第八十一回 先主が兵を興そうとした時、チョウウンは諌めて、 「国賊は魏であって呉ではありませぬ。すみやかに関中に討ってい出られ、逆賊 討伐に向かわりますれば、関東の義士たちが自ら王師をお迎えいたしますこと必 定でございます。」 「弟を殺した者を皆殺しにせねば、朕の恨みは晴れぬ。」 「国賊に対する恨みは公のもの。兄弟の恨みは私事にございます。」 「弟の仇を晴らさねば、天下を得たとて嬉しくはない。」 と、チョウウンの諌めも聞かずに軍勢を興した。さらに、蛮族の兵も借りて後援 を頼んだ。 また、チョウヒも、カンウが東呉に殺されたと知ると、昼夜なく号泣した。気 を紛らわそうと酒を飲んだが、酔っては荒れ、配下が少しでも規律を外れようも のなら、鞭打ち、はては打ち殺してしまう有り様。 爵位を拝して、成都に駆けつけたチョウヒはリュウビに仇討ちを涙ながらに訴 えた。そして、リュウビは呉討伐に乗り出した。チョウヒが出ていく時、 「お前は配下を鞭打って、そのまま側に置くが、これは自ら禍を招くぞ。」 と忠告した。 さて、チョウヒは、3日以内に白旗白衣を整え、三軍白装束で呉を討つ事を下 知した。ハンキョウ、チョウタツが、もうしばらくの猶予を願い出たが、チョウ ヒは大いに怒って、 「わしは一刻も早く仇を討ちたいのだ。貴様等は大将の命令が聞けないのか。」 と2人を木に縛り付けて鞭打ちにした。そして、 「もし遅れたら貴様等の首はないものと思え。」 と言った。 幕舎に戻った2人は、 「奴に殺されるくらいなら、こちらが奴を殺した方がましだ。」 と密談し、酒を飲んで酔って寝ているチョウヒのもとに行った。そして隠し持っ ていた短刀を腹に突き立て、チョウヒは一声叫んで息絶えた。時に55歳であっ た。 さて、2人はその夜、チョウヒの首を持って東呉に向かった。 事の次第を知ったゴハンは、上奏文を持って成都に向かった。 リュウビは上奏文を見るとわっと泣き声を上げ、その場に昏倒した。 翌日、チョウヒの長男チョウホウとカンウの次男カンコウが父の仇討ちに現れ た。 先鋒はチョウホウに任されたが、そこにカンコウが、 「貴公にその大任が果たせるものか。」 と進み出た。 リュウビは、 「朕はそなた達の手並みがみたい。いずれが勝るか決め手つかわそう。」 と武芸の勝負をさせた。 弓矢ではどちらも勝負が着かず、チョウホウは矛を、カンコウは薙刀を出して 切っ先を交えようとした。その時、リュウビは、 「朕はそなた達の父とは義兄弟の契りを結んだ。さればそなた達もその仲にある はず。父親の仇を討たねばならぬ時に同士打ちをして大義を忘れるとは何事か。」 と言って、1歳年長のチョウホウを兄として、カンコウと義兄弟の契りを結ばせ た。 先主は詔を下して、ゴハンを先鋒にチョウホウ、カンコウに自分の警護をさせ て呉国へ向かった。 さて、ハンキョウ、チョウタツは呉に降り、ソンケンは2人の降伏を許した。 そこに、蜀より軍勢が押し寄せているとの報告が入った。 一同、色を失って、顔を見合わせるばかりであったが、そこにショカツキンが 「それがしが戦いをやめるように説かせて参ります。」 と進み出た。 さて、ショカツキンが乗り出してどうなるか。それは次回で。
第八十二回 さて、先主は、白帝城に兵を止めた。そこに、呉の使者、ショカツキンが参上 し、説得した。しかし、弟を殺されて怒っているので相手されず追い返された。 チョウショウはソンケンに、 「ショカツキンはこの機に蜀に投降し、二度と戻って参りますまい。」 と言ったが、ソンケンは聞き入れなかった。そこに、ショカツキンが戻って来た ので、チョウショウは赤面して下がった。 しかし、和睦ができなかったことでソンケンは仰天したが、そこに中大夫チョ ウシが、 「それがしの計で、魏に漢中を攻めさせましょう。」 と進言した。 ソンケンは大いに喜んで、チョウシに上奏文をしたためさせて魏に向かわせた。 許都のソウヒは、魏と蜀を戦わせる策略であることを見抜いたが、ソンケンを 呉王に封じて自分の傘下に入れた。リュウヨウが、 「呉の降参は一時的なものです。今、蜀と呉が戦えば天下は魏のものでございま す。」 と諌めたが、ソウヒは、 「助けるつもりはない。蜀と呉が戦って疲れたところを我らが攻めるのじゃ。」 と言った。 ソンケンは、王位を貰ったものの魏帝からの援軍が得られなかったので、協議 していたところ、ソンカンとシュゼンが進み出た。 ソンケンは彼らに水陸5万の兵を与えリュウビを迎え討たせた。 蜀から進軍してきたゴハンの前に呉は戦わずしてみな降っていった。 宜都まで来た時、チョウホウは、ソンカンが待ち受けていると聞くと討って出 た。そしてソンカンに襲いかかる所に、シャセイが出て来たので彼と打ち合った。 しかし、かなわず逃げ帰るところに、リイが代わって相手になった。20合いも するうちに、不利になったリイを助けるためにタンユウが矢を放った。それがチ ョウホウの馬に当たりチョウホウは落馬した。リイが迫った時、カンコウが大喝 して斬り捨てチョウホウを救い出した。 チョウホウは退くときに、シャセイに出会って一突きで殺した。陣屋に戻ると き、カンコウはタンユウを生け捕りにした。チョウホウはタンユウの首をはねて 血を注いで死んだ馬を祭った。 その後、多くの大将を失ったソンカンは大敗した。 ソンカンは呉に援軍を求めた。チョウショウは、 「多くの大将がこの世を去ったとはいえ、リュウビ如き恐れるに足りませぬ。」 と言って、カントウ、シュウタイ、ハンショウ、リョウトウ達を出陣させた。時 に、カンネイは下痢に悩んでいたが、病をおして出陣した。 リュウビは、カンコウ、チョウホウに、 「昔から朕に従ってきた者は老いて役に立たなくなったが、甥達のような剛の者 が現れると、呉など恐れるに足らぬ。」 と彼らを厚くねぎらった。 そこに、カントウ等が押し寄せたという知らせが入り、コウチュウが5、6騎 で出陣した。先主は、 「年寄りと言われたのを不服に思い戦いに行ったのじゃな。」 と急いで、チョウホウ、カンコウに加勢に向かわせた。 さて、コウチュウが出てどうなるか。それは次回で。
第八十三回 コウチュウは、陣頭に駆けつけ、ハンショウに挑んだ。ハンショウは、かなわ ぬと馬を返して逃げ帰りさんざんに兵を打たれた。 カンコウ、チョウホウが駆けつけて諌めるのも聞かず、翌日再びハンショウに 戦いを挑んだ。しかし、リョウトウ等に囲まれ矢で射られた。そこに、カンコウ、 チョウホウが助けに来て呉はちりぢりになった。その後陣屋に戻ったコウチュウ はリュウビが見舞いに来た時に気を失って、その夜に死んだ。 リュウビは深く悲しみ、自ら大軍を率いて進軍した。 そして、チョウホウ、カンコウはカントウ達を打ち破った。カンネイはこの時、 ふせっていたが蜀の大軍が来たと聞くと馬に飛び乗った。出会い頭にシャマカと ぶつかった。敵軍の多さに馬を返して逃れたが、シャマカの放った矢が額当たり、 富池口までのがれ、とある大木の根本に坐って死んだ。これを聞いた呉王は彼を 手厚く葬った。 さて、先主は大勝しコウ亭を取ったが、カンコウの姿がなかった。カンコウは 敵陣に切り込んだ際にハンショウに出会い、彼を剣一閃で倒し、父の青竜刀を手 に入れた。帰りにバチュウに襲われたが、チョウホウに助けられ帰陣した。 ビホウ、フシジンは呉も長くないと考え、バチュウの首を取って投降した。し かし、先主は、 「形成が不利となったので投降してきたのであろう。」 と見抜いて彼らを切り刻んでカンウの霊前に供えた。 これを聞いた呉王は、蜀帝の憎む者で生きている者はハンキョウ、チョウタツ であるので、彼らを送り返した。さらに、使者を使わして荊州も返すことにした。 先主はハンキョウ、チョウタツを処刑し、チョウヒの霊前に供えた。しかしさ らに先主は、 「憎むべきはソンケン。今さら和睦を受け入れられるものか。」 と怒った。 使者が帰って呉王に伝えると、カンタクがリクソンを推挙した。チョウショウ は一介の書生であると笑ったが、呉王はリクソンを召しだす事を命じた。 リクソンが呉王の命を受けたが、皆は 「なぜ、一介の書生に大任を任されたのか。」 と不服であった。 そこに、シュウタイからソンカンへの援軍を求めてきた。リクソンは、 「みどもが蜀を打ち破れば将軍は出ることができる。」 と言った。 さて先主は、リクソンが来たことを知ると、 「朕は長年戦をしてきた。小わっぱに負けはせぬ。」 とバリョウが諌めるのも聞かず軍勢を率いて攻めかかった。しかし、討ってこな い呉軍に、リュウビは伏兵を持って擒にしようと谷川沿いに囮の兵を進めた。 蜀が兵を進めてきたのを見て、カントウ、シュウタイはリクソンに討って出る ように勧めた。 さて、リクソンはこれを承知するか。それは次回で。
第八十四回 さて、リクソンは、蜀の進行には伏兵がいると見破って動かなかった。そして、 近日中に蜀を破るという書面を呉王に届けた。 ここに先主は、軍を分けて水陸から呉を攻めようと兵を進めた。これを知った 魏王は、蜀が負けると確信して濡須と南郡に向かうように命じた。 東川のショカツリョウは、蜀の7百里にも及ぶ陣形を知ると慌てて陣を変える ようにバリョウに上奏文を請け負わせた。そして、成都に戻って援軍を手配した。 リクソンはジュンウタンに敵陣の様子を調べさせて、シュゼン、カントウ、シ ュウタイ等に火攻めをするように命じた。 先主は火攻めを喰らって敗走し、チョウホウ、カンコウ等に守られながら逃げ た。シュゼンの軍に追われるも、チョウウンがシュゼンを討ち取って白帝城に逃 げ込んだ。ただ一騎馬を飛ばすシャマカはシュウタイに殺され、その他多くの将 校が殺され、呉に降った。 さて、リクソンは大勝を収めてさらい追撃をしたが、ショカツリョウの「八陣 図」に陥って兵を止めた。そして、そこに魏が攻め入って来たとの知らせを受け て兵を退いた。 さて、リクソンはいかにして魏を追い払うか。それは次回で。
第八十五回 コウケンは呉に退路を断たれ、魏に攻められてやむなく魏に降参した。 しかし、先主は、 「呉に退路を断たれ仕方なく魏に降ったのじゃ。これは朕が悪かったのじゃ。」 と言って家族の知行はそのままにした。 ソウヒはカクに蜀と呉とどちらを攻めるか計ったが、事態が変わったので守り にを固めるように進言された。しかし、ソウヒはかねてよりの計略通り兵を呉に 進めた。 ソウジンは大軍を率いて行くと、討って出てきたシュカンに大敗した。また、 ソウシン、カコウショウは、リクソンが城内から討って出て、ショカツキンが城 外の伏兵を使って攻めてきたので大敗した。さらにソウキュウもリョハンに打ち 破られた。 おりしも夏のさかりのことであったが、悪疫猖獗し、諸軍10の内、6、7が 病死したので兵を洛陽に退いた。 ここに先主は永安宮で病の床につき、2人の亡き弟のことをしのんで泣いてい た。そして、命がもうないことを悟って、ショカツリョウを呼んで、 「太子をよく補佐してやってくれ。もし太子が補佐するに値しないならば君が成 都の主人となってくれ。」 と言って遺詔を示して息絶えた。齢63歳。 群臣が遺詔を読み終わると大いに悲しんだ。先主が崩御すると、太子リュウゼ ンが帝位に就いた。そして、元号を建興と改元した。 魏ではこの知らせを聞いて、ソウヒが大いに喜んで蜀攻めを考えた。そしてシ バイに命じて進軍した。 ここに蜀漢の後主、リュウゼンが即位してから、旧臣のうち病没したものも多 かった。新しい人材はショカツリョウによって全て取り仕切られた。また、後主 には皇后がいなかったので、チョウヒの娘が皇后に立てられた。 建興元年8月、魏が蜀に攻め込んできたが、ショカツリョウは病床におり朝廷 に出てこなかった。慌てた後主は丞相府に出向いて相談したが、ショカツリョウ は笑って、 「羌王カヒノウ、蛮王モウカク、反将モウタツ、魏将ソウシンの手勢は既に臣が 追い返してございます。残るは呉ですが、これも手は打ってあります。後は能弁 の士を使わせばよいだけでございます。」 と言った。 ショカツリョウは羌族に神威将軍と呼ばれているバチョウを羌王カヒノウに当 て、南蛮のモウカクにはギエンに疑兵の計を使わして退けた。モウタツには生死 の契りをした蜀のリゲンの書面を送って仮病を使って進ませないようにした。ソ ウシンにはチョウウンに陽平関を固く守らせた。そして、呉は先ほど魏に攻めた てられたばかりであり、その魏に協力して兵を進めることはないと考えた。そし て、念のため使者を送ろうとしていたところであった。 これを知った後主は大いに喜んで宮中に帰っていった。 ショカツリョウは、呉への使者をトウシに決めて、彼を呉に使わせた。 さて、トウシが乗り出してどうなるか。それは次回で。
第八十六回 さて、ソンケンは、リクソンが魏を退けた後、呉の軍権を全て彼に与えた。ま た、チョウショウ、コヨウに進められて、黄武元年に改元した。かかる時、魏か ら蜀攻めの協力の申し出があった。リクソンは、とりあえず承知し情勢を伺って 兵を出すことを進言した。 そこに、トウシが使者として取り次がれた。ソンケンはトウシに説得され、評 議の結果チョウオンを蜀に送った。 ショカツリョウはチョウオンを酒宴を開いてもてなした。そこでチョウオンは 益州の学士シンフクと論説をしたが、シンフクに軽くあしらわれた。ショカツリ ョウはチョウオンに恥をかかせてはと取りなした。 チョウオンが呉に帰ると、ソンケンは蜀と末長くよしみを結んだ。 魏のソウヒはこれを知って大いに怒って呉を討つことを計った。この時すでに ソウジン、カクは他界しており、侍中シンピに、 「中原の地は国土が広くとも人が少ないので、10年間屯田して兵を養いますれ ば兵糧の蓄えも十分になります。その後、討伐されれば呉・蜀ともに打ち破れま しょう。」 と、諌めた。しかし、 「10年も待っておれるか。」 と大いに怒って進軍の準備をした。 この知らせを聞いたソンケンは慌てて協議し、蜀に漢中から兵を出させるよう に考えた。そこに、ジョセイが、 「それがしが一軍を率いて魏軍を食い止めてご覧に入れましょう。」 と進み出た。ソンケンは大いに喜んで彼を都督に任じた。 ジョセイは、揚子江南岸で魏軍を待ち受けることとしたが、父ソンケンの養子、 ソンショウは従わず手勢3千を率いて長江北岸に渡 った。ジョセイはもしもの事があっては呉王に申し訳がたたぬとテイホウを加勢 に出した。 魏軍が押し寄せると、藁人形を並べて書き割りの城や櫓が数百里に渡って作ら れており、ソウヒはこれを本物と間違えて大いに驚き、 「江南にかかる名将があっては、まだまだ滅ぼすことはできぬ。」 と嘆息を洩らした。そこに、チョウウンが陽平関より討って出たという知らせが 入り、即座に陣払いを命じた。 そこにソンショウが押し寄せて、さらにテイホウも殺到した。チョウリョウは、 テイホウを迎え討ったが、彼の矢を腰に受けジョコウに助けられて戻った。魏は この戦いで大敗し、チョウリョウは許都に戻った後、矢傷が張り裂けて死んだ。 ここにチョウウンは、陽平関から討って出たが、丞相からの書面を受け取った。 益州の老将ヨウガイが南蛮王モウカクと結んで4郡に侵入してくるとのこと。バ チョウを陽平関において、丞相とともに南蛮と戦うこととなり、成都に戻った。 さて、蜀と南蛮の戦いの勝負は。それは次回で。
第八十七回 さて、丞相ショカツリョウは、成都で親しく政務を見、事の大小を問わず全て 公平な裁断をしたので、両川の民は泰平を謳歌した。 建興3年、南蛮のモウカクが10万の大軍をおこして、建寧の太守ヨウガイも これに与した。そして、シュホウ、コウテイは彼らに攻めたてられ城を開け渡し た。これを鎮めるべく、丞相は自らショウエンを参軍、ヒイを長史として、チョ ウウン、ギエンを大将にして50万の軍を率いた。そこにカンウの三男、カンサ クが丞相を訪ねて参戦を願い出た。丞相はいたく喜んで彼を先鋒にした。 ヨウガイはショカツリョウが自ら出てきたと知ると評議して、コウテイの配下 のガクガンに先鋒を命じた。 ガクガンはギエンに捕らえられ、 「コウテイは忠義にあつい者であるがヨウガイの口先に引っかかってこんなこと をしたのじゃ。コウテイに早く降参して無駄死にせぬように勧めて参れ。」 と丞相に言われて釈放された。 ガクガンは礼を述べてコウテイのもとに戻った。ガクガンはこの事を伝えると コウテイは半信半疑でいたが、その後の戦いで捕らえられたコウテイの兵が釈放 されたので、ヨウガイの首を取って丞相に降参した。しかし、丞相はコウテイを 打ち首にするように命じた。 コウテイは、 「丞相の大恩にに感じましたればこそ、ヨウガイの首を取って参りましたのに、 打ち首とは無体な。」 丞相は笑って、 「詐って投降して参った癖に何を言うか。ほれシュホウからの書面がここにある わ。」 と一通の書面を見せた。 「これはシュホウの離間の計にございます。それがしがシュホウを捕らえて参り ます。」 と言ってガクガンを率いてシュホウを捕らえに行った。シュホウはガクガンに捕 らえられた。 コウテイがシュホウの首を持って丞相のもとに行くと 「わしはわざとそなたに功名を挙げさせてやったのじゃ。」 と大笑し、彼を益州太守に命じ、ガクガンを牙将にした。 かくして三軍は平定され、丞相はリョガイキヘイから「平蛮指掌図」という一 枚の絵図面を得て南蛮の領内深く進んだ。 進軍を続けるところ、バリョウの死が弟のバショクから伝えられた。丞相はバ ショクを参軍に任じて再び軍を進めた。 ヨウガイ等が破れたことを知ると蛮王モウカクは三洞の元帥、キンカンサンケ ツ、トウトナ、アカイナンと評議して討って出た。キンカンサンケツはチョウウ ンに討ち取られ、トウトナはチョウギョクに、アカイナンはチョウヨクに捕らえ られた。 丞相は、捕らえた2人を二度と悪事を働かぬように言い聞かせて釈放した。 怒ったモウカクは自ら軍を進めたが、オウヘイ、カンサクに誘い込まれて大敗 し、ギエンに生け捕りにされた。 丞相が、 「先帝陛下はそなたに十分なお手当をされたのに何故謀反いたしたか。」 と聞くとモウカクは、 「両川の地は他人のものだ。貴様の主がそれを横取りして勝手に天子などとぬか したまで。わしは代々この地に住んでおる者だ。貴様の方こそ勝手にわし等の土 地に入ってきて謀反呼ばわりとは片腹痛いわ。」 と服従せず、 「参道が狭かったので間違って捕まったのだ。わしを放してくれるというなら、 もう一度軍を整え勝負を着けに来る。もしももう一度わしを手取りにできたらお 前の言うことを聞くことにしよう。」 と言った。丞相は彼を釈放し陣へ返してやった。 さて、再度の戦いはどうなるか。それは次回で。
第八十八回 さて、釈放されたモウカクは陣に帰って、 「蜀の者に陣屋に閉じこめられたが十人余りたたき殺して逃げてきたのだ。」 と言い、一同大いに喜んで戦の準備をした。トウトナ、アカイナンも呼び出され て、逆らうこともできずに従った。 モウカクは、濾水は近頃の暑さで毒が溜まっており、それを盾に陣を張った。 バタイが出てくると、トウトナがそれを迎え打ち、アカイナンに沙口を固めに 行かせた。バタイの軍はトウトナを見ると、 「丞相に命を預けられながら、また背くとは恥知らずめ。」 と罵った。トウトナは赤面して戦わずして軍を退いた。 モウカクは大いに怒ってトウトナを斬ろうとしたが、周りに諌めされて百叩き にした。トウトナは陣に帰って、 「われらは南蛮に住まうとはいえ、かつて中国を侵したことはない。この度はモ ウカクの威勢に押されてのこと。ショカツリョウ殿に一命を預けられており、こ の大恩に報いぬ法はない。これよりモウカクを殺して降参し、領内の百姓の苦し みを解いてやろうではないか。」 と言って、賛同した兵士達とともにモウカクを捕らえてショカツリョウに知らせ た。 ショカツリョウは、捕らえられたモウカクに、 「二度捕らえられたら降参すると言ったが、どうじゃな。」 と言うと、モウカクは、 「これは配下が裏切ったためだ。わしの力で負けたわけではない。戦ってもう一 度擒にできたら裏切るような事はせぬ。」 と言ったので、彼は釈放された。 モウカクは本陣に戻ると、トウトナ、アカイナンをショカツリョウが来たと詐 って2人を呼び出し、斬り殺して谷間へ捨てた。 そして、すぐさまバタイの陣のある濾水へ兵を進めたが、バタイは陣を退いた 後であった。モウカクは本陣に戻って弟モウユウに計を授け、モウユウに金銀財 宝を持たせてショカツリョウのもとに行かせた。 モウユウはショカツリョウに平伏して、 「兄のモウカクは、一命を助けていただいた恩義に感じ、僅かではございますが 献上の品をお持ちいたしました。」 と献上品を渡した。ショカツリョウは、モウユウ達を厚くもてなした。 モウカクは、モウユウからの使いからショカツリョウの本陣の様子を聞いて突 き進んだが、蜀軍の気配はなかった。本陣は、モウユウ達が薬を盛られて死んだ ように酔いつぶれていた。慌ててモウユウを連れて逃げようとしたところをオウ ヘイの軍勢が殺到した。そして、チョウウン、ギエンの軍勢に四方を囲まれてし まった。モウカクは兵を捨てて濾水に一人で落ち延びようとした。しかし、そこ にバタイが現れ、モウカクは捕らえられた。 ショカツリョウは、 「そろそろ降参せぬか。」 と言うと、モウカクは、 「今度のことは、弟が意地汚い真似をしたので、貴様に毒を盛られて仕損じたの だ。わしが出向いておれば勝っていたわ。これは運が悪かったので、わしが仕損 じたわけではない。降参などできるか。」 と言ったので、ショカツリョウは、 「よいわ。もう一度だけ許してやろう。」 と、彼らを釈放した。 モウカクが自分の本陣に戻ると、そこはチョウウンに乗っ取られており、自分 の領地に逃げ帰った。 さて、モウカクは、怒りに燃えて銀坑洞に戻ると、腹心の者に金銀財宝を持た せて各蛮族の部落へ遣わして、兵10万を借り受けた。モウカクはこの手勢を従 えて蜀に乗り出した。 これを知ったショカツリョウは、 「蛮兵が一つに集まるのを待っておったところじゃ。」 と言って自ら小さな車に打ち乗って陣を出た。 さて、勝負はどうなるか。それは次回で。
第八十九回 さて、ショカツリョウは、怒って攻めてくるモウカクを待ち受けた。攻めてき た蛮兵に諸侯は討って出たがっていたが、これを許さず守りに専念した。そして、 蛮兵の攻めに疲れが見えたところをみて兵を退いた。 モウカクはこれを見て、 「ショカツリョウ自らが陣を捨てたのは、国内に大事が起こったからに違いない。」 と言って兵を進めた。すると、背後から蜀兵に襲われ蛮兵は混乱に陥って同士打 ちを始めた。仰天したモウカクは一族を率いて血路を開いて陣に戻った。そこに チョウウンが押し寄せたのでモウカクはあわてて逃げた。そこに、ショカツリョ ウが現れ、それめがけて斬りかかろうとしたら、落とし穴に落ちてギエンに捕ら えられてしまった。 モウカクは、ショカツリョウの前で、 「誤って貴様の奸計にかかったのでは死んでも浮かばれないわ。わしは、奇計ば かり弄する丞相のような人間とは違う。心から降れぬ。」 「ならば、もう一度許して帰してやろう。まだ戦う気はあるか。」 「もし丞相がもう一度わしを手取りにできたら、その時こそ本心から降伏しよう ではないか。」 と言った。丞相は笑って彼を釈放した。 モウカクは、弟モウユウの進言でダシ大王のもとに身を寄せた。 一向に攻めてこないモウカクに、蜀軍は南に押し寄せた。6月の炎天で、ショ ウエンが退却するように命じたが、丞相は、 「今退けばモウカクの思うつぼじゃ。」 と言って退けた。しかし、先鋒のオウヘイとその兵が唖泉の水を飲んで毒にかか り、成す術もないショカツリョウは、漢の伏波将軍バエンが南蛮征伐に来たとき に残した石碑に向かって拝んだ。すると、一人の老人が現れて毒の泉の事と、安 楽泉という解毒の泉のありかを授けた。 ショカツリョウは、安楽泉に行きそこに住む隠者に会った。隠者は毒を安楽泉 で抜いて、自分たちで掘った井戸の水は飲んでも平気であると教えて、ショカツ リョウ達をもてなした。ショカツリョウが名を訪ねると、彼はモウカクの兄モウ セツであった。モウセツは弟達の悪行を詫びて蜀軍を送り出した。丞相は彼を南 蛮の王に立てようとしたが、彼は功名を嫌って辞退した。 ショカツリョウは本陣に戻り井戸を掘って水を得て、モウカクのもとに軍を進 めた。ダシ大王は、蜀軍が泉の毒に当たらずにいるのを信じずに銀冶洞 二十一洞のヨウホウに加勢を求めた。 ヨウホウが到着し蛮族は酒宴を始めた。蛮族は酒宴のさなかヨウホウは、 「われら一門は丞相に一命を助けられご恩がある。」 と言ってモウカク、モウユウ、ダシ大王を捕らえて、丞相のもとに引っ立てた。 ショカツリョウは、 「わしは、水のない地で、さらに毒泉まである地で兵を一兵も失わずにここまで 参った。これは天に助けられたものと思わぬか。」 と言うと、モウカクは、 「わしは代々銀坑に住んでいる。そこで捕らえることができたら心から服従しよ う。」 と言った。丞相はモウカク達の縄を解いて逃がした。 さて、この勝負どうなるか。それは次回で。
第九十回 さて、丞相ショカツリョウはヨウホウ達に爵位を与えた。 モウカクは妻の弟タイライ洞主の進言でモクロク大王に加勢を求めた。そして、 ダシ大王に三江城の守りにつかせた。 三江城に着いたショカツリョウは、チョウウン、ギエンに城を攻めさせたが、 毒矢を浴びせられて兵を退いた。丞相は城壁に土を盛って兵を駆け上がらせて、 気付いて矢を射させる間もなくことごとく蛮兵を捕らえた。ダシ大王は戦乱の中 に死に、三江城を手に入れた。 モウカクが三江城が落ちた知らせを聞いて頭を抱えて考え込む所、妻のシュク ユウ夫人が討って出た。シュクユウ夫人はチョウギョクを捕らえ、それを知って 討って出たバチュウも捕らえた。しかし、チョウウン、ギエンに誘い込まれてバ タイに捕らえられた。 ショカツリョウはシュクユウ夫人とチョウギョク、バチュウを交換しようとモ ウカクに持ちかけた。モウカクはこれを承知して交換に応じた。 モウカクはシュクユウ夫人が戻って喜んだが、また戦いに負けたので怒った。 そこにモクロク大王が白象に乗って虎豹等猛獣を連れて到着し、彼とともに討っ て出た。チョウウン、ギエンが蛮兵を迎え討つが、モクロク大王の妖術と猛獣に 打ち破られて兵を退いた。この事を丞相に伝えると、赤く塗った箱車を持ってこ させ、中から木で刻んで色を付けた大きな獣を出した。この獣に硫黄等を収めて 軍勢を率いて出た。 モクロク大王は猛獣を使って襲いかからせると、ショカツリョウは、木の野獣 を出して襲いかからせた。木の野獣の口からは煙や火が出て、猛獣達は後込みし た。蜀軍は一気に兵を進め、モクロク大王は戦乱の中に討ち死にし、洞中のモウ カクの一党は山を越えて落ち延びた。 翌日、モウカクを捕らえに行こうとしていた時、モウカクが配下に捕らえられ て丞相の前に引き渡された。丞相は、チョウギョク、バチュウに連れてきた配下 の蛮兵も取り押さえさせた。 「貴様は2度までも味方に捕らえられて突き出された故に、わしが油断すると思 って詐って投降し、わしを殺そうとしたのじゃな。」 と、武士に命じて懐を探らせると鋭い刀が見つかった。 「貴様はこの前領内で捕らえられたら降伏すると言った。今度はどうじゃな。」 「これはわしが自ら死にに来たのであって、貴様が自分でやったことではない。」 「ならば一体いつになったら降参するのじゃ。」 「わしが7度擒にされたら降参し、二度と背かぬ事を誓おう。」 丞相は縄を解かせてモウカクを逃がした。 モウカクはタイライ洞主に計ってゴツトツコツのもとに身を寄せた。ゴツトツ コツはモウカクに応じてドアン、ケイデイを連れて3万の「藤甲軍」を率いて討 って出た。ギエンが迎え討って弓を射かけたが、藤の鎧に当たるとはね返り、刀 で切っても、槍で突いても通らなかった。蜀軍が兵を退くと蛮兵も深追いせず帰 っていった。蛮兵は川を渡るとき、鎧を脱いで川に浮かべてそれに坐って渡って いった。ショカツリョウはそれを聞くと、チョウウンにギエンの助けをさせて陣 を固く守るように命じた。 翌日、ショカツリョウは地の利を見て周り、バタイ、チョウウン、ギエンに計 を授けた。 蜀軍が討って出てきたと聞くとゴツトツコツは藤甲軍を率いて討って出た。ギ エンは戦っては破れと繰り返すこと15回。ゴツトツコツは勢いに乗って兵を進 め、蜀軍に勝った気でいた。そこに、火をかけられて、さらに地中の導火線にも 引火して鉄丸がはじけ飛んだ。藤の鎧に触れるとたちまち燃え上がり、ゴツトツ コツと3万の藤甲軍は焼死した。 モウカクは陣中にいて、蜀に投降していた蜀兵が千人ほどが戻って来て、 「藤甲軍はショカツリョウともども蜀軍ともみ合い、取り囲んで、大王に加勢を していただきたいとのことでございます。」 とモウカクの加勢に来た。 モウカクは喜んで軍を率いて討って出た。しかし、激しい火の手が上がってお り、計られたかと馬を返して逃げようとするところをバタイに捕らえられた。 捕らえられたモウカクは涙を流して、 「七度捕らえて七度許すというようなことは古にあったためしがない。南蛮の者 は2度と背きませぬ。」 と言って帰順した。 丞相はモウカクに奪った領地を返してやったので蛮兵達はショカツリョウを徳 とせぬ者はいなかった。 さて、丞相は諸将に恩賞を与えて陣払いをし蜀に帰ろうとしたが、そこに一陣 の狂風が吹き荒れて軍勢は進むことができなくなった。 丞相はモウカクに理由を尋ねる。 さて、モウカクは何と言うか。それは次回で。