「ボランティアとは何だろう。」
謝辞
長田 秀樹
何にしても神戸においては話はそこにたどり着いた。後に本を読んだのだが、ボランティアの社会的定義とは「自由意思に基づく原則として無報酬の社会的貢献(市民活動促進法)」であるらしい。
どうも法案とかになってしまうと”自由意思”などと記されていて、堅苦しいイメージが拭えない。また、「ここまでがボランティア」というしっかりとしたラインがあるわけでもなく「どこまでがボランティアか」という問題も必ず話題に上った。どちらの問題にしても人の意見を聞き、朝まで話し合い、最後は自分の考えにより行動すればよいのではないだろうか。
私の中ではこのボランティアの経験は大きな位置を占めている。事実、肉体的には辛く、痩せこけた(?)が、精神的には大きなプラスとなった。
中央区ボランティアでは見たかぎり二十歳前後の人が大半であったが、そのボランティア達は実に物事をよく考え、いろいろな経験をしており話をしていて刺激になることが多かった。そのような中、個人としては何もできない自分のふがいなさを痛感した。そこで、このような大災害では多くの人が継続的に動くことが大切である。中央区ボランティア本部においては、ボランティアコーディネーターと呼べる人が数人おり全体としてうまく機能していた。その全体の力は圧倒すべきものであり、その一部であったことは自分の中で何かの実感となった。
今回のボランティアで、他の工学院生とともに何かなしえることができ、それは少しは神戸の方々の役に立ったのではないだろうか。
最後に自分なりの初めの問いへの答えであるが、「ボランティアとは人を思いやることである」としておきたい。
この報告書を作成するにあたり、お茶の水大学の皆様また、このような貴重な体験をさせてくれた大橋学長をはじめとする大学関係者の方々、そして、神戸の皆さんに感謝いたします。
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