2002年7月〜8月 |
昨日と先週の「コスモス」を見ていて、今の円谷プロのあまりの安易さにもう開いた口がふさがらないどころか怒りさえ感じたな。
いったい、何度、ニセモノを出せば気がすむの!?....この前の総集編を除いても、これで3回目じゃあないの!(1回目はオカルト女子大生の回、2回目は第4クールの始め) しかも、そのニセモノで2週も引っ張るなんて! ストーリーも脚本も演出(本編・特撮共)もお粗末そのものだったし。
で、この前の総集編から推察すると、最終回前話に更に....またまた4回目の登場をするわけでしょ!?
もーーーウンザリ。視聴者を馬鹿にするにもほどがある。いくらメイン視聴者が(洞察力がまだ発達していない)幼児だからって、いいかげんな物を、子供だましな物を作って良いと言うことはない。かつて円谷英二御大とか小林昭二さんは「子供向けだからこそ、本物を作らなければいけない」と言ってたと思う。
そのくせ「コスモス」ってのは時々、妙に小難しい理屈っぽい話があって、幼児向けなのか大人向けなのかさっぱり分からないし。
でも幼児でも見抜くと思うけどな....いいかげんな物は。
私、「ウルトラマン」の本放送時は小学1年生でしたけど、ピグモンがガラモンそのものな事やジラースがゴジラそのものな事には『いいかげんだな』と思いましたもの。まあ、それを補って余りある物が「ウルトラマン」には有りましたけどね(「コスモス」にはそれが無い)。
その他にも小学2年生の時に放送されていた「ジャイアントロボ」で、1度登場して倒された怪獣が必ずもう1度出てくる点も『手抜きだな』と思いましたし、「ウルトラマン」と同時期に放送されていた「マグマ大使」でも、1匹の怪獣で4週も引っ張る事も『手抜きだな』と思いましたもの。
そもそも、ニセモノネタというのは安易な物なんですよ。でも、にせウルトラマンとにせウルトラセブンはそれなりに必然性が感じられたし娯楽性が有った。
1970年代の第2期シリーズについて、私が一応感心しているのは、ニセモノを安易に登場させなかった事。せいぜい、Aロボットとにせアストラくらいで、その登場もまたそれなりに必然性が感じられた。
だが、平成シリーズに入って、毎シリーズ必ず登場するニセモノは最早、円谷プロの安易さ・手抜き以外の何物でもない。
それでも、にせティガは一応は必然性も感じられたけど、にせダイナ、にせガイア、更にはにせアグルまで登場させるご丁寧さ(笑)には何の必然性も感じられない。そして挙句の果てに今回の「コスモス」ではニセモノが4回も登場(しかもその内2回は、前後編)....あ〜〜もうヤダヤダ。
かつて「僕でもタロウの脚本は書ける」と言われたそうですけど、昨日と先週の「コスモス」なんてのはまさしく「僕でもコスモスの脚本は書ける」ですよね。
私、「コスモス」って放送当初は『面白い』と思ってたんですよ。怪獣もそれなりに丁寧に描かれてたし、コスモスも強く描かれてたし。
でも、第1クールを過ぎたあたりから早くも息切れが見え始め、その後はもういつも通りの(というか「ミラーマン」以降の作品に共通の)円谷プロお得意の“ベルトコンベヤー式お手軽週間怪獣番組”に成り下がってしまい、そして今回止めを刺したのが今シリーズ実に3回目にもなる(しかもこの後4回目もある)ニセモノネタ。
まあね、“ベルトコンベヤー式お手軽週間怪獣番組”を作り続けるのは勝手だけど、そんな番組にはもう“ウルトラマン”という栄誉ある名前を冠しないでほしいね。今回の番組だって「ウルトラマンコスモス」じゃなくて「コスモスマン」で良いんですよ。
もう私は、今回の「コスモス」の安易なニセモノネタで完全に愛想尽かしたというかキレちゃいました。まあ既に、去年の8月でもって35年来の円谷プロのファンは辞めてたんですけどね(それは「コスモス」とは関係なかったんですが)。
ただし、「Q」「マン」「セブン」「怪奇大作戦」(そしてかろうじて)「帰りマン」などの“過去の偉大な作品群”はこれからも変わらず愛し続けますが....。
平成ゴジラ思い入れシリーズ。第10弾の本日は今継続中の新シリーズの第3作であり現時点での最新作である、2001年(平成13年)公開の「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」。
先日(8月2日)ビデオレンタル解禁になりましたので、この週末は私、この作品をレンタルしてきて、そして7ヶ月ぶりに再見しました。
この7ヶ月間で、何人かの人々のこの作品に対する意見(肯定的、否定的含めて)を見聞きしてきましたので、今回再見して、映画館で見た時には気付かなかったこの作品の長所もいくらか見えたような気がしました。
その長所は....上手く言えないんですけど....日常生活の中に突然怪獣が現われたら、人々がどのようにパニックに陥るかが、他の作品よりもリアルに丁寧に描かれてるのかな....と思った。(平成ガメラもそうだったのかな?....あまり感じなかったけど。でもまた見ておこ ^_^)
例えば、逃げ惑う群衆の描写....魚をひっくり返して逃げる魚河岸さん(個人的には、人間の食料になる為に命を落とした魚さんに失礼だと思うんだけど)などかなり迫真の描写もいくつか見られたし、逃げる群衆を空から撮った(ゴジラの目線?)カットも『なるほど!』と思った。
ただね、リアルであればあるほど今度はトコトン追求してしまうものでして、悲しいかなやはり所詮素人エキストラ....全く無表情でただ走っているだけの人も何人か見られたのは少し残念でしたけどね。それと例えば、前を走る人を押しのけて逃げるような人が居ても面白かったんじゃないかな、とかネ。
タクシーのフロントガラスや病院の窓から見えるゴジラとかロープウエイの窓から見えるバラゴン等のアイディアも素晴らしいし、とにかく人間の目線で怪獣の巨大さ・恐ろしさが上手く描けていると思った。
更には、ゴジラ対バラゴン戦で逃げ惑う人々の上に岩が落ちてくるシーンは凄いし、民宿の女将さんの上に茶椀や皿が落ちてくるシーンとかロープウエイの駅で主役カップルの上に落ちてくる瓦礫とか、とにかく人の上に物が落ちてくるシーンが迫真で、この点もまた怪獣の恐ろしさ・強大さが上手く表現されていると思う。
その意味では、公開直後の新聞に「ゴジラシリーズでも屈指の作品だ」と書かれていた所以が判った気もした。怪獣映画の原点と言える「怖い怪獣映画」としてはかなり完成度の高いものだと、今回再見して感じたし、平成ガメラで絶賛を受けた監督だけの事はあると一応は思った。
ただ、反戦テーマに関しては....込められていたのかどうか知らないけど....これはあまり説得力が無かったな、本多−円谷時代のそう言った何本かの作品や「超兵器R1号」に比べるとね。残留思念がゴジラに憑依して日本を襲う理由付けも苦しいものばかり。別に「霊には、理屈なんて通用しない」で良いんじゃないの?(^_^)。
それと、バラゴン絡みのシーンが素晴らしい。暴走族が地蔵の首をはねると、山が揺れて(夜の山や森ってなにか怖いんだよね....この点もムード満点)唸り声が聞こえ、トンネルが崩れそして顔を少し見せるファーストシーン。その後、留置所に初めて全身を現すシーン、森を歩くシーン、先述のロープウエイのシーン、逃げ惑う人々の後ろで地底に潜るシーン....どれもかなり良い。
ゴジラの前兆シーンや登場シーンもモスラ幼虫の初登場シーンも、盛り上げ方そのものは良いと思う。いかにも怖そうに描けていて。
『この監督が撮りたかったゴジラ映画って、こういう物だったのかなぁ』と感じましたネ。ただし、私の好きなタイプの怪獣映画ではないんですけど....これはまた後で。
そうそう、この監督は「今度の白目のゴジラは子供が怖がるだろうと思ったのに、ちっとも怖がらない」と言ってたけど、でも映画館で私の3つほど隣の席に座ってた子供が「怖い」と言って吐いてましたよ。おかげで映画見てる間中クサイクサイ(笑)。
ただし、ここまで好意的な事ばかり述べてきたけど、ゴジラ対バラゴンが終わって以降は....目を奪われるようなシーンは殆ど無かったし、やはり映画館で見た時と同様、重苦しいだけであまり面白くなかった。
ゴジラ対バラゴン自体もあのように小さい怪獣をいたぶるのは面白くないし、「ゴジラを目指して進んでます」という怪獣映画の醍醐味であるセリフも、これだけサイズが違うと勝敗は目に見えてるのであまりゾクゾクしないし(そこが、キングコング対ゴジラとかアボラス対バニラと違う所)。
それと、なんと言ってもこの作品の1番不満な点は....これまで本HP上で何度も言ってきましたけど....モスラの描き方が(私に言わせると)あまりにもいいかげんな事。ただ単にゴジラと戦うためだけに現れてそして砕け散ってしまって....これでは単なるやられ役の消耗品怪獣。
私は、1961年版「モスラ」のラストで帰ってきたモスラと小美人を迎えて歓喜に沸くインファント島の人々の姿が凄く印象的なんです。それと平成モスラシリーズでも、帰っていくモスラを憧れと感謝の目で見送る子供の姿も....いずれも爽やかな音楽に乗って。モスラってそんな無垢な人々に喜びをもたらす爽やかな後味を残す怪獣なんです。
モスラは常に2人の小美人と「モスラの歌」を伴わなければいけないとまでは言わない。ですが、少なくともこの爽やかな後味は大切にしてほしかった。なのに....ただ戦うためだけに現われ、羽に火をつけられて挙句に砕け散らせるなんて。
ギドラの描き方も不満。こちらもただ単にゴジラと戦うためだけに現れてそして砕け散ってしまって....それ以外の物が何も無いし、しかもこちらは砕け散った後に破片までバラバラと落ちてくる汚らしさ。“強大で美しいギドラ”というイメージはここには全く無い。
ゴジラだって、“怖いゴジラ”というよりも“気持ち悪いゴジラ”“おぞましいゴジラ”と言う感じで....良いとは思わない。最後、心臓にしてしまうグロテスクさにも....絶句!
つまり、この「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」という作品は、「怪獣とは“人間にとって”いかなる脅威か」という視点に偏りすぎて、「怪獣そのものの魅力」そして「怪獣美」というものには無頓着な作品だと感じるし、延いては「怪獣への愛」が(私には)あまり感じられない。そこが、先に述べた「私の好きなタイプの怪獣映画ではない」の所以。
例えば私はモスラに関しては、1961年版「モスラ」の成虫の美しさ(姿・動き共)には感動すら覚えるし、「モスラ対ゴジラ」での昆虫的な動きには今でも(「ジュラシックパーク」などを見た後でも)感心させられる。
キングギドラに関しては、例えば「地球最大の決戦」「怪獣大戦争」での、巨大な翼を広げてあたりを睥睨する姿の圧倒的な存在感や美しさは、善悪を超えたえも言われぬ魅力を発散している。
ゴジラに関しても、例えば「モスラ対ゴジラ」の地中から現われて土を振い落すシーンのあの質感や「キングコング対ゴジラ」の軍事基地を壊すシーンのあの強さとカッコよさ。
これらは全て、「怪獣美」と言っても良いでしょう。
例えば、動物園でライオンを見る時、皆さんはオスライオンとメスライオンとどちらを見ますか?....大方の人は立派な鬣を生やしたオスライオンの方でしょ? これだって言わば「動物美」でして、大方の人は動物美に惹かれるわけですよね。
私は、怪獣映画の魅力の一つに“怪獣美を楽しむ事”があると思うし、私にとってはそれが1番重要な要素。その怪獣美を形作るものは、先ず第一に造形、そして次に怪獣を如何に強くカッコよくしかも動物としてリアルに描くかだと思う。
その意味では、この作品は上述のように「“人間にとって”の怪獣の脅威」は上手く描けているとは思いますが、「怪獣自体の魅力」や「怪獣美」に関しては上手く描けているとは思えない。先ずは造形が決して良いとは言えない、技術というよりもセンスがね。ゴジラもハッキリ言ってブサイク(笑)ですし、この点は前作「Xメガギラス」の方がまだマシ。
という事で、この作品に点数を付けるとするならば....☆☆☆1/2 (☆☆☆☆☆満点)。
「ゴジラVSデストロイア」とか「モスラ3 キングギドラ来襲」に☆☆☆☆1/2を点けてるのに何故!? とお怒りの声も聞こえてきそうですが....でもそれが私のシュミだから仕方ない(^_^)。そもそも絶対論なんて世の中に存在しないんだから。
ところで、「自分の仕事に誇りをもっている由里が・・・云々」という監督や主演女優の言葉に関しては....私は「これは違う」と思う。
例えば、由里と彼女を引きとめようとした防衛隊の人の所にモスラが吹っ飛んできたシーンが有ったでしょ。もしもあの時、あの防衛隊の人が命を落としたら、いったいどう申し開きするつもりなの、由里は?....もしもあの防衛隊の人に小さいお子さんでもいたとしたら。
そもそもが、由里は「世間を、アッ!と言わる仕事をしたい」などと言ってたけど....でも、世間一般の人々の殆どは(勿論男性も)、世間をアッと言わせられない地味で面白くもない、しかも好きでもない仕事を我慢して歯を食いしばって続けてるんですよ、何十年も。
その中には例えば....頭髪が薄くなってしまって本当は人前に出たくも無い(できれば世捨て人になりたい)のに、家のローンとか子供の教育費等の為に、つらいのを我慢して会社に行き続けている中年のお父さんもいるんです。自分の若くてカッコ良かった頃の姿を知られている会社の人たちに、自分の衰えてしまった容姿をさらすのは凄く辛いそうですよ。
それから例えば....この平成大不況で最近、私の近所でも次々に長年馴染んできたお店が潰れていってるんです。その人たちって世間をアッと言わせられない地味な仕事をコツコツと長年続けてきて、それでもその仕事や店を奪われてしまったんです。『あの人たち、これから大丈夫だろうか?』って考えると胸が痛んでしまいますよ。
“仕事”っていうのは、こういう地味で辛くて悲しいものなんですよ。
「世間を、アッ!と言わせたい」などという卑しい目的・欲望の為に、他人まで危険な目にあわせる、あのような無謀な行為を、「自分の仕事に誇りをもっている」などと美化するのは間違っている....と私は声を大にして言いたいですし、あんな事がこの作品の(人間ドラマとしての)付加価値だとは全然思わない。別にこういうフィクション映画のあら捜しをするつもりじゃあないけどね。
例えば「モスラ3 キングギドラ来襲」で、弟や妹を助ける為に恐怖を乗り越えてキングギドラのドームに入っていった翔太少年の方がずっといいです、私には。
それから最後になりますが、この作品の動員250万人(公称)はけっして楽観していられる数字ではないですよね。だってモスラとキングギドラという黄門の印籠を2つも同時に出したわけだし、それに「ハム太郎」との併映で、それでもこの程度の数字ですもの。実際私が見に行った日は「ハム太郎」の方が客の入りは良かったですもん。ま、時間帯にもよりますが。
これからがタイヘンですよ....ホント。
「宇宙船」の最新号、ちょっと立ち読みしたんだけど、今年の暮公開の「ゴジラXメカゴジラ」ってどうやら、登場怪獣はゴジラとメカゴジラの2匹だけみたいだね??
脚本家の方の話では、『去年が4匹も出たので今年はシンプルにしたかった』との事だけど....う〜〜〜んっ、それってちょっと寂しいなぁ。ゴジラ対メカゴジラという企画自体が最早新鮮味に欠けるものだし、3匹目の怪獣がどう絡むかが、今度の見所だと思ってたのに....。
そもそもが最初の1974年の「ゴジラ対メカゴジラ」からして、第3の怪獣キングシーサーがストーリーの重要な鍵を握っていたもんね。それに1993年の「ゴジラVSメカゴジラ」もまた、第3,第4の怪獣のラドン、ベビーゴジラが重要な鍵だったし。
わたし的には、前作「GMK大怪獣総攻撃」に当初キャスティング(?)されてた、アンギラスかバランが出れば良いのにな....と思ってたんだけどね。勿論、新怪獣が1番良いんだけど。
例えば、アンギラスが今度はアンキロサウルスそのものの、硬い装甲に覆われて、そして尻尾の先のハンマーでゴジラやメカゴジラを苦しめる....なんてのも面白いかな、なんて思ってたんだけど。
でもその代わりに、松井が出るって?....近鉄ファンの私には関係ないね。ローズでも出るんなら別だけど。
まあでも、単純に“たくさん出れば良い”ってもんでもないけどネ。
例えば、ナントカマンが(ゴキブリみたいに)28匹も、うじゃうじゃ出てくる
−−−オリジナルの“ナントカマン”という素晴らしいキャラクターが元来持っていた
神秘性,神々しさ,貫禄,迫力,凄み,強さなどの素晴らしい諸要素を全て台無しにしてしまう−−−
幼児受けだけを狙った映画よりはマシな物にはなるだろうけどね。
でもやっぱり、ゴジラとメカゴジラの2匹だけというのは....やっぱり寂しい。
今、千葉の幕張メッセでは、「世界最大の恐竜博 2002」というのが催されておりますが、残念ながら関西に住んでおりしかも当分は関東方面に行く機会も時間もそしてお金も無い私は、残念ながらこれには行く事が出来ないと思います。
だけど、私のお膝元の関西でも、大阪のATCホールで「恐竜大陸 2002」というのをやってるんですよ。
(詳細は、こちらをどうぞ : http://www.dino-atc.jp/ )
で、実は私、これに行ってまいりました。
入っていきなり、「スタン」という名のティラノサウルスの全身骨格標本が迎えてくれたのが圧巻だったね。いや〜〜〜、やっぱりティラノはカッコいい! ところで、この「スタン」ってあのBHI-3033の「スタン」なの?....だとしたらこれはオスだよね?。
全長12mということだけど、ティラノってメスの方が大きいらしいですよね。だったらかなり大きなオスってことになるのかな? 尻尾がかなり長かった印象だったけど、尾骨を数えたら40個余りあったみたいだったね。骨の数、水増しされてはいないよ....ネ?
その後、恐竜ロボットが7種類、迎えてくれたけど、その中ではティラノのロボットの動きが素晴らしかったなぁ。ちなみに、このティラノの子供ロボットには羽毛が生えてたけど。
でも、これを見ていて、確かに恐竜ロボットも面白いし好きなんだけど、もしも「ウルトラマン」に登場した怪獣たち−−−−例えば、ゴモラ、レッドキング、アントラー、ベムラー、ネロンガなどなど−−−−のオリジナル着ぐるみそのまんまの造形で、リアルに動くロボットが目の前に有ればどんなに楽しいだろうなぁ....とも思ったね。
楽しめることは楽しめる恐竜博だったけど、ただ標本数が少なかったのは残念だったなぁ。
実は、この同じ大阪ATCホールでは8年前の1994年にも「世界最大の恐竜博」というのが催されて、私もそれを見に行ったんだけど、標本数が今回の「恐竜大陸 2002」とは比較にならないくらい多かったな。全身骨格だけでも、マメンチサウルス、パキリノサウルス(数体)、シンラプトル、ティラノサウルス(「ブラックビューティー」)....その他多数。
めぼしい物は幕張に取られたのか?、あるいは、関西経済の地盤沈下の表れか?....ただまあそれでも、久しぶりに(少しでも)大掛かりな恐竜博を催してくれた事はありがたかったし、これからも希望が持てそうだけどね。
平成ゴジラ思い入れシリーズ。第9弾の本日は今継続中の新シリーズの第2作、2000年(平成12年)公開の「ゴジラXメガギラス G消滅作戦」。
これは前作と違い、世間からもおおむね好意的に受け入れられたようですね。その1番の理由は....私が感じる所では....メガギラスの昆虫・トンボとしての特質(卵→幼虫→羽化→成虫→怪獣化)がちゃんと段取りを踏んでわりと丁寧にリアルに描かれていたからじゃあないかなぁ?
それと(前作と違い)まあ単純に見ていて楽しいしテンポも良くて活気があるし、ゴジラ、メガギラス、ディメンションタイド(人間側ドラマ)が程好くほぼ均等に時分割されて描かれていった点−−−かつての東宝怪獣映画を髣髴させる−−−もオールドファンに好感を持たれたんじゃあないかなぁ?
手塚監督って、怪獣少年がそのまま大人になって監督になっちゃったって感じのかたですね。いかにもそんな監督の作品って感じで、私もわりと共感を感じる空気が漂っている作品ですね。
特撮も印象的なシーンがわりと有る。1番はやはり、奇岩島でのゴジラとメガニューラの大群との戦いのシーン。体にまとわりついたメガニューラを潰そうと体を反転させて尻尾を岩にぶつけるシーンなどは動物的な躍動感・瞬発力がよく表現されているし、ゴジラの横向きショットが奇麗に画面に収まっていてシネスコの横長画面がよく生かされてると思うし、顔の近くに飛んできたメガニューラを噛み潰すシーンも上手く撮れてるなと思う。
こういう大群はこの4年前に「ガメラ2」の群隊レギオンが有ったけど、あれはナイトシーンの中に真っ黒な群隊レギオンで、ディテールがよく見えなかった。でも、この作品のメガニューラ大群は青空の下、ディテールも判るので当然こちらの方が私は好きだな。まあ、4年の違いがあると言えばそれまでだけど。
その他にも、桐子に背中に乗られて後ろを振り返るシーンも上手く撮れてるし、その他にも『着ぐるみでもここまで撮れるようになったか』と思うシーンが幾つか有った。円谷時代にはギニョールに頼っていた様なシーンがね。
この作品も予備知識をあまり持たずに見に行ったので、ブラックホールにゴジラを吸収させて消滅させるなんてアホらしい作戦を聞いた時は最初笑ってしまったなぁ。いや、悪い意味でじゃあないですよ。こういうハッタリくささって、いかにも怪獣映画らしくって好感が持てるんですよ、私。星由里子さんの「もうこれしかないのよ」というセリフがなにやら東宝の苦しい事情を述べているかの様で一種自虐的でケッサクでもあったネ(^_^ )。
桐子はいちいちトゲトゲしくて、いつもピリピリしているので好きじゃあないけど、工藤の飄々としたキャラクターは良いね。星さんの存在感は流石だし、伊武さんのうさんくささも良い味。
ただ、『ここをこうすれば、もっと良くなったのになぁ』と思う様な所も沢山あるけどね。例えば、メガニューラの大群が人間を襲うシーンとか、ただ水底に寝そべって羽化する時を待っていただけの巨大ヤゴが水中から出てきてビルを破壊するシーンとか....そんなシーンを入れたらもっと面白くなったのになぁと思うけど....まあ、時間的に仕方ないか。ただ、いくら1年に1本作り続けてるからって、いつまでも「時間的に仕方ないか」のままでいてほしくないんだけどね。
それと、メガギラスのデザインは....よく言われることだけど、メガニューラとのギャップが有りすぎだなぁと私も思う。まあ、東宝にはモスラという昆虫怪獣の大スターが居るから、同じ飛行昆虫であるトンボそのもののデザインは出来なかったのかもしれないけど。ただゴジラとサシで戦うにはちと役不足な怪獣という気もするなぁ。
それと特撮の出来は全体的には良いと思うんだけど、所々でゴジラとメガギラスの縮尺がおかしくなっているのは気にはなった。
という事で、この作品に点数を付けるとするならば....☆☆☆ (☆☆☆☆☆満点)。 なかなか面白い映画だとは思うんだけど、なにかインパクトに乏しい。
ところで昨日、“円谷プロの怪獣の大量生産・大量消費は、怪獣の価値を失わせ、延いては東宝にも迷惑をかけている”と言いましたけど、少し舌足らずでしたね。
正確に言うならば、“今の円谷プロの怪獣の大量生産・大量消費は、怪獣の価値を失わせ、延いては東宝にも迷惑をかけている”、否、更に正確に言うならば、“「ミラーマン」以降の円谷プロの怪獣の大量生産・大量消費は、怪獣の価値を失わせ、延いては東宝にも迷惑をかけている”と言うべきかな。
元々「ウルトラQ」「ウルトラマン」というTV怪獣番組ってのは両刃の剣だったと思う。つまり、毎週毎週怪獣を登場させ、1年間で50匹もの怪獣を生み出す....これって怪獣好きの子供にとってはたまらなく嬉しい反面、怪獣の新鮮さを失わせる危険も有る。
ただ、「Q」「マン」は怪獣をとても丁寧に描いて怪獣の新鮮さを損なわなかった。「セブン」は怪獣に頼る以外のものを打ち出そうとしていた。そして「セブン」で一旦ウルトラシリーズを打ち切り、次の「帰りマン」まで2年半のブランクを置いたこの頃の円谷プロは本当に賢明だった。
愚かなのは「帰りマン」と並行して同じ様な怪獣物の「ミラーマン」等も作り始め、更にウルトラシリーズも延々と作り続け、昨日も述べたようにこの時期の4年間になんと300匹以上もの怪獣を大量生産・大量消費したこと。しかも(当然の如き)この時期の(造形の悪さを筆頭とする)怪獣の描き方の雑さ。“粗製濫造”と言う言葉はまさにこの時期の円谷プロの怪獣の為にある言葉。
「ティガ」から始まって今の「コスモス」まで再び延々と続く平成シリーズの怪獣も、表面上の造形の出来は悪くは無いけど、怪獣の質感−−−巨大感・動物的皮膚感・動物の持つ躍動感や瞬発力など−−−が乏しい。そこが「Q」「マン」怪獣とは大違い、造形だって「Q」「マン」怪獣にはまだまだ及ばないし。
私は、怪獣が人気を取り戻す為には、円谷プロがかつての「Q」「マン」の時の様に怪獣を丁寧に描く姿勢、即ち“怪獣スピリット”を取り戻すことが必要だと思う。なんと言ってもTVシリーズ即ち人々の目に1番触れる作品を握っているのは円谷プロなのだから。
平成ゴジラ思い入れシリーズ。第8弾の本日は今継続中の新シリーズの第1作、1999年(平成11年)公開の「ゴジラ2000 ミレニアム」。
まあ、ありとあらゆる文献・雑誌・サイトで、「失敗作」「駄作」「愚作」のレッテルをベタベタ貼りまくられ、ありとあらゆる汚い批難・怒号・罵声を浴びせられている作品だけど....私はそれほど劣悪な作品だとは思わない。ま、見ていて退屈な事は確かだけど。
ハッキリ言ってみんな冷静さを失ってヒステリックになりすぎだと思う、そして残酷にもね。自分の押さえ切れないサディズムのはけ口にこの作品をしていると....私にはそんな印象だね。
ある意味では、この作品の方が翌年以降の(もっと世評の良かった)「Xメガギラス」とか「GMK 大怪獣総攻撃」よりも新しい試みがされていて意欲が感じられるけどね。それは“宇宙からの知的生命体”の描き方。
例えば「ウルトラセブン」とか昭和ゴジラシリーズの後半作品群のように、人型の宇宙人が出て来て「我々は○○○星人だ。我々は地球を征服する」と日本語で宣言してペットの怪獣を暴れさせると言うパターン....これって、実は楽なんだよね。
でも、この作品におけるオルガってのは、知識として人間社会の情報を吸収し、体としてゴジラのDNAを得ようとしている“宇宙の知的生命体が地球に住む為の奮闘努力”がなかなか丁寧に描かれていると思うヨ。まあ、もしかしたら洋画の何かをパクってるのかもしれないけど、私はありとあらゆる洋画を見れるほど金も暇も無いからそんな比較をしてわざわざ評価を下げる事は出来ない。
そんな“宇宙からの不定形知的生命体”とゴジラを絡ませるというのはこれまでに無かった試みだし、映画として見てもそんなに違和感無く溶け込んでいると思うけどネ。
ただ勿論、欠点も有る。それは先ずはなんと言っても(上でも述べたように)平板で退屈な事。でも1回目見た時はそれ程までも感じなかったな。予備知識が無いので『次、どういう展開になるんだろう?』とワクワクしながら見れたから。でも流石に2回目以降は1時間40分ずーーーと通して見るのはしんどかったけど。そうそう、一応この作品も2回見に行きましたよ、私。
それと個人的に感じるのは、この作品って、壮絶な最期を遂げた「VSデストロイア」から4年ぶりの言わば復活作品ですよね(まあ、ゴジラジュニアとは別の個体という事でしょうが)。なのに復活するシーンが描かれなくて、ゴジラは存在する事が前提と言う世界観で始まってるってのはねぇ....やっぱり、「VSデストロイア」のラストで雄雄しく咆哮していた(だけど幻影かも知れない)ゴジラジュニアが復活するシーンから描いてほしかったね....あくまで個人的にはですが。
それと“ゴジラ予知ネット”というのもインターネット時代の幕開けの1999年に於いてタイムリーだったと思うけど、そのように一般市民の手の中に握られるというのは....なにかゴジラのスケールを小さくしてしまったと言う感じがするな。ま、欠点と言うほどではないんだろうけど。
オルガのデザインは明らかに洋画の何かのパクリって感じだね。例えば、「スターウォーズ ジェダイの復讐」の始めに出てきた怪物もこれにソックリだよね、確か? 4年ぶりの復活作品ならば、例えば「ゴジラの逆襲」のアンギラスみたいな同系統の原始怪獣的な方が良かったんじゃあないかなぁ?....意外とこういう対戦相手って少ないんだよね。
ゴジラのデザイン・造形はなんだか下品になったって感じ。背びれは大袈裟すぎると私も思うし、首まで裂けたデカ過ぎる口も感心しないし、上半身が大きすぎるのに下半身が貧弱気味なプロポーションも。でもまあ、恐竜とも爬虫類とも哺乳類とも得体の知れない「ゴジラ1984」よりもずっと良いと思うけどね、まだ爬虫類らしさが有るだけ。
という事で、この作品に点数を付けるとするならば....☆☆1/2 (☆☆☆☆☆満点)。
ところで、この作品の不入り(200万人以下)は東宝にとって意外というかショックだったようですね。次の「Xメガギラス」もまた(公称130万人)。この前の「GMK 大怪獣総攻撃」の250万人も諸条件を考えると手放しで喜べるほどの数字ではないし。
かつて1992〜1995年の「VSモスラ」〜「VSデストロイア」までの4作品は、420、380、340、400万人という大ヒット続きだったのに、この新ゴジラシリーズの思いがけない不人気。
私はこの原因の1つは円谷プロに有ると思う。つまり(「VSデストロイア」の翌年の)1996年の「ティガ」から始まった平成ウルトラシリーズ。「ティガ」「ダイナ」「ガイア」で3年間で大雑把に数えて150匹もの怪獣を大量生産・大量消費したわけですもん。それで子供達も“怪獣に食傷気味”平たく言えば“怪獣に飽きた”のでは?....と思うんですよ。
実はその前例も思いつくんです。1971〜1974年まで円谷プロが作り続けた「帰りマン」〜「レオ」までの第2期ウルトラシリーズと更に並行して作っていた「ミラーマン」「ジャンボーグA」「ファイヤーマン」等。この4年間で大雑把に数えても350匹もの怪獣を大量生産・大量消費したわけですもん。で、その時期のゴジラシリーズ(「へドラ」〜「メカゴジラの逆襲」)も100万人台ばっかりでしたもんね(100万人を割った時もあった)。
私は、“円谷プロの怪獣の大量生産・大量消費は、怪獣の価値を失わせ、延いては東宝にも迷惑をかけている”と....まあ、声を大にして言いたいです....ネ。
17日にこのサロンで、
>1983年にTV(朝の番組だったと思う)で、「フランケンシュタイン対バラゴン」のメイキング
>というか撮影風景が(白黒フィルムでしたけど)放送されたのを見た事が有りましたヨ、私。
と書きましたけど、そのビデオが未だ残ってました。
1983年8月10日に放送された「酒井広のうわさのスタジオ」と言う番組の中で「帰ってきた怪獣映画のヒーローたち」という特集コーナーの中で放送されてました。
「フランケンシュタイン対バラゴン」の撮影風景自体はほんの30秒程なんですけど、円谷英二御大とフランケンシュタイン(古畑さん)が話しているシーンとかの動く映像が興味深かったです。
その他にも、この翌年に亡くなられた平田昭彦さんが、芹沢博士に扮してインタービューを受けておられる映像も興味深いですし、寂しい思いもします。
来月(8月)21日もしくは25日に発売されるこのDVD....なんでも、300分(5時間)!以上の映像特典がついた3枚組ディスクだそうな。価格は税抜き1万円。
『1万円はキツイ!』と思ってたんだけど、“映像特典 300分”なんて聞くとなァ....悩むねェ。
それにしても、かつての本多−円谷作品のメイキングシーンなんてどの作品でもいいからホント見たいなァ。「三大怪獣 地球最大の決戦」のDVDに少しだけ入ってましたけど。
以前(1986年だったと思う)ビデオで発売された「東宝特撮 未使用フィルム大全集」なんてのはDVD化されないのかなァ?
そーーー言えば、1983年にTV(朝の番組だったと思う)で、「フランケンシュタイン対バラゴン」のメイキングというか撮影風景が(白黒フィルムでしたけど)放送されたのを見た事が有りましたヨ、私。
平成モスラ思い入れシリーズ。第3弾(最終回)の本日は1998年(平成10年)公開の「モスラ3 キングギドラ来襲」。 (以降「モスラ3」と略す)
これはもう素晴らしい作品だと思うな。まさに“大団円”に相応しく、起伏に富んで楽しくて面白くてそして温かくて爽やかで。平成に作られた怪獣映画(大映・円谷・トライスター 含む)の中で現在一番好きな作品です。
平成モスラシリーズの中で唯一、2回見に行った作品ですし、今でもLDで一番よく見ますし、そしてこの作品だけは(もしメイキングシーンが満載ならば)DVDが出たら買おうと思っているんです。
まあ、欠点も無いわけではない。キングギドラを簡単に引っ張り出し過ぎじゃあないかとか、デスギドラはいったい何だったんだ?....とか。
まあでも、この平成の時代、無名の新怪獣ではなかなか興行的に成り立たせる事は困難だから仕方ないよな。平成ガメラシリーズにしたって(作品的に見れば)あれは別にガメラである必要性は無い−−−私は寧ろガメラをあんな風に描いてほしくなかった、人造怪獣にするなんて以ての外!−−−だけど興行的に成り立たせる為にはガメラしかないもんね。
タイムスリップも安易に使いすぎかも知れないけど、でもタイムスリップなんてのは最早この手の映画のソフトの1つと言って良いと思うしネ。
気弱で繊細な(しかも長男の)小学6年生の男の子(翔太君)が主役と言うのが良いね、何となく自分の子供時代と重ねられて。あまり幼すぎると感情移入しにくいところがあるし。
それと翔太君、自分の確固とした世界を持っていて...だから彼にとっては俗世間(の無神経さ)が本当にわずらわしいんだろうなァ、耐えがたいほどに....判る判る。本当に感情移入しやすい主役なんだよなァ、自分を見てるみたいで。
そんな気弱で繊細な(ちょっと大人になりかけの)男の子の冒険と成長がこの物語の骨子とも言える。
大仁田厚の父親もナカナカ良い。どちらかと言えば根性論者のイメージなのに、「おまえが学校行く気になるまで、父ちゃん待ってるからな」と大らかに見守ってあげる所が。学校・学歴だけが人生じゃあないもんね。
特筆すべきは、今回はモルとロラが別々に活躍した事。そもそも「モスラ(1996)」(以降「モスラ1」と略す)に始まったこの平成モスラシリーズに登場したエリアス姉妹は、それまでのザ・ピーナッツやコスモスと違い、ただモスラに仕えるだけでなく自分の意見をはっきり言う個性的な小美人だった。でも「モスラ1」と「モスラ2」では未だいつも行動を共にしていた。
だけど今回初めて2人が分かれて、夫々が夫々の方法で活躍した。このあたり平成モスラシリーズ3作を通してこのエリアス姉妹の成長が描かれたと言って良い。その点もまさしく大団円作品に相応しいし、上手く出来た脚本だなァと思う。
ロラは(今回代役となった)建みさとさんのほわーーっとした雰囲気がむしろ(山口さんよりも)今回の作品に合っていた。
モル役の小林恵さんはこの2年前の「モスラ1」と見比べるととても大人っぽく綺麗になっていたな、この点も本当にシリーズを通して成長したという感じ。シリーズが始まる前は宝生舞がモルの予定だったそうだけど、小林さんになって大正解だったと思う。力を使い果たして水晶状になって清水の中で眠りにつくシーンも幻想的で綺麗だった。
そんなモルと翔太君の絡みもまた見もの。以前にも言いましたけど、
「あなたは、他の人が見逃す事でもちゃんと見ている人。
だから時々、無神経な世界に耐えられなくなるんです」
と翔太君を認めてあげて励ますシーンが特に良い。翔太君が初めて心を開けた相手かも知れないしほんのりとした恋心も芽生えたかな?
では本来の主役である怪獣の方に目を転じれば....先ずはとにかく造形物の多い作品だ!
・モスラ :レインボー型、鎧型、最終型、原始モスラ幼虫(3体)...以上4種類(6体)
・キングギドラ:20世紀型、白亜紀型....以上2種類
・フェアリー & ガルガル.....以上2種類
・ティラノサウルス & トリケラトプス....以上2種類(トリケラトプスは複数体?)
ざっと挙げても10種類(12体)。1種類1体とは限らないから、実際の造形物はもっと更に多いだろう。
いや〜〜〜ホンマよう頑張ってるなァ....新造形物としてはもしかしたら1番多い怪獣映画じゃあなかろうか?
キングギドラは平成に登場した3作品(他は1991年の「ゴジラVSキングギドラ」と2001年の「GMK 大怪獣総攻撃」)の中では、この作品が一番良かった、造形もキャラクターも....まあ、子供を誘拐する点はちょっとセコイけど、でもこの作品では彼にとって一番魅力的な役どころである“誰からも操られない、宇宙のならず者”だもんね。
モスラに単独で負けるのはちょっと複雑な心境だけど....でもキングギドラが勝ち残っては話が完結しないから....まあ仕方ないよね、これがギドラの定めなんだから(笑)。
モスラは「モスラ1」で生まれたこれまで通りの幼虫が3作品を通して、グリーンモスラ→レインボーモスラ→鎧モスラ→そして最終形態と変化していったんだよね。最終形態はこれまで通りのモスラにも似た昆虫らしい蝶の様な綺麗な姿になった。紆余曲折を経て元の平和な姿に戻ったと言う感じで、このあたりもシリーズ完結に相応しく『モスラを大切にしているな』と思う。
更にこの作品でケッサクなのは....原始モスラが出てくる事。『よーーー、ここまで考え出すなァ』と感心してしまう。ホンマこの脚本を書かれた人は天才やなァ(笑)
そして颯爽と帰ってきた鎧モスラを見て翔太君のセリフ「行きは特急で、帰りは鈍行か」....良いねぇ、翔太君の頭の良さがよく現われてて。
そんなモスラとキングギドラとの戦いは、第1R「レインボーモスラVS20世紀型ギドラ」、第2R「レインボーモスラVS白亜紀型ギドラ」、第3R「鎧モスラVS20世紀型ギドラ」と3回も姿・形を変えて描かれる(ガメラ対ギャオス並の)超サービスぶり。
どちらかと言えばゴジラの引き立て役的な2匹が、ここでは思いっきり自己主張しているようで、なにか爽やかささえ感じるネ(^o^)。特に第2Rは双方死力を尽くしての白熱戦。
3回の戦いを通して空中戦が多いんだけど、この作品から昇格した鈴木監督は川北監督よりもスピード感が有るし、最初なのにこれだけの盛り沢山な内容をよく纏め上げたと誉めてあげたいですね。モスラシリーズの常である合成シーンも当然のことながら多いし。それに私と年もわりと近いし。
ティラノとトリケラが人形丸出しなのは、これはまあ(ちょっと擬人化されたこの2匹の性格と共に)ご愛嬌(^_^)。
とにかくこれまで述べましたように、ストーリーが面白いし、怪獣・人間・妖精(?)全てのキャラクターが活きているし(ベルベラは今回、中途半端かもしれないけど)、主人公に感情移入が出来るし、楽しくて温かくて、テンポも良く見せ場も多くて何度見ても飽きないし、それでいてちゃんと纏まっているし....いや〜〜〜ホント良い映画だと思うなァ。
おそらくこの作品を作っている時、東宝は既に翌年のゴジラの復活の方に心が行ってたんじゃあないかなァ? この作品は多分残務処理みたいな扱いだったんだろうけど、逆に肩の力が抜けて、それが成功したと私は思うね。
それと、1996年の「モスラ」からこの作品まで3作続いた平成モスラシリーズは....最初は全然期待していなかったんだけど、今は....『作ってくれて良かったなァ』と本当に思う。
なんと言っても子供の目線で作られたという点が大正解だった(もっとも個人的には「2」はちとしんどかったけど ^_^)。もっと続いてほしかったんだけど....でも3作で丁度良かったのかなァ。
(この「モスラ3」の)ラスト近く、事件が解決し、美しいピアノ曲に乗って草原の上を子供達が親達の元に駆け寄るシーンは本当に美しく爽やかなシーンで、それでいて『ああ〜〜、また一つシリーズが完結してしまったんだなァ』と一抹の寂しさも感じさせる印象深いシーンでもあります。
このモスラシリーズ(特にこの「モスラ3」)と1961年版「モスラ」の爽やかな印象があるからこそ、この前の「GMK 大怪獣総攻撃」に於けるモスラの消耗品的な扱いに私は我慢できなかったんですヨ。
そうそうそう言えば、この作品を見ようと思って映画館の前に来た時、ある1組のカップルが居て、男が「これ見よか?」と言ったら、女が「こんなの子供が見る映画やで」といかにもバカにしたように吐き捨てていたな(呆)。こういう子供をバカにしている女には、あまり母親になってほしくないネ。
という事で、この作品に点数を付けるとするならば....☆☆☆☆1/2 (☆☆☆☆☆満点)。
ラストのローリングクレジットは、3年間モル役で頑張ってくれた小林恵さんが声高らかに歌う楽しい曲「FUTURE」。これもまたシリーズを締めくくるのに相応しくて、スタッフが小林さんの労をねぎらってあげたという感じで、この点も本当に最後まで爽やか。私も「ごくろうさん」という言葉を贈りたいですネ。
そしてそれは同時に3年間ベルベラ役を務めた羽野晶紀さんにも....でもエライ家に嫁入りして今ごろタイヘンだろうな....(同情 ^_^)
平成モスラ思い入れシリーズ。第2弾の本日は1997年(平成9年)公開の「モスラ2 海底の大決戦」。
とは言え、この作品....あまり思い入れはないと言うか....実は映画館で見た時も今LDで見ても....ちょっとシンドイんだよね。
前回、「モスラ(1996)」(以降「モスラ1」と略す)の事を「映画館で見た時には違和感と寂しさを感じてしまった」と書きましたけど、でも見ていてしんどくはなかった。それに今はナカナカ良いと思うし。
それと、この翌年の「モスラ3 キングギドラ来襲」(以降「モスラ3」と略す)は映画館で見た時に直ぐハマってしまったし、今でも平成の怪獣映画(他社含む)の中で一番好きでよくLDで見るんです。
でも、この「モスラ2 海底の大決戦」(以降「モスラ2」と略す)だけはどうしてもハマルことが出来ないんですよね。その違いはいったい何なんだろう???
私が始めて怪獣を体験したのは「ウルトラQ」の本放送で当時は6歳でした。その後「ウルトラマン」、ゴジラシリーズ、ガメラシリーズに熱狂し、私の小学生時代はまさしく怪獣とともに有ったと言って過言ではなかったでしょう。
それから30ン年が過ぎ、私も中年になりましたが、それでも私は比較的“子供の頃の心のままに怪獣映画を見続けている”部類の人間だと思っています。
でもさすがに寄る年波からか(^_^)....“失ってしまった子供の心”もあります。
逆に上で述べましたように、“残っている子供の心”も当然有ります。
前回「モスラ1」の所で、「平成モスラシリーズは明らかに子供の目線で作られている“完全な子供向け”作品だと思う」と述べました。
それは3作とも共通していると思うんだけど....それでも私が「モスラ1」と「モスラ3」にはハマルんだけど、この「モスラ2」だけにはどうしてもハマルことが出来ない理由は........
「1」と「3」は、自分の“残っている子供の心”に合致する部分が多い作品だけど、
この「モスラ2」は、自分の“失ってしまった子供の心”に合致する部分の多い作品だ
という事にしておこうと思う。
例えば「ドラえもん」とかのアニメの大半は、子供の頃はよく見ましたけど、今は殆ど見ないというか見たいとも思わないんです。それは多分、それらのアニメ(の大半)は自分の“失ってしまった子供の心”に合致する為なのだろうと思うんです。そしてこの「モスラ2」という作品はそれらのアニメに似た作品だと....。
大人が“子供向け作品”を見る場合、ハマった場合は良いんだけどもしハマらなかった場合は、うかつに主観的評価を下してはいけない....ちゅうのが一応私のポリシーでございまして(^_^)。
ただし、この「モスラ2」を見ていた子供たちの大半までもがこの作品を酷評したとするならば、その場合はやはり“失敗作”と言わざるを得ないでしょうね。
でも、ピラミッドの上でグロッギー状態のモスラにダガーラがしつこく攻撃してくるシーンは、子供が見ても退屈だと思うんだけどなァ。
ところで、川北監督はこの「モスラ2」をもって(一応は)怪獣映画からは勇退されましたね。まあ今後復帰する可能性も無きにしも非ずですが。
最初「ゴジラVSビオランテ」(1989年)を見た時は『川北監督の特撮は素晴らしい!』と思った。それまでの中野監督には少々不満も有ったし。
ただその後「キングギドラ」「モスラ」・・・・と重ねるごとに平板さが目に付き始めてきた、円谷英二御大とは違って。特に怪獣の持つ動物的な力強さやスピード感が表現できていないと....。
まあでも、「ビオランテ」からこの「モスラ2」まで8年間・8作品も、東宝(というか日本の)怪獣映画の屋台骨を支えてこられた川北監督には素直に「ごくろうさま」とねぎらいの言葉をさしあげたいですネ。
平成ゴジラ思い入れシリーズが「ゴジラVSデストロイア」まで行ったので、今回からは平成モスラ思い入れシリーズ。第1弾の本日は1996年(平成8年)公開の「モスラ(1996)」。
これも......良い作品だと思う。1961年の「モスラ」とはまた違った感じで。ただしそれに気付くのには少し時間がかかってしまった(^_^)。
先ずこの作品、映画館で見た時には違和感と寂しさを感じてしまった。違和感としては一言で言えば『子供向けになったなァ』と感じた事、寂しさとしては(前年までの平成ゴジラシリーズと比べて)スケールが小さくなってしまった事だった。それゆえに、平成ゴジラシリーズは「ビオランテ」〜「デストロイア」までいつも3回ずつ見に行ったのに(但し「スペゴジ」だけは2回)、この作品は1回しか見に行かなかった。
平成ゴジラシリーズは怪獣やメカを派手に登場させ特撮が占める時間的割合が大きい点は子供へのサービス満点と言えるんだけど、でも中心となる登場人物に子供は登場せず名の通った大人の俳優が多数出演している点など、大人の目も意識している様で、“完全な子供向け”とは言えないと思う、つまり子供の目線で作られてはいないと....。それから特撮とか群衆のシーンとかも大掛かりだし。
でも、この「モスラ(1996)」(以降「モスラ96」と略す)は中心となる登場人物は明らかに子供(及びエリアス姉妹)であり、名の通った大人の俳優もあまり出演せず、そして明らかに子供の目線で作られている“完全な子供向け”作品だと思う。そしてそれはこの後の「モスラ2」「モスラ3」も同様だと。
でも何年か後、ふと気がついたんです。『そうだ、この子供の目線で作られている“完全な子供向け”作品って、かつて自分が子供の頃に熱狂した“昭和ガメラシリーズ”がそうだったじゃあないか!』って。そうなんです、私はこの「モスラ96」から始まった平成モスラシリーズは昭和ガメラシリーズの後継作だと今は思ってるんです。
では、何故この「モスラ96」に最初違和感を感じてしまったか?....多分、この様な子供の目線で作られた作品にあまりにも久しぶりに再会してしまい(1971年の「ガメラ対ジグラ」以来かな)、その25年間に私自身が子供ではなくなってしまっていたから....だと思います。つまり「怪獣映画という物は、常に自分の精神年齢に合致したものでなければいけない」などと勝手な要求をしていたんでしょうネ、私は。でもそういう人って大勢居るでしょ?....特に某平成Gシリーズのファンにそういう人が多かったりして?(^_^)。
怪獣映画ってのは基本的には、“その時代の子供たちの為に有るべきもの”なんですよね。
勿論、大人の為の怪獣映画が有っても良いですよ。但し「“大人の為の怪獣映画”は“子供の為の怪獣映画”よりも高尚だ」という考え方は....これは大人のおごりですネ。特に某平成Gシリーズの....もうやめとこ(笑)。
ですから、この作品を始めとする平成モスラシリーズは、子供の心と目で見れば良いんだと思う。この作品を大人の目でケチをつける奴なんて野暮天だと....。
そういう子供の心と目で見れば、この作品....なかなか良く出来ていると今は思う、全体にホノボノとしていて。
スケールの小ささも子供向け作品だからむしろその方が良いんじゃあないかな、昭和ガメラシリーズ(後半作品だけどね)がそうだったし。妙に全人類的な深刻な大問題に描くよりも家族という小さな単位で描く方が子供も活きるし。
歌もいっぱい有るし....そうそう、モスラに仕える2人の小美人、今回のエリアス姉妹が3代目になるんだけど、これまでになく個性的だよね。2人で意見が食い違うなんて初めてだし。完全にモスラと子供との間の橋渡し役となっていますよね。
モスラ親子のバトンタッチもなかなか感動的だし、子供も一生懸命にモスラを応援してるし、ラスト男の子が「ありがとう、モスラ〜〜〜」と叫ぶのはまさしく昭和ガメラですよね。
モスラの造形はこの4年前の「ゴジラVSモスラ」時と同じくらいのレベルかな。でも今回は完全な子供向け映画の主役だから、このおもちゃのぬいぐるみの様なファンタジック(?)な造形でかえって良いのかもネ、かつての61年版「モスラ」や「モスラ対ゴジラ」時の昆虫らしい生々しい造形よりも。逆にデスギドラの方には結構爬虫類的な生々しい質感と貫禄が有ったし。
ただ、川北監督の飛行怪獣の演出は相変わらず平板でスピード感がないんだよなァ、円谷英二御大と違って。その点は鈴木監督の方がまだスピード感が有るから、モスラシリーズになったのをきっかけにバトンタッチしても良かったのでは....?
渡辺氏の音楽もナカナカ良い。強烈な曲ってのは無いんだけど流麗な曲と楽しい曲とで作品全体をファンタジックに彩っていると思うし、ラストのローリングクレジットも素朴で静かで綺麗なピアノ曲というのも新鮮。このピアノ曲は2年後の「モスラ3 キングギドラ来襲」のラストの方で草原の上を子供達が親達の元に駆け寄るシーンにも繋がっている感じがする。
それとこの作品には1つの大きなテーマが含まれてるよね、それは....“植物の偉大さ・掛け替えのなさ”。それを決して説教臭くなく自然に映画を見ている子供達に教えている事も良いと思う。
という事で、この作品に点数を付けるとするならば....☆☆☆1/2 (☆☆☆☆☆満点)。
ところで、上で「この「モスラ96」から始まった平成モスラシリーズは昭和ガメラシリーズの後継作だと今は思ってるんです」と述べましたけど、でも正直申しまして実はそれには幾分違和感も感じてるんですよ、私。それは....敵怪獣に1度はコテンパンにのされてその後リベンジする点などまさしく昭和ガメラと同じなんだけど、でも....硬い甲羅を持ち体の頑丈な亀の怪獣のガメラと違い、ひ弱な体の蛾(あるいは蝶)の怪獣のモスラがあれだけ敵怪獣からの攻撃に耐えられるのかな???....という疑問なんですよ(^_^)
以上は、2002年7月〜8月の投稿記事です。
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