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現在関西を中心に音楽活動の場を広げようとしています。 1949年生まれですから、もうかなりです。 30年近くサラリーマン生活をしていましたが、「自分らしい生き方」を求めて独立したのを機に、最近本格的に音楽活動を復活したところです。 夢覚めやらずというとこでしょうか。 「人生の忘れ物を取りに来た」何てカッコ良すぎますね。 とにかく何かを残したいという気持ちなのです。 このホームページをきっかけに関西を中心としたボサノバファンの交流の場がひろがっていけばいいなと思っています。 |
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僕の人生はボサノバに導かれているようです。 高校時代にボサノバに魅かれ(詳しくは「ボサノバとの出会い」を見てください。) これを原語で歌いたいと上京し、大学でポルトガル語を専攻しました。 学生時代には当時ライブハウスとして有名だった渋谷の「ジャンジャン」で演奏したり、後に小野リサの店として有名になった四谷のボサノバライブの店「サッシペレレ」で開業と同時に唄っていました。 当時の「ジャンジャン」からは、五輪まゆみ、松崎しげる、忌野清志郎(RCサクセッション)等有名人が巣立っています。 今でこそジャンルも多様化し、「ボサノバ」も立派なひとつのジャンルとなっていますが、当時は「ボサノバ」で一本立ちは難しい時代でした。 |
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サラリーマンになってからは、大阪でサンバ好きの仲間とともに「アパ・ノバ」というサンババンドを作り、ライブやステージに立ったりしていました。 ボサノバも源流はサンバですし、サンバやショーロもとても好きです。 当時の仲間が今、大阪・靱本町で「カイピリーニャ」というサンバの店をやっています。 興味のある方は是非寄って下さい。 ボサノバというのは「時代を感じさせない」「年代を感じさせない」音楽ですね。 いつの時代にも若者から年輩者まで受け入れられ、 古さを感じさせず、また、演奏者の年代層も幅広い。 いつの時代に歌っても、何歳になって歌っても決してナツメロにならない、常に新鮮な音楽、それがボサノバですね。 これが音楽活動を再開した理由のひとつです。 |
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「イパネマの娘」を作詞した、ヴィニシウス・ジ・モラエスさんはギターも弾くのですね。 その昔彼が70を過ぎて、ギター片手にぼそぼそとボサノバを唄っていたのですが、味わい深くて、すごく良かったです。 その時以来「自分もこうなりたい」と思い続けてきました。 (最近はどんどんそれが近くなってくるのでイヤですが) でもそういう音楽をやっていて本当に良かったと思っています。 機会を見つけては、ブラジル音楽の良さを皆さんに分かって頂きたい、少しでもその一助になればというのをライフワークに頑張っています。 |
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