王濬士治 オウシュンシチ
晋の益州刺史 呉を平定した将
出身地:弘農郡湖県
生没年:206〜285年
容姿 :晋の益州刺史。

〜列伝〜  ヨウコの遺言により、ドヨがシバエンに推挙されて鎮南大将軍、荊州の都督に 任ぜられた。その時、益州刺史に着いており、呉を攻めることを上奏した。  そして、長江を攻め下るが、船頭が波が高くて船が進められないことを伝える と、大いに怒って、 「わしは今、石頭城を取ろうとしているのじゃ。止まるとは何事か。」 と、太鼓を打ち鳴らして進み出た。そこに呉の大将チョウショウが手勢を率いて 投降してきた。 「もし本心で投降したのなら先手となり功を立てよ。」 と、言ってチョウショウを進撃させ、城門を開けさせた。  呉主はもはやこれまでと自ら首をはねようとしたが、セツエイが、 「安楽公リュウゼンコウシにならわれたらよいではございませぬか。」 と進言したので、これに従って柩車をそなえて自らを縛って文武諸官を率いてオ ウシュンの陣に降参に行った。  ドヨは、翌日建業に到着し、軍をねぎらって、穀倉を開いて呉の人民に与えた ので安堵した。  かくして、三国時代は幕をおろして晋のシバエンの天下統一が成し遂げられた。