第三十一回 大敗したエンショウだが、健在であることを皆が知ると再び人が集まり出した。 しかし、獄に入れられていたデンポウは忠告を聞かずに大敗したと笑ったので獄 中で斬られた。 エンショウは、後継者を誰にするか迷っているところにソウソウが攻め込んで 来たので倉亭に進出した。三男のエンショウは父親の前で手並みを見せようと出 陣した。そして、ジョコウの配下シカンを討ち取った。しかし、テイイクの「十 方埋伏」の計に破れて退却した。エンショウ軍は大敗し、しばらく三男のエンシ ョウとシンパイ、ホウキに軍権を与えて養生につとめた。 一方、ソウソウはシンパイを警戒してエンショウの追撃をしなかった。そこに 汝南のリュウビが許都に向かっているという情報が入ったので迎え撃ちに行った。 リュウビは、カンウ、チョウヒ、チョウウンと兵を率いてきたが、ソウソウ軍 に包囲され大敗した。逃げるリュウビに追手のコウランが迫った。そこにリュウ ヘキが立ちはだかるがコウランに三合いせずに斬られてしまう。そこにチョウウ ンが現れ、コウランを斬りリュウビを助けた。ソンケンはリュウヒョウを頼るこ とを進言し、一同は荊州に向かった。快く思わないサイボウは反対を唱えるが、 リュウヒョウは歓迎しこれを退けた。 ソウソウは、荊州に向かおうとするがテイイクに諌められ、再び官渡に兵を進 めた。 エンショウが出陣しようとすると、三男のエンショウが代わりに出る事を申し 出たので、エンショウはこれを許した。 さて、この勝負どうなるか。それは次回で。
第三十二回 三男のエンショウは、他の軍勢が着くのを待たずに討って出て、チョウリョウ に大敗した。これを知ったエンショウは驚き、血を吐いて倒れ、世継ぎを三男の エンショウに定めて息絶えた。 三男のエンショウの命で長男のエンタンはソウソウと対峙するが大敗してしま う。エンショウに援軍を要請するが、わずか五千騎が向かっただけであり、しか も着く前に討たれてしまったので大いに怒ってホウキを援軍の使者に出した。エ ンショウはエンタンがソウソウを討った後、力を持つことを恐れ援軍を出さなか った。使者がこれをエンタンに伝えると怒ってホウキの首を打ちソウソウに降る ことを言うと、今度はエンショウが驚いてリョコウとリョショウに兵三万を与え て出陣した。しかし、ソウソウに大敗し篭城した。 カクカは、ソウソウに 「エンショウは長子エンタンを廃し末子エンショウを跡取りとしたため、今すぐ 攻めれば結束しますが放っておけば兄弟の仲が割れましょう。」 と進言した。ソウソウはソウコウに官渡を固めさせて、自ら荊州に向かった。 エンショウとエンタンはともに仲違いを始め、エンタンはシンピョウの弟シン ピをソウソウの所に使いに出した。荊州に向かったソウソウは、すぐさま兵を退 いてエンショウを討ちに向かった。まず、シンパイが守る城をキョユウの水攻め 策で落とした。降ろうとしないシンパイを処刑するがソウソウはその忠義に感じ て城の北に葬らせた。 この時、ソウソウの長子、ソウヒはエンショウの館に乗り込んでいた。館の奥 の部屋には二人の女が抱き合って泣いており、剣を向けられている。 さて、この二人の命はいかに。それは次回で。
第三十三回 ソウヒは二人の女が泣いているのを見て斬ろうとしたが、突然目の前が真っ赤 に輝いたので、剣を握ったまま尋ねた。二人は袁将軍の妻劉氏と次男エンキの嫁 甄氏であった。ソウヒは二人を守ってやると言って外へ連れ出した。劉氏が 「娘を若君の側にお仕えさせていただきとう存じます。」 と申し出たので、表でソウソウに目通りさせたところ、気に入って甄氏をソウヒ の嫁にさせた。 ある日、キョチョが馬に乗って東門を入ろうとした時、キョユウが、 「儂がおらねばこの門を出入りできなかったのだぞ。」 と言ったので、キョチョは怒って斬り殺した。 すると、ソウソウは、 「わしの古い馴染みでたわむれたまでなのに、殺すとは何事か。」 と厳しく叱責して、キョユウを手厚く葬らせた。 エンタンが各地を略奪していたので、ソウソウはこれを討伐に向かった。エン タンはリュウヒョウに援軍を求めたがリュウビの助言でこれを断った。エンタン は平原を棄てて南皮に篭城した。ソウソウは南皮まで押し寄せ、ジョコウを出し た。エンタンはホウアンに迎え討たさせたが数合いで斬られてしまった。エンタ ンは降参しようと使者を使わしたが、ソウソウが受け入れず、最後の決戦に挑ん だ。しかし、ソウコウに討ち取られ首を晒された。 オウシュウがエンタンの弔いに来たとき、ソウソウは、 「エンショウもとにはこれだけの人材がありながらうまく用いられなかったとは。」 と言ってオウシュウを幕僚に加えた。 エンショウとエンキは烏桓に身を寄せていたが、ソウソウはこれを追撃し、カ クカの策で烏桓を降伏させた。その後、カクカは病にかかってしまったので、易 州で養生させた。しかし、病は重く死んでしまった。ソウソウは柩の前で激しく 泣いた。この時カクカの書面を手にして今後の策を得た。 エンショウ、エンキは落ちてコウソンコウのもとに身を寄せようとしたがソウ ソウを恐れたコウソンコウに殺され、首を届けられた。カクカの策が見事に当た り、一同大いに驚き喜んだ。 ソウソウは軍勢を率いて冀州に戻り、江南へ兵を進めようとするが、天文を見 ると南方の気が盛んなのでまだ早いと考えた。と、にわかに金色の光が地面から 立ち昇る。ジュンユウが、 「宝物が地下に埋まっているしるしでごさいます。」 と言ったのでソウソウは光の立っている所を掘らせた。 さて、何が出てくるか。それは次回で。
第三十四回 ソウソウは金色の光の立ったところから、一つの銅の雀を掘り出したので、ジ ュンユウに尋ねた。ジュンユウが吉祥の兆と言ったのでソウソウは喜んでこれを 祝うために銅雀台の造営を命じた。そして、エンショウの兵を吸収し、五、六十 万の軍勢を率いて許都に帰り、カクカに恩賞や上奏文を賜った。 リュウヒョウのもとに身を寄せたリュウビは、チョウブとチンソンの謀反を鎮 めに兵を出した。チョウウンはチョウブの馬が名馬であるのを見て 「あれは日に千里を行く名馬だ。」 と言ってすぐさま倒して馬を奪った。そして、チョウヒがチンソンを討ち取り、 乱は簡単に平定された。 リュウヒョウがリュウビに信頼を寄せるのが気に入らないサイボウと蔡夫人は、 リュウビが禍いの種であると吹き込むが相手にされない。翌日、チョウブの名馬 にリュウビが乗っているのを見て、リュウヒョウはたいそう誉めた。リュウビは この馬をリュウヒョウに献上したが、カイエツが後でそっとリュウヒョウに 「的廬という馬相の凶馬です。これに乗る者は祟りがあります。チョウブもこの ために身を滅ぼしております。」 と言ったのでリュウヒョウはそれとなく返した。イセキはこの事実をリュウビに 伝えたが、リュウビは 「人に生死は定まったもの。馬に変える力はない。」 と言った。イセキはこれに感服し、以来リュウビと行き来するようになった。 建安十二年、甘夫人がリュウゼンを生み、阿斗と幼名を付けた。この時、ソウ ソウは北征していたので、リュウビはリュウヒョウに許都を取ること勧めた。し かしリュウヒョウにその意志がなく、リュウビもそれ以上は言わなかった。そし て、リュウヒョウが思う事があると言いかけた時、蔡夫人が衝立のかげから姿を 見せたので口をつぐんでしまった。 その冬にソウソウが帰還してしまったので攻め込む機会はなくなってしまい、 後悔したリュウヒョウは後継者に陳氏の長子リュウキか蔡夫人の次子リュウソウ にするかをリュウビに相談した。リュウビは、 「次子を立てるは騒動のもとでざいます。」 と答えた。リュウヒョウはそれには何も答えなかった。 衝立の裏でその事を聞いた蔡夫人は、サイボウとともに客舎を襲ってリュウビ を殺そうとしたが、イセキの知らせで事前に立ち去った。サイボウはリュウヒョ ウにリュウビに謀反の意志があると偽りを言うが、リュウヒョウは動かない。 その後、宴を開くという呼び出しがかかる。これはサイボウの陰謀のにおいが するのでチョウウンが同行した。しかし、チョウウンは別席に案内され、三方を 固められてしまう。そして、空いている西側は檀渓であり逃げられなくなってし まい、リュウビは、 「的廬ついに祟ったか。」 と叫ぶと、的廬は檀渓を躍った。 追手のサイボウは追撃をあきらめ帰ろうとした。そこにチョウウンが駆けつけ た。 さてサイボウの命はいかに。それは次回で。
第三十五回 サイボウが城に引き返そうとするとチョウウンの軍勢に出会った。チョウウン はサイボウに 「わが君わどこか。」 と訪ねると、サイボウは 「使君は席を立たれたがどこに行かれたかは存ぜぬ。使君が一騎で西門を出られ たのでここまで来たがおられぬ。」 と答えた。チョウウンは先の谷川のほとりに行って眺めると、対岸に水の跡があ る。手勢に一帯を探させたが手がかりは得られなかった。再び馬を返した時には サイボウは既に場内に入っていた。チョウウンは場内に入ろうとしたが伏兵があ るかもしれないので、思い直して新野に向かった。 一方、的廬に乗って難を逃れたリュウビは 「的廬は天の助けでなくてなんであろうか。」 と思いながら馬を走らせた。しばらくすると牧童に出会った。その牧童はシバキ の弟子でリュウビに水鏡先生シバキを紹介した。 シバキはリュウビのもとに人材がないことを指摘し、 「伏竜・鳳雛のいずれかを得ることができれば天下を安ずることもかなう。」 と言った。リュウビは 「その伏竜・鳳雛とは。」 と聞くと、シバキは手を打ってからからと笑い、 「よいぞ、よいぞ。」 と答えた。重ねてリュウビが聞いても 「よいぞ、よいぞ。」 と笑うばかりであった。 翌日、チョウウンが迎えに来たので新野に戻った。 リュウビはこの騒動をソンケンを使者に立ててリュウヒョウに伝えた。リュウ ヒョウはサイボウを打ち首にしようとするが、ソンケンは 「サイボウ殿が死罪になっては皇叔とてここにはおれませぬ。」 と口添えしたので、リュウヒョウは長男のリュウキをソンケンに同道させて謝罪 させた。 リュウビはリュウキと別れて城内に入ろうとしたとき、唱いながら歩いている 男に会った。伏竜・鳳雛ではないかと思い名と問うと、彼はゼンフクと名乗った。 大いに気に入ったリュウビは彼を軍師に迎えた。 さて、ソウソウは許都に立ち帰ってからも荊州攻略を考えていた。ソウジン、 リテン、リョコウ、リョショウ等に三万の軍勢を与え内情を探らせた。機を見て ソウジンはリョコウ、リョショウ兄弟に五千の兵を与えて新野を襲わせた。 軍師ゼンフクの言により、カンウ、チョウヒを出陣させ、万端の手はずをとと のえてゼンフク、チョウが出陣した。リョコウが進んでくると、リュウビはチョ ウウンを向かわせた。数合いでリョコウは馬上から落とされ、リュウビ軍はどっ と攻めかけた。リョショウは退却しようとした、チョウヒに行く手をさえぎられ て、構える前に矛先を受け仰向けざまに落馬して死んだ。 リョコウ、リョショウ兄弟が殺され大敗したソウジンは、リテンの忠告も聞か ず二万五千の軍勢で新野に向かった。 さて、この勝負はどうなるか。それは次回で。
第三十六回 激怒して向かって来るソウジンにゼンフクは、 「もし敵が全軍をあげて来れば樊城の備えが手薄になります。それを奪い取るの がよろしいと存じます。」 と計をリュウビの耳元で語った。 両軍陣取りが終わるとチョウウンが出馬した。これをリテンが受け手たった。 十合いも打ち合うとリテンはかなわぬと見て陣へ逃げ帰った。 リテンはソウジンに 「敵は手強くございます。いったん樊城に帰陣なされるのがよろしいかと。」 と言うと、ソウジンは大いに怒って打ち首にしようとした。しかし、まわりの大 将達がとりなしたのでリテンは後詰にまわされた。ソウジンはリュウビに使者を やって 「我が陣形をご承知か。」 と言わせた。ゼンフクが敵陣を見るとそれは八門金鎖の陣であった。 ゼンフクはリュウビに 「中央に弱点があり、東南より攻め込めば陣は乱れます。」 と進言した。 リュウビ軍は全軍で陣を固めて、チョウウンに五百騎与えて東南から西へ一気 に駆け抜けさせ、今度は西から東南にとって返した。ソウジンの軍が乱れたとこ ろをリュウビ軍は全軍でなだれかかった。ソウジンは大敗して軍を引いた。ソウ ジンはリテンと協議して夜討ちを仕掛けたがこれもゼンフクに先読みされて大敗 した。ソウジンは樊城に逃げ帰ったがすでにカンウに城を奪われ許都に逃げ帰っ た。 リュウビが樊城に入ると県令のリュウヒが出迎えた。リュウヒは長沙の人で漢 皇室の流れを引いており、リュウビはリュウヒの甥コウホウを養子としリュウホ ウと改名させた。しかし、カンウは、 「すでにご子息がいるのに。」 と難色を示した。 リュウビはゼンフクと協議しチョウウンに兵一千をあずけて樊城を守らせて新 野に帰った。 ソウジンとリテンはソウソウに敗戦を話した。するとソウソウは、 「勝敗は兵家の常じゃ。だが、リュウビに献策しているのは誰か。」 ソウジンはゼンフクの事を告げると、テイイクは、 「ゼンフクとは世を忍ぶ姿。ジョショと申すものです。才能はそれがしの十倍は ありましょうか。」 ソウソウがジョショを呼ぶ事ができないかと言うと、テイイクは母を連れてきて 子を呼び寄せる書面を書かせればよいと進言した。そしてジョショの母をあつく もてなした。しかしジョショに書面を書かなかったのでテイイクは筆跡をまねて 使いに渡した。 その書面を受け取ったジョショはリュウビに暇をもらい出立しいと告げた。リ ュウビも 「親子の道を絶つのは義ではない。」 と言ってまわりの引き止める意見をはねのけた。この一言に一同はただただ恐れ 入ったのである。ジョショは、ソウソウのためには一生謀はしないと誓った。 ジョショは別れの時に、 「伏竜・鳳雛とはショカツリョウとホウトウのこと。」 と告げて去った。 ジョショは途中ショカツリョウの住居を訪れてリュウビに助力を頼んだ。しか し、ショカツリョウは 「貴公はわしを生け贄にするつもりか。」 と言って奥に入ってしまった。ジョショは赤面して母のもとに赴いた。 さて、このあとどうなるか。それは次回で。
第三十七回 ジョショはソウソウのもとに行き母に会った。すると、 「不孝者。偽りの手紙に目がくらみ明君を捨て暗君につき自ら悪名を招くような 事をするとはなんたることか。」 と嘆いた。ジョショが平伏して頭を上げられずにいる間に母は衝立のかげで首を くくって死んだ。 リュウビはショカツリョウを訪ねようとしていたが、そこへシバキが現れショ カツリョウの事を話し、 「臥竜も主を得たが時を得なかった。」 とつぶやいて立ち去った。 翌日、リュウビはショカツリョウを訪ねたが一人の童子が出て来て 「先生は今朝がたお出かけになりました。いつ戻られるか分かりません。四、五 日の時もあれば十五、十六日の時もあります。」 と答えた。 リュウビは 「先生がお帰りになったら私が訪ねてきた事をお伝えください。」 と言って仕方なく帰った。 数日して再びショカツリョウを訪れた。しかしそこには弟のショカツキンがい た。そして、 「兄は遊びに出かけてどこにいるのやら分かりませぬ。」 と言われた。リュウビは手紙を書いてショカツキンに渡して帰った。 そして新野に帰って月日が流れ新年を迎えた。 リュウビは吉日に三たびショカツリョウを訪れようとした。しかしこれにはカ ンウもチョウヒも面白くなく諌めようとする。 さて、この二人の言ったことは。それは次回で。
第三十八回 カンウは 「兄者が二度も出向かれたという事だけでも度が過ぎます。本当は名ばかりで何 の学もないのでわざと逃げかくれしているのでございましょう。」 チョウヒも 「兄貴が出ていくこともない。俺がしょぴいてやる。」 と諌めたが、リュウビは三度訪れようとした。しかたなく二人も同行した。 ショカツリョウの住居に着くと今度は在宅であったが昼寝中とのこと。リュウ ビはそのまま起きるのを待った。チョウヒはいきり立っていたがカンウに止めら れ、リュウビは二人を門前で待つように命じた。やがて目を覚ましたショカツリ ョウは慌てて衣冠を正して迎え入れた。そしてリュウビの志に天下三分の計を提 案した。また、荊州と蜀もいずれ手に入ると予言した。そして、リュウビはショ カツリョウとともに新野に戻った。 そのころ、呉のソンサクの弟ソンケンは遺業を継いで人材を集め、江東は人材 の多いことで有名になる。そんなおりにソウソウから子息を宮廷に出仕させるよ うに言われるが、人質にするのが目的なのでシュウユの言を入れて出仕させなか った。 建安八年(203年)父、ソンケンの仇を討つべく荊州のリュウヒョウ配下の コウソ討伐に乗り出した。しかし、コウソ配下のカンネイにリョウソウを討ち取 られてしまい兵を引き上げた。その後、シュウユを大都督として水陸軍を統帥し た。翌春、カンネイはコウソの海賊風情という気持ちから重く用いてもらえずソ ンケンに身を寄せた。そして荊州と蜀を取りソウソウに備えるというショカツリ ョウと同じ構想を進言した。 かくしてシュウユを大都督として先鋒リョモウ、副将トウシュウ、カンネイと してソンケン自らコウソ討伐に向かった。 さて、この勝負どうなるか。それは次回で。
第三十九回 ソンケンの軍勢に攻めたてられて将兵を失ったコウソは江夏を捨てて荊州へ逃 れようとした。それを先読みしたカンネイはコウソを討ち取りソンケンのもとに 帰った。ソンケンは亡き父の霊前に首を供えて供養した。儀式が済み宴会の席で リョウソウの子リョウトウがいきり立ちカンネイに殺された父の仇を討とうとし た。ソンケンがなだめるが怒りは消えないので、その日のうちにカンネイを夏口 の守りに着かせた。 一方、リュウビはリュウヒョウから配下のコウソが討たれた事でソンケン討伐 を受ける。しかし、動けばソウソウが攻めると言って断った。リュウヒョウは荊 州をリュウビに譲ろうとするが 「恩を受けているのに、弱みにつけ込んで国を奪うような事はできない。」 と断り新野に戻った。 ソウソウは自ら丞相となり全てを取り仕切った。そしてカコウトンに新野攻め を命じるがジョショはショカツリョウの存在を話し止めるように進言した。しか し、カコウトンはおそるるに足らんと勇んで出陣した。 リュウビはショカツリョウの事を 「魚が水を得たようなものだ。」 と語り、カンウ、チョウヒはそれが面白くなかった。カコウトンが攻めてきた事 を知るとチョウヒは、 「兄貴、水とやらを使ってみてはどうか。」 と言った。ショカツリョウはすぐさま策を献じた。 カコウトンは自ら先陣を切って攻め込み、それを迎え討ったチョウウンは数合 いで負けたふりをしてカコウトンから逃げ出した。カコウトンはチョウウンを追 おうとした。カンコウが 「伏兵があるやも知れませぬ。」 と諌めるが 「こんな敵ならば何のことはない。」 と耳も貸さず追いかけた。そこへリュウビが代わって軍勢を率いて押し出た。カ コウトンはカンコウに 「これが伏兵というやつだ。一気に新野へ打ち入るのだ。」 と攻め込み、リュウビ、チョウウンを敗走させた。カコウトンがひたすら追撃し 山間の狭い道にさしかかったところで、ウキン、リテンは火計の危険を察知し、 カコウトンを止めに行った。しかし、その時一斉に火の手が上がりたちまち大混 乱に陥った。それを見てチョウウンは手勢を率いて襲いかかり、カコウトンは逃 げ出した。リテンは慌てて逃げ戻ろうとするがカンウに襲われ血路を開いて落ち 延びた。カコウランはチョウヒに一撃で馬上から突き落とされた。そして両軍明 け方までもみ合って兵を引いたが戦地は一面人馬の屍で血が河のように流れてい た。 カコウトンは兵をまとめで引き上げていった。 カンウ、チョウヒはショカツリョウのすごさに驚いていた。新野に戻ってから 休む間もなく、ショカツリョウは、 「次はソウソウ自ら大軍でやってくるでしょう。それがしに一計あり。ソウソウ の軍勢など恐るるに足りませぬ。」 と次の計を出した。 さて、その計とは。それは次回で。
第四十回 ショカツリョウの計とはリュウヒョウが病のために代わりに荊州を治めること であった。しかし、リュウビは義に背くを言って受け入れなかった。 ソウソウはカコウトンの敗戦で自ら五十万の大軍で出兵した。天下の人望を失 うと諌めたコウユウはソウソウに一族皆殺しにされた。ソウソウは大軍を五隊に 分けて荊州に向かった。 一方、荊州ではリュヒョウが病死した。リュウヒョウは長子リュウキを後継と してリュウビを補佐とする遺言状を残していたが蔡夫人とサイボウの偽の遺言状 で次男のリュウソウが後継となった。蔡夫人とリュウソウはリュウキと後見のリ ュウビを恐れてソウソウに荊州を渡して降伏しようとした。リュウキからの使者 イセキはリュウビに、 「今ならリュウソウを殺せば荊州は手に入ります。」 と言った。ショカツリョウもこれに賛成するがリュウビは義に背く事になるので 拒否した。そして領民を連れて樊城へ逃れようとした。 ショカツリョウはカンウに白河の流れをせき止めさせて水攻めをし、チョウヒ にそれを討たせて、チョウウンに新野の城にソウソウ軍が泊まると火をかけさせ るよう指示した。 新野城に誘い込まれた先鋒のソウジンは中に人がいないのを見て 「さては無勢で策もないので領民を連れて逃げ出したな。ここで休んで明日は早 いうちに出発しよう。」 と言って兵を休ませた。そこに火の手が上がり、西、南、北門が火になり東門か ら慌てて逃げ出した。そこに水が一気に押し寄せ軍勢はあっという間に水に呑ま れた。ソウジンウは水のゆるいところに逃れようとしたがそこにチョウヒが立ち はだかった。 さて、ソウジンの命は。それは次回で。