52年ぶりといわれる「書の至宝」展、昨年案内状が送られて来た時から見たいと思っていた。
今回は 中国から入ってきた書が日本の書としてどのように変わってきたかが判りやすく展示された素晴らしい展覧会だった。

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2006年1月31日5時20分近鉄郡山駅から始発電車に乗って 
出発。新幹線は自由席、一人旅の気楽さで好きな時間に好きな
列車に乗り込み 上野に着いた時は会場の東京国立博物館の
開場時間には まだ少々早かった。
3~40年前にはよく行った公園もあまり変わっていない。辺りを
ブラブラ 散策して少し早めに博物館の前へ行くと もう2,30人
の人が並んでいた。開場時間には6,70人も居ただろうか。
さすが 東京は人が多い。なんて田舎者みたいに感心しながら
入場した。
会場は平成館。平成になってから出来た建物かな と思いながら
そういえば 最近行ってないなぁ、ひとり色んなことを考えながら
エスカレーターで会場へ上がった。

最初に見たものは 商(殷)代の甲骨
上海博物館蔵のものだそうで 会期中
ずっと展示されているようだ。
青銅器も同じく上海博物館蔵である。
そして石鼓文 今回は丁度この日から
入れ替わった中権本であった。
泰山刻石曹全碑などの展示で 文字の
始まり、字体の変遷が解るようになって
いた。
次に 王羲之とその周辺というコーナーであったが 淳化閣帖集王聖教序蘭亭序などの展示はあったが、
喪乱帖、十七帖の展示は残念ながら終わっていた。
次ぎのコーナーは楷書表現の完成ということであるが九成宮醴泉銘、孔子廟堂碑、などがなく残念でした。
第4章 主観主義の確立では 沈遼の行書動止帖の流水紋の料紙、蘇軾兄弟の祭黄幾道文巻や米芾
等々特に印象に残った。
第6章 奈良時代から平安時代初期の風信帖に見とれる人が多かった。
伊都内親王願文を見ていた時、横に居られた方が「浜松の三ケ日に
この碑があること、逸勢神社があること」など話されていた。
類の無い名筆といわれているこの書にある朱色の手形は 内親王の手形で
25箇所捺されている。古いモノクロの法帖では判り難かったがはっきり見る
ことが出来、感激であった。私が想像していたより墨は薄く感じた。
願文は山階寺へ 天長10年(833)懇田16町、荘、畠などを香燈読経料と
して寄進した時のものだそうです。




第7章 平安中期には 道風、佐理、行成や秋萩帖など
そして 平安中期から後期に入り継色紙、寸松庵色紙、升色紙の3色紙や
高野切は この日からの展示であった。
毎週ページ換えされている元永本古今和歌集が陳列ケースの中にあり、
その美しい和製の唐紙を見ることが出来た。
      
鎌倉時代から室町時代、中国の明・清 何紹基、王鐸、傳山などは終わっていたが、祝允明の草書赤壁賦巻が印象的だった。
寛永の三筆と唐様では 屏風が多く見応えがあった。特に良寛さん自詠の漢詩「詩書屏風」の人を包み込むような緩やかな草書体と その空間の素晴らしさに見入った。3,300年前の甲骨から 漢字の辿ってきた歴史が一つの会場で堪能できる素晴らしい展覧会であった。大急ぎの旅ではあったが 有意義で素晴らしい一日でした。
 
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書の至宝ー日本と中国ー