対戦物語

〜第1章〜
人物伝

No.021
龍角散
中流(-9-46)
 龍美の兄。龍華の夫。龍華は明の妹である。
 23年、長子龍鱗が生まれた。
 36年、領主龍牙と共に中流奪回に参加し見事に中流の地を奪回した。戦争で
衰退しきった中流が入江に統合されるとそれに従った。
 常に領主介子嬰の側に仕えて、近衛、側近として侍った。
 46年、名将として天命を全うした。
龍華曰く、
「龍角散が他界いたしました。中流の名将も高齢には勝てませんでしたか・・・。
我夫が・・・。ああ、なんとも悲しきことかな。」
桜恋曰く、
「殿、龍角散の葬儀はいかがなさいますか?申し訳ありませんが、私は参加を見
合わせます。私が下流領主になるずっと以前の事、中流下流戦で龍角散は我父桜
雄を討った人物。むろん、今となってはそれを恨むこともなく、殿とともに入江
のいえ、白阜のためにやってまいりましたが、葬儀については亡き父を思うと参
列できませぬ。」
介子良曰く、
「桜恋殿、龍角散は桜雄の命日にはいつも供養を行っておりましたぞ。そして、
墓陵の近くを通るたびにどんな時であろうと花を添えに行っておりました。桜
恋殿・・・。」
洲麻曰く、
「乱世とは何ともむごいものよ。そして、せつない。」

No.022
龍牙
中流(-10-)
 龍奈の長子。
 15年、長女龍魅が生まれた。
 36年、配下将龍角散と共に中流奪回に参加し見事に中流の地を奪回した。戦
争で勢力が衰退したこと痛感し、中原に攻められた場合進退極まることを覚悟し
た。そして、もしもの場合に備えて、娘の龍魅と捕えた中原の将である呂堅の婚
儀を取り行ない、龍家を守ろうとした。一方で、龍牙は入江領主介子嬰に入江と
中流の統合をもちかけ入江に降った。
入江領主介子嬰に謁見し、
「貴殿が介子嬰殿か。睦月殿の治めていた頃よりは活気があるようですな。しか
し、貴殿のような者が入江にいたとは少々驚きましたぞ。入江、河口はよく領主
が替わるものですな。」
*うんちく
河口領主:洲良、市、以後入江睦月に統合。
入江領主:睦吾、睦実、睦月、介子嬰。
「この度、我らは平原に侵攻され瀕死の状況に陥りました。しかし、この度全軍
を持って中流の地を奪回し勇者どもを討ちました。しかし、我が軍団も兵、人材
ともに多大な被害を受け、再起は困難。回復するまでに相当な時間を要すること
は明白。このままでは、中原に攻め落とされるのは時間の問題です。我らは中原
に、いや神一族に天下を与えるつもりはないゆえ、入江との併合を望みます。我
ら中流の者は入江の将として生きようと考えております。拒否なされるならば、
入江が我らの傘下に収まって頂きたい。このままでは、中原には勝つことは不可
能と踏んでおります。」
と、降る意志を持ちながらも、最後まで強気の姿勢は崩すことはなかった。

No.023
洲麻
河口(-1-50)
 河口領主洲良の長子。
 20年、配下の市を婚儀を取り行ない、父洲良から河口を受け継いだ。市を領
主に据えて共に助け合い河口を盛り立て、入江との統合計画に従事した。
 21年、かねてより河口の地は河の氾濫に悩まされており、入江との統合が計
画されていた。そして、中流の龍奈の支援もあって入江と統合する事になった。
 以後、入江の将として入江領主睦月に従った。
 29年、異母兄の介子嬰のクーデターにより政権が睦月から介子嬰に移った。
父洲良とともに、睦月の配下全員を率いて介子嬰に従った。
 36年、中流領主龍牙が、中原と平原との戦いに疲弊し、勝てぬと悟って入江
領主介子嬰に降った。龍牙とは常に意見が合わず対立していた。
 その後、入江の保守派となり、戦いには消極性を見せ、他国との同盟、共存の
道を主張した。しかし、領主介子嬰には受け入れられなかった。

No.024
朱翔新建
(シュショウ)
北原(-5-44)
 籠範安栄にその内務の手腕を買われ、呈分公珪とともに内務の一端を担った。
 幕僚の中では目立った存在ではなく、まじめで地味であった。
 18年、北原領主籠範安栄に仕えた。
 22年、呈分公珪と結ばれた。
 22年、長女朱瑜が生まれた。
 44年、病に倒れて世を去った。


No.025
水波
(みずは)
湖畔(35-)
 朗と水守の長子。

No.026

湖畔(-8-37)
 大和によって登用され、武将として兵を預かった。
 30年、湖畔の平原急襲の際に一軍を率いたが、東山の的矢率いる援軍に悪戦
苦闘した。
「な、なんだ!!あの軍勢は!!」
「東山の的矢、平原の援軍に参上!!」
「おお!!こんな事は殿の筋書きにはないぞ!!と、兎に角城を落とせ!!兵数
はこちらが上だ!!」
 神娘はこれに怒って、
「失望したよ、朗。ふざけるな!!なにゆえ貴様を水守の部隊に編入したか!!
殿の筋書きにはないだと?馬鹿が!!大和率いる軍を南下させたのは、敵の防備
薄く、その軍勢を勇者率いる返還勢に当てる為。そう、無傷で防衛にまわした場
合、大和を精鋭に向ける必要があったからだ。そして、お前の軍を非戦戦部隊に
するならば、お前を編入するか!!水守一人に任せるわ!!元々、その軍が戦う
危険にあるという確率は高かったのだ。それゆえに貴様を付けたのが分からぬか?
動揺しよってからに!!希を大和に付けずに、お前につけたのもその為だ。まさ
か、単なる恋愛感情で用いたと思ったか?私を見くびるなよ!!活をつけず、お
前をまわしたのも、臨機応変な城攻めは、活よりも無難と見たからだ。なぜ、戦
うか?敵は平原の防衛軍なのだろうが。我らに無防備で攻撃するか!!こちらが
城攻めをしなければ、敵は攻撃しない。そんな事も分からないのか?だとすれば、
必ずこちらが先に攻撃できるだろうが。敵はこちらの動きにあわせた後手をとら
ねばならないが、こちらは自分の意志で攻撃できる。なぜ、それが分からない。」
 32年、湖畔が中原に統合されるとそれに従った。
 34年、水守と結ばれた。
 35年、長子水波が生まれた。
 37年、東山の残党二見の駐屯する平原に進軍したが的矢に一騎討ちを挑んだ。
「朗、久しいな。湖畔将としての活躍耳にしておったが、湖畔が中原に降ってか
らはあまり話を聞かぬぞ。」
「的矢、以前の戦いに決着をつけようではないか。今回の進軍は我自ら名乗りを
あげて出てきたのだ。」
「よかろう。その腕得と拝見しよう。かかってこい!!」
そして、両名は剣を交え、両者一歩も退かなかったが、一瞬の隙をついて的矢が
朗を討ちとった。そして、中原軍大いに震撼させた。
「これが的矢の強さか・・・む、無念。ぐふっ。水守、退け!!水波を・・・頼
むぞ。」
 そう言い残して戦場で散った。長子水波は遅く生まれた子で大いに可愛がって
いたという。

No.027
周尚
北海(-8-38)
 19年、北海領主孫亮に仕官し、卜占官として仕えた。]
 31年、李貴と結ばれた。
 33年、長子周亮が生まれた。
 38年、平原侵攻をしたが、同じくして中原も侵攻しており、平原、中原、北
海の三者入り乱れての大混戦に陥った。平原の将的矢と一騎討ちを行い討たれた。

No.028
洲良
河口(-27-38)
 河口領主。
 −1年、長子洲麻が生まれた。
 11年、平原の傘下に入った。
 15年、神子の中流攻略の平原軍に従ったが、子の洲麻とともに、下流、入江
軍と共謀して反旗を翻した。神子没後、河口を治めた。
 20年、長子の洲麻が配下の市と婚儀を取り行なうと、跡を洲麻と市に任せた。
洲麻と市は、市を領主に据えて共に助け合い河口を盛り立て、入江との統合計画
に従事した。
 21年、かねてより河口の地は河の氾濫に悩まされており、入江との統合が計
画されていた。そして、中流の龍奈の支援もあって入江と統合する事になった。
 以後、入江の将として入江領主睦月に従った。
 29年、異母兄の介子嬰のクーデターにより政権が睦月から介子嬰に移った。
洲良は、睦月の配下全員を率いて介子嬰に従った。介子嬰の政権下において、軍
事を担い、介子嬰に進言すること多く、また、兵の訓練と中流の援軍のための警
戒も怠ることはなく、周辺の情報は良く把握していた。
 38年、入江軍訓練中の出来事。洲良は昏倒し、その後長子洲麻に、
「息子よ、我が天命はここに尽きたようじゃ。」
「父上!!どうなされました!?」
「齢65、我が死に場所は戦場と決めておったが、何の因果かここまで生き残っ
てきた。もう、思い残すことはない。河口を入江と統合し河口の地を安泰に導き、
中流、下流も我らの手に飛び込んできた。まさに南で覇を唱えたといっても過言
ではない。よいか、この洲良、平原四天王に並び、東山の的矢、北原の籠称儒景
とともに天下の英傑に挙げられた男よ。我れ落ちて諸侯が入江を狙うやもしれぬ。
その時は洲麻、お前が父に代り入江を守るのだ。よいな。」
洲良、享年65才。訓練中に昏倒し他界。ここに天命を全うした。


No.029
周亮
北海(33-)
 周尚と李貴の長子。

No.030
御杖
東山(-17-42)
 18年、安乗によって登用され、内政官として仕えた。
 33年、東山が北海領主孫亮に攻められ、奮戦するも陥落し、降った。領主石
鏡とその壬生が捕えられ自害し、長女の明和も捕えられ自害しようとしたが、石
鏡と壬生は生きることを望み北海領主孫亮に降るように命じた。この時、明和の
側近として明和に従った。以後、北海軍師として仕えた。
 42年、その生涯を閉じ、長子の御岳に跡を継がせた。

No.031
大神
湖畔(-29-36)
 湖畔領主神娘の夫。
 0年、大和が生まれた。
 32年、湖畔が中原に統合されるとそれに従った。
 35年、神農の命により中流の勇者に駐屯している勇者を討つべく妻の神娘と
ともに一軍を率いた。そして、別働隊の大和と連携して見事に中流を攻略し、勇
者を討った。
 36年、天命を全うし世を去った。享年65才。この死に神娘は大いに嘆き悲
しんだ。

No.032
水主
北地(-16-11)
 北地領主水紀の夫。
 9年、北地を水紀とともに治めるも神子配下猛者に破られて猛者に従った。そ
して、義妹の水守を平原の将として預けた。
 11年、北地を治めた猛者の暴政に怒った水主は猛者と戦うが敗れ殺された。
 27才という若さで世を去ったため、妻の水紀は大いに悲しんだ。
 水主と水紀の間に水愛という子がいたという話があったが、水家の存続を平原
に示唆させるための水紀の策であり、この二人の間には子はいなかった。

No.033
籠称儒景
北原(-29-42)
 籠範安栄、籠礼孔香の父。
 8年、北原が平原の神子の傘下に入ると平原の客将として平原軍に加わった。
 9年、平原の勇者が東山を攻めた際に後詰めとして戦った。
 15年、神子没後北原に帰り平原の内情を伝えた。
 「かねてより客将として平原におりましたが、たった今、平原より戻ってまい
りました。中流地域で神子が討死に!!その報せを聞くや神子の子も下流地域で
自害!!一説には神娘が中流地域に暗殺者を送り込み討ったとも言われておりま
す。」
 長男籠範安栄に領主を継がせた後は一介の将として籠範安栄に仕えた。そして、
数々の助言を行い、籠範安栄を大いに補佐した。
 42年、入江と中原の戦いに入江の盟主として参戦した北原部隊の輜重隊を率
いた。嶺豊の恋人藤優恋が中原で消息を絶ったため、彼の中原侵攻に対するあせ
りを諌めた。
 43年、北海東山の戦いで敗れて野に降っていた亡き戦友的矢の妻、安乗が病
床に見舞いに来た。彼女に北原への仕官を勧めた。
 籠称儒景は床にふせっていたが、安乗が来たことを聞くと、
 「何?安乗が?通せ。」
と言って、嘆豹瑛樺に安乗を呼び寄せさせた。安乗は、
「籠称儒景、その身が果てようとしていると聞き、面会に参りましたわ。久しい
ですわね。」
 籠称儒景は大いに懐かしんで、
「おお、安乗か。東山勢力が壊滅してその後噂を聞かぬが・・・。」
 安乗は答えて、
「的矢は東山が北海に吸収されると自害して果てました。その後、私は北海に使
える気にもならず野に降っていました。」
 籠称儒景は一息ついて、
「・・・そうか。最後にお前に会えるとは思わなかった。どうだ、北原に仕えぬ
か?我が子籠範安栄のもとでその才を動かしてみよ。」
 安乗は少し微笑んで、
「そうですわね。このまま野に埋もれていても的矢も喜ばないでしょうしね。で
も、私を用いるかしら?あなたの子が。」
 籠称儒景は籠範安栄を呼んで、
「安栄、いや、殿、この安乗という女は、名将的矢の妻。その才は的矢を補佐し
支えるという切れ者。昔のよしみで我が病床に見舞いに来ただけだが、これも何
かの縁だ。用いてみてはいかがか?」
 と進言した。
 その後、数日してその生涯を閉じた。

No.034
美也
東山(30-)
 神明と美杉の長子。
 38年、平原が北海領主孫亮に攻められ、奮戦するも陥落し、降った。

No.035

湖畔(-11-45)
 明の夫。湖畔随一の猛将。しかし、その知略の低さに常に猛進し、妻明と湖畔
領主神娘の制止によってたびたび抑えられた。この2人なくして活の猛進を止め
る事はできなかった。
 湖畔と中流は親交があったため、9年に中流に訪れた時に明に出会った。その
後、戦禍を逃れて湖畔に移り住んだ。
 14年に結ばれた。
 16年、明とともに湖畔に仕官した。
 地元ではかなりの武勇をうたわれて頼りにされている男である。しかし、あま
り考えることが好きではない様である。自分の奥さんには滅法弱い。
「あんた!!それ、今晩のおかずじゃないの!?どうする気??」
「この前話した仕官事で、その・・・手土産に・・・どうかなと・・・。」
「これはうちの分。だったら、もう一頭獲ってきなさい!!」
「う、うん。」
かくして大猪を手土産に湖畔領主神娘に仕官した。
「神子を暗殺したために神長子が怒って攻めてくるって聞きました。私に戦いの
場を。殿、これは手土産の大猪でございます。」
 湖畔の武将として兵を預かった。
 常に神娘の側近として警護にあたり彼女を守り抜いた。
 32年、湖畔が中原に統合されるとそれに従った。
 45年、歴戦を戦い抜いた武勇高き将も高齢には勝てず、病にかかりそのまま
他界した。

No.036
籠礼孔香
北原(0-)
 武芸に秀で兄である籠範安栄をよく補佐する。
 8年、北原が平原の神子の傘下に入ると平原の客将として平原軍に加わった。
 15年、神子没後北原に帰り平原の内情を伝えた。
 「殿、私も父に付き従っておりましたが、道中、その傘下であった各地で独立、
仇討ちなどさまざまな動きが感じられます。」
 その後、戦いのたびに兄の籠範安栄と共に出陣し、共に戦った。
 33年、伊瑜子幸と結ばれた。
 34年、長女が生まれた。
 42年、入江と中原の戦いに入江の盟主として参戦した北原部隊を率いた。中
原の砦を攻略しかつて北原の軍師であった水紀の妹水守と対峙した。
 籠礼孔香は、兵を進めて、
「おお、兄上と父上が敵を足止めしている。このまま北砦を落とせい。」
 砦を守る水守は、
「おろかな。全てこちらの予測通り。既に鉄壁の守りを敷いておる。」
 籠礼孔香はその姿を見て大いに驚き、
「・・・。水守・・・。おお、あの水紀殿の妹殿か。なんと、天下は狭いのう。」
 水守は戦いの中に姉を思い出し、
「姉、水紀は北原の軍師になったと聞いた。風の噂で姉は他界したと聞いた。こ
の戦い方、姉の動きに似ておるな。」
 籠礼孔香は勇んで、
「我が練兵は水紀殿の用兵が生きておる。ゆくぞ!!」
 両者とも大いに戦い引き分けた。

No.037
籠乱
北原(26-)
 籠範安栄と呈鳳伯祥の長子。
 39年、13才になり、北原の将に加わる。

No.038
石玉
東山(35-)
 御岳と二見の長子。容姿は祖父の石鏡に似ていると周りから言われた。
 35年、生まれてまもなく、中原と北海から攻撃を受け、戦乱になったため、
二見の妹、三女に石玉を預けて雌伏させた。
 45年、中原の北海攻略によって三女と石玉の住む地は中原領となった。石玉
の噂を聞いた神農は早速使いをやって石玉に仕官を求めた。
 46年、神農に仕えた。

No.039
神明
東山(-0-50)
 19年、東山領主石鏡のもとに仕官し、農水官として仕えた。
 29年、美杉と結ばれた。
 30年、長子美也が生まれた。
 35年、平原が北海領主孫亮に攻められ、奮戦するも陥落し、降った。
 以後、主に後方支援を担った。


No.040
嶺豊
東山(10-50)
 山麓の農水官。
 29年、北原軍に侵攻され、一軍を率いて遊撃するも領主藤優恋が降伏したた
めそれに従った。
 45年、藤優恋と結ばれた。
 50年、急死した。藤優恋との間に子がなく、後継がなかったことを伊瑜子幸
は嘆いた。

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