北大路魯山人は 明治16年京都上賀茂神社の社家北大路家の次男として生まれ 25歳の時、朝鮮・中国に渡り、篆刻を習ったり古銘碑や古美術などを見て歩き、帰国後、東京で書と篆刻の商いを始めました。大正2年30歳の時長浜に紙文具商河路豊吉を訪ねたことから北陸路放浪生活がはじまり、金沢で細野燕台に、長浜で河路豊吉に才能を見出されたり人脈に恵まれたようです。
先日私が訪れた長浜で 年4回一般公開されている安藤家の小蘭亭は6畳ほどの広さで後ろの蔵から物を出して人に見せたりする時に使っていた部屋のようでしたが、当時福田大観と名のっていた魯山人が逗留中に残した数々の作品は素晴らしいもので 1時間ほども見入ってしまいました。

安藤家玄関先
長浜市街地の中心部北国街道に面した所にある
古翠園から小蘭亭を
後ろの蔵と接続した離れ家
渡り廊下
小蘭亭への渡り廊下
  

                              




                 「パンフレット」より
                 −小蘭亭内部は撮影禁止ー
      
小蘭亭入り口に掛かる看板 入り口に彫られた「蘭亭序」
お馴染の蘭亭序もこうして見ると良いですね〜
大正乙己初夏北大路魯卿臨書并刻とあった
               
小蘭亭=天井絵を含む全体=
真ん中の電灯はご当家のご主人らが6面に月をテーマに
絵や文字を書かれたもので、中唐の渭南県尉・秘書丞・侍御史を暦官した王建の七言絶句「十五夜望月」が書かれていたのが印象的でした。
  中庭地白樹棲鴉 冷露無聲湿桂花
  今夜月明人盡望 不知秋思在誰家
 ふすま=長楽未央・千秋万歳=
左写真の右側にある襖に描かれている。この字の迫力も然る物ながら「天」「朗」「氣」「清」の一文字づつを木に彫られた引手が又また素晴らしい!入り口の襖の引手には「是」「日也」と彫られていた。
       
「呉服」の看板
幅4m17cm 高さ98cm、厚み9cmの大きな看板で全体を一度に写せなかったので2枚に分けて撮影、ケヤキの一枚板で明治初期から福島で絹糸紡績の製造と呉服屋を営んでいた時 掲げられていたもの。
「清閑」
呉服の看板と共に二間続きの奥座敷に常設展示されている。大正5年・魯山人の作
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小蘭亭と魯山人