第九十一回  さて、丞相はモウカクに狂風のことを聞くと、モウカクは荒神の祟りであると 答え、49個の人の首を供えれば静まると告げた。  しかし、丞相は、 「もともと死んで亡魂となったのである。この上生きている者を殺すことはでき ぬ。」 と言って、麦粉をこねて牛馬の肉を包んで「饅頭」と名付けたものを作った。そ して、これを供えて祭文を読み上げた。  翌日、風はなく無事成都に帰り着いた。  さて、魏主ソウヒは在位7年に及んでおり、夏5月に風邪にかかって病が治ら なかった。ソウシン、シバイ、チングンを寝所に呼んで子のソウエイに引き合わ せて後事を託し、そのままみまかった。40歳、在位7年であった。  かくて、ソウエイは大魏皇帝になり、ソウヒにおくりなして文皇帝とした。  この事を間者にから知らされたショカツリョウは仰天し、シバイの存在を危惧 した。そして、バショクの進言でソウエイとシバイの仲を裂こうとした。  さて、ある日のことシバイが簒奪を企てているというような知らせを魏王が耳 にし、大尉カキンの進言で彼の兵権を削いだ。  この知らせを聞いてショカツリョウは「出師の表」を奉呈し、北伐に乗りだし た。  そこに、老将チョウウンが行軍に加わると申し出てきた。丞相は、 「わしが南蛮平定から戻った後、バチョウが病で死に、片腕を失った気持ちであ った。将軍も既に老いておられもしもの事があっては蜀軍の指揮はくじけましょ う。」 と断ったが、止めるのも聞かず行軍に加わろうとした。  そこに、トウシがチョウウンの補佐に名乗り出た。丞相はいたく喜び、2人を 連れて出陣した。  さて、魏では魏王がこの知らせを聞くと仰天して群臣に計った。するとカコウ エンの子でカコウトンの養子、カコウボウが名乗りを上げた。魏王は彼を都督に して迎え討つように命じた。しかし、オウロウは彼が実戦経験がないことを指摘 して諌めた。カコウボウは大喝してオウロウを黙らせて迎え討った。  さて、この勝負どうなるか。それは次回で。
第九十二回  さて、丞相とバタイはバチョウの墓を行軍中に参って陣屋に帰って来ると、カ コウボウが出てきたという知らせを聞いた。丞相は笑って、チョウウンに軍を進 めさせた。  チョウウンがカコウボウの配下、カントク目指して馬を走らせると、彼の長男、 カンエイが討って出た。チョウウンはカンエイを3合いもせずして討ち取り、こ れを見て出てきた次男カンヨウを相手にし、さらに加勢に来た三男カンケイ、四 男カンキを相手に打ち合った。カンキは落馬し、部将に助けられて逃げ、カンケ イが弓をチョウウンに向けて射たがはじかれ、逆にチョウウンの射た矢を顔面に 受けて死んだ。カンヨウはチョウウンに生け捕られてしまった。4人の息子を討 ち取られたカントクは、顔色を変えて陣中に走り込んだ。  トウシはこの大勝を見て兵を進め、カントクは馬を捨てて逃げ戻った。  この事をカントクはカコウボウに伝えると、カコウボウ自ら討って出た。そし て、カントクが息子の仇と討って出るが、チョウウンに3合いとせず討ち取られ た。カコウボウの軍勢は大敗した。  カコウボウは、テイイクの子テイブに計ってチョウウンを討つ策を練った。そ して、テイブの策でチョウウンは誘い込まれ周りを魏軍で囲まれて身動きできな くなった。そこに、チョウホウが魏軍につっこんで囲みを解き救出した。チョウ ウンはいたく喜んでチョウホウとともに西北に斬って出た。すると、カンサクが 加勢に現れ、3人は兵を進めて魏軍を見事打ち破った。カコウボウは南安郡に逃 げ込み、城門を固く閉ざした。  丞相が軍率いて来るとチョウウン達は城を攻めあぐねていると伝えた。  さて、安定の太守サイリョウはカコウボウからの援軍の書面を受け取り軍を出 した。しかし、これはショカツリョウの計であり、待ち構えていたギエンに攻撃 され捕らえられた。サイリョウは偽りの降伏をし、ショカツリョウ達を殺そうと 企んだ。そして、南安の太守、ヨウフの従弟ヨウリョウを降伏させるためにチョ ウホウ、カンサクを従えて向かった。サイリョウは南安城下に行き、 「安定からの援軍である。」 と言ってヨウリョウに城門を開かせた。  ヨウリョウが門を開くと、カンサクはものも言わずに斬り殺し、 「貴様等の奸計に丞相が欺かれると思っておるのか。」 と大喝一声、さらにサイリョウも槍に貫かれた。カンサクが合図をすれば蜀軍は 一斉になだれ込み、カコウボウは南門から逃げ出した。しかし、オウヘイに捕ら えられた。  さて、天水郡の太守バジュンはカコウボウの危機を知って援軍に駆けつけよう としたが、そこにキョウイが、 「これはショカツリョウの計略にございますぞ。」 と言って諌めた。そして、 「それがしに一計がございます。」 と進言した。  さて、その計とは。それは次回で。
第九十三回  キョウイはショカツリョウの計を見抜いて 「ショカツリョウの計は、城の裏手に兵を置き、我らをおびき寄せて虚を突くと いうもの。故に遠方まで行かずに戦い、火の手を合図に前後から攻撃すれば大勝 間違いございませぬ。」 と進言し、バジュンは兵を出した。  さて、チョウウンは、魏軍が城を出たと聞くと、5千の兵を率いて城に向かっ た。そして、開城を迫ったが、 「貴様は計にかかりながら気付かぬのか。」 とキョウイが討って出て、チョウウンと打ち合った。チョウウンはキョウイの強 さに驚きながらも打ち合うが、左右から魏軍に攻められ血路を開いて丞相のもと に落ち延びた。  計が破れた丞相は、驚き自ら大軍をおこした。そして、ギエンにキョウイの母 親のいる冀城を攻めさせた。キョウイは、いち早くこれを読んで冀城を守りに行 き固く門を閉ざした。丞相は捕虜のカコウボウにキョウイに降伏を勧めるように 命じ、彼を冀城にに向かわせた。しかし、途中で冀県の領民からキョウイが降伏 したという知らせを聞いて、天水のバジュンのもとに行った。そこにキョウイが やってきて、 「それがし都督のために降参致したのに、何故魏に戻ったのか。」 すると、カコウボウ、 「魏の恩恵に預かりながら蜀に降るとは何事か。そのような約束はしておらぬ。」 「貴様が書面を持って降るよう勧めて参ったのに知らぬとは無礼な。今、わしは 蜀に降って大将の役を頂いた。魏に戻る気などないわ。」 というなり攻めてかかった。実は、このキョウイは偽物で蜀の兵士であったが、 松明の中でははっきりと見分けることができなかったのである。  この間に丞相は冀城を攻め、キョウイは天水に援軍を求めに行った。しかし、 天水では先の偽物の計でキョウイは降伏したものと思われ、逆に矢を浴びせられ、 やむなく退くが、蜀軍に囲まれた。そこにショカツリョウが現れ、降伏を勧めた。 キョウイは退路も援軍もないのでやむなく降伏した。  そして、ショカツリョウ、キョウイは近隣の城を落としていった。  ソウエイは、カコウボウが三郡を失って羌中へ逃れた事を知り、諸官と計った ところ司徒オウロウが進み出てソウシンを出すよう進言した。  ソウエイはソウシンを大都督に命じ、カクワイを副都督、オウロウを軍師とし て20万の兵を与えた。  ソウシンは長安を出て蜀攻めを評議したが、オウロウが、 「それがしがただの一言で蜀を降参させて進ぜよう。」 と言った。  ソウシンはいたく喜び、明朝軍を出した。オウロウは、ショカツリョウと対面 し論戦をしたが、ショカツリョウに論破されて胸を詰まらせて死んだ。  両軍この日は軍を退き魏軍はオウロウの柩を長安に帰した。カクワイが、 「我が軍が喪儀を行っているとみて、夜討ちをかけて来るに違いありませぬ。」 と進言し、逆に夜討ちを仕掛けた。  しかし、ショカツリョウに策を読まれて暗闇の中で同士討ちをして大敗し10 里余り軍を退いた。  そこでカクワイは、一計を進言した。  さて、その計とは。それは次回で。
第九十四回  さて、カクワイは、西羌と組んで挟み撃ちにする計を進言した。西羌の王テツ リキツはこれに同意してエツキツ元帥、ガタン丞相に15万与えて出陣させた。  ショカツリョウは、バタイを案内役にチョウホウ、カンコウを出した。しかし、 彼らは追い払う事が出来ずに退いて、丞相に計を求めた。  すると丞相は、 「間もなく雪になるに違いない。わしはこれを待っていたのじゃ。」 と言って、カンコウ、チョウホウに伏兵を命じた。  キョウイがエツキツ、ガタンの軍を誘い出し雪道を逃げると、追ってきた羌兵 は雪の中の落とし穴にはまりこんだ。そこにカンコウ、チョウホウが弓を射かけ、 後ろからキョウイ、バタイ、チョウヨクが斬り立った。  エツキツはカンコウにただ1合いで斬り落とされ、ガタンは捕らえられた。シ ョカツリョウは捕らえた兵や武器を全てガタンに帰して解き放った。すると一同 恩を感じて立ち去った。丞相はこの勝利を上奏して軍を退いた。  ソウシンは蜀が兵を退いたので、羌兵に破れたっと思って追い討ちをかけた。 しかし、ギエン、チョウウン、チョウホウ、カンコウに待ちかまえられて大敗し、 ソウシン、カクワイは血路を開いて逃れた。ソウシンは加勢を求める上奏文を出 した。  上奏文を受け取ったソウエイは、ショウヨウに 「以前のシバイの一件は彼を恐れる蜀の流言でございます。」 と言われ、以前の職に戻して彼を援軍に向かわせた。  ショカツリョウは、魏に降ったモウタツが蜀の長安攻めに応じて謀反するとい う知らせを聞いていたく喜んだが、シバイには気を付けるように言いやった。  さて、シバイは魏主から出陣の命を受けたが、その時モウタツの腹心リホとモ ウタツの甥トウケンから彼の謀反を聞き、ジョコウを先鋒に鎮圧に向かった。  新城のモウタツはジョコウが謀反鎮圧に来たのを知って驚いて城壁から矢を射 かけた。その矢がジョコウの額にあたり、彼はその夜死んだ。時に59歳。  モウタツはショカツリョウの忠告を思い出して長嘆し門を閉ざして立てこもっ た。翌日シンタン、シンギが魏の囲みを解いて駆けつけ、モウタツは援軍が来た ものと思って城を出たが、その時にリホ、トウケンに城を取られ、シンタンの槍 に突き落とされ、首をかき斬られた。  シバイがこの事を魏主に上奏すると、魏主はいたく喜んだ。  さて、シバイは兵を率いて長安に至り魏主に謁見した。そして、チョウコウを 先鋒に賜って出兵した。  さて、この勝負いかに。それは次回で。
第九十五回  シバイ、チョウコウが関を出て陣を布くと、ショカツリョウが諌めるのも聞か ずバショクが誓紙をしたためて迎え討つと進み出た。丞相は心許なく思ってオウ ヘイを付けて2万5千の兵を与えて出陣させた。さらに丞相はコウショウ、ギエ ンにも出陣を命じた。  バショクは、街亭に至って、 「こんな山里に魏軍が来るはずがない。」 と笑って、 「道の上に陣を布く法はなく、この山に茂っている木々は天然の要害じゃ。」 と言いうが、オウヘイが諌めて 「道に陣を布いて壁を築けば一兵も通ることは出来ますまい。」 しかし、聞き入れずに陣を山頂に布いた。そして、聞き入れないオウヘイに5千 の兵を与えて好きなようにさせた。  シバイは、バショクの陣を見ていたく喜び、チョウコウにオウヘイの進路を遮 らせた。そして、水を汲むための水路を断って、シンタン、シンギに山を囲ませ、 自ら大軍を率いて押し寄せた。  これを見た蜀軍は肝を潰して斬り下る元気もなく、怒ったバショクは自ら斬り たったが、揺るがず山に戻り加勢を待った。  オウヘイはチョウコウと数十合いしたが、兵が力つきたのでやむなく退いた。 バショクは、山に火をかけられて西へ逃れた。シバイはチョウコウにバショクを 追わせるが、途中でギエンと渡り合いチョウコウは逃げ出した。ギエンは後を追 って街亭を取り戻したが、左右からシバイの伏兵に襲われ斬り抜けることが出来 なくなった。そこに、オウヘイが加勢に来て彼を助けた。  その夜、コウショウの言葉で夜討ちをかけたが、読まれてギエン、コウショウ は囲まれて身動きできなくなった。そこにオウヘイが助けに入って3人は軍を退 いて逃れた。  街亭を取ったシバイは、 「街亭を取られたからにはショカツリョウは必ず逃げる。」 と言ってさらに兵を進めた。  ショカツリョウは、使者からバショクの布陣を知って、 「我が軍を滅ぼす気か。」 と地団駄を踏んだが、街亭が取られたとの知らせが入ると急いで退却を命じた。 シバイが攻めて来るとの知らせだが、ショカツリョウの周りは文官しかおらず、 自ら櫓に上がって琴を奏でだした。  シバイは、この有り様を見ると、 「今あのように門を開いておるのは伏兵が潜んでおり、兵を進ませれば彼の術中 に落ちるであろう。」 と言って軍を退いた。  ショカツリョウはこの隙に兵をまとめて漢中に向かった。  シバイは兵を退いて武功山にさしかかると、チョウホウ、カンコウが討って出 たので、慌てふためいて街亭まで逃げ去った。  シバイは、ショカツリョウには2千5百の兵しかおらず、チョウホウ、カンコ ウもそれぞれ3千の兵を率いただけと知って長嘆した。  シバイは、長安に帰って魏主に首尾を報告し、魏主は蜀攻めの軍をおこすよう 命じた。そこに、 「臣の謀をもてば蜀、呉を降せましょう。」 と進み出た者がいる。  さて、策を献じたのは誰か。それは次回で。
第九十六回  さて、策を献じたのは魏の尚書ソンシであった。彼は、 「諸処の要害を固め、蜀と呉の戦いを待って討伐されれば勝利は疑いござりませ ぬ。」 と献じ、魏主はシバイに計った。シバイもソンシに同意したので、魏主は要害に 大将を出して洛陽に戻った。  ショカツリョウは漢中にあって、チョウウン、トウシだけが戻っておらず、い たく心配していたが、チョウウンは自ら後詰めをして敵の心胆を寒からしめたの で追ってくる者なく一兵も失わずにトウシとともに漢中に戻ってきた。丞相はこ れをいたく喜んだ。  かかる時、バショク、オウヘイ、コウショウが帰着したので、ショカツリョウ は、オウヘイを強くなじって、 「バショクを諌めず、あの布陣は何か。」 「それがし再三諌めましたが聞き入れられず、1人で5千を率いて道筋に土塁を 築いて陣を構えました。そこへ不意に魏軍が山を囲みました故、加勢に駆けつけ ましたがかなわず落ち延びました。」 ショカツリョウは、彼を引き下がらせバショクを呼んだ。バショクは自分を縛っ て幕下にひざまずいた。ショカツリョウコは、 「そなたがオウヘイの諌めを聞き入れておれば今度のような事にはならなかった のじゃ。軍律を揺るがすわけにはいかぬ故打ち首とするが、そなた死後も家族は わしから扶持をくれてやるゆえ安堵致すがよい。」 と言った。ショウエンは処刑することを諌めたが、法をおろそかには出来ぬと、 涙を流しながら彼を打ち首にした。  そして、先帝の遺言で、「バショクを重く用いるな」とあったことを思い返し て泣いた。ショカツリョウは、自ら位を右将軍に降格して丞相の職務を行った。  魏主はこれを知るとシバイに計ったが、守りを固めるように進言され、陳倉に 城を築いてカクショウに守らせた。そこに、揚州司馬、大都督のソウキュウから、 呉のシュウホウが降ってともに呉を攻るので軍を出して欲しいという要請が来た。 建威将軍カキは罠であると諌めたが、シバイは、 「カキの言うこと一理ありますが、この機を逃すのも惜しいと思います。」 と進言し、魏主はカキ、シバイを向かわせた。  呉のリクソンは魏が罠にかかった事を知ると、シュカン、ゼンソウを率いて魏 軍を迎え討った。  さて、ソウキュウがシュウホウと会って、 「このたびはそなたの書面を受け取り大軍をおこすことになった。ただ、そなた が計っておるという者もあるのじゃ。わしはそなたが欺く事はないと思っておる ぞ。」 と言ったので、シュウホウは、剣を引き抜いて自分の首をかききろうとした。ソ ウキュウが慌てて止めると、 「それがしの肝胆まで言い表せなかった事、無念に思います。」 と言って髪を切って誠心を見せた。ソウキュウは心から彼を信じ、酒宴を開いて もてなした。  酒宴が終わった頃、カキが到着し計略であるとソウキュウを諌めたが、彼は聞 き入れずに自ら軍勢を率いて東関に向かった。  リクソンはジョセイに先鋒を命じて打ち立った。ソウキュウは、シュウホウと ともに石亭におもむいたが、呉軍が陣取りしているのでシュウホウに何故呉軍が いるのか聞こうとしたが彼の姿はなかった。そこにシュカン、ゼンソウが背後か ら火を放ったので大騒ぎとなり同士討ちが始まり、ソウキュウは慌てて逃げ出し た。そしてカキに助けられて落ち延び、大敗したと知ったシバイも軍を退いた。  リクソンはシュウホウをあつくねぎらって関内侯に封じた。そしてリクソンは、 「国書をお作りになって使者を蜀に遣わし、蜀に軍を進めるようにさせるがよろ しゅうござります。」 とソンケンに進言した。ソンケンはこれに従った。  さて、勝負はどうなるか。それは次回で。
第九十七回  さて、ソウキュウは、洛陽に戻って心痛のあまり病になって死んだので、魏主 は彼を手厚く葬らせた。シバイは、蜀が攻めてくるのを警戒して直ちに戻って来 た。  蜀は、呉の使者から魏を討つように要請され出陣をしようとしていたが、そこ にチョウウンの死が知らされた。後主は声を上げて泣き、詔を下してチョウウン に大将軍の位を追贈した。  ショカツリョウは、「出師の表」を奉ってギエンを先鋒に軍をおこした。これ を知った魏はソウシンを大都督に、カクワイ、チョウコウ達に要害を固めさせた。  ギエンは城を攻めたてるが、カクショウの守りに攻め落とせずにいた。カクシ ョウの旧友キンショウが彼を説得し投降させようとしたが全く相手にされなかっ た。怒ったショカツリョウは、 「わしに城攻めの道具がないと思っておるのか。たかが3千の兵で防げると思う てか。」 と言って陣中で雲梯を組み立て攻め込んだが、火矢で撃退され退却した。怒った ショカツリョウは、その夜の内に衝車をそろえて、翌日攻め込んだが石を投げか けられて撃退された。20日あまり攻めたてたが城は落ちず、魏軍の援軍オウソ ウが到着した。  シャユウ、キョウキが進み出て、援軍を迎え討ったが、2人はオウソウに軽く 討ち取られてしまった。リョウカ、オウヘイ、チョウギョクが迎え討つが、3人 もオウソウの前に逃げ戻ってきた。ショカツリョウはキョウイとはかってやむな く兵を退いた。  ソウシンはシバイに功を奪われ口惜しく思っていたが、そこにキョウイから、 「ショカツリョウの計にかかってやむなく降伏させられたが、内応して先の罪を 償いたい。」と密書が届いたので、大いに喜んでヒヨウに5万の兵を与えて進め た。しかしこれはキョウイの計略で、誘い込まれたヒヨウは蜀軍に囲まれて大敗 し自ら首をはねた。  ソウシンはヒヨウが殺されたと知ってカクワイと計ったが、ソンレイ、シンピ が魏主にこの事を上奏したので魏主はシバイに計った。シバイは、 「臣は既に蜀を退ける計を立ててございます。」  さて、その計とは。それは次回で。
第九十八回  さて、シバイは、 「守りに徹していれば蜀は兵糧が尽きて退却をせざるを得ませぬ。そこを攻め込 めばたやすく勝てましょう。」 と進言し、魏主はソウシンに守りに徹するように申しつけた。  しかし、ソンレイは火攻めで蜀軍を破ろうと火薬を積んだ兵糧部隊で蜀軍をお びき寄せたがしたが、ショカツリョウに見破られ逆にその火薬に火をつけられて 大敗した。これを聞いたソウシンは2度と討って出なかった。  ショカツリョウは、 「こちらの兵糧が貧しく早々に決着せねばならぬが、敵が出てこぬので引き揚げ る事にする。」 と言って兵を引き揚げた。  チョウコウが到着してシバイの「蜀は勝てば退き、負ければ留まる。」という 言葉を伝えると、ソウシンは蜀陣地を探らせた。陣は既に退いた後であり、ソウ シンは後悔をした。  ギエンはショカツリョウの命を受けて、蜀軍が退いた事を知って追ってきたオ ウソウを誘き出して討ち取った。  ソウシンは、オウソウが討ち取られたことを知っていたく嘆いたが、これがも とで病になり、カクワイ、ソンレイ、チョウコウらに守らせて洛陽に引き揚げた。  呉主は魏と蜀の戦いを知って中原を攻めるか否か決めかねていると、チョウシ ョウが皇位に就くことを進言したので即位の儀を行って黄武8年を黄竜元年と改 めた。さらにチョウショウは蜀と同盟することを進言し、呉主は蜀に使者を送っ た。蜀ではショカツリョウが祝賀の産物を届け、リクソンに魏討伐の軍をおこさ せるよう約束させた。リクソンはこの事を呉主から聞くと、 「軍勢をおこすように見せかけて蜀が動くのを待って中原を取りましょう。」 と言った。  ショカツリョウは陳倉のカクショウが病にかかったと知って陳倉を攻めさせた。 カクショウは蜀が押し寄せてきたと知って仰天してそのまま息絶えた。陳倉を取 るとギエン、キョウイに散関を固めさせて援軍に来たチョウコウを追い返した。 そして、さらに自らは建威、キョウイに武都、オウヘイに陰平を取らせた。  チョウコウは長安に帰り領地を奪われたことを伝えて洛陽の魏主に上奏文をも って告げた。魏主はなすすべを知らずにおろおろして、シバイに計ると彼は、 「呉は動かぬでしょうから蜀に対して守りを置けばよろしいかと。」 と進言した。ソウシンは病が癒えていなかったのでシバイに大都督の印綬を渡し て彼に渡した。かくしてシバイは長安に至ってショカツリョウと雌雄を決せんと した。  さて、この勝負どうなるか。それは次回で。
第九十九回  シバイは、大将を出して攻めかけるので、カクワイ、ソンレイにショカツリョ ウの背後を突くよう命じたが、2人はオウヘイ、キョウイ、チョウホウ、カンコ ウに囲まれて大敗した。2人が馬を捨てて逃げ出したのを見つけたチョウホウが 追いかけたが、人馬もろとも谷底に落ちて頭を割ってしまった。ショカツリョウ は彼を成都に送り返して養生させた。  シバイは、チョウコウ、タイリョウに命じて背後を突かせたが、2人は進路に 火攻めを仕掛けられて、伏兵に打ち破られて散り散りに戻ってきた。仰天したシ バイは二度と討って出なかった。  ショカツリョウは、魏軍に大勝したが以後けしかけてもも応じてこないので、 30里ほど退いて陣を布いた。シバイはチョウコウを出陣させ自らも討って出た が、オウヘイ、チョウヨクが奮戦して食い止め、キョウイ、リョウカがその隙に 本陣を奪い取った。シバイは、慌てて兵を返したがチョウヨクに討ちかかられ大 敗した。  大勝したショカツリョウはさらに兵を進めようとしたが、そこにチョウホウの 死が伝えられて彼は血を吐いて昏倒した。  十日余りして直ちにショカツリョウは軍勢を退き、その5日後シバイは敵が退 いたことに気付いて軍を退いた。  ショカツリョウは漢中に兵を退いて、成都に戻って療治した。  一方、ソウシンは病が癒えたので上奏文を賜って蜀攻めをしようとした。魏主 は帰ってきたシバイと計って40万の蜀攻めの兵をおこした。  魏軍が蜀に攻め込む頃には、ショカツリョウの病も癒えており、チョウギョク、 オウヘイに千の兵を与えて守らせた。  魏軍が陳倉城に入ると既に全て焼き払われた後で、さらに雨が降りだして30 日も止むことはなく兵の士気は落ち戦える状態ではないので、ソウシンとシバイ は軍を退いた。  オウヘイの使者から魏軍が退いたことを知るとショカツリョウは、 「今、追えば敵も備えておるであろうから、別の策を用いる。決して追ってはな らぬ。」 と伝えた。  さて、いかにして魏を破るか。それは次回で。
第百回  ショカツリョウは魏軍が完全に退いてから攻撃を仕掛けようとした。  シバイは蜀軍の追撃を恐れて伏兵を配置したが、ソウシンは信じず、 「もし蜀軍が来たら下賜の玉帯と馬をやる。」 と言った。シバイも、 「もし来なかったら女装して詫びる。」 と言って賭をした。そして、2軍に分けて兵を退かせた。  ギエン、チョウギョク、チンショク、トケイは魏軍の追撃に出た。しかし、ギ エン、チンショクは 「丞相の疑り深さにもほどがある。長雨にやられて伏兵など置く暇などない。」 と言ってトウシの諌めるのも聞かず討って出て、シバイの伏兵の前に大敗し、チ ンショクはギエンに命を助けられて帰ってきた。  トウシからの報告でショカツリョウは、 「ギエンに反骨の相があるのは知っておる。彼の武勇を取り立てていたがいつか 悪事を成すであろう。」 と笑って言い、チンショクに裏切らないようによくよく慰めて来るように彼に言 った。  ソウシンは、蜀軍が来るとは思わなかったので油断していたが、そこにゴハン、 ゴイが討って出て、背後からカンコウ、リョウカが襲いかかって来たので魏の兵 士の多くは行き場を失って投降した。ソウシンは、シバイに大言を吐いた手前、 蜀兵はいなかったと報告した。しかしそこにカンコウ、リョウカ、ゴハン、ゴイ 達が襲いかかって来たので魏兵は先を争って逃げまどった。そこにシバイが駆け つけ蜀軍を追い返した。そして、 「先ほどの賭などは忘れて力を合わせて国恩に報じましょう。」 とシバイに言われて、恥じ入って再び病になった。  さて、ショカツリョウは兵士達の苦労をねぎらったが、チンショクが、 「ギエンにそそのかされて討って出ました。」 と言ったのでショカツリョウは怒って、 「ギエンに命を救われながら、罪を擦り付けようとするか。」 と彼を打ち首にした。  そして、ショカツリョウはソウシンに見舞いの書面を投降してきた魏の兵士に 遣わし、彼はその書面を見ると無念の思いで胸がふさがって、陣中で死んだ。  翌日、ショカツリョウとシバイは対峙して陣比べをした。陣比べではかなわぬ と見たシバイは陣を固めて立てこもった。  コウアンが蜀軍の兵糧を運搬してきたが、彼は途中怠けていたため到着が十日 遅れてしまった。ショカツリョウは怒って棒打ちの刑にしたが、彼は恨んで魏に 投降してしまった。  シバイはコウアンに会って、彼に丞相が帝位に就こうとしている噂を流すよう に命じて成都に送った。この噂を知って驚いた後主は詔を出してショカツリョウ を成都に呼び戻した。  ショカツリョウは天を仰いで嘆き、魏軍の追い打ちを恐れて陣のかまどの数を 日に日に増やしながら兵を退き、いつ軍が退いているのか分からないようにした。  シバイは、コウアンの計略が効き目を持ちはじめて蜀軍が退くところに追い討 ちをかけようとして待っていたが蜀軍が退く様子もなく考えていると、陣はいつ の間にか払われており追い討ちはかけずに魏に戻った。  さて、ショカツリョウが成都に帰ってどうなるか。それは次回で。