黄忠漢升 コウチュウカンショウ
五虎将の一人 老いてなお盛んなり
出身地:南陽郡
生没年:148〜222年(演義)
        220年(正史)
容姿 :荊州刺史リュウヒョウに仕えた後、長沙太守カンゲンに仕えた。     弓の名手。     白髪の老将だが、老いてもその武勇は衰えず、老いてなお盛ん。

〜列伝〜  リュウビが長沙に攻め込んだ際に、カンウと闘った。その時、自分の馬が倒れ たが、カンウがそれを攻撃しなかった。翌日、再びカンウと闘ったが、その時は 弓でカンウの兜を射て借りを返した。  この一戦でカンゲンに、リュウビ軍と内応していると疑われ、斬首されかけた。 そこをギエンがカンゲンを斬って助け、ともにリュウビについた。  その後、蜀に侵攻するリュウビ軍の先鋒をつとめ、軍師ホウトウの指示でギエ ンと共に、蜀将ヨウカイ、コウハイを捕らえ、レイホウを攻め立てた。しかし、 落鳳坡でホウトウがチョウジンの矢に討たれて死ぬと、リュウビと合流してショ カツリョウを呼び寄せるように進言した。  ショカツリョウの指示で、綿竹城でリゲンを降らせ、チョウウンとともに綿竹 城の守備にあたった。  葭萌関に攻め込んだチョウコウにモウタツ、カクシュンが敗れ、ショカツリョ ウはチョウヒを迎撃に向かわせようとしたが、コウチュウが大声を上げて、 「それがしがチョウコウの首をかききって参りましょう。」 と言った。ショカツリョウは、 「武勇は存じておりますが、何と申しましてもその御老体ではチョウコウの相手 は無理でござろうな。」 コウチュウは白髪を逆立てて、 「歳は取り申したが、腕はまだまだ弓も引け、身体には千斤の力がある。」 と副将にゲンガンを指名して出陣した。そして、ゲンガンと共に迎撃し、コウチ ュウはチョウコウと一騎打ちをし、その隙にゲンガンがチョウコウ軍の後ろを突 いて討ち破った。葭萌関を奪い返したコウチュウ、ゲンガンは、リュウビに数々 の恩賞を与えられた。そして、リュウビに 「この上、定軍山まで取る元気がおありか。」 と言われて、ショカツリョウの止めるのも聞かずにコウチュウは承知して討ち立 った。そして、定軍山のカコウエンと対峙した。参軍ホウセイの「客を転じて主 となす。」の策でカコウエンを討ち取った。チョウコウをチョウウンと共に討ち 破り、さらにジョコウ、オウヘイも討ち破った。  漢中王に即位したリュウビより五虎将の一人に任じられた。  カンウが呉に討たれると、リュウビが仇討ち戦を始め、その先鋒をつとめた。 しかし、フウシュウが止めるのも聞かず、彝陵で奮戦し、シセキを斬った。さら に戦いに出て、呉のバチュウに肩を射られた。  見舞いに来たリュウビの前で、 「75まで生きましたからには、もはや不足はございませぬ。陛下はなにとぞ御 健勝にて、中原をおとりくださいますよう。」 と言って、そのまま気を失い、その夜本陣で死んだ。  「正史」では、カコウエンを斬った翌年に死去し、剛侯を追贈されている。