〜第1章〜 人物伝
神農 中原(0-) | 神長子の長子。 17年、父の神長子の意志を受け継ぎ中原の跡を継いだ。 24年、新たなる技術開発のため、わずかの兵を残して解雇し、国力を挙げる ことに専念した。ちょうど平原四天王との仲が悪く、いつ戦いが勃発しても不思 議ではない状態であったが、平原に敵対している中流勢力に平原を攻略するよう に進め、一方で平原に中流からこ進軍が予想されると噂を流した。これによって 平原からの目を中原だけに向かせずに平原を牽制した。また、北原、北海にも同 様に噂を流して平原の注意をそらした。また、諸侯にも中原の兵力を誇示させる ために疑兵を用いてその内情を知らせず、さらには湖畔の神娘とも内情を悟られ ることなく要請に応じる素振りをした。そして、極秘のうちに技術力を高めた。 これによって神農は大きな富を中原にもたらすことに成功した。 32年、湖畔神娘は湖畔と中原を統合統治するべく全権を神農に委ねて湖畔を 任せた。しかし、この神娘の行動に何かの策があるのではと思い、しばらくの間 静観を決め込んだ。 そして、神娘の湖畔を統合することで、いわば神娘が神農の傘下に入ることで 神娘の知略と内政を上回ったとも言われている。しかし、その実は、まだまだ神 娘には及ばず、傘下になった神娘からは多くの進言、助言、諫言を受け、中原の 発展に向かっていった。 | ||||||||||||||||||||||||||
神祭 中原(3-38) | 神長子の長女。 17年、父の神長子没後、主のいない平原を妹神稷と共に治めた。 20年、従来の平原の政策と大きく異なる中原の政策を用いたため、それに異 を唱えた治者と対立した。 中原が平原を吸収した後、平原の北部を北海に敗れた東山の二見が占拠してお り、その討伐を行った。しかし、東山の古参将的矢と勇者の子勇子によって阻ま れ、平原陥落には数年を要した。 38年、全兵力をもって平原を攻略に出たが、その時、北海領主孫亮も平原に 全軍を率いて征圧をもくろみ、互いにぶつかり合った。副将であった闘心と、北 海の将魯封の妻魯零が一騎討ちを行い、闘心が魯零を討ち取った。大いに怒った 魯封は闘心に討ちかかったが、武将の呂音が闘心に代って闘って敗れ捕えられた。 魯封はさらに神祭に挑んだ。神祭は怒った魯封に押されて討たれた。 この闘いで魯封の名声が飛躍したと同時に中原に大きな衝撃を与え、中原は中 核を失った。 神子の子とは許婚であり、15年に婚儀を結んでいたがその矢先に神子の子が 他界しており、その後、夫を迎えなかったが、平原と中原の統合の際、治者と婚 儀を行い、中原と平原を一つにまとめようとしたが、結局まとまらず、婚儀も形 だけのものとなった。 | ||||||||||||||||||||||||||
神稷 中原(5-) | 神長子の次女。 17年、父の神長子没後、主のいない平原を姉と共に治めた。 33年、聖地領主神末子の長子、神楽との婚儀を取り行ない、その後、神楽と 共に聖地に赴いて聖地に住んだ。 37年、長子神音が生まれた。 39年、長女神奏が生まれた。 | ||||||||||||||||||||||||||
大和 湖畔(0-48) | 神娘の長子。主に卜占官として情報、人物評などを請け負った。 21年、希と結ばれた。 22年、長子大地が生まれた。 23年、深森に猛者討伐兵を率い、猛者と対峙して討ち破った。 25年、長女蘭娘が生まれた。 32年、湖畔が中原に統合されるとそれに従った。 38年、中原の平原進軍に従った。その際、北海も平原に進軍しており、中原、 平原、北海の大混戦となった。 48年、入江の平原攻略の際、平原を防備していたが、圭明の「火牛の計」に よって平原を壊滅させられ、落命した。帝都より光土が援軍に駆けつけるが間に 合わず、光土は陥落した平原で入江軍と戦い、引き分けて兵を退いた。 母、神娘は大和が死んだことを聞いて大いに悲しんだ。 | ||||||||||||||||||||||||||
大地(22-) 湖畔 | 大和の子。 32年、湖畔が中原に統合されるとそれに従った。 38年、中原の平原進軍に従った。その際、北海も平原に進軍しており、中原、 平原、北海の大混戦となった。北海本陣孫亮率いる軍勢に大敗した。 48年、父大和の死によって、父の影から本格的に表舞台に立って活躍するこ とになった。その才能は父をも超えていると神農は称賛した。 | ||||||||||||||||||||||||||
治者 平原(-13-33) | 神子四天王の一人。農耕に秀でており、神子領の豊さは彼がまかなっていた。 15年、神子没後、混乱する平原を他国には平静を装わせて内情を隠して混乱 に乗じて反乱する他勢力を大いに抑制した。 17年、神長子の長女神祭と次女神稷が平原を治めるとそれに従った。 平原と中原の統合の際、神祭と婚儀を行い、中原と平原を一つにまとめようと したが、結局まとまらず、婚儀も形だけのものとなった。 20年、神祭の政策が従来の平原の政策と大きく異なり、それに見かねて神祭 と対立した。 26年、重い病に陥り、動くことができなくなったが、内務は取り行なった。 内務の治者、軍務の勇者にそれぞれ分担するも、次第に両者疎遠になっていった。 30年、勇者の中流攻めの際、盟主であったはずの湖畔軍に攻められ、湖畔神 娘長子の大和に捕えられた。 32年、湖畔が中原に統合されるとそれに従った。 33年、中原との統合後、旧湖畔将の処遇が保留になっている間に、治者が病 床で、神娘、大和、美土里に言った。 「我が天命は既に尽きていたはず。ここまで生き長らえたことは、まさに天を動 かしたのかもしれぬ。亡き神子様に仕えた頃は、内務の治者、戦略の智者、軍務 の勇者、武勇の猛者と全く異質な力の4人がうまく噛み合っていたのも、神子様 が微妙に調整していたからであろう。いや、神子様が全てをうまく動かしていた のだろう。我らはその能力に秀でており、それゆえに主亡き後、己の力で平原を 動かしていた。しかし、4人は己の弱い部分を補い合わず、強い部分を前面に出 して進んでいった。真に残念なことである。我が唯一の無念は、備蓄を増やし、 それを用いて領内の生産力を向上させることができなかったこと。膨大な兵を雇 用していたため、みなはそれを解雇することを惜しんだことだ。その点、中原は 見事なものよ。ほとんどの兵を解雇し、技術向上に力を入れたのだから・・・。 神娘殿、貴殿ならば、できただろうか。」 治者はさらに続けた。 「思えば、平原に仕官した時、私は新たなる農作物の収穫に成功した。この功績 は大きいと神子様から大いにお褒め頂いた。我が才能は神農を遥かにしのいでお る。神娘殿、あなたの子、大和はあなたの才に隠れてしまい、あまり大きく見え ぬよう。中原領主神農に劣ることもないのに・・・。どうかな、我が治の力を大 和に引き継がせてみないか・・・。それから辺境の治者美土里・・・。この2人 に我が意志を伝えておこう。」 その後数日間、大和と美土里は治者の元におり治者の内務技術を学んだ。 その後、治者は静かに息を引き取った。享年46才。 | ||||||||||||||||||||||||||
猛者 平原(-15-28) | 神子四天王の一人。力においては無敵。その存在だけで敵軍は恐怖した。 大将勇者、副将猛者で率いられる部隊はまさに神軍の名に相応しい。 15年、神子部隊の副将として神子とともに中流に攻め入ったが、神子の軍を 押し止めて敗北に導いた。そして、湖畔へ敗走する神子の刺客となって神子を討 ちとった。その後、落ち武者を装って深森に入り、深森君主美土里を監禁して深 森を手中に治めた。 20年、美土里との間に子が産まれたが知る由もなかった。 23年、湖畔の猛者討伐によって深森で激戦を繰り広げ、神娘の長子大和の部 隊と戦い敗れた。猛者の敗北はこれが初めてであった。 28年、神娘に 「猛者よ。待たせたな。考えは変わらぬのであろう?猛者を軍令をもって処分を 決定する。湖畔3条、主への裏切りは死罪。異存なし!!武人として、名を馳せ た猛者よ。最後の礼儀をもって、御前の遺族の生活は保証する。また、神子の墓 と共に葬ってくれる。詫びを入れるなり、勝負を挑むなり、聖地において、行う がよい。刑を執行せよ!!」 と、湖畔の獄で極秘の内に刑を執行された。結局、彼が生きていた事を知って いた者はほとんど皆無であり、また今死んだ事を知っているものも皆無であった。 本当に死んだのか?それは神娘と、執行者だけが知っていた。彼の死体を見たも のは・・・・・・・いない。 |
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