郭嘉奉孝 カクカホウコウ
曹操の軍師
出身地:潁川郡潁陰県
生没年:170〜207年
容姿 :河北平定に功を成した軍師。将来を見透す見識を持つ。     若くして死んだ。

〜列伝〜  ジュンイクに推挙されたテイイクの推挙でソウソウに推挙され、リュウヨウを ソウソウに推挙した。  徐州攻略に加わり、その隙にリョフに攻め込まれて、ソウソウにリュウビとの 和睦を進言した。そして、リョフ軍に勝利した。  その後、徐州を奪ったリョフ軍に苦戦をするが、沂水、泗水を斬って、下ヒ城 を水攻めにする策を進言して勝利た。  徐州はシャチュウが治め、リュウビは許都で献帝に謁見し、ソウソウ誅滅の密 勅を賜った。しかし、事が露見し、逃げたリュウビ討伐を進言した。  エンショウの死後、長子エンタンと末子エンショウの兄弟が争い、カクカ曰く、 「袁家の世継ぎ争いの中を攻め立てると、彼らは力を合わせるでしょう。ここは 棄ておけばいがみ合う事は必定。ここはまず、荊州のリュウヒョウを討つのが先 でしょう。」  ソウソウはリュウヒョウ討伐をしようとするが、そこにエンタンの使者シンピ が加勢を求めたので、援軍を出した。エンタン、エンショウが争って互いに敗れ ると、ソウソウは河北を平定した。カクカはさらに、北方の異民族討伐を進言し た。しかし、この時風土病にかかり、易州で養生した。北方を征圧したソウソウ が急いで易州に駆けつけたが、その時には既に死んでいた。  38歳であった。