袁紹本初 エンショウホンショ
河北の覇王 名門袁家の御曹子
出身地:汝南郡汝陽県
生没年:??〜202年
容姿 :4代続いて三公を出した名門袁家の御曹子。     堂々として威厳のある風貌だが、身分にこだわらずよく士人に対して下     手に出た。     優柔不断で決断力がないが、名門袁家の誇りは強い。

〜列伝〜  宦官誅滅を行った大将軍カシンに従って宮中に乗り込んだ。そして、カシンの 妹、何皇后の子、弁皇子を帝位に即かせた。さらにカシンに宦官誅滅に乗り出す よう進言するが、何皇后に宦官達が命乞いをし、それを聞き入れてしまったカシ ンは耳を傾けなかった。そして、十常侍のチョウジョウ達にカシンが殺されると 宮中に乗り込んで、十常侍のチョウチュウ、テイコウ、カウン、カクショウ達を 斬り刻んだ。  逃げ出したチョウジョウ達を西涼刺史トウタクが誅滅し、そのままトウタクは 洛陽を占拠した。トウタクの少帝廃立に反対し、冀州に逃亡した。トウタク暗殺 に失敗したソウソウとともにトウタク討伐を決行し、第17鎮で洛陽に攻め上っ た。河内の太守オウキョウの進言で、反董卓連合の盟主となった。  トウタク配下の猛将カユウにソンケンが敗れた後、カンウが名乗り出たが、カ ンウの身分の低さに出陣を渋っていた。しかし、ソウソウのとりなしでカンウは 見事にカユウを討ち取った。その頃、洛陽にいる叔父のエンカイとその一族を皆 殺しにされて大いに怒った。そして、オウキョウ、キョウボウ、ホウシン、エン イ、コウユウ、チョウチョウ、トウケン、コウソンサンの八軍に虎牢関を攻めさ せた。トウタクは、虎牢関を抜けられると、洛陽を焼き払って長安に遷都した。  諸侯は洛陽に駐屯したが、この時エンショウは河内にいて兵糧不足に悩まされ て、幕僚ホウキの進言で冀州をコウソンサンと取ることを決め、領地も半分ずつ 分けるように決めた。コウソンサンは冀州に兵を送り込むが、冀州刺史カンフク の幕僚シンピョウは冀州をエンショウに渡すよう進言した。エンショウは冀州を カンフクから献じられたが、これに怒ったコウソンサンは冀州に兵を進めた。  トウタクが、恩を売っておくために献帝の詔で両者を和解させた。その後、ソ ウソウとチョウシュウが戦いを始めるとソウソウの背後を襲おうとするが、ソウ ソウがこれに気づいて兵を戻したので進軍をやめた。そして、コウソンサン討伐 を行った。コウソンサンを平定し、河北を治めて南下してソウソウと対峙した。 そして、諸侯を味方につけてソウソウを牽制し、ソウソウに追われてきたリュウ ビを保護した。そして、軍師デンポウが、 「勝ち目がない戦でございます。時を待つべきでございます。」 と諌めるが聞かず、彼を投獄してソウソウと争い、ガンリョウを先鋒とした。ソ ジュ曰く、 「ガンリョウは勇猛なれど偏狭者ゆえ、一人に任せるのはいかがかと心得ますが。」 しかし、 「わしの大将に、おまえ達が口出すことはない。」 と退けた。しかし、ソウソウに身を寄せていたカンウに、ガンリョウが討たれ、 それを聞くと大いに怒ってリュウビを打ち首にしようとした。リュウビ曰く、 「みどもは弟と徐州で別れ別れになり、以来弟達の生死すら存じません。天下に 似た者は多く、それが弟とは限りますまい。」 それを聞いて、ソジュの諌めも聞かずにブンシュウを出した。しかし、ブンシュ ウもチョウリョウ、ジョコウを追い払うが、カンウに討ち取られた。  怒って再びリュウビの首を刎ねようとしたが、リュウビ曰く、 「弟のもとに密書をやって、それがしの消息を知れば直ちに参じましょう。」 これに大いに喜んで部下のチンシンにカンウへの密書を届けさせた。そして、リ ュウビ曰く、 「荊州のリュウヒョウを味方につけて参りましょう。」 と、河北を去った。  デンポウが獄中より、 「今はまだ静観し、天の時を待つべきです。」 と上書した。しかし、この諌めも聞かずに官渡に兵を進めてソウソウと対峙する が、兵糧基地の烏巣を襲われて大敗した。さらに、テイイクの「十面埋伏の計」 に倉亭で敗れ血を吐いて昏倒し、冀州に帰った。  さらに三男のエンショウもチョウリョウに敗れて帰ってきたことを聞くと数斗 の血を吐いて昏倒した。後継者の名も言えず、劉夫人が、 「エンショウを世継に定められますか。」 と聞くと、うなずいて、さらに血を吐いて息絶えた。