第七十一回  ショカツリョウはホウセイをコウチュウにつかわして出兵させた。そして、コ ウチュウを助けるためにチョウウンを加勢に向かわせた。  さて、カコウエンがこの事を許都に伝えると、ソウソウは自ら40万の兵を率 いて漢中に向かった。  カコウエンはソウソウが来るまでに功名をあげようとカコウショウを出した。 コウチュウは対してチンショクを出したが、捕らえられてしまった。  慌ててホウセイに計り、コウチュウ自らカコウショウを捕らえた。そして翌日 互いの捕虜を交換することになり、山間の広い平地に陣を布いた。コウチュウは、 カコウショウが帰陣する時に矢を射て、怒って飛び出したカコウエンと20合い 余り打ち合った。しかしカコウエンは蜀の旗があちこちから上がったので退いた。  ホウセイの策で定軍山の西の山から白と赤の旗を振って戦機を敵に知らせた。 それを見たカコウエンはチョウコウが諌めるのも聞かず出た。そしてコウチュウ はカコウエンを討ち取った。  コウチュウは総崩れの魏軍を敗走させ、勢いに乗って定軍山を攻め、討って出 てきたチョウコウと戦った。その隙にチョウウンが加勢に駆けつけ定軍山を取り、 チョウコウは漢水の付近まで落ち延びた。  葭萌関のリュウビのもとに戻ると、彼は大いに喜んで祝宴を開いた。そこにカ コウエンの弔い合戦にソウソウが20万の軍勢を率いて来たという知らせが入り、 コウチュウとチョウウンが迎撃に行った。コウチュウはくじで先鋒に決まり出陣 したが、ジョコウ、チョウコウに囲まれてしまった。定刻になっても帰陣しない のでチョウウンは3千で加勢におもむいた。そして、敵陣に切り込みコウチュウ を助け出して帰陣した。  ジョコウとチョウコウは蜀陣に押し寄せたがチョウウンの反撃に合い敗走した。 そして追撃され魏軍はさんざんに破れた。  リュウビはチョウウンを 「満身これ胆といったところでござるのう。」 といたく喜んだ。  ソウソウは再び大軍で漢水に押し寄せ、ジョコウを先鋒、オウヘイを副先鋒に 蜀に戦いを挑んできた。  さて、この勝負どうなるか。それは次回で。
第七十二回  ジョコウは攻撃を仕掛けたが、蜀軍は一向に動かなかったので一時退こうとし た。そこを蜀軍に叩かれ敗走し陣に戻った。そして、怒ってオウヘイに、 「わしの軍勢が危うくなったときなぜ加勢に来なかった。」 「それがしまで出るとこの陣が取られていたやもしれませぬ。」  ジョコウは激怒して殺そうとした。オウヘイはその夜、陣に火を放って蜀に投 降した。  ジョコウは、この事をソウソウに伝えた。怒ったソウソウは兵を進め蜀軍を退 けた。しかし、そこにショカツリョウの合図が出て、一斉に夜討ちをかけられ陽 平関まで落ち延びていった。  陽平関をチョウヒとギエンが襲ってきたので、キョチョが兵糧護送とチョウヒ を討つと申し出た。しかし途中で大酒を飲んでしまい、そこを襲われて敗走した。  ソウソウは自ら兵を率いて出るが大敗し、陽平関を棄てて落ち延びた。そして、 行く手にソウショウが現れて斜谷まで導いた。  ある日、ソウソウは、料理の鶏の肋を見てふと胸につくものを感じた。触れを 伺いに来たカコウトンに、思わず「鶏肋」を口にしてしまう。意味の分からない カコウトンはヨウシュウに聞くと、 「肉を食えないが味わいがあって棄てられぬ。つまり、進もうと思ってもかなわ ず退けば笑われる。ともあれここにいても仕方ないので引き揚げるに越したこと はござらぬ。近々陣払いが出されましょう。」 と答えた。  ソウソウは、カコウトンの陣が荷物をまとめているのを見て事情を聞くと、大 いに怒ってヨウシュウを打ち首にした。  そして、次の日斜谷から兵を出した。行く手にギエンが立ちたちはだかり、ホ ウトクが激しく打ち合った。そこにバチョウが討ち入った。ソウソウは、 「退く者は大将でも斬る。」 と剣を抜いて下知すると、皆が必死に進んだので、ギエンはわざと退いた。ソウ ソウはギエンを追ったが、彼の矢を受けて落馬し薙刀で斬られそうになる。そこ にホウトクが駆けつけギエンを追い払った。ソウソウは手傷を負って帰陣したが、 矢によって門歯が二本欠けていた。この時、初めてヨウシュウの言葉に思い当た ることがあったので、彼の屍を手厚く葬って陣払いの命を出した。  そこに、斜谷の左右の山上に火が上がり伏勢が追いすがるとの知らせ。  さて、ソウソウの命は。それは次回で。
第七十三回  さて、ソウソウは斜谷から退いたが、バチョウに攻めたてられてひたすら京兆 まで逃げ帰った。  リュウビはリュウホウ、モウタツに上庸を攻めさせたが、太守シンタン達は、 既にソウソウが逃げたことを知って投降してきた。  荊襄、両川を得たリュウビはショカツリョウ達に強く勧められて漢中王になっ た。そしてリュウゼンを世継ぎに立て、カンウ、チョウヒ、チョウウン、バチョ ウ、コウチュウを五虎大将とした。  許都で魏王はこれを知って大いに怒って漢中王と雌雄を決するべく全軍をあげ ようとした。しかし、シバイに諌められ、呉に攻めさせるようにマンチョウに仕 向けさせた。  呉はマンチョウによって蜀攻めを決定し、魏は陸路で、呉は水路で荊州に攻め 上った。  カンウはフシジン、ビホウを先鋒に樊城を攻めさせようとしたが、彼らが酒宴 を開いている内に失火し、陣屋を火の海にしてしまった。カンウは大いに怒って 打ち首にしようとしたがヒシのとりなしで棒罰をして、リョウカを先鋒にカンペ イを副将に自ら攻め込んだ。樊城を守っていたソウジンは迎え討ったが、カンウ の計略で誘い込まれて敗退した。カンウは襄陽を攻め取り、軍勢をねぎらい領民 を安堵させた。ソウジンシはリョジョウに2千の兵を与えて攻めたが、カンウを 見た兵士達は逃げ出し、そこを攻められ大敗した。  ソウジンは長安に書面を出して、加勢を求めた。ソウソウがウキンに加勢を命 じると、彼は、 「先鋒に大将を一人頂きたい。」 と願い出た。すると、一人進み出た者がいる。  さて、一体誰か。それは次回で。
第七十四回  ウキンの声に名乗りを上げたのはホウトクであった。ホウトクは、家に戻ると 酒宴を開き、 「魏王の恩顧にあずかり命を懸けてこのご恩に報いるつもりじゃ。カンウと打ち 合ってそれがしが討ち取るか、それがしが死ぬかの2つじゃ。負けて生き恥をさ らすつもりはない故、こうして柩を用意して、むなしく帰らぬ決意をいたした。」 さらに、妻の李氏と子のホウカイにも涙の別れを告げた。  そして、ホウトクはウキンの先鋒として樊城におもむいた。  ホウトクは、カンペイと打ち合ったが30合いしても勝負がつかず、両者陣に 引き返した。カンペイがこの事を話すとカンウは討って出てホウトクと百合い余 り打ち合った。しかし、勝負がつかず両者陣に引き返した。  翌日も二人は打ち合ったが50合い余りしたとき、ホウトクが逃げ出し、追っ たカンウは彼の矢に当たって左腕を負傷した。後を着いてきたカンペイに助けら れて陣に戻ろうとすると、ホウトクが馬を返して追いかけてきた。しかし、手柄 を取られるのを恐れたウキンは銅鑼を鳴らして退却を命じた。さらにホウトクの 部隊を谷の奥に配備して功名を上げる術すらなくした。  そして両軍にらみ合いが続きウキンは樊城の北に陣を移した。その間にカンウ の傷は癒え、彼はウキンの陣が低地にあることを利用してを水没させようとした。 ホウトクは、水攻めの危険があるのにウキンが兵を移さないので自分の手の者を 率いて他に移そうとした。  その夜、突如水が襲ってきて魏軍は水に流された。そして、ウキンは捕らえら れ、ホウトクも奮闘したがシュウソウに捕らえられた。  ウキンは、平伏して 「命じられたのでやむなくしたものでございます。一命をお助けいただければ誓 って恩報じいたしまする。」 と命ごいをしたので荊州の牢に押し込められた。ホウトクは降参することなく自 ら首を出して刑を受けた。カンウは彼を手厚く葬らせた。  ソウジンは樊城が水攻めされたので退こうとするが、マンチョウに 「水は一時的なもの。しばらくすれば引きます。今ここを離れてはなりませぬ。」 と引き止められて死守を誓った。  カンウは水攻めに乗じて樊城を攻めたてたが、ソウジンの矢を右腕に受けて倒 れた。  さて、カンウの命は。それは次回で。
第七十五回  カンウが倒れたのでソウジンは討って出たが、カンペイはこれを押し戻して帰 陣した。カンペイは四方に名医を求めカダを連れてきた。カダは、カンウに 「柱に鉄の輪をつけ腕を通していただき縄で縛った上で、肉を裂いて骨を削って 骨に付いた毒を削り落とします。そして薬を付けて再び縫合致します。」 と言った。カンウは、 「それだけの事なら柱などいらぬ。」 と言って、酒を飲んでバリョウと碁を打ち始め、一方右腕をカダに差し出した。 カダはカンウの傷を治したが、周りの者は皆顔を青くしていた。傷を縫い終える とカンウは笑って、 「この通り腕を伸ばしても痛くなくなった。まこと先生は名医じゃ。」 と言った。  ウキンが捕らえられ、ホウトクが斬られた事を知ったソウソウは仰天し、文武 官にはかった。  シバイは呉を動かすように進言し、書面を呉に送った。  書面を受け取ったソンケンが評議したところ、チョウショウが、「この度は、 樊城が危うくなったので加勢を求めて参ったものの、首尾良く収ま ったら江南を与えるという約束を反故にされる恐れがございます。」 といって加勢を進言した。  カンウが長江に沿って狼煙台を設けて呉を警戒したいたので、リョモウはリク ソンの案で、病気を理由に彼を後役に着けた。  カンウはこれを聞いて 「江東の心配も消えたようでござるな。」 と大いに喜んだ。  ソンケンは、リョモウを大都督に任じて軍勢3万で荊州に向かわせた。かくし て魏に荊州を背後から突くという書面を送り、リクソンにあらかじめ手はずを伝 えて、白衣の者に船を出させた。  そして、呉の者が狼煙台に詰めると、 「我々はみな商人でございますが、風にあったのでおさまるまで待とうとここに 寄ったのでございます。」 と答えて金目の物を出したので荊州の兵は疑わなかった。  その夜、船に潜んでいた兵士が襲いかかり狼煙台の兵士を捕らえ、船を荊州に 向かわせた。そして、捕らえた兵士を味方に付けて荊州の城門を開けさせて、占 領した。牢獄に入れられていたウキンも助けられて、魏に送り返された。  グホンが、公安のフシジンと南郡のビホウを説得して降伏させようと進み出た。 ソンケンも大いに喜んで彼を向かわせた。  荊州が落ちたことを知ったフシジンは城門を固く閉ざしていたが、グホンに降 伏を勧められ、以前カンウが出立の際に罵ったことを思い出して城門を開いた。 リョモウはフシジンを呼んで、 「そなたはビホウと親しいようじゃが、彼を降参させてくれればきっと重い恩賞 をとらせよう。」 と言った。フシジンは承知してビホウを味方に引き入れようとする。  さて、彼が行ってどうなるか。それは次回で。
第七十六回  フシジンはビホウに降伏を勧めに来たが、彼はそれをきっぱりと断った。しか し、そこにカンウから兵糧不足なので公安と南郡で米10万石整えよ。という書 面がきた。公安が落ちた今となってはこんな大量の米は用意できないと考えてい る時にリョモウが攻めてきたのでビホウは降参した。  さて、ソウソウは許都におり、荊州攻めを軍議しているところに呉からの書面 が届き、ジョコウに討って出るように命じて自らも大軍を率いてソウジンの加勢 に向かった。  ジョコウはカンペイと戦って城を落とした。カンペイは血路を開いてカンウの もとに行った。そこに、荊州が落ち、フシジン、ビホウも降伏した知らせが入る とカンウは大いに怒った。すると矢傷が裂けてその場に昏倒した。  カンウは気が付くとすぐさま成都に加勢を求める書面を、バリョウとイセキに 届けさせた。  樊城の囲みが解けると、ソウジンはソウソウのもとで罪をただされるように頼 んだが、 「これは天の定めで、そなた達の罪ではない。」 と罪を許された。  カンウは荊州への道で進むことも退くこともできなくなり、荊州に向かう途中、 ショウキン、カントウ、シュウタイ達に囲まれ、麦城に逃げ込んだ。そして、上 庸のリュウホウ、モウタツに援軍を求めるためリョウカを使わせた。  しかし、モウタツとリュウホウは、荊州も落ち、魏も4、50万の軍勢で攻め てきているのでかなわないと思い、援軍を送らなかった。リョウカは泣いて頼ん だが二人は奥に行ってしまい、仕方なく成都目指して立ち去った。  麦城のカンウは援軍を待ったが来る様子もなく、そこにショカツキンが降伏を 勧めにやって来た。しかし、カンウは降伏することなく、帰ったショカツキンは ソンケンに伝えた。すると、リョモウは笑って、謀を示した。  さて、その謀とは。それは次回で。
第七十七回  リョモウの謀は、麦城から逃げるカンウに伏兵を用いて捕らえるというもので あった。  カンウの手勢は300余人であったが、彼らも呉からの投降を呼びかけられて 降ってしまう有り様。仕方なく西川に逃れて軍勢を立て直そうとして、オウホと シュウソウを麦城に残してカンペイらとともに討って出た。そして、馬を進める こと20里余り、突然銅鑼が鳴りシュゼンが押し寄せた。しかしカンウ達が襲い かかろうとすると馬を返して逃げ出したので、追わずに先を急いだ。すると、ま たも行く手には松明を持ったハンショウが立ちはだかり、カンウは怒って襲いか かった。ただ3合いでハンショウは逃げ出したので、逃げる敵を追わずにさらに 先を急いだ。ゆくうちどっと左右からハンショウの部将、バチュウの伏兵が現れ、 馬を倒されたカンウはバチュウに捕らえられた。カンペイがこれを見て助けに行 ったが、シュゼン、ハンショウらが追いついてきて、彼らに捕らえられてしまっ た。  カンウはソンケンの前に連れて行かれ、降るように勧められたが、決して降ら なかったのでカンペイとともに首を刎ねられた。  カンウ没後、赤兎馬はバチュウのものになったが、赤兎馬は馬草を食わず数日 の内に死んだ。  呉はカンウとカンペイの首をかかげて麦城に投降を呼びかけた。オウホとシュ ウソウは麦城にて自ら命を絶った。  さて、カンウの霊は成仏せずにこの世を漂っており、荊門州当陽県の玉泉山に 来たとき、そこに住んでいたフジョウという法名の老僧に会った。  カンウは 「わしの首を返せ。」 と叫んでいたが、フジョウに、 「前世の是非は言われぬがよい。因果を説いていてはきりがない。それでは、ガ ンリョウ、ブンシュウ、五関の6将などは、誰に首を返せと言うであろうか。」 と言われて成仏した。  さて、荊襄を手にした呉では、リョモウを上座にすえて大宴会を開いたが、そ の席でリョモウはカンウの霊にとり憑かれて七穴から血を吹き出して死んだ。  ソンケンは、蜀の報復を恐れてカンウ達の首を魏に渡して、魏の指図であった かのように仕向けた。  首を受け取ったソウソウは、シバイの助言で呉の計略を見抜き、手厚く葬った。 カンウの首は生きているかのようだった。思わず笑って、 「その後、お変わりないか。」 と、言葉も終わらぬうちに、カンウの口が開き目が動いて、髪も髭も逆立ったの で、あっと驚いて倒れた。  その後、ソウソウはカンウに荊王の位を賜った。  さて、漢中王は、夢枕にカンウが立ち、不安を抱いていたが、そこにバリョウ、 イセキから荊州が落ち、カンウが敗走したという知らせが入った。続いてリョウ カから、リュウホウ、モウタツに援軍を断られた事が伝えられ、チョウヒに知ら せ、軍勢を集めた。しかし、夜も明けぬうちに、カンウ討ち死にの知らせが舞い 込んできた。  これを聞くなりリュウビはその場に昏倒した。  さて、リュウビの命は。それは次回で。
第七十八回  さて、漢中王が倒れ、周りの者が内殿に担ぎ込んだ。  一同手当して蘇らせたが、泣いて昏倒する事1日4、5回。3日というもの水 も飲まずに激しく泣き続けた。  ソウソウは洛陽にあったが、カンウを葬ってからというもの夜毎眠ろうとして 目を閉ざすと彼が現れるので、いたく恐れて新殿を建てようとした。しかし、棟 梁にする木を切ろうとして、その神木の祟りで頭痛がやまず、カダに治療させた。 しかし、カダはソウソウに 「病根が頭の中にあります故、薬湯では治りませぬ。頭を切り開いて治療いたし ます。」 と言うと、ソウソウは怒って彼を投獄した。カダはそのまま獄死した。  ソウソウの病状はさらに悪化し、ソウヒを後継にし、自分の墓は後世の人に気 付かれないように偽の塚を72築かせる事を命じた。遺言を述べ終わると、長い 溜息をして雨のように涙を流すと見るや、息が止まって死んだ。享年66歳。建 安25年の春正月である。  その後、ソウヒが魏王となった。  慶賀の宴がたけなわな頃、ソウショウが長安より10万の大軍を率いて来た。  ソウヒは仰天したが、そこに、 「それがしが一言にてご説得致します。」 と進み出た者がいる。  さて、この男、一体誰か。それは次回で。
第七十九回  一同進み出た者を見れば、諌議大夫のカキであった。ソウヒは大いに喜んで彼 に出向くように命じた。  カキは、ソウショウに 「家には長子があり、国には儲君があります。先王の璽綬は殿の云々される事で はございませぬ。」 ソウショウは言葉に詰まり、カキはさらに 「この度は、葬儀のためでござりますか。それとも後継者争いでござりますか。」 「葬儀のためで、別に他意はない。」 「しからば、軍勢を率いての入城はなに故でござりますか。」 ソウショウは軍勢を残して単身殿中に入っていった。ソウヒはソウショウに戻っ て守護の任に着くように命じた。  ここに、ソウヒの王位は安泰となり、建安25年を延康元年と改めた。  ソウソウにおくりなして武王とし、ウキンに墓陵の番を命じた。ウキンが命を 受けてそこに行くと、霊屋の白い壁一面にカンウが七軍を水攻めした様子が描か れており、上座に依然として座るカンウの前にホウトクが憤怒の形相で立ち、ウ キンが地面に平伏して命乞いしている有り様が描かれていた。ウキンはこれを見 て、恥と怒りで病となり、ほどなく死んだ。  さて、父の葬儀に来ない三男ソウショクと四男ソウユウを罪を問だすため呼び 出した。ソウユウは罪を恐れて使いが来る前に自殺し、ソウショクはキョチョに 捕らえられた。ソウヒはソウショクに七歩歩く間に詩を作れと難題をふっかけた。 しかし、これを難無くこなし、位を落とすだけにとどめられた。  蜀のリュウビは、リュウホウ、モウタツにカンウ達の難の責めを負わせようと したが、ショカツリョウに謀反を促すと諌められ、リュウホウを昇進させて綿竹 を守らせ、その後に処罰しようとした。しかし、身の危険を感じたモウタツは魏 に降ってしまった。  大いに怒ったリュウビは、ショカツリョウの 「リュウホウにモウタツを討たせ、うまくいってもいかなくとも成都に戻って来 るので、その時に殺せばいいでしょう。」 と、進言を受けてリュウホウに軍勢を率いさせた。  リュウホウは、モウタツから降伏を勧められたが、彼に勧められてカンウに援 軍を出さなかった事を後悔していたので、使者を斬って討って出た。しかし、モ ウタツ、ジョコウ達に大敗し、成都に逃げ帰った。  大いに怒ったリュウビはリュウホウを斬ったが、後で、モウタツからの降伏を 断って使者を斬った事を聞いて心中いたく後悔した。  ここに魏王ソウヒは自ら王位について祭りを盛大に行ったが、かかる時カコウ トンが病で死んだので喪に服した。この年の8月、献帝に天下が魏王に譲るべき であると話し合い、カキン等文武諸官40人余りが宮中に押し入った。  さて、献帝の返答はいかに。それは次回で。
第八十回  さて、カキン等が献帝に上奏し、魏王に王位を譲るように迫った。  献帝はしばらく言葉もなくいたが、一同を見回して落涙した。さらに、リフク、 キョシ、オウロウにも上奏したので、激しく泣いて奥に入っていった。  しかし、ソウコウ、ソウキュウ達にも強硬され、ついに魏王に王位を譲り、 「せめて、天寿を全うせしめよ。」 と願った。  ソウヒは受禅台を築いて帝位に即き、献帝は山陽公に封じられた。  魏王が王位についたとき、にわかに狂風が起こり、雨あられと砂石を飛ばした。 ソウヒはその場に昏倒した。百官が助けて息を吹き返したが、病がいっこうに癒 えないので、許都は祟られていると疑って、洛陽に遷都した。  成都にもこの情報は早く伝わり、漢中王はこれを聞くと終日声を上げて泣き、 百官に喪に服すことを命じた。ショカツリョウは、キョセイ、ショウシュウと計 って漢中王を奉じて帝にせんとした。しかし、上奏文を見た漢中王は、 「わしを不忠不義の人間に落とそうと申すか。逆賊の真似などできぬ。」 と言うなり席を立って奥に入っていった。その後もショカツリョウが諌めたが漢 中王は頑として承知しなかった。  ショカツリョウは病と偽って引き篭り、見舞いに来た漢中王に、 「大王を天子にいただき、魏を滅ぼして劉氏を再興して、ともに功名を建てんも のと思いおりまするに、承知いただけないとは誠に残念に思います。このままで は一同離散するのも間違いありませぬ。」 「わしとて、聞けぬわけではないが、天下のそしりを招くのを恐れておるのじゃ。」 「この度は、大王が名を正して事を順おうとされますのに異議があろうはずがご ざいますまい。」 「ならば、軍師の回復を待って、さよう事を運ぶとしよう。」 と漢中王が言うや、ショカツリョウはがばっと起きて、衝立てを叩いた。すると、 外から文武官が入ってきて平伏した。  そしてショウシュウが祭文を読み上げて、ショカツリョウが玉璽を奉り漢中王 は天子を称し、章武元年と改元した。  翌日、リュウビはカンウの敵討に出る詔を降した。しかし、チョウウンが階下 に平伏して諌めた。  さて、チョウウンが何と諌めるか。それは次回で。