、涙さえ出ない自分に嫌気がさす。
思いっきり泣いてしまえば、彼への思いは消えてなくなるだろうか。
叫んでしまえば、彼の姿を忘れられるだろうか。
わからない。
なにもできない。
ただ、今は。立ち尽くすだけ。
俺は今、この世界に1人しかいない。
無性にそんな風に想った。

ベランダに出ると雨だった。
そういえば、彼と出会った日も雨だった。
雨男雨男って、さんざん昔から言われてきたけれど、
やっぱり俺は雨男なんだろうか。
だったら、全てを流すほどの雨を、降らせてほしい。
俺の元に、雷のような衝撃を落として、忘れさせてほしい。
消えない君への思い。
俺はいつ、お前の影から遠ざかることが、できるのだろうか。
言えなかった感謝の気持ちを、
もう1度伝えたいと、今更願ってしまう。
自分のことしか考えてなかった。
だから言えなかった。
「ありがとう」の言葉さえも、伝える術を、一瞬で失くしてしまった。
光を求めて別れた彼女。
その光を、一瞬で失うように消えた彼。
俺はこの日、孤独な夜を過ごした。
世界で俺しかいないような、そんな孤独に。